オフライン

らっきょ太郎

 バッターボックスは空いていた。空っぽ。でもピッチャーはらしき人物がマウンドの上で立っていた。饅頭にマッチ棒を突き刺したように真っ直ぐに。昨夜はこんな感じでシットリとした気温でベストセレクションな1日だった。悪くない真夜中の夏はアイスピックで2つの眼球と1つの心臓、それと純潔な骨髄を砕いた。
 僕は独りぼっちになって4ヶ月が過ぎた。或る日、目を覚ますと父さんと母さんは消えていた。キッチンには洗われていない食器、回転が停止した洗濯機、車検を通したばかりの軽自動車が残されていた。父さんの財布はキッチンのテーブルの上に置いてあった。後で調べると残高は結構な額で残っていた。僕はその数字の桁に驚いた。僕の家の生活水準からするとおかしいと思ったからだ。勿論、警察に電話をして事情を話して捜索の願いを出した。最初は数日すると戻ってくると考えていた。でもその考えもすぐに諦めた。だって、父さんと母さんが居なくなってから今日で丁度4ヶ月めとなるから。
 学校から帰宅した僕は4階のアパートの部屋に入り、サイダーを飲んだ。サイダーの泡はこの煮えたぎる夏の日差しと反発させて打ち消してくれる。喉は音を鳴らした。続いてエアコンにスイッチを入れる。気温は22度に設定した。僕は汗かきだ。次に鞄から図書館で借りてきた本をリビングの机に置いた。本は推理小説。図書館に居た女生徒から勧められて、今日はこれを読もうと思った。しかしハッキリ言うと全く興味がない作者だった。最近、売れっ子と呼ばれる人物でどうも僕にはお洒落すぎる文体がむず痒かった。本のページをペラペラと捲った時、玄関からベルが鳴った。僕はびくりとした。このアパートを訪ねてくる人物は基本的に今まで居ない。セールスマンか? そう思いながら扉にあるのぞき穴を通して見た。
 そこには、さっき図書館で僕に本を勧めた女生徒が両手で鞄を持ちながら立っている。額から汗を垂らしているが暑そうな表情は一切していなかった。むしろ、何処か冷ややかで血が通っていない蝋のような肌で、一瞬、この扉を開けるかどうか戸惑った。だが、鍵を解除して扉を開いた。
「やあ」
 女生徒は言った。
「なんのようです?」
 僕は答えた。
「なに、本の感想を聞きたくなったんだ。それで寄った」
「感想も何も、たった今帰ってきた頃なんです。目次さえも読んじゃいません」
「それなら貴方が読み終えるまで居たいんだが?」
「意味がわからない」
 僕はそう言って扉を閉めようとした。
「まあ、確かに意味が分からないかもしれん」そう言いながら僕にアイスクリームが入った袋を見せて「どうだ、これを食いながら読めばいい。さっきのは冗談だ。私もこの後、用事がある。それまで、暇つぶしに貴方の家にいさせてくれ」と言う。
 僕はめんどくさいと思うが、まあ、アイスクリームを買ってきてくれた部分もあるなと、思い、女生徒を家にあげた。
「へえ。意外だな。小ぎれいにしているじゃないか」
「そこのソファーにでも適当に座ってくれ」
「ああ、そうする」
 女生徒は遠慮なしに勢いよくソファーに座った。僕は怒る気分もなく、ただ最近の女はこんなに厚かましいのかと思った。それから本を手に取り伏せていたページ開いた。
「エアコン。寒い」
 女生徒は太々しい声で言った。
「我慢しろ」
 僕は答えた。
「アイスクリームはチョコレートとストロベリー味がある。どっちが食べたい?」
「ストロベリーだ」
 僕は答えた。
「なら気温を上げて」
「おっけー。ならチョコレートだ」
 女生徒はニヤリと笑って「なら気温を上げて」と言った。
 僕は溜め息を吐いてエアコンの温度を26度に設定した。
