岐路

周たまき

事件については多少加工しています

数年前、友人の住む町で殺人事件があった。ある家族が襲われて、連日ニュースで報道された。
その事件からひと月ほど経ったある日、友人とランチをした。友人の子供は被害にあった家族の子供と同じ学校に通っていたから、もちろんショックは相当なものだった。
「シイが、毎日泣くのよ。シイは別のクラスだしその子と仲が良いわけでもないんだけど。事件があってから、時々夜泣きするようになってしまってね。学校に行くのも怖がっちゃって、毎日学校の送り迎えをしている。悲しいのはわかるけど…正直、この状況がいつまで続くのか不安だわ。早く乗り越えて元気になってくれたらいいんだけど」
ため息をつく友人に、なんと声をかけていいものかなと散々思案して
「思う存分悲しませてあげたほうがいいよ」
と言っておいた。
「あなたはそんなことしないだろうと思うけど、例えば泣いているときにいい加減泣きやめとか、もう一人で学校に行けとか、そういうことはしないほうが…乗り越える一番の近道だと思う」
悲しいときは悲しまないと余計つらい、と言ったら、友達はそうよね、とかそりゃ悲しいわよね、とか言ってグァバジュースを飲んだ。私もうんうんと頷いて珈琲を飲み、それ以上はその事件の話をしなかった。
感情を大切にするというのは難しい。ただ赴くままに流されると身勝手になったり、爆発させると迷惑になったり。押し殺すことでうまくいくこともあるんだから厄介。あと種類が多い。喜怒哀楽だけで四つある。それ以外に「むなしい」とか「嬉しい」とか「やるせない」とか「つらい」とか枝分けまでされると、面倒だから押し殺すことが多くなる。そのうち「諦め」に支配される。そして「つまらない」になる。
学生時代、自分の感情とうまく向き合えなかったことがある。それで色々失った。ようやく向き合おうとした時には、何から手をつけていいかわからず、余計に色々失って。再び得るまでにまた時間がかかった。

私は二十歳でうつ症状だのパニック症状だの不眠症状だのに悩まされた。原因はよくわからない。過去の積み重ねや性格や当時の状況でそうなったんだろう、と当時通院していた医者からは言われたし、私もそうだと思う。「これが最大の原因です!」というものはない。心の病気は体と違って「寝不足ですね」とか「臭い豚肉をきちんと加熱処理もせずに食べたからですよ」とか「生まれつき腎臓の機能に問題があって」というのが無い。原因さえはっきりしていたら「薬で治せる」「生活改善でなんとかできる」「どうしようもできないから諦める」といった対処法もすぐ見つけられるのに「様々な要因が重なり合った結果脳内物質の伝達がうまくいかなくなってしまったようだ」となると、「様々な要因」を調べるところから始めて、これだろうという問題を見つけたらそれに対して何が有効か、薬なのかアロマなのか運動なのか転職なのか旅行なのか睡眠なのか、ほとんど人体実験のように見つけていかないといけないから、なかなか思うように治ってくれない。しかも「心の病」などと言われてしまうとまず自分を受け入れるのが困難だから、治療に余計時間がかかることがある。私がそうだった。
調子がおかしくなってから病院に行くまでに四か月かかり、やっと行った頃には「なぜもっと早くこなかったの」と医者に怒られた。薬を飲んでもいっこうに良くならず、自傷行為が激しくなった翌年の秋に休学させられた。
半年実家にこもりきりになり、それでも病気になった自分を受け入れられない私は、回復したフリをして無理やり春から復学した。学校に行けないとまた休学させられるという不安から、友人に代返を頼んだりノートを借りたり、出欠を取る時間を見計らって数分授業に出てすぐ退室するなど工作をして単位取りに躍起になった。
就活を始めても全くうまくいかない中、バイトは少し楽しかった。
勉強ができない、一人部屋にこもっていたら頭がどんどんおかしくなる気がする中、気晴らし兼金欲しさにバイトを始めた。
何も考えずに付き合える同じ趣味を持つ仲間が多かったし、学校が違ったりフリーターの人がいたり、環境の違う仲間といるのは楽しかった。何より彼らは、私が大学でどんなに面倒な人間になっているかを知らない。レジ打ちと店内整理ができればいいから、若干記憶障害的な感じになっていた私でもこなせる。体調が悪くてシフトに入れないことがあったが、無理してでも楽しいから行きたいと思える場所だった。あと頑張れば金が入ったから頑張った。
大学二年からバイトを始め、半年休学して迷惑をかけながらも卒業まで続けた。

