此岸の際から

やひろ

     一

 わたくしの名前は、溝口愛子ともうします。年は数えで三十一、仕事は、霊安師をしております。ええ、れいあんし、です。もしかすると、聞き慣れない職業かもしれません。え、そうではない? ……そうですか。ああ、それは……そうですよね。でも、せっかくの機会ですので、差し支えなければ、この場をお借りして、このお仕事のご説明をさせていただければと思います。
 あやしげな信仰宗教、あるいは霊能商法の類いに間違えられることは少なくありません。ですが、これでも立派な、特別公務員なのです。
 確かに、職業としては、やや新しい部類に属するのかもしれません。また、あまり世の中に広く認知されている職業ではありませんから、ピンとこなくても当然のことだと思います。言われてみれば、ああ、そういうことをする人もいるよね、そういうことは誰かがやらなければならないものね、そういう立ち位置のお仕事だと、世間様には認識されているかと思います。
 そのようなお仕事ですから、なり手が少ないのかというと、そんなことはございません。一般にあまり認知されていない資格とはいえ、曲がりなりにも国家公務員ですから、目指される方は大勢いらっしゃいます。本屋さんにいけば、試験対策の問題集や参考書が置いてありますし、専門学校にも専用のコースがあると聞いております。難易度も、他の資格とそう変わらないと思います。言うまでもありませんが、一定の基準を満たしていなければ、職務が全うできませんものね。わたくしですか? わたくしは、おかげさまで、独学で、試験を通過させていただきました。いえ、決して優秀というわけではございません。一度、試験に落ちていますから。とはいえ、これは平均的な回数だと思います。もちろん自慢ではありませんよ。
 試験の内容は、些か特殊かもしれません。筆記試験の半分は、他の国家資格とそう変わらないと思います。ですが、あとの半分は、古今東西のありとあらゆる宗教や死生観の知識が問われます。仏教、キリスト教、イスラーム教はもちろん、ユダヤ教、ヒンドゥー教、ゾロアスター教、広範囲にわたっての知識が求められます。もっとも、宗教というものは無数にあります。信者の数だけある、といっても過言ではないかもしれません。仏教だけをとっても、上座部仏教、大乗仏教のふたつの大きな潮流がありますし、キリスト教にも、カトリック、プロテスタント、派生したものでモルモン教など、さまざまな種類がございます。細かい宗派や、派閥などにまで分けていきますと、それはもう、とんでもない数になります。また、仏教をベースにした新興宗教なども多数ありますから、とにかく無数に教義というものがあるわけです。教義というのは、要するに、何を信じるのか、信仰をどう解釈するのかということですから、わたくしたちそれぞれの欲望の姿なのかもしれませんね。
 死生観についても同様です。これは宗教のみならず、土地柄、お国柄も大きく関わってくるところかもしれません。たとえば、遊牧民族であるジプシーは、誰かがお亡くなりになりますと、その人のことを綺麗さっぱり忘れてしまい、最初からいないことにしてしまうのだそうです。ご遺体の埋葬もなさらないようです。遊牧民族ですから、お墓という概念がないのかもしれませんね。それにしても、最初からいないことにする、というのはいかにも大胆です。もっとも、日本は農耕民族ですから、そのような価値観がないのは言うまでもありませんが、知識としてはいちおう、蓄えておく。そういうことを試験で見られるのです。
 もちろん、無神教についても学んでおかねばなりません。「何も信仰していない」というのがいかに複雑で、扱いにくいことか。実際のところ、何も信仰していない人間など、いるはずもありません。必ず、皆さん、何かを信仰していらっしゃいます。それが、お金なのか、国家なのか、はたまた科学なのか。どこかの誰かがつくった、かりそめのイデオロギーなのか。古来からある、連綿と続いてきた価値観の集積体なのか。最近だと、インターネットやアニメ、アイドルなども含まれるでしょう。
 もちろん、人によって違いはあれど、結局のところ、「何を拠り所にしているか」を解きほぐすことが焦点になります。あらゆるものを取り除いていって、最後にその人は何を拠り所にしているか。それが、その人の「信仰」になるわけです。
 さて、二次試験は実技です。これは、心療内科の、カウンセリングに近いことを要求されます。相手の言っていることに耳を傾け、相手の魂を鎮めることが必要になります。また、葬儀にまつわるさまざまな約束事、礼儀作法などが問われます。もちろん、被試験者の宗教的信念は尊重されますが、それはそれとして、職務を全うするための実務の部分が試験では問われるわけです。こればかりは、訓練を重ねるしかありませんが。
 わたくしですか? わたくしは、お寺の子ですが、特に宗教的な制約や、抵抗感を感じたことはありません。やはり、究極的には、心のうちを推し量ることしかしかできない他人様の気持ちに寄り添い、どれだけその人のことを考えてあげられるか。陳腐かもしれませんが、そこのところにすべてがかかっているような気がするのです。
 話が大きく脱線してしまいました。そうそう、わたくしのお仕事についての説明でしたね。
 わたくしの勤め先は、東京都千代田区九段下にあります、一般社団法人 国立霊安センター本部になります。
 日本で唯一の、合法的に安楽死が行える機関になります。霊安師としてのわたくしの務めは、安楽死を希望される来訪者の方のお話を聞き、最大限の尊厳をもった死によって、その魂を救済することにあります。

