わたしをあなたの色に染めて(Change the color)

 レモンタルトを作るのが、好きなひとだったよ。
 わたしはいつも、星型のクッキーしか作れなくって、でも、あのひとは、レモンタルトのほかにも、ハンバーグ(目玉焼きのせ)、さばの味噌煮、エビチリなんかを作って、わたしに食べさせてくれて、まるで、おかあさんみたいだって思いながら、あのひとの、おなかに、あたまをぐりぐりおしつけて甘えるのが、得意なわたしだった。
(思えば)
 わたし、というひとは、いつから、わたし、になったのかと、ふりかえれば、でも、あのひとと出逢う以前から、わたしはもう、ぼく、というにんげんを、かなぐり捨てていた。月が青白かった日に、海では、むかしむかしに滅びたという、エラスモサウルスがゆったりと泳いでいて、弟の持っていた恐竜図鑑のなかでは、スコミムスがいちばん好きだった、ぼくが、きっと、あの、何気ない夜のことだが、ぼく、から、わたし、に生まれ変わる瞬間は、蛹が蝶になる光景に似ていたし、けれど、ぼくが、わたしになったことで、蝶のように美しくなったかといえば、そうでもないように思う。からだは、凹凸なく、ずどんとしているし、顔は、りんかくが、やや丸くなったくらいか。はじめてはいたスカートの、あしが、すうすうする感覚には、なじめず、ぼく、だったときの洋服で、しかし、事足りることがわかると、少々、味気なくも感じた。
 夕陽が、遠くの山に沈んでゆくあいだに、あのひとは、さらに遠くの、遠くの北の国へ、旅立ってしまった。さいきん現れた、ソフトクリームを売り歩くペンギンの生態を、調査しに行ったのだ。アイスキャンディを売り歩くやつなら知っているけれど、と言うと、さいきん、ソフトクリームを売り歩く団体が、幅を利かせていることを、教えてくれたのだった。ペンギンにも、いろんな種類のペンギンが、いるのだから、わたしのように、ぼく、という幼体のなかで着々と育まれていた、わたしが、蛹となり、ある日、めりめりと背中を裂いて、成体(いまのわたし)となるのも、然して、おかしなことではないような気がしている。というより、気がしているつもりになって、わたしはおかしくないと、信じ込もうとしている。
(あなたならきっと、おかしくないよって、ほほえんでくれるでしょうね)
 さいきん知ったバンドの曲が、あたまからはなれないで、ときどき、口遊みながら、あのひとも好きだと言ってくれた星型のクッキーを、せっせと焼く夜は、とても長いように思える。
 永遠に続くような、終わりのない、そんな夜。
 わたしのなかで、ぼく、だった頃の意識は、いまも、断片的に残っていて、それらを繋ぎあわせたとき、ぼく、というひとりの、未完成だけれど、ひとりのにんげんが、生まれ、内側から、わたしを、引き裂くかもしれないから、だから、子どもの頃の思い出は、忘れようとしている。楽しかった学校生活も、はじめて恋をした日も。
 わたしの記憶をぬりかえるために、早く、あのひとには帰ってきて、ほしい。そして、わたし、というにんげんを、ぼく、という人格ごと、めちゃくちゃにしてほしい。ぐちゃぐちゃに。
 早く。
 早く、ね。

わたしをあなたの色に染めて(Change the color)

わたしをあなたの色に染めて(Change the color)

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-07-14

CC BY-NC-ND
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