星降る夜の落星
序章 〈星天の王災〉 第一話 父と子
序章 第一話
遠くで轟く音を気にもせず、ハオスは淡々と口を動かしていた。固い黒パンを塩辛いスープに浸し、黙々と。
昨夜から続く暴風は、雨を伴わないものの、古くなった家を軋ませる。
家の玄関に近づく気配に気付き、ハオスはゆっくりと立ちあがり、歩き出した。
「お帰り、父さん」
「ああ。ただいま」
村の門衛の仕事から帰ってきた父に軽く挨拶をした。
「俺、もう寝るから」
「ああ。すまんな、家に居てやれなくて。今度どこか行くか?」
「いいよ、別に。最近は害竜が多いだろ?
家でゆっくりしてて」
「すまんな」
ハオスの父は、不甲斐ない自分を呪うように一言、謝った。
日は沈み、閑散とした村に、遠くで雷の落ちる音が響きわたる。
最近、急激に増え始めた〈害竜〉が暴れれば、天候くらい悪くなるのは当然だ。
あまりにも〈害竜〉が多いのか、いつも討伐にやってくる竜騎士たちが、未だ来ていない。
(まぁ、来たら来たでウザいだけだし……)
知性ある竜と契約し、その背に乗って空を駆ける竜騎士。
未来の竜騎士などを育成する騎士学園は、身分の貴賎に関係なく試験の結果で入学生を決める実力主義の学園だが、やはり幼少より教育できる貴族の家の子女が多い。
中でも、成績上位かつ特別な試練を合格した者のみがなることが許される竜騎士には、プライドが高く、調子に乗った者が少なからずいることがある。
偏狭の村へ派遣されるものは、特にその傾向が強い。
調子に乗って努力を欠かすため、〈神都〉や大きな街を守るに足りないと判断されることが多いのだ。
竜騎士なんて、騎乗されている竜が強いだけで、騎士は大したことがないと思っているハオスは、村でも特に竜騎士を嫌っていた。
村にいることが少なく、居たとしても門衛の仕事で家にいないことが多い父の方が、まだ何百倍もましだった。
少なくとも父は、村と自分のために頑張っているのだと知っているからだ。
宿屋で飯をたかり、酒屋で暴れまわり、いざというときは、母を見捨て〈害竜〉ごと黒い煤に変えてしまうようなやつらより、何百倍も。
だからと言って、父を好きなわけではない。
かつてはそれなりに高位の冒険者だったらしく、その剣の腕と、冒険者としての知恵は尊敬に値するが、よく家を空け、母の死に目にも居合わせなかった役立たずの父を恨まずにはいられない。
だが、父が居なければ生きていけないのも事実。最低限の炊事洗濯はハオスの仕事だった。
同じ村の子供たちが遊んでいる中、一人、黙々と家を手伝うハオスを近所の女どもは褒めていたが、お前のせいで母さんが遊ばずに手伝えって言ってくる、と子供たちにはいじめられていた。
ハオスは、この村が嫌いだった。
親しい友人も、愛しい家族もいはしない。
ハオスは成人したら、村を出て、冒険者になろうと思っていた。
父に剣を、母に魔法を教わっていた。
魔法に関しては小さな火と少しの水を出すだけだが、無いよりはましだ。
父に教わった剣も、そろそろ初級を卒業し、下級を学べるだろう。成人までには、一般的に一人前と称される中級剣術を修められるはずだ。
父が夕食を終え、食器を片付ける音を耳にすると、ハオスは眠りについた。
序章 第二話 〈天王竜〉
序章 第二話
どのくらい眠っただろうか。
雨足が強くなり、雷は幾度も轟いた。
耳障りな音のせいで、あまり深く眠ることはなかったが、寝なければ明日が辛い。
そんなことを思いながらうつらうつらしていたハオスは、父が戸を蹴破る音で、目を覚ました。
「ハオス! 起きろ! 逃げるぞ!」
脈絡もなくいきなり逃げるという父を訝しげに見るも、その必死の形相から現在の状況の悪さを悟る。
村一の剣士。小さな〈害竜〉なら剣の一振りで両断する父が、恐怖で顔を歪ませていた。
