三月の雨

三月の雨

・黒い縁取りの手紙
三月の雨は冷たく肩にあたる、
少しの"白々しさ"を含んで。


友人からの連絡は簡単なものだった。
「T先生が亡くなりました。つきましては、9日M祭場にて御通夜が行われます」
 T先生?どんな人であったろうか?
僕は記憶のストックが極端に少ないのかもしれない。彼の顔は思い浮かばない。
しかし、日曜の朝に嫌な報せが届いた。
たまの休みぐらい、穏やかな気持ちでいたいのに。
 
・oasis
日曜日の公園では、様々なタイプの人々を目にする。
親子ずれ、老夫婦、双子の姉妹。
 双子の姉妹はポプラの木の下で、何やら笑いあっている。
容姿は当然なのだけれど、着ている服も髪型も一緒であるから、何やら鏡が彼女達の間にあるのではないかと錯覚する。
母親は見分け方を心得て入るのだろうか?
彼女達から、離れていないベンチに恐らく母親と思われる女性がにこやかに座っている。
髪が長くて、なんというか、"私、双子の姉妹を育てています!!"と選手宣誓(全日本双子の姉妹を育てています選手権)しているような服装をしている。
時々、そういった服装の若い母親を見かけるけれど、あのダボっとした、服装はなんと言うのだろう?きっと確立されたファッションの一形態なのだろうけれど。

 実際、双子の姉妹と母親について考えたのは八秒程度の脳の無駄な活動だった。
まじまじと見詰めていれば、なにか新しい発見があるのかもしれないけれど、それは不振な行動に他ならない。不思議の探求なのだから仕方ない、と言っても民事裁判では通用しないだろう。
もしかしたら、テレビカメラが僕の後ろに常についてくれば、何かの撮影と思って、母親、双子共々、御丁寧に挨拶してくれるかもしれない。
しかし、日曜の非芸能人独身男を密着してくれる、テレビ局も無いだろうし、あったとしたら、いよいよテレビというビジネスも崩壊するように思うのだろう。
まぁ、安心してくれたまえ、今日も朝からテレビでは、俳優Hの不倫報道でもちきりだったのだから。


  AM9:00の公園というのは、清々しい。都会育ちなら分かってくれるだろうが、公園で清々しさを感じるのは非日常的な出来事なのだ。
コンクリートジャングルで日々生活し、コンクリートな人々と交遊しコンクリートな食事をしていると、いつの間にか自分がコンクリートで塗り固められる気がしてくる。
妥協してドラム缶にコンクリート詰めにされて、海に沈められてもいいと思えれば、良いのかもね、海の底は以外に素晴らしいとこかもしれないよ、少なくとも孤独ではない、コンクリート詰めにされたのは僕だけではないのだから。


 そして、AM10:00になり雨が降りだす。
 
 ・Berlin
そのとき僕のイヤホンからはルーリードの「ベルリン」が聴こえていた。
余りにも有名すぎる「ベルリン」という作品は、僕には非芸術家の慰めに聴こえる。単調でトリップしない生活のなかで、時々、頭のなかを支配する、カオスな妄想に意味を持たせてくれる、僕にとってはそんなさ作品なのだ。
勿論、ルーリードは新の芸術家であったし、恐らく「ベルリン」を製作した時は薬物が彼の血管を流れていたはずだ。
そして、恐らく素面でも変わり者だったと思う。
しかし、彼の歌声はコンクリートな僕に優しく寄り添ってくれる。決して、戒めてはこない。
 
 別に濡れたって構わない、正直、見てくれに関心は無いのだ。しかし、まぁ 下ろし立てのトレンチコートが濡れてしまうのが忍びなく思えてしまって、僕は煉瓦造りの吹き抜けの休憩所に逃げ込んだ。
ここは、恐らくはライブ ステージに成るように、作られたのだろう。半月形に抉れていて、正面には石堀の長椅子が四列並んでいる。
しかし、此処でライブが行われている場面には、出くわしたことがない。
一度、深夜、飲みすぎで、家路に付く途中で、酔いざましにこの公園に寄ったとき、演劇の練習を若者がしていた。
5~6人の男女だったと思うが、僕が気にせず、通りすぎようとしたとき。
「すいません、お時間あったら見ていってくれませんか?15分位の場面ですので」
僕には断る理由もなかったし、深夜であるから、顔は見えないまでも、僕に声をかけてきたのが若い女性であったから好意的に受け取ったのかもしれない。
「ええ、構わないけれど、感想とか求められると困るかな、素面じゃないし、それに僕は評論家でもないからね」
「はい、評論家なんてクソ喰らえですから、面白いか面白くないかだけ教えて頂けるなら」
「じゃ、僕も御世辞は言わないようにします」
彼女は”ニコッ”と笑ったようだった。
「有難う御座います、皆
用意してください!!」

 懐中電灯が舞台を照らした。
そしてオペラが始まる。
 
・オペラの深夜

戯曲 「I Shall Be Released」

 A:私たちはいったい何時になれば、この牢獄から脱け出せるのか?
 B:姫様、我々は囚われているがゆえに、我々なのです。
C:見えない白い壁、我々を包むも、意思までは封じ込めず。
D:美しいじゃないの、姫様 、ここでの生活は。
全てがある、コカインもあるしね。
白い砂が舞台にばらまかれる。
D:あはぁはぁ、素晴らしく気分がいいわ、マーズまで飛んでいけそう。
ナイトフライト素敵じゃない。
A:私たちは蝕まれているわ、現実に過去に世間に!!
C:それが心地よいのなだから仕方ない、痛みに喘ぐこともないのだから。
A:いいえ、私は痛むわ、シリアで死んだ子供の痛みが、カンボジアで片足を失った女性の幻想痛が私の心にチクっと針を刺す、無力に吐き気を覚える、涙が止めどなく流れる。

