フルートとヴァイオリン(第3章 舞踏会)

フランシス・ローレライ

 2月にしては珍しく雪の降らない、晴れた晩だった。
 僕は地下鉄に乗り、町の北部を目指していた。この路線は、地上に出てからドナウ河を渡るので解放感がある。そして「ウィーン国際センター」駅で降りた。
 この辺は19世紀っぽい旧市街とは対照的に、鋼鉄とガラスの超モダンな高層ビルが林立し、21世紀を感じさせるエリアだ。地図に従って歩いているうちに会場が見えてきた。天井が高く広大で、東京武道館の様な建物だ。
 気の早い参加者が多数、カップルで来ているのが分かる。早速中に入り、クロークでコート類を預ける。
 毎年のことながら、おしゃれとは言い難いウィーンっ子もこの晩だけは雰囲気造りに貢献しようとするので、立ち居振舞いが洗練されて見える。大人の女性はシックでエレガントなロングドレス、若い女性は短いスカートでセクシーさを演出するのだ……時折、逆にして遊びながら。
 多分、彼女は早めに来ているだろう。
 男性は御婦人方の引き立て役で、黒と白が基本だ。黒っぽい上下、白いシャツに黒い蝶ネクタイ、そして黒い腹巻「カンマー・ベルト」をつけている。僕は外套類を預け、迷うことなく楽屋裏を通ってステージへと向かった。濃紺の上下、両襟がピンと立ったワイシャツ、そして黒い蝶ネクタイ姿だ。
 楽屋裏が狭く暗めなのでステージに出ると照明がまぶしく、目のくらむ思いがした。ここは舞踏会場のフロアよりも大分高いので、落ちたら怪我するに違いない。
 アルテドナウ・アンサンブルの楽士たちは大方到着しており、いつも通り楽器毎に展開していた。皆、ドレス・コードに従い、白と黒で統一している。そこで第2ヴァイオリン方向に視線を移すと、長い黒髪の彼女が定位置にいた。
「やあ!」と心の中で声をかけると、チラっと睨む様な気がする。少し緊張しているな、と感じつつ僕は木管エリアに到着し、左隣のチュンさんに軽く会釈して席についた。そして何故フルート吹きまで蝶ネクタイなのかと疑問に思いつつ、晴れ舞台に感じ入る。やおら持参してきた楽譜を譜面立てに乗せると、今度はフルートを組み立てる作業に入った。
 ステージは特等席で広い会場が良く見渡せた。開会を待つお客さん達は、壁際のテーブルでワインやシャンパンを飲みながらガヤガヤ歓談している。
 しばらくするとオーボエが真ん中の「А」音を大きく鳴り響かせた。その澄んだ音色を合図に、他の楽器も次々とアー音を出してチューニングするのでかなりの騒音だ。僕のは高めだったので頭部管を少し引き抜いて調整し、ほっと息をつく。
 そうこうするうちにアフロヘアのマエストロがあわててステージに上がってきた。今日は一段とヨハン・シュトラウス気取りで、髭も何となくユーモラス。そう言えば「ウィーンの音楽は華麗に、優美に」が彼の口癖だった。
 いよいよ開会である。司会者の紹介を受けてステージの上から主催者代表が挨拶した。彼はお菓子業界の重鎮か。
「今宵は、伝統あるウィーン名物のお菓子を作る、菓子職人組合による2001年の、チャリティーのためのバルです! 東洋の陰暦で言うなら、新しいヘビ年の正月ですね。皆様、せいぜい羽を伸ばし、日頃のうっぷんを晴らして下さい!」とにこやかに式辞を述べた。そして、
「演奏してくれるのは、アンドレ・フィッシュマン率いる、アルテドナウ・アンサンブル。そして、Eleanor and the Messengers!」と締めくくった。すかさず大きな歓声と共に拍手喝采が沸き起こった。そして再び会場がしいんとしてくる。
 ステージ中央の一段高いところからアフロ・ヘアのマエストロ・フィッシュマンが決然とタクトを振りおろし、僕達がウェーバーの「舞踏への勧誘」を演奏し始めた。
会場の来客はみな固唾をのみ、今年17歳となり社交界入りする「デビュタント」達を待ちうける。
 すると間もなく、10代後半と見られる若い女性が真っ白なイブニング・ドレスに身を包み、蝶ネクタイ姿の若い男性とペアで腕を組み、等間隔で整然と並び入場するではないか。
 男性はみな背筋を伸ばし、すました表情で右側の女性をエスコート。女性は常に男性の右側に居るのが習わしだ。良く見ると彼女らの右手には小さな白いブーケが握られている。

