はじめての夏
つぎの電車が来るまで、あと、三十五分あるときの、ちいさな町の、駅のホームで、色褪せた青いベンチに座り、文庫カバーをして、いままでたいせつに、かばんにしまっていた本を、読む。
なんとか、雨をしのげる程度の、屋根は、夏の、凶器のような太陽を、隠してはくれない。本を読んでいる、わたしのとなりで、彼女は、目をつむっている。眠っているのか、起きているのかは、定かではなく、長い睫毛が、うつくしいカールを描いているのが、印象的だった。
わたしとは、正反対のひと。
わたしが知らないことを、たくさん知っているひと。
例えば、汗でも落ちにくいファンデーション、安いけれど発色が良いリップ、人気のタピオカドリンクが美味しいカフェ、流行りのアプリ。
教室でも、本ばかり読んでいるわたしに話しかけてくるのは、彼女だけで、彼女をとりまくひとたちの、突き刺すような視線が痛いのだけれど、彼女はそういうの、まるで気づいていない。と、思う。
素直になんでも、言葉に出来てしまう彼女の、真意、というのは、彼女の底抜けの明るさに霞んで、見えないでいる。なぜ、わたしにかかわるのか、どうして、わたしと一緒にいたいのか。
「せっかくの夏休みだから、行けるところまで行こう」
そう言って、ふだん通学で使用している電車の、路線のはしっこ、さいしょとさいごまで、ふたりで行くことになったとき、わたしは、彼女は変わっているのだと考えるようにした。メールの文面からも、ふしぎと、悪意めいたものは感じられなかったので。
わたしのこと、あの、はでなとりまきのひとたちと一緒になって、からかっているのかと想っていたのだけれど、どうにも、そういう気配も、彼女の言動からは滲んでいなかった。
ただの物好き。
彼女は、わたしの私服を見て、似合うねと言った。
ちょっと暗いけどね、とも付け加えたけれど、いやな気分はしなかった。わたし自身も、わたしの私服は、暗くて、ダサくて、地味なわたしによく似合っていると思っていた。
電車に乗っているあいだ、喫茶店でナポリタンを食べているとき、彼女はよくしゃべった。わたしは、彼女のおしゃべりをきいているようで、きいていなかった。それは、話がつまらない、とか、うるさい、とか、そういうことではなくて、景色を眺めていても、ナポリタンの麺をフォークに巻いていても、彼女の話は、意識して、きこうとしなくても、自然と、わたしのなかに入ってくるものだから、わたしは、きいていなかった。あと、彼女は、わたしと一緒にいるあいだは、一度も、スマートフォンに触れていなくて、意外だとも思った。そして、意外だ、と思った自分を、少し恥じた。
みじかいスカートからのびる、白くて細い脚。
「楽しいね」
喫茶店で、ナポリタンを食べたあと、デザートのアイスクリームを待っているあいだ、彼女はそう言って微笑んだ。
(あ、撮りたい)
めったにつかわないスマートフォンのカメラ機能を、いますぐつかいたい、と思った。
かわいい、とか。
きれい、とか。
そういう、ありふれた言葉では言い表せない、もっと崇高なものと対峙しているような心持ちで、わたしは、彼女から視線をそらした。
(くるしい)
(ことしの夏は、くるしい)
いま、わたしと彼女、ふたりきりの、駅のホーム。
開いた本をすぐに閉じて見つめる、線路の先は、蜃気楼に揺れて。
はじめての夏