艶ぼ~い(前編)

艶ぼ~い(前編)

Amebaゲーム「艶が~る」の二次創作小説ですので、幕末の史実設定などは「艶が~る」に準じています。

本家ゲームは女子高生を主人公にした恋愛シミュレーションゲームなのですが、パロディー小説の艶ぼ~いは大学生の奏音というオリジナルキャラの主人公がタイムスリップしたところから始まります。

本家のエピソードを一部使用し、キャラ設定は二次創作ですが、話の構成や展開は本家恋愛シミュレーションゲームとはだいぶ変わっています、恋愛要素は少なく、アドベンチャーっぽいです。

ゲームの世界をご存知でないかたも読めるように創ったつもりなので、よろしければ読んでいただけると嬉しいです。

(1)時限の彼方

「きゃぁっ! 蜘蛛!」

後方で幼なじみが叫ぶ。

「助けてぇ、カナタ君~。」

ため息をついて首にくっついてる蜘蛛を掴んでとってやる。

「じっとしてろ。」

「うん、ありがとぅ。」

「ってか翔太、そろそろそのモード切り替えとけよ。もうすぐ着くと思うぞ。」

「もうっ! 2人で居る時はショコたんって呼んでって言ってるのにぃ~。」

「い・や・だ!」

幼なじみと京都の山道を登っている。トレッキングではない。大学のゼミが主催する勉強合宿参加の為だ。
しかし、なんだってこんな山の中の寺で。修行かよ。座禅を組まされたりするのかな、それはちょっと楽しみかもしれないが、山の寺なんて虫がうようよ居そうで、そのたびに翔太が騒ぐと思うとげんなりする。

この幼なじみは俺より頭ひとつぶん背が高く筋肉はがっしりついてるし関東1部リーグのバスケットボール部で1期生でレギュラーをしているくせに【乙女系男子】なのだ。
女嫌いってわけじゃないが女にモテるのは嫌らしい。むしろ一緒にEXILEの誰が好きかとかを話したいらしい。

沢沿いの道を歩くと滑りに足を取られた。滑落したらマズイな。後ろを振り返り「おい、足元気をつけろよ」と言おうとした瞬間、ズザザと翔太が落ちそうになっているのが目に入って思わず手を伸ばして腕を掴んだ。

「あ。」

しまった、俺、あいつより力も体重も無いんだった。
普段の乙女系態度がその感覚を鈍らせる。女のコじゃないんだ、俺が支えられるわけないよな。
そんな事を考えながら滑落していく間、翔太は泣き叫び、俺は「骨折れたらめんどくさいなぁ」なんてつぶやいていた。

しかし、事態はもっとめんどくさい事になった。

骨折はしなかったようだが足首を捻挫していた。沢を登るのは無理だし、背負っていた鞄は無くすしで散々だ。まぁ寺合宿だから財布など持ってきてないのが不幸中の幸いか。

翔太に肩を貸してもらいながら山道を下りタクシーでも拾おうとする。携帯電話は内ポケットに入ってるから支払いは出来るだろう。

だが……。

「おい、なんかおかしくないか?」

「うん……。」

不安な表情で翔太も頷く。

おかしい。すぐ近くに京都の町並みが確認出来るのに。

降りても降りてもアスファルトの道路が無いのだ。

観光客とまったく行き交わないのも不自然過ぎる。

携帯電話を確認すると、圏外だった。

まさかな……。

そんなはずないよな?



(2)捉えられたカナタ

京都の町中に入ると疑心は確信になった。

電柱もない、コンビニもない、車なんて走ってない。
時代劇セットには見えなかった、広すぎるし、リアル過ぎる。
なにより行き交う人々がこちらを見る奇異なものに遭遇した驚きと怯えの表情は演技だとは思えなかった。

「翔太、山に引き返すぞ。」

「解った。」

翔太も深刻に頷く。

俺たちは本当にタイムスリップしてしまったようだ。

身につけてる衣服や携帯電話があるのなら背負っていた鞄もある可能性は五分五分。あの中には万能ナイフも入れてある、もし見つからなくても2人で山奥で自給自足は可能だ。

いつの時代かも判らないこの場所で人目につくほうがずっと命の危険がある。
2人で山に引き返すルートを辿り始めたがほどなくして遠くの方で町の人々のざわめきが大きくなっていた。
俺は胸ポケットから携帯電話を取り出しカメラモードでざわめきの方角をズームする。

砂ぼこりを立てて走る集団が見えた。侍だ。腰に刀をさしている。役人には見えなかった、みなバラバラの柄の着物をまとっていたから。

浪人の集団か?判らない、ここは何時代だ?
怪しい者が居ると密告を受けて走ってきた集団。即座に斬られる可能性だってあるかもしれない。

「走れ、翔太、俺を置いて逃げろ。」

「なに言ってるの!? 嫌だよっ!」

「聞け。2人で捕まるより、1人が後から救う方が可能性が高い。捻挫で俺は走れない。お前は逃げきって助けにきてくれ、頼む。」

「でも……。」

翔太は迷っていた。

「俺は斬られるより売られる可能性が高い。知ってるだろ?」

お前は斬られる可能性が高いんだ。頼む。逃げきってくれ。

そう考えて見つめる。翔太は強く頷いて駆け出した。

「逃がすな!追え!」

低く怒気を孕んだ声音が頭上で聞こえた。その瞬間、肩や背中に激しい痛みが走る。鞘付きの刀で打ち付けられ、地面にひれ伏された。
顔がヒリヒリして砂の味がする。顔を地面にぶつけて口の中が切れた。

「縛って屯所に連れていけ。」

正座させられ後ろ手に手首を縄で縛られる。

きつく縛られ痛みに顔をしかめながら命令している声の主を見上げた。

くっきりとした目、鼻梁が高い男前。気迫のある表情。

少しホッとする。統率が取れた集団。恐いが話は通じそうなリーダー。
少なくとも即座に斬り捨てられることは無さそうだ。

だが俺はこの先ずっとこいつに命を狙われ続ける事になる。


(3)かけられた嫌疑

捕縛され連れ去られた先の土間に頭を掴んで無理矢理正座させられた。
2人ががりで肩を押さえられ刃向かえないようにされる。

リーダー格と思われる男が目の前に腕を組んで立っていた。

「貴様、何者だ? それは異国の服だろう? 何故京に居る?」

そうか、一応ここは京都なのか。しかし参った。歴史は苦手なんだよな。キリシタン弾圧っていつまでやっていたっけ?鎖国はいつまでだ?

異人の振りをしたほうがいいのか判らないが日本人だとも言い張れない、こんな日本人はこの時代には居ないのだから。

「隊長、申し訳ありません、取り逃がしました。」

ホッとした。翔太は逃げきったか。斬られてなきゃいい。俺たちはお互いを探せる。この時代の人間には気づけないお互いのヒントもたくさんあるから。
隊長、と言ったな、どういう集団なんだろう?

「もしかして言葉が判らないんじゃないですか?」

周りの人間より幼い顔をした男が口を開く。

「最初からずっと話してませんよ、この人。」

「阿呆、間者は元より口を割らんだろうが。」

「間者には見えないけどなぁ。」

間者……スパイのことだな。こいつらはスパイを取締る警察のような存在なのか。

「それにこいつはこちらの言葉を理解してるぞ、そういう反応だ。話せないわけじゃない、怪しい奴だ。」

参ったな、こいつ隙が無いぞ。どうする?どうしたら切り抜けられる?

「I guess which choice is better speak Japanese or English.」

「喋った!」

「異人なのか?」

「顔は異人には見えないが。」

「異人にも種類があるらしい、我等に近い顔をしている者も居るらしいぞ。」

ざわめきが起きたが急に敵意を剥き出しにされたわけじゃない。場は困惑していた。
助かった、どうやら間者は敵だが異人が敵という集団では無さそうだ。

「ほら、間者じゃないでしょう。」

幼い男が手柄を取った子どものようにニコニコして隊長と呼ばれた男に言う。

「まだ判らねぇだろう。奴等は異国の言葉を操る者も居る。」

「そういうことが出来る間者は京には来ないですよ。」

隊長と呼ばれた男が沈黙した。理にかなった主張だったのだろう。

「あの……日本語は話せますが……日本の事はよく知りません。それとあなた方は刀を持っているから恐いです。」

俺は意を決して、話し出すことにした。


(4)新撰組と判る

「やはり言葉を解していやがったな。何故だんまりをきめていた?」

リーダー格の男が凄みをきかせる。

「言ってるじゃないですか、刀が恐かったんですよ。」

「出任せだ。そんなたまには見えん。」

「土方さんが凄く恐い顔だからです!」

キッと睨んで言う幼い男。ありがたいが何故あんたが俺をかばうんだ?

「安心してください。私たちは簡単に刀を振りかざしたりしません。御上に仇なす不貞浪士を取締るのが私たちの勤めです。異人さんを虐めたりしませんよ。」

「おい、総司、得体の知れん奴に内情をべらべら喋るんじゃない。」

「私たちが御上の命で動いてるのは皆が知ってることでしょう、秘密裏ではないです。」

"土方"と"総司"

"御上の命で"

そうか、こいつらは新撰組か。ここは幕末の京都なんだな?

なら異人弾圧は無かったはずだ、が、しかし公使館に連れて行かれても困るぞ。

本物の外国人に会わされたらバレる。そんな英語力は持ち合わせてない。

「兄と一緒に日本に来ました。船が嵐で沈んでしまいました。浜辺から兄と2人で歩いてきて……そうしたら刀を持ったあなたたちが来て……兄は逃げました。」

悪いな、翔太。だが"先に逃がした"なんて本音を言うわけにもいかない。

沢を滑落したせいで服には泥が着いて濡れているし腕にも擦り傷やミミズ腫れがある。足は捻挫している、ここまで引きずって歩いてきたのを、こいつらも見ているはずだ。

「手当てします。公使館に行くといいですよ。すごく遠いから長旅になりますけど……私たちは勤めがあるので、お兄さんを探してから一緒に向かえばいいと思います。」

「おい、何を勝手に話を進めてやがる。」

「私たちが脅かしたせいでお兄さんとはぐれてしまったんですよ?」

「逃げる奴は男じゃない、そいつの兄が悪い。」

「土方さんの顔が恐いのが悪いんです!」

そうか、公使館は京都にはないのか。兄を探してから旅に出る。言い訳として申し分ない。沖田総司のおかげで助かった。
この時代の人間が予想した筋書きのほうが周囲にもしっくり来るだろう。

「ずいぶん騒がしいね。どうしたんだい?」

「慶喜様……けっ慶喜殿。」

急に現れた金髪の美男子……金髪?

まぁカツラかな?
幕末は歌舞伎役者が流行りで赤い髪や青い髪なんかのカツラを被る"カブキもの"も居たらしいし。漫画情報だから定かじゃないが。

事態はどう転ぶだろうか。


(5)一難去ったあとに

「迷子の異人さんを土方さんが虐めてるんですよ。」

「虐めは良くないなぁ。土方くん。」

「……。」

良く判らない関係性のようだ。とりあえず沖田総司はやたらと子どもっぽい。
この金髪の兄ちゃんはどうやら土方より立場が上らしい。

「よ……慶喜(けいき)殿、こやつは異人の振りをしてるだけのような気がするのです、素性が知れない怪しい奴です。」

正解だ。なんつう勘の良さか。怖いな、こいつ。

ケーキと呼ばれた名前もアメリカナイズな兄ちゃんは煙管をくゆらせ言った。

「ちょっと外国語を話してみてよ。」

ちょっと話せと言われてもな。

「My best pleasure on few days get novel I want.」

新撰組の隊士達がざわめき、ケーキ兄ちゃんは整った顔をなでながら「ふ~ん」とつぶやいた。

「異人の振りではないようだよ。」

「いや、しかし、」

「顔かたちが近いのは母親が日本人だからじゃないのかな?」

「はい、母は日本人です。」

「それなら言葉が達者なのもおかしくないね~。」

土方がものすごく不服顔をしている。超恐ぇ。

「ちょっと日本語が上手すぎるし、土方くんが怪しむのも解るけどね。俺はこんなに異人に近い発音をする通訳に会ったことは一度も無いね。」

……通訳に何人も会うような立場なのか。何者だろう、この兄ちゃんは。

「だから言ってるじゃないですか。迷子の異人さんなんです。」

さっきから迷子の子猫ちゃんみたいに言うなよ、恥ずかしい。

「迷子……?」

「船が嵐で沈んでしまったそうですよ、だから怪我の手当てもしてあげないと。私たちが追ったせいでお兄さんとはぐれたそうなんです。」

「なるほどね。じゃあこの人は俺が預かるよ。人探しには住処も必要だろうし。」

「わかりました。」

「その異人の格好は目立つから着替えてもらえるかな? 着替えを貸してあげて。」

「はい。」

土方が睨んでいる気配がするが見ないようにする。沖田総司や他の隊士が怪我の応急手当をしてくれて貸してもらった着物に着替えた。

お礼を言って建物から外にでる。「大変だったね~。恐かったでしょう?」と当たり障りない会話をしながらしばらく歩いた後にケーキは表情を変えて言った。

「で? 君は本当は何者なのかな?」

不敵に微笑む。

マズイ、この人、土方より勘が良さそうだ。


(6)笑顔で脅迫

屈託のない笑顔に見えるが、言い逃れは許さないという目。

「君の血筋はどうでもいいんだ。着ているものや態度で君がこの国で育ったわけはないというのは判るからね。ただ船が嵐で沈んで迷子というのはおかしい。潮の香りなんてしない、落ちたのは川じゃない?」

絶句した。何もかも見透かされそうで言い訳が思いつかない。

「土方くんから聞いたけど、お兄さんが逃げたというのも嘘だね~。君には兄弟に裏切られた悲壮が無いよ。君が逃がしただろう?」

焦りで顔色が変わるのを堪えられない。どうしたらいい?
未来から来たと話すか?
いや、かえって怪しまれるだけだ。

「君たちの目的はなにかな?その応えによっては俺は態度を変えざるを得ないよ。」

目的はゼミ合宿だった。京に昔から伝わる薬膳料理から辿り野草の研究をする山籠り……そうか。

「父が研究者なんです。」

「研究者?」

「はい、日本は鎖国が長く続いて独特な文化が育っています。父はその研究を望んでいて……ですが父は外国人の風貌ですから、長崎で暮らしています。
俺たちは母親に似て日本人に見えますし、父より日本語が話せますから……生活を通して文化を学び父に手紙を書く予定でした。ですが住処や着物を用意してくれるはずの人が待ち合わせに現れず……山道で足を滑らせ怪我をしたので困って町中をさまよっていたんです。」

「なるほど。」

「あの人たちにそれを話したら殺されると思いました。最初から間者だろう?と疑われていましたし。」

「そうなんだよね~。真面目に勤めるのはいいけど彼等はどうも乱暴過ぎる。」

ケーキの表情が柔らかく変化した。獲物を追い詰めるような気迫も今は無い。なんとか信じてもらえただろうか。
おそらく表情を読み取るのに長けた人なんだろう。未来から来た事を黙っている以外は本当の事を話したからだ。
研究の為に京都に来た事も怪我をして仕方なく山を降りたのも事実だから。

「そういう事なら協力しよう。住処と生活の為に仕事も必要だよね? お兄さんを探すのもこちらで手配する。」

「え?」

翔太を探すってあの新撰組にさせるのか!?

「心配しなくていいよ、彼等には頼まないからさ、ちょっと性格に問題のある男に頼むつもりだ、君の世話もお兄さん探しも。」

……あんたに"性格に問題あり"と評される男に世話にならなきゃいけないのかよ、激しく不安しか感じないんだが。

苦難はしばらく続きそうだ。


(7)優しい若旦那

「秋斉~。居る~?」

「あの。勝手に家に上がっていいんですか?」

「いいの、いいの。」

いや、よくないだろ。しかもこれからお世話になる家で翔太捜索もお願いするってのに。

部下の家……ではなさそうだ。周囲の家に比べ大所帯で広い。
ここはどういった場所なんだろう?

