此岸の際から

やひろ 作

     一

 わたくしの名前は、溝口愛子ともうします。年は数えで三十一、仕事は、霊安師をしております。ええ、れいあんし、です。もしかすると、聞き慣れない職業かもしれません。え、そうではない? ご存知なのですか? ……そうですか。そうですよね。でも、せっかくの機会ですので、差し支えなければ、この場をお借りして、このお仕事のご説明をさせていただければ、と思います。
 あやしげな信仰宗教、あるいは霊能商法の類いに間違えられることは少なくありません。ですが、これでも立派な、国家公務員なのです。
 確かに、職業としては、やや新しい部類に属するのかもしれません。まだ、この仕事が誕生してから、十八年しか経っていないのですから。また、あまり世の中に広く認知されている職業ではありませんから、ピンとこなくても当然のことだと思います。言われてみれば、ああ、そういうことをする人もいるよね、そういうことは誰かがやらなければならないものね、そういう立ち位置のお仕事だと、世間様には認識されているかと思います。
 そのようなお仕事ですから、なり手が少ないのかというと、そんなことはございません。一般にあまり認知されていない資格とはいえ、曲がりなりにも国家公務員ですから、目指される方は大勢いらっしゃいます。本屋さんにいけば、試験対策の問題集や参考書が置いてありますし、あまりメジャーではありませんが、専門学校にも専用のコースがあると聞いております。難易度も、他の資格とそう変わらないと思います。言うまでもありませんが、一定の基準を満たしていなければ、職務が全うできませんものね。わたくしですか? わたくしは、おかげさまで、独学で、試験を通過させていただきました。いえ、決して優秀というわけではございません。二度も試験に落ちていますから。とはいえ、これは平均的な回数だと思います。もちろん自慢ではありませんよ。
 試験の内容は、些か特殊かもしれません。筆記試験の半分は、他の国家資格とそう変わらないと思います。ですが、あとの半分は、古今東西のありとあらゆる宗教や死生観の知識が問われます。仏教、キリスト教、イスラーム教はもちろん、ユダヤ教、ヒンドゥー教、ゾロアスター教、広範囲にわたっての知識が求められます。もっとも、宗教というものは無数にあります。信者の数だけある、といっても過言ではないかもしれません。仏教だけをとっても、上座部仏教、大乗仏教のふたつの大きな潮流がありますし、キリスト教にも、カトリック、プロテスタント、派生したものでモルモン教など、さまざまな種類がございます。細かい宗派や、派閥などにまで分けていきますと、それはもう、物凄い数がございます。また、仏教をベースにした新興宗教なども多数ございますから、とにかく無数に教義というものがあるわけです。教義というのは、要するに、何を信じるのか、信仰をどう解釈するのかということですから、わたくしたちそれぞれの欲望の姿なのかもしれませんね。
 死生観についても同様です。これは宗教のみならず、土地柄、お国柄も大きく関わってくるところかもしれません。たとえば、遊牧民族であるジプシーは、誰かがお亡くなりになりますと、その人のことを綺麗さっぱり忘れてしまい、最初からいないことにしてしまうのだそうです。ご遺体の埋葬もなさらないようです。遊牧民族ですから、お墓という概念がないのかもしれませんね。それにしても、最初からいないことにする、というのはいかにも大胆です。もっとも、日本は農耕民族ですから、そのような価値観がないのは言うまでもありませんが、知識としてはいちおう、蓄えておく。そういうことを試験で見られるのです。
