僕とちくわの不思議な数カ月
1、不思議なちくわ
ちくわを使ったメニューの中で、一番好きなものは、ちくわの磯辺揚げだ。単品でもいいが、うどんにいれると格別で、フードコートのうどん店に行くと僕は必ず選び取る。
ちくわはおでんに欠かせないし、母さんが言うにはお弁当の一品としても便利らしい。ご当地の噂を紹介する某テレビ番組では「ちくわパン」というものが紹介されていた。機会があればぜひ食べてみたいものだ。
そんなふうに多種多様に活躍しているちくわだが、好物ランキングで上位に挙げる人はほとんどいないだろう。僕もちくわより焼肉やカレーの方が好きだし、たとえちくわが磯辺揚げとしてエントリーしてきても、焼肉に勝つことは難しいと思う。
だけど、いま僕の中でちくわは日常生活においてかかせないものになっている。いやむしろ、なくなると死んでしまうかもしれない。
僕とちくわが運命の出会いを果たしたのは、ほんの一週間前のことである。
僕は中三の男子で、世の中的には人生最初の難所と言われる高校受験生だが、季節はもうすでに中三の三月の半ば。ようするに受験はすでに終わり、結果も得て、これまでの我慢を放出するごとく、遊びまくっていた。
具体的には、カラオケとゲームセンターに入りびたり、家にいるかと思えばゲームばかりしていた。夜更かしをして、昼まで寝て、生活リズムが狂っていた僕は夕方の4時くらいに猛烈に空腹を覚えた。
パートから帰宅したばかりの母さんに「何かない?」と尋ねたところ、母さんはぶち切れた様子で「これでも食ってろ!」と、ちくわを投げつけた。
最近の僕の生活態度にイライラしていた母さんは、受験が終わったばかりということで多めにみていたが、僕の午後4時の「何かない?」で、怒りを抑えられなくなったらしい。
「毎日毎日あそんでばっかりで、そんなことで高校生活やっていけると思って……っ」
怒りのマグマはすぐには収まらない。僕は投げつけられたちくわを食べながらやり過ごすことにした。開封済みのちくわは4本あった。
生のままでちくわを食べることに若干の抵抗はあったが、致し方ない。これ以上何か言ったら二次噴火を引きおこしてしまう。はむはむしながら、頭を低くして、一時噴火が収まることを待った。
「聞いているのっ?」
時々頷きながらやり過ごす。長い説教に暇を持て余した僕は、ふとなんとなく、そうほんとになんとなーく…ちくわの穴を覗いた。
そこには。
僕がよくいくカラオケ店の前で、誰かが不良に絡まれていた。よくよく見ると、それは僕と友人の直樹で、僕たちは金髪と坊主のみるからにガラの悪そうな奴らにすごまれてガタガタ震えている。
なんだ、これは。
ちくわの穴から目を離す。そこには相変わらず怒り狂う母さんがいるだけだ。
その時、リビングの隅で充電中だったケータイがメッセージの着信で震えた。僕はこれ幸いと、ケータイと食べかけのちくわを手に自分の部屋に戻った。母さんが呼び止めたが、噴火の大半は収まっていそうだった。
『明日カラオケいこうぜ。十三時に』
メッセージの主は、直樹だった。いつもなら即スタンプで返事するところだけど、僕はもう一度ちくわの穴を覗いた。
穴の中で僕は、財布をもぎ取られ、ビンタをされ、さらにジャンプをさせられていた。
これが何の映像なのか。その時はまるで予想が付かなかったけど、なんとなく嫌な予感がして、僕は「ごめん」のスタンプを選んで返信した。
ちくわは、あと二本残っていた。僕はもう一本の方を覗いてみたが、そちらはただ、見慣れた部屋の壁紙しか映っていなかった。
2、運命のちくわ
翌日、僕は十三時ちょっと前にカラオケ店の近くに行って待ち伏せをした。するとそこに現れたのは、直樹と、同じクラスの田中だった。
二人がカラオケ店に入ろうとしたとき、後ろからガラの悪い二人組が声をかけてきた。遠目から見ても震えあがっている様子がみてとれる。信じられないことに、それは、ちくわで見た映像と同じものだった。ただ僕が、田中に変わっただけのことだった。
アメイジング!