     二

 なぜ霊安師を目指したのか、ですか? はい、よく訊かれます。この仕事に就いてから、一番よく訊かれる質問かもしれません。さて、なぜでしょうか。物心ついてから……という回答はできませんね。わたくしが小さいときには、まだ安楽死が合法ではなく、もちろんこの職業もなかったのですから。その場しのぎのおざなりな答えと、わたくしの本当の気持ちの二種類の回答があるのですが、どちらがよろしいでしょうか? ……言うまでもありませんね。さて、どうしましょうか。
 実のところ、よく憶えていないのです。おそらく、なにかのきっかけがあったことは間違いないのでしょうけれど、記憶にはさっぱり。それを目指すのが自然だと思った、というのが正直なところでしょうか。……え、納得がいかない? ……そういうものでしょうか。
 なにか明確なエピソードや、動機があって、特定の職業を目指すのが普通なのでしょうか。ええ、存じております。学生が、学生生活の終わりに、それまでの自分を振り返って、自分についてあらためて分析し、これから就くべき仕事を選ぶというのが一般的なのでしょう。ですが、誤解をおそれずに申しますと、ああいったものは、総じて後付けの屁理屈だと思っております。人間の適性というものは、そんなに陳腐なものでは推し量れないと思うのです。
 例えばの話で聞いていただければ結構なのですが、友人の話をいたします。仮にAとさせていただきましょう。わたくしとAは無二の親友でした。家も近所で、幼ごろからよく一緒に遊んだものです。わたくしたちは親友ではございましたが、性格はまるで違っておりました。わたくしは身体もあまり強くなく、よく晴れた日でも日陰で読書しているのが常だったのですが、Aは多少雨風に曝されても、男子に混じって球技に興じているような、そんな明るい子でした。それで一緒に遊んでいた、と言えるのか、ですって? いえ、わたくしたちには誰にも言えない秘密がありました。近所に、ひなびた神社がありまして、長らく管理もされず、祠は施錠され誰も立ち入れないようになっていたのですが、そこによく二人して潜り込んでは、人目をはばかるようなことをしていたのです。
 その内容もここで話すのですか? ……はい、わかりました。いえ、大丈夫です。
 その神社は町の外れにありまして、普段は人通りがたいへん少なく、神社のまわりに、ちょっとした公園のようなものがあったんですね。ただ、先程申しましたとおり、ひと気が少なく、あえて訪れるものもなく、遊具は錆び放題、雑草が生えてもおかまいなし、という有様でした。その影響かはわかりませんが、公園の片隅に、おそらくは不法投棄なのでしょうか、大小さまざまなガラクタが打ち捨てられておりました。わたくしたちには、誰がそこにそんなものを棄てているのか、一度でもその現場を目にしたことがございませんので、検討もつかず、不思議に思っていたのです。
 おそらく、誰もいない夜更けに、わたくしたちのいないところで、棄てていたのに違いありません。とはいえ、そこにあったのは、画面が割れているテレビだとか、穴のあいたソファだとか、そんなものばかりで、特別なものがあったわけではありません。それでも、わたくしとAは、おもしろがって、よくそこで遊んでいたのです。
 ある日、Aが変なものを見つけました。こちらを見ていたずらっぽく笑い、それを人差し指と親指でつまみあげて、わたくしに見せました。それは、男性向けの、卑猥な雑誌であることが、ひと目で見て取れました。無論、そういった類いの本を、読んだことがあるわけではありません。しかし、それがたいへん猥雑で、わたくしたちの目に触れるべきものではないものは、一目瞭然なほどの露骨さだったのです。
 見ると、Aの足元には、その類いの書籍が山と散らばっておりました。つい先日まではそこに無かったものですから、誰か特定の方が、一度に棄てていったものに違いありません。よほどの蒐集家が、なんらかの事情によって、コレクションを廃棄なさったのかもしれません。
 Aは、読んでみたいか、わたくしに問いました。わたくしは首を横に振りました。正直に申せば、幾分か、興味がないわけではなかったのですが、そんなことをお父様に知られては、わたくしは自分のうちにいられない、とそのときは思ったのです。
 Aは、大丈夫よ、なにを気にしているの、周りに誰もいやしないんだから、わからないわよ、とわたくしに言いました。どこか、わたくしを小馬鹿にしたような響きがあり、むかっ腹が立ったことを記憶しております。わたくしはそのように挑発されても、頑として首を横に振りました。人が見ているか、見ていないか、そういう問題ではない、と思ったからです。
 Aは焦れて、じゃあ、祠の中で読みましょうと言い出しました。わたくしは驚きました。たいへん畏れ多いことです。しかし、Aは自信たっぷりに、祠の中ならば誰かに見られる心配もない、それに、神さまの御前なのだから、むしろ潔い、聖なるものと俗なるものは常に隣り合わせである、有名なお寺や神社のまわりには常に猥雑な俗世界があるでしょう、などという珍説を展開しました。わたくしはちっともAの言っている意味がわかりませんでしたが、きっとAもわかって言っているわけではなかったに違いありません。その口調から、おそらくは彼女の父親か、祖父か、親戚かが、酒の席で演説しているのをそのまま模倣しているのだ、とわかりましたから。
 とうとうわたくしは折れて、了承いたしました。言い出したら聞かないAの頑固さは筋金入りです。それに、実のところ、このときには、もはや好奇心のほうが優っていたのです。
 Aはそのへんにあった手頃な雑誌を三、四冊掴みますと、わたくしの手を引いて、祠へと向かいました。祠の広さは、だいたい六畳ぐらいの広さでしょうか。もともとは施錠がしてありましたが、ドアの近くに穴が開いており、そこに手を突っ込んで、引っかかっていた南京錠を落としたことから、そのときには自由に開くようになっておりました。無論、そのことを知っているのはAとわたくしだけでした。
 祠の中は当然板張りで、埃っぽくはありましたが、人が二人、中でくつろげる空間は確保してありました。以前に来たときに、念入りに掃除をしておいたからです。そこはさながら、わたくしとAの秘密基地でした。
 Aは床にあぐらをかき、持ってきた獲物を広げました。あまりの内容に、わたくしが手で顔を覆いますと、嬌声をあげながらわたくしの手を引き剥がしにかかりました。わたくしはそのたびに、かたく眼をつぶらなくてはなりませんでした。
 やがて眼が暗闇に慣れ、いっときの興奮が収まると、わたくしとAはまじまじとそれらの書籍を拝見いたしました。それはもう、筆舌に尽し難く、驚きの連続で、興奮などどこかに置き忘れてしまうぐらい、呆然とそれらに見入ったものです。
 知識として知ってはいました。わたくしもAも、小学校の高学年でしたから、学校で習いました。しかし、本当にそんなことが行われているなんて、思いもしませんでした。
 気づけば、Aはわたくしの顔をじっと見つめておりました。わたくしが目をまるくして、露骨に視線をそらしても、わたくしの顔を見つめることをやめませんでした。わたしたちのからだとずいぶん違うのね、Aは言いました。わたくしはしばらく、Aの唇の動きを頭の中で反芻しました。それは妙に艶めかしく、強く印象にのこりました。わたくしは、ぼうっとして、しばらく口もきけませんでしたが、やっとのことで、それはそうよ、子どもなんだから、と言い返しました。
 ほんとうに子どもなのかな、とAは言いました。わたくしは意味をはかりかね、首をかしげました。Aは、脱いで、とわたくしに言いました。わたくしは、Aがなにを言っているのか、理解できませんでした。わたくしが聞き返そうとする前に、ぬ・い・で、と今度はひと文字ずつ、ゆっくりとAは発音しました。わたくしは当然首を横に振りましたが、Aはあきらめませんでした。
 どれぐらいの時間、そうしていたことでしょう。気づけば、わたくしはAの言いなりになり、裸で床に仰向けに横たわっておりました。どうやって説得されたのか、まったく憶えておりませんでした。Aは、わたくしの横に雑誌を置き、身体をつぶさに点検しながら、比較をしておりました。わたくしは緊張から全身が硬直し、指一本動かすことすらかないませんでした。
 自分のからだを見るのとはぜんぜん違うわ、と興奮ぎみにAは言いました。わたくしは、まるで外科手術を受ける直前の患者になったような気分でした。Aの視線は、わたくしの全身を舐めるように這い、骨の位置、筋肉のつき方、内臓の位置まで、事細かに観察しているように見えました。Aの視線がわたくしの身体に注がれるたびに、わたしくは、そこをAが指でなぞっているかのような感触を感じました。しかし実のところ、Aはわたくしに指一本、触れてはおりませんでした。しかし、わたくしは、痛みとも、恥辱とも、快楽ともいえない、形容しがたい感覚に包まれました。
 ずいぶんと回りくどい話をしてしまいました。長い話でしたが、Aのことを説明する際には、これぐらいの前置きがどうしても必要だと思ったのです。あのあとも、成人するまで、Aとは無二の親友のままでした。あの瞬間は、むしろ神聖な、厳かな気分にすらなったものでした。もしかしたら、祠のなかで行われた、ということが影響しているかもしれません。
 Aは、医師になりました。無論、高校にあがり、大学を受験する折から、そのことを決めていたようです。Aは、高校にあがってからは、陸上競技の特待生として、周囲からの期待を一身に背負っておりました。それが、高校の在学中に交通事故に遭い、そのときの怪我がもとで、彼女の選手生命は絶たれました。
 医師を目指すというとき、彼女は高らかにこう言いました。怪我をしたときに、手術を担当してくださった先生が、とても素敵で、命の恩人なので、私はその人に憧れて医者を目指すのだと。わたくしのみならず、周囲の者すべてに対して、医師を目指す動機として、そう説明していたようなのです。
 わたくしは、本当にそうだろうかと、疑問を抱えることになりました。彼女は怪我をしたから、手術を受けたから、理想の医者に憧れたから、医師を目指したのでしょうか? わたくしは、そうは思いません。彼女は、わたくしの身体を裸にして、つぶさに点検したときにはすでに、人間の身体というものに多大な関心を寄せていたに違いありません。わたくしを裸にするのみならず、皮膚や、肉や、骨や、内臓まで、すべて彼女の眼力に曝されて、丸裸にされてしまったのですから。とても、怪我をしたときのきっかけがもとで彼女が医師を目指したものとは思えないのです。彼女の魂が、人間の身体をいじりまわしたい、人間を、身体を、肉体を、飲み込んでしまいたい、そう願っているということを、わたくしはその時点ですでに感じていたのです。
 彼女は医師になるべくしてなった。理由などはそこにはありません。否、彼女は医師になるべくして生まれた。彼女の魂がそうさせたのでしょう。
 ずいぶんと回りくどいお話になってしまいました。そうです、お察しの通りだと思います。わたくしも、霊安師に、なるべくしてなった、と自覚しております。細かい動機などは、瑣末なことです。わたくしの魂が、霊安師として、他人様の心に寄り添い、他人様が望むがまま、尊厳ある死をもって、此岸の際から見送るということを、心の底から欲していたのです。

