シューアイス


こんなに穏やかな心持ちになれたのはいつ以来だろう。
地面に寝転びながら見上げる空は、とても遠い気がする。

先程まで右手に持っていたシューアイスの行方が少し気になったが、すぐに考える事をやめた。

なんだか凄く眠い。
俺はゆっくりと目を閉じた。



子供の頃から、将来に対するビジョンを明確に描いた事がなかった気がする。

生きていれば夢が見つかり、将来が切り拓けていく。心のどこかでそう考えていたのかもしれない。

しかし夢は見つからなかった。
もしかすると忘れたのかもしれない。
気付いた時には吐気と頭痛に悩まされる、気苦労の多い社会人になっていた。

昼食を終え、コンビニの前で煙草を一服しながら休憩時間を過ごす。

子供の頃は何かに成りたいという希望は有ったのだろうか。
恐らく普通の会社勤めをする事ではなかったとは思うが、それも定かではない。
今からでも成りたい自分なんて見つけられるのだろうか。

答えは出そうにない。
ため息をつきながら煙草の火を消して灰皿に捨てる。
そのまま店内でシューアイスを買い、再度コンビニの前に立った。

煙草の後にシューアイスを食べるのが最近の習慣だ。
以前この習慣を同僚に見られた時、
「煙草の後にシューアイスって…。後味の感覚おかしいだろ!お前本当に煙草好きなの?」
と突っ込まれたが好きなものは仕方ない。袋からシューアイスを取り出す。

ふと視線に気づいて見下ろすと、子供がこちらを見上げていた。
正確に言うと俺ではなくシューアイスを見ている。
たまにその辺りで遊んでいる近所のチビ達の一人だろうか。

シューアイスを欲しがっているかも知れない可能性も考えたが、知らない大人が子供にお菓子を与える図は非常によろしくない。
それにこれは俺の楽しみでもある。

視線が気になりながらもシューアイスを口に運び、一口かじる。

「それシュークリーム?」
その時を待っていたのか、子供はかじった瞬間に声をかけて来た。

俺は話しかけられた事に少し驚きつつ、頷きながらシューアイスを飲み込む。

「これはシューアイスっていうお菓子。美味しいよ。」
そう答えた俺に対し、子供は「ふーん」と答えてそのままそこにいる。

どうして良いか分からず、俺は子供から視線を外して再びシューアイスを食べ始めた。

「シュークリームにそっくりだよね。それも牛さんのおっぱいで出来てるの?」

食べ終わった直後に子供が質問をしてくる。恐らくそうだけど、子供に嘘を教えるわけにはいかない。
確認のためシューアイスが入っていた袋を見ると、原料には乳製品という記載があった。

「そうだね。シュークリームにそっくりだと俺も思う。牛さんのおっぱいも入ってるみたいだよ。」
乳製品の説明を若干端折った俺の答えに対し、子供は更に質問を重ねる。

「お母さんがアロエクリームを持ってるんだけど、それでもシューアイスは作れる?」
アロエクリーム…?
食べ物じゃなくてスキンケア関係だったはずだ。

「…クリーム違いだね。それ多分食べ物じゃないから作れないと思うな。食べたらお腹を壊すよ。」

子供は少し残念そうな顔をしている。
精一杯紳士的な対応をしているつもりだけど、実際どうなのだろうか。

突然鳴り出したスマホの目覚まし時計が昼休憩の終わりが近い事を知らせる。
そろそろ仕事に戻らなくてはいけない時間だ。子供に手を振ってその場を離れようとする俺に、後ろから声がかかる。

「ありがとー!また牛さんについて教えてね!あと、靴が変だよ。」

何を言ってるのだろうかと思い足元を見ると、左は黒の革靴で右が茶色の革靴という片跛な状態になっていた。
家を出てからずっとこの状態だったという事実に打ちのめされる。

早く言って欲しかったよ…。
休憩終わりに聴くには重い言葉と、色違いの靴を引きずりながら俺は仕事へと戻った。



牛さんについて、か。
家に帰った俺は昼の子供の事を思い出す。
実際に話したのはシューアイスについてだったと思うが、牛について何かを説明出来るほど詳しくないことに改めて気付かされる。
そもそも牛を間近で見た事がない。

成りたかった大人は結局よく思い出せないが、少なくとも子供に曖昧な事を言って誤魔化す大人ではなかったはずだ。

チーズスプレッドを塗ったパンと生ハムシーザーサラダで簡単な夕食を済ませ、ワインをグラスに注ぐ。
牛が居ないと食生活が寂しくなる事を改めて実感した。

牛を見に行くか。
突然の思考に自分でも驚くが、この際旅行も悪くはない。
折角だから北海道に行こう。
あの子に牛の事を教えられる日が来るかは分からないけど、当面の楽しみにはなる。
俺は次の三連休に合わせて有給を取り、二泊三日の北海道旅行へ出掛ける決意をした。

