非情の代価

一 望遠鏡の価値

望遠鏡を覗くと快晴の蒼空が広がっている。
倍率を少し上げると一つの小さな洞窟が見える。西暦三千八年六月三日、私は十五歳になった誕生日プレゼントに最近流行っている超望遠鏡というものを父から買ってもらった。
超望遠鏡は自由自在に倍率を変える事が出来、四百六十億光年先にある惑星を気軽に目視出来る。この超望遠鏡の遊び方は人によって様々で、私みたいに人間を観察する者もいれば、惑星にある不思議な植物を観察する者、噂では夜の営みを観察するもの好きもいるらしい、そこまで行くとさすがに気持ち悪いけど遊び方は人によって千差万別だ。
この一見趣味の悪い遊びは大変興味深く非常に楽しいものだから中々やめられないものがある。
野蛮で知能指数の低い人間がどのように行動するのかまるで見当がつかないものだから、見ているだけでわくわくするのである。
私のお気に入りの惑星はWASP-12b。最近雑誌の特集で知ったこの惑星は私たちと似た人体構造を持った人類が今から約三百七十万年前と同じ暮らしをしているらしい。
少し異なる事と言えばこの地球に似た惑星で住んでいる人間はすべてが三つである。目が三つで足も三つ鼻も三つで、言うのは恥ずかしいけどあそこも三つ、ありとあらゆるものが三つなのである。
最初は気持ち悪いなとも思っていたが、慣れてくると何とも可愛い妙な魅力がある。私たちの住んでいる地球には目が二つ鼻が一つ口が一つの人類が生息しているが、他の惑星から見れば、これもまた非常に奇妙で気持ちの悪いものかもしれない――私みたいなモノ好きは可愛いと思ってくれるかもしれないけど。
そういえば隣のクラスにいる男の子が新しく発見した惑星の人間はすべての器官が一つだと言っていた、これだからつくづく宇宙は面白い。

