冬の海のカーディガン
冬のあいだに、海の青を吸いとったような色の、カーディガンを着ているひとが、駅前の、コーヒーショップの、窓際の席で、文庫本を読んでいて、その、ブックカバーの絵柄が、動物で、かわいいと思った。
ライオンがいて、シマウマがいて、ゾウがいて、ヒツジがいた。
アイスコーヒーのなかに、ガムシロップと、ミルクを入れて、ストローでかきまぜると、四角い氷が、ごりごりと音を立てた。
はんぶん、ねむかった。
けれど、となりの席の、冬の海の透明感のある青を思い出させるような、カーディガンを着たひとの、ブックカバーを、かわいいと思ったし、読んでいる本の内容も、気になっていたので、ねむくないような気も、していた。ぼくは、恋人と、十一時に、駅の改札口で、待ち合わせの約束をしていた、はずだった。十三時になっても、恋人は現れないので、コーヒーショップに入って、アイスコーヒーを注文して、お腹も空いたので、ベーグルサンドも一緒にお願いして、それから、やっぱり、はんぶんくらいは、ねむかったけれど、ベーグルサンドをかじって、アイスコーヒーを飲んで、となりの席のひとのことを、こっそり盗み見て、恋人に、『別れよう』という、四文字のメッセージだけを送って、スマートフォンの電源を切った。真剣に本を読んでいる、青い海の色のカーディガンを着たひとは、指がきれいだった。文庫本を開く、指。太すぎず、細すぎず、関節が目立って浮き出ているでもなく、けれども、のっぺりしているでもなく、適度に、骨格を感じさせる。あの指に、からだを、皮膚を、肉を、ぎゅっと掴まれたら、めまいがしそうなほど、長くて、きれいだった。グラスの底に黄色いものが見えたので、アイスレモンティーを飲んでいるのだろうと思った。
はんぶん、ねむかった。
恋人は、きっと、きょうも、朝帰りだ。ぼくの知らない誰かと、一晩を共にするのが、あたりまえのようになっている恋人とは、きっぱり別れるのが、妥当な選択だった。
けれど、はんぶん、ねむいなかで、思い浮かぶのは、恋人のやさしい一面や、好きになったところで、ぼんやりする、ぼくの意識のなかで、もうひとりのぼくが、恋人を美化させ、別れさすまいとしているのかも、と想像して、ちょっと憂鬱になった。それは、恋人のことが、心から嫌いになったわけではないことと、やっぱり、それなりに、楽しい時間を過ごしたから、未練が、ないわけではないので、もうひとりのぼくが、別れていいのかと訴えているのだと考えながら、ぼくは、残り少なくなったアイスコーヒーを、ずずずっと啜った。
となりの席の青いカーディガンのひとは、席を立ち、喫煙ルームに入っていった。
読み止しの文庫本が、テーブルの上に置かれ、ご主人様の帰りを、じっと待っている。
冬の海のカーディガン