鬱蒼とした青

雪之都鳥

  1. 第一章 ~悪夢~ 第一小節 「瞳」
  2. 「珈琲」
  3. 「写真」
  4. 「灯し草」
  5. 「兎のオルゴール」
  6. 「ロッキングチェア」
  7. 「木枯らし」
  8. 第二章 ~幻想~ 第一小節 「シチュー」
  9. 「猫の墓」
  10. 「オルゴールの音」
  11. 「カラス」
  12. 「人間らしさ」
  13. 「雨の街」
  14. 第三章

第一章 ~悪夢~ 第一小節 「瞳」

 鬱蒼とした波が打ち際に迫っては退くを繰り返し、ざわめく水の流れは彼方先の暗鈍とした地平線に呑み込まれては消えて行く。陶器のようなさめざめとした月は雲に覆われて、どこか僕のわからない所で呻き声をたてていた。灯台の光が孤独にも海に浮かんでいる。
 僕の中に意思はなかった。そこに棒立ちになったままで、瞬きもせずに見ていた。闇に紛れたその塔は、鋭い光に時折浮き彫りにされる。
 突然、炎のような淡い灯火が顔を出してまた引っ込んだ。息を呑んだのを拍子に、周りの景色が現実味を帯びる。
 声が聞こえた。さっきまで遠くの存在だった塔が聳えていた。その小さな窓から見てくる瞳は、閑静、そして青かった。
「危ないです!ただちに迂回してください! 」
 大海に包囲されている僕は逃げる場所はない。「無理だ! 」
 雨雲が雷を落とす。彼女の白い肌が、か細い腕が、美しい顔が暗闇に映えた。

「珈琲」

「・・・・・・お言葉に甘えて」

  目の前の珈琲は焦げたような匂いがしたが、飲むとこの焦げ臭い匂いがまるで良いものに変わってくる。湯気がランタンに照らされて天井に昇っている。
灯台の中は僕たちが入り、やっとのこと座ることができる窮屈さだった。少女は取り乱すこともなく小窓から外を物憂く見ている。小窓からは確かに海が見えた。
ここでようやく自分がなぜこの場所に存在するのかという疑念が頭に浮かんだ。
「・・・・・・どうして、僕はあそこに居たのだろう」
そう問い掛けにも似たどうしようもない疑問を少女にぶつけると、少女は無機質な表情で口を動かした。
「海鳴りにでも誘われたのでしょう」
「・・・・・海鳴り、か」
海鳴りとはこの地域のものの例えで、厄介者の肩書きを背負っている。また、海鳴りの声を聞けば誰でも正気を無くして魂が抜ける、といった脅し文句にもよく使われる。僕は全く信じてはいなかったのだが。
「何か、悲しいことでもあったのですか」
 未だ状況を飲み込めていない僕はすぐには返事ができなかった。
「・・・・・可愛がってきた猫が、昨夜空に昇った」
 彼女は何も言わずに珈琲にミルクを注いで、また僕に渡した。優しい匂いが、胸の中に溶けていくようだった。
「そうですか・・・・・・」
 その言葉には彼女も哀れみの気持ちがあるのだと胸をなでおろした。

「写真」

 冷たいザラザラとした石の階段をおりて行く。途中、ブルーハワイ色の屋根をした小さな家、だったり。海辺の前で佇む、白いシャツの少年の写真が飾られていた。
 軋む木戸を開け、僕は下りる。踏みしてたのは暗い野草だった。
 振り返ると、少女は地面を見つめていた。足は痙攣している。「大丈夫だよ」と言ってみても、少女は何が怖いのか一向に下りる気配がない。「どうしたの? 」少女は何かをのみこむように言った。
「もしも、私がこのままその冷たい地面を踏めば」
 僕は頷く。
「私の中で何かが変わってしまう・・・・・・」
「・・・・・・それはいけないことなの? 」
 少女は(もや)を払うように首を振った。いけないことではない。そう(まじな)いのように口ずさんだ。その小さな手はかたく結ばれていた。彼女の足は、とても小さかった。