僕は逃げ出すようにその場を離れ、大急ぎで自転車で家にむかった。そして一つの仮説を立てた。
僕は、未来が予測できるちくわを手に入れた。
息を切らせて自分の部屋に戻ると、机には、ラップに包まれたちくわが二本、タオルハンカチの上で横たわっている。
僕は再び、ちくわを覗いた。するとそこには、僕が好きだった今井優里奈(いまいゆりな)が映っていた。
小学校からの付き合いだけど、話をするようになったのは、中三の運動会の頃から。同じクラスになり、放課後の応援練習がきっかけだ。
たぶん向こうも好いていてくれているような気がしたけれど、なんとなく切り出せずに卒業してしまった。僕たちは、高校で離れ離れになってしまう。
その優里奈が、ケータイをじっとみつめている。その画面に映っていたのは、僕の名前だった。
優里奈は僕にメッセージを打とうとして…ため息をつきながら消す。でもまた何か打って…。
これは、僕のこと好きフラグかもしれない。
僕はちくわ越しに久しぶりの優里奈の顔を見て、思いつめた横顔にエールを送る。がんばれ。なにを迷う。なんでもいいから、送ってくれたら即返すのに。
僕はじっと待った。僕から送ればいいのだけど、これだけ向こうががんばろうとしているのだから、それは邪魔しちゃいけないでしょう。
待ちに待って、待ちくたびれて昼寝して起きると、ケータイに優里奈からメッセージが届いていた。
『久しぶり!』と、げんきー?と尋ねるキャラクターのスタンプ。
たったこれだけのメッセージに、優里奈がどれだけ迷って、勇気を振り絞ったか、僕は知っている。
感極まった僕はつい『好きだ』と打ち込んだ。普通ならありえない。だけど、この返事を優里奈が一番待ち望んでいることを、僕は知っていた。ちくわのおかげで。
3、ちくわライフ、始まる
そんなこんなで、優里奈と僕は付き合うことになった。そして、今日は初めて優里奈とデートをしてきた。
デートの日取りを決めて以来、ちくわの穴からは連日優里奈とのデートが失敗に終わる映像ばかりが流れ、それを元に、僕は綿密な予定をたてた。
結果、デートは大成功した。
友達としての親しさや気安さを残しつつも、気持ちが通じ合った彼氏・彼女としての一歩を踏み出せた気がする。
僕はまだ残っている優里奈の手の感触を思い出しヤニヤした。
今日の目標、「手をつなぐ」を達成できたのも、優里奈と付き合えることができたことも、すべてこの不思議なちくわのおかげだ。
不思議なちくわは、出会って一週間がたった今も、傷む様子はなくきれいなままだ。あの時の二本のうち、一本はすぐに水分をなくして縮んでしまったが、もう一つは、変わりなく様々な予測を映像としてみせてくれる。
僕はちくわを念のためラップに包んで保冷材入りのタッパーに保管していた。
ちくわのおかげで、僕はこれからの高校生活も無敵に思えた。
そう、明日はついに入学式である。
僕の行く県立高校は県内でTOP3の偏差値を誇る進学校である。正直、受かると思っていなかった。
仲のいい友人はおらず、偏差値の高さから変人が多いとも言われている学校で、パンピーな僕が馴染めるかどうか不安だらけだったけど、ちくわがあればきっと大丈夫だ。
僕はいつのまにかケータイに届いていた優里奈からのメッセージに返信しつつ、ちくわで明日の予習を始めた。
高校生活が開始して、三週間が過ぎた。入学式の三日後に突然行われた実力テストは、あやわ!の危機だったが、それもちくわのおかげで救われた。
前日夜の未来予測でテストのことを知り、一夜漬けで臨んだおかげで、まずまずの成績を得られた。予測があった上で、まずまずの点数なのだから、なかったらきっと赤点一直線だろう。
頭のいいクラスメイト達とも、徐々に仲良くなり始め、先日の土曜に高校になって以来初めて直樹に会ったところ「なんか頭よくなったんじゃね」と言われたので、自分では分からないが、学校に馴染んできているんだろうと思う。
そして、明日は一泊二日の親睦合宿がある。
新入学の一年生だけでキャンプをして、親睦を深め合う伝統行事らしい。
目下の僕の問題は、「ちくわを合宿に持っていくか否か」である。
1日くらいちくわがなくてもなんてことないような気がするが、僕が恐れているのは留守中の母さんの掃除だ。
僕が部屋にいないことをいいことに、きっと掃除に入るに違いない。最近僕に彼女ができたことをなんとなく感づいている母さんは、根掘り葉掘りと普段の様子を聞いてくる。自分の知らない息子の様子を探りたくて、部屋に入ってくることは安易に想像できる。