出来うる限る最速で、上着を羽織り、杖を腰に差して、家から飛び出た。
上着の下は寝間着だが、着替える暇はない。
「ハオス! 剣なら置いていけ! お前には邪魔なだけだ!」
父は、ハオスが腰に帯びているものを剣だと思ったのだろう。
普通、魔法士は杖を腰に帯びたりはしない。
「母さんの杖だ! 剣なら置いてきた!」
「よし! 森まで走るぞ!」
「――っ!? 迷い霧の森に入るの!?」
迷い霧の森。
この辺りでは、奥深く入れば、迷って出てこられないことで有名な、常に霧で覆われた森だ。霧を吸いすぎると倒れることから毒霧の森とも呼ばれる。
だが、父はそんなことは大したことがないとでも言うように言い切った。
「平地よりはましだ!!」
右手を、やけにでかい左手で捕まれた。
ゴツゴツとして、自分の手とは比べものにならないほどの固さだった。
一体どれほど剣を振るったら、こんなに固くなるのだろうか。
大粒の雨が体を打つ。雷鳴が耳を打つ。
大して走ってもいないのに、体は芯まで冷えきり、ぬかるみに足をとられ、息はひどく荒い。
だが、それでも走る。
父に引かれているからではない。
後方から響く竜の咆哮に恐怖したからだ。
二匹……だろうか。
こんなにもでかい背で前を走り、こんなにも固い手で己を引く父が、振り返ることすらできずに逃げるほどの化け物が二匹。
あれは人の身で勝てる相手ではない。
あれは並の竜が勝てる相手ではない。
あれはまるで、御伽噺に出てくる竜の王様のような……。
ハオスと父は、時々飛んでくる巨岩や稲妻を避けながら、森へとひた走る。
だが、次に飛んできたものを避けることはできなかった。
父は何も言わずにハオスを体当たりで吹っ飛ばした。
咄嗟のことで、受け身もとれずに地面に落ちる。
呆然としたハオスの目に入ってきたのは閃光だ。
その巨体のおかげか。かろうじてハオスに見えたのは、この暴雨の中、白銀に輝く鱗だった。
閃光はその鱗の持ち主だ。
細長く研ぎ澄まされた体躯。
覆う鱗は雷光を反射し、周囲を照らす。
伸びる角はまるで避雷針のようで、天から落ちる雷を束ね、一直線に放っている。
地面を踏みしめる四足と、飛空するための双翼。
そこにあるのは機能美だ。
世界を統べる〈七王竜〉が一柱。天空を統べる風竜の王族――――〈天王竜〉。
その尾には、赤い赤い、とても赤いシミが付いていた。
まるでツスイ(動物から血を吸う羽虫)を叩き潰したかのような。
(あれ……? 父さんは……?)
ハオスは辺りを見渡すと、ある一点に目を釘付けにされた。
赤い、赤いシミ。
それは、ツスイを潰した跡ではなくて……
「ゥォェ――――!?」
ハオスはとっさに口を手で覆った。
虚ろな目で見つめ、手を伸ばし――――コプッ。
血を吐きながら、それでも手を伸ばす。
「あっ……。か、回復の奇跡……」
怪我をしたら治す。
それはあまりに単純で、ハオスにとって分かりやすい行動指針だった。
やることは単純。
母に教わった通りに、力を行使するだけだ。
生きとし生けるもの全てが持つ〈気〉。
それを練って〈力〉となし、〈技〉を引き起こす。
これらを体系化したものを〈術〉と呼び、それは選ばれた存在しか行使できない。
〈剣術〉しかり、〈魔術〉しかり、〈竜術〉しかり。
だが、〈奇跡〉は誰でも使うことができる。
必要なのは、信仰と願望と想像。
〈神〉を信仰し、願いを思い、その実現を想像する。
「……神様。父さんを癒して、お願いします――」
深く信仰するほど、強く願うほど、確かに想像するほど、〈奇跡〉は起こる。
だから、ハオスの願いはほとんど聞き届けられなかった。
嵐の夜の森の中、目映い白き光が父を覆い、引きちぎれた肉の断面が盛り上がり、出血が止まる。