Aからは涙など流れてはいなかったけれど、懐中電灯の光がよりいっそうAの顔を光らせた。
このとき僕は初めてAの顔を知った。きれいな顔をしていたよ、今時とは言えないのだろうが、強いて言えば、諏訪根自子に似ていたかな、だから相当に美人だったわけだ。
諏訪根自子という人は写真も少ないし、以前少し、戦前の美少女とかなんとか、メディアがコマーシャル活動したけれど、たいしてブームにもならなかった。
でも、僕は彼女のヴァイオリンの演奏がとても好きだ、彼女の戦前の演奏をまとめた音源はノイズまみれで(リマスターしたのだろうけど)あったし、もっと上手い演奏家も山ほどいる。
しかし、僕には諏訪根自子の演奏は混じりけの無い、透明な純粋を感じさせる。少し違うけれどジャンゴ・ラインハルトのレコードと同じような感覚を覚えた。
僕の祖母の家族が"辻売り"をしていた時代に彼女の様な少女がいたと思うと、なんというか平等な世界など今も昔も"ありゃしない"と感じる。なんというか妥協も必要なのだ。


 で、最終的にこのオペラはBの台詞で終わった。
「哀れな姫よ、貴方は神か悪魔に取りつかれてしまった。さぞ、あなたの人生はこれから辛いものになっていくのだろう」

 15分が過ぎ去り、オペラは拍手の無いまま幕を閉じた。しかし、朝焼けはまだ遠い向こうにいた。

 Aは舞台から降り、冷たい石の座席に座る僕に
「いかがでしたか?」と聞いてきた 。
 僕は何と言って良いのか、わからなかった。てっきり"マクベス"でもやるのかと思っていたし、でなくともこういった、前衛的なものを見せつけられると、感想や評価というものの重要性さえ疑わしく感じる。
しかし、Aは美しかったし、少し異常性を持っているのも伺えた、けして悪いことでは無いけれど。
「ええ、素晴らしかったですよ、ところでこの劇は"全共闘"の時代と関係してたりするの?」

 彼女はたぶん微笑し、僕は苦笑いを終始、浮かべていた。


・ギミーシェルター

そういったことのあった、思い出深い煉瓦造りの休憩場に、僕は逃げ込んだ。
 雨は雨量を秒毎に強めていってるように感じた。まるでマニラに降るスコールのように、公園の植物達を濡らしていた。
一部の植物にとっては恵みの雨であり、別の植物にとっては、茎を折り、根を露出させる厄介な雨。


 しかし、それにしても猫達は何処へ避難したのだろうか?
この公園には野生の野生の猫が数多く生活しているはずなのに、この煉瓦造りの建物には見たところ一匹も避難してきていない。
もしかしたら、彼らは人間には気づく事ことのできない、シェルターを地下に作っているのかもしれない。そして、来るべき日に銃を持ち、散々虐げられてきた人間に復讐する。彼等にとって、その戦いは、美しい聖戦に他ならない、その点イラク戦争とは大きく異なっている。
彼等は利口なのだよ人間なんかより。

双子の姉妹は此処には逃げ込まなかったようだ。
それどころか、此処には僕を含めた、三人しかいない。
高齢の男性がステージ中側のベンチに座っている。
彼はネズミ色のハンチングを深めに被り、木製の杖の上に両手を置いている。
彼はシェルター降り注ぐミサイルの雨を無表情で見つめている。
もう一人は、サングラスを掛けた若い女...
 サングラスを掛けた女性というのは、なにか事件の幕開けのような気がするし、逆に幕引きのような気もする。
特に三月にサングラスを掛けた女性は新しい世界への幕開けだと期待してしまう、特に今年の三月は。

  だって"美貌な平成"が終わるんだよ、それなのに僕は1mmも新しい世界へ前進も後退も浮遊もしないなんて、寂しいと思わないかい?

 
・Goodbye

老人が胸ポケットから、煙草を取り出した、そして流れ作業のように火を着けた。
公園は禁煙ですよ、なんて言う言葉は"あこぎ"に思えた。こんな土砂降りの雨なのだ、それにこの辺りは元々品の良い土地じゃない。
公園が作られるまえは、貯木場で、何人かの業者と冒険心溢れる子供が、溺れ死んだ。その前には空襲で焼け死んだ人々を、今では野球場になっているけれど、そのグラウンドに 埋めていた、戦争が終わって二年後に生腐りの死体は掘り起こされた。
そのなかには、僕の親戚にあたる様な人もいたらしい。
戦後、貯木場の近くに駅が整備され、回りには歓楽街が出来上がった。
今でも、此処の辺りには過去の面影は探そうと思えば、あるけれど、とりあえず上手く誤魔化すことに成功している。
駅の近くには韓国資本の立派なホテルができたし、ホテルの地下にはBARができた。僕は今日もそこに行くだろう。
新しい時代を迎えるために、ウィスキーバックを飲まなければならない。
 ふっと、横をみるとサングラスの女も長い煙草を吸い始めた、僕も仲間外れになるのが、嫌でトレンチコートの胸ポケットから煙草を取り出した、そして流れ作業のように火を着けた。
 しばらくして、女の携帯に電話がかかってきた。
かけた方は何やら騒がしかったが、女は一言だけ言って切ってしまった。
 「さようなら、きっとまだサンフランシスコ行きの座席は空いているはずよ」

 僕は2本目の煙草を吸っていた。
別に関心も無いけれど、サンフランシスコ行きのジャンボが無事に飛び立つ事を祈った。
余りにも、この国では三月に人が死にすぎた、これ以上、死者を空に捧げる事もないだろう。

三月の雨

三月の雨

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 時代・歴史
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-06-27

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