針金の少女
幻想系怪奇小説です。縦書きでお読みください。
友人と冬山に登って遭難し、食料もなく足の先も凍傷にかかり感覚がなくなってしまっている男が、洞窟で横たわって寝ている友人の凍っている足を喰っちまおうと、靴を脱がすと、もう本人が食べてしまった後だったという話がある。外国の小説家が書いた短編である。作者の名前は忘れてしまった。
しかし、これからの話はそんな生やさしいものではない。腹が減った人間が究極になると何をするのか、これは現実にはまだ起きていない事件である。では、なぜ起きていないことが書けるのか。今まさに起きるだろうと言う現実を見ているからというしかない。
一人の少女がふらふらと、真夜中の銀座の裏通りをを歩いている。年は十八だが、まだ小学生のような幼い格好をして、ほとんど頭蓋骨にしか見えない白い顔を前に突き出してよろよろと歩いている。赤いチェックのスカートからでている足は牛蒡のように細く、いや、針金と言った方がよいだろうか。折れないのが不思議である。
少女は食べることをもう忘れている。なぜ歩けるのか、かろうじてあるからだの中の細胞が吸収され、栄養源になっているとしか思えない。
夜毎歩いているので、その界隈の人たちはみんな知っていた。ただ、誰一人として、声をかけることはなく、だから名前もどこにすんでいるのか誰も知らない。
噂だが、有楽町駅に近い路地のマンホールの蓋が開いて、少女が出てくるのを見たという男がいる。行きつけのバーのママにちらっと言ったそうだ。だが、本当だかどうだかはわからない。
これも、ちょっとした噂にすぎないが、夜外にでてきた鼠を捕まえるのだという。酔っぱらっていて見たという銀座のホステスの話だから、全く信用できないが、ほとんど骨にしかすぎない細い手をいきなり伸ばして、ビルとビルの細い隙間からでてきた太った鼠をあっと言う間に捕まえたそうである。その後が嘘くさいことに、丸ごと齧ったというのである。
ともかく針金の少女は真夜中に銀座の道を歩いている。
銀座の通りでは夜遅く、小さかろうが有名だろうが食事の店の前には残飯が入ったポリバケツがたくさん並び食料には事欠かない。だが少女は真夜中の二時から三時にかけてしか歩かないのは、特別な食べ物を探しているからだという男がいる。
たしかに、銀座の裏では食べ残しがたくさん捨てられる。ホームレスや鼠はそれをねらう。瓶の底にちょっと残っている高級ウイスキーを楽しむホームレスはその辺をよく知っている。
そう言った男は、その少女が特定の人物を捜してそいつを喰うのではないかと考えたようだ。だがどう考えても、細い針金のような少女がどうやって人を捕らえることができるのであろう。
誰も少女の後を最初から最後までつけて歩いた物好きはいない。だから誰も何もわからないのである。
みな仕事もあり家庭もあり生活がある。なかなかそんな気にならないのだろう。しかも少女はいつも同じところを歩くわけではなく、出会うのは二時から三時の一時間であり、家路を急ぐ人にそんな時間は無い。
警察官が出会えば声をかけるに違いないが、どう言うわけか警察関係者で見かけた者はいなかった。避けているのだとすると後ろめたいことがあるわけである。
しかしこの少女が何をするのかもうすぐわかる。それは私がその物好きなのである。少女との出会いを願って毎日銀座のいろいろなところを歩いている。
私には時間がありすぎるほどあった。
私は銀座の土地貸しである。ご先祖様が大層なお方だったことで、広い土地と家がたくさんあった。両親が死んで遺産が入り兄弟と分けたが、それでもかなりの土地と父親が建てたビルが残った。銀座の大きな通りには面していないが、かなり利便のよい一角で、八つほどのビルが自分のものである。管理は父親から譲り受けた不動産屋が行っており、父親が社長の時からのやり手番頭に、社長になってもらい、全くまかせている。私は若くして会頭ということで、銀座の風来坊である。面白そうなことには顔を突っ込んで迷惑がられている。
その一角の十五階建てのビルの十五階に私の部屋があり、二階にも一つ執務室がある。ほとんど執務室で寝泊まりしており、少女探しの大事な根城になっている。
一月ほど前、夜十時頃だったろうか、晴海通りに近いところにある、行きつけのスコッチバーのカウンターで、ビールを飲みながらバーテンと話をしていると、初めての客であるが、身なりのいい老人が私の隣に腰掛けた。老人はじゃまそうに眼鏡を外して内ポケットに入れ、バーテンに注文をした。