 もちろん、無神教についても学んでおかねばなりません。「何も信仰していない」というのがいかに複雑で、扱いにくいことか。実際のところ、何も信仰していない人間など、いるはずもありません。必ず、皆さん、何かを信仰していらっしゃいます。それが、お金なのか、国家なのか、はたまた科学なのか。どこかの誰かがつくった、かりそめのイデオロギーなのか。古来からある、連綿と続いてきた価値観の集積体なのか。もちろん、それは人によって違いますけれど、結局のところ、「何を拠り所にしているか」を解きほぐすことが焦点になります。あらゆるものを取り除いていって、最後にその人は何を拠り所にしているか。それが、その人の「信仰」になるわけです。
 さて、二次試験は実技です。これは、心療内科の、カウンセリングに近いことを要求されます。相手の言っていることに耳を傾け、相手の魂を鎮めることが必要になります。また、葬儀にまつわるさまざまな約束事、礼儀作法などが問われます。もちろん、被試験者の宗教的信念は尊重されますが、それはそれとして、職務を全うするための実務の部分が試験では問われるわけです。こればかりは、訓練を重ねるしかありませんが。わたくしですか? わたくしは、お寺の子ですが、特に宗教的な制約や、抵抗感を感じたことはありません。やはり、究極的には、心のうちを推し量ることしかしかできない他人様の気持ちに寄り添い、どれだけその人のことを考えてあげられるか。陳腐かもしれませんが、そのところにすべてがかかっているような気がするのです。
 話が大きく脱線してしまいました。そうそう、わたくしのお仕事についての説明でしたね。
 わたくしの勤め先は、東京都千代田区九段下にあります、一般社団法人 国立霊安センター本部になります。
 日本で唯一の、合法的に安楽死が行える機関になります。霊安師としてのわたくしの務めは、安楽死を希望される来訪者の方のお話を聞き、最大限の尊厳をもった死によって、その魂を救済することにあります。

     二

 なぜ霊安師を目指したのか、ですか? はい、よく訊かれます。この仕事に就いてから、一番よく訊かれる質問かもしれません。さて、なぜでしょうか。物心ついてから……という回答はできませんね。わたくしが小さいときには、まだ安楽死が合法ではなく、もちろんこの職業もなかったのですから。その場しのぎのおざなりな答えと、わたくしの本当の気持ちの二種類があるのですが、どちらがよろしいでしょうか? ……言うまでもありませんね。さて、どうしましょうか。
 実のところ、よく憶えていないのです。おそらく、なにかのきっかけがあったことは間違いないのでしょうけれど、記憶にはさっぱり。それを目指すのが自然だと思った、というのが正直なところでしょうか。……え、納得がいかない? ……そういうものでしょうか。
 なにか明確なエピソードや、動機があって、特定の職業を目指すのが普通なのでしょうか。ええ、存じております。学生が、学生生活の終わりに、それまでの自分を振り返って、自分についてあらためて分析し、これから就くべき仕事を選ぶというのが一般的なのでしょう。ですが、誤解をおそれずに申しますと、ああいったものは、総じて後付けの屁理屈だと思います。
 例えばの話で聞いていただければ結構なのですが、友人の話をいたします。仮にAとさせていただきます。わたくしとAは無二の親友でした。家も近所で、幼ごろからよく一緒に遊んだものです。わたくしたちは親友ではございましたが、互いの性質はまるで違っておりました。わたくしは身体もあまり強くなく、よく晴れた日でも日陰で読書しているのが常だったのですが、Aは多少雨風に曝されても、男子に混じって球技に興じているような、そんな子でした。それで一緒に遊んでいた、と言えるのか、ですって? いえ、わたくしたちには誰にも言えない秘密がありました。家の近くに、ひなびた神社がございまして、長らく管理もされず、祠は施錠され誰も立ち入れないようになっていたのですが、そこによく二人して潜り込んでは、人目をはばかるようなことをしていたのです。