1,ニ,三,1,ニ,三,1,ニ,三……
1,ニ,三,1,ニ,三,1,ニ,三……
1,ニ,三,1,ニ,三,1,ニ,三……
1,ニ,三,1,ニ,三,1,ニ,三……

 彼女らが一通り入場して位置につくと、揃って挨拶……男性はお辞儀し、隣の女性はスカートの裾を軽く持ち上げて右足を少し引き、左足を曲げる西洋独特の礼をする。その初々しい姿には、まばゆいばかりの美しさと気品、そして華やかさが漂う。
 そこで会場を流れる曲が「ウィーンの森の物語」に変わり、デビュタント達がくるくると優雅に踊り始める。

1,ニ,三,1,ニ,三,1,ニ,三……
1,ニ,三,1,ニ,三,1,ニ,三……
1,ニ,三,1,ニ,三,1,ニ,三……
1,ニ,三,1,ニ,三,1,ニ,三……

ワルツはとにかく一拍目が強調されるのだ。

1,ニ,三,1,ニ,三,1,ニ,三……
1,ニ,三,1,ニ,三,1,ニ,三……
1,ニ,三,1,ニ,三,1,ニ,三……
1,ニ,三,1,ニ,三,1,ニ,三……

 こうして何曲か続き、デビュタント達のお披露目が終わりに近づいていく。
「いつ見ても、感動的だね」とフルートを膝の上に置き、チュンさんにささやいた。
「Yes, I know. Very sexy, too.」と彼がにこやかに答えた。
 セクシーか、確かに規律がありすぎるのだろう。

 間もなく舞踏会場が一般にも開放され、「美しき青きドナウ」の演奏をバックに、カラフルなドレスの女性達がペンギン気取りの紳士方とペアを組み、一斉に入場する。 しばらくワルツが続き、急に四拍子のステップに変わったかと思うと、喜歌劇「こうもり」序曲である。たくさんの老若男女がペアで、狂ったようにくるくると会場を巡る。その姿は、華麗かつ爽快そのものだ。
 女性方は、華やかな衣装ですっかり良い気分になり、
「今夜こそ、私の美貌と才能をひけらかすの!」と自負するかのようだ。
 フルート演奏の合間に仲間を発見……余計なことを考えてしまう。
「萩谷だ。一緒にいるのは、ミス平原かな」
 けしからんことに、フロアのど真ん中でピンクのミニドレスと気持ち良さそうに踊っている。
「エルマイヤーのダンススクールで鍛えたんだろうけど、あのくらい優雅だと、黒ぶち眼鏡もすんなり溶け込めるんだ……」
 平原さんは僕の上司だった。大学生のお嬢さんは、休みを利用して日本から遊びに来ていた。
 あの二人は、御両親公認のカップルだろうか、羨ましい限りだ。リズムに合わせて、こんな言葉を交わしているに違いない。
「ウィーンは、初めてでしたっけ?」と問いかける、萩谷オサム。
「ええ……」
「じゃあ、舞踏会も初めて?」
「ええ。こんな季節に親元に来ても、と思っていたから、感激!」と、ミス平原。
「良かったね……それにしても、上手だね」
「ちゃんと、リードして下さるから……」
 ボーッと物思いに耽っていると隣のチュンさんから
「今夜は、彼女とフロアで踊っていた方が良かったんじゃないの?」と揶揄してきた。
「エッ、彼女って?」
「ほら……」
「いや、これは仕事なので」
 ウィーンは狭いので噂も早い。ましてや団員同士でつきあいが始まると、隠すのは不可能に近いのだ。