     三

 さて、話を先に進めましょう。
 安楽死法が国会で可決されるまで、侃侃諤諤の議論があり、一筋縄ではいかなかったようです。この法律が制定された当時、わたくしはまだ中学生でしたから、細かい事情までは知りませんでした。霊安師の試験勉強をする段になって、はじめて、当時の議論の内容を細かく知ることができました。
 当時はスイス、オランダ、ルクセンブルクなどの数カ国で、条件付きで安楽死が認められている程度でした。世界的にみれば、少なくともはじめての試みではなかったわけですから、言うほど先進的ではなかったのかもしれません。しかし、末期ガンなど、終末医療の苦しみから解放するなどの理由あっての必要性からではなく、ごく普通に生きている人の安楽死を認めるこの法律に対し、当時は国際世論、人権団体の風当たりがたいへん強かったようです。しかし、そのときの情勢は、そんなことを気にしている余裕もありませんでした。
 緩やかに上昇を続けていた日本円が、ある日突然暴落し、未曾有の恐慌が日本を襲いました。我が国の製造業がいよいよ立ち行かなくなり、外国企業に買収され続けるなか、社会に対する不安が伝染病のように広がり、若者を中心とした自殺者が急増したのです。政府はさまざまな手を打ち失業率を減らそうと躍起になりましたが、いずれも芳しい成果をあげられませんでした。
 経済自体を持ち直さなければ決定的な打開策にならないとされるなか、そのときすでに我が国は疲弊しておりました。国際社会において存在感を失い、膜のような不安に覆われ、わたくしたちは出口のない閉塞感の中を、羊のように彷徨っていたのです。
 そんな折、タカ派の指導者が台頭してきて、軍国主義に走るのが、歴史の常というものです。ですが、そのとき、とても奇妙なことが起こりました。とある論文をベースにした書籍がベストセラーになり、世の中の空気を変えたのです。その論文は、東京大学薬学部の教授による、幸福とストレスに関するものでした。その論文は、人間のストレスを減少させ、幸福度を上げる科学的手法を指摘していました。それは、平時においてはさして話題にならないような内容だったかもしれませんが、そのときの閉塞した社会は、まさにそのような、極端な論説を欲していたのです。
 その論文および、本の内容を乱暴に要約しますと、このようになります。人間は、出口のない不安、失敗できない状況におかれますと、多大なストレスを感じます。ところが、ただ「出口がある」ということを自覚するだけで、自身に対するストレスが減り、幸福度が増すというのです。
 空気の入っていない、密閉された水槽をイメージするといいかもしれません。水槽のどこにも空気がない場合、たとえ肺の中に酸素が残っていたとしても、窒息するほどの息苦しさを感じるはずです。しかし、どこかに空気があるとわかってさえいれば、どこかに逃げ込める場所があるとわかっていれば、その苦しみは軽減するでしょう。それと同じことです。
 社会学的にいえば、社会福祉のセーフティネットが「逃げ込める場所」にあたりますが、この言説はさらに過激なものでした。「尊厳ある死」を社会として提供しよう、自殺することを公の権利として承認することにしよう、というのです。「死」そのものを自覚することによって、生きている自分への希望が感じられる仕組みを作ろう、というのです。
 極端にいえば、「いつでも死ねる」と思うことによって、息苦しさを軽減させる、ということです。その死に方は、自殺などの悲惨な死ではなく、天寿を全うするときのように、安らかに息を引き取るものでなくてはなりません。にわかには信じられないかもしれませんが、この本がベストセラーになり、社会現象になるにしたがって、安楽死法制定へと世論が動いていくことになります。
 わたくしは、この時代の世の中の動きを学んだとき、可笑しくって、つい笑ってしまいました。なぜですかって? だって、可笑しいじゃありませんか。社会が、一億人以上からなるこの日本が、まるで生き物みたいに、落ち込んだり、元気を取り戻したりするんですもの。世の流れ、人の流れというものは、見ていて興味深いものですね。誰もが、自分の意思で何かを決定していると思っているのに、その実、大きな流れの渦の中で、みな木の葉のように、揺れているだけなんですもの。潮流が臨界点に達すると、その次の動きが生まれる。人の意思は、あるようで、どこにもない。社会というのは、そういうことの連続なのですね。社会自体が、わたくしたちの生命、といえるかもしれません。
 その後、自殺者の推移がどうなったかといいますと、これが劇的に改善したのです。自殺を認める法律、設備を整えることで、自殺者が減少するなんて、誰が想像したでしょうか?
 論より証拠、結果が出始めると、次第に反対派も反論のしようがなくなりました。国際世論からの反発も落ち着き、わたくしたちの社会に「自殺」という選択肢が定着したのです。
 かくして、日本は「自殺先進国」として再び、浮上することとなったのです。

