「死に損ないのプラナリア」又は「惑星の頃の思い出」

フランク太宰作品集 作

「死に損ないのプラナリア」又は「惑星の頃の思い出」


はじめに“あのころに”ついて

 2017年の夏は騒がしいニュースにあふれていた。しかし、たった一年時がたつと、いくつかのニュースははっきりとしていないし、どこか虚ろだ。まして、ニュースにもならない出来事はほとんどが忘れ去られてしまった。かく言う私も周りの環境が変わり、何人かの友人とは音信不通になり、一人の友人は死んだ。いまでも彼のことを思い出す。変わった男だった。そして私と同じく女のいない男だった。彼は女について、こんなことを言った「夢の中に出てくる女ほど美しい人はいない」。

私は彼を忘れても、彼の残したこの言葉を忘れることはないだろう。

 しかし、まー徒然だ、いつの時もそれだけは変わらない。



一章 惑星の頃の思い出 

 僕はここがどこか知らない。気づいたらここにいたのだ。横にいる女性が僕の母親なのかどうかも知らない。たぶん違うのだろう。彼女の髪は黒く長く甘いにおいがする。白く透き通った肌からは僕と違って汗が流れることはない。彼女の黒い瞳に映るこの世界は、真実のこの世界以上に美しい。永遠に続くように見える緑色の草、二つの太陽が出ている間は絶対に晴れることのない白い空、欠けた月の出る寒い夜。

僕が初めて自分を認識したとき彼女はまだ子供だった。

僕にこの草原の世界のすべてを教えたのは彼女だ。

あのころは、ここが草原ということも知らなかった。彼女は古びた本の黄色く滲んだ頁一枚一枚を使って僕にすべてを教えてくれた。 

しかし、そんなことは生きることに必要がない。ここでは、彼女の言う、いわゆる知識は何の役にも立たない。というより、必要がないのだ。

「ここには全てがある」と彼女は言った。

その中で最も重要なのは愛だそうだ。僕にはこれがわからない。

「私たち二人の中だけに存在する」と彼女は言った。昔は外にある十字架にも存在したようだ。これは木でできていて、づいぶんと大きい。しかし、僕も彼女も手入れをしない。もうその必要はないのだと彼女は言うが、僕は時々軽く埃を手ではたく。

僕らはこの十字架の横にある白い小さな球体の中で暮らしている。中には小さな机と椅子、小さい台所、小さなトイレ、小さい窓がある。

眠るときは机の裏のボタンを押すと、僕らは自然に宙に浮かぶ。

「浮かぶことが重要なの」彼女は僕にそう言うけど、僕にはそれは当たり前のことで、深く考える気も起らない。やっぱ、彼女は僕の知らない何かを知っているのかもしれない。でもそれを聞くのは     僕にとっての終わりに感じて聞く気がしない。

昔、球体の家の窓から遠くにかすかに見える大きな顔について彼女に聞いたことがある。

「it  makes  no difference」彼女は十字架を指しながらそう言った。

此処にはいろんな本がある。アルファベットで書かれた本、キリル文字で書かれた本、ラテン語で書かれた本、そして彼女と僕とが話す言葉で書かれた本。しかし、この本に書かれている作者のそれぞれの喜びも悲しみも思想も僕には馬鹿らしく、あほらしく思える。

ここにそんなものはない。無いことは幸せなことなのだろう。なのに、この胸の中にはいつもシコリがあった。ある日、エンパイア・ステート・ビルの挿絵を見た。

僕は高いところに上ったことがない。

僕は感づいていた。これらが現実のことだと。

この間、僕が宙に浮いて寝ていたら急に床に落ちた。僕が驚いて目を覚ますと、彼女が、右側に床に手をついて座っていた。「静かにして」と言って、そっと僕の口をふさいだ。大きな声を出したところで、誰にも聞かれないのにね。そして彼女は僕を抱きしめた。

嗚呼、僕はこれが何なのか知っていた。何かの本に書いてあったのだ。いったいなぜこんなに本があるのだ、知識があるのだ。これでは面白味がないではないか。ふたつの太陽が天に上った時、彼女は頬を赤らめて「ごめんなさい」と言った。なにがごめんなのだ?