「俺の別邸みたいなもんだからね~。問題ないよ。」

「何が別邸や。」

ふすまが開いて隣の部屋から上品な旦那さんという風貌の男が出てくる。
えらい美形だ。ケーキに似てる気がする。親類だろうか。

「そちらはどちらさん?」

優しく目を細められて尋ねられた。軟らかい表情だ。ぜんぜん"性格に問題あり"に見えないな。

「えっ…と。」

なんて説明したらいいか迷っていると

「異人の学士だよ。土方くんたちに捕まっていたのを助けてきた。」

という身も蓋もない説明を先にされてしまう。

呆れた表情で額に手をあて

「またあんさんはどうしてそういう厄介事に首を突っ込むんどすか。堪忍して。」

と盛大にため息をつく。

「町で異人の格好の2人組が壬生狼に追われてると噂されてたんがあんたか。」

神妙な顔で頷く。やっぱり性格に問題あるのはケーキのほうじゃないのか?

「そう。そのせいでお兄さんとはぐれちゃったんだってさ。土方くんたちは異人の格好をした長州勢と早とちりしてね。お父さんの研究の為に日本の文化を学びに来たらしいよ。」

「ほお、そら不運どしたなぁ。おや、あんさん足痛めたんか?」

「あ、はい。」

足を引きずってるのに気付いたらしい。

「座り。見てみます。」

畳の上に座って足を出すと足首を掴んでそっと動かす。

「いっ……」

痛みに顔をしかめた。

「骨は折れてないようや。よおく冷やせば腫れも引くやろう。」

「というわけでお兄さん探しとこの人の世話を頼んだよ。」

「何がというわけでや。面倒事ばかり持ち込みはって。」

「まあまあ」

「あの。ご迷惑でしたら俺はお暇(いとま)します、兄も自分で探しますし。」

「あては無いんやろう? ここにおったらいい。」

「でも……。」

「わては慶喜はんに文句言うてるだけで、あんさんに腹立ててるわけやない。」

「酷いなぁ、俺の事も大事に扱ってよ。」

「やかまし。」

「ありがとうございます。」

「わては藍屋秋斉いいます、あんさんは?」

名前……俺の名字っておそらくこの時代には無いよな?


(8)長い一日の終わり

確かこの時代は名字は家柄を表すはずだ。もしくは店の名前をそのまま名乗る。

下手に名字を言って怪しまれるのはマズイし、だいたい俺は異人という設定だ。

本当の名前は樋渡(ひわたり)奏音だが……。

「Caroline Charonplop Kanata pamyupamyuです。」

「きゃろら……」

「……ぱみゅぱみゅ?」

2人とも舌を噛みそうだ。しまった、ぱみゅぱみゅは外せよ、俺。だいたい他にそれっぽいのあっただろ。

「え~と。言いづらそうなのでカナタでいいです。」

「なんかそれだけ日本人みたいな名前だね。」

まぁ日本人だからな。

「母がつけてくれた和名なんです。漢字もあててくれました。奏でる、音、と書きます。」

「へえ、風流な良い名前や。」

「あの、ケーキさんは外国人なんですか?」

「ん? 何故?」

「ケーキって名前が外国風だし、英語の発音を聞いた事があるって言ってたから。」

「ああ、慶ばしい、喜ばしい、と二つ意味を重ねて"けいき"なんだよ。」

「ああ、そういう、"よしのぶ"って読む方ですね。」

「ずいぶん詳しいね?」

心なしか2人の雰囲気が固くなった気がした。迂闊に喋るべきじゃなかった。

「ええ。父と一緒に書物はたくさん読みましたから。」

顔に出さないように何でもないことのように笑ってみせる。

「俺は一橋慶喜。とりあえず明日から俺の仕事を手伝ってもらうから。今日は疲れたろう、秋斉に部屋を用意してもらって休むといいよ。」

「ありがとうございます。お世話になります。」

俺は笑顔を保ったまま2人に深々と頭を下げた。

藍屋さんの用意してくれた一室に座り込むとどっと疲れが出た。

しんどい1日だった。これからどうなるかはさっぱり判らないが、未来に帰れるなんて楽天的な考えはしないほうがいい。

タイムスリップなんて本来あり得ない話だ。万が一遭遇したとして、元の時代に帰れるなど確率的に尚更絶望的だ。

翔太と合流して2人でなんとかして生き抜こう。1度山籠りをして数年自給自足の生活を送る。明治維新が成功するまでは京都は危険過ぎる。

携帯電話のアプリ辞書で"一橋慶喜"を検索した。

やはりな。

「徳川慶喜だ。」

この先、将軍になる人が一橋慶喜だった。

カタン、と物音がして顔をあげる。立ち上がって障子を開けたが誰も居ない。

お香の匂いが漂っていて、何故か恐怖を煽った。


(9)可愛い遊女

気を張っていたせいか気絶するように眠ったようだ。携帯電話の時計は10:30を表示している。
電波時計ではないからおそらくほぼ合っているとは思う。
あとで鐘の音と周囲の会話(丑三つ時とか)で合わせて時刻の知り方を覚えておこう。

藍屋さんに聞いた話ではこの家は遊女が暮らす寮のようなものらしい。
置屋と呼ばれるこの住まいから揚屋と呼ばれるお客様をもてなす店(キャバクラみたいなもんか?)に出勤するんだそうだ。

遊女たちの帰りは夜遅く、起きだすのも遅いので朝食は昼近くになると考えてくれと言われた。

慶喜さんが仕事を教えに迎えに来るのも昼過ぎだ。

「ん~。」

しかし、腹が減ったな。昨夜は緊張のせいか食欲が無く、藍屋さんの「何か食べますか?」という心遣いを辞退した。
一晩寝て肝がすわったら途端に腹が減る、現金なもんだ。

仕方ない。恥ずかしいし図々しいがちょっと藍屋さんに頼んでみよう。
そう考えて障子を開け廊下に出る。

「あ、起きてはったん?」

小柄で目がくりくりと丸い女のコがお膳を持って立っていた。可愛いな、この子。遊女ってみんな可愛いのかな。むしろ可愛いから売られてくるのか。

「おはようございます。」

「おはようさん、秋斉はんが朝げ持っていき言うたから。昨夜から何も食べてへんのやろ?」

「昨夜というか昨日の朝食べたきりで。ありがとうございます。」

「なんやあんた丁寧やな~。学士さんよね?壬生狼に追われたてホンマ?」

「はい。間者に間違われたらしくて。」

「災難やったね。お兄さんとはぐれてしもたんやろ。ほら、食べぇ。」

立て続けに喋りながら障子を開け部屋に入るとお膳を畳に置く。

「うち花里(はなさと)言うんよ。あんさんは?」

「奏音です。」

「かなた、彼方から来はったから?」

クスクスと鈴の音のように笑って見つめてくる。ホントに可愛い。

「いえ、奏でる、音、と書いて"かなた"です。」

「歳はいくつなん?」

「19歳です。」

「え? うちより歳上やったん? 堪忍、同い年かと思て口きいてたわ。」

「構いませんよ、そのままで。」

「花里、ええ加減にし。部屋に戻りなはれ。」

1階の部屋から藍屋さんが出てきた。遊女は2階、藍屋さんや番頭さんや男の人たちは1階に寝ている。

「まったく。若い男が来たからて、はしゃぎ過ぎや。どうせ他の子に話す為に探りに来たんやろう?」


(10)腹黒かった若旦那

「すみません。起こしてしまいましたか?」

箸を置いて姿勢を正す。なんとなく藍屋さん相手だと緊張する。

「とうに起きてたから気にせんでええ。食べ続けなはれ、腹空いてたやろ?」

「はい、いただきます。」

「なぁなぁ、はぐれたお兄さんはいくつなん?」

「花里、部屋に戻り。」

「え~。ええやないの、旦那はんのいけず~。」

「やかまし。」

「あいたっ」

口を尖らせて不服を訴える花里の額を藍屋さんがぺしっと叩いた。微笑ましい光景に思わず笑ってしまう。

「ほら、学士さんに笑われてるやないか。」

「奏音はん、また話そうなぁ、ほな~。」

手をヒラヒラと振って笑顔で去っていく。とんとんと2階にあがる足音が聞こえた後に

「どやった?」
「どんな顔やった?」
「何歳や言うてた?」
「何話したん?」

と矢継ぎ早に質問される声が聞こえてきて複数の足音とともに遠のいていく。

「まったく、あん子らは、普段はぐうすか寝てるくせしてからに。」

はぁ、とため息をつく藍屋さんにも笑ってしまった。

「優しいんですね、藍屋さん。」

「厳しく育ててるつもりなんやけどなぁ。」

「それは解ります。部屋はどこも綺麗に掃除が行き届いてるし、花里ちゃんは屈託ないけど仕草はとても美しい。厳しく育ててるけど優しく見守ってるからあんな風にのびのび出来るんだと思います。」

「奏音はん」

「はい?」

「一晩たって油断したんとちゃいまっか? 一日でずいぶんと言葉が上手なりましたなあ。」

ぶはっと飯粒を吹き出して咳き込む。藍屋さんが背中をさすってくれた。優しい。優しいが超恐ぇ。

「日本語が上手すぎるんやあんさんは。異人にはとても思えまへん。花里らには長崎で医学を勉強してる学士さんやと説明してあるさかい、そういうことにしときなはれ。」

「いや、あの、」

「あんさんが何者だろうが構しまへんのや。」

背中にあった手を肩に置かれ、指先をぐっと食い込ませる。
あの、スゲー痛いんですが。
口角をあげて微笑む様が綺麗なのに何故か般若に見えた。

「正体はどうでもええ。そんかわし、もし慶喜はんを裏切るようなことがあったら……わてが許しまへんえ。」

「……肝に命じます。」

「ならよろし。」

直前までの鬼気迫る覇気が幻影だったかのように軟らかい表情に戻ると「ゆっくり食べ。」と藍屋さんは去っていった。

正直、味なんかしなかった。


(11)誰の味方なのか

「さて、行こうか。」

「はい。」

藍屋さんに凄まれて食べた気のしない朝食を終えて30分ほど経った頃、
慶喜さんが迎えに来たので町に出た。

「あの、仕事って俺に出来ることなんてあるんでしょうか?」

この時代の生活習慣なんて何ひとつ知らないし、だいたい生活のほとんどで全自動の機械を使ってる文化の人間だ。
薪割りだの火おこしだのとうてい出来そうもないし役に立たない気がした。

「俺の見込みなら、君には得意な仕事のはずだよ。」

軽薄とも思える薄笑いが超似合う。美男子だしな、金髪だし。ハリウッド俳優みたいだ。

「はあ。」

なんとなく憂鬱でやる気の無い返事になってしまう。

「まずは町並みと道を覚えて欲しいんだ。壬生狼士組の屯所はどこか、薩摩藩邸はどこか、御所はどこか、それから人物と名前と。覚えたら、君にはなるべくあちこちを歩いてまわって盗み聞きをしてきてほしいんだよね。」

「……はい!?」

なんだそのCIA。マジかよ。

「ただそれを俺に報告するだけでいい。」

「諜報役ってことですか。」

「そうだね」

「俺に向いてますか? 何も詳しくないのに。」

「向いてるよ。」

慶喜さんは人差し指で茶屋を指す。座ろうという意味か。

若い女の子がお茶を持ってきて注文を聞いてくる。慶喜さんは団子をいくつか頼んだ。

「君は物覚えがいいだろう。」

「悪くはないですね。」

正直、記憶力にはちょっと自信がある。知人の電話番号くらいは暗記している。

「言葉もよく知っているし、度胸もある。」

「度胸は無いですよ。」

「何言ってるの、土方くんとまともに向き合って話せてたそうじゃないか。」

「藍屋さんと話すのは恐いです。」

「秋斉は特別だよ。俺だって恐いもの。言っただろ、性格に問題があるって。」

運ばれてきた団子をかじりながらにっこり笑って酷い事を言う。まぁ今朝の経験から俺も同意する。

「一番向いてると思うのは、君は染まってないからだね。」

「染まる?」

「反幕でもない、佐幕でもない、何にも誰にも染まってない。中道なんだ。」

「……慶喜さんは幕府側じゃないんですか?」

「俺はこの国が良くなればどっちだって構わないんだよね。政治をするのが幕府じゃなきゃいけない理由なんて無いと思ってる。」

涼やかな目で、なのに芯に熱さを秘めて、語る、

その表情に惹き付けられる。

軽薄さなど欠片も無かった。


(12)再会

慶喜さんに言われた通り、俺は町中を歩き回り道を覚えること、他人の話を盗み聞きし、どんな噂話でも逐一慶喜さんに報告することを繰り返した。

何より慶喜さんに重宝がられたのは俺が夜道を平気で歩けることだった。
度胸の問題や強さの問題じゃない。
この時代の人間は総じて軽い栄養失調状態だ。
平気寿命は50歳で40代でも見た目は老人のようだし、現代では考えられないような病気であっさりと死んでしまう。
ビタミンAの不足から来る夜盲症、ようはだいたいの人間が鳥目で、月明かりを頼りに夜に素早く歩き回れるほうが珍しい、灯りを煌々と焚いていては隠密行動は出来ない。

それに俺は胸ポケットに携帯電話の他にソーラー電池式のLEDペンライトが入っていたから、夜間の行動は慶喜さんが従えている諜報役の中で最も上手く行えた。

青白い光など誰も見たことは無いだろうから、もし危険な野盗にあっても顔に光を当てて「怨めしやぁ」とやれば向こうが逃げてくれるかもしれない、まぁそういう事態には陥りたくないが。

藍屋さんが書いた文をあちこちに届けるという仕事もある。

「くれぐれも中身を見んように。」

「心配しなくても俺は崩し字は読めませんよ。」

「ほお、崩し字やなかったら読めるんか、あんさんは読み書きまで出来る異人さんか。たいしたもんやなぁ。」

「うっ、」

藍屋さんの前だと喋れば喋るほど墓穴を掘る。
同じ慶喜さんの仕事を手伝ってるのにいつまでも疑われています、と慶喜さんに愚痴ると

「愛されてるなぁ、俺」

とクスクス笑われるだけだ、なんだこの立場、やってらんねぇ。

それでも仕事を続けているうちに慶喜さんが目指している事が朧気ながら見えてきていた。

幕府を武力で倒そうという過激派の動きを見張り抑えること。

反幕府ではあるが、争いではなく交渉をしようという立場の人たちと密かに連絡を取り合い過激派を抑える協力を要請すること。

幕府内の反幕は弾圧し武力で鎮圧するべきだとする考えをなんとか懐柔すること。

そして日本をひとつにまとめて皆で日本をよくする為の政治を行いましょう。それが慶喜さんの理想だった。

1ヶ月ほど経った頃だ。俺がいつものごとく町中を歩き回っていると

「奏音くん。」

路地裏から顔を出し手招きをする翔太に再会した。

駆け寄って肩をがしっと掴む。

「無事だったんだな。」

「うん。奏音くんも。」

嬉しくて涙ぐんだ。


(13)乙女封印?

「僕、奏音くんに渡したいものがあるの。」

そう言って翔太が着物の袂から風呂敷包みを取り出した。

「これ。奏音くんの鞄の中身が入ってるから。」

「鞄、見つけたのか?」

「うん。ゴメンね、鞄はデザインが目立つから燃やして埋めてきちゃった。」

「そんなんいいよ、スゲー助かる。ありがとう、翔太。」

「ううん」

「お前も着物なんだな。それどうしたんだ? 今どうしてる?」

「実は僕、坂本龍馬さんと一緒に居るんだ。」

「マジで!?」

坂本龍馬と言えば歴史に疎い人でも知っているくらい有名人だ。

「壬生狼士組から逃げてたら龍馬さんが助けてくれたの。すっごくカッコよかったよ~。」

「そうか。」

「奏音くんは?」

「俺は徳川慶喜さんの密偵やってる。」

「ええぇっ!?」

そりゃ驚くよなぁ、俺も自分で不思議だ。なんだこの無駄にゴージャスな会話。まるでコントみたいだ。

「翔太、そやつが言うてた幼なじみかえ?」
路地裏の奥から大柄な男が出てくる。この人が坂本龍馬か。

「無事会えて良かったのう。」

「あの、ありがとうございました。翔太を助けてくれて。」

「なあに。たいしたことないき。」

龍馬さんは顔をくしゃっとさせて豪快に笑う。

「あのさ、奏音くん。俺、龍馬さんと一緒に居ようと思うんだ。」

……ん?