そんなわけで、僕は学校にもちくわを持参していた。タッパーにいれておけば弁当だと思うし、ましてやカバンから出さなければだれも気付かない。
けれども泊りとなると、カバンから出さないとしても、何かの拍子で見えてしまうかもしれない…。
しばらく逡巡した後、僕はちくわの穴を覗いた。そこには、ニヤニヤしながら僕の机の引き出しを開けている母さんの姿があった。
僕は、ちくわを合宿に持っていくことにした。
4、ちくわ仲間現る
合宿は、学校からバスに乗って二時間ほどにある山奥のキャンプ場で行われる。男女五名ずつの班に分かれて、カレーを作ってキャンプファイアーをして、テントを張って一晩を明かす。
非日常なイベントに僕は少々浮かれていた。優里奈から前日「他の女の子と仲良くしたら嫌だからね」と、かわいいことを言われたことも浮かれっぷりに拍車をかけていた。
大切なちくわは、多めに保冷剤を入れてカバンの一番奥に鎮座させた。かれこれ一カ月以上、変わらぬ姿のちくわは、たぶん、保冷剤がなくても腐ることはないと思うが、見た目は食材そのものだし、僕の不安を取り除くためにわざとそうしていた。備えあれば憂いなしだ。
だが、そのせいで荷物に注目を浴びる羽目になった。
「なんだこの荷物、やけに底が冷たいな」
バスから荷物を降ろしていた担任が掲げたリュックは、僕のものだった。
「す、すみません!僕のです」
「水筒でも漏れているんじゃないか?確認しておきなさい」
平謝りしながらリュックを受け取る僕に、周りから口々と「どうしたの?」「水筒が漏れたらしい」と不要な注目が集まったので、僕は慌てて集団から外れた木陰で荷物の中を確認した。
多めにいれた保冷剤が溶けて、リュックの底にはシミができていた。タッパーをほんの少し上げて、ちくわの様子を確認する。うん、とりあえず大丈夫そうだ。けれど本当に大丈夫かどうかは、穴を覗いてみなければわからない。
僕はそのまま列を離れて、トイレの個室に向かった。けしてきれいとはいえないキャンプ場のトイレでドキドキしながらちくわを覗く。
そこには、テントの張り方がいまいちだったせいで、ムカデとカメムシが入り込み、パニックになっている僕の班の様子が映っていた。…テントは、しっかりと張ることにしよう。
トイレを出ると、さっきまでいた集団がすっかりいなくなっていた。トイレにいるうちに、みんな移動してしまったようだ。
「大丈夫?みんな先に行ったよ」
声をかけてくれたのは、見かけたことのない生徒だった。
「ありがとう。えっと…」
「二組の伊織裕(いおり ゆたか)だよ。きみは?」
「あ、三組の斎藤敦史(さいとう あつし)です」
「斎藤くんか、よろしくね」
さわやかに微笑むと、伊織くんはトイレに入った。たぶん一八〇センチは超えていると思われる高身長で、イケメン俳優ばりのさわやかな面構えは、今のところ、学校で見た生徒の中では一番のハンサムだった。
顔もいい上に頭もいいとは、天は二物を与えられたのか。うらやましい。
僕は無事にみんなと合流し、カレーを作り、キャンプファイアーを囲んだ。テントを張る際には念入りに弛みや隙間がないかを確認した。
その甲斐もあり、ムカデやカメムシに襲われることなく、僕たちは中学時代の部活の話や、受験時のエピソードやクラスの女子のことを話し、満点の星空の元、眠りについた。
みんなが寝静まってしばらくした頃、僕は猛烈な尿意で目覚めた。
とてもじゃないが、朝までは持ちこたえられそうになかったので、渋々立ち上がり、トイレに向かった。
暗闇の中で、唯一煌々と照らし出されたトイレで用を足し、テントに戻ろうとした時、「斎藤くん」 と、呼び止められた。
そこに居たのは、二組の伊織くんだった。
「待っていたんだ、君の事」
「え?」
イケメンにそう言われて、女子なら頬を赤らめるところだが、僕は男だし、真夜中だし、トイレの前だ。
恐ろしさを感じ、後ずさりする僕に、伊織くんは、スっと何かを差し出した。それは、ちくわだった。
「え、な…っ」
一瞬、自分のちくわかと思ったが、伊織くんのそれは、僕のちくわとは、長さも焼き目も違っていた。
「やっぱり、君も持っているんだね。実は、今日ここで僕と同じようにちくわを持つ人物に出会えることを知ったんだ。ちくわの穴を覗いて」
