宗教上の理由・教え子は女神の娘? 第十話
まえがきに代えたこれまでのあらすじ及び登場人物紹介
金子あづみは教師を目指す大学生。だが自宅のある東京で教育実習先を見つけられず遠く離れた木花村の中学校に行かざるを得なくなる。木花村は「女神に見初められた村」と呼ばれるのどかな山里。村人は信仰心が篤く、あづみが居候することになった天狼神社の「神使」が大いに慕われている。
普通神使というと神道では神に仕える動物を指すのだが、ここでは日本で唯一、人間が神使の役割を務める。あづみはその使命を負う「神の娘」嬬恋真耶と出会うのだが、当初清楚で可憐な女の子だと思っていた真耶の正体を知ってびっくり仰天するのだった。
金子あづみ…本作の語り手で、はるばる東京から木花村にやってきた教育実習生。自分が今まで経験してきたさまざまな常識がひっくり返る日々に振り回されつつも楽しんでいるようす。
嬬恋真耶…あづみが居候している天狼神社に住まう、神様のお遣い=神使。一見清楚で可憐、おしゃれと料理が大好きな女の子だが、実はその身体には大きな秘密が…。なおフランス人の血が入っているので金髪碧眼。勉強は得意だが運動は大の苦手。
御代田苗…真耶の親友。スポーツが得意でボーイッシュな言動が目立つ。でも部活は家庭科部。クラスも真耶たちと同じ。猫にちなんだあだ名を付けられることが多く、最近は「ミィちゃん」と呼ばれている。
霧積優香…ニックネームは「ゆゆちゃん」。ふんわりヘアーのメガネっ娘。真耶の親友で真奈美にも親切。農園の娘。真耶と同じクラスで、部活も同じ家庭科部に所属。
嬬恋花耶…真耶の妹で小三。頭脳明晰スポーツ万能の美少女というすべてのものを天から与えられた存在だが、唯一の弱点(?)については『宗教上の理由』第四話で。
嬬恋希和子…真耶と花耶のおばにあたるが、若いので皆「希和子さん」と呼ぶ。女性でありながら宮司として天狼神社を守る。そんなわけで一見しっかり者だがドジなところも。
渡辺史菜…以前あづみの通う女子校で教育実習を行ったのが縁で、今度は教育実習の指導役としてあづみと関わることになった。真耶たちの担任および部活の顧問(家庭科部)だが実は真耶が幼い時天狼神社に滞在したことがある。担当科目は社会。サバサバした性格に見えて熱血な面もあり、自分の教え子が傷つけられることは絶対に許さない。
高原聖…真耶たちのクラスの副担任。ふりふりファッションを好み、喋りも行動もゆっくりふわふわなのだが、なんと担当科目は体育。
池田卓哉…通称タッくん。真耶のあこがれの人で、真耶曰く将来のお婿さん。家庭科部部長。
篠岡美穂子・佳代子…家庭科部の先輩で双子。ちょっとしたアドバイスを上手いことくれるので真耶達の良い先輩。
屋代杏…木花中の前生徒会長にしてリゾート会社の社長令嬢、キリッとした言動が特徴。でもそれとは裏腹に真耶を着せ替え人形として溺愛している残念な部分も。しかし性格が優しいので真耶からも皆からも一目置かれている。
(登場人物及び舞台はフィクションです)
木花村は分厚い熔岩台地の上に開けた村。周辺の町村より標高が高く、村の中のほとんどの場所で眼下に大パノラマが広がっている。いわば村全体が巨大な展望台のようなものなのだ。
私がお世話になっている天狼神社はその村の中でもひときわ高いところにある。境内に立つと村全体を見渡すことが出来、さらにその向こうに村を取り巻く山々や、それらのふもとに開けた町や村を見渡せる。
一方で標高が高いということはそれだけ気温が低いということ。この大展望台からの風景でもそのことがよく分かる。平地よりもはるかに早く、木々が色づき始めている。畑の作物が豊かな実りを迎えているのも見える。
そう、もう秋なのだ。
秋。学校行事が目白押しな季節。大小もろもろの行事が次から次へとやってくる、そんなイメージ。
木花中とて例外ではない。体育祭も文化祭もこの時期にある。体育祭は十月上旬。そう、もうすぐそこに実施日は迫っている。生徒たちも準備に余念が無い。
なんてことを言うと突っ込みを受けそうだが。真耶ちゃんたちはお月見の準備で大忙しだったではないかと。いやいやそれが、私の知らない所で体育祭の準備を並行して行なっていたのだ。しかも文化祭だってそう遠くはないのでそっちの準備も一緒に行われている。複数の課題を同時進行でこなしてしかもどのどれもちゃんとバランス良くこなす。そういうスキルを中学生が持ち合わせているということに私は正直びっくりしている。これも木花村の伝統だと希和子さんは言う。子供の頃からそういう育て方をされてきているのだとか。私は一どきにひとつのことしか出来ない性分なので、ちょっとうらやましい。
体育祭、となると、特に真耶ちゃんたちには期するものがある。木花中の体育祭は単独の行事ではない。夏に行われる泥んこ運動会と、冬の雪上運動会、そして秋の体育祭。この三つを通した成績で、A組すなわち赤組とB組すなわち白組が競い合う。
本来は運動が苦手な真耶ちゃんがなぜ今回気合を入れているのか。もともと学校行事を自分の好き嫌いで手抜きするようなタイプの子では無い。だがそれ以上に、泥んこ運動会で白組の足を引っ張ったことに対する自責の念があるのだ。神の子という立場ゆえ、泥んこ運動会にはまともに参加させてもらえなかった真耶ちゃん。それが我慢できず、自ら騎馬戦の騎馬を飛び降りて負けを選んだ。結局皆が真耶ちゃんを特別扱いすることは無くなり、他の子と同様にクラスの中に溶け込めているようだが、白組が負けたという結果は消えない。