謝る必要なんてないじゃないか。そのあと彼女は髪を短く切った。挿絵で見たセシールカットというものらしい。

「にあってる?」

僕は「わからない」と答えた。

しかし、本当はそうだと思っていた。

 草原にはよく雨が降る。この雨のおかげで草原にある数少ない木が成長し実がなる。この実は赤かったりピンクだったり茶色だったりする。木の実を彼女は背伸びしてとる。最近は僕の背が高くなったのでより高いところにある実をとることができるようになった。高いところにあるほうが美味しいのだ。彼女はよく高いところにある実はあまりとってはいけないという。高いところにある実ばかりを食べていると低いところに生えている実を食べられなくなるからだ。僕達が食べることのなかった実は熟れて落ち、そしてその中の種がまた新しい木を創るのだ。草原にある草も木も本の中に書いてある植物とは見た目も違うし成長の過程も違う。僕たちは毎日この実を食べているけれど飽きはしない。いろんな味の実がある。一つ一つまるで味が違うから、いざ美味しい実があってもそれにはもう巡り会えないのだ。彼女は自分が美味しい実に巡り合うと、その半分を僕にくれる。前はそれが嬉しかったが、あれからは僕のほうからあげるようにしている。そのたび彼女は微笑む。 

小さな窓の外に見える大きな顔の近くに木が生えたのに気付いたのは昨日のことだ。僕は彼女にそのことを言うと、彼女は「駄目」と強く言ってから、涙を流した。僕はもう彼女を悲しませないと思った。この時初めて僕はあの本に書いてあった恋という厄介な病気にかかっていることに気が付いた。あいにく草原の様々な草や花を集めてもこの病気に効く薬はない。僕は今まで挿絵の中にいる女たちに好意を持ったことはあったが、苦しく感じることはなかった。まして、彼女とはずっと一緒に生きてきたのだ。なのに、今さら可笑しいじゃないか。その夜、僕は宙に浮かぶことなく彼女と一緒に寄り添いあって寝た。彼女の顔はいつも以上に穏やかだった。


翌日、僕はあの木の前に立っていた。

彼女と一緒に眠っていても、どうしてもこの木のことが忘れられなかったのだ。僕はこのあたりには来たことがなかった。行こう行こうとは常に思っていたが何か嫌なことが起こりそうでいつも近づかなかった。しかし驚いた。この木に実っているのは実ではない。ベルだ。 そしてこの大きな顔は触れたことのない黒くてかたい素材でできていて口は扉になっていた。その顔は僕の顔とも彼女の顔とも違い、昔挿絵で見た誰かに似ているような気がした。僕はその扉を開けようとしたが、ノブがない。僕は自然に何も考えることなくベルから垂れ下がる紐を掴んで振った。「チリン チリリン」甲高くベルが鳴るとともに鈍く低い音をたてて口(扉) が開いた。中は見たこともない光で満たされていて、とても明るかった。まぶしさに目が慣れると、奥のほうに何の模様も、少しの汚れもない鋭く緑色に輝く大きな箱があった。僕は実物の箱というものを初めて見た。僕の生活の中に何かをしまったり隠したりということはなかったのだ。僕は箱を少し開けた。流れ出す青い光と共に現れたのは何処か下へと続く階段だった。

「なんでそんなことするの?」後ろで彼女の声が聞こえた。

僕は振り向かなかった。

「馬鹿よ、馬鹿よ、その階段を降りても何もないわ」

「本当に?」僕は彼女に背を向けたまま言った。

「確かにあなたが本で読んだ世界や挿絵で見た風景がその中にはあるわ、でも、だからそれがなんだって言うの?意味のないことじゃない。この草原とは比べ物にならないくらい汚れていて、汚くて、臭い世界よ。私やあなたのように、綺麗なものはそこにはないの。それに美味しい実もない。醜い人間がお互いをののしりあっているだけ。もちろん、あなたが初めて私以外の人間を見たとき、その人たちに醜さは見出さないでしょう。しかしすぐに気付くわ。そっちの世界の人間には表と裏があるの。

あなただって本で読んだでしょ?

