フルートとヴァイオリン(第11章)

フランシス・ローレライ

あまのじゃく

 サンティアゴを発ってから4日程経ち、ウィーンに戻ってきた。9月4日の午後だ。
 慣れ親しんだ国際空港を見渡しても、マミの姿は見えなかった。出迎えに行くと言われた訳ではないが、帰国便を知っているはずなのでどうしても気になった。空港を離れる前に彼女の携帯に電話を入れたが誰も出なかった。
 そこで感じたのは夏の終わりだった。土地っ子の快活さがなくなり、気むずかしくも閉鎖的な古都の雰囲気が戻っている。僕は髪が長くなり、運動不足のせいか体重が増えている。
「別にニューヨークで藤沼陽子と会ったからでもなかろう……」
 ようやく地下鉄の「ケッテン橋通り」駅に到着し、重いスーツケースと共に地上階に上がると、マローニ(焼き栗)の露店が出ていた。皆、新聞紙の袋で手を温めようと懐炉替わりに次々と買っていくのだ。
 スーツケースをガラガラ引いてアパートまでたどり着くと、マミから郵便小包が届いていた。部屋に入り、早速開けてみると栗の入った和菓子だった。ニューヨーク滞在中の出来事を思い出すと、とても意外な贈り物に思えた。
 その夕方、遅めの昼食を取り、食後に2、3個、口に入れてみた。懐かしい味がする。お礼を兼ねて彼女に電話を試みたが、誰も応答しなかった。
 少しすると眠気が襲い、そのまま寝てしまった。
「グリュス・ゴット!」と、どこからともなく声がかかった。聞いたことのある低く深い声だ。
「誰だ?!」
 周囲を見渡すと、シュテファン大聖堂に面した広場のカフェ「アイーダ」に居るようだ。言わずと知れた観光客に混じり、土地の若ぶった叔母さんやらタバコの煙にまみれた叔父さんたちが、広場の大道芸人を眺めながら思い思いにくつろいでいる。道化師の赤白の派手な衣装を着たジャグラーが、ボウリングのピンを何本も空中に放り投げては、落ちてくる順に次々とまた放り投げる。僕もその連中に混じり、白ワインを飲んでいた。すると
「お久しぶり!」と、後ろから唸るような声が聞こえた。
 振り返ると体格の良い大男がいた。鷲鼻の上にはサングラス。どこかで見た覚えがある……そう言えば、デロス島で僕たちを案内してくれたガイドのスピロス老人にそっくり! 
「あ、どうも。お久しぶり……それにしても……」
「ワシを覚えていてくれたかい?」
 彼の声は、まるで古いアナログ・レコードを遅すぎる回転数で聞くように低く、ゆっくりとしている。どういう訳か、今日は日本語だ。
「えっ? まあ、もちろん」
「Who drinks, wins! 」
 そう言えばチリで会議の誘致合戦をやっていた時、誰かが酔っ払って同じことを叫んでいた。
「ヘアー・スピロス、どうしてウィーンに?」
「シッ! 声をあげるな」
 さすがの僕も周りが気になり始めた。こんなの夢だ! 落ち着け、あせるなと自分に言い続ける。確かに目の前のスピロス老人は顔が青白いのみならず、浮薄でリアルでない。ガイドの彼が幽霊だと言う噂は、本当だろうか。
「フロイトを知っているかい、ウィーンっ子の?」と彼が口走る。
「何ですか、突然?」
「少し外で話そうか」と、声の主が少し乱暴に言った。
「土地っ子に見られてもしょうがないからな」とつぶやきながらアイーダを出た。スピロス老人がついてくる。
 デロス島の恩返しなのか、今日はこっちがガイド。店を出ると日差しが結構きつい。そして沢山の観光客でごった返すケルントナー通りを下っていく。すると右側に、超絶的に大きなガラス窓。大きなシャンデリアをはじめ、ガラス工芸で有名なロブマイヤーの店だ。ここはキラキラ光る、美の世界。
「ぼやぼやしないで!」とスピロスが声高に言う。