だからこそ、体育祭は挽回のチャンス。幸い誰も真耶ちゃんのことを恨んでなどいない。ただただ勝利目指して自分たちのベストを尽くそうとしている。真耶ちゃんの友達も、勝利が真耶ちゃんの自責の念を癒すと知っている。
「うーし、練習すっぞー」
その白組をリードするスポーツウーマン、苗ちゃんが張り切っている。ここは集落にほど近いところにある運動場。木花村は大学など教育機関のセミナーハウスも多く、この運動場も夏休みには合宿に来た運動部の学生たちで賑わっていたが、今はひっそりしている。
真耶ちゃんも真耶ちゃんでビシッとトレーニングスーツで決めている。普段運動するわけではないのだが、とにかく形から入るのは嬬恋家の教えでもあるのだ。学校の授業とは関係ない自主練習だが、当然仲良しの優香ちゃんもいる。お花ちゃんも大道芸をやっていたというだけあって身のこなしは軽い。学校ではフェンシング部に入った。ただクラスが三人と違ってA組なのがちょっとつらいところか。でも呉越同舟とばかりに学校の外では一緒に練習するし、他の子達もそれは普通のことと思っている。練習段階ではいがみあわず、共に技を高めつつ、いざ本番となれば正々堂々戦おうというわけだ。
ただ私は、ひとつ心配なことがあった。そしてそれは的中した。最初はトラックを回ってジョギングで身体を暖めるということになったのだが、私の横を走る真耶ちゃんのフォームが…。
「女の子走りだ…」
両腕を腰にやって前後に動かすのではなく、拳を胸に引き寄せるように振る。あまり効率が良くないので運動部とかだと直されるケースもある走り方だ。そして「女の子」と名前に付いているくらいなので、男の子はあまりこの走り方はしない。だけど、いやだからこそ、真耶ちゃんはその走り方をするのだろう。私の心配は、真耶ちゃんが極度の運動音痴であるということ。そしてそれを裏付けるように、真耶ちゃんの走り方は速さよりもおしとやかさを追求したものだった。
「まあ人生の過半数をあの走りで通してきたわけだから、サマにはなってるよね」
お花ちゃんがそう教えてくれた。幼い頃の真耶ちゃんは腕を前後に振る走り方をしていたのだが、わざわざ女の子走りを練習したのだという。
「うまいこと矯正が成功したんだよね。反射的にあの走り方になってるはずだよ」
それは果たして「矯正」なのかという気もするが…。まあ私も以前に体育の授業で真耶ちゃんが走るところを見たことがあるが、そのときに走り方が男の子にしては変だということに気が付かなかったのだから、それだけ違和感無くこの走り方が身についているということでもあるだろうが。
真耶ちゃんが徹底して女の子ぽく振る舞うことのほとんどは、自分からやると言い出したものだ。女の子として生きることこそ神社のしきたりで決められたことだが、そこから先の女の子らしくなる努力はほとんど真耶ちゃん自身が選んだ道。もちろん女の子走りもそう。神社の決まりではそこまでやらなくてもいいのに、っていうところまで頑張っている。正直、周囲もやりすぎじゃないかと思っているらしい。でも止めても聞かないのだという。
「あたしは神の子に産まれたんだから、責任は果たさなきゃ!」
と。
「でも体育祭って、運動苦手な真耶ちゃんにとってはあまり歓迎したくない行事なんじゃない?」
ジョギングを終わって呼吸を整えたあたりで私は苗ちゃんに聞いてみた。心配が顔に出てたのだろう、苗ちゃんは安心して、と急いで最初に言ったあと、落ち着いて話しだした。
「大丈夫、ウチらの中学校の体育祭って、ほかとちょっと違うから」
そして体育祭当日。あっという間という気もするが、お月見からそう日にちは経っていない。冷え込みこそしたが空はピーカンの青空。昔から農村では学校の体育祭が村をあげての一大行事だったのだそうだ。その雰囲気はここ木花村でも感じられる。無論大人が参加や見学をできるように、日曜の開催だ。
決行を知らせる花火で目覚めると、神社の掃除を終えた真耶ちゃんと花耶ちゃんが戻ってきた。すでに二人とも運動着姿。希和子さんもお弁当の準備に余念がない。実は希和子さん、料理はさほど得意ではないと自分では言っている。私はそうと思わないが、家庭科部で頑張る真耶ちゃんのレベルが高すぎるのだ。それでも全力でおかずを煮て、焼いて、お重に盛り付ける。ちょっと量が多目に見えるがそれでもいいのだという。
「親御さんがお仕事で来られない子もいるでしょ? 特に観光の村だからなおさらね。そういう子の分まで作るのが習わしなの」
というわけで、風呂敷に包まれたお弁当を抱えた真耶ちゃんと一緒に出発、といったところで、あることに気がついた。我ながら良いひらめきだと思った。
「ねえ、神社で必勝祈願しない? あ、それとも、真耶ちゃんのお祈りなんてどうかなあ?」
自宅に神社があるという絶好の環境なのだから、神頼みをしない手はない。しかも真耶ちゃんは自らが神使なので、他人から願い事を請け負って叶えるようお祈りすることも許されている。だが名案とひそかに自画自賛した私の案は見事却下された。花耶ちゃんと希和子さん、ほぼ同時に言われた同じ理由によって。