こちらはもう暑いくらいだが、北海道は涼しいのだろうか。入念な準備をしてから行く事にする。



秋色の紫陽花が北海道に着いた俺を迎える。初めて来る北海道の空はとても青い。
何となく洗練されているように感じる秋の空気は、まるで綺麗に磨かれた刃物のようだ。

有り体に言えば寒い。
既にこたつがあっても不思議ではない体感温度だ。

北国なのは勿論知っている。
涼しいだろうと思っていた。
だが10月の北海道を甘く考えていた。
どこかでコートを買おう。

空港からはレンタカーで移動する。
道中の景色はとても広大だ。
「田舎」という言葉で括るのは無粋だと感じさせられる。
来て良かったとしみじみと思う。

飛び出し注意の看板に描かれている動物が狐なので、狐に会える事を期待してしまう自分も嫌いではない。

函館、札幌、富良野。
北海道に来たら行ってみたいと思っていた所は山程あるが、まずは話題に挙がっていた牧場に向かっていた。
この北海道旅行で唯一のタスクだ。
早めにこなしておこう。

いざ着いてみると、牧場は抱いていたイメージと大きく違った。
「観光牧場」という響きに違わず、どちらかというと商業施設のような印象を受ける。

時計という概念がない、無人島生活を送っているかのような牧場をイメージしていた俺は、何となく肩透かしを食らった気分になった。

こんな気分になったのは自業自得だ。
イメージと違う、とは言って勝手に幻滅するにはあまりに理不尽なのだろう。
けどこの分では実際に牛を見ても大した感動も得られない可能性が高い。

そのような感じで期待せずに対面した牛は、しかし大きな衝撃を俺に与えた。

想像より遥かに大きい。
大きさは知っていたつもりだ。
しかし知っているのと実際見るのとでは、大きく違う。

こんなに大きいにもかかわらず、敵意が無さそうな目をしている。
俺を大して気にも留めていなさそうな様子も、何だかとても気に入ってしまった。

こいつが牛乳とかチーズなどの乳製品をくれるのか。
言葉に表すのが難しい感銘を受ける。

来てよかった。
些細な体験ではあるが、
人を変えるには十分な体験だ。
俺はこれから変わる事が出来る。

そう、俺はまだ変われる…。
心の奥でくすぶっていた悲しみが蒸留され、涙となって流れていった。

この旅では泣かないつもりだった。
見上げた空は、いつもより広くて高い気がした。



函館山の夜景を見て札幌ラーメン食べて帰ってきた俺は、あの子供に会う事もなく仕事に忙殺された。
相変わらず頭痛と吐き気は止む事がない。
どころか酷くなって来ている気がする。

結局俺は変われないのか。
少しの焦燥と多分の諦めが心を覆う。
正しい大人って何だろうな。
そう考えながらいつものようにシューアイスを食べていると、同僚がやってきた。

「またシューアイスか。煙草には合うわけないって言ったろ。例の子には会えたのか?」

ニヤニヤしながら聞いてくる。
北海道旅行に至った経緯をコイツには話したのだが、どうも面白がっているようだ。

「いや、まだ。会った所で話し掛けられないけどな。警察呼ばれたら言い訳に困るし。」
俺は苦笑しながら答える。

「違いないな。まぁ運良く話しかけられると良いな。折角牛を見に行ったんだから。俺も北海道行きたいわ。」
同僚は空を見上げる。

「ここよりも空が高い気がしたよ。お前も北海道に行くなら牧場に行ってみろよ。
俺は行って良かったと思ってる。
俺もまだまだこれから変わることが出来るって感じた。」

俺の言葉を聞き、同僚は空を見上げたまま「そうか。」と答えた。



北海道旅行から一月程経った時、コンビニでシューアイスを買った俺はあの子供を見つけた。

声を掛けようとして思い留まる。
突然声を掛けるのはやはり不審者っぽくないか?
きっかけが思い浮かばずやきもきしている俺に、子供が気付く。
「牛のおじさん!」

不名誉な呼称に応じようとした瞬間、全身に力が入らなくなり、俺は地面へと崩れ落ちる。

何が起きているんだ。
ここ数ヶ月の頭痛、吐気の事が一瞬頭をよぎる。
ゆっくりと迫ってくる地面を見ながら俺が思ったのは、「もう一度空を見たい」だった。



少しの間ではあるが寝てしまっていた。
やはり牧場だな。
時間がゆっくり進んでいる気がする。

いくら寒いとは言え、寝ている間に手から転がり落ちたシューアイスは少し溶けているようだ。

何となく買ったシューアイスだが、このまま食べるのは勿体ない。
後でまた冷やして食べることにしよう。

俺はゆっくり立ち上がる。
今後は忙しくなるな。
帰ったら俺が子供に伝えないと。

牛は人を変える事が出来る生き物だと。

シューアイス

シューアイス

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  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-07-30

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