     四

 もちろん、わたくしが霊安師を志したのは、そうした背景とは無関係です。先ほど述べましたのは、霊安師を目指すと決めたあとになってから、教科書などから学んだものです。教科書は常に客観的かつ、正確性を期して編纂されるものとは思いますが、それでも安楽死法制定のために都合のいいように書かれている面もあるでしょう。実際、このようにすべてがうまく運んだとは、わたくしも考えておりません。
 さて、試験に合格し、採用面接に合格した暁に、晴れて霊安師の研修生として働くこととなります。研修の内容は、実務の補助になります。その内容は大きく分けて二つあり、カウンセリングの補助と、葬儀の準備になります。また、そのあいだの時間を縫うようにして、申請や事務処理などの実務を習得します。
 霊安センターは、安楽死をするための施設とはいえ、誰でも行けばすぐに安楽死できるというのではなく、まず最初にカウンセリングを受けます。最低二度のカウンセリングを経て、登録を行い、その後、本人の最終意思確認と身辺整理ののち、安楽死が実行されます。法律では、そのすべての過程において、霊安師が関わる、というのが定められております。最低二回のカウンセリングは、もちろん、自殺を思いとどまらせることが目的です。言うまでもありませんが、霊安センターは、自殺を認める施設ではあるものの、自殺を推奨する施設ではないからです。
 はじめてカウンセリングに同席した時、不思議と心は落ち着いておりました。わたくしはあくまでも、話を聞いている先輩の霊安師の横について、同席をしているだけです。カウンセリングは、施設の中の、専用の応接間のようなところで行われます。会話はじつは録音されているのですが、メモを取ったりすることは厳禁です。ノートを持ってくることも禁じられています。相手が言おうとしていることを、一言一句、聞き漏らさないように「傾聴する」ことが基本です。相手がどんなことを懺悔しようが、妄言を吐こうが、それをすべて受け止めるのがわたくしたちのつとめなのです。
 正直、最初は想像していた仕事内容と異なっているので戸惑いました。どういうところが想像と違っていたのか、ですか? そうですね、ひとつは、わたくしが思っていたよりも、安楽死に至るケースが少ないことです。カウンセリングは、霊安師につき、一日に十件近くも入ることがありますが、実際に安楽死が執行され、葬儀が執り行われるのは、施設全体で週に一回あるかどうか。もちろん、病院などの施設における、終末医療的な意味での安楽死を除いた、健康な男女が安楽死に至った実例です。全国の主要都市に支部がありますが、最も件数の多い本部でこの数字なので、全国では一年間で二百例にも満たないのではないでしょうか。もちろん、正確な数字は記録を見ればわかることなのですが、一般には公表されていません。
 たいていの方は、カウンセリングを経て、自分の生まれてきた意味、自分が生きる意味を獲得して、お帰りになられます。たいへん素晴らしいことだと思います。とはいえ、冷やかしや、どんなところか見学に来たというような体で来られる方はまずおりません。みなさん、心身ともに追い詰められ、それなりに覚悟を決めてから来所されます。おそらく、世間一般でいえば、この施設に足を踏み入れることそのものが、「死」と同義に捉えられているのかもしれません。しかし、それだけの覚悟を決めてこられた方も、みずからの心の声をすべて吐き出すことによって、悟りを得たような顔をして、弊所をあとにするのです。
 じつのところ、研修中に学んだことは多くはありません。毎日がルーチンワークのようにすぎてゆきます。なにせ、こちらは宗教家ではございませんので説法をするわけにはいきませんし、心療内科の医師でもありませんから、治療を目的として対話をすることもありません。せいぜい、いいよどむ来所者を安心させ、より多くの言葉を引き出すことぐらいです。脇で見ているぶんには、わたくしたちのほうがなんらかの処置を受けているようにすら見えるかもしれません。
 この仕事の本当のつらさ、大変さがわかったのは、研修を終えて、ひとりで来訪者と対話をするようになってからです。同席して、脇から聞いていたときとは、全く異なると言ってもいいほどの世界がそこにはありました。そうです、研修中は、来訪者は、わたくしではなく、わたくしの先輩に対して、言葉を投げかけていたのです。いわば、わたくしは観客に等しいぐらいの立ち位置にありました。
 ところが、実際にひとりで面談をしてみると、来訪者は「わたくしに」言葉を投げかけます。わたくしは、彼らと対話をしなくてはなりません。こちらから言葉を投げかける機会は少ないとはいえ、適当に聞き流すわけにはまいりません。いえ、適当に聞き流すことなどできません。なにせ、彼らは、死をも覚悟して、わたくしたちのもとへと来られるのですから……。
 来所される方の具体的なプロフィールは話せません。もちろん、プライバシーの問題です。ですが、彼らには、全員ではありませんが、共通した特徴があるようにわたくしは思いました。……何だと思いますか?
 たぶん想像もできないでしょう。わたくしが彼らと話して感じた特徴は、彼らが総じて裕福である、という事でした。大富豪というわけではありませんが、少なくとも、わたくしの家よりも裕福な家庭で育った方が多数派だったのではないかと推測しました。彼らは、裕福な家に生まれ、不自由ない学生生活を送り、立派な大学を出て、名の知れた企業に勤めておられました。わたくしの目からみれば、順風満帆といってもいいような人生なのではないかと思います。それなのに、彼らの心の中には、夜叉がおりました。彼らは他者と比較し、他者を羨望し、他者に呪って、その人生を生きておられました。
 彼らの悩みはとても些細なことのように思えました。いえ、わたくしには、そんな悩みは想像もできなかったのです。彼らの悩みのほとんどは、人生を生きていかれないほどの悩みとは、到底思えなかったのです。これほどまでに物質的に豊かでありながら、まだ足りず、さらなるものを渇望するとは、なんと浅ましいのか、と戦慄しました。しかし、そんなことは言葉はもちろん、顔に出すわけにもまいりません。何より、彼らは真剣なのです。真剣に、会社の出世コースから外れたり、恋人に三行半を突きつけられたり、知人が有名人になっていくことに対して、自分が死んでもいいと思えるほどに、全身全霊をかけて世界を呪っていたのです。
 え、納得できませんか? そんな来所者ばかりではないだろうって? ええ、もちろんです。全員が全員、そのような人間であるわけではありません。経営した会社がつぶれ、人生一代では支払い切れないほどの借金を背負い、抜け殻のようになって来られるようなタイプの来所者ももちろんおられました。しかし、問題が明確になっている場合は、それに対処することができます。莫大な借金を背負っているのなら、自己破産するなり、再生を図るなり、現実的な対策をとることができます。
 そういった現実的な対処策を考えておられる方が、ここにきてお話をすることはまれです。希望と絶望は表裏一体の関係にあって、絶望の対極には光があるのです。希望がない人というのは、絶望すらもたない人のことだと思います。
 それに、図々しい人間というものはここには来ません。図々しい人間は、他人を殺しこそすれ、自分から生命を絶つなどということは、ゆめゆめ考えにすら至らないでしょう。
 毎日毎日、来所される方の妄言を朝から晩まで聞き続ける、というのはつらいことでした。わたくしは、この数年間で、いったいどれほどの人生を疑似体験したことでしょう。わたくしがここ数年で体験した世界とは、魑魅魍魎が跋扈する、まさに百鬼夜行の世界でした。この世は、人々の陰謀と憎悪で満たされており、少しの安寧もそこにはありませんでした。もちろん、そうした状態になった方からのお話を聞き続けるわけですから、わたくしまでそうなってしまうのは当然のことだと思います。
 最初は、わたくしは、心の中で、来所者たちの言うことに、いちいち反論をしておりました。それはあなたが周囲をよく見ていないからでしょう、あなたひとりが不幸なわけでは決してないはずです、と。しかし、それを口に出すことや、顔に出すことは禁止されておりますし、そもそも、分というものをわきまえておりますから、おくびにもだしませんでした。
 わたくしは、反論したい気持ちを抑えて、いえ、抑えているようなそぶりすら見せずに、話の先をうながします。とにかく、すべてを吐き出させるのです。それがわたくしのつとめだからです。そんなことを、毎日何時間にもわたってやっているものですから、やがてわたくしの精神は異変をきたしてしまいました。同僚がわたくしのよくない噂を流しているのではないか、上司はわたくしを言いように使っているのではないか、両親はわたくしの貯金を狙っているのではないか。妄想は決して伝染しません。ですが、朝から晩までそういった話に晒された結果、心が摩耗し、すり減ってしまっても致し方ないかと思います。
 冷静に周囲を見渡せば、新人の霊安師は、みなそのようなありさまでした。わたくしは上司と相談をしながら、適宜、暇をいただき、休み休み、任務を全うしておりました。当然ながら、同僚はひとり、ふたりと減っていき、やがて、わたくしの職場の同期はひとりもいなくなりました。霊安師という職業は、大変離職率の高い、過酷な職業だったのです。
 わたくしはある意味、別の意味で絶望しておりました。違う、こんなはずでは、と思いました。わたくしは、わたくしよりも裕福な方の、贅沢な悩みや愚痴を聞きたくてこの職業を選択したわけではございません。
 わたくしが渇望しておりましたのは、神聖な死です。厳かで、曇りのない、安らかな死。それを見送るのがわたくしのつとめだと思って、この仕事を選んだのです。
 あわよくば、強引に導いてでも、ひとの死に立ち会いたい。心からそう願うようになったとき、応接室で向き合ったわたくしの前には、幼馴染のAが座っておりました。