「もしうちの神様に運動での必勝祈願を叶える力があったら、最初から神の子の運動音痴を直してると思うし、自分で運動の出来ない神の子に他人の運動でのお願いを叶える力はないと思う」
学校に到着すると、すでになかなかの賑わい。さっき運動神経の無さを指摘されてしょんぼりしていた真耶ちゃんも元気を取り戻した。そう、がっかりばかりもしていられない。楽しいお祭りだけど、あくまで真剣勝負なのだ。
ただ。そこは楽しいこと大好きな木花の子どもたち、普通の競技では満足しないのも事実。私はどんなことをやるかを事前に聞いてはいたが、実際目の当たりにすると相当奇っ怪なものになるに違いない。
体育祭が始まった。もちろん徒競走のような普通の種目もある。開会式こそ行進も気をつけ休めもない木花中ならではの自由な感じだったが、いざ競技が始まると皆真剣。このメリハリが木花の生徒の個性でもある。
「でも、木花中でもやるんですね、徒競走」
私は渡辺先生と高原先生に招かれ、大会本部近くの席から見学していた。私のふと発した言葉だけで、渡辺先生はその先まで読んでいたようだ。
「ああ。自由と競争させないってのとは違うぞ。まあいわゆる日本的な教育システムと違うのは、我々は出る杭を出たままにしておくってことかな。自由にさせるからこそ突出する者も出てくるし、でもそれを嫌ってきたのが日本の学校でもあったわけだ」
勝ち負けを付けるのは良くないという理由で、みんな手をつないで徒競走のゴールテープを切らせる学校もあると聞いたことがある。その理念は分からなくもないし、もしかして木花中でもそれが行われているかも、と思ってしまったことへの回答だ。
「私は難しいことわからないけど~、勉強では受験って形でちゃんと順位が付くじゃない~? だったら~、運動が得意な子にだって順位付けてあげたほうが平等だと思うの~」
そして高原先生が継いだ言葉は、学校教育の矛盾を突いているようでもあった。運動で勝ち負けを決めるのが駄目だとすれば成績表や内申書だって駄目なはずだ。そう考えると、生徒の長所が伸びるのを止めない木花中の教育方針が優れているように思えた。もっとも、
「でもそういうのって本当にあるのかね? 人目を引く見出しがほしい新聞やら週刊誌やらが、一部の特殊な例を誇張して伝えてるだけなんじゃないのか? だいいち全国の小学校の何パーセントでそれがされているのかの統計も無いじゃないか」
という渡辺先生のセリフは説得力があった。
「ま、たまには社会科教師らしいことを言わないとな」
と、舌を出していたが。
徒競走が終わると、走り幅跳びやハードル走などの競技が続き、午前の部は終了。ところが時計を見るとまだ十一時にもなっていない。
「ああ。みんなにとって楽しみなのは午後の部だからな。こっちはちゃちゃっと終わらせるってわけよ」
なるほど。でも午前のうちに私が抱く運動会のイメージにピッタリ来る種目はほとんど出揃った感があるのだが。
昼食。先生方と生徒の保護者、地域の観客の方、みんな一緒に食べる。それぞれの家庭の自慢のお弁当が持ち寄られている。渡辺先生の隣にいる私たちのもとにも沢山のおかずが提供される。そのどれもが美味しい。会話も弾む。
「そういえばこっちの体育祭では騎馬戦って無いんですね?」
私はプログラムを見ていたのだが、ふとそのことに気づいた。泥んこ運動会では騎馬の馬上から真耶ちゃん自ら飛び降り、それもあって白組は負けたのだ。もし今日騎馬戦があれば、ちょうどいいリベンジのチャンスになるだろう。だが。
「無いわよ~。土の上だと危ないから~。同じ理由で棒倒しも無いわよ~」
泥の中だと動きも制約されるし落ちても下が柔らかいので怪我をしにくい、それが泥んこ運動会で騎馬戦をやってもいい理由。生徒が危険な種目はやらせないというのは徹底しているので、こちらでは外されている。少し離れた所で昼食を食べていた高原先生が後ろを向いて説明してくれた。
「じゃあそれで組体操も無しなんですね?」
個人的には、あれほど危ない運動会の種目も無いと思う。重大な事故も何件が起きているはずだ。
「そうよ~。それにあれって裸足でやらされるでしょ~? 生徒ちゃんにとっては屈辱だし、足が汚れちゃうのもかわいそうよね~」
お洒落な高原先生らしい理由の分析でもある。
「…まぁ、仮にあったとして、絶対に組体操に向かない奴がいるだろう…」
渡辺先生が生徒のことを「奴」と呼ぶことは本来無い。それをするのは別格に親しい相手、真耶ちゃんだけだ。
「というか、小学校で組体操を復活させようってなったことがあってな、とりあえずピラミッドの一番上に乗っけておけって事になったんだが…」
先生の顔が曇った。
「あいつ、高所恐怖症なんだよ。ピラミッドの上で泣き叫んで暴れたもんだから頭から落ちて…で、あのナリだろ?」
先生はやや離れた所で、午後の種目の確認をしている真耶ちゃんを指さした。紛れもなく女の子、に見える外見だ。
「女子にあんな危険なことをさせるとは何事か! という批判が爆発してな。たまたまケーブルテレビが生中継してたんだよ。しかもインターネットでも同時中継だったから、言ってみれば世界中にその様子が配信されたわけだな。即中止だよ」
まぁ私もああいうのは好かないから怪我の功名だ、嬬恋も無事だったしな、と笑う渡辺先生。
って、何飲んでるんですか! いくらお祭りみたいなものだからって、ビールはまずいでしょ、ビールは!