 その内容もここで話すのですか? ……はい、わかりました。いえ、大丈夫です。
 その神社は、なんと言いますか、町の外れにありまして、普段は人通りがたいへん少なく、神社のまわりに、ちょっとした公園のようなものがあったんですね。ただ、先程申しましたとおり、ひと気が少なく、あえて訪れるものもなく、遊具は錆び放題、雑草が生えてもおかまいなし、という有様でした。その影響かはわかりませんが、公園の片隅に、おそらくは不法投棄なのでしょうか、大小さまざまなガラクタが打ち捨てられておりました。わたくしたちには、誰がそこにそんなものを棄てているのか、一度でもその現場を目にしたことがございませんので、検討もつかず、不思議に思っていたんです。
 おそらく、誰もいない夜更けに、わたくしたちのいないところで、棄てていたのに違いありません。とはいえ、そこにあったのは、画面が割れているテレビだとか、穴のあいたソファだとか、そんなものばかりで、特殊なものがあったわけではありません。それでも、わたくしとAは、おもしろがって、よくそこで遊んでいたんです。
 ある日、Aが変なものを見つけました。こちらを見ていたずらっぽく笑い、それを人差し指と親指でつまみあげて、わたくしに見せました。それは、男性向けの、卑猥な雑誌であることが、ひと目で見て取れました。無論、そういった類いの本を、読んだことがあるわけではありません。しかし、それがたいへん猥雑で、わたくしたちの目に触れるべきものではないものは、一目瞭然なほどの露骨さだったのです。
 見ると、Aの足元には、その類いの書籍が山と散らばっておりました。つい先日まではそこに無かったものですから、誰か特定の方が、一度に棄てていったものに違いありません。よほどの蒐集家が、なんらかの事情によって、コレクションを廃棄なさったのでしょう。
 Aは、読んでみたいか、わたくしに問いました。わたくしは首を横に振りました。正直に申せば、幾分か、興味がないわけではなかったのですが、そんなことをお父様に知られては、わたくしは自分のうちにいられない、とそのときは思ったのです。
 Aは、大丈夫よ、なにを気にしているの、周りに誰もいやしないんだから、わからないわよ、とわたくしに言いました。どこか、小馬鹿にしたような響きがあり、むかっ腹が立ったことを記憶しております。わたくしはそれでも首を横に振りました。人が見ているか、見ていないか、そういう問題ではない、と思ったからです。
 Aは焦れて、じゃあ、祠の中で読みましょうと言い出しました。わたくしは非常に驚きました。たいへん畏れ多いことです。しかし、Aは自信たっぷりに、祠の中ならば誰かに見られる心配もない、それに、神さまの御前なのだから、むしろ潔い、聖なるものと俗なるものは常に隣り合わせである、有名なお寺や神社のまわりには常に猥雑な俗世界があるではないか、などという珍説を展開しました。わたくしはちっともAの言っている意味がわかりませんでしたが、きっとAもわかって言っているわけではなかったに違いありません。その口調から、おそらくは彼女の父親か、祖父か、親戚かが、酒の席で演説しているのをそのまま模倣しているのだ、とわかりましたから。
 とうとうわたくしは折れて、了承いたしました。言い出したら聞かないAの頑固さは筋金入りです。それに、実のところ、このときには、もはや好奇心のほうが優っていたのです。
 Aはそのへんにあった手頃な雑誌を三、四冊掴みますと、わたくしの手を引いて、祠へと向かいました。祠の広さは、だいたい六畳ぐらいの広さでしょうか。もともとは施錠がしてありましたが、ドアの近くに穴が開いており、そこに手を突っ込んで、引っかかっていた南京錠を落としたことから、そのときには自由に開くようになっておりました。無論、そのことを知っているのはAとわたくしだけでした。