 10時頃になると暫く休憩が入ったので、ほっとしてステージを降りた。トロンボーンやクラリネットなど吹奏楽器中心のビッグ・バンド「エリナーとメッセンジャーズ」と交代するのだ。僕らがこの土地ゆかりのワルツ、ポルカそして民族音楽を受け持ち、彼女らがモダンなジャズ系の曲を担当していた。
 最初の曲は「真珠の首飾り」。早いテンポの好きな女性たちがこの時とばかり、カラフルなミニドレスで真面目を装うパートナーとはしゃぎ、踊り、体をくねらせる。紳士方の格好の目の保養ではないか! 
「冬を吹き飛ばそう!」との気迫で皆、とても一生懸命で楽しそうである。要するに古典趣味の大規模ディスコなのだ。
 少し間をおいて女性のハスキーな歌声が聞こえてきた。「ムーン・リバー」だろうか。エリナーは、スリムでセクシーな金髪女性ヴォーカルだった。彼女は頬骨が高く、色白。チャイナ・ドレス調に深いスリットの入った、銀ラメのロングドレスを着ている。
 そこで僕は、フルート仲間のチュンさんや津軽マミ、それからコントラバス奏者のキャロルを誘って夜食を目指すことにした。キャロル・ゴンザレスは南欧系のアメリカ人で、子供の頃、沖縄に住んでいたことがある。体格も日本人的で近づきやすいのだ。
「ねえ、向こう側でお寿司を売っていたわよ」とマミがほっとした表情で言う。
「それじゃあ、行ってみようか!」と反応した。
「お寿司? いいですね!」とキャロルが声を上げる。
「How about you ?」と僕はチュンさんに声をかけた。
「Sushi? Why not, with some wine, perhaps?」とのっぽのチュンさんがにこやかに答えた。立ち食いスタイルの出店で僕達はサーモン、アボカド、マグロ等々、思いつくままに注文した。結構な人気で、たくさんのカップルが寄ってきてはサービス係の若者から寿司をさらっていく。
「知り合いの方とか、いました?」とキャロルに尋ねてみた。
「国連宇宙局の、かの有名なハンサム・ボーイがいたわよ」とキャロルがうれしそうに答えた。チュンさんがチラッとキャロルに視線を送り、
「僕じゃない、別人だよな……」と言った表情をする。チュンさんも一応、国連宇宙局の職員なのだ。そこですかさず、
「エリナーもチャーミングだね」とチュンさんにつぶやいた。
「そう、ね……」とチュンさんが目配せする。
「彼女、少し下品じゃない?」と、マミが牽制してきた。
 気がつくと、辺り一面に香水の香りが漂っているではないか。
「この間は楽譜を届けてくれて、助かったわ」と、マミが言ってきた。
「いや、なるべく早くと思って……僕の方がウィーンに慣れているし」
「あんなに早く手に入るとは、思わなかった」と彼女が念を押した。
 それから30分も経たずに、ステージに戻る時間が来てしまった。
「トリッチ・トラッチ・ポルカ」と口ひげのマエストロ・フィッシュマンが大声で呼びかける。僕は一応気分良く自分の持ち場に戻ったが、いざ吹き始めると集中力が足りない。アルコールが回り、マミのことばかり考えていたからだろう。
「大丈夫?」と言った風情で、隣のチュンさんがチラッと目を光らせた。
 そこで姿勢を正し、気合を入れ直した。3拍子。今度は4拍子。そしてあげくの果てには12拍子と演奏が続く。

 夜中の1時を過ぎると疲れと眠気で、デスマッチ状態になりはじめた。いつの間にかフィッシュマン先生の代わりに、背の高いコンサート・マスターがタクトを振っていた。疲労のせいか、目の前の譜面台がやけに光って見えた。フルートの演奏は沢山息を使う。際限なく風船を膨らませるように消耗するのだ。

 2時半頃、フロアで整列した男女が手に手をつないで昔風の「カドリール」(4人一組)を踊った。そしてエリナーたちと交代すると、彼女がスローな曲を歌い始める。永遠のクラシック「ラストダンスは私と」である。
 そこで僕達は、チークダンスに興じる若いカップルをよそに、三々五々、目立たぬように会場から消えることにしたのだ。僕はフルートを分解してケースにしまいこみ、マミの様子を見に行った。彼女は楽器をケースに収めようとしていた。
「津軽さん、お疲れ様。そろそろ帰ろうか?」
「ええ」
 彼女の楽器ケースのMとTの大文字が妙に自己主張している。
「アパートまで送るよ」
 二人で会場の外でタクシーを拾い、彼女の家に向かった。

 建物の前でタクシーが止まる。
「マミちゃん……悪いけど水を一杯くれる?」と精魂つき果ててつぶやいた。あたりは既に、ほんのりと明るい。
「寄って行くなら、どうぞ」と彼女が言ってくれた。
「……ああ、助かる……」
 タクシーが走り去っていく。彼女は黙ったまま玄関の鍵を開けはじめる。深閑としており、鍵の音だけがカチャカチャ響く。そこでだんだん意識が朦朧としてきた。階段を登り切ると、いよいよ眠気が襲ってくる。
 ドアが開く。アパートに入り、居間まで来ると、僕は倒れるようにソファに沈み込んだ。彼女が気を利かせてグラスで水を運んできてくれた。
「あ、どうも……」
 うやうやしく受け取り、飲み始める。
「フルートは本当に消耗するんだから。もう、ほとんどウオータースポーツ。こういう時はセカンドでつくづく良かったと思う」
「無駄な息を吹き込むし、チューバみたいだって言うわね」
「あのさ、今夜泊めてくれると有難いんだけど……」と言いながら目をつむる。
「……居間で良ければ……どうぞ」と彼女が静かに承諾してくれた。
「ああ……助かる。」
 何とだらしない計画が、うまくいってしまったのだ。
 彼女がナイトガウンに着替えて戻ると僕は居間のソファでほぼ眠っていた。
「意外と可愛いらしいのね……」と言って彼女は毛布をかけてくれた。そしてお休みのキスをしてくれた様な気がする。でも白雪姫と違って起きることはなかった。

フルートとヴァイオリン(第3章 舞踏会)

フルートとヴァイオリン(第3章 舞踏会)

  • 小説
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更新日
登録日 2019-07-02

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