「失敬な。ノンアルコールだ」
いやそういう問題じゃ…。
「今日もバイクで来たからな」
そういう理由でも無いし!
午後のスタートは応援合戦。みんな楽しそうだが、ただ一人苗ちゃんだけは不機嫌に見える。
「チアガールやろうってクラスで決まったのになー」
さすがにそれは主任先生から止められたそうだ。そのかわり応援団は詰襟学生服を着ることに。なんだかんだで苗ちゃんも詰襟服でビシッと決めている。どうせなら女子が着るほうが面白いというということで、応援団は全員女子、と言いたいところだが、一人だけ男子? がいた。
「あ、あたし、これ着るの初めてだから…なんか、恥ずかしいよぅ…」
「真耶ちゃんが着ないと始まらないよ? ほら」
優香ちゃんによって半ば強引に着せられた真耶ちゃん。ちなみに天狼神社の神使である真耶ちゃんは普段女の子の格好をしているが、裏を返せば男の子の格好をしてはいけないということでもあり、少なくとも身体のどこかに女の子の衣服を身につけないといけない。この応援合戦にあたっても「男子の詰襟を借りて着ている女子」という体を作りださねばならず、他の女子は下がスパッツだが、真耶ちゃんだけはわざわざスコートをはいている(普段の体育の授業でもそうしていることが多いのだが)。靴も黒地にピンクのストライプが付いた最近女の子に流行りのもの。もっともそういう心配は杞憂にすぎないらしく、
「男装も似合うね」
というお花ちゃんの褒め言葉がなんだか合っているような矛盾しているような…。
ただ、真耶ちゃんが着替えに抵抗しているのには別の理由もある。
「タッくんの制服…」
この真耶ちゃんにはダボダボの制服は、三年生の池田くんのもの。池田くんは真耶ちゃんがひそかに思いを寄せる相手で、そのことは半ば公然の事実となっているので、苗ちゃん・優香ちゃん・お花ちゃんは事あるごとに二人をくっつけようとする。今回も三人の画策で池田くんの制服がうまいこと真耶ちゃんにあてがわれたのだ。
「これ昨日まで着てたやつだよね? いや~真耶、良かったね~」
真耶ちゃんの背中をポンポン叩きながらからかう苗ちゃん。
「や、やめてよぅ…。恥ずかしい…。ホックはめられないよぉ…」
詰襟の首のところにあるホック。真耶ちゃんはからかわれたことで動揺してはめられないと主張したいようだが、それだけでもないのだろう。男子生徒でも慣れないうちははめるのが難しいらしいので、初めてこれを着る真耶ちゃんには大変だ。と、その時。
「しょうがねぇなぁ、意外に不器用なんだよな」
どこからともなく登場した池田くんが、真耶ちゃんの詰襟に手をかけ、ホックをはめてあげた。
「…」
真耶ちゃんは言葉も出来ないほど真っ赤になっている。ああ、この絵は確かに私でも恥ずかしい。少女漫画にでも出てきそうな雰囲気だ。
「うわー、これは眼福だねー、佳代ちゃん?」
「だよねー、このシチュはたまらんよねー、美穂ちゃん?」
これまたいつの間にか現れた篠岡さん姉妹。それを見た苗ちゃんが、
「うーん、アンテナ感度いいねー」
と。なんでも二人は自他共に認める「腐女子」なんだとかで、私はその言葉の意味がよく分からないが、とにかく二人は真耶ちゃんと池田くんのいちゃいちゃをニヤニヤしながら見るのが好きなのだそうだ。
応援合戦も終わり、いよいよ午後の本格種目。応援団一同は着替えてくると言い残して去った。別に詰襟学生服を脱げばいいだけの話だと思うのだが…。あ、戻ってきた。って…。
「似合う?」
お花ちゃんがくるっと一回転した。そこにいたのは、午後の競技での健闘を宣言すべくビシッと決まった体操着、ではなく、
全身タイツ。
当然のことながら赤組は赤、白組は白。しっかりフードもついていて顔以外はタイツに覆われており、ぱっと見名前がわからないので名札を縫いつけている。普段の体操着にはそんなことしないのに。気合の入りっぷりがうかがえる。でも、どうして全身タイツ?