二 人間の挙動

私が見ているWASP-12bに住んでいる人間を私はワスプ人と呼んでいる。ワスプ人は人間に近い形をしているが、人間とは異なる存在である――人類というより動物に近い人間と言った方が良い。ここでワスプ人の奇行を紹介するとしよう。ある日、ワスプ人の群れは狩りに出かけようとしていた。おそらくマンモスのような大型哺乳類を狩って、腹の足しにでもするつもりなのだろう。
狩りに出かける前、彼らは洞窟の中にいる女を一人殺した。
女を殺す前に一人の男性と思われるワスプ人の口は三つともすべて違う感情を示していた。真ん中にある口はつぐんだままで、左の口は少し微笑を浮かべていて、右にある口はムッとしているような、なんとも矛盾した三つの口が印象的だった。そして集団で一人の女を殴り殺し、その死体を洞窟からズリズリと引きずり出した後、火を起こした。
女の死体を火で燃やす前に、女の死体から髪の毛を三本抜き取り、その後自分たちの性器に巻き付けた。一本、二本、三本と巻き付けた後は、女を火の中に放り投げた。最初はびっくりしたけれど、これから三百七十万年過ぎた今でも似たようなことをやっている人がいる事実からすれば、そこまで驚くことでもない。
未だ人類は迷信を信じ、IQが極端に高い人を殺しその脳を食べる人がいる、そうすることで自分の脳がよくなるらしい。発達した文明でさえこのあり様なのだから、全くもって人類の愚かさと言ったら全宇宙共通なのかもしれない。
性器に髪を巻き付けたまま、喜びのダンスを踊った後、彼らはいよいよ狩りに出かけた。断っておくが、私は各々の文化を尊重はするけれども、人に物理的な害を与える、もしくは一方的な犠牲を強いる文化を嫌悪する――尊重はするけれどどうも好きにはなれないのである。性器を隠すこともなくなぜかヘソだけを葉っぱで隠している姿が何とも滑稽で笑えて来る。もっと守るに相応しい大事な所があるだろうと言いたくなるが、まったく持って隠す意味のない場所をわざわざ隠している所が何ともお馬鹿で可愛いらしい。通常、彼らは五、六人でひとチームを組み活動しているわけだが、明確に一人一人の役割が決まっている。一人は赤ん坊を担ぐ役、なぜわざわざ足手まといになる赤ん坊を連れて行くのかは後に供述する――もう一人は体格のいい所謂戦士のような人物、もう一人は戦士がマンモスと戦いやすくなるように中間に入って走り廻るおとり役、もう一人は全体を見て状況判断を下す総司令官役だ。総司令官役の性器にはたくさんの女性の髪が巻き付かれてある。これはおそらくマンモスを討伐し無事に帰ってきた証なのだろうと推測できる。残りの人物は槍を持つ倉庫係と味方が死んだり、負傷した時の補充役だ。このおよそ五、六人くらいが一チームを組んで狩りをするわけだが、この狩りの仕方がまた非常に気持ちが悪く、胸糞が悪い。
まずマンモスを発見すれば、おとり役の人が大声を発し、マンモスの注意を引き付ける。その間ただちに残りの五人でマンモスを取り囲みようやくマンモスと人間の殺し合いが始まる。次にすることと言えば、勇敢に戦うのではなく、先ほど手に抱いていた無防備な赤ちゃんを地べたに置き、マンモスから徐々に距離を取って離れる。すると興奮しているマンモスは当然赤ん坊を攻撃し、巨大な角でその身体をぶち抜き、やがて角の先には少し息の根が残った赤ん坊が背中を反らしたまま、苦しそうに悶えている。最初はなぜこんな残酷なことをするのか理解出来なかったけれど、どうやら彼らなりの理由があるらしい。マンモスの角に刺さったままの赤ん坊はクッションの役となり、マンモスの左の角はもはや人間にとって脅威でなくなる。その利点を活かし六人が徐々に距離を詰め、持ち寄った槍で一気にマンモスの目をえぐり、ズッタ刺しにして殺すのである。この微々たる利点を一つ作るために、尊い命を無下にするなどあまりにも馬鹿げてる、この三十一世紀では少なくともありえない。この野蛮で残酷な狩りはいつ見ても胸糞が悪い。
その後、討伐し横たえたマンモスの下には赤ん坊とマンモスの血が混ざり奇妙な赤褐色の水たまりが出来ている。少しも赤ん坊を気にする様子もなく、横で彼らはまた喜びのダンスとやらを踊るのである。何とも残虐で野蛮で、獣じみたこの人類の祖先は、人間の諸悪をよく表しているように思う。人間の諸悪の根源は、無意識による悪意であると言える。勿論、彼らはそういった事実を自覚することもなく、そのあと家に帰り何事もなかったようにマンモスを食べお腹いっぱいになって眠りにつくだろう。まったくもって罪悪感はないのか、もしこの姿が人類の祖先というものなら、人間はきっと呪われているに違いない。
いつから人間は罪悪感を覚えるようになったのか、こういったことを考えるのは非常に楽しく、気づくと学校の授業は終わっている。
人間は残酷だ。しかしこんな野蛮な集団もいれば、打って変わってスムーズな紳士のようなワスプ人もいる。私が密かに恋心を抱いているこのワスプ人は、群れを成す先ほどのワスプ人とは違い、いつも一人で行動している。寝る時も一人、狩りをする時も一人、寂しくないのかなと思うけどいつも同じ表情をしているからか、まるで表情が読めない。そういうポーカーフェイスな所も好きで、このワスプ人だけ特別に私が名前をつけた。
その名も、大上君。一匹狼みたいで格好いいから大上君と名付けた。大上君は他の奴らと違って頭がいい。
下らない迷信ごっこをして時間を無駄にする訳でもなく、いつも目的に向かって真っすぐ突き進む。一日中狩りの準備をする時もあれば、一日中寝て休息している場合もあり、少し気まぐれな部分も含めて何となく目が離せない存在でもある。おまけに三つある目と鼻は他の奴らとは違い均衡が取れていてとてもハンサムーーもう好き。最近はもっぱら大上君だけ観察しているのだから、学校の成績もずいぶん下がっちゃった。