「ラガブーリンの12年あるかな」
「ええ、あります、カスクですね」
バーテンが棚から取り出して、老人の前に置いた。
「ダブルでたのみます」
「ロックですか」
「ストレートで」
そんなやりとりのあとで、バーテン相手に話し始めた。
「この間ね、この裏の奥で夜遅く仲間と飲んでね、もう二時頃だったと思うけどね、外にでて、タクシーを拾おうと晴海通りの方に向かったときに、そりゃあ奇妙な少女を見たんだ。ほっそいからだしていてね、ちょっとこっちを向いたんだけど、ほとんどが骸骨だった。針金のような足がスカートからでていたけど、折れそうだった。ゆっくり歩いて路地を曲がっちまったからどこいったかわからないけどね」
私はそのとき、すでに少女がマンホールから出てきたとか、鼠を喰ったなどという話を聞いていたわけだが、みんな間接的な話で、初めて実際に見たという人に出くわしたわけだ。
そんなこともあり、つい声をかけてしまった。
「背が高かったのですか」
その老人はいい話し相手ができたとでも思ったのだろう。嬉しそうにそのときのことを話してくれた。
「そうね、以外と高かったね、きっと165ほどはあったんじゃないかな、始めはね、こっちも酔っていたし、気に留めもしなかったんだが、あまりにも細くてね、ツイッギーなんていうどころじゃない。ツイッギーを縦に半分に切っちまったような細さなんだ、それで、つい立ち止まっちまってね」
「色は白かったのですね」
「いやね、顔だけは白かったんだけどね、手や足はどちらかと黒い方で、黒い針金細工に白い蝋石でできた顔がのっているっていう感じでね、ちょっと不気味でしたよ、そういやあ、白いブラウスの胸のあたりはかなり大きくて、そこだけは大人のような感じを受けましたな」
老人はウイスキーをほんの少し口に流し込んだ。隣にもかかわらずアイラ独特のヨードの匂いが私の方にまで漂ってきた。
「お宅はその少女を見たことがおありなさるのかな」
老人が私に聞いてきた。
「いや、まだ話にしか聞いていないのですが、興味はありますね」
「わしはもう見たくないね、少女を見たときに、ちょっとぞっとして、かわいそうな気にもなり、哀れに思い、何か恵んでやりたくもなり、かなり気持ちの悪い感情が湧きましたな。ああいう人間がいることがやりきれませんな」
私は無言で頷いた。私の会ってみたいという思いはそのときますます強くなった。
それから、少女の現れる時間帯の前にその店で飲んで、あたりを歩いて自分の住むビルに戻るという生活を始めた。
それから四日ほどたった真夜中、家に帰る途中の路地から不意にその少女が現れた。白いブラウスに赤と茶のストライプの短いスカート。小学生の服装である。顔は真っ白で目はくぼみ鼻はかなり高くつんとしていて、眉毛はほとんどない。小さめの口は半開きにされ中に茶色っぽい前歯がのぞいている。薄い唇には血の気がなく、むしろ薄青い。確かに肉は付いておらず骸骨のようにも見えるが、やはり生きている人間の大人の顔である。体の細いことは噂通りで、肩幅はふつうの女性の半分ほど、しかしブラウスの前はかなり膨らんでおり、小学生の体つきではない。問題は手足である。それはあまりにも細く、針金という表現は間違いないであろう。しかも手足が長いことから、ジャコメッティーの彫刻のようである。
その少女は私を見ると、幾ばくか口元を綻ばせた。私が声をかけようと思った時には私と反対の方に歩いていく後ろ姿になっていた。私は後を付けることにした。大人の女のようだが、何故かその女性には少女というほうが自然なので、これからも少女ということにしよう。
少女は私が今歩いてきた道を折れそうな足を一歩一歩前に進めていく。少女は次の四辻で左に回った。私も距離を保ちながら左に曲がった。少女はしばらく歩くと次の四辻でまた左に曲がった。私も曲がった。少女の背中がまた左に消えた。私がその辻にいってみると、少女の姿は道から消えていた。そのあたりは民家と小さなビルが入り交じっているところである。道ぞいのどこかの家に入ったに違いないと思い、周りの様子を見ながら歩き回ってみたがわからなかった。
それでもその少女の住まいを突き止めたような気分になっていた。あの少女は腹が減って食べ物を探しているのではない。私はそう確信した。何かを探していのかもしれないがただの散歩かもしれない。