五年生になり、就活が始まった。
思うようにはいかなかった。SPI試験の対策授業もほとんど出席できず、SPIとはなんぞや、自己分析とはなんぞや、私のやりたいこととは何、という壊滅的な状況の中で面接やら就職説明会やらに出て、ちょこちょこ興味を持った企業にエントリーしては一次で落ちた。なぜだか二社だけ最終まで進んだものの、結局夏までやって内定はゼロだった。
期末試験もあるし、ゼミの教授の「夏休み中は募集も落ちつくから、その間にもう一度状況を整えて秋から頑張ればいい」というアドバイスもあり、とりあえず試験を乗り切ることに専念した。何しろぎりぎりの単位しか取れていなかった私は、試験を一つでも落としさえすれば留年の危機だったのだ。
目の前のことをまずはやり遂げよう、と決意して、私は勉強に励んだ。
試験前夜。
シフトに入ってなかった私は、教科書に書いてあることをひたすら繰り返し書くことでなんとか覚えようと部屋で悶々と試験勉強をしていた。
二時間ほどやったところで、疲れたからちょっと休もう、とPCを起動させた。肩が凝ったなぁと両腕を伸ばしてストレッチをしながら起動の遅いPC画面を眺めていたら、電話が鳴った。大学の友人からだった。
「テレビを見ていたらニュース速報が入った。たまきのバイト先の近くで通り魔があったようだ。たまきのバイト先の人が刺されたようだ。お前は生きているか、無事か」
という内容だった。
テレビを付けたが、ちょうどニュースが終わったところだったので、「家にいるから私は無事だよ」と伝えて電話を切った。
大したことはないだろう、腕でも軽く切られたかなと思っていたが、事態はもっと酷かった。
やっと起動したPCですぐさまヤフーニュースを開く。速報で「一人心肺停止」とあった。
シフトに入っていた仲間に片っ端から電話をしたが誰とも連絡がつかなかった。
シフトに入っていないEと電話をしながら一分置きにニュースを更新し続けた。
何分、何十分電話し続けていただろうか。ヤフーニュースが更新され、「心肺停止」が「死亡」に変わり、私たちは無言になった。
一旦電話を切り、また片っ端から電話をしていたら、やっと一人と連絡が取れ、誰が被害に遭ったか聞かされた。それは私が店で一番親しくしていたAさんだった。
再びEに電話をかけた。Aさんだと伝えるとEは絶句した。それから二人して現実逃避を図った。ヤフー嘘書いてるんじゃないか。この情報はきっと間違っている。本当は誰も怪我なんかしていない。しかしまた更新された情報ではAさんの名前が出てしまった。さらに犯人まで捕まり、テレビの深夜ニュースでばっちり報道されたから、私たちは憮然とした。
Aさんだとして、本当にAさんが被害に遭ったとして、明日どうする?と話した。とりあえず店に行ってみるか。店が開くのかどうかもわからないけども。
それから
「最後に笑っておくか」
「明日から笑えないかもしれないもんな」
まだ実感の湧かない二人で、あっはっはっはと笑った。電話を切ってすぐに寝た。眠れないかと思ったけど、朝までぐっすり眠った。目覚めると店長からメールで「本日は臨時休業します」と入っていた。
次の日、私はもちろん期末試験を受けた。勉強した甲斐あって、素晴らしいほどに回答が埋まった。
試験のあと、同じクラブの後輩に呼び出された。指定されたカフェテリアには執行役員の二人が待ちかまえていた。
「これ」
大学側からの差し入れだった。定期的にクラブや寮に、パンだのジュースだの、クリアファイルだのメモ帳だのを差し入れてくれる。奨学金を貰い、さらにバイトで生計を立てながら勉学に励む生徒が多く、この差し入れはすごくありがたいものだった。その数個のうち一つを私に、ということで、メモ帳だったかクリアファイルだったかを渡された。
「おめでとうございます!」
明るい声で祝われた瞬間、私は大声で泣いてしまった。後輩は最初にこにこしていたようだ。ところがだんだんおかしいことに気づいた。うれし泣きにしては激しいうえに全然泣き止まない。悲壮感が漂いすぎている先輩の泣き方に、おろおろし、うち一人は私を落ち着かせるために走ってジュースを買いに行ってくれたらしい。そこに、留学して私と同じく5年卒業の友人が通りがかった。彼女は前夜の「無事だ」というメーリスを受け取っていた一人で、私の状況がわかっていたから、何も知らずにおろおろするばかりの後輩に「大丈夫だよー」と声をかけ、息を切らしてジュース片手に戻ってきた後輩から私の代わりにジュースを受け取り、私をその場から連れ去ってくれた。
ベンチに座ってジュースを渡された頃には落ち着きを取り戻し、友人に感謝の意を述べ、悲しいと少し訴え、それから「もう大丈夫」と言って家に戻った。
次の日、閉店時間を早めるものの店を開くというので、シフトが入っていたから出勤した。
全従業員が、そこにはいた。
現場にいて悲惨な光景を目の当たりにしてしまった数人も、シフトに入っていないはずの社員も、異動したはずの社員も、辞めたバイトも、Aさんを知る関係者が全員、狭い事務所につまっていた。
一緒にあっはっはっはと笑いあったEが事務所の奥で号泣していた。
エプロンを付けて店長の話を聞き、黙とうを捧げて仕事を始める。
いつもより客が多かった。
どんどん人が入ってくる。
そしてうろうろして出ていく。
客は多いのに、レジに来る客は少なかった。
レジ担当だったが、あまりに暇だったので店内整理に出た。
モップ片手に整理するフリしながら商品を眺めていたら、一人の男性がやってきた。そして私に対して悔やみの言葉を述べた。はぁ、とかへぇ、とか言いながらそれを聞き、嫌な気持ちになった。男は去らずに、窓の向こうを指さした。事件のあった方向。
「あっちの方にねぇ、なんか暗い女の子の影みたいなのがずっと立ってるんですよ。きっと、その子も無念で寂しいんでしょうね」
私はどんな顔をしたか覚えていない。
「皆と一緒にもっと生きたかったでしょうねぇ」
無神経な言葉に我慢できず、事務所に戻って泣き崩れた。すぐ泣き止んでまた店内整理に戻った。
結局、その日から数日、来たのはほぼ客ではなく野次馬だった。好奇に満ちた目で店内を眺め、私たちに近づき、「この度は」と悔やみを述べて、満足して去っていった。
現場に居合わせてしまった子たちは次々とバイトを辞めていった。辞めるに辞められない私たちは「頑張るしかない」と励ましあい、バイトが終わるとファミレスで食事をして、もやもやと心にわきあがる不安や悲しみを無理やり笑顔に変えて頑張った。
当時私はタバコを吸っていたのだが
「三倍に増えたよ」
と言うと、他の喫煙者も全員「俺もだ」と答えた。
ニュースで「Aさんのバイト仲間」が「こんなことになるなんて」と記者の質問に答えていた。
「あれは誰だ」
と皆が首を傾げた。誰も知らない人物だった。
もともと不眠症状を患っていた私は、さらに眠れなくなり、さらに不安感も増し、薬の量も増えた。就活などできる状況ではなく、卒業のための最低限の単位取りとバイトに明け暮れた。
そんなある日。

