Modern Gir&潮騒
バネ式の椅子が、あまり跳ねなくても
派出所のバネ式の椅子に座りながら、
目の前の青すぎるほどに青い海を見ながら、我が人生の後戻りの効かぬ、レールを頭の中に描くも、それは、ぼんやりと抽象的で青く滲んでいる。
自分がたった、今作られた箱庭の住人だとしても、すぐに受け入れられるだろう、その破壊も含めて。
海辺には年老いた老犬を連れた老人が、はしゃぐことのない犬と共にトボトボと家路を歩いている。朝の散歩。
彼等も今できたばかりなのだろう、そうとしか思えない、あの犬がはしゃいでいた頃のことを考えるのは難しい。
老人が青春の悩みをひっそり布団の上で耐えていたとは考えにくい、誰でも一度は経験する過程であるのにもかかわらず。
それは俺にもあった、確かにね。
しかし、あまりにも時が流れた、そして、今、この海岸の小さな町の唯一の派出所で寂しく海を眺めている。人は楽な仕事だと言うだろうが、色々あって此処へ来たんだ、全警察官が楽な仕事をしているわけではない。
今、俺は孤独な青を懺悔の気持ちで耐えている。すべての過去に頭を下げている、親父の性器から飛び出した他の精子と母の卵子に始まり、そこからのすべてに。
午後に岸壁の近くに住むじいさんから、電話がかかってきた。
「よーお巡りさんよ、俺ん家の窓から崖見えるだろ、今、そこによ女さ立ってるんだよ、俺今から話しかけにいくけどよ、お巡りさんも来てよ」
「わかった、直ぐ行く、よっちゃんも気をつけろよ、何持ってるか分からないんだから」
俺は直ぐに制帽を被って、白い自転車に飛び乗った。
此処から崖へは、さして遠くない、3分で着く。はっきり言ってこの派出所は、自殺者志望者か、その土左衛門の為に有るようなものだ、それと老人の面倒。
崖に行くには、けっこうな坂を自転車でこぎ上がる必要がある、これが三十路には堪える。人間は老いるのが早い、きっと俺も直ぐに過去のない老人になるんだろう。
崖の上に到着すると、既にじいさんと女は設置されたベンチに座っていた。
ベンチの横の柱看板には
「この崖には名前がありません、でも、貴方達には名前があります。貴方は望まれて生まれ名前を与えられたのです、どうか自殺など考え直してください」
と書いてある。
俺は警察官だが、この看板を見るたびに、"簡単にいってくれる"と感じる、そう単純でも無いだろうに。
で、とりあえず俺は仕事を始めた。
「よっちゃん、ご苦労様」
「ごめんな、俺のはやとちりさみたいで」
よっちゃんは申し訳なさそうに、ハゲ頭に手を置いて言った。
「どういうことだい?」
「こちらのお嬢さん、別に自殺しに来たたわけではないんだよ」
女の方は何も喋らなかった。
白い肌に膨らんだ頬、唇は綺麗なピンク色、目は黒く大きく睫毛が長い、鼻の高さは普通だ、美人だと思ったが、今時の顔じゃない、松田聖子とか河合奈保子とかを思わせる、前世紀、いや紀元前の顔立ちだ。背も高くない、服は赤いノースリーブで靴はヒールだった。
何だかこんな女が崖に立っている様子は、時代錯誤に思えた。
「君は何しに来たの?一人?」
女は怪訝で面倒そうに答えた
「お母さんの実家があるって聞いたから」
「それで、ご実家の方には行ったの?」
「なかった」
”なかった”何だか、その言葉を聞いたとき色々と察しがついた気がした。
それに、彼女は自殺する気はないようだが、それは近々やって来る、彼女は今、死に追いかけられてる。
老いの死が、100メートル8秒なら、
彼女を追いかける死は1000メートル7.5秒位の速度で彼女を絞め殺そうとしている。
よっちゃんが口を開いた
「この子のお母さんは田中久枝っていうんだけど 、お祖母さんの久美さんと健一郎さん家は取り壊されてもうないんだよ」
よっちゃんは横の彼女の表情を伺いながら言った。
「二人ともね仲いい御夫婦で、地域活動にも熱心だったよ。でもな久美さんがなくなった後、健一郎さんも直ぐに亡くなったんだ、その...自殺でね、愛した奥さまに先立たれて、ショックだったんだろうね、うん、それで久枝さんは、一人娘だったんだけど、就職して都会に行ってからは連絡はなかったらしい、だから、仕方なく持ち主なしの家を壊して、新しく来た家族のために建て直しをしたんだ」
「お母さんは就職なんてしていない、ずっと男だよりだったわ」
女の言葉によっちゃんは頭を垂れるしかなかった。
ここからは俺の仕事だ、といってもしてあげられる事もないのだけれど。
「で、久枝さんは」
「死んだ」
だろうなとは思っていたが