三 非情の代価

そういえば、隣のクラスの男の子の家に隕石が落ちたらしい。
隕石が落ちてくるようになったのは西暦三千年くらいで、雷のように隕石が突如民家に落ちてくることが度々起こるようになった。
隕石が落ちた家は一瞬で蒸発し、跡形もなく勿論死体もなくなっている。不思議と言えば不思議だし隕石が落ちたのだから当然と言えば当然――まぁ私とは関係ないからどうでもいいけど。
そういや、先日とてもおもしろい事が起きた。勿論ワスプ人のことだ。なんと例の喜びのダンスを踊る集団と私の愛し大上君が衝突するようなことが起きたのである。問題の発起点は落とし穴に引っかかったマンモスだった。
喜びのダンスを踊る集団はどうやら、マンモスの臭いをキャッチする能力があるらしい。今日もいつものように女を殺し、性器に何年洗ってないのかもわからない汚い髪の毛を巻き付け、ぶらぶらと森を探索していると、大上君の落とし穴に引っかかったマンモスを発見した。
彼らは最初落とし穴を見て不思議そうに交互目を見合わせていたが、やがてマンモスを槍で突き刺し落とし穴から引きずり出してはそそくさと自分たちの洞窟の中に持ち帰ってしまった。大上君がこれを知ったのは次の日になった朝で、彼はいつものように朝起きて、日課である落とし穴を見てみるとマンモスの血で汚れた落とし穴と、苦労して取った餌だけがなくなっているものだから、さぞかし怒っていたに違いない。その日はテストの前日で勉強をしていたものだから詳しくは見られなかったけど、私が再度見た時は既に、大上君は喜びのダンスを踊る集団の洞窟に向かって進軍していた。大上君はおそらく、地面についていたマンモスの血を便りに洞窟を発見したに違いない。そして洞窟を確認した後、マンモスの大軍を引き連れて町を焼け野原にしようと目論んだはずだ。私と大上君は考えていることがよく似ている。気にしなくていいものと気にしなくてはいけない見分けが非常に上手い、しっかりと戦わないといけないときは命をかけてでも戦う、私はそういう人を勇人と呼ぶ。昨今街中で肩がぶつかっただけで喧嘩をするのは所謂、ワスプ人のような獣人がすることであり、勇人がすることではない。少しの理性が働くならわかるはずだ、これが非効率的で無駄なリスクしか生まないことを。それを認知できていない人間が多すぎるように思えてつくづく、私は大上君の知性に感嘆する。さらに彼には特殊な能力があるらしく、動物をテーミングする能力に非常に長けている。街中を歩いていると人間が犬を散歩させているのか、犬が人間を散歩させているのか区別がつかないような事例を度々見かけるが、その点彼はしっかり動物と主従関係を結んでいるのがよくわかる。
一部の獰猛な動物を除き、大半の動物は強い主を求めている。その主に忠誠を誓い従事している時が喜びであり、また動物たちの使命でもある。私の好きな犬種ブラジリアンマスティフが正にその代表だと言えよう。その欲を刺激するのがテーミングのコツだと彼は言うように徹底した主従教育を何度も何度も繰り返し忍耐強く施すのである。すると最初は狂暴だったマンモスも次第に彼の言う事を聞くようになり気づけば彼が背中に乗っていても借りてきた猫のように大人しくなるのである。彼の住居から数キロ離れた先には、大量のマンモスが放し飼いされている牧場のようなものがある。大きなマンモスを乗りこなしている姿を見ると、まるで歴史の教科書に出てくる数千年前、強大な帝国を作り上げたモンゴル人の騎馬隊を思い出す。彼は一人でも数百人より強い戦力を保持している。そんな彼に喧嘩を売ってしまった連中はもう終わりだ。