「灯し草」

 潮は引いていた。少女の足は濡れた草むらに落ち着いている。
「初めて、大地に足をつけました」
「そうなんだね。今の気分はどう? 」
「まだ少し、恐ろしいです。・・・・・・でも、とても澄んだ空気です 」
 確かに少女の瞳は、月を浮かべて青薄く澄んだ海をありありと映していた。
「そろそろ、いけそう?」
 頷くのを見て、手を差し伸べれば柔らかい手が重なった。
 僕が佇んでいたあの場所は砂州だった。潮の満ち干きが早いらしい。あれだけ抗っていた海も、波の音さえもせず静まり返っている。
「君は、またあの塔に帰りたい? 」
「・・・・・・帰らなければ行けません」
 帰りたい、とは言わなかった。濡れた草の上をしばらく歩けば面積の狭い砂州が。僕は足を灯していた草を見て笑った。真珠のような実をつけた草だ。
「見てごらん、灯し草だよ」
 少女は目を落として、しゃがんだ。僕はそのビロードのスカートに瞬きをした。灯し草に照らされているのを見て、始めてその美しさが目についた。
「君、の名前は? 」
「・・・・・・深琴(みこと)です」
「深琴は、なぜあの塔にいたの? ほんとに何も知らないの?」
「・・・・・・わかりません」
 塔を振り返れば、暗いうす気味の悪い白さの相貌。中にいた時はあんなに居心地がよかったはずなのに。
 背中をふるわせて、「僕のことは道流(みちる)って呼んでくれればいい」とまた砂を踏み歩いた。

「兎のオルゴール」

 幻想を見ていたのだろうか。闇はただあの荒海だったのだろうか。僕たちが“おじいさんの家”を下り坂のふもとに見つけた頃にも眠り鳥は鳴いていた。深夜に入ったものと思い込んでいたのに。
 そして、オルゴールの奏が耳を撫でる。この音色を聴くのは僕が息をすることと一緒だ。「この子は・・・・・・うさぎさんでしょうか」
 深琴のものの言い方に疑問を思いながらも、そうだよと頷いてみせる。
「やっぱり、不思議かな? うさぎがオルゴールを弾いているなんて」
 塔の中にいたならもしかしたら兎という概念も無かったかも知れない。だが深琴はそれを知っていた。本でも読んでいたのだろうか。確かに塔内の隅に本が積み重なっているのを見たかもしれない。
 だが、深琴は首をかしげた。
「うさぎさんはオルゴールを弾かないのですか? 」
 僕は少し笑った。
「そうだね。大体は弾かないのが常識かな。ただ例外はいる、あいつみたいにね」
 指を指すと深琴はうさぎの前にしゃがみこんだ。「はじめまして、うさぎさん素敵なオルゴールですね」うさぎはきょとんと首をかしげている。しばらく深琴
を見たあとでまたそ知らぬふりで音を奏で始める。主動力はうさぎなのだ。深琴の瞳はとても落ち着いた湖のような色をしていた。
「深琴は。そんな目の色も見せるんだね。とても穏やかな瞳だ」
 不意だった。ぱちぱちと瞬きをしたあとに、僕は頬にその手の温もりを感じた。
「あなたは、とても冷たい目をするのね」

 少女がとても人臭く感じた。

「ロッキングチェア」

 ロッキングチェアに揺られながら、窓からの風を受けて眠っている。側の木目調のデスクには万年筆。紺碧色のインクが沁み込んでいる。僕はそれを当たり前のように知っていた。
「おじいちゃん、疲れて寝てしまったんだ」
 とりあえずと、僕はコートを脱いでおじいちゃんに掛けた。そして部屋のシェードつきのランプを消して、ランタンの蝋燭に明かりを灯す。丸いサイドテーブルに置かれたカップにフタを被せた。
 深琴は手持ち無沙汰のようすで突っ立っている。僕はその手を繋いで、おじいちゃんの右側から本棚の後ろに入った。本棚で仕切られている僕の部屋だ。とりあえず声をかける。
「ここに座ってね。そしたら、僕は食べ物を持ってくるよ」
 彼女はまた頷いた。まるで意識がないように従順の体を見せている。そういうところを不気味に思っていたけれど、自分の頬に手を当てる。まだそこには彼女の温もりがあった。そして、その体温に自分の冷感があった。

「木枯らし」

 深琴はウッドチェアに腰をかけて、ただミルクのたっぷりと入れた茶葉茶を飲んでいる。
 時折、深琴は喧騒を起こしている木枯らしを見る。みぞれに混じって木の葉も巻き込まれている。
「・・・・・・もうこんな季節か」
 窓から顔をそらせば、深琴はうたた寝を始めていた。僕は彼女を観察するのをとても面白く感じていた。
「・・・・・・静かだ」
 オルゴールも、いつしか鳴り止んでいた。聞こえるはずのおじいちゃんの声も、いつものように聞こえない。
 机の上に順序よく並べた本の中から、厚い皮の日記帳を開いた。ペン立てから青いインクの万年筆を持ち出して、文字の羅列を作っていく。
 何かを書こうとして、一向に僕は困る。なにを綴ろうか、なにを祈念しようか。深琴を横目で見てから、筆は進みだす。何かを書かなくては。生きる証を、書かなければ。僕の心は常にその焦りだ。