「それは~、午後の種目が全身タイツのほうが便利だからよ~。一応学校にも準備があるけど、自分で買う生徒ちゃんも多いわね~」
と説明してくれた高原先生…。何という格好…全身タイツなのだけどフリルがあちこちにあしらわれている。乙女ちっくな格好の好きな先生らしくはあるけど…。
改めてプログラムを見直す。そこにはタイトルからは内容が想像もつかない種目の数々…。
一体、これから何が始まるの?
と思っていると、校庭のトラック上に大きなハリボテの球が並べられた。なんだ思ったより普通じゃないか。大玉転がしでしょ? ところが。
「それでは、大玉転がされを開始します。選手の皆さんは、集合してください」
とのアナウンス。微妙に名前が違ってたけど、どういうこと?
選手が玉の周囲に集まった。玉一個に対して三人が付く。この玉の大きさなら二人でも十分じゃないかと思っていたら…。
「それでは転がされる人は、スタンバイして下さ~い」
というアナウンスが流れたかと思うと、それぞれ真ん中の一人がヘルメットをかぶってゴーグルをすると、玉に背中を密着させる。そして、
「固定してくださ~い」
なんと。両手両足を大玉に結びつけてしまったのだ。何が始まるの? と思っていると号砲が鳴る。そして。
大玉に縛り付けられた子もろとも、大玉がトラックを転がされていった。
なるほど。それで大玉転がされなのか。しかし転がされているほうは大変だ。基本回転軸の側面で時計の針のように回転しているのだが、時々方向転換などのときに身体が地面とキスをするようになる。これは大変だ。
しかし会場は大盛り上がり。ハッキリ言って午前中はこれに比べれば静寂と言ってもいいくらいの落差。でもなるほど、たしかにこれは全身タイツが似合う競技だ。動きやすさとか、全身が覆われていることで汚れや擦り傷に強いというのもあるけど、何よりも、お笑いテイストを演出するには恰好の衣装だ。
競技が終わると、玉に縛り付けられていた子はフラフラ目が回った状態。しかも競技はまだ終わりではなかった。コースの先に平均台が用意されており、それを渡り終えた所に風船がある。それを早く割ったほうにボーナス点が入るのだが、目が回っているので当然皆バンバン落ちる。そして落ちたその先には…。
「おーっと、赤組の選手が落下!」
それぞれの組と同じ色の絵の具が。落ちた子の全身からドロドロの絵の具がしたたり落ちる。ちなみに三人がかわりばんこに大玉に縛り付けられる。一人だけラクはできないというわけ。
「絵の具は全部天然素材で作ってあるから、環境にも優しいのよ?」
私は放送席近くに移動していた。隣で観戦している元生徒会長の屋代さんが言う。いやでも、プレイヤーには優しくないような…。
「でもこれを気の弱い子とかにやらせるといじめみたくなっちゃうでしょ? だから勉強とか運動とか優れている子がやらされること多いわね。もっともこの手の競技はこれだけじゃないから、大抵の子はお笑いの対象になることを免れないというか、全員午後の種目のどれかに出ないといけないから」
逆に午前は徒競走以外の種目は選抜制で運動の特な選手だけが出る。ということは、午後には他にもいろいろと、これに似た種目があるわけだ。プログラムを見る限りではお遊び系種目ということだけしか分からなかったが、改めて思う。なんともおかしな体育祭だ。
ただこれは真耶ちゃんにとっても追い風かもしれない。全員参加が義務なら、泥んこ運動会のように自分だけ参加できないという事はないだろう(みんなあれは反省しているのでそれはもう無いが)。それに必ずしも運動能力が高いと有利な種目ばかりでも無さそうだし。
肉じゅばん相撲。肉じゅばんを着ているので動きにくい。ここでも苗ちゃんが活躍しているがやはり勝ち抜きなので暑そうだ。
ぬるぬるレスリング。リングと呼んでいるものは実はビニールプールで、中に油とクリームが入っている。その中でレスリングをするのだから全身がヌルヌルになり、滑って仕方ない。ここではお花ちゃんが大活躍。彼女は赤組なので白組の我が方としては油断ならない。全身油まみれだけど。
仮装騎馬対決。騎馬戦「みたいなもの」を行う。ただし肩の上に騎手を乗せるのではなく、一人がもう一人の腰に手をやって馬の形を作り、その背中に騎手が乗る。言うまでもなく馬の着ぐるみと、騎手用の鎧兜レプリカが着用される。そのためこんなのは本当の騎馬戦じゃないと古参の先生からクレームが付いて名称を変えたのだとか。だから「体育祭に騎馬戦がない」というのは嘘ではない。ちなみにこの騎馬戦は実際に騎馬を作らないで仮装するだけなのでいわば仮想…というのはNGワードらしい。
さて、我らが真耶ちゃんであるが。
「続いての競技は、変態レースです。出場選手は集合してください」
変態、レース? 戸惑う私のそばで、
「はーい」
という声がした。
真耶ちゃん?
