フルートとヴァイオリン(第1章)

フランシス・ローレライ 作

フルートとヴァイオリン

 第一次大戦の始まるきっかけは、確か1914年にオーストリア・ハンガリー帝国の皇太子がボスニア・ヘルツェゴヴィナ州のサラエヴォを訪問中、民族主義者に暗殺された事件だった。
 皇帝の世継ぎは本来、息子のルドルフとなるはずだった。ところが彼には若き愛人がいて、それを咎められ、皇帝から別れる様に言われていた。そこで思い余った末、二人は狩りの館「マイヤーリンク」で心中めいた自殺を遂げてしまう。
 その後、ルドルフの従弟フランツ・フェルディナンドが皇太子となり、サラエヴォでセルビア人独立運動家の手にかかるのだ。これをきっかけにオーストリア・ハンガリーはセルビアに宣戦布告し、第一次世界大戦が始まった。
 ルドルフが浮気しなければ、歴史の展開はまた違ったのだろうか。
 何れにせよこんな、ちょっと退廃的な風潮が音楽家のインスピレーションを呼び、数々の名曲が生まれたのでは、と考えてしまう。
 住民たちを見ていると、ウィーンを一種の劇場と見做し、貴族的な立ち居振る舞いを気取る様だ。社交行事には男女ペアで出席し、騎士道精神に根ざす昔ながらのレディー・ファーストに従う。
 そしてそれを見にやって来る、たくさんの観光客。この界隈では名物の二頭立て馬車「フィアカー」が彼らを乗せ、パッコロ、パッコロとゆっくり走り、まるで十九世紀にタイムスリップしたかの様にのどかな雰囲気を醸し出す。
 そんな「ヴィエンナ・ランド」でブラブラしていたら拓陽高校の盛田先輩が見かねたらしく、査証免除期間中に身を寄せるよう「ピカ忠」に勧誘してくれたんだ。ここは日系の商社で、ユリウス・マインル社とも提携し、オーストリアのワインや生ハム、ハンガリーのサラミ、北イタリアの白トリュフやオリーブ油など食材の輸出入を手がけている。こうして現地雇いとなった僕の夢は、正社員になることだった。給料も増え、今度こそ結婚できるに違いない。

 そして2001年の一月、土曜の午後だった。
 身勝手な観光客のお蔭で足止め食った僕は、やっとの思いであのあずき色したイタリア趣味の建物に辿り着いていた。
 黒い手袋を返し気味に、青白いベルトのスウォッチを確認する。ここが空港なら、搭乗便が最終案内されそうなぎりぎりの時刻だ。
「これはいけない!」
 ここでタクト振ったブラームスが見ていたら嘆きそうな場面。急いで楽友協会の玄関の表扉を開けて中に入った。
 すぐ裏扉を開けてロビーに入り、暖房が良く効いているのでほっとする。広いロビーはいつも大勢の音楽愛好家やカップルで賑わうのに、何故か人影まばらだった。クロークで帽子、マフラー、コートを預け、怪訝そうな目つきの係員に切符を見せ、早足で小演奏会用のホールを目指す。開演には間に合うだろう。
 そして迷宮の様に複雑な建物の中でついにブラームス・ザールを見つけ、扉を開いた。そこは正に夢の世界。黒っぽい四方の壁に要所々々描かれた赤褐色の柱が、まばゆいばかりの金色の二階席と天井を支えている。これは、まるでミノタウロス伝説で知られる地中海クレタ島のクノッソス宮殿。
 思わず舞台方向に目をやると、黒く重々しいグランド・ピアノが明るく照らし出され、クジラの様に反響板を大きく開いていた。周囲はほぼ満席で、皆、期待を高めながら静かに弾き手を待っている。
 僕は列番号を確認すると、
「インシュルディグング(すみません)」を繰り返しながら、黒っぽいジャケットや綺麗なドレスの隣人を次々と立たせ、ただ一つ空いている席に近づいて行く。そして着席し、息をついた。
 すると舞台の左端から背の高く痩せた、黒い燕尾服姿のヤッサが緊張の面持ちで登場するではないか。彼が客席に向かって微笑み、右手を心に当てながら丁寧にお辞儀すると、観客がそれに応えて拍手を送る。
「パチパチパチパチ……パチパチパチパチ……パチパチパチパチ……パチパチパチパチ……!」
 僕も調子を合わせて拍手した。ヤッサは知り合いだった。シャープな輪郭と黒髪で、どこか中近東風だ。拍手の止む頃、しきりにパチパチ続くので舞台の手前辺りをよく見ると、どうやら黒髪の長い、うら若き女性の仕業だった。
「あのフロイライン、日本人かも知れない」と思う間もなく彼女も拍手を止め、辺りがしんとした。そして静寂を埋めるかのように、グランド・ピアノの深く甘く、華やかな音色が響きわたる。
 一曲目のショパンだ。

