夜中迎えに来るから

土井留ポウ

 繁忙期で立て込んだ仕事を一先ず区切りをつけた頃すでに二十三時を過ぎていた。急いで終電車に乗り込み、うつらうつらとしながら郊外まで長い道のりを電車に揺られていた。一駅毎に乗客が降りていき、駅に着いた頃には乗客は私しかいなかった。途中で切り離され二両編成となった列車はこの先の終着駅に向かってマラソン後のクールダウンのように無人のまま発車していった。電気の消された駅長室。すぐにも電光掲示版の表記も営業終了の告知が二度ほどなされた後消え、屋根に連なる蛍光灯だけが点々と夜の中で光を投げかけていた。私は首を回しながら嘆息した。疲労が相当に溜まっていた。
 定期券を翳して改札を出た頃には冷房に冷やされた身体も生温かい空気に当てられすぐにも額や鼻頭に脂をまとわせた。三軒連なったシャッターの閉められた商店を抜けて踏切を越えようとした時、遮断機の裏で向こう側を伺うように身を屈めている白装束の男がいた。その男は妙に霞みがかっていた。ボンヤリと周囲の空気が揺らめいているように感じられた。遮断機の裏から向こうを覗き込んで誰かを探しているようなそんな仕草を繰り返している。全くこちらに気付かずに背中を向けている。丁度私の進行方向で、私が通り過ぎようとした時、
『ひい!』
 こちらがビックリするぐらいの吃驚の声を上げて、こちらを振り返ったのである。考えられないほどの顔の白さだった。その驚愕の顔が徐々に強張り、顔と同じ白さの眼球を細めて、凝っと私を恨めしそうに睨み付けた。首を引っ込めて、肩を張り、肘を折り曲げながら手の甲をこちらに向けてダランと垂らし、揺らめきながら後ろに引き下がっていく。宙空を滑る滑らかさ。様々な声質が二重に三重に重なりながらこう言ったのである。
『……明日の夜中に迎えに行くから……』
 男は揺らめきながらスーッと掻き消えた。
 
「それは、さては幽霊だな?」
 同僚の黒木は持ち込んだコーラのペットボトルに濃度的に焼酎と半々の自家製ドリンクを飲みながらこう言った。
「うん。多分あいつは道行く誰かを驚かそうとしていたんだ。ところが僕が背後から忍び寄ったものだから逆にあっちを驚かせてしまったようなんだ」
 私は話しながらパソコンを操る。先程トイレで缶ビールを飲み干したところだ。全く今年の夏は特別に暑い。鞄の中のミニクーラーボックスには未だ一本缶ビールが忍ばせてある。
「幽霊のお株を奪って恨めしやって訳かい。それで、そいつは今日の夜中に迎えに来ると言ったんだな?」
 黒木は送り状を印刷しながらこう言う。その後に甘くて臭いげっぷを吐いた。
「うん。仕返しでもするんだろうか?いい迷惑だぜ全く」
 全く暑いなんてものじゃない。節電はいいが室内温度を26度なんかに設定しているんだから。倉庫の方がもっと地獄だろう。連中のロッカーのほとんどが今やミニ冷蔵庫なのは知っている。開けるとズラリと冷たいドリンクが並んでいるんだ。よたよたと倉庫を彷徨っていやがる。しかし、ようやく繁忙期もそろそろ目処がつきそうだ。
「今頃君の家を探し回ってでもいるんだろうか」
「さあな。この糞忙しい時に幽霊になんか構っていられるか。そもそも霊体に何が出来るってんだよ」
「お化けかあ。さぞかし怖いだろうなあ……」
 黒木は送り状を束ねながらホッと息を吐いた。
「まあ……怖いっちゃ怖いけどな……」
「何かあったら連絡してくれよ」
「夜中だぞ。寝ているだろう。僕も君も」
「まあ。確かに。疲れてるもんなあ俺たち」