     五

 わたくしは、最初、Aを見ても、それが彼女だと気付くことができませんでした。そして、それは彼女も同様だったようです。わたくしとAの関係は、大学の進学と同時にほぼ途切れておりましたから、約十年ぶりの再会となりました。Aは結婚したのか、苗字が変わっておりましたので、それも気付くのを遅らせる要因のひとつとなりました。
 Aは名前を名乗り、職業を名乗りました。彼女はやはり、外科医となっておりました。彼女は常に目を伏せ、わたくしの顔などろくに見ておりませんでしたから、それでわたくしのことを認識していなかったのかもしれません。
 知り合いのカウンセリングをしてはならないという規定はありません。知り合いというのがどういう関係を指すのか、基準が曖昧だということもあります。しかし、霊安師としてではなく、私情が入ってしまうことから、奨励されていないのが普通です。実際に、わたくしも、同僚から、彼女の知り合いの来所者の担当の交換を打診されたことがあります。「規定がない」というのは建前で、実際の実務のうえでは、「担当しない」のが当たり前だ、というような慣習があるようでした。
 わたくしはひとつの賭けをすることにしました。わたくしが言うまで、Aがこちらに気付かなければ、彼女のことを担当し続けよう、と決めたのです。
 Aはわたくしのテンプレートの質問に訥々と答え、ときに脱線しながら、自分のことを語りました。わたくしは話を聞きながら、つい、目の前にいるのがAであるということを忘れてしまいました。それほどまでに、わたくしのもっていたAのイメージと、彼女の口から出てくる言葉には、乖離がありました。
 ひととおりの自己紹介が終わると、彼女は、ひとを殺したと言いました。わたくしは絶句しました。しかし、すぐに彼女の職務内容に思い至りました。彼女はいまや外科医です。日常的に、手術を行うわけです。決してあってはならないことですが、手術の結果、お亡くなりになる人がいてもおかしくはありません。しかし、彼女の口から出てきた言葉は、わたくしが想像していたものとは違っておりました。
 苦しみを取り除きたかったのだ、と彼女は言いました。彼女は、ある晩、いつものように、寝室で寝ておりました。彼女の夫は仕事がとても多忙で、週に何日も帰って来られない日があったと言います。その日は、とても蒸し暑い、夏の夜でした。
 日付が変わった頃、彼女の夫は帰宅したのですが、よほど疲れていたのか、背広を着たまま、玄関口で眠ってしまったのだそうです。彼女が夫の帰宅に気が付いたのは、夜中にトイレに行くために廊下に出た時でした。彼女の夫は、酒もほとんど飲まない人で、酔っ払って帰宅することもほとんどなかったそうですから、そんな彼の姿を見て、たいへん驚いたそうです。
 すぐに駆け寄ると、彼は全身汗だくで、意識は混濁しておりました。彼女はとりもなおさず、彼を起こそうとしましたが、どれだけ声をかけても、彼は目を覚ましませんでした。下手に動かさず、そのまま救急車を呼ぶべきだったということですが、彼女は気が動転してしまい、彼を背広のまま、寝室まで引っ張っていったのだそうです。
 寝室には冷房が効いておりました。なんとかして彼をベッドに寝かせると、彼女はそこで、少し冷静になり、部屋から救急車を呼びました。電話を切って、彼のほうへ向き直ると、彼はとても安らかな顔で眠っておりました。彼女は安心して、しばらく彼の顔を見つめておりました。
 ですが、ふと顔を近づけると、彼が、呼吸をしていないことに気が付いたのです。彼女は慌てて、シャツの胸元ボタンを外すと、人工呼吸を行いました。彼は息を吹き返しました。ですが、その顔は苦痛に歪んでいたそうです。
 その瞬間、彼女は、全身が金縛りにあったように、動けなくなってしまいました。まさに、全身に電流が流れるほどの衝撃でした。彼岸へと渡りたがっていた彼を呼び戻してしまった。彼女は真っ先にそう感じたのだそうです。
 そこから先の行動が今でも信じられない、と彼女は言います。彼女は彼の口と鼻をそっと押さえ、彼を窒息死させたのです。もともとが絶え絶えの呼吸でしたから、彼が息を引き取るのは、あっという間でした。彼女は部屋の片隅で呆然としていて、そこから先の記憶がないと言います。気付いたら、自分の勤め先の病院で、呆然とベンチに座っていたそうです。
 どうしてあんな行動をとったのか、彼女は考えました。それこそ、呼吸ができなくなるほどの焦燥感と後悔が彼女を襲いました。しかし、こうも彼女は感じたのです。彼が、それを望んでいるように見えた、と。これ以上、苦しみに身をゆだねるぐらいならば、安らかに眠らせてあげたい。彼女は、純粋に、そう思ったのです。
 Aの夫の死は、大きな議論を呼びました。Aの夫の死によって、周囲の人間が騒ぎ立て、裁判や、闘争が起きました。彼女はその騒動の渦中にいながらも、抜け殻のようになり、静寂が訪れるのを、ただ耐えながら、ひたすらに待っておりました。その時がやってきた時、彼女の手元には、いくばくかのお金と、遺骨が残っておりました。
 お金は、使えばなくなります。骨も、放っておけば、いつかは風と散るでしょう。そもそも、彼の肉体は、焼かれ、自然へと還ってしまいました。お金も、骨も、彼の一部が、彼の代わりとして、残存しているものに違いはありません。しかし、それは決して、彼そのものではないのです。その彼の残り香を、後生大事にとっておくのは、彼を新しい物質に置き換えたような感覚がして、Aはそれに堪えられそうにありませんでした。お金は残らず慈善団体に寄付し、骨は、海に散骨に行きました。家にあったものも徐々に処分し、やがて、ふたりの持ち物はほとんどなくなりました。Aに残されたものは、彼の名前だけになりました。
 仕事はもちろん続けました。彼女たちは生命保険に加入しておりませんでしたから、莫大なお金が手に入ることもなく、生きるためには働き続けなければなりませんでした。
 彼女は外科医としてはとても優秀で、周囲からの評価も高かったので、仕事を続行していく環境も整っておりました。彼女は仕事が好きでしたし、そのまま、好きな仕事に没頭し続けることができたのです。
 義父母との関係も良好でした。元々住んでいた家も近く、頻繁に行き来していたものでしたから、急に関係を切ることなどできませんでした。もちろん、Aの夫が亡くなったショックは小さくなく、義父はふさぎこみ、義母は体調を崩して寝込みがちになりました。それでも、Aはそれまで通りの関係を維持し、ふたりを励まし続けました。
 やがてAは、夫の顔が思い出せなくなりました。携帯電話に、彼と一緒に写った写真が何葉かあり、それを見なければ、思い浮かべることができなくなりました。顔が思い出せても、声がどうしても思い出せませんでした。やがて、彼が動いているところがイメージできなくなりました。その頃から、彼女にとって、夫とは、写真の中だけの存在となりました。気を抜けば、名前さえ、忘れてしまいそうになりました。そんなとき、彼女は自分の苗字を思い出して、名前を推測しなければなりませんでした。
 悲しさはありませんでした。むろん、夫を亡くしたあとしばらくは、食事も喉を通らなくなるほど落ち込みました。眠れない夜を過ごし、涙が枯れるまで泣き続けました。しかし、そんな時期も長くは続かず、やがて普段通りの日常がやってきました。職場に戻ってからの日々はあっという間でした。彼について思い出すことはもちろん、意識することすらなくなりました。
 何より悲しいのは、そうやって、彼が亡くなってしまったことに対して、慣れてしまった自分自身に対してでした。なんて自分は薄情なんだろう、そう思った瞬間に、どっと後悔の念が襲ってきて、なにも手に付かないほど落ち込みました。
 病院は、死と隣り合わせです。病院には、常に死がつきまとっています。病院で亡くなってしまった患者ひとりひとりにも家族がいて、同じような思いでいるのだ、と思うと、少しは気が楽になるようなところがありました。
 また、以前と同じように、手術ばかりをする日々がやってきました。来る日も来る日も、メスを握り続けました。人間の体内は、複雑なようでいて、意外と単純な仕組みで動いているものだ、とAは思いました。あらためて人間の臓器を見ますと、まるで食堂の入り口に置いてある精巧な食品サンプルのような感じがして、とてもそれが人間を構成しているものの一部とは思えませんでした。
 あらためて、自分の置かれている立場をAは自覚することになりました。自分が、いま手にしているメスで、ほんのちょっとでも余分な場所を傷つけたら、たちまち患者はあの世へと旅立ってしまうのです。彼女の脳裏には、彼女の夫が意識を失って、虫の息で横たわっている光景が焼き付いておりました。まさにあのときの状態だ、あの状態を、自分はずっと、これまでも、そしてこれからも、繰り返していくんだ、と彼女は思いました。
 彼女は、ある患者の身体をひらいたときに、誰にもわからないように、不要な傷をつけました。それはほんの小さなもので、すぐに致命傷となるようなものではありませんでした。手術をしておりますと、全身麻酔で眠っているはずの患者から、ふと声が聞こえることがありました。あの時の夫のように。
 話し終えると、Aは俯いたまま、沈黙しました。とても長い沈黙でした。
 五分ほど、そうしていたでしょうか。わたくしは、彼女が語り終えたのだと判断して、彼女の見えない位置に置いてあったボタンを操作し、録音を止め、椅子から立ち上がり、Aの名を呼びました。
 すると、Aは、そこではじめて、顔を上げ、わたくしと目を合わせました。そして、ほんのかすかではありますが、唇の端を持ち上げ、こう言ったのです。久しぶりね、愛子ちゃん、と。
 彼女は知っていたのです。わたくしが、溝口愛子である、ということばかりではありません。わたくしが、あくまでも霊安師としていままで振舞っていた、ということに対して、です。ともすれば、わたくしが先ほどAの名前を呼んだ際に、昔の懐かしい響きがそこに含まれていたのかもしれません。
 Aは立ち上がると、両手でわたくしの手を握りしめました。私、愛子ちゃんが霊安師になったって聞いて、安楽死するなら、絶対に愛子ちゃんが担当がいいと思ってたんだ。それまでの落ち着いた口調とは打って変わった、子どもっぽい、弾んだ口調で、Aは言いました。
 勢いに押され、わたくしもつい、微笑み返してしまいました。わたくしの、霊安師としての分を超えた瞬間でした。

