執行猶予
茸不思議小説です。縦書きでお読みください。
秋晴れの続いた先週の日曜日、会社の同僚たちと高尾山にハイキングに行った。噂には聞いていたが、あまりの人の多さにうんざりして、途中から、林の中の横道にそれた。全く人気のないところで、やっと自然に囲まれた気がしてきた。
「どこかで、お弁当にしよう」
秘書課の鞠目が大きな目で僕を見た。
「うん、腰を掛けるところがあったらそうしよう、みんなもいいかな」
洋和も美知もうなずいた。
林の中の一本道をいくと、きれいな水たまりのある場所にでた。大きな木が何本か切られていて、腰掛けに丁度いい。
我々は腰掛けて、めいめい持ってきたお弁当を広げた。
僕は、コンビニで買ってきたおむすびを取り出し、洋和は奥さんの作った弁当を広げた。鞠目と美知は東京駅で買ってきたお弁当だ。結婚しているのは洋和だけである。奥さんも誘ったのだが、子供の幼稚園の遠足で来れないとのことだった。洋和の弁当は子供の遠足のおあまりということになる。
紀ノ国屋の弁当をつつきながら、鞠目が下草の中を指差した。
「あそこにポツポツと赤いものが見えるけどなにかしら」
確かに赤いものが見える。
「茸だろう」
「赤いのは毒ね」
美知が赤いウインナーソウセイジをほうばりながらもごもごと、独り言のように言ったのに対し、めずらしく、洋和が口を開いた。
「赤いのでも食べられるのもあるんだよ」
洋和はあまり付き合いはよくない方で、女の子と話すことなど、仕事以外にはないだろう。よくこのハイキングに来たものである。
「茸に詳しいんですね」
「詳しい訳じゃないけど、日本ではほとんど食べない、真っ赤な卵茸はおいしい茸なんだよ」
「どんな風においしいの」
「バター炒めにすると、いい味がでるよ」
「食べたことがあるの」
「うん、かみさんが茸に詳しくてね、家の近くの公園にたくさん生えたことがあって、採ってきて食べさせてくれた」
「へえ、奥さん料理の先生でもしているの」
「うん、その通りなんだ、料理を教えている」
それは知らなかった。
「うらやましね」と、本音がでた。
「早(そう)真(ま)さんも、早く結婚したらいいのに」
僕は早真光也と勇ましいような名前をもっている。
食べ終わった鞠目が立ち上がって、草むらに入っていった。
赤い茸をとってくると、「これが卵茸」と洋和に尋ねている。
「ちがうよ、卵茸なら白い壷がある、これは、紅天狗茸っていう猛毒茸だよ」
「やだあ」
鞠目は茸を放り出すと、足で踏みつぶした。さらに、草むらに入ると、足ぶみをしている。
「八本も生えていたのよ、誰かが触ると危ないから、踏みつぶしたの」
「毒と言っても、食べなきゃ大丈夫」
洋和が笑っている。
お昼を食べた我々はもう少し先まで歩いて、見晴らしを楽しむと、早々に帰ることにした。
「どこかで飲んででいく」
「いいよ、焼鳥屋でも行こうか」
ということで、なぜか府中で電車を降りた。府中は久しぶである。以前、大国魂神社に初詣に来たことがあるが、ずい分昔のことである。
駅からつながっている伊勢丹の中を降りて、大国魂神社に突き当たる大きな通りにでたのだが、入りたくなるようなお店はなく、府中本町に行くわき道にそれたところ、間口は狭いが、昔ながらの入り口が引き戸になっている焼鳥屋があった。茶色の暖簾に焼き鳥としか書いていていない。しかし、いい匂いがする。
「ここにしよう」
美知が促した。私が引き戸をあけると、裸電球の下で、鉢巻姿の老人が焼き鳥を焼いている。その前のカウンターには、誰もいない。
「へい、らっしゃい」
老人がこちらを向いた。誰かに似ている。そうだ、昔の喜劇俳優だ、名前を思い出さない。
「あちゃこに似てる」
鞠目がくすっと笑った。
「お任せでいこうか」
僕がみんなに聞くとうなずいたので、「お任せします、適当にお願いします」とたのんだ。
「うーん、困った、うちは安くないよ」
みんなは顔を見合わせた。確かに料金表がない。
「それじゃ、最初に、ふつうの焼き鳥をめいめいに一本」
洋和がこれも珍しく、注文をした。
「あいよ、飲み物は」
「生ビールありますか」
「冷えたのがあるよ」
「お願いします」
「最初に出すかね」
「はい」美知が返事をした。
「焼き鳥は時間かかるよ」
「はい」今度は鞠目が返事をした。焼鳥屋のおやじが鞠目をぎろっと見た。
おやじは、冷蔵庫から冷えたグラスをとりだすと、ビールの注ぎ口に置いた。スイッチを入れると、ゆっくりとビールが注がれていく。別の冷蔵庫を開けると、茶色いものを四つ取り出して、自分の前に置いた。
我々は何だろうと目をやったが、美知が「えっ」という顔をして私を見た。
ビールが一杯になると、