 それから二週間ほど経ち、ウィーン国立音楽大学の巨大な階段教室では「アルテドナウ・アンサンブル」が定期練習に臨んでいた。指揮台でタクト棒を振る、茶髪でアフロ・ヘアのフィッシュマン教授が口ひげの下から、
「ヴァイオリン、そこはピアニッシモ! 特に押さえて」と叫び、次の瞬間、人差し指で口を押さえる仕草をする。
 課題曲はシュトラウスの「美しき青きドナウ」だった。
 この日のセッションには新入りの女性第2ヴァイオリンが加わっていた。細身で真っ直ぐな黒髪が背中の真ん中、前に垂らしたら胸まで届きそうな東洋人だった。深緑のパンタロン・スーツに身を包み、いかにも年代を経ていそうな褐色の楽器を顎で押さえながら弓を器用に操っている。
 出番待ちの僕はフルートを膝に「休め」の姿勢で構えたまま、新人に思いを寄せていた。
「まるで洋装の雪女……」
 彼女は少し色白に見えた。時々、輝くような瞳で振り返る様な気がする。際立った美人でないが、長い黒髪が美しく、物腰柔らかな雰囲気である。
「フロイライン・ツガル、その調子で。フォルテイッシモ!」と先生が叫ぶ。妙齢のミュージシャンが登場し、上手に演奏するのはまんざらでもないようだ。
「そう言えば彼女……ピアノ演奏会で手叩いていた黒髪かも」と思った途端、
「フルート、スタッカートで!」と彼が声を張り上げた。         
 左隣でファーストを吹いているチュンさんにもテンションが走る。楽譜に従い弾むべきフレーズをなめらかに演奏してしまい、だらしない雰囲気が出ていたのだろう。集中力のない理由は新人女性だったが、誰にも理解できなかっただろうな。  
 しばらくすると曲目がレハールに変わった。オペレッタ「メリー・ウィドウ」からの選曲だ。ウィーンでは大変ポピュラーな作品で、ロンドン・ミュージカルの「マイ・フェア・レデイ」のような古典だ。
 頃合いを見計らってマエストロ・フィッシュマンが壁の大時計に目を向けた。案の定、8時だ。彼は満足そうに口ひげを確認し、休憩を合図してくれた。
 そこでほっと息をつき、細長い銀の楽器を口元から離す。
「あの娘は25歳くらい……いや、もう少し年上かも知れない。フルートの東洋人コンビに気づいたかな。ウィーンに来てから色々な出会いがあったけれど、残念ながら自分のタイプと言える日本女性には遭遇していない。もう27歳だ。何はともあれ、あのカッコ良い新人さんにアプローチしてみよう」と思いながら席を立った。フルートと第2ヴァイオリンはヴィオラを挟み、近いのだ。そこで他の奏者や譜面台に気遣いつつ彼女に接近し、
「こんにちは」と声をかけた。
 彼女が振り向いた。
「日本の方ですか?」と更に尋ねた。
「あ、こんにちは……」と言いながら彼女は膝上のヴァイオリンを左手で支え、弓を右手に持ったまま視線を合わせてきた。
「国谷です。初めまして」
「津軽です。どうぞ宜しく」と答えて彼女がにっこり微笑んだ。声が深く、しゃべり方が落ち着いている。
 そこで彼女の瞳が大きいだけでなく、猫の目のように灰色がかっていることに気が付いた。少し日本人離れしているのだろうか? 
「ひょっとしてこの間、楽友協会でヤッサのピアノ聴いていませんでした?」
「あ! ばれちゃったかな……」と彼女が嬉しそうに答える。
「ウィーンは狭いから……それにしても良く溶け込んでいるね」と言いながら、微笑んだつもりだ。
「いいえ……とんでもない」と彼女がはにかんだ。長く、つややかな黒髪が揺れる。よく見ると彼女の深緑のスーツは、襟の部分が黒いヴェルヴェットだった。
「どうやってこの楽団を見つけたの?」と尋ねた。
「ここの大学の研究生なの」
「それならプロ同然だね」
「いいえ……もっと鍛えないといけなくて」と言いながら、彼女は少し憂鬱そうな顔をした。
「実はオーディションを控えていて」
「それは大変、でも夢があるね」と答えながら僕は、しまった、不躾だったかも知れないと後悔しはじめる。
「一応夢ですけど、少し先なので……」と言って彼女が目を伏せた。やはり色が白いようだ。
 彼女が語調を強めて言った。
「書類審査やCD審査を通ったので、早めに来たんです」
「きっと素質あるんですよ」
「いいえ、とんでもない」と彼女が否定する。
「是非頑張って……」と言いかけたところでマエストロが戻り、少し短気っぽく指揮棒で目の前の譜面台をたたいた。練習再開だ。
 最初の曲はビゼーの「アルルの女」。フランスの作曲家はフルートを多用する傾向があり、御多分に漏れず彼もこの組曲の優雅な「メヌエット」や早い踊りの「ファランドール」でフルートやピッコロを主役に仕立てている。
 だからチュンさん共々よく練習し、僕は銀のフルートを黒いピッコロに持ち替えて成果を披露するのだ。フルートの出番は高音域の伴奏や効果音に集中しがちなので、主旋律を受け持つ場面はとても気分が良い。そこでチュンさんがソロで奏でる「メヌエット」は甘く、優雅で愛らしく、流麗だった。
 続いてシュトラウスの喜歌劇「こうもり」序曲。チャイコフスキーのバレエ組曲「クルミ割り人形」から「金平糖の精の踊り」。そしてシュトラウスの「トリッチ・トラッチ・ポルカ」。ちかぢか冬の風物詩バル(舞踏会)の楽団として登場するので、予行演習中だった。
 それから一時間も経っただろうか。ようやくマエストロが練習を終わりにしてくれた。手早く楽譜を片づけ、フルートをケースに収めて彼女のところへ向かった。音楽家は解放気分で早めに逃げる習性があるので、すばやく捕まえないといけない。
「津軽さん!」
「ハイ」と振り向く彼女の目はフレンドリーだった。
「一緒に帰りませんか?」
「ええ」と言って彼女がうなずいた。そして嬉しそうに身支度を急いだのである。ヴァイオリンをしまうと、黒いケースに黄色いテープで、MとTが大文字で記されているのが見えた。
「Tは津軽……Mは何だろうか?」と好奇心を煽られた。
 彼女がヴァイオリンのケースを肩にかけた。二人で長い廊下を通りぬけ、ヨハネス通りへと通じる玄関に向かった。仲間が何人か前を歩いている。
「ここの日本人仲間は久しぶり。有難いね」と言った。
「日本語使えますね」
 玄関に到着し扉を開くと、外は真っ暗だった。冬の外気が吹きこんでくる。
「わあ、寒い!」と、彼女が悲鳴をあげた。
「さすがに二月……」
 玄関先の踊り場で二人とも躊躇する。そこで彼女と身長が釣り合うなと意識しながら、率先して石の階段を降りることとした。
 そして夜道に出ると二人でコツコツと石畳を踏みしめ、ケルントナー通りを目指して歩きはじめた。電灯はまばらにしかないが、楽団仲間が同じ道を行くので心強い。
「いつウィーンに来たの?」と尋ねてみた。
「ヤッサのリサイタルの5日前……それにしても慈善団体のオーケストラって面白いですね、色んな方がいて」
「そう、基本的にアマチュアだけど優秀なメンバーもいるね」
「フィッシュマン先生もいるし……」と彼女が独り言の様に言う。
「そう言えば彼、津軽さんをメンバーに紹介してくれた?」
「前回の練習の時……いらっしゃいました?」
「あ、そうか。あいにく欠席していて……そう言えばヤーパンでは、どちらの御出身なの?」
「東京から来ました」
「なるほど。僕は札幌から……」
 漸くケルントナー通りに出てきた。ショッピング街である目抜き通りはさすがに明るい。結構、人通りがあるが、ガラス工芸のロブマイヤーなど有名な店はほとんど閉じている。歩いているうちに、この街特有の赤、黄、紫の丸い影絵風の光の広告が足元の石畳に現われた。
「もし差し支えなければ連絡先とか、教えてくれない?」と尋ねてみた。
「ええと……メルアドを教えていただければ……」と彼女が躊躇しながらつぶやく。僕はコートの中の上着の内ポケットから手帳を取り出すと、空いているページに「isamu@cello.at」と丁寧に書き込み、切り離しながら
「はい」と言って手渡した。
彼女がうやうやしく受け取る。
「それじゃあね、メール入れて下さい」と言って別れを告げた。
「ハイ。じゃあ、また」と答えて彼女が手を振る。そして足早にケルントナー通りを北の方向に去っていった。僕は見送りながら、
「そこらの留学生とは違う……どこか自信ありげで」と感じたが、この出逢いが卒業間際に求婚しあえなく敗れた藤沼陽子の命に関わるとは、とても想像できなかった。
 
 そしてその晩のうちに、
「昨日はお疲れ様でした。うまく着信したら教えて下さいね」とメールしたものの、返事は来なかった。そうしたら三日目になり、
「パソコンつないだばかりで調子悪く、連絡遅くなりました。今後ともどうぞ宜しく。津軽マミ」とのメッセージ。胸をときめかせ、
「そうか、だからイニシャルがエムとティー……」と確認しながら「mamitsu@botmail.com」宛てに返信する。
「津軽さん、メールどうも有り難う。冬場はこもりがちになるし、週末は出かけた方が良いですよ。今度の土曜日あたり御一緒に如何ですか? 実は観光案内の仕事もしていて。国谷イサム」
 今度は早めに返事が来た。
「土曜日なら多分、大丈夫。暖かい帽子を買うならどこの店が良いのでしょうか。御案内頂けますか? うちの電話番号は……」
 そこで今度は電話を入れてみた。3回目の呼び出し音で彼女が出てきた。
「アロ?」
「あ、国谷です。津軽さん?」
「ハイ」
「そう言えば帽子の話だけど……シュテファン大聖堂の傍にもお店あるけど、行ってみませんか?」
「なるほど……場所を教えて頂ければ……」 
「場所はシュラー通りとグリュナンガー街の交差点で……地図を見て来られる?」
「多分、大丈夫」と彼女が了解したので、
「それじゃあ来週の土曜日、11時半に現地集合でどう?」と提案した。
「あ、了解」
「それじゃぁ……何か分からなかったら……」と言いながら携帯番号を伝える。ウィーンに到着したての彼女の方が、日本語上手そうに思えた。

フルートとヴァイオリン(第1章)

フルートとヴァイオリン(第1章)

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-06-27

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