次の日、朝食後に昨夜少女が消えたあたりの道を歩いてみた。私の住んでいる建物からそんなに離れていないのだが、ほとんど歩いたことのないブロックである。祖父の関係のあった建物や土地のあるところはよく知っているが、それ以外のところはいい店でもないとかぎりいく機会がない。
そのあたりの印象は夜に感じたこととは全く違った。くすんだ古い小型のビルが立ち並ぶ裏道りである。東京の下町風情が残っているといえば残っている。ビルの下にある小さな果物屋が形の悪い小さなリンゴを店先に並べていたり、昔ながらのたばこ屋があったり、道の脇には半分枯れた植物の植わった植木鉢が並んでいたりしている。
少女が消えたと思われるところには、道路に面して数軒の洋式の家が建ちならんでいた。家の敷地の境界に人が一人やっと通れるほどの道がある。きっとこの細い道に消えたのに違いない。マンホールから出てきたとか、鼠を食べたというのは噂にすぎないのだろう。このあたりの家は昔、しゃれた人たちが建てた建物のようである。こんな近くに日本離れした住宅街があるとは知らなかった。当時外国から帰ってきた人か、外国人か外国と商売をしている人たちではないとこのような家は作れない。大正ロマンの香りのする建物ばかりである。
少女は訳あって昼間外出できない理由があるのではないだろうか。たとえば陽に当たることができなかったり、睡眠障害で夜と昼が逆転していて夜は眠れず散歩に出ているとかである。
明日にでも、時間より早く来てどの家から出てくるのか探ってみよう。
家に帰り一階にある不動産屋に顔を出した。
「あ、会頭、おはようございます。今日は朝早くからお出かけだったのですね」
いつもは昼過ぎに店に顔を出すのでちょっと驚いているようだ。
「うん、おはよう」
「社長は今日大阪の方に出張です」
事務員の少女がお茶を持ってきてくれた。
「ありがとう、また土地の買い付けかい」
「多分そうだと思います」
「銀座の地図と台帳をを持ってきてくれるかな」
「はい」
彼女は銀座の土地の地図と分厚い台帳を持ってきてくれた。
少女の住んでいると思われる土地の持ち主を調べるつもりである。私は台帳のコピーを綴じたものを開いて地図と見比べながら調べていった。さっき見た家のところはただの空き地のようになっている。おかしなことである。
私は「これありがとう」と地図を返すと会社からでた。その足で区役所に行った。台帳を直接見るつもりである。
区役所の土地課にいくと、顔見知りの係りの者がよってきた。
「調べものですか」
「うん、ちょっとここの土地の台帳見たいのだけどね」
「ああ、ここですか、ほんとは空き地になっています」
「知っているのかね」
「ええ、だけど家があるというおかしなことになっています。区でもどうしたらいいか迷っているんです、あの土地は珍しくイギリス人が持っていて、建物も戦前に建てられたものです。空襲でなくなったことになっているのですが今でもあります」
「誰か住んでいるの」
「いないはずですが」
「固定資産税は取っていないのかね」
「不思議なのですが、その管財人という人が払っているのです」
「持ち主はどこの人」
「イギリスにいます」
「それで、管理はどうしているの」
「イギリスの管財人が庭と建物の管理を北海道の不動産屋に頼んでいて、不動産屋が定期的なチェックをを管理会社に頼んでいるのです」
「何故売らないのだろうね」
「持っていたイギリス人の遺言のようです」
「イギリス人の家族はどうしたのだろう」
「イギリスに帰ってその後はわからないようです、会長さん、もしかするとあの家欲しいのですか」
「うん、いや」
「北海道の不動産屋の連絡先教えましょう」
「うん」
成り行きであの土地と家を買う羽目になるかも知れない。私は不動産屋の電話番号を教えてもらった。
その日の夜、いつものようにスコッチバーにねばって夜中の二時より少し前に、あの家のそばに行った。その時刻になるとほとんど人通りがない。ビルとビルの狭い路地に身を潜めた。