へ、変態って…そしてそれに返事するって…。
トラックのスタート地点に並んだ選手たち。赤組白組ともに各学年から三人一組が選抜される。って、あれは何を着ているの? なんかウレタンの着ぐるみみたいだけど…。
「あれは卵。虫の卵なんですよ」
屋代さんが解説してくれる。体育祭ではとにかく着ぐるみとかの仮装系衣装がやたら充実している。これらは屋代さんの家がやっている会社の寄付によるものが大きいのだとか。だから私は最適な解説者に恵まれたことになる。
号砲が鳴る。卵の着ぐるみは顔の部分だけがくり抜かれたもので、文字通り手も足も出ない状態。前進するにはゴロゴロと転がるしかない。一見大玉転がされと似た状況だが、違うのは顔と地面が密着する機会が多いこと。選手の顔がみるみるうちに土まみれになる。
このレースはリレー形式。第二走者は地面に横たわっている、というか、横たわることしか出来ない着ぐるみを着させられている。当然バトンは持てないので第一走者の卵の着ぐるみが触れた所でタッチ成立。スタートとなる。だが。
匍匐前進というか。手も足も使えないので身体を曲げて伸ばしてを繰り返して前に進む。それはあたかも、
「そう、イモムシ。最初の走者は卵でしょ? それが幼虫に変化する。だから」
ああなるほど、私と屋代さんの声が重なった。
「変態」
第二走者には優香ちゃんが居る。メガネを外している姿は初めて見たが、イモムシの中から顔を出しているだけなので遠目だと本人だと分かりにくい。イモムシなので当然歩けない。匍匐前進というか地面に横たわって身体を縮めては伸ばすを繰り返しながら前進する。本人たちの必死さに反比例するようにその歩みは遅い。それでもようやく第三走者のところに全員なんとかたどりついた。
第三走者はさなぎを模した箱のなかにいる。それに優香ちゃんが顔でタッチすると…。
「…」
観客が息を呑んだ。そこには、卵、幼虫、さなぎという過程を経た、
「オオムラサキ…」
いや、蝶に扮した真耶ちゃんがいた。美しい。羽はキラキラ輝き、カチューシャから伸びた触覚も美しい。
「蝶は女の子憧れのポジションなの。真耶ちゃんが全員一致で選ばれたのよ。やっぱり可愛いわねえ」
と屋代さんがため息をつくのもわかる気がする。
「あれだと結構な競争率なんじゃないの?」
私は訊いてみた。今までの競技と比べてみても、見た目的に一番良いと思うし。
「うん、人気あるわよ。でも…」
屋代さんがちょっと微笑しながら言った。
「競技の中身を知って尻込みする子も多いから。結構過酷なのよ」
第三走者が一斉にスタートした、が。
自分で走っていない。よく見ると空中にロープが張られ、そこから吊り下げられているのだ。
「だって蝶だもの。空は飛ばないと、ね?」
ロープの両端が滑車になっていて、その下で走者を引き寄せる。だから走者自体は体力を余り使わないように見える。これなら真耶ちゃんにも向いているだろう。空に浮かんだ選手たちの姿はまさに優雅。羽が太陽光に反射してまぶしい。
本来、これだけなら美しいで終わるわけだが。そうは行かなかった。屋代さんの言う過酷な部分が始まった。
トラックの中に巨大な花が用意されている。なるほど蝶なので、花の蜜を吸うわけだ。花の下の部分が透明なカップになっていて、そこに液体が入っている。
ここからが大変。滑車を引っ張る引き手がうまくコントロールして、蝶を花に到着させないといけない。が、なかなかコントロールが定まらず、蝶はあちこちに振り回される。ようやく花に近づけたかと思うと、
「ぱああああ」
花びらに衝突した蝶から粉が飛び立った。そして白かった蝶の胴体が黄色に染まる。そう、そこにおしべが立っていて、そこに塗られた黄色い粉が顔につくのだ。
「蝶が自分で花に行く事はできないの?」
私の言葉は愚問だった。これまでの走者同様手が着ぐるみの中に収納されているので自力では花に近づくことができないのだ。おしべの花粉は容赦なく蝶たちを襲う。黄色だけでなく色にはバリエーションがある。
それでもなんとか花にうまいこと飛びつく選手も現れた。そしてそれはなんと真耶ちゃん。よし一歩リードだ。ガンバレ! と拳に力を入れたその時、
「これからが大変なのよ」
という屋代さん。
花の中にあるカップには蜜に見立てた液状のものがある。これを飲み干すと先に進めるのだが。
「ただの液体じゃないのよ」
屋代さんの言ったとおりだった。蜜を吸う真耶ちゃんであるが手が使えないので顔を蜜の中に突っ込むしか無い。必死で吸っていたようだがそれほど減らないうちに、
「ぷはぁ」
顔を上げてしまった。そしてその顔からしたたり落ちるのは…。
「あれは木花の産物をブレンドしたものなの。粘りがあるでしょ? あれは花芋」
泥んこ運動会でも出てきた名前だ。村の地場野菜で、擦ると激しい粘りが出る。真耶ちゃんの顔は粘着ボンドを顔につけたお笑いの人みたくなっている。これは花芋のみならず、水飴や納豆など色々と粘りのある食材を混ぜて、顔にひっつくようにしているのだとか。
「でもあの色は何? 緑色だけど」
「あれは村でとれた野菜で作った青汁。相当苦いと思うのよ」
まぁそれ以前に粘りを出すために調合されたものがすでに奇妙な味を作り出していると思われる。真耶ちゃんに続いて他の選手も蜜を吸い始めたが、しばし顔を突っ込むと苦しい形相で顔を上げ、それを繰り返す。
