夜の逃避行

あおい はる

 ゆりかごは三日月。星のランプ。
 夜の、なまえのない怪物。歩道橋から見上げる、ミッドナイトブルーの海。優雅に泳ぐ、白いクジラ。あたたかいミルクティーには、すこし不向きな、季節。
 透明な鎖が、ぼくの首に巻きついて、千切れない。
(契りたくない)あのひとと、あのまま、あのひとのそばにいたら、ぼくは、にんげんでは、なくなってしまいそうな気が、するの。
 やさしかったあのひとは、冬に消えてしまった。夏に生まれ変わった、あのひとには、もう、やさしかったあのひとの、面影も、ない。世界が、反転しても、やさしかったあのひとは、二度と、よみがえらないのか、神さま。それならば、あの冬に、時間を巻き戻して、ぼくも、あのひとといっしょに、消えてしまいたいよ。
 二十四時間営業の、コンビニ、スーパー、ファミレスが点在する、街は、いつもどこかに、灯りがともり、生きものの、息づかいが、日がのぼっているあいだよりも、鮮明に、眠らない街で、眠れないひとびとが、さびしさをまぎらわすために、たくさんの、二酸化炭素を、吐く。
 もう、あそこには、帰りたくない。
 画面の割れた、スマートフォンを、歩道橋から投げ捨てる。財布は、あのひとの部屋に置いてきてしまったけれど、大した金額は入っていないので、悔いはない。あるとすれば、いつも持ち歩いていた、文庫本。あのひとが好きだった、海外の作家の、本。せつないけれど、あたたかく、かなしいけれど、やさしい、犬と少年の、物語。冬に消えたあのひとは、好きだったのに、夏に生まれ変わったあのひとは、忌み嫌っているから、どうか、どうか、燃やされませんようにと、祈る。

(さあ、おやすみ)

 星のランプの、ひもをひっぱって。カチッ。
 三日月のベッドに揺られて、ゆらゆら、うとうと。
(あしたになったら、おわっていて、夏)

夜の逃避行

夜の逃避行

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
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CC BY-NC-ND
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