「どうぞ、どなた」とおやじがいうので、私が女性の方を指さした。おやじは美知の前におき、また、注ぎ口の下にグラスを置いた。
「飲みなよ」私は美知にうながした。
一口のんだ美知は「あー、おいしいビール」と驚いた顔をした。
「地ビールだ」
おやじが言った。その手を見ておどろいた。死んだ雀が握られている。おやじは毛をむしると、手元で雀を解体しているようだ。
みんなもそれに気づいた。
おやじが、洋和の前にビールを置いた。
雰囲気を察したかのように、おやじがつぶやいた。
「本物の雀焼きだぞ、食うところは少ないが、空気銃でとっつかまえるのも、時間がかかる」
聞いていなかったのか、鞠目がにこにこして、「おじさんなにしてるの」と聞いた。
「焼き鳥を作ってるのさ、一人前は一羽、自然ものだわさ」
我我はお互いに顔を見合わせた。びっくりしているのは確かである。おそるおそる聞いた。
「早くできるものはなんでしょう」
「そうさな、シシトウやネギははやいよ」
「それもください」
おやじが、私の前にビールを置いた。
「椎茸なんかもいいな」
僕が言うと、おやじは、じろりと僕を見て、
「食うな」
訳が分からないことを言って、串に刺した薄っぺらい肉の破片を火にくべた。
「今、雀を乗っけたからね」
シシトウとネギも冷蔵庫から取り出すと、それはすぐに串に刺した。
「これだって、地元産だからな」
おやじは雀焼きをひっくり返した。
やっと、鞠目の前にビールが置かれた。鞠目はグーッと半分以上飲み干した。
焼き始めれば早い。雀焼きは我々の目の前に置かれた。
「食っていいよ」」
おやじの声で、雀の貧弱な肉をかじりとった。たしかに、うまいものである。だが、ビールがもうなくなってしまった。
「ビールもういっぱい」
美知が声を張り上げた。
「同じものかい」
「ええ」
「ふーん、金持ちなんだな」
「このビールそんなに高いの」
「ベルギーの工場に特別注文してつくらせている」
「え、日本の普通のビールでいい」
「はじめからそういえばいいなじゃないか」
そのとき、おやじの胸のポケットから携帯の振動音が響いた。
「お、連絡きた」
おやじは、そういうと、携帯を開いて耳に当てた。
「ええ、来ています。いま、雀焼き食ってます、目の大きいの、はいかしこまりました」
「これから、裁判官が来るから、待ってなさい」
おやじは、シシトウとネギをひっくり返した。
しばらくすると、戸が開いた。紺のスーツを着た髭を生やした男性が入ってきた。
「お待ちしておりました、どうぞ、ほれ、あんた、脇にどいて」
おやじは僕を指さして、席を空けるように指図した。
僕は立ち上がった。どこに行っていいのかわからなかったが、おやじが洋和の隣を指さしたので、そこにビールと皿を持って移った。その紳士は鞠目の隣に座ることになった。
「あんたさんか、高尾山で茸を踏んだのは」
紳士が鞠目に声をかけた。
びっくりした鞠目は私たちの方を見た。
「あんたさんだね、紅天狗茸を踏んだのは」
また、紳士が言った。鞠目は気味悪そうにうなずいた。
そこへ、また、客が入ってきた。
赤いスーツを着た、色の白い外人のような顔をした女性だった。
「裁判長、いらっしゃいませ」
「しばらくぶりね、お元気でした、お目にかかるのは引退してから初めてかしら」
「そうですねえ」
「やだ、大先輩にそんな丁寧な口をきかれちゃあ、やりにくくなる」
「今じゃ人間に焼き鳥食わしているんで」
「おかげで、人間の情報が入る、感謝しているんです。そのうち、感謝状がでると思います」
「そんな、感謝状なんて、人間がやるようなことを考えるこたあないよ」
「でも、所長が人間の世界にはいると言われた時には驚きました」
「そうかね、人間って言うのも案外面白いよ、単純でね」
そこに、また、年をとった背広姿の男性と、ジーパン姿の若い男の子が入ってきた。
「あ、ごくろうさま、それじゃ、そちらに座ってください」
カウンターはいっぱいになった。
我々は呆気にとられて、食べるのも忘れていた。
「さて、始めてください」
いったいなにをしようと言うのだろう。
赤いスーツの女性が言った。
「それでは、裁判を始めます。検察官陳述をしてください」
最後に入ってきた老人が、鞄から書類を取り出すと、読み上げた。
「高尾山頂近くで、紅天狗茸八体の殺茸の罪で、あの女性を訴えます。今日、十一時五十八分、なにも罪のない茸を一つ抜き取り、踏みつぶし、さらに、その仲間七体を踏みつぶすという暴挙を行いました、その罪は重く、終身刑を言い渡します」
「ふむ、その証拠はありますか」
赤いスーツの女性が聞いた。