あなたはこの草原の本当の美しさを知っているでしょ?」

今まで彼女がこんなに早口で力強く喋ったことがあっただろうか?

僕らも言葉が必要な間柄になってしまったようだった。

「ああ、知っているよ。じゃ、このもやもやは何だい。割り切れない気持ちは何だい。僕は自分が怖いよ。なんで自らこの幸せと別れなきゃならないのか。ねぇ、教えてよ、どうして僕は君から離れようとしているんだい?」

僕は泣いていた今までにないほどに。後ろで彼女の泣き声が聞こえる。

「もうわかったわ、あなたは馬鹿よ!勝手にしなさい!」

「君もこないかい?」

「冗談でしょ、私はあなたより本を読まないけど、あなたよりも利口なの」

「もう、会えない?」

「私たちがお互い使命を果たしたと思ったら、また会えるかもね。でもあなたは私のことなんてきっと忘れるわよ」

「いや、忘れないよ。絶対に」

 僕は緑色の箱のふたを力いっぱい投げ捨てた。階段の幅は意外に狭い。箱の中は青色に輝いていた。僕は階段を降りて行った。僕は6段目で躓いた。いつもこうだ。

僕は落ちていった。体に少しずつ重さが染みこんでいく。僕は目をつぶった。しかし、瞼から涙が止まらなく流れてきた。僕の涙は僕の頭より上に流れてく。段々と速度を増し落ちていくのは気持ちがいい。まるで心地よい夢に飲み込まれるように。


ふと目を開けると眼下に、あの青い惑星が見えた。

もうしばらくすると地球だ。



 

目が覚めたとき僕はエンパイア・ステート・ビルの展望台でしゃがみ込んでいた。首を上げると外にはニューヨークの摩天楼の明かりがはるかに連なっていた。

白髪の老人が僕に何か言った。

初めて見る地球人だ。

僕はいろいろな言葉の本を読んでいたのに彼が何を言っているかわからなかった。

僕は警備員に見つかり腕を引っ張られ長いエレベーターを降り事務室でいろいろ聞かれた。

やっぱり、何を言っているかわからない。

僕は薄く微笑するだけだった。そのうちに僕はやってきた警官の車に乗せられ白い建物に連れていかれた。その中で僕は目にライトをあてられたり、尿をとられたりした。そのうちに警官は僕の着ていた上着の内ポケットにある財布に気が付いた。

