怪火(あやしび)夜話

上松煌

          1話「川の陰火」


 「早足の七兵衛」とう義賊のかつて住み居りし裏高尾の宿に、小仏の峰より流れ来つる南浅川。
折々、なにとも知れぬ不審火のともるを聞く。

 その色青くして川近き藪より現れ、行く人の頭上をさまよいて離れず、走り逃ぐれば生きてあるもののごと追い来たれり。
もとより人跡少なき山中にてあるゆえ怖さも怖し、日暮れて往来する者も絶えぬる。

 そのうわさ江戸にも聞こえ、人々の多く取りざたすれども、これといって退治せんとする剛の者もなし。
そのまま年ふるに、あるとき一人の侠客たまさか宿を通りがかり、これを聞きて、
「やれ、面白し。さだめし狐狸妖怪の類なるらん」
と、わざわざ逢魔時を選びて往来す。

 はじめは何事もなかりせば拍子抜けの態にて、鼻歌の一、二もい出たりければ、にわかに小雨のそぼ降ると見ゆ。
折しも川面を霧の伝い来て、降る雨陰々と物寂し。

 さてはいよいよと、道中差しの鯉口を切り息をつめたるに、間近の藪より忽然と光物の現れい出たり。
そのさま青白き燐が燃えたるがごとくにて、左右に揺れ動き漂えども冷えきって熱はなく、まことに不思議なるさまなる。
もとより大胆不敵なる男、心に思うに、
「これにてタバコに火をつけたれば如何」
と。
急ぎタバコを取りい出し、おもむろに顔を寄せ吸いつけたるに、火は見事に付きたる。
 
 「これは異なり。冷たき火にてつけたるタバコの味やいかに」
心に魔のさしたるものかは、二口、三口吸いたるに、にわかに悪しき心地して足元は乱れ冷や汗の流るることおびただし。
さらに喉のひりつきたるごと乾き、息も絶え入るばかりなり。

 たまらず河中に踏み入り夢中にて水を飲み下したれども、乾きは増すばかりにて、かの盂蘭盆会の伝えもかくやと思へり。
ついに前後不覚となりたるに、折よく旅人の通りがかりて助けい出されし。

 人の姿と言葉に侠客もやや落ち着きて仔細を語るに、旅人曰く、
「我は遠国より来たりしゆえに、かくなる怪異は知らず。しかれど思うに『遺念火(いねんび)』なるべし。路傍に行き倒れし人の想い残りて火となりたるらむ」
とて、握り飯を取りい出して二つに割り、一つを侠客に食わせ残りを供えたり。

 侠客これを見て、我が煙管に刻み(刻みタバコ)をつめ火をつけて供えしに、火は消えずして煙を上げ、あたかも人の吸いたるがごとし。
このこと不思議なる中にも、もののあはれをとどめたり。
 
 しかるのちに両人は立ち去りしが、遺念火の成仏してありしらむ、これより絶えて現れざりきとう。



          2話「猫の灯」


 武蔵の国砂川の郷に「かねか」の屋号を持ちし某あり。
ある大雪の日に近隣の所沢宿にて買い物を企て、家人の止めるを聞かずして出かけたり。
行きは何事もなく米、魚等を買い得て心安らかに思い、酒屋によりて好きな数献を傾けぬ。

 日暮れ近く重い腰を上げ帰り来たらんに、折悪しく降る雪激しく風吹きつのり、寒気はしんしんと増して、道も人家も見定め難し。
街道なれどももとより人家少なきがゆえに、人をはじめ車馬の往来も絶え果てたりき。
ただ降る雪の茫々として眼前をふさぎ、舞い上がる地吹雪に足元もおぼつかなきさまにて、心細きこと限りなし。

 西の山家(やまが=山のほうの里)の秋川には、雪女なる行路のバケモノ居りて人の命取りし話のあるゆえに、心は急いても足は上がらず難儀の極みなり。
某、いささか疲れ果てて立ち止り、しばし思案に暮れどもこれとして妙案なく、再び歩みを進むるに難く、ついに雪中に伏しうづくまりたり。

 睡魔の襲いて、心持ちいづれ前後不覚になりたれば、雪女なる妖女の人を襲うに異ならず。
雪とは現(げ)に恐ろしきものにて、道を失いし人の無為に亡くなりしは、ひと冬に片手にて数えあぐるに足りず。
心千々に乱れ抗いしも、体は綿のごとく萎え、いかんともし難し。

 折しもかなたに小さき灯火ふたつ現れたりて、しきりに招くごと揺れ動きぬ。
物の怪にありしかと疑い見ゆれども、常の人の灯火なり。

「これぞ盲亀の浮木、優曇華の花にてありがたし」
某、千万の力得たる思いを為し、狂喜してよろめき寄りしに灯りははたと消え、かわりに白く小さき塊の雪にまみれてありしが、鳴き喜びて迎えたり。
見れば、日ごろ某が慈しみ飼いたる我が猫にて、不憫なりと急ぎふところに抱き入れあたりを見回せば、かねてより見知りの砂川三番の辻なる。