ほんの五分もたった頃だろうか、通りに面した家の後ろにある、これもかなり時代物の洋館からあの少女が出てきた。なにも持たずにひょうひょうと歩いて大きな通りに向かった。私は後をついていったのだが、少女は晴海通りを歌舞伎座の方に歩いていく。夜中といってもメイン通りはかなりの明かりで道が照らされ、人が行き交っている。しかし誰一人として彼女を気に留めようとしない。少女はしばらく歩くと引き返し始めた。結局再び出てきた家の前の通りに戻ると、家の中に入ってしまった。かなり短い時間である。彼女は何のために歩いているのだろう。やはり散歩なのだろうか。それでもこれで少女の住まいははっきりした。
北海道の不動産屋に電話をした。電話にでた若い男は私の用件を聞くと、社長を呼びますと受話器を置いた。社長はすぐ電話にでた。
「あの家でしたら、今でもイギリスの管財人から管理費が送られてきます。どのようなご用件でしょうか」
「私、銀座で不動産を営んでいます。あの土地を手放す考えはお持ちではないのでしょうか」
答えは意外なものであった。
「ええ、それなりの値段さえ付けばと考えていたところです」
「持っていた方が手放さないようと遺言を残した聞いておりますが、大丈夫なのですか」
「おっしゃるとおりなのですが、つい昨日そのイギリス人の孫という人がみつかり、その本人の意思で処分を希望しているという連絡が入ったところです」
「遺言は大丈夫なのですか」
「ええ、家族に譲るということになっていたそうで、ところが、その家族が今までどこにいるのかわからなかったそうです。戦前のことで、持ち主はイギリスに戻って、その子供は、親元から離れ、アメリカにわたったようですが、住所がわからなくなっていました。、最近いきなりアイラ島に息子夫婦が戻っ手管財人とコンタクトをとったということです」
「事情はわかりました。それで、いかほどで売りたいとのことでしょうか」
「いくらで買っていただけますか、建物はもう古くて値が付かないでしょうけど、あれも直しようによっては、昔の建物で貴重です。家は四軒で土地はすべてで約六〇〇坪です」
「かなりになりますね」
「ただ、連絡があったのが昨日の今日ですから、何かの縁ですので、それなりに勉強しますよ」
「三億くらいでどうでしょう」
「坪五〇万ですか、ちょっと安いですね、こちらとしては、坪八〇万でならいいかと思いますが」
それでも随分安い。私は名前を言って会社の者を北海道に行かせる約束をして電話をきった。
若い社員がよってきた。
「土地の買い物ですか」
「うん、五億ほどだけど、ここからあんまり離れていないところだよ、六〇〇坪ある」
「それで、五億とは随分安いですね」
「うん、誰か、北海道のこの不動産屋に行って、交渉してきてくれないかな」
「社長に言わなくていいですか」
「私の使える範囲だろう」
「そうですか、誰をやりましょうか」
「適当に頼むよ」
「はい、僕がいってきます」
次の日、北海道の不動産屋に行った彼から電話が入った。
「書類はしっかりしています。会長がよいとおっしゃるなら買いますが、しかも坪五万値引きさせました」
「それは、お手柄だね、いいよ、仮契約にサインしてくれよ」
「一括で安くすれば、振り込むといったら、すぐに値引きしてくれました」
「そうか、それじゃ、君が戻ったら書類を点検して、正式契約にもっていこう、社長もわかっている、その場所につれていったら、買い得だと言っていたよ、一軒僕の家にしたい」
社長はビルを建てたいといっていたが、あの少女が住んでいるとすると、それをどうするかまず確認しなければならない。
その日のうちに管理会社から鍵を持って若い女性がやってきた。私はその女性とともに家に行った。道の表に面した二つの半洋館は中がかなり荒れてはいるが、それでも、かなりの修理をすれば使えるかも知れない。その裏手になる奥の家の中は以外としっかりとしている。管理会社の女性社員が最後の一つの鍵を開けようとしたので、おしとどめた。
「どうなさったのですか」
怪訝な顔をした女性社員が言った。
「この家から、人が出てくるのを見たことがあるもので」
「そんなことはないと思いますが、私どもが管理のために入るときはどなたもいらっしゃいませんが」
私はドアをノックした。返事はない。
「開けましょう」女の社員は鍵を差し込みドアを開けた。
中に入ってみるとすぐにでも住めるような綺麗な家であった。見て回ったが誰もいない。あの少女もいない。
一階は二十畳を越えるリビングに八畳ほどのキッチンと、綺麗なバストイレ、それに物置のような部屋がある。二階に上がってみると、十畳もあろうという広い三部屋があった。それに四畳半ほどのクローゼットがある。三つの部屋にはそれぞれ古いベッドが置かれている。
