家出

すごろく

「お前さ、なにやってんの?」
 俺が読んでいた本から顔を上げて声をかけると、須賀はパソコンに向かったまま、振り返りもせずに返事をした。
「リョナゲー」
 遠目から画面を眺めてみると、ドット絵で描かれた痴女のような格好をした少女のキャラクターが、妙にリアルな触手の化け物に腹を貫かれて苦しみもがいていた。
「何でリョナゲーやってんの?」
「リョナゲーやりたかったからやってるだけだけど」
「――そのパソコン俺のだが」
 そう言うと、須賀はちらっとだけ振り向いた。
「仕方ねえだろ。俺んちのパソコン親父専用なんだから」
「仕方なくはないだろ。お前がパソコンやるの我慢すりゃいいんだから」
「我慢できないから、わざわざお前んち来てパソコン借りてるんだが」
「――それ、他人にパソコン借りてるやつの態度か?」
「嫌なら断りゃいい。お前は断らずに俺にパソコン貸してる。別にお前からパソコン奪ってるわけでもないんだし、こういうのも友人関係じゃん。はい、この話はこれでおしまい」
 須賀は会話を一方的に打ち切ると、再びパソコンに向き直ってリョナゲーに興じ始めた。
 俺はもう一度声をかけようかとも思ったけれど、どうせ次は返事すら返さないだろうということは容易に予想がついたので、諦めて読みかけの本に視線を戻した。
 須賀にパソコンを貸すようになったのは、たぶん中学生の頃だったと思う。単純にそのときに俺が両親からパソコンを買ってもらったというだけなのだが、それを話した途端、須賀は自分に貸せとせがんできた。特に断る理由も見つからなかったので承諾したら、その日のうちにエロ系の動画サイトにアクセスし、女のキャラクターが裂かれた腹から内臓を引き摺り出されながら犯されるアニメーションを観つつ自慰行為に耽っていた。
 それから頻繁にパソコンを借りに我が家に遊びに来るようになり、毎度のごとくご覧の有り様だった。別に俺は他人の嗜好に口出しする趣味はないし、そういう性的嗜好に対しては羨望も嫌悪感もないので構わないのだが、如何せん友人の家で自分の性的嗜好を大っぴらにし、なおかつ堂々と自慰行為をする須賀の神経の図太さには、感心するやら呆れるやら、どうにも辟易するばかりなのだった。
 それでもまあ、「嫌なら断ればいい」という須賀の意見は正論で、普通はそうするのだろうけれど、俺はなんだかんだ今日も須賀にパソコンを貸しているし、たぶん次に遊びに来られたときにも貸すだろう。理由を訊かれても困る。須賀だから貸すとしか答えようがない。これがもしクラスの中の他の誰かだったなら、そもそも家にも上げていない。ではなぜ須賀が特別なのかと訊かれると、それはそれで訊かれても困るとしか答えられなかった。
「なあ、宮迫」
 しばらくして、須賀が口を開いた。俺は本から顔を上げないまま返事した。
「なに?」
「俺さ、家出しようと思うんだ」
 俺はそこで本から顔を上げた。須賀は相変わらず他人のパソコンでリョナゲーをプレイしていた。少女のキャラクターは芋虫のような怪物に丸呑みにされている。
「家出?」
「そう、家出。文字通りの家から出るやつ」
「それは知ってる。まさかその間、俺のうちに泊めろとか言うんじゃないだろうな?」
「違う違う。いくら俺でもそこまで厚かましくない」
 そうでもないぞ、と思ったが、それは何となく飲み込んでおいた。
「じゃあ何で俺にそんな話をしたんだ」
「友達に家出することを伝えるくらい普通じゃないか?」
「そうなのか?」
「知らんけど」
「知らんのか」
「知らないよ。俺、お前以外に友達いないし」
 巨大なクラゲのような生物に電撃を浴びせられてぶっ倒れる少女のキャラクター。
「別にさ、そんだけだよ。家出するってだけ」
「だからそれを俺に伝えてどうするんだよ」
「どうもしないよ。言いたかったから言っただけ」
「家出してどうするんだ?」
「それもどうにもしない。身を任せるだけ、すべてに」
「――そうか」
「あれ? 他に何かないの?」
「何かって?」
「ほら、家出の理由を訊くとか、止めるとか――」
「どっちも俺がする意味がわからないが」
「あー、お前ってさ、そうだよな、そんな感じだ、そんな感じだよな」
 須賀は笑いを堪えるような口調でそう言った。
「なんだ、その言い方? 馬鹿にしてんのか?」
「馬鹿になんかしてないよ。感心してんだ。お前は変わらないなってさ」
「お前も変わっているようには思えないが」
「まあ人間だからな、そう簡単に変われやしねえよ」
「変わりたいか?」
「全然」
 パソコン画面の中の少女のキャラクターはとうとう爆発四散し、内臓を垂れ下げているだけの肉塊になった。『ゲームオーバー』という文字がでかでかと表示された。
「あー、もう今日は帰るわ」
 須賀はようやくブラウザを閉じながら伸びをし、立ち上がった。
「今日も世話になったわ」
「ちょっと待て。家出っていつやるんだ?」
「明日」
「そりゃ随分と急だな」
「何せ今朝思いついたから」
 須賀のその言葉が何を意味しているのかはよくわからなかった。
「じゃあな」
 須賀は帰っていった。俺も普通に「じゃあな」と返して見送った。
 翌日、須賀が自殺したという報せが学校の通知で俺に届けられた。
 首吊りだったそうだ。ありふれた自殺方法だ。ドアノブを利用して首をくくったのだ。
 遺書らしきものはなかったそうだが、強いてあげるなら、幼稚園児が書いたような文字で『バーカ』とボールペンで大きく書かれたメモが一枚死体の足元に落ちていたそうだ。
 須賀の葬式には行かなかった。学校のクラスの代表者の一人が参列したそうだが、それは俺ではなかった。立候補もしなかったし、個人で参列しようとも思わなかった。
 別に須賀が死んで悲しくなかったわけではない。須賀の自殺の報せを耳にしてショックを受けなかったわけでもない。だが何となく察していた。須賀が自殺する前日、「家出する」と唐突に伝えてきたときから、こうなるのではないかという予感があった。その予感が当たったところで、俺の心はさざ波のような鬱屈が多少上下するだけだった。
 須賀が家出と称して自殺した動機はわからないし、わかったところでどうでもいい。須賀はもう死んでいる。それがすべてであり、それで終わりだった。
 俺はパソコンを立ち上げて、須賀がダウンロードしたまま消さずに放置していたリョナゲーのファイルを開く。場違いなほど明るいBGMと可愛らしいドット絵の少女、それに反比例するようにおどろおどろしい背景と敵キャラクター。
ゲームをプレイする。リョナゲーをプレイするのは初めてだった。いつも須賀がプレイしているのを見ているだけだった。内容は、どこにでもある普通のアクションゲームの類と何ら変わらなかった。主人公がダメージを受けるときに大袈裟な描写が入るだけだ。俺にはやはりこれの何に性的な興奮を覚えることができるのか理解できない。理解できないけれど、須賀はこれをプレイしていた。あまつさえ自慰までしていた。俺は知っている。俺は見ていた。背中を丸めて、猛暑のときの犬みたいに舌を垂らして、にやついた顔で自身の陰茎をまさぐる須賀の姿を。
 なぜか視界が歪んだ。頬のあたりに、ほんのりと冷たい水滴の感触が伝っていった。
 少女のキャラクターが、大男に握り締められて苦悶の表情を浮かべながら喘いでいる。

家出

家出

  • 小説
  • 掌編
  • 青年向け
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