「いろいろ世話になったのもあるんだけど、俺、龍馬さんの手伝いをしたいって思ってて。」

いや、別にそれはいいんだけどな?
俺も慶喜さんの手伝いを面白く感じてきてるし、未来に戻れるなんて考えてないから、翔太がしたい行動を取るのは自由だ。止めない。
ただ……

「お前、話し方それでいくのか?」

男っぽい話し方はするだけでストレスだと言っていたのに。

「だって……。」

「翔太、ほんにええがか? せっかく幼なじみが見つかったんじゃ。わしのことは構わんでも。」

「いえ、俺が手伝いたいんです。」

なるほど。こいつ龍馬さんの傍に居たいだけだな?
この時代に「乙女系」なんぞ認可されるわけがない。
そんな必死に男言葉を喋ってまで一緒に居たいってことか。

「龍馬さん。」

「ん?」

「俺、Caroline Charonplop Kanata pamyupamyu と言います。目立つと困るんで普段はカナタで通してます。」

「長い名前じゃのう。」

龍馬さんが大きな目をさらに見開いてパチパチと瞬きをした。



(14)伝播する意志

「こいつにも本当は長い名前があるんですよ。Giza Kawayusu Shocotan Vackalcorn っていう。」

「奏音くん?」

「故郷では"ショコたん"って呼ばれてました。人前だと目立ちますが時々故郷が寂しくなると思うのでたまに呼んであげてください。」

「奏音くん……。」

翔太があんぐりと口をあける。

龍馬さんはニコニコと笑った。

「お安いご用ぜよ。人が居ない時じゃな。すまんかったなショコたん、言うてくれたら良かったのに。」

この人、何を話しても信じてくれそうだな。ちょっと他にもイタズラしたい衝動に駈られたが我慢した。

翔太に藍屋さんの経営する置屋に住んでいるから連絡したい時はそこへ、などの細かいことを伝えた。

「じゃあ、もう行くね。」

「うん、またな。」

「ショコたん、いいがか? もう少し居ても……。」

ショコたん、と呼ばれるたびに翔太は真っ赤になっている。が、止めて欲しいとは言わないので嬉しいのだろう。

「ダメですよ。一ヶ所に長く留まるのは危険です。移動しましょう。」

坂本龍馬が暗殺されるのは有名だ。暗殺される以前も命を狙われることは多々あっただろう。
あやうく殺されそうになった際、手を怪我したことも史実に残っている。

だが切羽詰まった雰囲気は微塵も感じない。つねにニコニコしていて態度が柔らかい。

この人が日本をひとつにするきっかけを作るんだよなぁ。

【日本をひとつにして、みんなで良い日本にしていこう。】

慶喜さんを思い出していた。慶喜さんは龍馬さんにとても近い考えを持っていると思う。

もし、2人が協力して日本を作ったら未来はどうなるのかな。

そんな考えが一瞬よぎったがすぐに忘れた。無理だよな、そんなん。

忘れた、はずだった。

俺も翔太も少しずつ周囲の人間の影響を受けて考えかたが大きく変わっていった。

この時は予想すらしてなかった。

まさか自分が明治維新に関わりたいと願うなんて。

命を賭けて志を叶えようとするなんて。

最初は小さな、いつでも吹き飛ばせるような灯火。

それは誰かを信じ、尊敬し、後を追いかけることで少しずつ大きくなるのだと思った。

チリチリと胸に灯がくすぶっていた。


(15)斬られた色男

夜回りをして特に目立った収穫は無く置屋に戻る帰り道、遠くに新撰組を見つけたので慌てて隠れた。

壬生狼士組は新撰組と名前を改めて浅黄色の羽織を身に纏うようになった。
権利の象徴だろうが隠れる側としては便利だ。

新撰組は表向き慶喜さんの部下にあたるが、幕府をひたすら守る彼等とは慶喜さんの考えは噛み合わず、慶喜さんが長州志士とも連絡を取り合っている事を表沙汰にするわけにはいかない。

「げ、土方だ。」

よりによって一番厄介な土方が居る。慌ただしい様子だった、俺は新撰組の内情も慶喜さんに報告するよう言われているので、携帯電話でカメラズームする。ズームすれば集音マイクで音を拾えるタイプだ。

寺に山籠りする予定だったから鞄の中には充電器と震災用の手回し発電機を入れてあった。
それが手に入った今、充電残量を気にせずに携帯電話を使える。翔太のおかげだった。

「手負いなんだ。遠くには逃げられん、近辺をくまなく探せ。」

「はいっ!」

どうやら誰かを斬ったらしい。そして探して捕まえるのだろう。

誰だ?

慶喜さんの味方なら逃がすのに協力するべきか。

どちらにしろ誰が逃げているのかは判ったほうがいい。

俺は足元をペンライトで照らしながら周囲を走り回った。

この時代の手持ち提灯は明るさが低い。夜に痕跡を見つけるのは難しい、だから俺も夜に動きまわってるわけだが。

「あった。」

小さく転々と残っている血の跡。それらが続く方へと走る。

川沿いの土手にたどり着いた。血の跡はもう無い。

川に…?

いや、夜に川に入って逃げることは無いだろう。二次災害になる。手負いなら尚更だ。

川沿いに土手を下っていくと船着き場の小屋があった。

近づいて隙間から中を覗く。居た。

上品な金持ちそうな男。格好は商人風だが醸し出す雰囲気は武士っぽい。怒ってる時の藍屋さんのようだ。

肩口を斬られたようで着物にはべったり血が付いていた。

それをなんとか手当てしようとしているのか着物を脱ごうとしている。

「旦那、ひどい怪我ですね。」

戸口に回って声をかけた。

「儲かり過ぎて逆恨みでも買いましたか? それか金貸しを渋って斬られましたか?」

新撰組は幕府を守り反幕を取り締まる存在。
のはずだが私怨から密告をされた無関係の商人や新撰組にお金を貸すのを渋った高利貸まで斬られていて、京都の人から嫌われていた。



(16)初めての指摘

いきなり戸を開けたら斬られる可能性があったので戸越しに話しかけた。土方に追われてる人だ、武器を持ってる可能性が高い。

さて、相手はどう出るだろうか。

「あんさんはこんな場所で何してはりますか?」

質問に質問で返される。正体を悟られないようにだろう。

俺を追手扱いすれば自分には追われる理由がある事を白状したも同じだ。

「藍屋さんのとこに居候してるものです、血の跡があったので怪我人が居るのではと気になって。」

「藍屋さんのとこの。医学を学んでる学士さんでっか。」

「はい。手当てしますよ。中に入ってもいいですか?」

「お願いします。」

戸を開いて中に入った。月明かりの中に浮かび上がる青年は隙間から見た時より気品がある様子が良く判る。

「着物脱がせますね。」

「へえ、えろうすんまへん、頼みます。」

着物をはだけると肩口がパックリと割れていた。ドクドクと血が流れている。

「ちょっときついですけど我慢して下さいね。血止めします。」

肩の上から脇の下にかけてギリギリときつくサラシを巻き、縛り上げた。

それから藍屋さんにもらった布袋を取り出す。

「普段から医者の勉強をしてる風の荷物を持っとき。あんさんがヘマしたら慶喜はんに迷惑や。」と言って買い与えてくれた。あの人は優しいのか意地悪なのか良く判らない行動を取るのだ。

慶喜さんに言わせると俺の事をそれなりに気に入っていて可愛がってるらしいが、ありえないと思う。
もしそうだとしても、あんな意地悪い可愛がりかたはゴメンだ。

「染みますよ。」

陶器の小瓶に入れた酒でアルコール消毒をする。色男は片目をつむって微かに笑う。

そうとう痛むはずだが。どんだけ我慢強いのか、声ひとつあげない。絶対ただの商人じゃない。

傷に効く塗り薬を傷口に当てても穏やかな表情を浮かべていた。

包帯を巻いているときだ。

「ところで聞きたいんやけど。」

「なんですか?」

なんだろう、怪しまれてるのかな。

「あんさんはどうして男の格好をしてるんどす?」

「え?」

俺は面食らった。

「何か事情があるので?」

「いえ……別に隠すつもりも無かったんですが皆男だと勘違いしてたので。」

面白いからそのままにしていたのだ。

「初めて気づかれました。よく判りましたね。」

「匂いと声で判ります。」

優秀な人だとは思う。

だが間違いなく、すけこましだ、この人。


(17)手当てのお礼

「奏音はん、今日はお座敷に顔を出しなはれ。」

「へっ?」

藍屋さんの急な申し出に変な声が出た。

え、まさか女装しろと?
いや、一応女なんだけどさ。

「うちの常連さんに桝屋さんて方がおってな。なんやあんさんに命を助けられたとかで、お礼を言いたいそうや、席を設けると。」

「ああ。」

あの後、いろいろと行動がし辛くなるので、女だという事は内密にお願いします、と頼んだら「わては女の頼みなら何でも聞きますえ。」と言っていた。
流れ的に怪我の手当ての礼って言うべきだろうと思っていたのが顔に出たのか「もちろん世話になった礼は別にさしてもらうつもりどす。」と付け足された。
あれは社交辞令では無かったのか。

昼間は慶喜さんに探るように言われていた屋敷の床下に忍びこんだ後、夜に藍屋さんに言われた通りお座敷に行く。

「奏音はん、こっちや。」

花里ちゃんが部屋まで案内してくれた。

「桝屋はんの命を助けたてホンマ?」

「怪我の手当てをしただけだよ。」

「そんでもたいしたもんやわ~。お医者様なんやね~。」

「勉強をしてるだけでまだ医者じゃないって。」

まぁ正確には医者の卵でもないのだが。俺の通っていた大学は薬科大学だ。目指してたのは医者じゃない。

しかも1期生の夏休みにタイムスリップしたから薬剤についてもかじった程度の基本知識しかない。

それでもこの時代ならなんとか通じそうではある。この身分は便利なのだ。まず誰にも警戒されないし、あちこち歩き回っても咎められない。夜に出歩いていても急病人のところからの帰りだと言えばいい。
藍屋さんはそこまで考えて周りにそう言っていたのだろうか。

「桝屋はんは大御所なんよ。えらい羽振りがええの。」

「お土産をもらったらあげるよ。」

「うち、お菓子がいい。」

「分かった。もらってくる。」

「ありがとう。」

ニコニコと手を振る花里ちゃん。あ~。可愛いなぁ。
そう考えながら「失礼します」とふすまを開けた。

「確認なんやけど。」

「はい。」

「奏音はんはおなごが好きなんどすか?」

どうやら花里ちゃんとのやり取りが聞こえていたらしい。

「違いますよ、俺は一人っ子なんで。妹が居たらあんな感じかな、とか思ってるだけです。」

「そら良かった。なびいてもらえるかもしれん。」

「桝屋さんて目の前の女は全員口説くんですか?」

「当たり前でっしゃろ。」

当たり前なのかよ。


(18)色男の正体

そもそも俺が男に間違われるのは当然なのだ。俺の身長は165cmだから未来ではそこまで高い方じゃない。
しかしこの時代でそんなにデカい女は居ない。
幼少の時期から食べてる物が違うから体格がまるで別なんである。

花里ちゃん始め置屋の女の子たちはみんな小さいし、撫で肩で華奢だ。

それに女性は教育なんて受けられなかった時代だ。文字を読める人が武家の娘など限られた身分にしか居なかったのだから。

なので体格や話し方で男だと思われる方が自然であり、声や匂いで判る方が特殊である。

だが。相席してから用意されたお膳を食べつつチラリと桝屋さんの方を窺う。

同じくお膳に手を付けてる桝屋さん、後から呼んだ置屋の女の子たちが三味線を弾いたり舞ったりしているのを眺めている。

代わる代わるお酌に来る女の子全員に優しい態度。口から出るのは歯が浮きそうな謝辞麗句。

俺の事まで女と見抜き口説こうとした、イタリア人か、あんた。

だが。

おそらくそれはフェイクだ。

箸使いがおそろしく綺麗だ。藍屋さんや慶喜さんもそうだが。

商人じゃない。位の高い人のような気がする。

女の子を交えて俺に自分がどういう商売をしているか、を聞かせた。

よくテレビの時代劇で観たな。舟に荷物を積んで運び入れる問屋。
俺は歴史に疎いが川を使って舟で流通する権利を押さえるとめちゃくちゃ儲かるらしいってのは聞いた記憶がある。

女の子たちが一通りの芸を見せ終えると桝屋さんは人払いをした。

「わては奏音はんと取り引きがしたいのや。」

「取り引き……ですか?」

「奏音はん、ほんまは異人の学士さんらしいな?」

「え。」

何故それを。いや、それも作った設定で本当は違うけど。

新撰組にはそう話した。ヤバい、桝屋さんは慶喜さんにとって敵側なのか?

「慶喜様から聞きましたんや。」

「慶喜さんから?」

慶喜様……という事は敵じゃないか。

「わては通り名は桝屋吉右衛門いいますが。ホンマの名前は古高俊太郎いいます。長州志士の密偵元締めをしとります。」

密偵がそんなに堂々と正体を明かす。それはまるで手の内は見せたから協力しろよ?という脅しにも思えた。

「奏音はん、わてらと手を組まんか。」

気品溢れる綺麗な笑顔で革命の誘いをする。

なんだかとんでもない事態にどんどん巻き込まれていっている。

が、腹の底がジワリと熱くなった。

俺、ワクワクしてるのかも。



(19)危険な密約

「わての理想は、皆で意見を出し合い、殺し合わず、仲良く過ごせる国にすることや。」

「慶喜さんと同じですね。」

「慶喜様は幕府のおひとやが敵やない。」

先程までの掴みどころのないフワフワとした雰囲気とはまるで違ってた。

真っ直ぐ射抜くような眼差し、言葉に乗った堅い決意。

「わての師匠は幕府に捕まり拷問を受けて亡くなりはった。けんど幕府を恨んだらあきまへん。恨みを繰り返していたら死人が増えるだけや。」

「慶喜さんも言ってました。長州志士にも殺し合わず、話し合いで幕府と和解を目指してる一派もあるって。」

「わてらのことや。難しおすけどな。慶喜様も抑えられんくらい幕臣は好き放題し過ぎたさかい倒幕派が増えとる。」

「慶喜さんは皆が幸せになれたら幕府は無くなってもいいと話してましたね。」

「あの御方がもっと早う将軍にならはってたら事情は変わったやろう。」

古高さんが沈黙する。庭の鹿威しが鳴ったのを合図に口を開いた。

「わての仕事は長州志士に宿や住む場所や密会の場所や必要な武器を用意することや。それを手伝ってくれとは言いまへん。奏音はんにお願いしたいのは伝達役や。」

「伝達、ですか。」

「わては表向き商人やさかい、あまり夜にうろつくのも慶喜様に近づくのも怪しまれます、けんど奏音はんなら可能や。医学を学んでる学士さんにお偉いさんが興味を持って近づくのは自然やし、夜に出歩いていても、いろいろな人に会うても不思議やない。」

それは藍屋さんの入れ知恵だ。藍屋さんも慶喜さんの部下だとは思うが、それにしては慶喜さんの扱いが酷い気がする。
実は俺の勘違いなんだろうか。藍屋さんの方が本当は偉い身分とか? 例えば朝廷の宮様とか。
……似合うな、藍屋さんの宮様姿。違和感ないぞ。

「医者の振りも奏音はんなら出来るやろう、知ってたわてが医者はホンマやないかと思うた。」

「父は文化の研究者ですが、俺は薬を研究するカレッジ……塾? ですかね、この国の言葉だと。そこに通ってましたから。医学の知識も多少は学んでました。」

「せやったら手際もいいはずや。奏音はん、わての店に時々顔を出してくれへんか。命を助けられたお礼に薬や包帯や必要なもんをあげるさかい。」

「それを口実にするわけですね?」

「せや。どうやろう? 危険な仕事やし、無理やろか?」

ここまで誠意を見せられて断ったら男がすたる。俺は女だが。

「やります。」


(20)逃走・疾走

古高さんとの会話を慶喜さんに報告すると

「俺としてもそれは助かるけど……奏音はいいのかい? かなり危険が増すよ?」

と物憂げな顔をされた。

「父は忍びの文化に興味を持ってましたから。次期将軍様の裏稼業手伝いなんて、とても良い土産話になります。」

からかうように笑って言ってみる。

「止めてよ、それ~。俺はそんなつもりないってば。」

藍屋さんが慶喜さんに意地悪を言いたくなるのが判った気がする。

なんか可愛い人だ、慶喜さん。

俺は慶喜さんの仕事の他に古高さんの店に顔を出し薬や道具を譲ってもらうついでに古高さんの依頼で何刻に何処の茶屋、あるいは宿屋、古着屋、などに現れる何模様の着物を来た人へこういう伝言を頼む、と伝達役を引き受けた。

そしてそれを逐一慶喜さんに報告した。

古高さん一派と慶喜さんで協力して戦が起きないように、殺し合わず話し合いで仲良く出来るように目指しているのが伝える内容からよく解る。
俺はこの仕事に生き甲斐を感じ始めていた。

その日の仕事を終え置屋への帰途、物陰から人影が現れた。

「カナタ=パミュパミュに相違ないな?」

土方だった。新撰組にはそう呼ばれてるのか、俺は。適当に言ってた名前がすごい独り歩きを。

「新撰組の土方歳三だ。」

いや、知ってるよ?