「肺活量も必要だけど、好き嫌いをしないことと、あと忍耐力ね。そうなると有利なのは…あ、真耶ちゃんやっぱトップだ」
花の中の蜜が見事空っぽになった。それを審判が見届けると旗を上げる。それを確認したロープの引き手が再び仕事を開始する。しかしその行く手に不穏なものが…。
「うわあああっ!」
なんと。真耶ちゃんが転落してしまった。
「あれは韃靼海峡なの」
一瞬なにのことかわからなかったが、蝶が海峡を渡る様子をうたった有名な詩があって、それを再現したのだとか。そう、いつの間にか校庭に移動式のプールが設置されているのだ。
「というかなんで急に落ちたの?」
という私の疑問は目の前の風景を見てすぐ解決した。前後で支えられていた滑車の後ろのほうが外されたのだ。そのため蝶はプールの中に落ちる。間もなくカギの付いた紐が投げ込まれるが、なかなか引っ掛けることが出来ない。着ぐるみは軽いので間もなく真耶ちゃんは浮き上がったが、顔が下になっているので呼吸が大変そうだ。無理やり顔を引き上げては、
「ぷはぁ、ぷはぁ…」
口をパクパクしながら必死で息をする。相当に苦しいのだろう。
「人間の体のほうが重いから自然とああいう形になるわよね。だいいち羽が下になると見栄えが悪いし」
いや、頭まで沈むのではやられる本人がつらいのでは…。しかも引き上げる紐が相変わらずなかなか引っ掛からず、蝶は随分長いこと水の中に浮かんでいることになる。
しかも、せっかく引き上げられたというのに。
「ぶちっ」
紐が切れてしまった。それもそうだ、これは紙をより合わせただけなので濡れれば強度が無くなる。つまりカギを引っ掛けるのに時間がかかればかかるほど紙はふやけるというわけ。
「ぶはっ、げほっ、げほげほ…」
水の中に再び落ちた真耶ちゃんは本当に苦しそう。それでもまた引き上げられて、また落ちて。それを繰り返しながら少しずつ進んでいく。でもいつの間にか後続の選手が迫っている。
「がんばれー!」
私は気がつくと大声をあげていた。でも気持ちは皆同じだったようだ。
「がんばれー!」
その大合唱。その中でようやく。
ゴール。
引き上げられた真耶ちゃんはゼイゼイ言っていたが、それでも笑顔を忘れない。そう、勝ったのだ。
午後の陽光に光る真耶ちゃんの姿は、改めて見ると美しかったが、それが生身の人間をびしょぬれにした結果だと思うと当人はさぞや大変だろうと思う。それでも出場選手の第三走者は全員女の子で(まぁ真耶ちゃんを女の子としてカウントするかどうかの問題は別として)、やはり綺麗になりたいという気持ちが勝つんだなぁと実感した。
この変態レースをもってバラエティ系種目は一応終了。最後は赤白対抗の全員リレーで終わる。
なぜ「一応」なのか。それは真耶ちゃんの姿を見ればわかる。
「…どうして蝶のままなの?」
実は変態レースの第三走者だけは、全員リレーもそのままの格好で走らないといけないのだ。これは種目が隣り合っているので着替える時間が無いというのもあるが、蝶の扮装のまま走るほうが盛り上がるというのもある。
「大変かって? そんなこと無いですよ。それにちょうちょさん綺麗だし」
真耶ちゃんが微笑みながら私に答えてくれた。羽が重そうだし着ぐるみは暑そうだしでもその中まで水が入っていて気持ち悪そうだが、そんなことは辛さのうちに入っていないようだ。
しかもよりによって白組は真耶ちゃんをアンカーに指名した。責任重大である。
よーいドンの合図で競技開始。
作戦はうまく進行している。アンカーに速い選手を配置しないという作戦はセオリーと逆を行くものだが、スポーツではそういう定石破りがしばしば成功する。もちろんアンカーにバトンを手渡すまでに大きなリードを取ることは必須で、その役目は苗ちゃんに託された。男子顔負けのハイスピードで赤組をさらに引き離すと、バトンを持つ手が伸びる。それを待ち構える真耶ちゃん。さすがに手を振らずに全力疾走は危ないので、審判によって真耶ちゃんのさっきまで仕舞われていた両手が解放された。
「真耶頼んだ!」
「うん!」
観客席までそのやり取りが聞こえたように思えた。ふたりとも気迫十分。苗ちゃんの、いや白組全員の思いを受け取って、光り輝く蝶がスタートを切った。
だが。
その走りはあまりに遅かった。もちろん着ぐるみであるからというのもあるが、敵方だって同じ数の蝶が走っている以上条件は同じ。にもかかわずみるみるうちに差が縮まるのは、もともとの足の速さの差にほかならない。それでも必死に真耶ちゃんは走る。他の子達が作ってくれたリードを守るために。リードはあっという間に無くなりそうだったが、赤組のバトンリレーがもたついたりしたので、これならいけるかも! と思えた。私の手にも汗が走る。しかし。
こてっ。
真耶ちゃんが転倒してしまった。その瞬間誰もが顔を覆ったが、そこからこそ真耶ちゃんの根性の見せ所だった。しばし固まっていた真耶ちゃんだが、なんとか立ち上がる。そしてフラフラになりながら走り続ける。顔には土が付いている。それを拭おうともせず必死で腕を振る。
「がんばれー! 今よりもっと、すごくがんばれー!」
ひときわエキサイトしたのは私だけではなかった。がんばれー! という大合唱が校庭を包んだ。真耶ちゃんはその声援に励まされて、
ゴール!