 祠の中は当然板張りで、埃っぽくはありましたが、人が二人、中でくつろげる空間は確保してありました。以前に来たときに、念入りに掃除をしておいたからです。そこはさながら、わたくしとAの秘密基地でした。
 Aは床にあぐらをかき、持ってきた獲物を広げました。あまりの内容に、わたくしが手で顔を覆いますと、嬌声をあげながらわたくしの手を引き剥がしにかかりました。わたくしはそのたびに、かたく眼をつぶらなくてはなりませんでした。
やがて眼が暗闇に慣れ、いっときの興奮が収まると、わたくしとAはまじまじとそれらの書籍を拝見いたしました。それはもう、筆舌に尽し難く、驚きの連続で、興奮などどこかに置き忘れてしまうぐらい、呆然とそれらに見入ったものです。
 知識として知ってはいました。わたくしもAも、小学校の高学年でしたから、学校で習います。しかし、本当にそんなことが行われているなんて、思いもしませんでした。
 気づけば、Aはわたくしの顔を凝視しておりました。わたくしが目をまるくして、顔をそらしても、Aはわたくしの顔を見つめることをやめませんでした。わたしたちのからだとずいぶん違うね、Aはゆっくりと言いました。わたくしはしばらく、Aの唇の動きを頭の中で反芻しました。それは妙に艶めかしく、強く印象にのこりました。わたくしは、ぼうっとして、しばらく口もきけませんでしたが、やっとのことで、それはそうよ、子どもなんだから、と言い返しました。
 ほんとうに子どもなのかな、とAは言いました。わたくしは意味を量りかね、首をかしげました。Aは、脱いで、とわたくしに言いました。わたくしは、すぐにはAがなにを言っているのか、理解できませんでした。わたくしが聞き返そうとする前に、脱いで、と今度はひと文字ずつ、ゆっくりとAは発音しました。わたくしは当然首を横に振りましたが、Aはあきらめませんでした。
 どれぐらいの時間、そうしていたことでしょう。気づけば、わたくしはAの言いなりになり、裸で床に仰向けに横たわっておりました。どうやって説得されたのか、憶えておりません。Aは、わたくしの横に雑誌を置き、身体をつぶさに点検しながら、比較をしておりました。わたくしは緊張から全身が硬直し、指一本動かすことすらかないませんでした。
 自分のからだを見るのとはぜんぜん違うわ、とAは言いました。わたくしは、解剖寸前のカエルになったような気分でした。Aの視線は、わたくしの全身を舐めるように這い、骨の位置、筋肉のつき方、内臓の位置まで、事細かに観察しているように見えました。Aの視線がわたくしの身体に注がれるたびに、わたしくは、そこをAが指でなぞっているかのような感触を感じました。しかし実のところ、Aはわたくしに指一本、触れてはおりませんでした。しかし、わたくしは、痛みとも、恥辱とも、快楽ともいえない、形容しがたい感覚に包まれました。
 ずいぶんと回りくどい話をしてしまいました。長い話でしたが、Aのことを説明する際には、これぐらいの前置きがどうしても必要だと思ったのです。あのようなことがあったあとも、成人するまで、Aとは無二の親友のままでした。いえ、もちろん、そんなはしたない関係ではありませんよ。あのとき、Aがわたくしにしたことで、性的な印象の記憶は無く、あの瞬間は、むしろ神聖な、厳かな気分にすらなったものでした。もしかしたら、祠のなかで行われた、ということが影響しているかもしれません。
 Aは、医師になりました。無論、高校にあがり、大学を受験する折から、そのことを決めていたようです。Aは、高校にあがってからは、陸上競技の特待生として、周囲から期待を一身に背負っておりました。それが、高校の在学中に交通事故に遭い、そのときの怪我がもとで、彼女の選手生命は絶たれました。
 医師を目指すというとき、彼女は高らかにこう言いました。怪我をしたときに、手術を担当してくださった先生が、とても素敵で、命の恩人なので、私はその人に憧れて医者を目指すのだと。わたくしのみならず、周囲の者すべてに対して、医師を目指す動機として、そう説明していたようなのです。