「はい、この青年は、一部始終を見ていた切り株の脇に住んでいる万年茸でございます」
「万年茸、検察官の言ったことにそういないか」
青年は「はい」と答えた。
裁判長は鞠目にむかった。
「紅天狗茸を踏み潰したのに相違ありませんか」
といった。
鞠目はびっくりして、こっくりとうなずいた。我々もこれはなんだと声がでない。
「ハッキリ言ってください、どうですか」
「はい」
鞠目は小さな声で答えた。鞠目が僕を見た。僕はそれでいいんだとうなずいた。洋和は口を開けたままだ。美知にいたっては、鞠目の腕をつかんで震えている。
「それでは、弁護人、どうですか」
「はい、これから、被告に尋ねたいと思います、被告人、なぜ赤い茸を踏んだのですか」
「怖かったからです」
「生き物を無意味に殺すのは罪になりますが、そのことは知っていましたか」
「はい、でも、子供の頃から花をつんで遊んでいたので、植物はかまわないと思いました」
ずいぶんしっかりとした答えである。
「茸は植物ではありません」
裁判長が言った。弁護士が手を挙げた。
「裁判長、このように、この人間は、無知からしたことですので、無期懲役ではなく、懲役20年ほどだと思いますが」
検事は立ち上がると首を横に振った。
「いや、被告は、紅天狗茸を一つとって潰したあと、わざわざ戻って、すべて潰すという一級殺茸をおこなっていますので、無期懲役が妥当だと思います」
これはまずいと思ったので、私が立ち上がって、言おうとした時、裁判長に制された。
「傍聴人は発言できません」
僕は弁護士に、証人として発言させてくれるように言った。
弁護士が、「あの、男を証人台にお願いします、その場にいた人間です」
「検事はいいですね」
検事がうなずいた。
「鞠目は、自分の為に紅天狗茸を踏んだのではありません、子供がきて、毒に当たると危ないと思ってしたことです、その場でそう言いました」
「それは確かですか、万年茸も聞きましたか」
万年茸は正直に、
「はい」と、うなずいた。
裁判長が宣言した。
「それでは、言い渡します。懲役五年、執行猶予十五年とします、さらに、周りの人たちはそれを止めなかったことから、執行猶予一年にします」
裁判長がそういい終わると、焼鳥屋のおやじが、
「はい、一人五千円」
と、私たちを見た。
周りには、誰もいない、我々だけであった。
高すぎるという思いは、そのとき浮かばずに、みんなお金を出した。
そんなことがあってから、鞠目は茸の胞子のアレルギーになり、秋になると、顔が腫れ、眠くなるというひどい状態が生じた。茸を食べることができなくなった。私を含め残りの四人は杉の花粉症になった。
我々の花粉症は程なく収まったが、鞠目のアレルギーは続いた。
それから、私と鞠目は恋愛関係になり、結婚した。二人の子供はもう中学生である。
ある秋晴れの日曜日、朝、ベッドから起き上がり、歯を磨いたあとに、ダイニングに顔を出すと、鞠目が嬉しそうに言った。
「あなた、不思議なの、今日目をさますと、鼻がすーっと通って、肌がすべすべになっているの、若い頃のようよ」
確かに、顔に艶がでている。
「更年期の始まりじゃないの」
「まさか、それじゃ反対よ、それにまだまだよ」
「散歩にでも行ってみるか」
「うん」
今までは、秋になると、鞠目のアレルギーはひどくなり、散歩どころではなくなる。町のコンビニで茸が置いてあるとくしゃみがでた。だから、買い物は私がやっていた。
二人して外にでるのは本当に久しぶりである。
「秋晴れね、きれいだわ」
「くしゃみでないね」
「だいじょうぶみたい」
駅のコンビニの方に歩いていくと、朽ちた木から黄色い茸が生えていた。
「あ」と黄色い茸を見て、鞠目が声を上げた。アレルギー反応はおきていない。昔なら大変だ、くしゃみで鼻がくしゃくしゃになっていただろう。
「ねえ、昨日、何日だった」
「十月七日だよ、なぜだい」
「昔、高尾山にいったの、十月八日じゃなかった」
「そう言われて、思い出した、昨日で十五年だ」
「そうよ、わたし、執行猶予十五年、無事はたしたのよ」
「あれはなんだったのだろうね」
「杉の花粉症は執行猶予一年ね」
コンビニに入ると、椎茸が山盛りになっていた。
「おいしそう、食べたらいけないかしら」
「大丈夫だよ」
ここで、椎茸を一袋買った。夕飯に天ぷらにした。
「おいしい、おいしく食べるのはいいのね」
執行猶予が終わった、鞠目は幸せそうだった。
もし、私が鞠目をかばわなかったら、執行猶予がつかなかったろう。その時、鞠目はどうなっていたのだろう。もしかすると、死刑って毒茸を食べさせられるのだろうか。本当にあったことなのかどうかも記憶が定かではない。奇妙な焼き鳥屋だった。
執行猶予