四 始まった戦争

男は立ち上がらなければならないとき、必死に命を懸けて戦わないといけない、時には女を守り、子供を守り、そうすることで子孫を繁栄させていく。だが、大上君は妻子を持っているわけでもないし、正直マンモス一頭を取られたからと言って大層困る訳でもない。数十頭のマンモスを飼ってコントロールできるのだーーこの戦いには少し犠牲が多すぎるのではないかと私はいささか心配に思えてならない。
大上君のことだから何か考えがあるのだろう、三百七十万年前の人類に近しい存在と言え、今の人類より賢いとは到底思えなかったが大上君ならなぜか例外のように思えた。
この時代は当たり前だが夜になれば辺りは真っ暗で何も見えない。電気もなければ松明のようなものもない。そこから進軍するとなるとさすがにリスクが大きすぎると判断したのか、昼の真っただ中にはもう既に彼は敵陣の真ん中にいた。
およそこれくらいの戦力で倒せると判断したのか、まず複数のマンモスで洞窟の入り口を塞いだ後、マンモスから降り洞窟の中を無防備にテクテクと歩いて行った。洞窟の上の丘には数十匹のマンモスが待機しており、その姿はまるで呂布の赤兎馬を連想させた。
彼を見つけた連中は蛇のように鋭い威嚇音を出しながら槍を構えていたが、そんなのお構いなしに彼はさらに奥へ奥へと進んだ。
やがて性器にたくさんの髪を巻き付けた族長のような者と向かい合った形になり、手ぶり羽振り何やら話し始めていた。
彼ほどの戦力なら話し合いなどせずマンモスで洞窟内を滅茶苦茶にすることなど容易いはずだ。
なぜわざわざ危険を冒してまで話し合おうとするのか、正直私は理解出来なかった。
話が通じる相手ではない、彼らは動物に近しい存在なのだ。さっさと敵を皆殺しにして家に帰って昼寝でもした方がよっぽど有益のように思えてくる。どういう交渉条件で何を話しているのかは不明だったが、見ているだけで緊張感がひしひしと伝わり面白かった。大上君は槍で包囲されても怖気づくことなく族長に向かって淡々と何か話していた――時折横にいる母に抱かれた赤ん坊を指さしながら話を続けて内にどんどん族長の顔は険しいものになっていった。
やがて族長は聞いてられないと判断したのか手を大きく上げた。すると周りにいた槍を持った男たちがすかさず一斉に大声で叫びながら大上君に向かって突進していった。一対大勢で恥ずかしくもないのかと思ったけれど、彼らに羞恥心などあるはずがない。
絶体絶命の状態でも大上君は冷静だった。大きく口笛を吹くと、入口に立っていたマンモスも突撃を開始し、ついに全面戦争が始まった。
マンモスはデカい図体をした割にとても動きが素早く一瞬で、見事に敵を蹴散らしていった。
洞窟内は悲鳴と喚き声で地獄と化してしまった。マンモスの足で吹き飛ばされ数メートル空中に浮かんでは、地面に叩きつけられた部族を見て大上君の口はいつになく悲しそうに見えた。そうして洞窟は血だらけになり、数分もしない内に戦争は終了したかのように思えた。
生き残った者と言えば、洞窟の端でうずくまっている母とその腕の中に抱かれた赤ん坊だけ。戦いは空しくもありまた痛快でもある。学校のテストが終わった時のような感覚なのだろうか、大上君は母子を見て珍しく清々しい顔をしていた。その瞬間、洞窟の天井からゴゴゴゴゴォと崩れ行く音がして、天井が崩壊し始めていた。どうやら丘の上にいた数十匹のマンモスの重さに耐えきれず、崩壊した地面が洞窟の天井に激突したのだろう。凄まじい音と共に、洞窟は崩れ始めた。あまりの恐怖に足がすくんだのか、何も出来ない女と泣きじゃけぶ赤ん坊を大上君は放っておけなかったのか、急いで二人の元へ駆け寄り、女の手を強引に引っ張った後、天井が完全に崩れる前に急いで出口に向かって必死に走り始めた。
落ちて行く巨大な石を避けながら走る間もなく、後ろを走っていた女が突然、手を振りほどき地面に落ちていた石で大上君の頭を強打した。大上君は力なく地面に倒れそのまま崩れた天井の石の下敷きになった。実に呆気ない死だった。
私は思った。
世の中には恩を仇で返す人もいる、だけどこの恩は実は恩ではなく、ただのおせっかいなのかもしれない。正義は相互の感情が一致したときのみ有効で、そうでないときはただのうざったるいおせっかいに過ぎない事に私は初めて気がついた。彼は自分の優しさによって命を落とした。この恩もまた女性からすればただのおせっかいだったのだろう、子供と自分を守る幸せより、狩りに行く前に殺される使命の方が彼女に取っては大切だったのかもしれない、まるでブラジリアンマスティフが忠実に主に従うように。自分の使命を全うすることが時には自由な生活を送るより価値があることをこの出来事は示唆している。そうなれば大上君はただの邪魔者でしかない、人間の価値観なんってそんなものだ。分かり合えないし、分かり合うには二人の存在は遠すぎる。
常識というものがいつ出来たのか私にはわからないが、他の惑星から見れば地球の常識もまたこういう風に狂っているのだろうか。私は静かに黙祷を捧げた。呆気なく死んでいった大上君を募りー―そして彼の勇気ある行動に。おそらく族長にあれほど懇願していた内容も、狩りに赤ん坊を用いるなとかそういった類の言葉であっただろう。世の中に無駄死にというものは存在しない――必ず誰かが見ている、今の私のように。

五 虚無感の先

大上君が死んでから、もうワスプ人を観察することは全くと言っていいほどなくなった。そもそも超望遠鏡に興味がなくなった。
それからは授業を聞くフリをしながら、自分の編み出した新人類学を執筆している。
私は大上君に出会って救われた。信念を持った彼の生き方に感銘を受けたのである。
彼は頭がいいが、人に対して合理的になれなかった。
だけど私は信じている、彼はそういう死に方を自ら選んだということ、そういう死に方でさえ、彼は自身を誇らしく思ったに違いない。
私の編み出した新人類学は性善説を全面的に支持する、性悪説が一般的だと言われている中、ガリレオの地動説のように数十世紀後私の正しさが証明されるかもしれない。
新人類学を執筆していると、無性に大上君を見たくなる――もう死体になってしまったがそれでもなお大上君を見ると心が安らぎそうな気がする。地面に落ちている望遠鏡を手に取った。
そういえば大上君が死んだとき怒りのあまり望遠鏡を地面にたたきつけたんだっけ、望遠鏡の倍率が大幅にずれていた。
望遠鏡の倍率を適当に調整した後穴を覗くと、そこには皮膚が青くて丸い平面の顔をした目が一つの生命体がいた。
鼻はなく、口元はおおっぴろげに笑っている。私を指さして大げさに笑っていた。
「なに、あたし?」
この青い生命体は私を見て笑っているのだろうか、青い生命体は首を傾げた。
「うしろ?」
後ろを振り返った。窓の外から降ってくる隕石が見えた。

非情の代価

非情の代価

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-07-05

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