「貴様を斬る!」

……はあっ!?

月明かりに刀身が光り輝く。ズザザッと間合いを詰めるべく土方が向かってくるのを走って逃げた、逃げたが、刀抜いてる奴に背中向けるの超恐ぇ。

逃げながら叫ぶ。

「なんでお前が俺を斬るんだよ!? お前も慶喜さんの部下だろ!?」

危険がある仕事だとは知っていたが、相手は攘夷の過激派か、薩摩藩だと思っていた。

新撰組は慶喜さんの考えとは噛み合わない部分もあって厄介だから会わないように避けていたが、命を狙われるのは想定外だ。

「俺が従うのは殿だけだ。会津公は幕府に忠義を貫く。慶喜殿が幕府の為に動くなら俺は慶喜殿にも従おう。
だがお前は慶喜殿の幕府に良くない行動に手を貸している。お前を斬れば慶喜殿の行動を抑えられるんだ。」

走りながら息も切らさず冷静に説明する。マズイ、こいつ体力が段違いだ。
俺は足は遅くないがスタミナは無いんだよ。
追い付かれて斬られたら……この時代の医療では無理だ、間違いなく死ぬだろう。

なんとか振り切らないと。

俺は必死で走り続けた。



(21)赤い閃光

「はっ、はぁっ、くっ、きっつ」

シュタシュタシュタと乱れの無い足音が背後から迫ってくる。

マジかよ、お前、草鞋の癖になんでそんな早いんだよ!?

俺はスニーカーだ。古高さんのつてで見た目は草鞋っぽく見えるように細工した。

俺は障害物が沢山置いてある材木問屋の庭に逃げ込む。ここなら間合いを取れば刀を降り下ろされることはない、ただし、振り切って逃げるのも無理だが。

いずれにしろ、このまま体力切れで背中を斬られたら確実に死ぬ。

ならば説得をしよう。

「待ってくれ。話を聞いてくれ。」

土方は刀を構えたまま首をコキッと鳴らし言う。

「武士の情けだ。辞世の句ぐらい聞いてやる。」

詠めねえよ、ってか殺すなよ。

「あんたは慶喜さんの行動が正しいとは考えないのか? 今の幕府に何の不満も感じないのかよ? 外国の言いなりになって長州を弾圧する事に何の意義がある。」

「考えなど無い。」

「……は?」

「阿呆の考え休むに似たりだ。たいした識も無い輩が全員、自分の考えなどを持って好き勝手に動いたところで何になる。

幕府が何年、戦の無い平和を保ったと思ってるんだ。それを異国が攻めてくるだの悪戯に民の心を惑わし暴動を起こす、それを取り締まるのが弾圧だと?

ふざけるな、何の罪もない民を巻き込んで死人を多く出して何が思想だ、革命だ、慶喜殿は優秀だが甘過ぎるんだ、惑わされている。俺は貴様に恨みは無いが、不貞浪士と慶喜殿を繋ぐのが貴様なら斬る!

それが俺の仕事だ、考えなど無い。君主の理想に付き従う、それが武士だ。」

俺は歴史を知っている。外国を知っている。植民地の悲惨さを知っている。

だから明治維新は正しかったと思える。

だが未来を知らない人間が維新志士をテロリストのように扱う事の何を俺に責められる?

幕府を必死に守るこの男を間違っている、と言う権利が俺にあるか?

俺は多分、土方の真摯さが嫌いじゃない。だからと言って、はい、そうですか、と命を差し出すのはゴメンだ。

けど、逃げられない。

回り込まれ追い込まれ、刀が振り上げられた。

ガキン、という音と共に視界が赤く染まる。

スゲーな一太刀で骨まで達するのかよ。

だが痛みは無い。

目の前で赤い布が揺らめく。それは俺の前に立ち、土方の刀を受けた男の纏った着物だった。

「得物も持たぬ小僧を追いかけ回し斬りつける奴が武士を語るな、反吐が出る。」


(22)既知の存在

「貴様何奴だ。」

間合いを測って土方が刀を構え直す。

「生憎、年端も行かねえガキを斬る輩に語る名は持ち合わせてないな。」

土方は俺を斬る理由は話さない。慶喜さんの内情をバラす気はないのだろう。秘密裏に斬る為に機会を伺っていたのだと思う。

「去れ。去らねば斬るぞ。」

「ふっ、貴様ごときに俺は斬れん。」

赤い着流しを羽織った背中だけでも筋肉が鋼のようだと見てとれる。

低くて色気のある声色。慶喜さんや藍屋さんや古高さんとは違って上品さは無いが、粗野な男の魅力がある。
顔はこちらからは判らない、突如ピンチに現れて「こどもたちは俺が守る!」的なことを言う謎の人、つまり……

幕末戦隊レッド!!

……いや、ふざけたこと考えてる場合じゃないだろ、俺。

赤い人がヒュッと音を立て前進し身を屈めて間合いに入ると刀身を一気に振り上げる。土方は数歩後退りつつそれを刀で受けた。

キンキンガキンッと刀身をぶつけ合う。うわ、速ぇ。刀って重いだろうに。なんなんだこいつら。なんでそんな軽々とぶんぶん振り回せるんだよ。

「ほお、だいぶ腕が立つな。半端者ではなさそうだ、何ゆえガキを斬ろうとする?」

「貴様に語るつもりはない。」

「ああ、そうかい。だがガキにずいぶん走らされたようだな。その足取りでは俺には勝てまい。引くのも武士ぞ? 俺は目の前でガキが殺されるのは嫌なだけでね。貴公の命には興味が無いんだが。」

「ふっ、同じく俺も貴公を斬る理由は無いな。」

……あれ、なにその少年ジャンプ的な展開?

闘って理解りあう男同士みたいな?

土方が刀を鞘に納める。

「ここは退こう。運が良かったな、カナタ=パミュパミュ。次は必ず殺す。首を洗って待っていろ。」

嫌だよ、全力で避けるっちゅうに。

赤い人が振り返る。短く刈り込まれた髪、切れ長の目が妖艶に弧を描く。

「お前、いくつだ? なんであんな大物に命を狙われる羽目にあってた?」

正直に答えていいんだろうか。いざ答えたらこの赤い人も敵で斬られたりして。

年令と表向きの仮の身分なら平気か。

「19歳です。」

「19だと? てっきり15~6だと。」

それは女だからです、たぶん。

「奏音と言います。藍屋さんの店に居候しながら医学を学んでいます。」

「なに、お前が、奏音だったのか!?」

え。知ってんの?

もしかしてまたピンチに!?


(23)故郷への想い

「古高が新しく雇った密偵はずいぶん使えると小五郎が話していたんだ。」

「桂さんのお仲間でしたか。」

安心した。ならば敵ではない。

「文(ふみ)が要らないらしいな、一言一句間違わずに覚えて伝言すると聞いたぞ。」

「記憶力だけは小さい頃から良いので。」

「しかし、異国のもので夜の密偵が得意と聞いていた奏音がこんなに華奢な奴だとは思ってなかったぞ。」

「危うく死ぬ所でした、ありがとうございます。」

「おい、待て。お前が奏音という事は、あいつはまさか、」

「新撰組の土方です。」

「なんだと!? それを早く言えば殺したものを!」

赤い人が顔を歪ませていきりたつ。なんだか短気な人だ。

「密偵が初対面の人に内情を明かすわけないでしょう。」

「……それもそうだな。ハッハッハ」

怒っていたかと思えば豪快に笑う。

「俺は高杉晋作だ。」

桂さんの知り合いだと言われてから予期した通りの名乗り。

「藍屋に住んでいるのだったな。送ってやる。土方が居るかもしれん。」

「ありがとうございます。」

「奏音、俺は今、藩内の敵から逃れるために京に潜伏している。だから、お前の傍に堂々とは並べないが。」

まっすぐに見下ろされる眼差しに俺はとても安心していた。

「窓に吹き流しを垂らせ。黄色が北、白が東、青が西、赤が南、だ。京のどの方角で仕事をしているか出掛ける前に印を置いていけ。
遊女が片さないように藍屋にも話しておくといい。俺は潜伏していて暇を持て余しているからな、お前の近くでお前を守ってやる。」

「なんでそんなに親切にしてくれるんですか?」

やっぱり幕末戦隊レッドなのかな。

高杉さんはニヤリとしてゴツゴツした大きな手でぐりぐりと俺の頭を撫でる、ちょっと痛い。

「郷里に残した弟に似ている。最後に会ったのがちょうどお前くらいの背丈だ。」

「弟……。」

「兄弟姉妹は居るのか?」

「いえ、一人っ子です。最後に会ったって……。」

「うん?」

「まるでもう会えないみたいですね。」

「会えないからな。」

「え?」

「言ったろう。藩内にも敵が居るのだ俺は。迷惑が及ばないよう家族の縁を切ってもらったのだ。」

「もう、会えない……。」

不意に寂しさが襲ってきた。

なんだこれ? しんどい。

命の危険にさらされたから?

そこから緊張が解けたから?

俺も会えない。家族には、もう二度と。


(24)想えば繋がる

どうやらタイムスリップしたらしいと解ってから、戻れることはまず無いだろうと判断した。
翔太となんとか生きて行こうと考えて、なのに何故か密偵なんかやり始めて、それが意外に楽しくて。
毎日いろいろな人に会い仕事をこなしてる間は忘れられていた。

友人にも家族にも、もう二度と会えない。

「どうした? 父は長崎に居るのではなかったか? そう聞いたんだが。」

「いえ、父は長崎には居ません。」

自分で作った設定を守れずに感情のまま吐露する。

「異国か?」

「いえ、もっと遠い所です。」

遥か彼方だ。

「亡くなったのか?」

黙って首を振る。「生まれてもいないです」なんて言えるわけなかった。

ポンポンと頭を優しく叩かれる。

「奏音、誇りに思っていいぞ。」

「誇りに?」

「そうだ、世の中には兄弟で殺し合うやつも居る。」

うつむいていた顔をあげると高杉さんが片眉を上げて笑う。

「お前は父を尊敬し愛していたのだな、お前の父もお前を大事にしていた、違うか?」

「ちがいません。」

父は鉱物学の研究者だ。小さい頃からずっと父の背中を見てきて俺も何かを研究できるような職に付きたいと願った。

「ならばお前の父もお前に会えなくて寂しい顔をしているだろうな。」

「そう、思います。」

「もう会えないのは、覆せんのだろう? 可能性があるのに諦める奴には見えないからな。」

「はい。」

「積み重ねは消えない。」

「え?」

「出会いが無ければ別れは無い。お前は別れが辛いからという理由で誰とも出会わない道を選ぶか?」

「……いいえ。」

「ならば寂しいと思えることを誇りに思え。父はお前を大切にした。その積み重ねがお前を寂しい気持ちにさせるのだ、それは愛された証だろう、寂しいかもしれないが。

……哀しくはない。そうだろう?」

ボタボタッと涙が落ちた。

「高杉さんも家族に会えなくて寂しいですか?」

「当たり前だ。たとえ二度と会えなくても、お互いが寂しいと感じるならば、繋がってる。どんなに遠くても。」

「うっ、ううっ」

この時代に来て初めて、俺はガキのように泣きじゃくった。

「今日から俺がお前の兄になってやろう。一人っ子なんだろう? 兄が居たら良いと考えたことはないか?」

そんなん何度考えたか判らない。

ガキの頃の理想の兄は戦隊ヒーローのレッドだった。

俺、夢叶ったじゃん。ヒーローの兄貴が出来たよ。


(25)潜伏計画

「暗殺計画?」

慶喜さんは眉間にシワを浮かせた。揚屋で慶喜さんと古高さんと俺の3人で報告し合う場で、俺は新撰組の近藤派(土方たちだ)が計画している芹沢暗殺計画が具体化してきていることを慶喜さんに言ったのだ。

「酔わせて、一緒に居る遊女ごと斬るつもりのようですね。」

「酷いことを。相変わらず野蛮やな。」

慶喜さんの手前、怒りは抑えながらも古高さんが唇を噛む。

「参ったなぁ。どうしてそう過激なんだろうね、彼等は。」

「慶喜さんのことを裏切り者扱いするくちさがない人も一部居ますね。」

古高さんが薄ら笑いを浮かべ

「こんな立派な御仁を上に持ちながら、何を言うてるんやか。」

と言ったあと、表情を暗くして言葉を繋げる。

「巻き込まれるおなごは可哀想やが、放っておいてよろしい案件やないですか、新撰組が京の人にますます嫌われるだけや。」

「いえ、俺は今回の件を利用できると考えてます。」

「利用?」

2人が声を揃えて俺を見る。

「新撰組も一枚岩じゃありません、芹沢の暗殺理由も好き放題暴れまわる芹沢をこう判断したからです、曰く、"武士の名折れ"だと。」

新撰組は元々、会津の殿に忠誠を誓ってる集団だ。

朝廷での長州藩勢力を奪う為に八月十八日の政変を起こした薩摩藩が会津藩と組んだのも、
会津藩の忠誠と礼儀正しさ、統制の取れた行列の美しさを帝が気に入っていて、京都守護に会津を任命したからだった。

会津の殿を哀しませてはいけない、それが根底にありながらも
京都の民に変装しながら潜伏を続ける攘夷派を根絶やしにするのが急務として、
嫌われようが怪しい者は全て斬る、それが今の彼等の方針だった。

「変装して新撰組に紛れ込みましょう、暗殺は夜間でしょうし、派で敵味方が判らず混乱するはず。」

「紛れてどうするんだい?」

「遊女を逃がします。」

「それがなんになるんや、奏音はん。」

「噂を流すんです、理不尽に民に暴行していた芹沢派は粛清され、穏健派・良識派の近藤が仕切ると。遊女を逃がしたのを近藤の指示だと広めましょう、これで町民は巻き込まれないと先に広めてしまい、英雄扱いするんです。」

「新撰組の評判を上げるんかいな?」

「会津武士の性格を利用します、嫌われてるから自由に動けたんです。」

「それは言えるね、壬生浪士組だった頃の彼等はもっと過激だったから。」

「なるほど、民には手を出さないという枷を作れば、」

「俺らは安全に動きやすくなるし、慶喜さんの心労が減りますよ。」

「狙いは解ったけどさ、」

「誰がやるんどすか?」

問題はそこだ。1人は俺がやるつもりだけど。

古高さんたちにやらせるわけにはいかない、顔が割れてないのだから。慶喜さんはもちろんダメだし。

新撰組に顔が割れていて、万が一捕まっても慶喜さんが助けることが出来て、新撰組の内情も良く知っていて、俺のことも良く知っていて、機転がきいて、おそらく強い人と言ったら、

いや、しかし、頼むの恐ぇなぁ。

慶喜さんが気付いたのだろう、厳しかった表情を緩め、軽薄に笑う。くそ、絶対面白がってんだろ。

「1人しか居ないよねぇ?」

「慶喜さんから頼んでもらうわけには…」

「頼み事は自分でしないとね?」

「…はい。」

どうしよう、どんな危険な密偵より恐いんだが。


(26)修行!?