第二章 ~幻想~ 第一小節 「シチュー」

 食べ物を美味しいと感じたのはいつぶりだろうか。その記憶は遠いところで消えてしまったのだろうか。だいだい色の耐熱性のある皿の熱ささえ感じた。シチューの味が舌にまだ居座っている。目の前に座るおじいちゃんの白髪を視界の端に、ぼけっと虚空を見ていた。
「道流。昨晩はいつ帰ってきたんだい」
 昨晩よりむしろ、まだ日も暮れない頃に帰ってきたよ。と僕が答えるとおじいちゃんは安堵したように微笑んだ。
「おじいちゃんは、居眠りしてたよ」
 耳を澄ませば、夜明けのオルゴールが流れている。落ち着いてはいるのに、陽気さを魅せる音。ドアを開けると、うさぎが座って奏でている。けれど、やはりうさぎは不気味な笑みを浮かべている。生きてはいるのに、生きていない。
 おじいちゃんの家のドアには、ステンドグラスが張り巡らされている。白く透き通るうさぎと目が合った。ドアがしまる。深琴はまだ寝ている。
 

「猫の墓」

 おじいちゃんの白い外壁の家の庭には、太陽の恵みを受けて健やかに育った橙色の花が咲いている。その花の傍があいつは好きだった。よく、その花の前で気持ちよさそうに呑気に寝ていたのを覚えている。
 見あげれば、大きな花が僕を見下ろす。花に手を添えれば、まるで花まで悲しんでいるようだった。僕も、こいつの花の麓で本を読んだものだ。ひだまりは、僕を包み込む。僕は目を閉じた。
 手を合わせれば、愛していたあいつとの想い出が頭の中に巡る。また、一人ぼっちになってしまった。
「とても、悲しそうな顔をしていますよ」
 背中の方で声が聞こえて振り返る。深琴はまた例の視線を僕に向ける。また、僕は笑う。心配しないで。哀れまないで。けど、深琴が僕を抱きしめた時、世界の色が変わった。そうだ、あの蒼さは。
「涙が溢れているのに気付かないのですか」
 その、蒼い目は僕の目の青さでもあった。小さな頃の僕が奥に一人で立っている。そして僕を見つめている。
 頬に手を当てると、涙で濡れていた。また僕は瞬きをする。涙は直ぐに引っ込んだ。
「み、こと」
 胸の沈殿していた澱を出そうとすれば、のどにつっかえた。深琴は、微笑んでいる。
「今の、僕には、何も、言葉をかけないで」
 わかりました、と深琴はただ僕の背中を手であやした。止まった涙も止めどもない。ただ僕がどうして泣いているのか、理解が追いつかなかった。

「オルゴールの音」

 窓のカーテンを広げた。向こうに拝める山々の#深緑と同じ色をしたビロード性の布だ。冷たい風を顔に受けると、体中がリセットされるような感覚を覚えた。
 下を見ると、うさぎの奏でる音色を思い出す。今日はやけにのろまだ。だが、悪くはない。「おはよう、うさぎ」そう声をかけてみれば、うさぎは驚いたような顔を一度見せたがそれっきりでまたオルゴールに夢中になる。
 読書をしようと机に向かうとした所で、深琴が寝室から出てきた。寝ぼけ眼の彼女は覚束ない足取りで、玄関を開けて井戸へ向かう。顔を洗いに行ったのだ。
 今日はいい読書日和となるだろう。そう思いながら、ページを捲る。

「カラス」

「道流さんは、今生きていますか? 」
 花の手入れをしている時、深琴は言った。
「・・・・・・は? 」
 意味がわからず、思わず口にしたのがその一文字。不覚だった。
 深琴は堪えるように笑い出す。僕は眉を顰めるが、それを見て更に笑うものだから深琴を見つめた。彼女は今度、幸せな人の顔をして和かに僕を見る。
「何が言いたいんだい? 」
「ええ、道流さんの顔に新しい表情を見れて嬉しいもので・・・・・・」
 胸を、鷲掴む。いつも、そうだいつもそうだ彼女は。僕に生き血を汲んできて、与えるんだ。
「もう、僕が代わりにやるから。深琴には料理をお願いするね」
 そう言えば深琴はわかりましたと、嬉しそうに笑うものだから調子が狂う。
「どうしたんだ、僕は」
 空を見上げる、カラスは今日も枯れた声で羽ばたいている。遠くで、遠くで。