まさか、と思ったが、あり得ることなのは僕が一番よく分かっていた。
「…いつ、手に入れたの?」
「半年くらい前からかな。おかげで受験は楽勝だった」
にやりと伊織くんは悪い顔をしてみせた。
うらやましい!死にもの狂いで勉強した地獄の日々が、走馬灯のように蘇る。
いやいやそれよりも、伊織くんのちくわを見る限り、半年も経つというのに腐っていない。やっぱりこのちくわは腐らないのだ。
「同士よ!」
僕たちは嬉しくなって、思わず握手を交わした。
「ところで、邂逅したばかりで何だが、君に話しておきたいことがあるんだ」
「なに?」
「…先日、僕は不吉な映像をちくわで見たんだ。あたり一面火の海で、それは地平線のかなたまで続いていて…。まるでこの世の終わりのようだった」
至って真剣な顔で、伊織くんは打ち明けた。穏やかではない予言に、僕の心もざわめき立つ。
「これは僕の仮説なのだけど…。近いうちに地球は大災害に見舞われるんじゃないだろうか。そのことを知っている未来人か、宇宙人が、それを知らせるために、僕たちにこの不思議なちくわを預けたんじゃないだろうか」
神妙な顔つきで語る伊織くんの話はSFアニメのようだ。けれど、ちくわの穴が未来を予測するということは僕らの経験上、事実なのだ。
その事実がすでに常識を逸している以上、僕らの手元にやってきた理由に未来人や宇宙人などSF的な関わりがあってもおかしくない。だが…。
「…なんで、ちくわなんだろうね」
「そうなんだよ!なんでちくわの形状をしているんだよな。これじゃ、世間に訴えかけたくてもカッコ悪すぎる!」
伊織くんは地団太を踏んで憤慨した。イケメンは、憤慨していてもイケメンだった。
「こら!お前たち早く寝ろ!」
見回りの先生に見つかり、伊織くんは咄嗟にちくわを懐に隠した。ちくわが担っている本当の役割についてもっと話し合いたかったけれど、仕方なく僕たちは各自のテントに戻った。
5、ちくわの予言
こうして、同士の絆で結ばれた僕たちは、キャンプが終わってからも頻繁に情報交換するようになった。
ちくわの予測は、伊織と僕では毎回違っていた。たとえば抜き打ちテストのあるなしについても、僕には毎回知らされるのに対し、伊織は英語と古典の時しか出ないらしい。
「たぶん、僕は英語と古典が苦手だからかな」
食堂の片隅で、A定食の味噌汁を飲みながら伊織は言った。
「つまり、僕は全般的に苦手だから毎回予測されると」
「そういうわけじゃないけど…うーん、でもそういうことなのかな。自分にとって重要なことが優先される」
「じゃあ、地球の大災害については、僕にとって重要じゃないってこと?」
僕の問いかけに、眉間にしわを寄せながら、伊織はコロッケを咀嚼している。
伊織が見た大災害の映像について、僕はまだ見たことがない。ここにきて僕は、伊織の仮説について疑いを持ち始めていた。
「伊織くーん。ねえ、ちょっと教えて欲しい問題があるんだけどー」
三人組の女子が、僕の存在などお構いなしに、甘ったるい声で伊織にすり寄ってきた。高身長、イケメン、成績優秀な伊織のことを女子がほっとくわけもなく、間違いなく彼は学年で一番モテている。
特定の彼女をつくればいいのに、と勧める僕に、伊織はニヤつきながら「それって自慢?」とからかうばかりで、現段階では恋愛に興味がないらしい。
伊織が女子たちの相手をしている間、僕は優里奈とのメッセージのやりとりを見返す。今度の日曜には映画に行く予定だ。付き合って三カ月。そろそろ手つなぎの次へステップアップしたい。
その日の夜、僕は日曜日のデートに向けて、ちくわの助言を借りようと、いつものように穴を覗いた。
そこに映ったのは、地面にゆっくりと倒れこむ伊織だった。
ハっとして、僕はちくわから目を離す。
…なんだ、今のは。
恐る恐る、もう一度覗き込んでみる。しかし今度は、デートの日に財布を無くして慌てふためいている僕の様子が映っていた。
しばらくして、もう一度覗き込んでみても、やはり慌てふためいている僕の様子で、伊織が倒れる映像が流れることはなかった。
見間違い?それとも、伊織が見た大災害の予報に何か関係しているんだろうか。
このことを、伊織に報告するべきかどうか僕は悩んだ。伝えるにしてもあまりにも抽象的な映像で、注意を促すにしても何をどういえば不安を煽らずに済むのか、見当が付かなかった。
考えた挙句、僕は黙っていることにした。