どうしてこんな事になってしまったんだろう。

「パミュパミュさん、もっと脇をしめて!」

新撰組の屯所で俺は手習いに来た子どもに混じって沖田総司から剣術の指導を受けている。

「刀を払われたら下を向いちゃダメですよ、太刀筋を見るのは、まだ無理でしょうけど下を向くよりは相手を見てください。」

竹刀で打ち合いながらアドバイスを受ける。これはけっこう楽しい。

だがこのあとに土方たちに混じって昼食を共にしなきゃならないのがひたすら憂鬱だ。

昨日、藍屋さんに芹沢暗殺計画に紛れて潜入し情報操作を一緒にしてほしいと依頼したら、

「よろしおす、やりまひょ。」

とあっさり返事が返ってきて、俺は思わず

「へっ!?」

と変な声を出した。

「なんやの、その顔は。」

「いえ、てっきり計画を止められるかと。」

「無謀な計画やったら、止めます。せやけど新撰組が踏み込む前に遊女を助ければええんやろ?」

「はい。」

「芹沢はんと良く居る子ぉは花里の友だちや、斬られたら泣くやろう。」

え、そうだったのか。それは尚更助けないと。でもそうか、花里ちゃんの為か。

「藍屋さんて、置屋の女の子には優しいですよね。」

「まるで、わてが他には優しく無いような言い方やんなぁ?」

優しくないじゃないか、特に俺や慶喜さんに。慶喜さんは「あれは愛情表現なんだよ。」と言っているがほんとか? 騙されてないか。

「素性が知れないうえに物を知っとるから警戒してたんや、堪忍え。」

不意に柔らかい声になり頭を、ポンポンと叩かれる。

「わてが着いていくさかい、安心し、この間みたいな恐い目には合わせへん。」

俺が土方に殺されかかった日のことだ。高杉さんが助けてくれて、わんわん泣きはらした俺を置屋まで送ってくれた。高杉さんから事情を聞いて藍屋さんは珍しく顔色を変えて驚いていたっけ。

そして思い起こすと藍屋さんはあの日以来、俺が夜に出歩く仕事の時は、外出せずに必ず置屋で待っていてくれた気がする。

"愛情表現なんだよ"

いや、判りにくいよ。

「さて、やると決まったら、準備せな。奏音はん、行こか。」

「え?」

「新撰組の屯所に行きますえ。」

「はい?」

今から!?

なんでだよ!

行く途中に藍屋さんは説明をしてくれた。遊女を逃がしたのが新撰組ではないと悟られては情報操作は難しい。やるなら踏み込む直前に逃がさなければならない。
その為には決行の日時と場所を正確に察知しなければならないから、潜入活動に限ると。なるほど、そらそうだな、さすが先輩。でも潜入ってどうやって?

屯所を藍屋さんと2人で訪ねると近藤さんが出迎えてくれた。通された座敷には土方も座っているが無表情だ。表向きは味方側だからだろう。

「藍屋さんが訪ねてくるとは珍しいね。どうしたんだい?」

近藤さんが温和な雰囲気で尋ねる。

「これを納めておくれやす。」

藍屋さんは、青紫の刺繍が入った風呂敷包の箱を畳の上に滑らせた。

なんか時代劇でスゲー観た光景なんですけど。お代官様、これを、ってやつだ。

案の定なかには小判が入っている。

「藍屋さん? これはいったい、」

「新撰組は資金難だと聞きましたんや、どうぞ納めておくれやす。」

「いや、しかし、」

恐縮する近藤さんに、藍屋さんは続ける。

「もちろん、ただとは言いまへん。商売人ですさかい、」

藍屋さんはにっこり笑う。

「頼みたいことがありますのや。」

「なんでしょう、出来ることなら伺いましょう。」

「ここにおる奏音はんに、剣術を仕込んで頂けないやろか。」

えええっ、潜入って、そんな、真っ正面からでいいの!?



(27)金で解決

「剣術ですか、しかし、奏音君は医者志望の学士さんと聞きましたが。」

「へえ。そうでおます。なのに何故か殺されかけたことがおましてなぁ。」

藍屋さんは憂いた顔でため息をついた。

いやいやいや!
なに、言ってんの!?
すぐそこに、土方居るって!

「最初は、慶喜はんからの預かりもんやから、なんら役に立たんでただ飯食わすのも我慢や、なんて思てましたんや。それが奏音はんの薬はえろう評判が良くてな、常連さんがたに贔屓にしてもらえるようになったんどす。」

薬は、古高さんに仕入れてもらった材料や京の山から採取してきた植物を調合して自作している。
この時代の医者は情報が足りないのだ。凡例をあまり診ていないから、正確な診断が出来ない。だから、俺でも医者で通じるのだ。

「ほんに、未来の名医を殺そうとするなんて、どこの阿呆の仕業やろうか。」

無反応だった土方の眉がぴくりと動く。恐ぇ、恐ぇってば!

事情を知らない近藤さんは、

「命を救う医者を狙うとは許せませんな。」

とうなずき返していた。いや、犯人、あんたの右腕だよ。

「せやから、新撰組に剣術を教えてもらいに通わせたら、護身術も身につくやろうし、ここにおったら安全やし、あんさんらは夜回りもしはってるやろう? 奏音はんは急病人を視に夜出歩くことが多いさかい、怪しい輩にからまれとったら守ってくれまへんか。」

「なるほど。」

「これはそのいろいろな頼みのお礼どす、どうやろか?」

新撰組に限らず武士はだいたい金に困ってる。喉から手が出るほど欲しいだろう。

俺を殺そうとしているのは土方の独断で新撰組の総意じゃない。

近藤さんからのお達しがあれば逆らうわけにはいかない。

藍屋さんはそれを解って、この駆け引きを選んだのだ。

うん、たしかにさ、巧い手だとは思うよ?

俺の命は保証されるし、密偵が堂々と出来るし、かなり正確な情報も手に入る。

だけど、俺の心労は考えてないよね?

土方の近くに居るだけで思い出して恐いのに。

慶喜さんの言う通り、俺は藍屋さんに後輩として、信頼もされてるし、可愛がってくれてるんだとは理解した。

でも、この人の愛情は、癖がありすぎだよ、慶喜さん。

屯所から、置屋への帰り道、藍屋さんは満足気な表情で言った。

「うまいこといきましたなぁ。」

「土方、めちゃくちゃ藍屋さんのこと睨んでましたけどね……」

「奏音はん、明日からおきばりやす。」

頑張れない。多分、スゲーきつい。


(28)投薬

憂鬱な時間の始まりだ。

藍屋さんはなるべく長い時間新撰組と居た方がいいから、という理由で、近藤さんにみっちり稽古してほしいと頼んだから、午前も午後も稽古である。

それは、わりと楽しい。沖田総司はいつもニコニコしていて余計な詮索だとか嫌味だとかは言わないし、故郷の事を詳しく聞かれたら哀しい顔を作って、もう会えないかもしれない…と押し黙れば気を使って聞いてこなくなったから。
不思議な人だ。命令を受ければ容赦なく誰でも斬ると他の隊士に聞いたが、いつも近所の子どもたちに囲まれている様子は教育番組のお兄さんのようなのに。

問題は昼飯時とその後の昼休憩だ。 新撰組は町見回りを当番制で決めているようで、真面目な沖田総司は非番の時と、夜回りの時に稽古をつけてくれた。それには土方がセットで付いてくるのだ。なんなんだ、あんたら出来てるのかよ?

それでもやはり藍屋さんの作戦は正しい。町見回り中に遠くから集音マイクを使うより、屯所で過ごす方が遥かに多くの情報を盗み聞き出来た。

暗殺は、総仕舞(揚屋の全ての遊女が駆り出される貸切状態で行う宴会のようなものらしい)の後に、篭屋で遊女と共に宿屋に送ってから行うというのが確定のようだ。

情報を得たからと退散するのは怪しいので潜伏はしばらく続けなきゃならない。

「パミュパミュさん、飲みこみが速いですね。」

昼休憩の時に沖田総司が呟く。どうやら新撰組の中で、噛まずにパミュパミュと発音出来るのが彼だけのようで自慢気な顔で呼ぶのだ、子どもか、あんたは。

武術は経験が無いのだけど運動神経は悪いほうじゃないから、毎日毎日、人斬りのプロに習ってたら、ちょっとは上達するのだろう。

「護身術くらいにはなりましたかね?」

「相手が武士じゃなければ充分ですよ。」

いや、あんたの相方に狙われてるんだけどな。

「ただ身体が細いですね。もっと沢山食べて肉を付けないと。」

「付かない体質なんですよね。」

というか、女だから、これ以上付かないな、多分。

「人のこと言えるか、細いのはお前もだろうが。」

「好き嫌いばかりしてるからだ。」

他の隊士たちがからかって笑うのに

「そんなことはいいじゃないですか。」

と口を尖らせて言い返すとまた笑われていた。最年少だから末っ子のように可愛がられているのだろう。

「だが、真面目な話、お前がよく調子を崩すのは好き嫌いが多いからじゃないのか。」

「パミパム君に診てもらえばいいだろう、稽古をつけてるんだから。」

「ダメですよ。稽古の代金はお釣りが出るほど頂いたでしょう。」

「別に構いませんよ、俺は医者じゃなく見習いですから。」

歴史上、沖田総司は労咳で命を落とす。現代でいう結核だ。

結核を治療するのは未来でも難しい。不治の病ではないし対処療法すれば死ぬことはないが、一度かかったら根治には何年もかかるし、3種類ある薬をどれが効くか検査しながら半年は飲み続けなければならないし、効かないこともある。予防接種で予防は出来るが、この時代では不可能だ。

それでも未来の人間は、そもそも結核に感染しにくい。子どもの時から充分に栄養が足りているから免疫力が強いのだ。

この時代では効率的な栄養接種をして免疫力をあげる。それくらいしか出来ない。

「病気になりにくい薬ならありますよ。」

「おお、」

「ただし、めちゃくちゃ苦いですけどね。」

ニヤリと笑って挑発する、たぶん、その方が飲むだろう。

「苦いなら、総司には無理なんじゃないか。」

隊士たちが笑うと、案の定

「そんなことないです!」

とむきになった。

「やめろ、総司。」

ずっと黙っていた土方が低い声で割ってはいった。

「得体の知れない奴から、口に入れるものをもらうもんじゃねえよ。」


(29)悪人じゃない

沖田総司が一瞬固まり、他の隊士たちが押し黙った。

沖田総司が

「パミュパミュさん、飲みます、ください。」

と、手を差し出す。

「総司、」

「いや、でも、」

土方の咎める声と、俺の戸惑いの声が重なる。

「確かに、パミュパミュさんは得体が知れないかもしれません。もしかしたら敵かもしれない。」

「だったら、」

土方の言葉を遮って続けた。

「敵だとしても、この人は悪人じゃない、目を見たら判るでしょう、薬と偽って毒なんて飲ませる人じゃありません。」

尚も手を差し出し、よこせ、という身振りに、おずおずと、袂から薬小瓶を取り出して渡すと、沖田総司は躊躇いなく、蓋を外してグイっと一気にあおった。

「はは、ほんとだ、すごく苦いや。」

とニッコリ笑う。

「俺が敵だったらどうするんですか。」

「その時は斬ります。」

迷いなく笑顔で言い切った。

「その薬、毎日、飲まないと効果出ませんよ?」

「えええっ!?」

「やっぱり、今、斬りますか?」

ニヤリと笑って冗談を口にすると他の隊士たちがどっと笑って

「総司ならやりかねん。」

「人参を食べさせましたね? 斬ります!」

と、声真似をする者に沖田総司は、顔を真っ赤にして

「そんなことしませんよ!」

と言い返していた。

俺は考えを改めるべきだ。沖田総司は一見子どもっぽいが本当は誰より大人なのかもしれない。

こういう集団を和ませる道化役は人を斬る仕事をする彼等にとって救いになるはずた。内部に入るとよく解る。

人斬りを楽しんでる悪人なんて居ない。芹沢は、その悪人だった。刀を新調すると、試し斬りだと言って夜回り中に何もしてない通行人を斬るような奴だ。

この彼等の為にも。

計画は成功させよう、彼等を名誉ある英雄にしよう、そう思えた。

土方が部屋を退出するのを横目で見ていた俺は後を追いかけることにした。沖田総司や他の隊士が気遣わし気な目をするのに「平気です。」と言い残し、稽古場に向かう。

土方は座禅を組んで瞑想していた。

「あの、」

反応はない。

「あの、本当に、あれは、薬です。体を壊しやすいと、大きな病にもかかりやすくなります。たとえば、労咳、とか。」

ぴくりと、肩が少しだけ動いた。

「なので毎日、作って持ってきます、俺は確かに、素性は怪しいかもしれないのは自覚してます、けど薬は、嘘じゃない、だから、」

「だまれ。」

「うっ、」

ドスのきいた声にびくつく。

「俺に、それ以上、話しかけるな。」

「敵だから、ですか。」

「俺は総司とは違う。」

相容れないということか。

「敵かもしれない奴と仲良くなんかなりたかねえ。」

……。

それは、もしかして、

仲良くなったら、迷いが出て斬れなくなるという意味だろうか。

「慶喜さんの理想はそれです。みんなで、仲良くして、誰とも斬り合わない世の中にすること。」

考えなどない、と語ったのは嘘だ。土方は迷っている。

考えなどなく、君主に従うのみ、それを実践出来てるのが沖田総司で、だから強い。

刀に迷いがないから。土方は沖田総司のようになりたいのかもしれない。

「そんな甘い夢が叶うわけねえだろう。」

「叶えてみせますよ、貴方を味方にして。」

「俺は、」

「会津公を味方にします。」

ニヤリと笑って言いのけた。

「そうすれば味方でしょう?」

土方は意表をつかれて呆けた。やがて口角を少しだけ持ち上げて微笑む。

「出来るものなら、やってみやがれ。」

こいつの、笑った顔をもっと見てみたい、何故か俺はそんな風に思っていて、それまであった土方への恐怖は消えていたのだ。


(30)作戦決行

ものすごく違和感がある。俺は、ついつい横目で覗いてしまう。

「なんやの、奏音はん、チラチラとしてからに。」

「あ、いえ。」

「わてに、武士の格好は似合わないとか思ってるんやろう。」

「いや、逆です。」

「逆?」

「なんでそんなに似合うのかな、と。」

「へえ。そら、おおきに。」

慶喜さんの計らいで新撰組の隊服を入手し、芹沢を乗せた篭屋の到着を待っている。
新撰組は篭屋が到着してから、半刻(約1時間)で、踏み込むと言っていた。

篭屋到着後、見張りの隊士が宿屋の外で待機するから、その隊士を気絶させ、見張り役を藍屋さんが演じる。

俺は、その間に芹沢のもとから、遊女だけを救いだすのだ。

作戦を立てたのは藍屋さんで、俺が「気絶させるってどうやって?」と尋ねると、藍屋さんは意地悪い笑顔で「心配せんでもよろし。」としか言わなかった。

「でも、藍屋さんは新撰組に顔を知られてますよね? 見張りを替わって大丈夫でしょうか?」

「見張り役は、下っ端がやることや、見覚えがない、いうたかて斬り込み直前に出所を確認なんかせえへんやろ。」

「見覚えはあるじゃないですか。」

「今のわてが藍屋に見えますか?」

「……見えませんね。」

新撰組の隊服を身に纏い、腰には刀を差している。いつもは無造作に跳ねている髪は椿油で撫で付けて、オールバックになっている。まるで別人だ。

慶喜さんが次期将軍なのだから、おそらく藍屋さんも武家の人なのだろうとは思う。

いったい何者なんだろう。作戦を目の前にしてるのに気になって仕方がなかった。

「話し方でばれませんかね。」

「訛りは使い分けるよって平気や。」

「そんなことできるんですか。」

他意もなく驚くと、

「日本語をそこまで達者に使うあんさんには敵いまへんが。」

と、嫌味を言われた。最近解ってきたのだが、これは疑ってるのではなく、からかっているらしい、愛情表現なのだ、慶喜さんに言わせれば。屈折し過ぎて角が刺さって痛い愛情表現だけどな!