病院で薬をもらった帰り道のことだ。
バスを降り、川沿いを歩いて家へ向かいながら、空を見上げた。
夕焼けがきれいだった。
もう秋で、風が少し冷たくて、川の流れる音が気持ちよかった。
少し寂しいな、と思った。
疲れたな、と思った。
Aさんに会いたいなぁ、と思った。
気づくと私は病院にいた。通院している心療内科ではなく、大学病院のベッドで点滴を受けていた。
医者から、薬を大量服薬して意識を失ったのだと聞かされた。
フラフラして道の端に座りこんだと思ったらそのまま倒れたのだそうだ。その様子を散歩していた人が見ていて、近づいたら意識がないから救急車を呼んでくれたという。私の周りには空になった薬のシートが散らばっていたらしい。
全く記憶の無い私は「へぇ」とその話を聞き、笑いながら帰った。頭が完全に壊れた瞬間だった。
すごく眠たくて、すごく愉快な気持ちだった。後輩が泊まりにきてくれたのだけど、私はずっと笑っていて、後輩はずっと心配してくれていた。
「一度休みなさい」
実家に戻るよう説得されて、ひと月だけ帰った。親は私の身をこれでもかと案じてくれた。私はすでに何が悲しいのか、何が辛いのか、時々流れる涙が何のためなのか、わからなくなっていた。事件から三か月以上経過していた。
卒業はできた。就職先も契約社員だけど決まった。でも、病気が悪化していたのでたびたび過呼吸に襲われ、わずか二か月で仕事を辞めた。
その後はパート・アルバイトを転々とし、時にニートになり、薬をまともに飲むことすらできなくなって、悲惨な二十代を送ることになった。
自殺未遂を図ったり自傷行為を繰り返したり、家出をしてみたり、大量に薬を飲んでは倒れて、摂食障害になり過食嘔吐をする。奇行を繰り返す私を家族は必死に守ってくれた。せっかく大学まで行かせたのに、壊れて帰ってきた娘をどう思っただろうか。私が私を受け入れられなかったように、家族もまた、私を受け入れるのは大変だったろうと思う。
回復しだしたのは二十代後半になってから。事件が起きてから五年の月日が経っていた。浮き沈みを繰り返して、普通の生活を送るようになれたのは三十になってだった。