ギリギリまで迫られたが、なんとか持ちこたえた、ようにも見えた。しかし。
「写真判定を行いますので、しばらくお待ち下さい」
確かにそれほどの僅差だった。あと私たちに出来る事はいい結果が出ることを祈るしか無い。
しばらくすると、放送が流れた。
「ただいまの写真判定の結果をお知らせします」
負けた。
写真判定の結果、わずかに赤組の選手が早くゴールテープを切っていた。
そして。
白組敗北。
みんながっかりはしたけど、正直、安堵の表情が見えたのも事実だ。
「うん? ちょっと、良かったって思ってるよ。あ、負けたのは悔しいしあたしが頑張れなかったのは悪いと思ってるけど、でも、赤組の子が本気出してくれたから…」
真耶ちゃんはそう語った。その言葉に誰もがうなずいた。
「いいじゃん。三大運動会はまだ二つしか終わってないんだし。次で挽回すればいいよ」
苗ちゃんが真耶ちゃんの肩をぽんぽん叩きながら言う。
「ありがとう…」
そう答える真耶ちゃんの目が潤んでいた。ああ、この子はまた泣くんだなと思ったそのとき、
「よく頑張ったな。偉いぞ」
池田くんがどこからともなく現れて、真耶ちゃんの頭をぽんぽんとなでた。その瞬間予想が的中した。みるみるうちに真耶ちゃんの顔全体が涙でぐちゃぐちゃになる。、
「う、うん…ぐすっ…ありがとう…つぎ、がんばる…」
あーあー泣かしたー、とみんなが池田くんをはやし立てるが、
「みんな…ぐすっ、やめてよぉ、タッくん…うえっ、悪く無いよぅぅぅ…」
という真耶ちゃんの言葉ですぐ止んだ。もちろんみんな悪気は無いし、それは真耶ちゃんもわかっている。
そして夜。赤組と白組はそれぞれ打ち上げになだれ込んだ。それにしても、中学生が体育祭終わりで打ち上げだなんて。つくづく開放的な学校だなぁ…。
ただ開放感とは程遠い格好でいる生徒が一人だけ。
「そんな律儀に罰ゲーム受けなくてもいいんじゃない?」
「そうだよ、みんないいって言ってるじゃん」
優香ちゃんと苗ちゃんが説得している相手は真耶ちゃん、というか蝶のまんまの真耶ちゃん。
「ええ~、だってぇ、そういう決まりだから~」
実は負けたチームで蝶役をやっていた一年生は、罰としてしばらくこの姿で過ごす習わしなのだ。もちろん打ち上げの間ずっとその格好でいなければいけないというのは建前。例年はそこそこで衣装を脱ぐ。でも真面目な性格の真耶ちゃんはしっかり最後まで着続けることだろう。それに、
「というか何気に気に入ってるんだろ? 嬬恋?」
渡辺先生の指摘が的を射ていると思う。着ぐるみの中は水でびしょびしょのはずだが…。
「はい。結構楽しいですよ」
背中を動かすと微妙に羽ばたいているような仕草に見える。キラキラ反射して美しい。もっとも真耶ちゃんだけが奇妙な格好なのではなく、全員全身タイツに上着を羽織っているだけなのだが。
「う~ん、でも~、特別扱いされなかったから嬬恋さんも嬉しいでしょうね~」
やはり全身タイツのままでピザを片手に高原先生が言った。確かにそれはそうだと思う。真耶ちゃんを競技に参加させた。しかも本人がノリノリでやるであろうポジションを適材適所であてがって。
神様は、真耶ちゃんが運動できるようにはしてくれなかった。
でも神様は別の意味では願いを叶えてくれたのだ。みんなと同じになりたい、という真耶ちゃんの願いを。
テラスから眺めると、眼下に夜景が広がっていた。木花村は分厚い熔岩台地の上に開けた村。周辺の町村より標高が高く、夜になると村の中のほとんどの場所で、宝石箱をひっくり返したような夜景が広がる。冷えきった空気によって氷菓子にでもされそうな街灯りのひとつひとつが、白組の、価値ある負けを祝ってくれているようだった。
宗教上の理由・教え子は女神の娘? 第十話
なんかどんどんエスカレートしていく…こういうおバカかつ恥ずかしいゲームに喜んで興じる木花のこどもたちの神経が正直わかりません(笑)。でもこんなのが許された学校だったら楽しいでしょうね。こういうゲームって昔は視聴者参加のTV番組でけっこうあったと思うのですが、すっかり消えましたね。今は内容的にどうこう言われちゃうのでしょうか。
篠岡姉妹が「腐女子」だという設定は最初から考えていました。池田と真耶の間が進展してきたのでこの設定がようやく生きたわけです。まあ男の作者が「腐女子」という言葉を使っていいものかとも思ったのですが…いい意味で使っていると解釈していただければ幸いです。