 わたくしは、疑問を抱えることになりました。彼女は怪我をしたから、手術を受けたから、理想の医者に憧れたから、医師を目指したのでしょうか? わたくしは、そうは思いません。彼女は、わたくしの身体を裸にして、つぶさに点検したときにはすでに、人間の身体というものに多大な関心を寄せていたに違いありません。わたくしを裸にするのみならず、皮膚や、肉や、骨や、内臓まで、すべて彼女の眼力に曝されて、丸裸にされてしまったのですから。とても、怪我をしたときのきっかけがもとで彼女が医師を目指したものとは思えないのです。彼女の魂が、人間の身体をいじりまわしたい、人間を、身体を、肉体を、飲み込んでしまいたい、そう願っているということを、わたくしはその時点ですでに感じていたのです。
 彼女は医師になるべくしてなった。理由などはそこにはありません。否、彼女は医師になるべくして生まれた。彼女の魂がそうさせたのでしょう。
 ずいぶんと回りくどいお話になってしまいました。そうです、お察しの通りだと思います。わたくしも、霊安師に、なるべくしてなった、と自覚しております。細かい動機などは、瑣末なことです。わたくしの魂が、霊安師として、他人様の心に寄り添い、他人様が望むがまま、尊厳ある死をもって、此岸の際から見送るということを、心の底から欲していたのです。

     三

 さて、話を先に進めましょう。
 安楽死法が国会で可決されるまで、侃侃諤諤の議論があり、一筋縄ではいかなかったようです。この法律が制定された当時、わたくしはまだ中学生でしたから、細かい事情までは知りませんでした。霊安師の試験勉強をする段になって、はじめて、当時の議論の内容を細かく知ることができました。
 当時はスイス、オランダ、ルクセンブルクなどの数国で、条件付きで安楽死が認められているぐらいでした。世界的にみれば、少なくともはじめての試みではなかったわけですから、言うほど先進的ではなかったのかもしれません。しかし、末期ガンなど、終末医療の苦しみから解放するなどの理由あっての必要性からではなく、ごく普通に生きている人の安楽死を認めるこの法律に対し、当時は国際世論、人権団体の風当たりがたいへん強かったようです。しかし、そのときの情勢は、そんなことを気にしている余裕もありませんでした。
 緩やかに上昇を続けていた日本円が、ある日突然暴落し、未曾有の恐慌が起こりました。我が国の製造業がいよいよ立ち行かなくなり、外国企業に買収され続けるなか、社会に対する不安が伝染病のように広がり、若者を中心とした自殺者が急増したのです。政府はさまざまな手を打ち失業率を減らそうと躍起になりましたが、いずれも芳しい成果をあげられませんでした。
 経済自体を持ち直さなければ決定的な打開策にならないとされるなか、そのときすでに我が国は疲弊しておりました。国際社会において存在感を失い、膜のような不安に覆われ、わたくしたちは出口のない閉塞感の中を、子羊のように彷徨っていたのです。
 そんな折、タカ派の指導者が台頭してきて、軍国主義に走るのが、歴史の常というものです。ですが、そのとき、奇妙なことが起こりました。とある論文をベースにした書籍がベストセラーになり、世の中の空気を変えたのです。その論文は、東京大学薬学部の教授による、幸福とストレスに関するものでした。その論文は、人間のストレスを減少させ、幸福度を上げる科学的手法を指摘していました。それは、平時においてはさして話題にならないような内容だったかもしれませんが、そのときの閉塞した社会は、まさにそのような論説を欲していたのです。
 その論文および、本の内容を乱暴に要約しますと、このようになります。人間は、出口のない不安、失敗できない状況におかれますと、多大なストレスを感じます。ところが、ただ「出口がある」ということを自覚するだけで、自身に対するストレスが減り、幸福度が増すというのです。