あの時、ただでさえ病気で悲鳴を上げていた自分をもっと大切にできていたら、と思う。
親しい友人を失って悲しい、つらい、寂しいという気持ちそのままに、「私はもう頑張れません」と言えたら、壊れることもなかったのではないだろうか。
頑張れないのに頑張ってしまった。
大丈夫かと聞かれて大丈夫だと答えてしまった。
笑えないのに笑ってしまった。
壊れた自分を諦めてしまった。
自分が出しているサインを全て、私は無視した。押し殺しすぎたようだ。
辛いことがあったら、勇気を出して「もう嫌だ」という。「休みたい」と言う。「頑張れない」と言って「もういい」と思えるまで泣く。
受け入れて満足できたら、前を向ける。
そこに辿り着くまでに随分遠回りをしてしまった。
お陰で色々気づいたこともあるし、今はだいぶ元気になったから、糧にして今後楽しまなければ損だと思ってやりたいことをやる日々。Aさんは新しい世界で幸せになっているに違いないし、ほかのバイト仲間の子たちも幸せになっていたらいいと思う。残念ながらもうほとんど連絡を取っていない。

最近辛いこと(イケメンが退職した)があって我慢しそうになったが、「いいじゃねぇか泣いても」と愛犬を抱きしめてすごく泣いたら、心の回復が早かった。すぐに前を向けたし、なんなら辛かったことすらあっさり忘れた。「あったね、そんなこと」ばりに。
なんだか質が違う気がするが、つらいことに変わりはない。多分あそこで愛犬を抱きしめて泣かなかったら、私はいまだに「イケメンがいなくなった」とうじうじしているはずなのだ。

岐路

結末の書き方が下手くそすぎてつらい。

岐路

大学時代、心を病んだ。 友達が殺された。 ますます病んだ。 乗り越えたけど、この時期は憂鬱だ。

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