父の傷はわずかに癒された。
だが、全身をグシャグシャに潰された人間が、止血程度で生きられるべくもなく……。
そして、その光は、暴れる〈天王竜〉の注意を引くのに十分な眩しさだった。
序章 第三話 〈竜の息吹〉
序章 第三話
ギロリと、不気味なほどに血走った目がハオスを捉えた。
目が血走り、牙を剥き出し、周囲全てに見境なく敵意を振り撒くそれは、理性を失い暴れ続ける〈害竜〉の特徴だ。
その鋭い眼光は見るもの全てを萎縮させる。
必然。ハオスは震える体に力を入れることもできない。
もはやハオスの体は、恐怖で震えているのか、嵐を受けて凍えているのか、それすらも分からない。
風竜の王族たる〈天王竜〉にとって人間など容易に叩き潰せる羽虫に等しい。
そして、怒り狂った〈害竜〉にあるのは破壊衝動と殺傷衝動。
視界に生物が入れば、殺そうとするのが〈害竜〉だ。
「グゥルルゥゥ……」
〈天王竜〉はその鎌首をもたげ、胸を大きく膨らませた。
それは全ての竜に共通するとある攻撃の予備動作だ。
――――竜の息吹
それは全ての竜が生まれながらに身に付けている〈竜術〉の中で最も容易に行使できる攻撃。
御伽噺の中で、あらゆる英雄を屠ってきた単純明快にして最強の〈技〉。
ハオスは避けられぬ死を目の前に見ていた。
生きたいと叫ぶ暇も、死にたくないと逃げ出す時間さえもありはしない。
避雷針の如し長い角に纏っていた雷が消失した。
空から嵐が散り始め、豪雨の勢いが収まる。
それに反比例するように〈天王竜〉の口内には溢れんばかりの濁流と雷光が渦巻く。
――――ガアァァァ…………
「ひっ……」
後方から轟くもう一柱の〈王竜〉の叫びを勘違いしたのか。ハオスは頭を抱えて、〈天王竜〉の〈竜の息吹〉に備えた。
いや、恐れをなしてうずくまった。
なにも、できなかった。
〈竜の息吹〉が放たれる直前、よりいっそう光が増し、ハオスをきつく目を瞑った。
――竜さえいなければ……
――――〈害竜〉さえいなければ…………
放たれた息吹は、愚直なまでに真っ直ぐに突き進んだ。
躓きながら霧を抜けた森は濁流に押し流され、生まれてから住んできた村は暴風で吹き飛ばされ、その先にある父と母が冒険者をしていたという街ですら稲妻に焼き焦がされた。
後に〈星天の王災〉と呼ばれるこの〈竜災〉の被害を受けた街や村に生存者は居なかった。
――ハオスを除いて。
一章 〈九頭竜〉 第一話 地妖精と森妖精と鬼
一章 第一話
夜明け前の薄明の中で、一人の少年が火酒を片手に風を浴びていた。
火酒は、先祖に地精霊を持つと言われる酒に強い種族ドワーフが好んで飲むものだ。
小さな瓢箪に入っていたものを一口飲んだだけで、少年の顔は朱に染まっていた。
その顔はまだ幼さが抜けておらず、やけに大きな爪痕が痛々しく刻まれている。
後ろの部屋で物音がした。
宿で同室のドワーフが起きたのだろう。少年はくいっ、ともう一口火酒を煽った。
「なんじゃいハオス。もう起きとったんかい」
目をこすりながら、ドワーフは戸を開け、ハオスと同様に宿の壁から出っ張った縁へと出た。簡単な柵と屋根が取り付けられており、吹く風が気持ちいいのだ。
「ああ。どうしても四年前を思い出すからな」
「おお。そうじゃったな。おぬしは〈王災〉を経験したのじゃったか」
「ああ。決して忘れられない夜だった」
ハオスは、遠くに視線を泳がせながら、かつての〈竜災〉に思いを馳せた。
「じゃからとて、わしの火酒を一人で飲むことはないじゃろう?」
「ふっ。まだ残っている。
どうせ最後なんだ。せめて樽ごと飲みたかったな」
「それには同感じゃ。じゃが、これからのことを考えれば、二、三口で止めるべきじゃのう」
二人は言葉少なく、それからしばらく飲み続けた。