 仕方なく通りに戻った。そして道をさらに下っていく。良く見るとスピロス老人の様子がおかしい。デロス島の道案内ではないのかも知れない。
 古今東西、お化けや幽霊伝説のない土地は……ない。日本では、ろくろっ首や傘のお化け……西洋にはフェアリー……ウィーンにはフロイト博士を翻弄した悪霊か、と思った途端、
「その悪霊って、フロイト御自身の無意識、エスじゃなかったのかい?」と、スピロス老人の低い声が響き渡る。
「からかうなよ!」と思わず言ってやった。
「お前の無意識は最近、鬱屈していてね」と言いながら彼が突然、サングラスを取る。隠れていた左の義眼が、ギラリと光った。
「だから解放されたい……ありとあらゆる手段で」
 驚愕しながら道を歩きはじめた。こいつは人をかつごうとしているに違いない。大体、この土地の人間の言うことなんかゴルフのスコアのよう……気をつけていないと時々すごくいい加減だ。
「どうして突然出てきた? 今までどこにいた? 帰ってくれよ! デロス島に戻りやがれ!」と叫んだ。その途端に額に激痛が走った。そこに手で触れてみて驚愕した。血だ!
「津軽マミは、嫉妬に狂っているぞ」
「え?」
「彼女の怨念を晴らしてやれ!」とそいつが叫ぶ。
「何故?」
「ニューヨークで元カノと会っただろう?」
「用向きがあったからだ。マミに何が分かる?」
「うちの調査によれば、藤沼陽子と津軽マミは、知り合い以上の友人で」
「どうして分かるんだ?」
「無意識同士の連絡だ。ニューヨークで陽子の無意識と交流した結果だ」
「……理解できない」
「彼女、空港に来ていなかっただろう? なのに和菓子届いてた?」 
「それは……」と言う僕は完全に動揺している。
「魔法の和菓子だ、分かるか?」
 そう言えば全てが不自然だ。
「手始めに謝ったらどうだ?」
「……どうやって?」
「音楽やるよな、お前?」
「はい」と答えながら恐怖におののく。
「ワシはその類のアホが嫌いなんだ、音楽の都で真面目に追求しようとする奴。そんなのに限って音楽も女心も分からない。さあ、ベルヴェデーレ宮殿まで行こうじゃないか!」と彼がヒステリカルに叫び、ケラケラ笑った。何故だか分からぬまま、催眠術にかかったようにベルヴェデーレ宮殿に向かう。
 ここはオイゲン公の夏の離宮だった。数々の戦勝により手に入れたが、娘の代に女帝マリア・テレジアの手に渡ったらしい。今では美術館を兼ねていて、確かクリムトの接吻とか展示されているはずだ。
 ゲートから入ると、左右対称のバロック様式の宮殿と巨大な鏡のような池を中央に配した広大な中庭が現れる。その向こうには背の低い、もう一つの瀟洒な建物。全て高い塀に囲まれた秘密の花園の中の宮殿だ。
 広い玄関の両側で、スフィンクスが門番している。鷲の翼を持つライオンで、頭だけは美しい女性。エジプトのピラミッドを守る奴とそっくりだ。
 そいつが突然眼をむき、ハスキーな女の声で叫んだ。
「浮気者のイサムね! 私はお前の超自我で良心なのよ! 通行条件の問題出すから解きなさい。鷲とライオン合計20匹で、足が全部で58本なら鷲とライオン、それぞれ何匹?」
「えっ? 勘弁して下さい! 何で急に?」
「今の問題を解きなさい。でないと三途の川よ!」
 昔、塾でやったような問題だと思いながら途方に暮れた。
 そこでスピロスが口を挟んだ。
「イサム、ライオンを二つに切り離すんだ。デロス島にも半分崩れた奴とか、いたよなぁ?」
「えッ?」
「ライオンをライとオンに切り離すんだ。ライは頭部、たてがみに前足二本。オンは背中から後ろ足二本と尻尾。すると58本は、鷲、ライ、オンの足の合計だよ!」
「うん……難しい!」
「これを二分割すると、みんな二本足だから、3種類で何匹だか分かるんだ」