 空気の入っていない、密閉された水槽をイメージするといいかもしれません。水槽のどこにも空気がない場合、たとえ肺の中に酸素が残っていたとしても、窒息するほどの息苦しさを感じるはずです。しかし、どこかに空気があるとわかってさえいれば、どこかに逃げ込める場所があるとわかっていれば、その苦しみは軽減するでしょう。それと同じことです。
 社会学的にいえば、社会福祉のセーフティネットが「逃げ込める場所」にあたりますが、この言説はさらに過激なものでした。「尊厳ある死」を社会として提供しよう、自殺することを公の権利として承認することにしよう、というのです。「死」そのものを自覚することによって、生きている自分への希望が感じられる仕組みを作ろう、というのです。
 極端にいえば、「いつでも死ねる」と思うことによって、息苦しさを軽減させる、ということです。その死に方は、自殺などの悲惨な死ではなく、天寿を全うするときのように、安らかに息を引き取るものでなくてはなりません。にわかには信じられないかもしれませんが、この本がベストセラーになり、社会現象になるにしたがって、安楽死法制定へと世論が動いていくことになります。
 わたくしは、この時代の世の中の動きを学んだとき、可笑しくって、つい笑ってしまいました。なぜですかって? だって、可笑しいじゃありませんか。社会が、一億人以上からなるこの日本が、まるで生き物みたいに、落ち込んだり、元気を取り戻したりするんですもの。世の流れ、人の流れというものは、見ていて興味深いものですね。誰もが、自分の意思で何かを決定していると思っているのに、その実、大きな流れの渦の中で、みな赤子のように揺れているだけなんですもの。潮流が臨界点に達すると、その次の動きが生まれる。人の意思は、あるようで、どこにもない。社会というのは、そういうことの連続なのですね。
 その後、自殺者の推移がどうなったかといいますと、これが劇的に改善したのです。自殺を認める法律、設備を整えることで、自殺者が減少するなんて、誰が想像したでしょうか?
 論より証拠、結果が出始めると、次第に反対派も反論のしようがなくなりました。国際世論からの反発も落ち着き、わたくしたちの社会に「自殺」という選択肢が定着したのです。かくして、日本は「自殺先進国」として再び、浮上することとなったのです。
 それまでは禁忌とされていたことを認めることによって、皮肉なことに、人々の心に安らぎを与える結果となったのです。

     四

 もちろん、わたくしが霊安師を志したのは、そうした背景とは無関係です。先ほど述べましたのは、霊安師を目指すと決めたあとになってから、教科書などから学んだものです。教科書は常に客観的かつ、正確性を期して編纂されるものとは思いますが、それでも安楽死法制定のために都合のいいように書かれている面もあるでしょう。実際、このようにすべてがうまく運んだとは、わたくしも考えておりません。
 さて、試験に合格し、採用面接に合格した暁に、晴れて霊安師の研修生として働くこととなります。研修の内容は、実務の補助になります。大きく分けて二つがございまして、カウンセリングの補助と、葬儀の準備になります。また、そのあいだの時間を埋めるようにして、申請や事務処理などの実務を習得します。
 霊安センターは、安楽死をするための施設とはいえ、誰でも行けばすぐに安楽死できるというのではなく、まず最初にカウンセリングを受けます。最低二度のカウンセリングを経て、登録を行い、その後、本人の最終意思確認と身辺整理ののち、安楽死が実行されます。法律では、そのすべての過程において、霊安師が関わる、というのが定められております。決して、お役所的に、システマチックにはやらない、ということです。最低二回のカウンセリングは、もちろん、自殺を思いとどまらせることが目的です。言うまでもありませんが、霊安センターは、自殺を認める施設ではあるものの、自殺を推奨する施設ではないからです。
