重みがあった夢

 いそいそと路地を歩いている。私が通学のため通るこの道は、かなり狭い、ゆるやかな登り坂で、道の両側はみかん農家かなんかの家らしく、濃く沈んだ色の葉の緑が、眼の端にみえる。
 私はひとりで歩いているわけではなく、その狭い道を数十人ほどが、私と同じような無関心をもって、無言を守って、いそいそと歩いている。遅れてはならない、と私はそれだけをぼんやり考えていた。
 「お久しぶりですね」
 と、突然声がした。声の方向を向くと、見覚えのあるようなないような、はっきりしない男がいた。男は通販番組のようにニタニタと笑いながら、私に話しかけてきたのだった。
 「どうも、ああどうも」と私は応えた。 
 男の風体と合致する人間を記憶の中に探ってみつけようと、私は試みた。しかし、目の前の男のような妙に足の長いバッタの擬人化のような男は、私の記憶の中に皆目見当たらなかった。
 「いや全く昨今の世相は実に嘆かわしいもので...」
 男はそんなようなことを思いつくままにといった様子で、私に向けて喋った。私はそれにただ相槌をうつだけはしつつ、男のことを思いだそうとしていた。自分のことを、私が知らないとは、男は少しも気付いていないようだった。その長い足を存分に使った、飛びはねまわっているかのような歩き方をしていた。その歩調は速かった。 
 男の歩くペースと私の歩くペースには、かなりの差があったので、そのために、男は止まっては歩き、止まっては歩きを、繰り返していた。そのたびに軽く振り返ってこちらを覗きこむようにみる顔が、若干癪に触った。一応いつもより足に力を入れて私は歩いているつもりだったが、それでも全く追いつけるようなものではなかった。これはおかしい、と思った。私はべつにずば抜けて足が遅いわけではない。それなのに、いくら力をこめても、なぜこれほどまでにペースがあがらぬのか、わからない。なぞだ。どういうことなのだ、と悩んだ。悩んだすえ、よくよく自分の足を見ると、なんと私は、スリッパをはいていた。しかも、そのスリッパは鉄かなにかでできていて、やたら重かったのだ!!
「なぜ気付かなかったのか...」私は思わず口走った。
 こんなものをはいているから、歩くのが速くならないのだった。こんなものをはいているから、バッタじみた奇っ怪な男に知り合いだと勘違いされるのだ。なんたる不覚!なんたる不覚であったことか!
 このことでひとつの確信といえるものを、私は得た。そうして急に目の前が開けたように感じられた。どこかでこれを脱ぎ捨てよう、この鋼鉄のスリッパとは永遠にオサラバしてやろう。私はそれを考えると、ふいに心がウキウキしてきた。絶対にやるべきことがある、というのはこんなにもいいものかと思いながら、私はそのまま歩き続けている。
 「女の弱点はなぜあると思いますか?」
 男が突然、私にそう問いかけた。だが、それは、一体どういう質問なのかわからなかった。私が自分のスリッパについて考えている間も、男はなにか喋っていた。その間、私は、それどころじゃない衝撃におののき、興奮に包まれていたので、男の話を聞いていなかった。しかし、その点を差し引いても、男が今した質問は、よくわからなかった。
 「女の弱点はなんだと思いますか?」なら、答えようもある。意図がわかる質問だ。こういうところが弱点だ、いや、そういうところは弱点とはいわない。そうじゃない女だってたくさんいる、とか議論のしがいというものもある。しかし、「女の弱点はなぜあると思いますか?」は、へんな質問だ。女の弱点はすでに決定的に存在していて、それは何によって生み出されているか、ということなのだろうけど、はたしてそうはっきりといえる女の弱点なんて今のご時世あるのだろうか?質問してきた男と、私の間に、前提の共有が、ない。
 「カッパはなぜいると思いますか?」といわれても、「カッパがいる」という前提を共有していないと、この質問は意味がなくなる。言葉が宙に浮いてしまう。そういうことと同じことが、「女の弱点はなぜあると思いますか?」という質問にも成り立つ。女の弱点は議論の余地なく、明確に、ある。そうしなければ、この質問は意味がよくわからなくなる。前提が噛み合っていないままでは、まともな議論はできない。もしや、わざとなのか?最初から前提を噛み合わせるつもりすらない、そういうことなら、この質問は、ある種のワナなのではないだろうか?どんな返答をしたとしても「女の弱点はある」ということをまず自動的に認めさせられることになり、さらに「女の弱点を生み出すのは女」「女の弱点を生み出すのは男」のどちらかの単純な対立に、どんな意見でもむりやり押し込められることも起こるだろう。問いによって答えが誘導されるわけだ。だから安易な返答は危険だ、これは議論を狭いところに押し込める、あくどい手口ではないのか?
 そこまで考えたところで顔をあげると、足の長い男はいつのまにか遠くのほうを歩いていた。遠くから見ると男はカンガルーのようにも見えた。
 「またどこかでお会いするときまでに、考えておいていただけると」
 男はおそらくそんなことを言っていたが、遠くなのではっきりとは聞こえなかった。歩いてきた道は少し先で二手に別れていた。まっすぐの道と、右折する道があり、男は右に曲がっていった。すぐに見えなくなった。私は多少呆然とした後、その場でスリッパを脱ぎ、きちんと並べた。揃っていないスリッパは嫌だったのでそうしたが、なにしろ鉄かなにかでできていて重かったので脱いで揃えるのに少し手間取った。
 道の分かれ目に置かれたスリッパは、金属製なだけあって、なかなかオブジェというか、道祖神というか、そういったような収まるべきところに収まっている重厚な感じがあった。
 私は裸足だった。
 しかし、それまでよりはるかに歩きやすかった。
 そのまままっすぐ、ずんずん歩いていくと、いつの間にか自分が見晴らしのいい高台に来ていることに気づいた。眼下には鳥居があった。いまさっきペンキで塗り替えたような、ぬらぬらとした赤の鳥居が3つくらい並んでいた。鳥居の向こうには鎮守の森、その向こうにはひしめき合うように家々が建ち、遠くの山のふもとまでをびっしりと埋め尽くしてあった。
 空は全然澄んでなんかいなかった。
 やる気の感じられないぼんやりした肥満体じみた白い雲は、地上に覆い被さっているようで、私の目の前にあったのは、全然いい景色じゃなかった。

重みがあった夢

重みがあった夢

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-08-03

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