僕はその時すべてを理解したように感じた。

警官は何処かに電話をかけているようだ。

僕は少し目をつぶった。だんだんと草原の景色も彼女の安らかな寝顔も薄れていく。

しばらくすると僕の父親らしき人物が来て泣きながら僕を強く抱きしめた。彼は僕の知っている言葉で「よかった よかった」といった。僕も涙がこぼれた。

僕は何とかこの白い建物から出られた。

出口まで見送りに来た警官が僕に言った。

「how do you like New York?」

僕は知っている言葉を使った。

「it makes no difference」

警官は驚いていた。






二章 死にぞこないのプラナリ 


「今日彼女を見かけたよ、Iさん」

「そう。で、Iさんは何か言ってた?」

「いや、見かけただけ」

「何で話しかけなかったの?」

「好きでもない、女に話しかけないだろ」

「そういうことじゃないじゃん、友達だろ」

「友達?」

「そう、友達だろ」

「確かに友達だよ。でも前にもいったろ、彼女と話していると、地球が自転しているのを見せつけられている気分になるんだよ」

「地球の自転?」

「そう、地球の自転。でも、俺らはそんなこと意識するか?もっと大切なものがある。そう思うだろ?地球の自転は正しすぎるんだよ。」

「お前の例えはよくわからない」

「俺は天文学者でも、NASAの職員でもないんだよ。ただの4流大学の学生。

NASAも必要としないさ。」

彼は笑いながら言った。「お前は暗すぎるよ。まるで俺も貶されているみたいじゃないか。」

「お前はジャグリングができるじゃない。だからプラナリアじゃないよ」

俺は煙草に火を着けた。口から吐き出した煙は、上に上がり、消えて、部屋の臭いとなった。しかし、自分には白い天井を突き抜けていくように感じた。どこまでも上に行く、そして宇宙に白い固まりができる。固まりは、地球の自転を見ている。そんな気がした。

「プラナリア?」

「そうプラナリア、最近、ニュースで見た。あれなんだろうね?なんの意味があるんだろう?切っても切っても死なずに再生するらしいよ。でもあいつらは、この世の中の何かの役にたたない。ISもシリアの内線もウクライナのゴタゴタも止められない。俺と同じさ。」

「ジャグリングも何もできないじゃないか」

「確かに。でも俺は感動したよ。君には才能がある」

「才能なんて、上には上がいる。俺なんてへなちょこだよ。プラナリアあいつは凄いね、

たぶん才能がある」

「ジャグリングの?」

彼は笑いながらいった。「なぁ、俺たちは4流大学の学生だよ、俺たちなんかがプラナリアの才能に気づけるはずないだろ。でも、一流大学卒の研究者はそれに気づいたんだろ。

分かるだろ?俺のいいたいこと。」


彼女の夢を見た。昔どこかで出会った女。あれは何処だっただろうか?

寒いところだった気がする。

頭の中に雪が降る。路面電車の中で寒さをしのぐ人々の中に彼女はいた。最初、窓ガラスに反射した姿を見た。差し込むひかりとあいまって、まるで光輝く天使のようだった。それは、どこかで見た誰かの絵を思わせる。本物の彼女を見たときもその印象は壊れなかった。あのときあの街は彼女のためにあったし、もしかしたら地球そのものが彼女のためにあったのかもしれない。路面電車の揺れは今でも体を穏やかに揺らす。で、そのあと何があったのか?

思い出すだけ無駄さ、きっとよくないことを、思い出す。

夢から覚めると何時も通りの不安が胸を包む。そして血管を行き渡り。身体中を包む。

気づくと何時も茶色いサナギがベットに横たわる。

気を晴らそうと、枕元のタバコを吸た。タバコの煙は身体中を通り抜けてて行く。朝起きるのにはこれが一番だ。しかし、タバコを吸いだす前はどのようにして、朝起きていたのだろう?朝のトロッコのような頭じゃどうも昔のことは思い出せない。もしかしたら、今、この瞬間に自分はこの世に誕生したのかもしれない。そう考えると、納得が行く。過去なんてなかったのだ。今の自分がすべてであり、そして世界だ。そこまで考えて、ベットから起き上がる。洗面所まで行き、蛇口の水で顔を洗う。そして鏡に写った顔を見る。濡れた自信の顔を見ると、泥の沼から這い上がった、カエルを思わせる。それはMr Muddy watersとでもいう顔。でも、Muddy watersならいいじゃないか。きっと女にもモテる。だから自分はMuddy watersではない。やはりカエル、泥カエルなのだろう。

プラスチックのタンスから Andy warholの柄の入ったシャツを取り出す。

それと、部屋の中心に落ちている、まだ色の濃いジーンズ。

まだ開いていない、青いカーテンから、ガラス越しの木漏れ日が部屋の中を照らす。部屋の埃が光の線一つづつに巻き付く様に舞う。この前、掃除機をかけたのは何時だろうか?