日が登り、遠方から夜明けを告げる鐘の音が一度だけ鳴り響いた。
「この鐘の音を聞くのも今日が最後かのぅ」
「さてな。運が良ければまた何度でも聞けるさ。
そういや、タロはどうしたんだ?」
「クソエルフなら鬼婆のところじゃろう。何だかんだであやつらは両想いじゃったからのぅ。
ふむ。そうじゃ、ハオスは浮いた話しの一つも聞きはせんが、好きな女はおらんのか?」
「そりゃいるさ」
「ほぅ。どんなやつじゃ? パーティーメンバーかの?」
「人間に興味はない」
「変わったやつじゃな、相変わらず」
「サカロだって、エルフに興味はないだろ?」
「なるほどのぅ。納得したわい」
淡々と、二人は会話を続けた。
かつても話したことがあるような、いつも通りの会話だ。
だが、この場所の雰囲気は非常に険悪だった。
喧嘩をしているわけでも、仲が悪いわけでもない。
「さて。そろそろ行くかのぅ」
「ああ。四年ぶりの〈竜災〉だ」
二人は冒険者だ。
その役割は、遠くの神都から重たい腰を上げてやってくる竜騎士団の到着まで、街の住民が逃げ切るまで、〈害竜〉を抑えること。
一言で言えば、囮だ。
サカロは愛用の全身鎧で、背が低く、横に広がる体を包み込み、背中に戦斧をくくりつけ、腰の袋には薬瓶を大量に詰め込んでいく。生まれたときからもじゃもじゃしていた髪の毛は冑で見る影もない。
ハオスは身軽な服装の上から暗い灰色のローブを羽織った。腰には古くなり始めた剣を差し、女魔法士が使うような細い杖を手に持った。
「そういえば、おぬしはローブ以外初めて会ったときと変わらんな」
「あぁ。両親の形見だからな。
――てか、前もこの話ししたよな?」
「そうじゃったか?
酒の席の話しじゃったら、わしは忘れとるじゃろうな」
「十樽も空けるからだ……」
呆れた物言いとは裏腹にハオスは懐かしそうに笑っていた。
ハオスたちの話し声とは別に、廊下を歩く音が近づいてきた。
「ふぇぇ。どうかしたんですかねぇ」
宿の廊下でばったり会ったエルフは、不思議な抑揚で二人に話し掛けた。
耳にするだけでイライラとしてくる不思議な抑揚だ。
サラサラと流れる金髪に、ムカつくほど整ったかんばせ。粗野な冒険者のはずだが、何故か高貴そうな空気が漂っている。
百人が百人、美人だと答えるだろうその男は、それだけに、人を不快にさせる話し方をすることが残念に過ぎた。
「クソエルフ……」
隣にいるハオスが聞き逃しそうなほど小さな声で紡がれた罵倒は、ピクピクッと動く長い耳に確実に拾われた。
「なにか言ったかな、クズドワーフ?」
「残念エルフ……」
「樽腹ドワーフ……」
「もやし妖精……」
「脳筋妖精……」
「ガリガリヒョロヒョロ……」
「ズングリムックリ……」
「…………」
「…………」
互いに互いを罵りあい、睨みあっていた。
一触即発である。
「はぁぁ。また始まった……」
「いつものことなのじゃ。諦めるのじゃ」
今度は疲れきった顔をするハオスに、ドワーフのサカロよりもさらに小さな少女、いや幼女が話しかけた。
鮮血を思わせるような真っ赤な髪は短く切り揃えられ、額からは二本の角が覗いていた。
「ハオス、ぬし、酒臭いのじゃ。これから戦なのじゃぞ?」
高く可愛らしい声で、赤鬼の幼女は、ハオスを注意した。
「大丈夫ですよ、キヌ。解毒なら後でかけます」
「なら良いのじゃ」
キヌは、己を敬うように振る舞うハオスの態度に気分を良くしていた。
この街の冒険者の中でも屈指の高齢者だが、容姿のせいでキヌは子供扱いされることが多いのだ。
「ハオス、朝食にするのじゃ。そこの間抜けと腰抜けは放っておいて良いのじゃ」
「わかりました。
お前ら、ほどほどにしておけよ」
そう言い残すとハオスは、キヌと共に宿の食堂へと向かった。