なんだか緊張感のない対話を交わしているうちに芹沢を乗せた篭屋が現れた。

篭屋は3組。遊女が2人、後ろの篭から降りてきて、泥酔した芹沢を左右で抱えるようにして宿屋に入っていく。

間もなく、向かいの店の路地裏に新撰組の見張りが立った。どこかに潜伏していたのだろう。

「行くで、奏音はん。」

「はい。」

遠回りをして路地裏の後ろからそっと見張りの背後に近付いた、と思ったら、

シュビシ!っと音がして、見張りが崩れ落ちた。藍屋さんが手刀で気絶させたのだ。マジかよ、あんた忍者か?

口をあんぐり開けて立ち尽くす俺を振り返り、

「心配いらん言うたやろ?」

と笑う。

「もう、危険な目にはあわせへんから安心し。」

ポンポンと頭を叩かれる仕草に顔が赤くなる、あれ、なんだこれ。

ヤバい、俺、慶喜さんのこと、どうこう言えないかも。この解りにくい不器用な愛情表現にだんだんハマりつつある。暗がりで良かった、こんな表情見られたら、ますます意地悪が加速しそうだ。

「さて、あんさんはどうするおつもりや、遊女だけを逃がすて、難儀やないか?」

俺は、照れを誤魔化すように強気に言った。

「こっちも、心配は要りませんよ。」

藍屋さんは一瞬驚きを浮かべたが、

「ほな、お手並み拝見といきまひょ。」

と、優雅に微笑んだ。


(31)脱出

藍屋さんを見張りに残し、俺は正面から宿屋に入る。宿屋の主人はあからさまにビクビクと怯えながら、

「こりゃ、新撰組の旦那はん、お泊まりでっか?」

と聞いてくるのに、人差し指を口にあて「声を落としていただけますか?」と伝えると、丁寧な言葉使いと、俺の、男にしたら華奢な見た目に少し落ち着いたようだった。

「頼みがあってきました。これ迷惑料です、もらってください。」

「え?」

「うちの芹沢がよく泊まっていますよね、かなり迷惑をかけてるでしょう。」

酔って暴れまわるから、調度品を壊されまくってしんどいと、主人が愚痴っていたのは調査済みだ。

「今宵、芹沢を始末します。」

「ほんまでっか?」

「壊れたものは弁償しますので、ご協力いただきたい、京を護りに江戸から参りましたが、京の方々に迷惑をかけて申し訳ない、昔はあんなかたではなかったんです。」

「へえ、わては店が元通りになるなら、かまいまへん。」

「ありがとうございます。あとから本隊が来ます、他のかたが巻き込まれないよう、ご主人も一緒に逃げていただいてよろしいか。」

「それは、ええですが、芹沢はんと一緒の女たちはどうなるので?」

「俺が逃がします。」

主人と一緒に他の宿泊客を逃がし、主人にも出ていってもらうと、俺は芹沢たち以外無人になった宿屋で隊服を脱ぎ、長襦袢(白い、着物の下に着る下着)だけになって紐で結わえた髪を下ろす、つまり女装した。

タイムスリップ時、ショートカットだった髪はまだ肩までしか伸びていなかったから、すぐに女だと判るように胸をはだけさせる。

そして、芹沢の部屋に忍び込む。芹沢は酔いつぶれて熟睡していた、良かった、やってる最中だったらどうしようかと思っていたのだ。

女装は起きていたときの保険だった。それともうひとつ。

「起きておくれやす、逃げまひょ。」

隣の布団に眠っていた遊女2人の肩を揺すって耳打ちする、男の姿だったら叫ばれていただろう。

「あんさん、誰? なんで逃げなあかんの?」

小声で聞いてくる彼女たちに

「説明はあとや、ついてきて。」

と、まずは別の離れた部屋に連れ出す。

「今から新撰組が来て、斬りあいになるんよ、一緒におったら殺されてまうわ。」

「ほんま?」

2人は青ざめた顔でお互いを抱き合う。震えが来たのだろう。

別の部屋に置いてあった隊服に着替えると

「あんさん、女やのに新撰組なん?」

と聞かれたのに笑って、

「いんや。これは変装。わてはあんさんらと同業や。だから助けに来たんよ。新撰組に雇われた間者やから、わてに会うたことは内緒な。」

と頼んで外にでる。遊女は職業柄、同業者との繋がりが深い。環境が特殊だから同業者としか辛さを分かちあえないのだ。

恋敵にならない限りは仲好しなのである。

「言わへん、約束や。」

2人はにっこり笑って付いてきてくれた。

そして、

藍屋さんのもとに連れていった途端、

「おっとこまえやなぁ、旦那はん。今度うちの店に来てぇな、うちと遊ぼ。」

「抜け駆けすなや、なぁ、旦那はん、うちのほうが、可愛らしいやろ? こんな子やなくてうちにしとこ?」

「なんやて? あんたのほうが可愛らしいわけあるかいな。」

恋敵にならない限りは、仲好しなのである。

藍屋さんは表向きにっこり笑って、小声で俺に尋ねた。

「こんなやかましいの、どうやって連れ出したんや、奏音はん。」

……まぐれです、たぶん。

芹沢が起きてなくて、本当に良かった。俺はこっそりとため息をついた。


(32)情報戦

新撰組の暗殺についての噂話はまたたくまに広まった。

もともと近藤さんたちの派は穏健派と言われていたから、近藤さんが主導権を握る新撰組の評判は徐々にあがっていった。

その噂のなかに、新撰組隊士にめちゃくちゃな男前が居るらしいというのがあって屯所周りに町娘が集まって、ニヤニヤしてしまう隊士たちに土方が怒っているだとか、
新撰組の隊士の中に女が混じっているらしいという噂のせいで沖田さんが脱がされそうになって、本気で刀を抜いて「殺しますよ?」とにっこり笑っていただとかがあったが気にしない、俺のせいじゃない、はずだ。
屯所でその光景を見た時には笑っちまったが。

「動きやすくなったのはいいが、奴等の評判があがったのは気に入らんな。」

高杉さんが呟く。

「あげとかないといけないんです。」

「何故だ? 動きやすくなる以外に利点でもあるのか?」

「はい。力の均衡を操って目的を達成したいんで。」

「ふ~ん、どうやら俺の弟分はかなりの策士とみえる。」

高杉さんに付いてきてもらったのはさすがに俺ひとりでは危険すぎるからだった、捕まるわけにはいかないのだ。何があっても逃げ切らなきゃならない。

ここ数日、中川宮の屋敷を偵察している。見張りは何人か、死角はあるか、警備の薄い時間帯はないか、見張りの交代はどうやって行っているのかを覚えていく。

近所の木に登って身を隠しつつ高杉さんと話ながらそれを見ているのだ、もし捕まりそうになったら後方を守ってもらい、逃げる為に。

「しかし、遊女を救うなんて面白そうな話に何故俺を誘わないんだ。」

「高杉さんは新撰組の隊服なんて着てくれないでしょう。」

「当たり前だ、誰が着るか。」

「だいたい、新撰組に会ったら殺すとか言いそうだし。」

「まあ、そうだな。でも今回は俺が要るんだな?」

「はい。高杉さんにしか似合わなさそうですから。」

ニヤニヤ笑う俺に

「何をたくらんでるんだ。」

と言いつつ高杉さんも笑う。

「しかし、中川宮の幽閉を言い出す奴等は何人も居たが、本気で実行に移そうとするとはな。」

「それが最も有効な策だからです。」

長州が京を出入り禁止になった政治クーデター八月十八日の政変で長州びいきの公家が追い落とされてしまった。
薩摩びいきの中川宮を幽閉出来れば、慶喜さんや、古高さんの仕える有栖川宮さまの力で長州弾圧を止めることが出来る。
俺はそこから更にパワーバランスを調整してやりたいことがあるのだが、それにはまず誘拐を成功させなきゃならなかった。

「策はあります、たぶん、この見張りならなんとかなりそうだ。」

「そうか? 拐ったら騒ぐだろうし、人を抱えて逃げるのは大変だぞ?」

「なんか、やったことあるみたいな言い方ですね。」

「まあな。」

「女を抱えて亭主から逃げでもしましたか。」

「まあな。」

「拐ったりなんかしませんよ。」

「なに?」

「誘き寄せるんです、拐うのは無理でも、本人が抜け出すのは、この見張りなら出来ます。」

高杉さんはいたずらっぽく笑って言った。

「奏音、そんな面白いこと、絶対に俺も混ぜろよ?」

ここからは情報戦だ。より多くの人手が要る。今後の為に、俺は多くの人間に信用されなきゃならない、やってやる、もう慶喜さんの影響だけじゃない、古高さん、高杉さん、新撰組、藍屋さん、長州藩のみんな。

多くの人に出会い、話して、俺は自分のやりたいことが出来た。

「話し合いの場が要ります、高杉さんが信用できる仲間は全員集めてもらえますか。」

「おう、任せろ。」

ほんと、頼りになるな、この兄貴。

さて、俺も気合い入れるぞ。グッと拳を握りしめた。


(33)ドリームチーム

その会談は慶喜さんの財力で、高級料亭を貸し切って行われた。

さすがに長州は外国と交戦中の為、そこまで多く、京には呼べなかった、すまん。と高杉さんは謝っていたけれど、充分過ぎる。高杉さんと同じ吉田松陰さんの弟子、久坂玄端さんと吉田稔麿さんを連れてきてくれたのだ。長州藩の3秀だ、この人たちを説得出来れば、長州は動かせる。

そこに会津側から慶喜さんと藍屋さん、宮様に繋がりがある古高さん、土佐藩から龍馬さんと翔太にも文を出して、来てもらった。

俺はまず中川宮の幽閉計画を話して、成功すれば、朝廷の長州弾圧は無くせるだろうことを伝えた。

久坂さんと稔麿さんが食い付いてくれた。朝廷が味方してくれたら、外国と交戦する力になってくれるはずだ、と。

「今日は、その先の話をする為に集まって頂いたんです。」

「先……?」

「高杉さん、久坂さん、吉田さんに言っておきます、有栖川宮さまの力で朝廷での長州の威力が復活した場合、薩摩と会津に復讐する気なら、俺はあなた方とは手を切ります。」

「なんだと?」

久坂さんと稔麿さんの顔色が変わる。高杉さんは静かな表情で俺を見ていた。やっぱいいな、俺のヒーロー。勇気づけられて、言葉を繋げる。

「あなた方の目的はなんですか? 俺はそれの確認をしたい。俺は慶喜さんの部下です。そうなったのは偶然だけど、ここまで付いてきたのは慶喜さんの理想に感銘を受けたからです、尊敬している、心から。」

慶喜さんがちょっと照れたように目を反らした。それを藍屋さんがさも面白そうにニヤニヤと眺めていて、ちょっと笑いそうになる、いや、耐えろ、俺。今はシリアスモードで頑張れ。

「みんなで仲良く政治をしよう、その為には幕府は無くなっても構わない。幕府側の人間、しかもお偉いさんなのに、こんな事を言い出す人が他に居ますか? 古高さんは慶喜さんと同じ事を言っていた。みんなが等しく意見を出し合い、弾圧も拷問もされない政治、それが理想だと。龍馬さんもです。日本をひとつにする、そうでなければ外国に食い潰されるだけだと。」

龍馬さんはにっこり笑って「そうじゃ。」と頷いた。

「高杉さんは日本を外国の植民地にしてはならない、と常々話してます。優先事項はどちらですか? 薩摩への復讐か、外国への対抗か。」

「聞くまでもないだろう。久坂殿、吉田殿、こいつが桂に似ていると話した俺の気持ちが解っただろう?」

ニヤリと笑って、どうだ、俺の自慢の弟は、みたいな雰囲気を醸し出されるのにちょっと照れる、まったく、人間って生き物はめんどくさい。真面目に話しててもちょいちょい雑念が入るのだ。

「久坂さん、吉田さん、個人の感情抜きに考えてみてください、中川宮が堕ちたら薩摩の政治威力も堕ちる、もしそこに長州が和解を申し込んだらどうなりますか? 俺は薩摩藩を良く知りません、御二人の予想はどうです?」

「意地を張って受けないか、応じるかは五分五分でしょうね。」

久坂さんが神妙な顔で口にすると、

「五分五分! 奏音、それはかなり高い確率ぜよ。わしは何度も絶対無理じゃ、言われとるき。」

と龍馬さんが興奮して言った。龍馬さんは日本をひとつにする為に、薩摩藩と長州を和解させようとしているのだ。

「今回の幽閉が成功したら、和解交渉は引続き龍馬さんにお願いしたいです。」

「おう、任された!」

「久坂さん、吉田さん。俺の目的は薩摩藩、長州藩、土佐藩、会津藩で連合をくみ、イギリスやアメリカの艦艇を沈めることです。叩き潰して思い知らせます、簡単に制圧出来る小さな島国なんかじゃないと。二度と植民地にしようなどと思わせないような強い日本を作る、それが俺の理想です。」

「俺はお前を支持する。」

即答で高杉さんが表明した。

「新撰組や、薩摩藩と仲良くするなんざ、本当ならごめん被りたいが、背に腹は変えられん。」

龍馬さんや、古高さん、慶喜さん、藍屋さんが、久坂さんと吉田さんを見つめる。

しばらくの沈黙を挟んで、吉田さんが口を開いた。

「参りました、相手が大きすぎる。」

「外国を叩き潰す、ですか。こんな大きな理想聞いたことがない。」

久坂さんが半ば呆れ顔で続けた。

「だが、紛い物や、ほら話には聞こえまい?」

高杉さんがニヤリと笑う。

慶喜さんが言った。

「俺はここに居る人間が一同に集まっただけでも信じられないよ。はっきり言っていい? 最強じゃない? この顔ぶれ。」

「何にも負ける気がしまへんな。」

古高さんが上品に微笑む。藍屋さんが扇子をパチンと叩き言う。

「奏音はん、」

「はい?」

「幽閉の策をもう少し詰めて話しまひょか。」

「はい!」

これからやらなきゃならないことは山積みだ、だが、このメンバーなら行ける、俺は最高の同志を手に入れた。


(34)誘拐の支度

「すごいね、化けたね~。」

「藍屋さんの飾り付けが巧いんですよね~。」

ちょっと頭が重い。髪の毛が短いので、いつもの医者風の髷結いは出来ても、遊女の髪型にするのは長さが足りなくて、藍屋さんが髪飾りを駆使してそれっぽくしてくれたのだ。

中川宮を幽閉する。それは長州藩でも話にあがることはあったが、現実的ではない、と却下されてきた。

確かに屋敷から拐うのは無理だ。狙うなら1人で外に居るところ。平安時代から貴族のたしなみと言えば夜這いだ。中川宮も若い頃は屋敷をこっそりと抜け出し女の元へ通ったことがあっただろう。