 「おお、忠義なるかな。汝が迎えなくば我れ道を失いて、今しも雪中に死ぬるやあらん」
喜び勇みて家に帰り着き家人に仔細を告げたれば、家人も非常に心打たれて涙せり。
某は家人ともども、これ以降も猫全般を寵愛せしことひとかたならず。
それが因か次第に金万になりたるを、猫の大恩に報いんとて猫神社を勧請し、広く後世に伝えんとす。
現に砂川阿豆佐味天神社内に『猫返し神社(いなくなった猫が帰って来る)』あるは、これが縁起となりしとぞ言ふ。
 


          3話「行路の火」


 時は徳川の御世のころ。
上州は坂東太郎(利根川)が畔(ほとり)に所領を持つ上松某、富貴なるゆえに人はこれを寛大尽(かんだいじん)と呼び慣わせり。

 ある夜更け、騎馬にて街道筋を帰りしに、一本畷(いっぽんなわて=まっすぐな一本道)なるも、馬は進まず。
胡乱に思いて供回りの小者をやり、提灯の火を掲げさせたれども何事もなし。
強いて歩ませたるに、馬は平首を左右に振り抗いたる。

 「やれ、怪し。時利あらず騅逝かず。騅の逝かざる奈何すべき(項羽の「垓下の歌」の一節)とな」
と、呵々大笑せしに、あやかしの立ち出でたるにや、にわかの悪風、提灯を吹き落とせり。

 瞬時に一面の闇となりたるを、めらめらと炎の燃え立つさまにて、人の首(こうべ)ほどの光物、一丈(3メートル)ほどの尾を引き来る。
小者ども、恐れおののいて伏しまろび、歯の根も合わぬ有様にて。

 「不埒な。我を上松頭首と知っての狼藉なるや?」
恐れて諾を踏む(だく=たじたじとする)馬の手綱かい繰り、大音声におらびたれば、光物、大蛇の如く巻きてうねり荒れぬ。
寛大尽、腰の大刀、泰然として抜き放ち裂帛の気合とともに斬りつけたれば、かのあやし火あえなく真二つとなりたり。

 一つは堕ち、いま一つは逃れんとする態にて眼前に飛び来たるを、馬にピシリと一鞭。
前足を跳ね上げし蹄にかけ踏みしだきたる。

 再び提灯をともさせ検むるに、光物はあまたの「ブヨ」となりていづこへにか飛び去れり。
寛大尽の曰く、
「かの出来事、不思議にして不思議ならず。羽虫の多く集まりて毬となるは子孫繁栄のためなるべし。牡牝のわだかまりて燃えるがごとき光生すは、ホタルに似て恐るるに足りず」



          4話「不知火」


 都より西に離るること四~五十里。
遠州の海近き寒村。

 漁師の盆に船をい出すは広く忌む事なれども、まったく頓着なき某、古老の戒めを聞かずして暗夜に船を漕ぎ出したる。
岸近く笘屋(とまや)の乏しき明かり二~三灯りたるも、常とかわらじ。
風なく雨模様のあいにくなれども、いを(魚)の食い、日ごろに勝りたり。

 某、大いに得意にて時を過ごし、いをは舟に満ち、さて、帰り来たらんとするに遠き沖に灯火の多く灯りて、互いに動(ゆる)ぎ、跳ね跳び、あるいは空中に漂いたる。

「あな、不思議の火なる」
心に嘘寒き思い生して急ぎ岸辺にもどらんとするに、海上のあやし火にわかに燃え盛り燃え広げて、そのさま流せる油に火を放ちたるがごとし。
 
 櫓を急ぎ漕ぎて速(と)く逃れんとせしに、早くも漂い来しさま、まじかで見しキツネ火のごと常の火とも思われず。
あたかも海のいろくず(小魚)の恨み凝りて宙に姿を現せし態にて、実に恐ろしき有様なり。
某、すでに行く先を失い、陸と沖の区別もつかざりし。

 また、いかなることにや、いをどもすべて消え去り船底のみ見ゆるも不思議なる。
ただ恐れおののきて手を合わせ、声高に念仏を為し舟に打ち倒れておりしに、涼風のにわかに吹き来たると思へり。

 それにつれ心落ち着きあたりを盗み見るに、沖遠く暁の気配ありて、さしものあやし火も消え失せたるらむ。
やうやう人心地つきて櫂を取り、おもむろに漕ぎい出したる。
しかる後、無事帰り来て古老に尋ねたれども、ただ「不知火」とのみ答えけるとぞ。

 怪火(あやしび)夜話

 怪火(あやしび)夜話

暑さの折り、怪火譚を4話。 現代文じゃ趣に欠けるので、明治の文語体で。 日本の古文っていいよな。 語彙やリズムが心地よくて、書いていて癖になる。 日本人の血脈が脈々とおれに流れているのを幸福に感じるひと時。

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