「はいどうぞ」女生徒はそう言ってからチョコレートとストロベリーのアイスクリームを僕に渡す。僕はストロベリーのアイスクリームを選んでから蓋を取った。
「ストロベリーが好きなの?」
「チョコレートの方が好きだ」
「だったらチョコレートを食べればいいのに」
「好きな物を食っている場面を見られたくないんだ僕は。誰にもね」
「ふうん。それって食べ物だけ?」
「答えないといけないのか?」
「ええ。答えて」
 僕は本を伏せてから答えた。
「他のも。例えば一番好きな番組を見ている僕の表情とか、一番好きな本を読んでいる僕の眼差しとか、一番好きな曲を聴いている僕のリズムとか、見られたくないんだ」
「どうして?」
 女生徒はスプーンでアイスクリームの表面を突き刺して言った。
「そこに本質があるからさ。君だって自分の裸を見られたくないだろ? 基本的に。僕もそれと一緒なんだ。だから僕はストロベリーを食っている。厚着をしてね」
 僕の言葉に女生徒は笑った。
「貴方、少し、変わってるわね」
「君の方が変わってるさ。住所も教えていないのにアパートにやってくる」
「貴方の友だちに聞いたの」
 僕は返事をせずに本のページを開いて読み始めた。その僕の様子を女生徒はジーと僕を見つめてチョコレート味のアイスクリームを食べ勧めていた。時計の針だけがコツコツと進む。カーテンから入る夕焼けの日差しはゆっくり、暗くなる。女生徒はやはり黙ってジーと僕を見ている。
「なあ、電気を付けてくれないか、そろそろ文字が見えなくなってきたんだ」
「そう?」
「そうだ」
 僕は立ち上がり照明のスイッチを押した。
「この本面白いかしら?」
「もやしみたいな味がする」
「何それ? つまらないってことかしら?」
「さあね。とりあえず、人の事を見続けるのは辞めてくれないか、本に集中ができないだろ」
 僕はそう言ってから再び本に手をやった。
「お父さんとお母さんは探さないの?」
 僕は数秒沈黙して「どうして知っている?」と返答した。
「私が知っていたら困る事があるのかしら」
「教師にしか伝えていない。でも君は知っている。それは僕にとって不快だからだ」
 女生徒はしごく当然に「ええだって私、犯人を知っているから」と緩やかな声で言った。
 僕は本を乱雑に置いて立ち上がった。
「帰れ」
 しかし女生徒は動じずに「ねえ。私とこれから散歩に行かない? もう外はそれなりに暑くないし、それに、少しは理解ができるかもよ。貴方の両親が消失した理由とか、私がどうしてこんな変な事を言うとか」と言った。
「用事があると言っただろ。用事に行け。それからもう此処には来るな」
「用事は貴方を連れて行くの。さあ、行きましょう」
 女生徒は僕の腕を掴んでアパートを出た。
 夜中の道を歩くと数百メートルで額から汗が吹き出てくる。湿度が高い夜だった。コンビニの光が明らかになった頃、女生徒が「ねえ。気づいてる? さっきから私たちを付けて来る人がいるの」その言葉に僕は後ろを振り向こうとするが「ばか。振り向いたら駄目でしょ。気づかれる。気づかれた、終わりよ。貴方も私も消されちゃうわ。貴方の両親のように」と言った。
「ならどうするんだ? 叫べばいいのか? アポロが打ち上がった事に対して感激した野次馬の歓声のように」
「このまま高校のグラウンドに行きましょう。そこで私と貴方はオフラインするの。いい? この世界は私たちが間違っているの。貴方は4ヶ月前にこの世界に入っちゃったの。アポロが月を7週するくらいに極めて理不尽な程度にね」
 僕は小声で言った。
「オーケー。君は狂っている。出来ればもう2度と会いたくない」
「そうかしら? きっとまた会いたくなると思うけど」
 女生徒は言った。