「すると29本で29匹?」
「そうだ。そこから20匹を引いた残り9匹、つまり9頭がライオンの数だ」
「何故?」とついつい聞いてしまう。
 スピロスから耳うちしてきた。
「ライ、オン、そしてライオンの数は、常に一致する。だから鷲、ライ、オンで合計29匹なら、ライオンの数は二重勘定だろう?」
 そこで僕は気を取り直し、スフィンクスに答えを出してやった。
「ライオンは9頭で、鷲は11羽!」
 するとスフィンクスは満足そうに笑みを浮かべ、
「御名答! 9と11で正解」と言いながら穏やかな表情に戻った。
 そしてあたりが静まりかえった。良かった!
 一呼吸おいてスフィンクスが言った。
「イサム、私は津軽マミの遣いなの! ニューヨークで何があったの?」と深いエコーが響き渡る。
「待ってくれ、結婚ふられた相手で……」
「嘘!」
「僕のせいじゃ、ない!」
「素直になったらどうなの?」とスフィンクスが詰め寄った。
「正直、チリで負けて……」
「それで?」と言う彼女の声が少し和らいだ。
「フェリーに酔っていて、本当に」
「マミの嫉妬は恐ろしいよ、覚えておき! でもそれより9月11日には気をつけて」
「えっ?」
「ニューヨークの彼女の職場が、木っ端微塵!」
「何それ? とにかくもう放してくれ!」
「だめだめ、私はあまのじゃくなの! そんな言い方じゃ聞かない!」
 僕はハタと思いついた。あまのじゃくって、人に逆らうんだっけ? 
「分かった。このままずっと、いてくれ!」と言い放った。
 するとスフィンクスが突然顔を歪め、大きく揺れた様な気がした。そして姿が突然ふっと消え、静寂が戻った。
 あたりは陽が沈む直前で薄暗い。向こう側に宮殿の低い側の建物、またシュテファン寺院の尖塔が見え、遠くにカーレンベルグのずんぐりした丘が浮かんでいた。
 頭が重い。冷や汗をかいている。額の汗をぬぐうと赤かった。血だ! 
「幽霊だ!!! こわい」
 身体が震えていた。背広の上にコートを着ているが、冷え込んでいる。
「ああ、畜生!」
 その場で二回立て続けにクシャミ。そして鼻をすすりながら顔を上げると、スフィンクスがニヤリと笑っていた。そこから漂う、ただならぬ妖気! 
 ゾーッと鳥肌が立つ。そして金縛りの様に身体が言うこと聞かない。
 その時だった! 西の方に明るい夕焼けが見えた。ワラをも掴む気持ちで夕陽に向かって叫んだ、
「助けて、助けて……助けてくれ!」
 すると暖かな陽光がじわじわ体に浸透し、次第に解放されていく。
 アパートに戻るつもりで足を踏み出そうとしたら、目が覚めた。何とソファの上だった。
「何だ、夢か! 信じ難い!」
 身体を起こして洗面所まで行き、鏡で額に受けた傷を捜したが、何も見つからなかった。
「これはいけない」
 少し落ち着いたところで、突然、ハタと思い当たり、藤沼陽子にメールした。
「ニューヨークでは、大変お世話になりました。改めてどうも有難う。
 ところで変な話だけど、一週間後の9月11日、創銀のオフィスのある世界貿易センターで信じがたい事が起きるかも知れない。最悪の場合、『インデペンデンス・デイ』の映画の様に木っ端微塵だ。だから9月11日は兎に角、職場から離れていて下さい! 電話の緊急番号と同じ、911。何も起きなかったら、高級ワイン一ケース送るので、どうぞ宜しく。 国谷イサム」

フルートとヴァイオリン(第11章)

フルートとヴァイオリン(第11章)

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更新日
登録日 2019-07-26

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