 はじめてカウンセリングに同席した時、不思議と心は落ち着いておりました。わたくしはあくまでも、話を聞いている先輩の霊安師の横について、同席をしているだけです。カウンセリングは、施設の中の、専用の応接間のようなところで行われます。会話はじつは録音されているのですが、メモを取ったりすることは厳禁です。ノートを持ってくることも禁じられています。相手が言おうとしていることを、一言一句、聞き漏らさないように「傾聴する」ことが基本です。相手がどんなことを懺悔しようが、妄言を吐こうが、それをすべて受け止めるのがわたくしたちのつとめなのです。
 正直、最初は想像していた仕事内容と異なっているので戸惑いました。どういうところが想像と違っていたのか、ですか? そうですね、ひとつは、わたくしが思っていたよりも、安楽死に至るケースが少ないことです。カウンセリングは、霊安師につき、一日に十件近くも入ることが常なのですが、実際に安楽死が執行され、葬儀が執り行われるのは、施設全体で週に一回あるかどうか。もちろん、病院などの施設における、終末医療的な意味での安楽死を除いた、健康な男女が安楽死に至った実例です。全国の主要都市に支部がありますが、最も件数の多い本部でこの数字なので、全国では一年間で二百例にも満たないのではないでしょうか。もちろん、正確な数字は記録を見ればわかることなのですが。
 たいていの方は、カウンセリングを経て、自分の生まれてきた意味、自分が生きる意味を獲得して、お帰りになられます。たいへん素晴らしいことだと思います。とはいえ、冷やかしや、どんなところか見学に来たというような体で来られる方はまずおりません。みなさん、心身ともに追い詰められ、それなりに覚悟を決めてから来所されます。おそらく、世間一般でいえば、この施設に足を踏み入れることそのものが、「死」と同義に捉えられているのかもしれません。しかし、それだけの覚悟を決めてこられた方も、みずからの心の声をすべて吐き出すことによって、悟りを得たような顔をして、弊所をあとにするのです。
 じつのところ、研修中に学んだことは多くはありません。毎日がルーチンワークのようにすぎてゆきます。なにせ、こちらは宗教家ではございませんので説法をするわけにはいきませんし、心療内科の医師でもございませんから、治療を目的として対話をすることもありません。せいぜい、いいよどむ来所者を安心させ、より多くの言葉を引き出すことぐらいです。脇で見ているぶんには、わたくしたちのほうがなんらかの処置を受けているようにすら見えるかもしれません。
 この仕事の本当のつらさ、大変さがわかったのは、研修を終えて、ひとりで来訪者と対話をするようになってからです。同席して、脇から聞いていたときとは、全く異なると言ってもいいほどの世界がそこにはありました。そうです、研修中は、来訪者は、わたくしではなく、わたくしの先輩に対して、言葉を投げかけていたのです。いわば、わたくしは観客に等しいぐらいの立ち位置にありました。
 ところが、実際にひとりで面談をしてみると、来訪者は「わたくしに」言葉を投げかけます。わたくしは、彼らと対話をしなくてはなりません。こちらから言葉を投げかける機会は少ないとはいえ、適当に聞き流すわけにはまいりません。いえ、適当に聞き流すことなどできません。なにせ、彼らは、死をも覚悟して、わたくしたちのもとへと来るのですから……。
 来所される方の具体的なプロフィールは話せません。もちろん、プライバシーの問題です。ですが、彼らには、全員ではありませんが、共通した特徴があるようにわたくしは思いました。……何だと思いますか?