妻が居ても、若くなくても、抜け出して遊女に会いに行きたくなる状況、それをなんとかして作り出さなきゃならない。

そして、情報操作をした。遊女の幽霊が現れる、男にしなだれかかって誘うらしい、船に誘い込むらしい、実際、ことに及んだ奴が自慢してた、いわく、業物だ、と。

つまり、めちゃくちゃ気持ち良かった、と。

そんな噂が宮に届いたとしても、興味本意で護衛も付けず抜け出してくるとは思えない。

だから1回目は護衛付きでいい。護衛もろとも目撃者にさせるのだ。噂は本当だったと。あとは網にかかるかは賭けだった。

その為に、ここ数日、遊女の格好で夜な夜な町を歩いている。

その支度をしているところに慶喜さんが見学に来たのだ。

「藍屋さんが面白がって毎日いろんな着物を着せられてますよ。」

「相手は卿でっせ。太夫が着るような豪勢な格好にせんと網にはかからん。」

「そうかなぁ?」

藍屋さんに顎を持ち上げられ唇に紅を引かれる。

「喋りなはんな、はみ出すやろ。」

目で頷いて、塗りやすいように口を真一文字にした。

「なんか、気のせい? 2人、仲良くなってない?」

「奏音はん、妬かれましたえ。」

「俺じゃないでしょう、俺に藍屋さんを取られたみたいに思ってるんですよ、きっと。」

「ほうか、可愛らしい人やなぁ、慶喜はん。」

「どっちにも妬いてない!」

「心配しなくても、俺は慶喜さんの忠実な部下ですよ、尊敬しています。」

「わてもや、慶喜はんは、わての誇りや、宝や。」

「だから、それも止めて!」

そう言いながらも顔を真っ赤にして口元は弛んでいる。からかい半分でも思ってることは俺も藍屋さんも事実だから。

慶喜さんを真っ正面から誉めると反応が面白い。藍屋さんはそれに気付いて、嫌味ではなく誉めちぎって遊ぶことにしたらしい、俺と組んで2人で誉めまくる、それが藍屋さんのマイブームなのだ。

「慶喜さん。」

「なに!?」

また遊ばれるのかと警戒されている、ちょっと笑いそうになるのを堪えて伝えた。

「俺、最初にここに来た頃、いろんなものを諦めて冷めてました。」

未来に帰れる可能性は絶望的で、誰も信頼出来る人も居なくて、翔太ともはぐれて、未来に居た頃の将来の夢とか、家族や付き合ってた恋人とか、全部一気に奪われて。

それでも死にたくはなかったから、ひとまず毎日を生き延びよう、取り戻せないものを考えて泣き続けても仕方がない、そんな開き直りで耐えていた。

けど、けど、今は。

毎日が楽しい。ここに来て良かった、と。そんな風に思えるほどに。毎日が楽しくて仕方がない。

「素性の怪しい俺を受け入れてくれてありがとうございます、仕事を与えてくれてありがとうございます、俺を信じて頼ってくれてありがとうございます、俺に生き甲斐と仲間を与えてくれたのは貴方です。約束します、俺は絶対に貴方を裏切ったりしない。貴方の理想を叶える為に。死ぬまで付いていきます。」

ぐっと腹に力を込めて、深々と頭を下げた。

俺はこの人に会って初めて【尊敬】って言葉を実感した。

「奏音はん、そんな男らしい挨拶、その格好でしたらあかん。ひとつも色気がないやないか。」

「ふふ、そうでした、すみません。」

思わず笑ってしまった。俺は藍屋さんの事もだいぶ解ってきた。こんな風に嫌味で話をはぐらかすってことは藍屋さんも照れているのだ。

頭はしばらく上げない、きっと慶喜さんが顔をおさえて恥ずかしがっているだろうから。

殿の名誉は守らないと。それが部下の務めだ。


(35)名男優

からん、ころんと下駄をならし、夜の京都を歩く遊女姿の幽霊。

着物の内側にペンライトを仕込んでいる。ぼんやりと青白く発光する俺はさぞかし本物の幽霊に見えたのだろう。噂を広める為とは言え、何人もの使いっぱしりの町人を

「ひいぃぃぃっ!? で、ではったぁ~!!」

と逃げさせたり怯えさせたり気絶させたりするのはちょっと心苦しい。

「笑えるほど出来がいいな。」

クックッと高杉さんが笑う。いや、まあ俺も心苦しいのは半分で、人を驚かすのはちょっと、というかかなり楽しいけども。

「中川宮が怖がりだったら失敗ですよね。」

「どうだろうな、俺なら、そんな面白そうな噂があったら見に行くがな。」

これは偶然に賭けているのだ、仕方がない、宮さま相手に正面突破など絶対に不可能だ、なら網を張るしかないのだ。

「しかし、面白いから構わんが、この役割が俺にしか似合わないとはどういうことだ。」

「だって高杉さんが一番遊び人に見えるでしょう。」

「殴るぞ。」

「痛っ、もう殴ってるじゃないですか。止めてくださいよ、高杉さんのごつい手は手加減したって痛いんですからね?」

「俺がごついんじゃなく、お前が華奢過ぎるんだ。」

「だから、女装で密偵が出来てるでしょう、便利なんですよ。」

そんな風にいつものように軽口を交わしていたときだ。

「奏音、来たぞ。」

計画に使う橋の上で、橋を渡ってこようとする中川宮が見えた。護衛を2人従えている。

高杉さんが俺の手を繋ぎ、俺は高杉さんにしなだれかかった、作戦開始だ。

「そなた、平気か? 余計な世話やもしれぬが、相手は噂の幽霊ではないかえ?」

護衛の一人が高杉さんに話しかける。

高杉さんは、今、人が居ることに気付いた、という顔で振り返った。あんた演技巧いな。

「ご忠告どうも、旦那。ですが心配ご無用、正体は知っております。俺は常連なんでね。」

「常連?」

「この橋に佇むこの女を見つけたら近づいて抱き締めてやると、この妖(あやかし)は自分を捨てた男が帰ってきたと喜ぶんです、やがて、川上から舟が来るんで乗り込む。」

「それは黄泉への誘いではないのか?」

「最初は俺もそう思いました。けど、朝になれば川下で目が覚めるだけです。何度通っても変わらない。」

護衛と中川宮が唾を飲み込む音が聞こえた。男ってしょうもないほどエロいな、幽霊とまでやりたいか。
まあ、カッコいい部分とどうしようもない部分が混在するのが男という生き物で、それが可愛かったりもする。

川上から舟がやってきた。ここらあたりの川の流通経路は古高さんの別な顔、桝屋さんの店が牛耳っている。
舟は慶喜さんが川涼みに使っている屋形船だ。
幽霊っぽさを出す為に船頭は途中で降りて川を泳いで居なくなるようにしてある。

「旦那たちも今度試したらいかがです、今日は俺が譲りませんが。それに一人で橋に来ないとこの女は現れません、ご注意を。この世の女とは、また具合が変わってたまりませんよ。」

ニヤリ、と妖艶に笑い、高杉さんは俺を抱き上げると川下の舟へと降りていく。

「あの顔みたか? あれは網にかかるぞ。」

アカデミー賞とれるよ。俺は中川宮たちにバレないようにクスクスと笑った。


(36)衝動

屋形船に乗り込んで橋の上を見上げると、中川宮たちが覗き込んでいるのが判った。

「見てますね。」

「よし、くっつけ。」

言われた通りに高杉さんの首に手をまわして抱きつくと、腰を抱かれて頬をすりよせられる。
う~ん、演技とはいえ気持ち悪くないのかな? 史実では高杉さんは女好きで男色の気は無かったはずだが。目的の為には手段を選ばないのか、もともと細かいことは気にならないのか、それとも両方いけるのか、全部ちょっとあり得そうだ。

橋が見えなくなるまで流れに乗ってくだってから屋形船の部屋に入って座ると、お酒が置いてあった。

「古高殿だな、気が利く奴だ。」

早速、手酌で飲み始め、

「美味い、高い酒だな。お前も飲むか?」

と聞く高杉さんに首を振って断る。

「なんだ、下戸なのか?」

「いえ、飲めますが遠慮します。」

高杉さんは「せっかく美味い酒なのに」と笑っていたが、俺が真剣な眼差しで見つめているのに気付いて、酒を注ぐ手を止めた。

「奏音? どうかしたか?」

「あまり、お酒を呑まず、ほどほどに出来ませんか。」

「馬鹿言え、酒と女はやめられん。」

「お願いします。」

じっと高杉さんを見つめる。

高杉さんも史実では労咳で亡くなってしまう。酒の飲み過ぎは絶対に身体に悪い。
俺は、この頼りになる兄貴に死んでほしくない、永く生きてほしい。

「少し控えて、これを飲み続けてほしいんです、苦いですけど、肝臓に効きますし、飲み過ぎにも効きます。」

お酒を多く摂取する人の為に調合した薬を差し出す。高杉さんは性格上、飲んではくれないような気がしたけどダメ元で作った。

「高杉さんは病気じゃないですし、医者が嫌いなのも知ってます、俺は見習いで医者ですらないですが、でも、あの、」

高杉さんは無言で俺の手から薬を取り上げるとクイッと酒でも飲むかのように飲み干した。

「え。」

「馬鹿だな、お前は。俺のことなど何も知らん医者の言うことなんざ聞く気はないが、お前が俺を思って作った薬を飲まないわけなかろう。」

胸がじわり、と熱くなる。

あ、ヤバイ、ダメだ、こらえろ。

そう、思ったのに。

「ありがとう、ございます。」

高杉さんを見つめて笑ってしまった、女の、表情で。

高杉さんが目を見開く。誤魔化さなきゃ、そう思うのに目を反らせない。

肩を抱かれてトサリと畳に押し倒されて、唇に吸い付かれた。久しぶりの甘い感触、男に抱かれる心地よい固さと重さに頭が痺れて抵抗出来ない。

でも、ダメだ。いや、高杉さんにされるのは嫌ではないんだが、むしろ嫌じゃないから困ってるんだが。

「あの、高杉さんは男が好きなんですか?」

必死にそれだけを絞り出して言うと、高杉さんはゆっくりと身体を離して起き上がり、俺の腕を引いて起こしながら、笑った。

「いや、そんな趣味はない、すまん、強い酒とその格好に惑わされた、何故か、さっきお前が一瞬、女に見えた、許せ、悪かった。」

まだ、女だとバレたくはない。

みんな怒ったりはしないだろう。けれど女だとバレたら危険な任務を任されることは無くなる。

背中に庇われて、守られるようになってしまう。

俺はそんなのは嫌だ。

背中を任されるようになりたい。隣に並んで歩きたい。革命を起こす為に、理想に向かって奔走したい。

だから、女としての衝動は封じなきゃならない。

そう決意して、俺はずいぶんと苦労して高杉さんの感触を忘れるように努力した。


(37)許可

うわ、なんかたぷたぷしてんなぁ。

橋の上で中川宮に抱き締められた時に最初に思ったのはそんな事だった。

毎日女装して張り込むこと数日。翌日に護衛が単独で来た時は、一緒に付いてきてくれてたのが藍屋さんで2人で笑いを堪えるのが大変だった。

やっと本命が釣りあがった、あとは舟に乗せたらいい。幽霊っぽい台詞を吐きながら舟の中へと誘う。

お酒をお酌して飲ませる。俺が調合した酒だ。純度をあげまくって、麻酔薬に近い成分にしてある。口にしたら5分ほどで意識を失うはずだ。

だが中川宮はよほど我慢できなかったのか単純に溜まってたのか知らないがすぐに押し倒されてキスされた。

マジかよ、お前貴族なんだから、もうちょい雅に和歌とか詠めよ、詠まれても理解らないが。

この間の高杉さんとしたキスと似たような状況。あの時は気持ちよかったなぁ、と不意に高杉さんの鋼のように固い身体とか目に入った鎖骨とか色気たっぷりの眼差しとか脚を撫でた綺麗な指とかを一瞬で思い起こして、ヤバイ、忘れろっての。と首を振る。

あ、しまった。ラリかけで頭振っちまった。落ちる。

中川宮から口移しでもらった麻酔薬のせいで、俺は意識を失った。

……目が覚めるともう舟の中ではなかった。見覚えのある天井。高そうな掛軸と壺。あぁ、古高さんの店か。川から直接乗り入れられるもんな。

「目ぇ覚めましたか?」

「いえ、まだクラクラします、すぐにまた寝そう。」

「ゆっくり休みなはれ。」

「そんでなんで膝枕されてんですか、俺は。」

「奏音はんが言ってたやないか。気絶したら頭を高くして寝かせるようにて。」

「膝枕しろとは言ってません。」

花魁の髪飾りは全部取り外してくれたようだ。着物も脱がされていつもの医者服になっている。

「古高さんが脱がせたんですか。」

「ええ、役得でした。」

「良かった、じゃあ、誰にも知られていないですね。」

「つまらんなぁ、ひとつも動揺しいひん、奏音はんはわてには露ほども興味がないようや。」

「俺は相手がどうこうじゃなく、美辞麗句や口説き文句に興味が無いだけですよ。」

その人の生きざまとか想いとか熱い語りとかに惹かれる。

「俺が女だと見抜いていたのに、手を組もうと言われた時が嬉しかったです。俺は口説かれるより、慶喜さんと真剣に政治の話をしてる時の古高さんに目を奪われます、興味ないなんて、ないですよ。好きです。」

「そんな事言うたら、寝てるあいまに襲ってまうよ?」

「いいですよ。」

目を見開く古高さんにクスクスと笑ってしまう。

「冗談でっか?」

「いえ、本気です。古高さんだけじゃなくて、高杉さんにも慶喜さんにも藍屋さんにも。俺はとっくに全部許してますから。」

「どういう意味でっか?」

「心を、許してます。信頼してる、甘えてる、頼ってる。だから、こんな色気のない俺なんかでいいなら、」

目をパチパチさせる古高さんにニヤリと笑って言い切った。

「身体くらい、いつでもあげます。」

「嫌や、そんなら絶対手ぇだしまへん。」

「節度がないから、ですか?」

「わてひとりが欲しい言うてくれるまで口説きます。」

「古高さん、女の趣味悪いですよ。」

「難しいお人や、あんさんは。褒めても嬉しくないなら、どうやって口説いたらええんやら。」

「褒めるところが違えば喜びますよ。」

まぶたが重くなってきた。頭がぼうっとする。

「幽閉、うまく行ったんですよね? これで有栖川宮様が動けますか?」

古高さんは、褒めるってそこか、と合点がいった顔をして頷いた。

「ようやってくれました。お疲れさん。あとはわてに任せとくれやす。」

それを聞いて安心した。俺は体を反転させて古高さんの腰に抱きつく。

「奏音はん!?なにを?」

「ちょっと中和を。」

別にショックを受けるようなピュアな育ちはしてないのだけど、中川宮のたぷたぷした体の感触と臭い息の記憶は気分が悪いから消しておきたい。

「あ~いい匂いがする、爺宮とは違いますね。」

「奏音はん、匂いかいだりとか、やめっ、」

「古高さんが迂闊なんですよ。」

「え?」

「絶対、手をださない、とか言っちゃうから。そんなん俺の性格上、面白がって遊ぶに決まってるでしょう。」

古高さんは頭を抱えてつぶやいた。

「はよ、気ぃ失って。」

俺は笑いながら心地よい眠りに落ちた。


(38)伝言

中川宮の幽閉は成功した。護衛が目撃した情報が噂になるのを止めることが出来ず、遊女の幽霊に黄泉の世界に連れていかれてしまった、と京都中の騒ぎになった。

長州勢の仕業ではないのか、と疑うものもいたが、長州藩のどこに遊女の振りが出来る男が居るのだ、と反論された。
何人もの町人たちに俺はわざと目撃されていたから、あれは間違いなく女だ、男の変装ではない、たとえ変装だとして、あの青白い光はなんと説明する、
あれは本物の幽霊だったとする説がもっとも有力だった。