      六

 死に関心を持つようになったのは、いつの頃からでしょう。
 子どもの頃、川辺で、アメーバ状の生き物を拾ったことがあります。たまたま持っていた空き缶に、川の水ごとすくい上げ、こぼさないように気をつけながら家へと持ち帰り、ガラスのコップに移し替えました。
 そのとき、その生き物は、コップの表面に浮かんでいて、よかった、生きている、と安心したものです。母親に見つかって捨てられてしまっては大変なので、わたくしはそのコップを、押入れの目立たないところに隠しました。
 翌朝、押入れからそれを出してきて、学習机のうえに置いてみますと、その生き物はすでに死んでおりました。ただ、思い返してみますと、確か、あのときも、生き物は水面に浮かんでいたのです。それを取ってきたばかりのときは、浮かんでいることが生きていること、というふうに感じておりましたのに、翌朝、全く同じ状態のものをみて、死んでいる、とわたくしは感じたのです。実際にその生き物が死んでいたのか、生きていたのか、いまとなってはわかりません。観察される状態は同じなのに、わたくしから見て、生きているか、死んでいるか、一夜にして違いが生じてしまったのです。
 本当は最初から死んでいたのか、それとも、わたくしが寝ているあいだに死んでしまったのか、そんなことはわかりません。ただ、わたくしが、死をどう認識するのかが、なにかの拍子に、百八十度変わってしまったのは事実のようでした。
 大きくなると、学校で、生物の仕組みを習いました。単細胞生物に寿命がない、ということを知ったのはたいへんな衝撃でした。単細胞生物は、単純な分裂を繰り返しながら増えてゆきます。「私」がふたつになり、よっつになり、やっつになります。無論、生存できる環境でなくなれば死んでしまうのですが、条件が整うかぎり、いつまでも、どこまでも増えてゆきます。そうなれば、「私」と「私以外」の境目はどこにあるのでしょうか? きっと、どこにもないに違いありません。
 寿命は、多細胞生物の宿命なのだそうです。単細胞生物には寿命がないのに、多細胞生物には寿命がある。なんと、細胞にはそれぞれ、時限爆弾がついているというのです。細胞は、古くなって、歳をとって、亡くなってしまうのではなく、テロメアという爆弾の導火線がついているのです。分裂を繰り返すごとに、テロメアは短くなり、決められた回数がくると、アポトーシス、つまり、自殺するのです。
 そう、自殺するのです。
 何故でしょうか?
 答えは、明白です。簡単です。
 身体を、維持するためです。
 みんなが好き勝手に分裂して、増え続けたら、身体を維持するどころではないでしょう?
 ヒトとしての形態を保つことなんて、できやしません。
 だからわたくしたちは、わたくしたちの細胞は、自殺をするのです。
 自殺をして、ヒトとしての形を保つのです。
 殺されるわけではありません。
 わたくしたちは、日々、自殺をしているのです。
 そうやって、身体を維持するのです。
 そして、新しい細胞を、次の世代に託すのです。

      七

 わたくしの前にAがふたたび現れたのは、再開してから一週間もしないうちでした。その日は珍しく、わたくしはカウンセリングの業務が入っておりませんでした。そのせいか、わたくしは手持ち無沙汰で、朝からそわそわしておりました。
 わたくしとAは向かい合い、霊安師と来訪者としての会話をいたしました。Aも、わたくしも、もはやふたりのそんなやり取りに意味など感じておりませんでしたから、たちまち話題も尽きました。わたくしは小さくため息をついて、録音のスイッチを切りました。
 レコーダーのスイッチを切ることは、もちろん、禁止されています。見つかればただでは済まないでしょう。しかし、そんなことはもはや関係ありませんでした。なにせ、相手は、神社の祠で秘密を共有している、あのAなのですから……。
 Aは嬉々として、自分が今まで行ってきた手術について語りました。わたくしには専門的すぎてついていけない話ばかりでしたが、大枠は理解できました。要するに、外科手術とは、異常をきたした部位を切除すること。それに尽きるのです。驚くのは、わたくしたちを構成している生命のパーツが、それほどまでに細分化され、名前がつけられている、ということでした。
 臓器のなかでもっとも大切なもの、心臓についても、わたくしはこまかい名称やメカニズムを把握しておりません。血液がどのようにわたくしたちの身体をめぐり、生命として構成しているのか、理解しておりません。しかし、わたくしたちの心臓は、片時も休まず、鼓動し、その役割を果たしております。なにか問題が起きれば、その原因を排除しなければ、生命そのものに影響を与えてしまいます。
 Aが天才的だったのは、理屈だけでなく、感覚、つまりセンスが卓抜していた、という点にあると思います。専門でないのであまり詳しいことは申し上げられないのですが、外科手術というのは、その組み立てがもっとも重要になると。手順の組み立て、これがキモになるわけです。手術はある意味、手術する前からはじまっているのです。どこを切除して、どこを縫合するか、それをどういう順番でやるか。そういったことを、紙のうえで、頭のなかで、展開して、シミュレートするわけです。
 異常動作をきたしてしまったものを軌道修正して、もとに戻すことは、簡単にできました。それだけで、外科医として天才的といえるでしょう。ですが、Aの関心は、いかにピンポイントに正常なものの均衡を崩すか、というところにありました。人間の身体とは、意外と頑丈で、ちょっとぐらい傷をつけたところでびくともしません。きちんと対応すれば、腕の一本や二本、無くなったところで生きていけますし、臓器を取り除いたり、脳を一部切除したとしても、生存することができます。一方で、ほんの少しでも傷をつけると、それが致命傷となる場所もあります。生命維持のための結節点のようなものがあり、そこを崩すと、いとも簡単に壊死してしまうのです。
 夫の死は必然だった、とAは言いました。きっと、遅かれ早かれ、亡くなっていただろう、と。わたくしは、それに対して、評価をすることができません。なにせ、わたくしはその方に会ったこともなく、知っていることといえば、Aから聞いた、たったそれだけの情報のみでしたから。しかし、職業病なのか、わたくしは肯定も否定もせず、ただ微笑んでおりました。
 顔を見れば、誰が死にたがっているかがわかる、とAは言いました。簡単に見分けられる特徴があるのだそうです。わかりやすく言うと顔色が悪い、ということなのですが、それは光が肌に当たって反射した感じで見分けるのだそうです。シリコンというか、ゴムのような感じだと、ほぼ確実だと言います。同じ病人、怪我人でも、生きる意思があるかどうかで、肌の感じが変わると彼女は言いました。
 最初は、そういった患者とはしっかり話をして、生きる意思があるかどうかを確認しておりました。もちろん、ストレートに質問することはありません。世間話のようなことを話して、相手のことを測るのです。
 しかしだんだん、そのような迂遠なことはしなくなりました。しなくてもわかるようになったからです。だんだん、肌だけではなく、臓器を見てもわかるようになりました。もちろん肌のようにわかりやすくはありませんが、やはり、違いはあるのだそうです。どこか、死んでいるようなにおいがする、とのことでした。
 彼女はそのようにして、次々と人を殺していきました。もちろん、すぐにそれとわかるようなやり方ではありません。歯車が、ほんの少し噛み違うように、時間をかけて蝕むように、調整をするのです。患者の多くは、退院してから数ヶ月して、突然死しました。もちろん、もとの症状とは無縁の死因ですから、直接的には容疑がおよぶことはありませんでした。
 とはいえ、何回かそれを繰り返すうちに、だんだんと周囲は異変に気がつきます。それはそうでしょう、いくら直接はわからないとはいえ、限度というものがあります。偶然があまりにも連続すれば、周囲は訝しむでしょう。
 Aは身の危険を感じました。近いうち、逮捕されるのではないか、と思いました。しかし、彼女に不安はありませんでした。そう自覚しても、それをやめることができなかったのです。
 そのとき、わたくしの心に沸き起こった感情には、いったいどんな名前がついているのでしょうか。わたくしは、身の毛がよだつほどの激しい感情に身を委ね、夜もほとんど眠りにつけませんでした。それまで、ほとんど感じたことのない、強烈な感情でした。
 ええ、それははじめてのものでしたから、わたくしも正体がつかめずに、思い悩む羽目になりました。事が事ですから、カウンセラーや、精神科医に行くわけにもまいりません。ですので、わたくしは、それこそ穴があくほど自分というものを見つめ、文献に頼って、その感情の正体を突き止めねばなりませんでした。
 考えに考えた挙句、ひとつの結論にたどりつきました。
 わたくしが感じた感情は、おそらく、嫉妬であろう、と。