最近、喉がいたい。タバコでなく埃が原因なのかもしれない。掃除機をかけよう。でなければ人を呼ぶのも憚れる。

寝巻きからシャツとジーンズに着替え、カーテンを開く、そとは目が痛いほどの晴れ模様、青空はどこまでも青い 。

きっとこの七月の天気を幸福に感じる人もいるのだろう。

タバコと灰皿をもってベランダへ出る。うだるような暑さと湿気が襲ってくる。まるで、自分の皮膚が焼かれいるのではと、感じるほどに。

最近、暑すぎる。この国はこんなに暑かっただろうか?いや、もしかしたら、眠っている間に地球と太陽の距離がちじまったのかもしれない。いろんな事が何時だって、知らない間に変わる。十分、その可能性はある。だとしたら地球そのものが、この瞬間太陽に焼かれているのかもしれない。

ふと、アパートの下に続く海岸を見ると、初めて見る若い女と恐らくその子供がじゃれあっている。

青いワンピースを着た女と麦藁帽子を被った、女の子。現実感のない光景。

もしかしたら、蜃気楼なのかもしれない。でも見ていて悪い気はしない。きっと彼女たちにとって、夏は悪いものじゃないのだろう。彼女たちの前方の海はどこまでも青く、どこまでも続いている。もし、ゴムボートで目の前の海に漕ぎだしたら、どうだろう?孤独だろうか?でも、考えるに今よりは増しな気がする。酷い揺れによい、サメに怯え、イルカとじゃれあう。そして、どこかのカラフルな果実のなる無人島にたどり着き、サバイバル生活をする。自分以外には誰も居ない。朝日と夕日と月だけが話し相手。田和居もない話をしながら、SINATRAの生歌を聞く。フラダンスの踊り子達がAnn Millerのように情熱的に踊りだす。渡り鳥が自分の鼻をかじりに来る。もしかしたら、同じようにゴムボートに乗った少女がやって来て、

「ねぇ、喉が渇いたの,お水ちょうだい。

ところで、あなたどこの人?この島の原住民?」

と声をかけてくるかもしれない。

そのとき、何と言葉を自分は返すだろうか?

タバコを吸い終わると同時に妄想は終わった。部屋の中に戻り、今日の仕度をする。しかし、今日は何かの予定があっただろうか?

部屋のドアを開けると、例の暑さが襲ってくる。こんなことなら流行りのスリッパーでも買っとくべきだった。流行りを意味嫌うことはないのに。スニーカーでは暑すぎる。しかし、何時も自分の趣向と流行は同居しない。だいたい、流行りなんて一部の人間のものだ。流行色だって、後期高齢者がシルバーの机の上で決めているのだから。誰も自分のような人間のことは考えちゃいない。

三階分の階段を下り、少し離れたチェーン店の喫茶店に行く。途中、サーフボードを荷台にのせた、古びた軽トラと交差点で並ぶ。軽トラの運転手が声をかけてくる。

「なー何処へ行くんだよ?」

「喫茶店」

「シケてんなー」彼は笑いながら言う

「いいお世話だよ、溺れに行くのか?」

「馬鹿いうなよ。俺が溺れてるのはこいつだけだから」彼は助手席を指差しながら、言った。助手席の黒く日焼けした女は、そう言った、彼の肩を無言で強く叩いた。

「いてぇな。、いいだろ、本当のことなんだから」

横断歩道の信号が換わった。

「お前は本当に馬鹿だよ。ほら信号変わったぜ。早く行けよ」

「じゃあな」

彼はそう言い。助手席の黒い女はこちらに軽く会釈をした。車は海岸の駐車場に向かって行った。

茶色で四角い外観の喫茶店につく。入り口から前側全面ガラス張りの建物。外からみるとし白いTシャツに青いキャップを被った60代ぐらいの男がガラスに面した喫煙室の長机の席に座っている。彼の前には紫を基調としたカラフルな色合いの飲み物がおいてある。それはかれ自身とはアンバランスに見えた。

こんなところまで流行りが来ている。

いや、流行りというよりは文明と言えるかもしれない。あのグロテスクな飲み物も原発も同じく文明だ。決して良いものとは思えない。でも、文明を受け付けない人間は文明を好む、人々の社会のなかでは変わり者だろう。荒波越えてたどり着いた無人島の原住民に世の中は優しくはない。

喫茶店の中へ入ると、カウンターに同じ大学で同じ学科のバイトの娘がいた。

彼女は綺麗な顔をしている。セシールカットをブラウンに染め、グレー店の模様の入ったエプロン、そのしたに白いポロシャツを着ている。胸の辺りに名前の入っているバッジをつけているが、何度かこのバッチを見ようとしたことがある。しかし、胸元近くの小さな文字をジロジロと見るはけにはいかない。それができる、奴も居るのだろうが、目のよくない自分には出来ない。きっと、佐藤か高田みたいな名前だろう。少なくともセバーグではない。

きっと。

何時も彼女とはカウンター越しにお決まりの会話をするだけだ。

「いらっしゃいませ」

「アイスーコヒーのグランデサイズで」

「はい、グランデサイズですね。店内でお召し上がりでしょうか?」

「店内で」

「はい、お会計460円になります」

黒い財布から460円を出し、カウンター上のアルミの皿の上に置く。

「はい、ちょうど頂きます」

「62番でお呼びしますので、お待ち下さい」彼女は白い手でレシートを渡してくれる。そして、続ける。

「ねぇ、あなた何時も私を見に来てるんでしょ。私ことこと好きなの?」

彼女は挑発的な態度でそう言う。

「図に乗るなよ。上からくる女は嫌いなんだ。特に綺麗な女にそうこられるのは気に食わない」

「あなた、古風ね。私、亭主関白って嫌い。でも、あなたのことは嫌いじゃないわ。なぜだかそうなの。不思議だけれど。」

「君はどうかしてるよ」

「どうか?そう、私はどうかしているわ。私のこと知りたい?教えたあげる。今日、3時で上がるの 。あなたそのあと暇かしら?」彼女はカウンターに肘をつきながらそう言った。

だいたい、こんな話を毎回している。実際、現実はもっとつまらないけれど。

特に後半部分は願望と言えるかもしれない。

アイスコーヒーはものの30秒で出来上がった。それを受け取り、喫煙室の

硝子のドアを開けると、タバコの臭いがした。

青いキャップを被った男の右二個となりの席に座る。窓ガラスの外にカラフルなTシャツと短パンをはいた男たちと似たような格好をした、女達が6人で窓の右側道を通る。彼らの反対方向から痩せた毛むくじゃらの犬をつれた老婆が通ってきた。老婆は若者の方を

呆れた顔をしながら、見ていた。

若者、恐らく学生達はそれに気づいて、いないようだった。

彼らはそのまますれ違った。

その光景を見終わると、煙草に火を着け口にくわえた。やなものを見たとは思わなかった。人にはそれぞれ事情があるのだから。タバコが煙を出しながら灰皿の上で燃え尽きる、そして冷たいコーヒーを飲んだ。

コーヒーは喉を抜け胃に入り、胃のなかが苦味で満ちた。それは体の中の色々なものを溶かす、酸のようだ。

悪くはない気分になる。

幼い頃はコーヒーが嫌いだった。母親とよく喫茶店に行くと、必ず母はコーヒーを飲んでいた。気になり一口飲むと口のなかが爛れる気がした。

母は笑いながら言った。「そのうち、飲めるようになるよ」

そして喫煙席を見ながら。「でもねタバコは吸えるようにならない方がいいわ

、早死にする。きっとお父さんは長生きしない」

そうこう、昔を思い出している内に、

となりに座る、例の男が話しかけてきた。

「さっきのばーさん、最近の若いのが嫌いなんだよ」

その口調は自分自身にいっているようだった。だから彼は話しかけた分けではなかったのかもしれない。

こちらはなにも返事をしなかった。

ただ、二人とも誰も居ない歩道をガラス越しに見つめた。

しばらくして男はトレイを立ち上がった。そして「若い頃だってあったのにな」

と言い喫煙所を出て行った。


2本目の煙草に火を着けようとしたとき彼女がやって来た。

「相変わらず馬鹿なことしているわね」

「いいお世話だよ」

「口も悪いわ」

「性格が悪いよりましだろ」

「どうだか」

彼女はジーンズをはいていた。考えてみれば、ここで生活していると、スカートを履いている女を見ない。きっとスカートの生きにくい世界なのだろう。ここは。

「いつまでここにいるの?」

「明後日まで」

「そう、寂しくないの」

寂しい?何がさみしいというのだろう?