管理会社の女性が言った。
「会頭さん、どうでしょう、電気も点きますし、今晩お泊まりになってみたら」
「それはいいなあ、飲んでからここに泊まろう」
寝室のベッドの寝具は埃もたかっておらず、すぐにでも使えるようになっていた。
「鍵をお貸しします」
私は鍵を借りて家に戻った。夜まで一休みだ。
夜の十一時頃、行きつけのスコッチバーで、いつものようにビールとウイスキーを飲んで時間をつぶした。
「今日は楽しそうですね」
バーテンが声をかけてきた。
「うん、噂の少女の正体を見極めようと思ってね」
「見つけたんですか」
「うん、明日にはわかるよ」
「確かに楽しみですね」
そこに少女を見たと教えてくれた老人が入ってきた。また私の隣に腰をかけた。
「またお会いしましたな、あの少女に会いましたかな」
「ええ、あれから、すぐに」
「ほー、どうでした」
「おっしゃるとおり、針金でできているように足が細い子でした」
「そうじゃろう」
「住まいらしきところを捜し当てました」
「それはまた、じゃがあの娘には近寄らん方がいいと思いますけどな」
「そうですか」
「何か危険だと思うがね」
「ええ、気を付けます」
私はビールを一気に飲んだ。その後老人のウイスキーの蘊蓄を長々と聞き、老人が帰ったあと、あの家に向かった。途中でコンビニにより、水やつまみ、それに角のポケット瓶をかった。
初めて泊まろうという洋館が楽しみでならずつい早足で家に行き着いた。
鍵を開け中に入り、電気のスイッチを押すと、少し赤みのかかった電灯が部屋の中を照らしだした。昔の作りは本当に和む。
私はソファーに腰掛け、テレビのスイッチを入れた。そういえばこのテレビは古いものではない。プラズマテレビである。最近この部屋を誰かが使っていたのだろうか。あの少女が頭に浮かんだが、テレビとは結びつかない。そうか管理会社の鍵を渡してくれた女性が気を利かせてくれたのか。
夜中の番組は時として面白いものをやることがあるが、ほとんど若い人たちが司会をする軽いものばかりである。
キッチンに行ってみると、とても綺麗になっており冷蔵庫もある。電気が入っている。中を覗くと水も入っているし氷もできている。これも用意してくれたのだろう。棚には古いグラス類がそろっている。これはもともとここにおいてあったものに違いない。、これだけでもお宝だろう。
年代もののグラスを取り出し氷をいれ居間にかえした。ウイスキーを注ぐと一杯飲んだ。くつろげる部屋である。さて、二時まで少し間がある。あの少女がどこからか出てくる予感がしていた。私がここにいる限り必ず私の前に現れると確信をしていた。壁には柱時計が掛かっている。イギリス製なのだろう、だるま時計である。動いている。鍵をまかない限り動かないはずである。この部屋は誰かが使っている。
もうすぐ二時になる。私はテレビを消した。
やはり二階から音が聞こえてきた。そう思ったとたん、階段から細い針金のような足が見え、居間にあの少女が入ってきた。
彼女は白い顔を私の方に向け丁寧にお辞儀をした。
私は言った。
「こんにちは」
「こんにちは」彼女も返事をし、また私を見た。
「ここに住んでいるのですね、どうぞお座りください」
女性はもう一つのソファーに腰をかけた。スカートからでた足は細い骨に黒い皮が張り付いたようで、膝の骨だけがやけに大きく飛び出している。
「はい、私の家です」
「独りで住んでいらっしゃるのですか」
「はい、そうです」
「夜散歩されますね、どうしてです」
「お腹が空きすぎて、それを忘れるため散歩をしています」
「ご家族は居ないのですか」
「母と父と弟がいました」
「今はいらっしゃらないのですね」
「父はイギリスに戻り、母と弟はいません」
「食事は誰かが用意してくれるのですか」
「いえ食べるものがありません」
私はつまみとして買ってきたカシューナッツを差し出した。
「私はそういうものが食べられないのです」
私はやっぱりそうかと思った。もしやという気がしていたのである。私は面と向かって言った。
「吸血鬼ではないですか」
彼女の頭蓋骨だけのような顔がちょっと綻んだ。
「ドラキュラはブラムストーカーがつくりだしたもの、私は吸血鬼ではありません。血は好きですがそれだけではおさまりません」
「どのくらい食べていないのですか」
「まだ、八年ほどです」