     八

 わたくしが何に嫉妬したのか、ですか? そんなの、知れたことではありませんか。Aの行動についてです。
 わたくしが目指していた理想の形の死。つまりは、安楽死ということですが、Aはまさにそれを実現すべく、実際に行動を起こしていたわけです。患者は、苦しむことなく、自然に息を引き取りました。蝋燭の炎を、息でそっと吹き消すが如くに、安らかに。
 それはまさに、わたくしが渇望していた死の形でした。
 生きていれば迷いが生じる。永遠に満たされない欲求に苛まれ、軛から自由になれない葛藤に身を焦がすこともあるでしょう。しかし、普通の人間は、自らの意思で、命を絶つことなどできません。電車のプラットフォームで、電車に飛び込む哀れな自殺者は、自らの意思で飛び込むのではありません。何者かに、背中を押されて、電車の車輪に吸い込まれていくのです。本当に自分の肉体を破壊したいと思うならば、例えば自らが運転する自動車のアクセルを全開にして、壁に激突するなどの方法もあるはずですが、そういう方法はほとんど取られないと聞きます。
 理由は簡単で、誰だって、本当は死にたくないからです。
 痛みを感じず、苦しまず、静かに、眠るように「殺されたい」と願っているのです。
 なぜなら、いまが苦しいから。この苦しみから逃れたいから。ただ、自分ではなかなか死は選べない。逡巡し、葛藤し、懊悩して、「最後の手段に死がある」と自分に言い聞かせて、また常世の苦しみのなかに身を置くのです。
 そうなりますと、わたくしの選んだ、この霊安師という職業は、いったいなんなのでしょうか?
 いっときの、まやかしの、かりそめの「希望」を騙る、詐欺師のようではありませんか?
 彼岸へ渡りたがっている者を堰き止めているのは、望まざる者を此岸へと引き戻す役割を担っていたのは、他ならぬわたくしたち、霊安師だったのです!
 わたくしはそう気づいた瞬間、全身から力が抜け、うなだれました。今まで努力してきたこと、目指してきたこと、すべてが否定されたように感じました。Aは、突然そんなふうになったわたくしを見て驚き、慌ててわたくしの肩を抱きかかえました。わたくしは驚いて、Aの顔を見上げました。
 どうしたのよ、とAは言いました。ああ、Aには、そのときわたくしがどういう気持ちだったのか、伝わらなかったのです。考えてみれば、ごくごく当たり前のことではあるのですが。
 あなたがうらやましい、とわたくしは言いました。うらやましい? とAは不思議そうに問い返しました。
 あなたはあなたの信念に従って生きているわ、とわたくしは言いました。それがどうしてもうらやましい、私は、自分が生きたいように生きれていないから。Aはきょとんとした顔でわたくしの目を見つめました。心底不思議そうな顔で。すぐにそれは怒りの顔に変わりました。その瞳には、憎しみすらこもっていたかもしれません。
 あなた、それ本気で言っているの。Aはわたくしに言いました。
 あたしは、もう引き返せないんだよ。あたしには、もう未来はないの。あたしは、連続殺人鬼なんだから。今ではないけれど、いずれは捕まる。死んでしまった人はもう戻ってこない。どれだけ安らかに逝った人でも、どれだけ安らかに逝くことができても、死んでしまったら、すべてが無くなるんだよ。悲しみも、苦しみも無くなる代わりに、楽しみや、喜びまで失うんだ。
 Aが何を言っているのか、わたくしには理解ができませんでした。この人はいまさら何を言っているのでしょう? そんなことは、とうの昔から、知れたことではありませんか? そういったことをすべて承知で、人を手にかけたのではないのでしょうか?
 結局のところ、この人も、言い訳をしているのでしょう、とわたくしは思いました。
 第一、いまさらになって、そんなことを言っても、それこそもう手遅れです。
 後悔するぐらいならば、はじめからやらなければいいのです。
 わたくしは、呆気に取られて、二の句が継げませんでした。
 互いに、しばらくのあいだ、沈黙しておりました。もう、それ以上の会話はないと思っておりましたから、これできょうの面談はおしまいだと思いました。わたくしは立ち上がり、部屋の入り口へと向かいました。ドアノブに手をかけ、Aのほうを振り返ります。Aは、まだ、顔を伏せ、うなだれておりました。
 Aの名を呼んでも、返事はありませんでした。仕方がないので、Aの近くまで寄り、肩に手をかけました。わたくしは、ぞっとしてしまいました。露出されたAの肌は、それはもう冷たく、しかも冬の岩山のようにざらついていたからです。
 Aは、不意にわたくしの腕を両手で掴みました。それもあまりにも冷たいので、わたくしは悲鳴をあげそうになりました。Aは上目遣いにこちらを見ます。わたくしと目が合いました。もう、どこにも行くところはないの。Aはそう言いました。
 わたくしは、とっさに、Aの言っている意味がわかりませんでした。いえ、本当はわかっていたけれども、わかろうとしていなかったのかもしれません。どこにも行くところはない、この場所に来て、それを口にするということはつまり、ここが、人生の終着点ということです。
 ここで、此岸に別れを告げるということです。
 わたくしは、全身から血の抜ける思いがいたしました。
 つま先から頭のてっぺんまで、冷水を浴びせられたかのようでした。
 そこから、何をどう説得したものか、よく憶えておりません。とにかく、Aをなんらかの方法で説き伏せ、わたくしの家に連れて帰りました。Aは、身の回りのものをすべて処分しておりました。文字どおり、すべてのものを、です。借りていた部屋は解約してしまい、着替えや、お金すら、彼女は持っていませんでした。身の回りのお金になりそうなものを一式、売り払ってしまい、それで得たお金で、大きなものを処分したのだそうです。余ったお金をすべて、近所の神社の賽銭箱に放り込んだと言います。彼女は、正真正銘、着の身着のまま、無一文でした。
 わたくしはとりもなおさず、抜け殻のような彼女に部屋着とタオルを持たせ、浴室に押し込みました。一時間ほどしても、なかなか出てこないので、様子を見に行くと、赤い顔をしてのぼせておりました。冷たい水を飲ませ、ベッドに寝かせました。わたくしの部屋は、都内の狭いワンルームですから、ふたりが暮らしていくだけの広さがあるわけではありません。わたくしはクローゼットから、客人が来たときのための寝袋を取り出し、自分の寝床をつくりました。
 Aはうちに来てから一切言葉を発することなく、黙っておりました。そして、早々に寝てしまったようなので、わたくしも電気を消して、寝ることにいたしました。
 わたくしは疲れておりました。頭の中で、さまざまなことがぐるぐるしておりました。勢いでAを連れ帰ったはいいものの、これからどうするという当てがあるわけでもありません。まさか、このままわたくしが養うことになるのでしょうか。いえ、考えても仕方がありません。わたくしは、あらゆる考えが巡り、ショートしそうになりながらも、浅い眠りについていきました。
 ふと、夜中に目を覚ましますと、半分開いたカーテンの隙間から、月明かりが部屋を白く照らしておりました。Aはその光のなかで、仰向けに眠っておりました。わたくしは、息を呑みました。その光景があまりにも美しく、神々しく、神聖さに満ちていたからです。
 わずかにあいた窓からは、時折風が吹いてきます。耳をすますと、Aの、すー、すー、という寝息がかすかに聞こえました。わたくしはベッドの側に寄り、Aの顔をよく見ました。
 それは、あまりにも綺麗な顔でした。顔立ちが整っているというだけではありません。あまりにも生気がなく、石膏像のような、無機物で出来たような、顔でした。
 Aは微動だにしませんでしたが、呼吸に合わせて、胸がふくらんだり、しぼんだりしているのがわかりました。深い眠りだからか、その呼吸の周期はとても長いものでした。
 このまま、この姿のまま、永遠に保存しておけたら。わたくしはそう思いました。携帯のカメラで撮影しようかと思いましたが、そういうことではない、とすぐにかぶりを振りました。
 いま、この瞬間の、この空気だけを、切り取ることなど、どうあがいても、できないのです。
 気づいたら、涙を流しておりました。泣いているという自覚はなく、頬を伝う雫で、はじめて泣いているのだということに気がつきました。
 わたくしは、右手でAの鼻を、そして、左手で口をおさえました。突然呼吸が止まったので、Aの横隔膜が振動して、喉が鳴りました。わたくしは、さらに強い力で、押さえつけました。Aの手が痙攣し、足がばたばたと動きましたが、それは、思っていたよりも、小さな小さな抵抗でした。
 Aは目を開きました。その瞬間、Aの目から、ひとすじの涙がこぼれました。
 生きたい、とAは言いました。