「そうか、それは御愁傷様でございます」
彼女はその言葉に恨みでもあるかのようだった。
「それで、君の名前は?歳も教えてもらえる?後、身分証明書」
「久子、須藤久子、二十歳」
その瞳は美しいけれど、何も光を発してないようだった。
彼女の免許書はオートマチック車と大型二輪のものだった。
免許書の写真の彼女からは、生気が読み取れなかった。免許書の写真なんてだいたいそんなもんだが。
俺は丁寧に手帳にメモを書くジェスチャーをした、ほんとのところ汚い箇条書きだ。
それで、俺には面倒な質問がまだ残っていた。
「それで、須藤さん、お父様は?」
「あんなの父親じゃないわ、単にお母さんの最後の男だっただけ」
「そうか、で何故ここに?」
「お母さんから言われてたから、おじいちゃんとおばあちゃんが此処に住んでいるって。探した、でも見つからなかった、家のあった場所には佐藤さんていう子連れの夫婦が住んでた。私、その家の奥さんとも話したわ、でも、田中さん何て知らないって、もう、本当に馬鹿馬鹿しい、あんな女の言うこと真に受けるんじゃなかった」
「それで、何故崖にきたの?」
彼女は怒りのままに言った、俺の目を見ながら。
「なんでそこまで話さないと、いけないんですか?別に自殺しに来たわけでもないのに、だいたいなんで、お巡りさん来ちゃったんですか?」
「通報がありましたので」
よっちゃんはばつが悪そうな顔をしていた。
「それに、ここで自殺する人は多いから、君もそうではないと証明してくれないことには終われないんだ」
「お母さんの好きな場所だったらしいから....」
「この崖が?」
彼女は手提げ鞄から一枚、写真を取り出した。そこにはこの崖でカップルが笑い合いながら、写っていた。
女の方は久子に瓜二つだった、相当、この田舎町ではモテた事だろう。
男の方が誰かと尋ねるのは"やぼ"に思えた。
恐らくよっちゃんは知っているだろ、狭いコミュニティーだ、ここで唯一名前を覚えられてないのは俺だけだ。
「それで、お母さんの思いでの地を回っていると」
「そんなところね」
「何処から来たんだい?」
「東京、昨日は駅前のビジネスホテルに泊まった、今日、この後のことは分からない」
「東京に帰る?まー今からなら帰れないこともない、もう一度、ビジネスホテルに泊まる事もできる」
「そうね、そうします」
覇気のない声だった。
よっちゃんが口を開いた。
「そんじゃさ、一通りお母さんの思いでの場所をめぐって、遅くなっちまったら、俺の家泊まればいいよ」
「いや、そこまで、していただかなくても大丈夫です」と久子が言った。
「確かにな、独り暮らしの男の部屋に可愛いお嬢さん泊めるわけにはいかないな」
「お巡りさんよ、俺は82よ、それにこの子のお母さんのことも知ってるしさ、"おじいさん"と"おばあさん"とはガキの頃よく馬鹿したもんだよ、よしみだ久子ちゃん気にすることはねぇよ」
「でも~申し訳ないし」
「確かになとうに枯れたじいさんだ、気にすることはないかもな」
「お巡りさん、キツイこと言いやがる、わからんだろうに」
「おっと、こりゃ危険だな」
「フッフッ」
初めて彼女は笑った、久々に笑った様で少し顔がひきつっていた。
しかし、1000メートル7.5秒の死は影を潜めてはいない。
「で、久子さんどうします?」
「別に特に予定もないので、母が行きたいって言っていた浜辺の方に行きたいです」
「それなら直ぐそこなので、行きましょうか?よっちゃんはどうする?」
よっちゃんは少し悩んだが
「先に行っててくれよ、俺にはやることがまだ、あるんでよ」
「分かりました、ご協力ありがとう。では、久子さん行きましょうか」
久子は少し驚いたように、そして申し訳なさそうに
「えっでもお仕事は?」
「ええ、これも仕事ですよ、若い女性の警護です」
よっちゃんは笑っていた。
俺と久子は海岸に向かうために急な坂を、下っていった。
「お巡りさん、先ほどは、すみません、混乱していて」
妙に礼儀正しく話してきた
「まーそうだよね、仕方ないよ、警察も来ちゃったわけだし」
「いえ、まあ、そうですね」
「何時もは礼儀正しいんだ」
「礼儀正しくなんてないです、ただ、年上の方の多い職場なので」
「そうか、働いてるんだね、偉いよ」
「偉くなんてないです、中小企業の事務何て」
「いや、偉いよ、俺は君の年の時は、働いてなんていなかったよ」
「大学生だったんですか?」
「いや、なんというか色々とあってね、とりあえず今は警察官だよ」
大学生?二十歳?美少女?