 連日から続く極度の疲労により私は帰宅するなりすぐにも睡魔に襲われた。辺鄙な山に近い郊外のマンションの上階は風当たりも良くて夏でも不自由は感じないが、真夏の日照りの続いた夜中は多少の寝苦しさがあり私はクーラーを買おうか買うまいか悩んでいたところだった。ほんの短期間の涼のために数万円を費消するのに二の足を踏み、この特別に暑いと言われる今夏の熱帯夜を歯噛みしながら、明日には買おう、などと思いながら伸ばし伸ばしにしている自分自身をその日は悔やんでいた。寝汗をかきながら、極度に疲労しながらも、眠りは浅かった。一般に暗い方が涼しく感じられるというが、それは大きな間違いだ。闇の中ではむしろ生温かく絡み付く暑さが際立ってくるのだ。煩悶とともに、とてつもない喉の渇きを覚えて、睡眠と喉の餓えという局所的な選択を迫られていた私は、とうとう最後には起き上がらざるを得ない状況に追い込まれた。
 開け放した襖から隣のキッチンに向かい冷蔵庫を開けた。缶ビールに手を伸ばしかけたが利尿作用のことを思うとむしろ水の方が好ましいと思い、天然水に手を伸ばしかけたその時私の背後に白っぽいものが過ぎったのを感じた。しかし、私の脳内では一旦手を伸ばした天然水だったが、やっぱりビールが飲みたいという気持ちが勝って、それこそ砂漠に水のような刹那的な欲求に囚われていたために、私の顔のすぐ傍で両手を振り上げたらしい白いものを感じながらもビールに手を伸ばしていた。それにより初手のタイミングをずらされた白装束の男は、もう一度大仰に両手を振り上げたようだった。
 私はそれどころではなかった。もどかしく缶ビールのタップを開けて、乾いた大地に染み渡るビールを惜しみなく味わった。ようやく傍らに顔を向けた私は、もう両手を下に下げて幾分仰け反り気味に呆然と口を開けた昨日の霊的な白い男を認めたのだった。
『……うわぁ……』
 二重三重に重なった声でこう漏らし、非難するような眼差しで私を見遣る白装束の男。
 冷たい缶ビールによって最高の気分の最中にある私は気持ちも尊大になって、白い何処かいじけたようなこの幽霊にこう声を掛けたのだった。
「今日、迎えに来るって言ってもんな」
 この白い霊体はそう言われると俯きがちに両肘を曲げて手の甲をこちらに向けると、口をすぼめた。左右に揺らめいている。
『……もういいっすよ……』
 二重三重に重なった声で投げやりにこう言うと、昨日と同じ如く背中に取っ手があってそれを誰かに引っ張られているような、滑らかな動きで後ろに引き下がり、掻き消えようとする。
「待てぇ!」
 私はピタッと脊髄反射を起こして、思わず手を伸ばしたが雲を掴むような感触、その時図らずも狭い台所の壁に己が右手を激突させてしまい、悲鳴を上げた。むちゃ痛かった。

「大丈夫か。指に包帯なんか巻いちゃって」
 黒木がウーロン茶のペットボトルに濃度的に焼酎と半々のウーロン茶をゴクリと口に含みながら、私の指を見詰めた。
「やられちゃったよ。突き指さ。むちゃ痛かったよ」
 私はクーラーボックスから取り出した缶チューハイを半分ほど飲むと、分からないようにデスクの最下段の引き出しに仕舞った。
「そいつ、やっぱり来たんだな」
 黒木は立ち上がり印刷された送り状の記載の間違いや、染みなどを確認している。
「全く、二度までこの僕にしてやられちゃった訳さ。まあ、あの調子じゃもう二度と来ないだろう。お化けみたいな霊体に何が出来るってんだ。人を驚かせるぐらいじゃないか」
 私は慎重に周囲を警戒しつつ身体を曲げて、最下段の引き出しを開ける。物を取る振りをしてもう一度缶チューハイで喉を潤す。
「全くだ。俺なんかはとびっきりの美人の幽霊に驚かせてもらいたいもんだ。野郎はお断りだ」
 そう言う黒木の背後が揺らめいている。丁度プリンターのある奥まった箇所で照明の届かない薄暗い場所だ。ボンヤリと浮かび上がる白装束の男。
「おい!後ろ!」
 私は叫んだ。黒木は振り返ったが彼には見えないようだ。白装束の男は微動もせず棒杭のように超然と立ち尽くしている。
「何だよ。誰もいないじゃか。ふざけるのはよせよ」
 黒木は再びプリンターに向き直り、送り状のチェックに余念がない。
「何で僕しか見えないんだよ……」
 私はここへ来て恐怖に襲われた。この白装束の男は昨日まで持っていなかったあるものをその手に持っている。それは蝋燭であった。もはやあの幽霊は私を驚かせる、というような気持ちもないようだ。ただ一心とその蝋燭の火のみを見詰めているのである。
「一体それは何なんだ!」
 私は再び叫んだ。
「何だよ。誰と喋っているんだよ。頭がおかしくなったのか?」
 幽霊はもはや何も言わない。その蝋燭の火をいとおしそうに見詰めているだけだ。幾分短くしかも細い蝋燭の、その天辺で弱々しく灯る火を、何も言わずただ眺めているだけなのだ。

 時を経るにつれその蝋燭が徐々に短くなっていくのが分かる。あいつはもはや何も言わず語らず、至る場所で私の前に現れて、その蝋燭の火を感慨深そうに頷きながら見詰めている。
 

夜中迎えに来るから

夜中迎えに来るから

  • 小説
  • 掌編
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-08-09

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