      九

 結局、Aとはひと月ほど、一緒に暮らしたでしょうか。Aは、本当に文字通り何も持っておりませんでしたから、わたくしの家に居つくより他はありませんでした。わたくしは普段通り出勤して、いつも同じ時間に帰宅しました。
 Aはわたくしのワンルームで、ぼーっとテレビを見るか、空を見るかして過ごしておりました。不安も恐怖もどこかに置き忘れてしまったかのようで、その姿は、まるで禅僧のようにも見えました。一日に三十分にも満ちませんでしたが、ぽつりぽつりと、過去のことも話してくれました。
 わたくしは、日中は霊安師として他人様の話を聞き、家では、個人として、Aと対話をいたしました。不思議と、それでバランスはとれているように感じました。
 わたくしはそのときはじめて、霊安師としての仮面をはぎ取った自分が、こんな表情で話をするものだということに驚き、新鮮なものを感じ取っていたのです。
 Aの話は、亡くなった夫の話が中心でした。わたくしとAが離れ離れになってから、ほどなくしてAはのちに夫となるその男と出会い、当然の帰結として婚約しました。両親の関係も良好だったので、まずまず幸福な家庭であったといえるかと思います。
 よもや、あのような結末を迎えるなど、思いもよらなかったとAは言いました。それはそうでしょう。殺人を犯すことを最初から想定している人間など、いるはずもありません。彼女の夫は、彼女以外の何者かに、手をかけられたのです。
 メールが来るのを待っていたの、とAは言いました。メール? とわたくしは意味がつかめず、問い返しました。彼女の夫は、仕事がどんなに忙しくても、メールを返さない日はなかったと言います。どれだけ遅くても、一日の終わりにはメールをくれたと言いました。それが三日なかったことが、どれだけ苦痛なことだったか。
 彼女は、会社に押しかけようとしたそうです。今となっては、会社に押しかけたほうが良い結末を迎えたのかもしれませんが。彼女は夫の帰りを待つ間に、悶々として、ありとあらゆる妄想をしました。浮気さえ疑ったそうです。しかし、それらはもちろん根拠があったわけではなく、彼女の妄想の産物です。
 今思えば、最後の時の彼の様子も、本当にあたしの記憶通りかどうかがわからない、と彼女は言いました。すべて、自分の妄想かもしれないのです。死にたがっている人間など、本当にいるでしょうか? 社会から爪弾きにされ、不要な存在だと切り捨てられても、それで自分の生命まで本当に奪いたい、と真剣に思う人間がいるでしょうか? あたしは、自分を正当化しようとして、記憶を改ざんしたのかもしれない、Aは真剣なまなざしで、宙を見つめながらそう言いました。
 わたくしは、それに対しては、普段のカウンセリングのときと同じく、異論をはさむことなく、静かに微笑みを浮かべて、それを聞いておりました。彼女の心が放つ、真剣な告白だと感じたからです。
 洗いざらい、彼女は秘密にしていたことを打ち明けると、最後に決心したように、こう宣言しました。
 決めた、あたし、やっぱり、死ぬことにする。
 それは、解脱したお坊様のような、安らかな顔でした。
 Aの葬儀は、つづがなく執り行われました。それは病院での死と同じく、施設の内部の人間にとっては、ごくごく日常的なことでした。わたくしにとっては、それは一種の救いでもありました。霊安センターにとって、安楽死と、それに伴う葬儀はシステムによって完全にマニュアル化されていました。Aは全く苦しむことなく、最大限の尊厳をもった死によって、天に召されました。
 わたくしの心には、殺人を告白したAの気持ちを聞いた時とは別の、しかし種類の異なる感情が沸き起こっておりました。うらやましい、とわたくしは思っていたのです。Aの背中ばかり追いかけていた、あの頃のように。
 ずるい、とか、嫉妬の感情ではありません。自らの意思によって死を選択したAを、心から祝福することができたのです。
 そのようにして、わたくしのが友人が、わたくしが彼岸に見送った最初の人となりました。

     十

 長い話を最後まで聞いていただき、ありがとうございました。ええ、そうですね、もちろん、こんなことを人にお話するのははじめてです。ましてや、同業者に対してすることになるとは、思いもよりませんでした。霊安師が、安楽死を望む側にまわって、同業の霊安師の方とお話をするというのは、珍しいことかもしれませんね。
 いまの気持ちですか? 落ち着いていますよ。まるで沖合いの、凪いだ海をただよっているような気持ちです。
 Aを失って、悲しくないのか、ですって?
 まさかそのようなことを霊安師の口から聞くことになるとは。はい、悲しいに決まっています。胸が張り裂けそうなぐらい、気持ちが高ぶった日もありました。でも、それは、わたくしたちのエゴなのだと思います。大切な人を失ってつらい、というのは、残された者たちのエゴなのではないでしょうか。本人は彼岸に渡りたがっているのに、その手を引っ張って、常世に繋ぎ止めておこうとするのは、まさに呪いではないでしょうか? その場合、呪うのではなく、祝うべきなのではないでしょうか?
 わたくしがそのような気持ちになってから、急速にたくさんの方が彼岸へと渡られました。ええ、記録でも、わたくしが看取った来訪者の方が突出して多いのは理解しております。それは、わたくしが、Aの死を通じて、このシステムの、本当の救いに気付いたからなのです。
 どちらがカウンセリングしているかわからない? あはは、そうかもしれませんね。わたくしも、こんなに長いこと、自分のことを話すことなどないものですから、疲れてしまいました。
 ええ、じゃあそろそろ行きましょうか。次の方もじきにいらっしゃいますよね。え、もう待っていらっしゃる?
 ありがとうございます、はい、大丈夫です。……いま、参ります。

(了)

此岸の際から

此岸の際から

  • 小説
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