 街灯を4度過ぎた。この前、竣工したマンションの前を過ぎた。道路の工事を行っていた工事現場を過ぎた。それでも確かに僕たちの背後からは誰かが追跡して来る足音はあった。女生徒が言った事はどうやら本当の事だと思った。女生徒の顔を見ると真剣で蝋のように白かった。もしかすると不安であって、危険を犯して僕をあのアパートを抜け出したのかもしれない。僕はそれで女生徒の手を握った。冷んやりとしていた。
「いきなり、何?」
 女生徒は僕に言った。
「もしかしたら不安があると思ったから」
「私が?」
「ああ。それと僕も」
 女生徒は笑い「怖いの?」と聞いた。
「怖いさ。それに実際にわかったんだ。追跡して来る現実に。でも、君に対して、その、感謝を示したいと思ったんだ。それで取り合えず、君の手を握る事にしたんだ。これは利己的かもしれないけど、そうすれば君も少し、不安が解消されて高校のグランドに無事に到着できるんだ」
「意外に素直なのね。貴方」
「どうだろう。でも君が嫌なら手を離すさ」
 女生徒は黙ってから答えた。
「私って本当は推理小説はあまり好きじゃないの。SF小説が好きなの。しかも下手なヤツ。ロケットに乗って未開の星に行って宇宙人に会って光線銃で撃ち合いする。でも結局は地球に戻って来る。そう言うヤツよ」
「僕は好きじゃないな。宇宙人は」
 女生徒はフフフと笑って「つまんないヤツ」と言った。
 高校のグランドが見えてきた。それから真っ直ぐに直進して穴が開いたフェンスを超えて進む。
「後ろから付いて来る奴は私たちが気づいてる事に気づいていないわ」
「どうして分かる」
「それは今、考えるべきではないわ。いい? 貴方はマウンドに行ってバッターボックスに向かってピッチングをするのよ。シャドーピッチングでいいわ。そうしたら完璧にオフラインができる」
「君はどうする?」
「私は追跡をして来るヤツの気を外らせるわ。いいかしら? 絶対にシャドーピッチングだけをするのよ。他に変な事をしないでよ」
「わかった」
 僕がそう答えると女生徒は僕の手を振り払って校舎の方へと向かって走り出した。それ同時に背後にいた何かは女生徒を追って走り出した。僕は後ろを振り向かずにマウンドへと進んだ。半月がうっすらと僕とマウンドとバッターボックスを照らしている。見えない雑草から鈴虫の鳴き声が聞こえた。適当に整備されたマウンドにはスパイクの跡が残っていた。僕は静かで誰もいないこのグランドに立っている事が現実離れをしていると思えた。まるで夢の中の1部分にいるようだった。それからゆっくりと振り被った。野球の経験はなかった。でも見よう見まねでやった。と、次の瞬間、背後の校舎から女性の叫び声が聞こえた。振りかぶる事を躊躇した。女生徒は大丈夫なのだろうか? 彼女が言っていた事は本当の事なのだろうか? 僕の父さんとお母さんが消えた理由は何なのだろうか? この世界からオフラインと言う意味は何なのか? 僕は僕の何なのか? この夏の深くなっていく真夜中に公正さと真実さを求めたくなる僕はこの先も苦しみと向き合い、逃げる事は駄目なのか?
 僕はシャドーピッチングする事を辞めた。それからマッチ棒のように突っ立って半月を見た。すると空っぽのバッターボックスにゆらゆらと揺れる蜃気楼のような『それ』が木製のバットを構えて立っていた。
 僕はそれに対して思いっきり投げつけた。その所為だろうか? 僕の後頭部にバットで殴られた衝撃が走る。それから深い眠りに僕はつくんだ。でもきっと起こしてくれる。さあ、起きなさいってね。

オフライン

オフライン

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-07-28

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted