片隅の訃報
「『作家でご免』サイトの皆様へ
日頃ご幸甚を賜っておりました上松煌は、昨日六月三十日午前4時42分、
都下国立病院機構災害医療センターにて逝去致しました。
ここに心より深謝致しますと同時に、謹んでご報告申し上げます」
ささやかな文面だった。
この『作家でご免』は文字通り、作家を目指す同好の志の集うサイトだ。
思えば彼は確か、1年半くらい前にやってきた比較的新参者だった。
『ご免』のメンバーたちはほんの束の間、これを取り沙汰して沸き立った。
悼むというより、だれがこの訃報を載せたのか、そしてそれは真実なのか?というのがみんなの関心事だった。
彼には暖かい家庭があり、同居の義父も「大弥次郎」の名で投稿していたから、妻か義父のどちらかがこの儀礼に及んだものとの見解が大半を占めた。
5chにも『ご免』のスレッドがあったから、口さがない彼らの中には露骨に「やっと死んだか」「くたばって万歳」などのカキコをして憚らない者もいた。
つまり、人間にありがちな嫉妬もあって、彼は人気がなかったのだ。
まぁ、それはあながち、まわりの罪とばかりは言えなかった。
非常に頭のいい、IQ(知能指数)もEQ(精神成熟度数)も高い人間であったが、奇妙な性癖を宿していたからだ。
ナルシスもかくやと思うほどの自己愛のあまり、常に強い自己破壊願望・希死念慮に苛まれている。
しかも、それを隠そうとしない。
そのせいかテーマや文体は、時として過剰に攻撃的で辛辣、凄惨で陰鬱なものになった。
特に初期のものにその傾向が強く、人をして嫌悪せしむるに十分だった。
最愛の妻をはじめ、女友達たちもそれに辟易し、作品を読むことはなかったと彼自身が記している。
彼は自らそれを「死にたい病」と呼び、自動書記が出るなどと心霊めいたことをほざいていたが、おそらく筆が追いつかないほど思考が走ることを言ったものだろう。
「書きたい病」なるものも同時発生すると言い、さらに妙なのは、男のくせに「オニャニョコ」も出現するそうで、確かにその時には非常に女性的な、もの柔らかで趣深い文章を書いている。
とにかく『作家でご免』では異色の存在で、才能があるのかないのか、健常か異常か判断に苦しむ部分もあったが、高い倫理と正義感に裏づけられた論理思考は正常人そのままで、うっかりすると他の『ご免』民に異常性が見受けられるほどだった。
◇ ◇ ◇
自分がつらつら鑑みるに、彼の「死にたい病」の一端は、単なるナルシシズムとは異なる要因により形成されていると思える。
心臓循環器系に持病を持つ彼は、それが5年生存率、10年生存率をうんぬんされるほど重篤なものであったがために、その年齢に比して驚くほど短い余命を常に念頭に置かざるを得なかった。
やがて病に奪われる命ならばいっそ自らの手でと望む、一種悲劇的な反発と矜持は、彼ならずとも、我々のだれもが持ちうるものだろう。
『ご免』に現れてより約1年半。
作品をあらためて拾い読みした自分は、このわずかな間に彼の生命力と筆力が以前の1/3ほどに落ちていることを発見して愕然とした。
絶筆となる「鎌倉の思い出」の前に「北風(ならい)」という作品があるが、痛ましい悲劇を詠っているものの、一見すると獰猛なほど力に満ちた表現力と文体に裏打ちされているかに見える。
だが、その実、これは完成されたものではなく、作品としての整合性はつけてあるものの、途中で放棄されたものなのだ。
本人は桜のころに訪れる「書けない時期」を理由にしているが、去年にはこのような曖昧なことはなかった。
「北風(ならい)」が纏う、深々とした寂寥感と茫漠、高らかに詠い上げられる失われた命への哀惜と崇敬は、彼自身の心象風景そのままとはいえないだろうか?
眼差しの先にあったものは荒涼とした玉砕の島ではなく、自らの行く末であり、後に残る者への思慕であり、執着ではなかったか?
かつて医者が匙を投げ、親兄弟親類縁者友人が呼ばれた経験を持つ彼は、死がどれほど凶暴で残忍な苦悶を死にゆく者に与えるかを熟知していた。
彼は同病者の集まるサイトに、脳がしばらく、その時の記憶を消すほどだと書いている。
彼は懊悩しなかったのだろうか?
恐怖し煩悶はしなかったのだろうか?
それらに思い当たった時はじめて、自分は一個の人間として彼を心から哀れに思い、追悼の情を禁じえなかった。
◇ ◇ ◇
最期の作品「鎌倉の思い出」は、書けないという慨嘆とともに掲載されたものだった。
内容は大学2年まで鎌倉市の一角に住んでいたことが明かされ、当時の彼女と2人、近くの高台で、海から帰る不思議な灯りと遭遇するというものだ。
カノはそれを神との邂逅ととらえ、彼は異なった見解を示している。
これには数人の読者がつき、親切な感想を落としている。
ほとんどの人が、書けていないとする彼をなだめ、言葉を尽くしてアドバイスする暖かい書き込みを残していた。
恐らく、もう2度と帰ることのない病室で、彼が心に抱いたものはこの感想であり、最期のよりどころとしたものは、この『作家でご免』民の厚情であったと思われる。
今、グーグル・アースで物語の場面をたどると、確かに堂宇の裏に街灯のある石段が続き、一軒家と空き地、山林が広がっているのが確認できる。
自分がふと思うのは、この明かりこそ、彼自身ではなかったのか?
螺旋のようにめぐる時の狭間に、彼は自らの姿を垣間見たのではないか?
天寿を全うできなかった不幸な魂は、恐らく今も、海のかなたから帰るのだ。
江ノ電に乗り、この「極楽寺駅」に降り立ち、石段を上がってみたい自分がいる。
時は恐らく幻の海原を眼下に置くだろう。
海から帰る彼を迎えて、自分はきっと「おかえり」と言う気がする。
片隅の訃報