冗談だろうと思った。
「本当の話です、水を飲みます、それで生きています、でもそろそろ食べたくなりました」
「なにを食べたいのですか」
少女は立ち上がり、いきなり私の前にくると、釘のように細い指で私の鼻を摘んだ。鼻がちぎれた。血が出てきた。だが痛くない。少女はそれを口に入れて、くちゃくちゃとかむと飲み込んだ。
「弟の鼻より辛みが強いようですね」
少女はそう言うと、私の右腕をもぎとって、ソファーに座って、指の先から齧り始めた。骨も肉もバリバリと食べた。
「手は弟の方が美味しかった」
食べ終わると反対側の手ももぎとっていった。少女はあっと言う間に左腕も食べてしまった。私はただ食べられるのを見ているだけしかできないようである。足があるのだから逃げられるのではないかと思うかもしれないが、足先が床にくっついていて立ち上がることすらできない。
少女は私の足をもぎ取った。がしゃがしゃと食べる音が聞こえる。口の周りを私の血で真っ赤にして夢中で食べている。
ふっと少女が私の方を見た。
「何年も食べていないのですもの、はしたない食べ方を許してね」
そう言いながら残りの足ももいでしまった。見ると少女は少しふっくらとしてきた。顔も肉が付き始めている。
「あまり足は美味しくないわ」
私はだるまになっている。ソファーの上にあぶなっかしくのっかっている。少女の少しふっくらした白い指が私の頭をおした。私はソファーの上にコロンと転がったが、だるまのようには起きあがることができなかった。少女の手が私の服をはがした。私は真っ裸だ。少女の手があそこに触れた。なんだかあそこが大きくなってしまった。
「この方が食べやすいし、食べ概があるのよ、血が充満していて美味しいの」
少女はもぎ取らず口を開けるとがぶりとかぶりついた。その瞬間なんだか気持ちがよくなった。
「おじさんのこれ美味しかった」
私の腸も肝臓もどんどん少女が食べていく。
「酒飲みの内蔵は美味しくないわ」
少女は私の心臓を取り出すと食らいついた。
「心臓は強いわね、でも残念、もう使えない、食べちゃった」
肋骨もその内側にあるしなびた肺もみんな食べられてしまい。とうとう首だけになってしまった。
「美味しかった、お風呂に入ってから、あなたのお目目をいただきましょう」
そういうと、私の顔を風呂場の方に向けて、さっさと風呂に入りに言ってしまった。
湯を使う音が止まったと思ったら、タオルを下半身に巻いただけの少女がでてきた。色白の綺麗な体をしている。形のいい乳房が揺れている。私を食べて針金の少女がこのようにふっくらした少女に戻ったのだ。
誰かに似ている。そうだ何年も前に、アイドルとして名を馳せた子だ。名前は覚えていない。途中で随分スリムになって、やせる方法などの番組にもでていた。やがてテレビから消えていき消息がわからなくなった子だ。
「玄関の鍵がかかってなかったぞ」
男の声が聞こえた。どこかで聞いたことがある。
男が入ってきた。スコッチバーで隣に座った老人だ。
「パパ、久しぶりにごちそうありがとう」
「うむ、旨かったか」
「うん、まあまあ」
「そんな格好していないで、パジャマでも着てきなさい」
「はい、これから食べるの」
「ああ、ほら、ウイスキーももってきた」
「そう」
パジャマを着た少女は鋸を持ってきた。
「私が切るわね」
「頼むよ」
少女は私の頭の骨をぐるりと鋸で切った。
「脳味噌は一番うまいからな、おまえはなにを飲む」
「コーラもってきた」
老人はシングルモルトをグラスに注ぐと口に持っていき、なめるように飲んだ。
「パパ、北海道の方はどう」
「うまく行っているよ、この男の会社の者が買いにきたが、最後には断ったから大丈夫だ、なん百年も使えるよ」
「またほかの借り手を捜してね、そうすれば食べ物に不自由しないもの」
「だがな、すぐにいなくなってしまうとまずいからな、食べるのは他のところの人間の方がいいな」
「はい」
「だが、借り手があった方がいいだろう、おまえもまたタレントに戻るか」
「はい」
老人が私の頭の上をはずすと匙を脳にさしたようだ。
「ほほう、、なかなか旨い」
「わたしも食べていい」
「ああ、おあがり」
少女も匙を私の脳に差し込んだ。そのとたん、目が見えなくなった。老人が匙をいれた。耳も聞こえなくなった。もう、なにも考えられない。
やっぱり銀座だ。いろいろな人が住んでいる。私は無になった。
針金の少女