そんなものは今となっては、よく思い出せない。あったかどうかも怪しい、だってこの世界は五分前に青い箱の中に作られた箱庭かもしれない、誰かが人形を動かして、海はペイントされた水をかき回して波を作っているだけかもしれない。
海辺についたとき、彼女は最初、ぼーと裸足で地平線を眺めているだけだった、瞳は青色で染まっていた。
「お巡りさん、私のお母さん、夏になると必ず泳いだんだって、家出してからは泳がなくなったんだけど、また、泳ぎたいって死ぬ間際も言ってた」
俺は何も言い返せなかった。
それでも彼女は話続けた。
「馬鹿よね、本当。家出してからは最悪な日々だったと思う、男に騙され騙す、それの繰り返し、おまけで私ができたのよ、だから今の戸籍上の父親も血は繋がってない、なのに名字はそいつの名前、
本当の父親が誰かは分からない、どうせろくな奴じゃないわ」
「ろくな奴なんて、そうそういないさ」
「でも、ましな人はいるでしょ?」
「ああ、たぶんね」
「私はお母さんみたいになりたくはないけど、似た者同士だから.....きっと幸せにはなれない」
彼女はそう言って、砂浜に寝そべった。
「行き着くとこは一緒だよ、どう生きようとね」
「私、たぶん長生きしないわ」
「どうして?」
「タバコも吸うしストレスだらけだから、お巡りさん、鉄砲で撃ってよ私のこと」
彼女は日の光が目に入らないように、右手の肘で目を覆っていた、白い肌、日焼けの傷の跡もない。
「馬鹿なこと言うなよ、俺は堅気でいたいんだ」
「じゃあ、結婚してよ、お巡りさん独身でしょ?」
「ああ、わかるか?」
「私、人を見る目があるのよ」
「警官向きだね」
「警官なんて、なりたくない」
「懸命だと思うよ」
彼女の目と肘の間から、涙が流れ出した
「私はただ幸せに成りたいだけなの、これってわがまま?」
「いや、普通だと思う。それに君は若いんだし、ずっとこのままじゃない、変わるよ」
我ながら意味の分からない事を言ってるとは知っていた、ただ、こういう時に限ってうまい言葉は見つからない。
「変わりたいよ、変わりたい」
そう言って彼女は海の方へヨロヨロと歩きだした、そして彼女は手提げのバックから白い陶器を取り出し、バックは投げ捨てた。
「おい、それって!」
俺がそう言ったときには、彼女の足は海水についていた。
彼女は陶器の蓋を開けて下へ向けた、白い粉が直接、海水に落ちることはなく、海の方へ風が流していった。
「これがお母さんの遺言」
そう言って、俺の方を向いた彼女の姿は、なんと言うか陶器の置物のようだった。
でも、別に構わない。俺にとっては彼女だって青く滲んだ蜃気楼のようなものなのだから。
日が沈み海辺に闇がやって来る、死の襷をかけたランナーも道がわからず、さ迷ているはずだ。
足音は聞こえない、聞こえるのは波の冷たい音だけ。
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