 たぶん想像もできないでしょう。わたくしが彼らと話して感じた特徴は、彼らが総じて裕福である、という事でした。大富豪というわけではありませんが、少なくとも、わたくしの家よりも裕福な家庭で育った方が多数派だったのではないかと推測しました。彼らは、裕福な家に生まれ、不自由ない学生生活を送り、立派な大学を出て、名の知れた企業に勤めておられました。わたくしの目からみれば、順風満帆といってもいいような人生なのではないかと思います。それなのに、彼らの心の中には、夜叉がおりました。彼らは他者と比較し、他者を羨望し、他者に呪って、その人生を生きておられました。
 彼らの悩みはとても些細なことのように思えました。いえ、わたくしには、そんな悩みは想像もできなかったのです。彼らの悩みのほとんどは、人生を生きていかれないほどの悩みとは、到底思えなかったのです。これほどまでに物質的に豊かでありながら、まだ足りず、さらなるものを渇望するとは、なんと浅ましいのか、と戦慄しました。しかし、そんなことは言葉はもちろん、顔に出すわけにもまいりません。何より、彼らは真剣なのです。真剣に、会社の出世コースから外れたり、恋人に三行半を突きつけられたり、友人が有名人になっていくことに対して、自分が死んでもいいと思えるほどに、全身全霊をかけて世界を呪っていたのです。
 え、納得できませんか? そんな来所者ばかりではないだろうって? ええ、もちろんです。全員が全員、そのような人間であるわけではありません。経営した会社がつぶれ、人生一代では支払い切れないほどの借金を背負い、抜け殻のようになって来られるようなタイプの来所者ももちろんおられました。しかし、問題が明確になっている場合は、それに対処することができます。莫大な借金を背負っているのなら、自己破産するなり、再生を図るなり、現実的な対策をとることができます。
 そういった現実的な対処策を考えておられる方が、ここにきてお話をすることはまれです。希望と絶望は表裏一体の関係にあって、絶望の対極には光があるのです。希望がない人というのは、絶望すらもたない人のことだと思います。
 それに、図々しい人間というものはここには来ません。図々しい人間は、他人を殺しこそすれ、自分から生命を絶つなどということは、ゆめゆめ考えにすら至らないでしょう。
 毎日毎日、来所される方の妄言を朝から晩まで聞き続ける、というのはつらいことでした。わたくしは、この数年間で、いったいどれほどの人生を疑似体験したことでしょう。わたくしがここ数年で体験した世界とは、魑魅魍魎が跋扈する、まさに百鬼夜行の世界でした。この世は、人々の陰謀と憎悪で満たされており、少しの安寧もそこにはありませんでした。もちろん、そうした状態になった方からのお話を聞き続けるわけですから、わたくしまでそうなってしまうのは当然のことだと思います。
 最初は、わたくしは、心の中で、来所者たちの言うことに、いちいち反論をしておりました。それはあなたが周囲をよく見ていないからでしょう、あなたひとりが不幸なわけでは決してないはずです、と。しかし、それを口に出すことや、顔に出すことは禁止されておりますし、分をわきまえておりますから、おくびにもだしませんでした。
 わたくしは、反論したい気持ちを抑えて、いえ、抑えているようなそぶりすら見せずに、話の先をうながします。とにかく、すべてを吐き出させるのです。それがわたくしのつとめだからです。そんなことを、毎日何時間にもわたってやっているものですから、やがてわたくしの精神は異変をきたしてしまいました。同僚がわたくしのよくない噂を流しているのではないか、上司はわたくしを言いように使っているのではないか、両親はわたくしの貯金を狙っているのではないか。妄想は決して伝染しません。ですが、朝から晩までそういった話に晒された結果、心が摩耗し、すり減ってしまっても致し方ないかと思います。
 冷静に周囲を見渡せば、新人の霊安師は、みなそのようなありさまでした。わたくしは上司と相談をしながら、適宜、暇をいただき、休み休み、任務を全うしておりました。当然ながら、同僚はひとり、ふたりと減っていき、やがて同期はひとりもいなくなりました。霊安師という職業は、大変離職率の高い、過酷な職業だったのです。
 わたくしはある意味、別の意味で絶望しておりました。違う、こんなはずでは、と思いました。わたくしは、わたくしよりも裕福な方の、贅沢な悩みや愚痴を聞きたくてこの職業を選択したわけではございません。
 わたくしが渇望しておりましたのは、神聖な死です。厳かで、曇りのない、安らかな死。それを見送るのがわたくしのつとめだと思って、この仕事を選んだのです。
 あわよくば、強引に導いてでも、ひとの死に立ち会いたい。心からそう願うようになったとき、応接室で向き合ったわたくしの前には、幼馴染のAが座っておりました。

此岸の際から

此岸の際から

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-06-29

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著作権法内での利用のみを許可します。

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