毎日、ベランダから煙越しに行っては帰ってくる波を見ているだけの生活とのお別れに、

寂しさなんて感じない。

「何が?」

「私と会えなくなるのよ」

「馬鹿言うなよ、今だって三か月振りじゃないか」

「確かにね」

彼女が何が言いたいのか、理解できなかった。

「隣いい?」

「いいよ」

彼女からは何の匂いもしなかった。汗も香水も煙の臭いも彼女からはしない。

彼女が座ってから、10秒か20秒、もしかしたらそれ以上、互いに言葉は発さなかった。ただガラス越しの何かを見つめていた。きっと錆びた赤いポストや総菜屋の閉まったシャッターを見ていたわけじゃないだろう。もっと見えにくいもの、もしかしたら、この世のどこにもないもの。

「ミサイル」

「ミサイル?」

「そう、ミサイル」

「けさ、びっくりしたわ。」

「寝てたよ」

「のんきね」

「どのみち、こんな田舎に誰も爆弾なんて、落とさないだろ」

「でも、家族は東京でしょ?」

東京の街が炎で包まれるのを想像する。でも、それはあまりにも、現実味がない。まるで、戦艦ポチョムキンを見ているようだ。でも、思う。いっそ何もかも燃へてしまえばと。


三章 変な夢

 「変な夢をみたよ」煙草を吸いながら彼に言う。

「どんな?」

「どこまでも落ちていく、夢」

「縁起でもないな、俺たちのようにだろ?」

「違う、比喩じゃないんだ、実際にどこかから、何処かへ落ちた」

「実際に?夢だろ?」

煙草の煙を彼の側に吐いた。

彼は煙たそうに、顔をしかめた。

「揚げ足をとるなよ」 

「夢占いしてやろうか?」

「できるもんならやってみなよ」

彼はありもしない、水晶の球を撫でる仕草をした。

「では、何処から落ちたか、教えてもらおうか?」

煙草を灰皿に潰し、目頭を押さえて、思い出す振りをした。

「何か狭苦しい、箱の床が抜けて、落ちてった気がする」 

「閉じ込められていた?」

彼が問いかける。

「いや、恐怖心もなかったし、違うと思う。自分から箱に入った気がする」

「恐怖心なしと」

「それに落ちたくて、落ちたんだと思う」

「自分から落ちたのか、なるほど」

占いというよりは、探偵か警察と話しているように感じた。そういえば昔、実家に警察が来たことがあった。確か実家の近くで男の右腕が見つかったとかなんとか。東医昔のことだ。右手の持ち主は見つかったのだろうか?

右手のない生活は不自由だろうに。

彼は続けた。

「何処を落ちていったんだい?」

「夕焼けの雲の中のようなところ、そう、階段があったよ、透明な。何故か階段を使わなかったのだろう?」

「夕焼けの雲の中、階段使わず」彼が言った。

「下には何が見えた?」

「地球」

質問はここで終わった。

「で、先生、結果は?」

彼は笑いながら言った。「恋煩い」


煙草をくわえ、彼の目を見なが、火をつけた。煙草の煙は天井のシミには成らずに、宇宙で星になった。その星では女が悲しく一人で暮らしている。

昔の男を思い出しながら。

「死に損ないのプラナリア」又は「惑星の頃の思い出」

「死に損ないのプラナリア」又は「惑星の頃の思い出」

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  • 短編
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更新日
登録日 2019-06-25

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