「おい、腰抜けエルフ。またヤりそこねたのか?」
「……黙れ、間抜けドワーフ」
「ふむ。相変わらず、残念なやつじゃのう」
「ふぇぇ? そう言うお前は、どうなんですかねぇ? ハオスとは進展しましたかぁ?」
「駄目じゃな。性別以前に人間に興味ないそうじゃ」
「「……はぁぁ」」
顔を合わせる度に喧嘩をするエルフとドワーフは、仲良くため息をついたのだった。
一章 第二話 女剣士と女神官
一章 第二話
エルフとドワーフの喧嘩に興味もくれず、キヌはトテトテと階段を降りていった。
そこに危なげな様子は一切無い。
ハオスもキヌに心配をかける様子なく階段を降りていった。
食堂に着き、宿の女将に声をかけ、朝食を用意してもらう。
食堂の席を見渡すと、ハオスは妙に目立つ服装の二人組を見つけた。
キヌと共にその二人に近づけば、白を基調とした神官服を纏い、側に突起の目立つ大きなメイスを立て掛けている女が視線を向けた。
「あら。おはようございます。キヌ様、ハオス様」
「メリー、おはようなのじゃ! ヤトもおはようなのじゃ」
「おはようございます。メリーさん、ヤトさん」
ハオスとキヌが二人に挨拶すると、ヤトと呼ばれた女も、おはようと挨拶をした。
長く明るい茶髪をひとまとめにして後ろに垂らして、腰には不思議な湾刀を二本差している。動きやすいであろう軽装からは、彼女の蠱惑的な柔肌が覗いていた。
さて、とヤトが話し始めた。
「バカ共はいないが、とりあえず作戦のおさらいだ。
この〈竜災〉で私達『アカツノ』が対応するのは〈多頭竜〉だ。基本的には私が首を落として、タロのやつが断面を燃やすことになるだろう」
――――多頭竜
それは〈亜竜〉と呼ばれる竜に似た魔物の中でも最強の一角である。
特徴は、その名の通りの複数の頭と、そこから吐き出される高威力の〈竜の息吹〉だ。
だが最も厄介なのは、全ての頭を落とさない限り死なない生命力と、一本でも頭が残っていれば即座に切られた首から頭が生えてくる回復力である。
討伐方法は二通り。
全ての頭を同時に切り落とす。
あるいは、切断面を焼くことで回復を阻害し、順々に頭を落とす。
「だが今朝、斥候から新たな報告があった。〈多頭竜〉は二体ではなく、三体。
新たに発見された一体は色付きの〈九頭竜〉だ」
「…………」
「…………」
やけに大きな音がした。
ハオスとキヌが息を呑む音だ。
メリーが涼しげな顔をしているのは、おそらく一通り驚き終わった後だからだろう。
黙して目を瞑る様は神に祈っているかのようでもある。
色付きとはすなわち属性を持つということである。
「何色なんだ?」
ハオスが沈黙に耐えきれず問うた。
「白、赤、緑、青、黄、黒の基本六色と、毒々しい紫色、金属が腐ったような錆色、そして鮮やかな緋色だそうだ」
「なっ…………。属性が、九つも…………」
〈多頭竜〉はその頭の色ごとに放つ〈竜の息吹〉の属性が変わる。
基本六色と対応するのは、基本六属性と呼ばれる光、火、風、水、土、闇である。両端の光と闇は扱える魔法士が少ない希少な属性であり、他の四属性よりも強力であるとされている。次点で火と土が強いというのが、一般論だ。
そしてこのパーティー『アカツノ』の魔法士タロは、魔法適性が高く長寿のエルフであり、冒険者ギルド一の火魔法の使い手である。
そのタロでさえ、扱える属性は三つ。
属性が九つあることは、ハオスが言葉を失うのには十分過ぎる理由だった。
「安心するのじゃ、ハオス。致命傷は全て防ぎきってみせるのじゃ」
キヌはどこからかその身の丈の三倍はありそうな巨盾を取り出し、打ち鳴らした。
「では、皆様の怪我はわたくしが癒してみせましょう」
それに続くように、メリーもメイスを掲げた。
「なんだ、ハオス? 死ぬ気だったのか?」
