自選歌集 2019年4~6月
僕たちが「志村うしろ」と叫んでも振り返らないあの日の背中
まだそこに慣れない犬は吠え続けくりかえし来る花冷えの夜
生まれかわる時はいったん灰になるほのかに苦い菜の花炒め
笑ってる気はするけれど顔はないふらふら揺れる風船赤い
これこそが真理ですよと胸を張る男の顔の眼の中の蟲
忘れ物取りに走ったいつまでも輪郭だけの住宅街を
駅で待つ僕を素通りして過ぎる快速電車がまとうはつ夏
贈り物受けとったあと持てあます初夏ながいながい夕方
美しい世界でしょうとうながされ笑えばまるで合成写真
売れるため並ぶ苗木がひた隠すどこまでも伸びていきたい気持ち
初めての道の先には行かないでどこにでもある珍味を買った
六月をJuneと呼べば順々に列はATMへ近づく
ハードルのわずかに上をその先へまえあしは剣あとあしは羽
初めての模型飛行機手を離れコースアウトのない空をゆく
誰が見た夢なのだろうひそひそと壊されていく絶叫マシーン
観客が誰もいなくて奇術師が帽子の中から出した僕たち
夜だけを歩いていけるコンパスを失くしてからは夜が短い
夢を見ない動物園のふくろうは月とふたりで叙事詩をつむぐ
そしていつか銀河系まで止まったら灯りをすべて消しておやすみ
それぞれの隠れ場所から空を見る生き物に降るあたたかい雨
自選歌集 2019年4~6月