アルストロメリアの忠心
奥宮の天井は高く厚い。少しの降りならその天井は雨だれの音を響かせず、城仕えの者は外へ出てはじめて降雨に気づくことも多かった。
チュニカはしかし、そんな中にあって雨の気配には敏感だった。毎朝二つに結いあげる猫毛の髪は湿り気に弱く、雨天になる日は降りだす前からいくら梳いてもまとまらない。それに、降りがすぐ止むものではなく長引くようなら、特に気を配らねばならない重要な職務もあった。
「姫さま。おかげんはいかがですか?」
寝台の枕頭に顔を寄せ、まっ白な顔を横にして迎えてくれる公女へ声をかける。
「……うん。だいじょうぶ」
チュニカはこの公女の寝室へ、誰の許可もなく立ち入ることが許されている、数少ない人間のうちの一人だった。許されているどころか、公女にせがまれてここで一緒に休む晩さえもある。
「どこか、おつらいところはありませんか」
「だいじょうぶ」
小鳥の囀りさながらの、可憐ではあるがか細い声は痛々しさを含んでいる。その「だいじょうぶ」を真に受けてはいけないことを、チュニカはよく知っていた。
天候が崩れると、公女は必ずといっていいほど熱を出した。晴れていれば安定していたその体調が、暗雲とともにみるみる傾いてしまう。だからチュニカは雨を察すればすぐ馳せ参じ、公女のそばに在ることが役目だった。
小さな左肩へずれた掛布をかけ直してやれば、布団さえ重そうな公女のはかなさに指が竦む。信じがたいほど華奢な首筋も蒼い手首もあまりに脆く、チュニカは公女がその身で背負う使命の苛酷さに、毎度ながら胸が彫られるような痛みをおぼえた。
「チュニカ、起きるから手伝って」
「えっ」
不意に、公女が身体を起こそうと敷布へ左手をつく。
「ですが、姫さま」
「だいじょうぶだから。お願い」
力をこめたために、公女の手の爪が色を増した。だが公女自身ではそこまでがやっとで、チュニカが協力しなければまず起き上がれはしない。
「ですが……」
「お願い。雨が見たいの」
公女の必死に上向けられた顔が、寝台脇の窓を見ていた。そのまなざしを追うと、雨音は全く聴こえてこずとも確かに、表は雨が降りはじめたところだった。
「……お願い。ここから、ちょっとだけ見るくらいならいいでしょう?」
「姫さま……」
たったそれだけの動作で、もういくらか肩が上下している公女にチュニカは息をのむ。手を触れれば、その身はやはり、熱を兆してぐったりと重かった。それでも。
直に雨を見ることも降られることも叶わない公女へ、たとえ窓越しでも見たいと願うものを見せてあげたかった。
昔、幼かった時分、公女は雨が降るたび、石畳のそばにできた水たまりへ足を入れたいと泣いたらしい。だがむろん、頑是ない子どもなら誰もがおぼえのあるそんな児戯も、この病弱な姫君には叶えられることはなかった。それは周囲が、貴い公女を守るために判断した結果ではあったが、過剰な庇護が虚弱に拍車をかけた可能性も否めないのだった。
今となってはどうするのが正しかったのかなど、いえるわけもないけれども。
庭園を濡らす雨脚に目を輝かせる公女を支え、チュニカはせめて、自分はできうる限り姫の望むように手助けしたいと、熱がうつるてのひらに思った。
アルストロメリアの忠心