パーティーリーダーのヤトは挑発的な笑みを浮かべている。
「〈竜災〉は…………出会えば死ぬ。だから、災害と呼ばれるんだ。そうだろ?」
それでもハオスの不安は拭えない。
あの〈竜災〉を体験し、生き残ったハオスだからこそ、竜という存在の理不尽さが分かるのだ。
ハオスは知っている。
目の前の女剣士は、かつての父にも劣らない上級の中でも上位の剣士だ。
すでに上級の〈剣術〉を修めたハオスが、この女から模擬戦で一本も取れたことがないのが、その証明だ。
「死ぬ気で挑めば、そりゃ死んじまうだろう。
だけど、生きようと思えば、生きられるものさ。
何が怖いんだ? 〈害竜〉も〈亜竜〉も、この四年間、さんざん斬り殺してきただろう?」
あの〈竜災〉から四年。
身寄りのないハオスは、日銭を稼ぐために冒険者になった。
そこで出会ったのが『アカツノ』だ。
ヤトに習った〈剣術〉はもちろん、タロに習った〈魔法〉とメリーに習った〈奇跡〉も上級まで修めた。
四年程度では実戦経験で劣るが、全てを使えば亡き父とも渡り合えるだろう。
だからこそ、自分が羽虫のように潰される未来が見えてくる。
仲間が、死ぬ未来が見えてくる。
それが、何よりも怖いのだ。
大事な存在ほど、自分を守って死んでいく。
母も、父も。そして、あの〈竜災〉でも……。
だからハオスは、これが最後のつもりなのだ。
「もうこれ以上、竜に奪われたくないんだ!
母を、父を、そして、せ…………」
「――失礼なやつなのじゃ」
低い声をキヌが発した。
ハオスの言葉を遮ったそれは、実際には不断通りの可憐さなのだが、隠しきれぬ怒りが、そう錯覚させた。
「ぬしはこのパーティーの仲間なのじゃ。仲間も信じられぬのか?」
「…………」
ハオスは、〈二頭竜〉と〈三頭竜〉ならばどうにかなると思っていた。
自分さえ死ねばどうにでもなると。
自分が守られて仲間が死ぬくらいならば、自分が仲間を守って死にたいと。
これはあくまでも時間稼ぎ。
街の住民が逃げ切り、〈神都〉から竜騎士団が飛んでくるまでの時間稼ぎ。
それならば、仲間が助かる可能性がある。
事実ハオスは、四年前に生き残ったから。
だが、守ってみせると言われて、動揺した。
父のように死ぬのではと。
癒してみせると言われて、動揺した。
父のように無意味なのではと。
動揺して、覚悟が鈍って、それがどうしようもなく情けなくて。
「死ぬ覚悟はいらない」
心を読んだかのように、見計らった言葉をヤトが投げた。
「不安は全て、叩き斬ってやる」
剣の柄に手を置いて言う。この剣で、と。
「だから、生き抜く覚悟をしろ」
(……ああ。前にもこんなことを言われたなぁ)
ハオスが死物狂いで〈害竜〉を討伐していた頃のことだ。
こんな言葉で誘われて、その魅力に抗えなくて、何より、眩しいくらいに格好良くて。『アカツノ』というパーティーに入ったのだ。
ヤトは何年経っても求心力のあるリーダーだった。
「ああ。分かった」
ハオスは、覚悟をした顔をしていた。
「ふんっ! ヤトはいっつもおいしいところを持っていくのじゃ」
キヌはご機嫌斜めですと主張するように、そっぽを向いた。
拗ねた子供のようでむしろ可愛らしい。
「すいませんでした、キヌ。〈竜災〉と聞いて、怯えて、ばかなことを言いました」
「本当なのじゃ! でも許すのじゃ!
ぬしはまだ十四。成人したばかりのぬしをそこまで責めるつもりはないのじゃ。じゃから…………」
「――――ふぇぇぇ。何かあったんですかねぇ」
ぶちっ、と堪忍袋の緒が切れる音が聞こえた。
(ああ、サカロ。やっぱり気が合うな……)
ハオスは、ぶち切れたキヌがタロを殴り倒す音を聞きながら思ったのだった。
――――このエルフ、まじでむかつく
それはパーティー全員の総意であった。
星降る夜の落星