中川宮が消え、薩摩藩の島津の意向は帝に届かなくなり、有栖川宮様の働きで八月十八日の政変で卿落ちしていた公家たちが戻されると長州勢は一気に形勢逆転した。

京都への出入禁止は解除され、新撰組に狙われることもなくなった。

土佐藩と龍馬さんの働き、長州藩3秀が、薩摩藩への復讐を唱える派を説得し、なだめ、時間をかけて、薩摩藩と長州で協力し、外国の艦艇を追い払おう、と説き伏せる。もともと薩摩藩も外国に攻められ酷い目にあっている。目的は同じなのだ、協力しない意義はない。

龍馬さんからの文でもう少しでなんとかなりそうだ、と知らせがあった。翔太も駆けずり回って説得工作に参加しているようだ。

だが、もう片方は苦戦していた。

「くそ、頭が堅すぎる!」

藍屋さんが浮かない顔で俺に首を横に振った。どうやら今日も成果は芳しくなかったようだ。

「ああいうのを老害って言うんだろうね。」

ダン!と拳を畳に打ち付けて、慶喜さんは珍しく憤慨を隠せずに居た。

徳川幕府も参戦し、薩摩藩、長州藩、土佐藩とともに日本海に駐留している外国船を追い払おうという慶喜さんの提案に、
幕府は外国と同盟を結んでいる、長州が外国を受け入れずに勝手に反抗しているのが悪いのだ、幕府が軍など出したら、外国は江戸にも攻めてくるではないか、と言われているのだ。

「自分たちが良ければそれでいいのか、そんな態度を取り続けてきた結果が倒幕運動を加速させたんだ!」

「慶喜はん……」

悔しかった。

長州藩が出入禁止を許されたいま、薩摩藩と長州藩の同盟には龍馬さんや高杉さんたちが懸命に動き、朝廷側は有栖川宮様が調整し、幕府側は慶喜さんが動くのが一番良い。

俺に出来ることはなにひとつない。

俺はただ、みんなの無事と成果を祈りながら、せめて自分に出来ることはしようと、新撰組の屯所に剣術の稽古で通い、
毎日、京都の町中を回って診察をし、薬を調合して届ける仕事を続けていた。

そんな日々がしばらく続いた頃、いつものように古高さんの店に通おうと道を歩いていた時だ。

古高さんの店の方から、店の女の子が血相を変えて走ってきた。

「奏音はん!良かった、行き違いにならんで。」

「どうかしたんですか?」

ただ事じゃない雰囲気に嫌な予感がした。

「旦那はんが新撰組に連れていかれました!」

ゾワリと身体が震えた。

「……え?」

「番頭はんが密告したんや! 大量にある武器保持で反幕の罪で連れていく言うてた!」

「そんな……」

「奏音はん、旦那はんからの伝言や。逃げておくれやす。」

「他には?」

「それだけや、ただ、逃げておくれやす、と伝えてくれとしか言われんかった。」

…………。

……ふざけるな、俺に。

頼みがあると、手を組もうと、言ったくせに、いまさら、いまさら、何を、

俺は、あんたの伝令役を引き受けたんだぞ。

「……誰が逃げるか、ふざけんなよ。」


(39)正直者

「お願いがあります。」

店の女の子に頭を下げる。

「うちに出来ることならなんでも。」

「藍屋さんに伝えてください。【赤い荷物を届けてください】これだけでいいです。新撰組が張り込んでいて、貴女に尋問したら、正直に俺にそう伝えろと言われたと話してください。貴女が桝屋さんの女中だと新撰組は判っている。下手に嘘はつかないで。正直に言えば、解放されるはずだから。」

「あい、必ず伝えます。」

暗号だ。こういう時の為に決めてある。俺と高杉さんの待ち合わせの場所は俺の部屋の窓に垂らす吹き流しの色で決まる。赤は南。藍屋さんに伝えれば藍屋さんが窓に吹き流しを垂らしてくれるはずだ。

荷物を届けてくださいは、そのままの意味だ。密偵に必要な道具は普段は持ち歩かず天井裏に隠してある、それを届けてくださいという意味。もちろん藍屋さんが動いたらあとを尾けられるだろう。

運ぶのは、

「奏音はん、無事で良かった!」

花里ちゃんだ。俺は揚屋の客として花里ちゃんに会いに来た。

「荷物持ってきたで。」

「ありがとう、助かった。」

花里ちゃんが目に涙をためて言う。

「うち、やっぱり新撰組が嫌いや! なんなん? 奏音はん、沖田はんに毎日、薬作って届けてたやない! 仲良うしとったやんか!? 急に店に来て、奏音はんを差し出せて、言うてきたんよ、隠しだてすれば容赦しないとか、何様のつもりや!」

「……利用されてるんだ。」

「利用て、なに!?」

「新撰組は会津武士なんだ。殿様に忠誠を誓う。絶対に裏切らない。だから、幕府からの命令は聞くしかないんだ、親でも兄弟でも斬れと命じられたら斬る。」

「そんなん幕府が阿呆やったら、ダメやない、正直に言うこと聞く方が馬鹿や!」

「俺はそうは思わない。」

「なんでよ!?」

「正直ものが馬鹿を見る世の中はクソだ。正直ものは悪くない、正直ものを騙す奴が悪い、騙されるほうが馬鹿なんて言ったらダメだよ、花里ちゃん。」

「ううっ、そんなん言うて、奏音はん、奏音はんはどうなるん?」

「なんとかする。」

ぽすぽすと頭を撫でて宥める。会えて良かった。自分の為に真剣に怒って泣いてくれる存在のなんと心強いことか。

「もう行かないと。見つかるわけにはいかないから。」

「気ぃつけてな? 奏音はん、絶対死んだらあかんよ?」

「うん。必ず帰るよ。」

揚屋を後にする。その後数日間、俺は橋の下や神社や空き小屋を渡り歩いて野宿した。日中は噂をかき集める。古高さんは新撰組の屯所に捕らえられたまま、拷問を受けているらしい。拷問を担当しているのは、土方だった。

藍屋さんが文で高杉さんたちに知らせてくれたはずだ。俺は京の南で高杉さんからの合図を待った。

方角を指定するのは俺。待ち合わせ場所は高杉さんが決める。それがいつものやり方だった。

そして、合図があり長州から帰ってきた高杉さんたちと、合流した。


(40)死なせない

「あと少しで、同盟が上手く行くというときに!」

久坂さんが拳を壁に打ち付けた。

神社床下の地下室に集まった。追われた時の隠れ家として、古高さんが作ったものだ。

「何故、いま、古高殿が捕らえられたのだ?」

吉田さんが苦々しく呟くのに高杉さんが返す。

「薩摩藩との同盟が現実見を帯びて来たから、だろうな。幕府が慌ててるんだろう。」

俺は池田屋事件を知っている。古高さんの店から、大量の文が発見され、その中に京都の焼き討ち計画や、帝誘拐計画があったという経緯、それを新撰組が未然に防ぎ長州藩の志士たちを大量に討ち取ったという史実。

だが、文などない。

俺が全て暗記して伝えていたから。

俺は古高さんの店に一切の証拠が残らないようにしていた。

この事件に備える為に。

だが、

「拷問して、長州との繋がりを吐かせる気だろうな。」

「古高殿は喋らぬだろう。」

「ああ、絶対に口を割らない、割らないが故に、」

「死んでしまわれる。」

沈黙。ぎりぎりと、高杉さんが口を噛みしめる音が響く。

「死なせはしない、」

「ああ、人を集めるぞ、新撰組の屯所に突っ込む、あいつら、ただじゃおかない!」

「奴等に阻まれ、散った同士の積年の恨み、晴らそうぞ!」

「駄目です!」

久坂さん、吉田さん、高杉さんまでもが血走った目で俺を睨み付ける。だが負けるわけにはいかない、俺は絶対に引かない、必ず、説き伏せる。

「奏音、見損なったぞ、我が身可愛さに仲間を見捨てる気か。」

「奏音殿は、最初から、我らの同士ではないということだ、慶喜殿の部下なのだから。」

「死して不朽の見込みが、今、ありますか?」

俺は吉田松陰さんの教えを口にした。

「夢無きものに理想なし、理想無きものに計画なし、計画無きものに実行なし、実行無きものに成功なし、故に夢無きものに成功なし。」

「お前……先生の言葉まで知っているのか。」

「お訊ねします、今、あなたがたに計画はおありか?」

三人が黙る。

「俺だって気持ちは同じつもりです、今すぐ、屯所に行って叫びたい、古高さんを返せと、だけど、いま、あなたがたが死んでどうするんですか。外国の植民地になっていいんですか、今まで、必死に積み上げてきたものを無駄にしていいんですか、逆の立場になった時、あなたがたならどうする? 助けに来てほしいと思うんですか? 全てを台無しにしても、仲間が死んでも、
自分を助けに来てほしいと願うんですか?」

古高さんの伝言、俺と、みんなへの伝言。

「逃げておくれやす、古高さんは、俺にそれだけを伝えてきました。」

久坂さんが泣いている。吉田さんが俯いて床を何度も叩きつける。高杉さんは真っ赤な目で俺を見ていた。

「古高さんは助けなんて望んでません。理想の実現。それだけを望んでる。だから俺は絶対にあなたがたを死なせるわけには行かないんだ!」

「古高殿の意志と大義の為に、捨て置けと、それがお前の答えか、奏音。」

「誰がそんなことを言いましたか。」

高杉さんが目を見開き、吉田さんが顔を上げた。

「俺はあなたがたに計画はあるのか? と聞いただけです。計画が無いのなら行かせないという意味です。」

「奏音殿、まさか、」

「策があるのか?」

「あります、けど一人じゃできない、だから高杉さんたちを待っていたんです。」

「そういうことは早く言え!」

「あいたっ、殴らないでください! だいたい興奮してて聞く気無かっただろ、あんたら!」

思わず敬語を忘れて突っ込む。

高杉さんがわしゃわしゃと俺の頭を撫でる、だから痛いんだって、それ。

「策士、奏音殿、どうしたらいい? お前の指示通りに動こうぞ。」

「気持ち悪いんで高杉さんは奏音殿って呼ばないでくれますか。」

「気持ち悪いとはなんだ!失礼な奴だな!」

ハハハと久坂さんと吉田さんが笑う。

そうだ、どんな時だって笑おう。怒りに任せた愚行はマイナスしか生み出さない。

古高さんを必ず助け出す為に。必死だからこそ、クールに計画を遂行するんだ。


(41)異世界

「計画を話す前に聞いてほしいことがあります。」

俺は風呂敷包みからICレコーダーを取り出した。大学生の必須アイテム、講義を録音する為のもの。それを再生すると、今まで録りためていた高杉さんや龍馬さんたちの会話が流れ始めた。

「ひっ、」

吉田さんが思わず飛び退く。

「これは……我々の、以前の会話、ですか?」

久坂さんが目をしばたかせて訊いた。

「はい。素性がばれないよう、お互いの名前を口にしている部分は消してあります。俺が、こんな時の為に録り続けたものです。」

「これを、囮にするんだな?」

高杉さんはさすがだ、たいした度胸だと思う。まぁもっとも高杉さんの生家は裕福で、若い頃から、写真機に馴染みがあるから、機械を怖いという感覚は他の人と比べて薄いのかもしれない。

「こんなものがあるなんて、誰も思わない、だから、囮にかかります、かなりの数を引き寄せられる。けど、それだけじゃ足りない。あちこちで騒ぎを起こし攪乱してほしいんです、屯所を出来る限り手薄にしてほしい。」

「屯所には、」

「俺が行きます、内部構造に一番詳しいのは俺です。」

「しかし、見張りが多い場合どうする。」

「残るのは一人か二人ですよ。」

「何故、言い切れるんだ。」

「牢屋があるからです。しばらく無人にするくらいなら、破られないと思ってる。」

「まさか、」

「俺ならすぐにあけられることも、新撰組は知りません。」

「奏音殿、あんた、何者なんだ。」

「それを話しておこうと思いました。」

未来から来たとは言わない。もうそんなものに意味はない。俺は未来を変えるつもりだから。俺が知っている歴史情報の実現性は薄い。

「黄泉の世界とか、修羅の世界とか、この世ではない異世界があると言われているでしょう。黄泉でも修羅でも無いですが、俺は異世界から来たんです、だから、こういうものを持っているんです。」

久坂さんと吉田さんは顔をひきつらせていた、恐らく怖いのだと思う。得体の知れない存在は、きっと敵より怖いだろう。

けど、平気だ。

俺には、この人がついてる。

「お前の正体など何者でも構わん。俺の知っている奏音という奴は、ただの、機転がきく愉快ないい奴だからな。」

ニヤリと笑って

「使い方を教えろ。囮は俺がやる。」

と、俺の兄貴は言い切った。

その後、久坂さんが藍屋さんの元へと伝言に行き、慶喜さんが裏から手をまわしてくれた。京内に潜む不穏分子を捜索せよ、と命令を下してくれる。

高杉さんは池田屋に出向き、しばらく滞在したあと、レコーダーを床下に取り付け、屋根から逃げた。

その後に池田屋に長州藩士が結託し、古高さんを取り戻そうと画策していると噂を流す。

龍馬さんや龍馬さんの知り合いや翔大も京に駆けつけてくれていた。藍屋さんの指示で京のあちらこちらで攪乱をする。新撰組は走り回って、混乱し、新しい潜伏情報が届くたびに屯所に援軍要請が来た。

やがて、見張りは1人居ればいいだろうと残されたのが。

「奏音さん、こちらです。」

高杉さんたちが送り込んだ間者だった。

「ですが、鍵は土方が持っていきました。どうやって開けるんですか?」

「入り口ではなく牢屋に面した壁に案内してもらえますか、俺は牢屋の場所は知らないんです。」

「え、壁に?」

とあるブームで、馬鹿げた商品開発が進んでいたことがある。

それは万能ナイフにいくつ機能を持たせられるか、という遊び。

アメリカが販売した200以上の用途をつけた万能ナイフの商品紹介映像が深夜の通販番組で流れた時は、阿呆か、ぜったい使わないだろ、と笑ったものだ。

その中でとりわけふざけた用途が、「これで貴方も空き巣ごっこが出来る!」と壁に穴を簡単に開けられるというものだ。

防犯は指紋認証、声帯認証で行うのが通常化した未来において、壁に穴を開けるなんて、まず誰もやらない。過去の遺物となった空き巣技術を遊びで追加した万能ナイフ。

だが、この時代では、まさしく万能になる。

簡単に穴が開いた壁に、長州の間者は口をあんぐりと開けた。

俺は構わず中に走り込む。古高さんは、手首を縄で縛られ、天井から吊るされていた。

「古高さん!」

「奏……音はん?」

良かった、生きてる!

俺は駆け寄って抱きついた。


(共通ストーリー前半終了。各分岐エピソードへと続く)

艶ぼ~い(前編)

読んでいただき、ありがとうございました。

本家が恋愛シミュレーションゲームなので、この先は各キャラとの分岐エピソードになり、恋愛要素が絡んできます。

blogにて各分岐エピソード、共通ストーリー後半、各分岐エンドと連載完結済で、現在はサイドストーリーを書いています。

後編として、土方歳三さん編の分岐エピソード⇒共通ストーリー後半⇒土方歳三さん編エンディングを掲載しましたのでそちらも読んでいただければ嬉しいです。

艶ぼ~い(前編)

Amebaゲーム「艶が~る」のキャラクターを使って書いたパロディー小説です。二次創作の原作は恋愛シミュレーションゲームですが、恋愛要素はかなり薄く幕末タイムスリップアドベンチャーといった雰囲気の作品です。政治思想要素なども含まれますので、その分野が苦手なかたは避けて下さい。

  • 小説
  • 中編
  • 冒険
  • 時代・歴史
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-10-21

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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