「人間らしさ」

 おじいちゃんは、僕と深琴を前にして珍しくはっきりとした口調で話し始めた。
「深琴ちゃん、いつも道流をありがとう。感謝している。道流は、深琴ちゃんが来てから表情が豊かになった。・・・・・・本当の話をしていいかね」
 深琴はこくりといつもの体を見せる。
「初めて深琴ちゃんをみたとき、私は驚いた」
 僕は心の中でそれを肯定した。だが、続く言葉にそれ以上に驚く。
「君は、とても穏やかで温かくて。何よりも人らしく見えた」
 大げさかもしれないが、我が耳を疑った。
「だからだ、私は君にここに住んでもらうことにした。その事を、私は後悔していない」
 それだけ言うと、おじいちゃんは微笑んだ。僕らは席を離れる。一度だけ振り返ると、おじいちゃんはまた居眠りを始めていた。
「深琴、僕はこれから買い物に街を出る。ついてくるか?」
「いいえ、私は今日は読書の気分です」
 そうか、と僕はドアを開けた。
 おじいちゃんは、時々遺言を残すように話すことがある。その内容は大抵そんなに大層なことではない。
 だがきっと、おじいちゃんは言いたかったのだろう。胸にふわふわ浮かんだ黒いものが居座っていることも、今日は無視をしよう。

 

「雨の街」

僕は何が本当のことで何が嘘なのか全くわからなくなった。言っては悪いが、深琴は今でも不気味だ。あの取り繕った笑顔が苦手だ。
 買い物の済んだ僕は、街を歩く。朝のウェスタード街はとても清々とする。不気味な街並みが、この時間だけとても綺麗に輝く。丁度、今止んだ雨に濡れた雨粒が照らされているように。
 ウェスタード街を抜けると、水の街、アルスライン街に入る。いつもは淀んでた一面の水も、散りばめた宝石のような眩さを見せている。
 

 目を擦る。ぼやけて見えないが、少年が向こう側に一人で立っている。客船を待っているのだろうか、そう思ったが今日は全国的に船は走らない。
 風が僕のシャツを膨らませて走っていく。少年の目が、冷たい空気の中であの太陽に照らされた。青かった。視界が晴れるのと同時に少年は消えた。胸の鼓動が早い。
「だめだ。み、こと・・・・・・」
 君の瞳が、離れないよ。あの鬱蒼とした瞳、今でも憶えている。あの初めて触れられた頬の温かさが、生々しい。
 僕は、首元に下げている物を手にとった。あの少年の目の色に似ている、空色の雫のペンダント。光の当たり具合に変わって、揺らめいている。
「お母さん。僕はまた、弱虫になってしまいそうだよ」
 お母さんと、ほらまた頬に涙が流れた。

第三章

 なぜ、僕は彼女を誘ったのだろうか。僕に見られていることにも気付かずに、好奇心に満ち溢れていることを隠せていない目の色をしていた。
 この店は、郊外にぽつんとあるおじいちゃんの家から徒歩三十分約の小店だ。
 中でも深琴の気を一心に感じとられるのは、アクリルカップ形状のキャンディーボックス。彩り豊かでカラフルなキャンディーの詰め合わせは、たしかに女の子の気を惹きそうではあった。
「それが、欲しいの? 」
「・・・・・・いいえ」
 僕がそう問いかけると走って逃げてしまった。なぜあんなにも逃げるのかと、内心彼女を疑った。ただ子供みたいだなと、おかしな気持ちにもなった。おかしいと言っても、決していやらしい感情はない。・・・可愛いと、思っただけだ。
 見え見えな彼女に歩みを進めると、後ろの方から笑い声が聞こえた。深琴ではない、もっとしわがれた声だ。
「なぁに、今日は龍が涙を流すかな」
 ほっほっほと高笑いするこの老人は、この店の主人だった。慣れた顔であるから、慣れた口ぶりにもなる。
 龍が涙を流す、という言葉はこの地域の独特ないい表しだ。この地域には古代から伝わる伝説があって、その中で龍はとても貴重な存在だった。そんな龍が涙を流すのをめでたいと言われてきたのでこの言葉だ。
「トメお婆さん、僕に龍が涙を流すなんて贅沢な言葉は似合いませんよ」
 そういうと、「こら」と頭を手で叩かれる。
「謙遜しろとは言うが、自分を卑しめなどと言うのは言ったことがないぞ」
 わかったかと言われて、わかりましたと答えた。たく、親でもないのに。

鬱蒼とした青

鬱蒼とした青

塔に住む少女と出会い、少年の人生は変わっていく。少年が見る景色は、何もかもが、不気味だ。

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  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-08-09

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