彼に関係することなら、すでに伊織も見ているかもしれない。そうであることを願いながら、僕は眠りについた。
翌日、登校するといつもと変わりない伊織の姿があった。僕はホッと、胸を撫で下ろす。
「おはよう、伊織」
「おはよう。…あ」
教室に入ろうとしたところで、伊織がぐいっと、僕の腕を引っ張った。
「なに?」
「あのさ、彼女は元気?」
一瞬、何を聞かれたのか分からず、僕はぽかんとした。彼女とは優里奈のことだろうか。
「うん、元気だよ」
「そう、元気ならいいんだ。じゃあ」
「うん?」
「…いや、やっぱり!」
伊織は僕の腕を引っ張ると、廊下を歩き出した。
「え、なに、遅刻しちゃうじゃ…っ」
使われていない空き教室に引っ張り込むと、伊織はカバンから自分のちくわを取り出し、僕に押し付けた。
「覗いてみて!見えるか分からないけど」
訳が分からなかった。けれど、伊織の剣幕に押されて僕はちくわの中を覗いた。
そこには、見慣れた僕の家の最寄り駅で、優里奈がホームに立っていた。電車を待っているんだろう。朝のラッシュ時ということで、人がごった返している。ゆっくりと電車がホームに入ってくる。
その様子を列の先頭で見守っている優里奈。その時、列の後ろで誰かが躓いて転んだ。押される優里奈。すぐ近くには電車が…。
僕はちくわから目を離した。
「え、なに、なにこれ」
「昨日の夜、見たんだ。知らない女の子だけど、君に彼女の写真を見せてもらったことがあっただろう。似ている気がして…」
僕はケータイを取り出し、優里奈に電話をかける。コール音がなるばかりで、留守番電話につながる。
僕はいてもたってもおれず、教室を飛び出した。
「ごめん!体調不良で休むって先生に伝えといて!」
「わかった!」
「あ、あ、あとそれから、伊織も…伊織も、気を付けて!」
「え?」
不審げな伊織を残して、僕は登校してくる人波を逆走した。
頼む、ちくわよ。予言を外してくれ。
自転車を漕いで、漕いで、僕は優里奈の家に向かった。インターホンを押すと、優里奈のお母さんが出た。
「優里奈さん、いらっしゃいますか?」
「学校に行きましたけど?」
不審げに答えるお母さんのこの様子だと、最悪の知らせは届いていないようだ。ということは…まだ間に合う!
インターホン越しにお礼を述べ、今度は駅に向かって自転車を飛ばした。ほんの数分の距離がもどかしい。頼む、追い付いてくれ。
駅前に到着すると、改札を走って通り抜ける優里奈の姿をみつけた。
「優里奈!優里奈―!」
「え、敦史くん?」
驚き立ち止まった優里奈に向かい、僕は自転車を投げ捨てて人ゴミをかきわけて叫んだ。
「待ってくれ!行かないで!」
「ごめん!遅刻寸前なの。また後で連絡するね」
優里奈はホームへと続く階段を駆け上がっていく。
僕は慌てて一駅分の切符を買うと、優里奈を追ってホームに駆け上がった。
人で溢れるホームは、ちくわで見た光景と同じだった。焦りが募る。
優里奈、どこだ。優里奈!
ホームの中ほどに、優里奈はいた。
「優里奈!」
追ってきた僕に、優里奈はぎょっとした様子で振り返る。
「優里奈、ここは危ないから向こうに行こう」
強引に列から引っ張り出そうとする僕に、優里奈は大声を上げて抵抗した。
「ちょっとなんなのよ!これに乗らなきゃ、ほんとにまずいんだから放してよ」
「それどころじゃないんだって!いいから!」
「なんなのよ訳わかんない!」
僕がこれだけ必死なのに、優里奈は頑なにその場を動かない。
列車が間もなく到着するアナウンスがホームに流れたその時、背後の人波が優里奈を押した。
躓きかけた優里奈を、僕は必死で背後から抱きしめる。
尻もちをついてホームに倒れた僕らの足先を、滑り込んできた電車の車体がわずかにかすめた。
「大丈夫!優里奈?」
「あ…大丈夫」
一瞬の恐怖に茫然としていた優里奈は、はたと自分の胸元を見下ろした。
僕の両手は、優里奈の胸を思い切り鷲掴んでいた。
「この変態!」
バチン!とビンタを僕にくれて、優里奈は憤慨したまま電車に飛び乗った。
「ごめん!違うんだ!」
無情にも閉まったドアの向こうで、優里奈は冷たい視線を投げかけている。
去っていく彼女に言い訳したくて追いかけるが、追いつけるわけもなく。
どう弁解しよう。許してくれるかな…。
不安に苛まれながら優里奈の乗った電車をホームの端で見送る。
けれど、何事もなく彼女を電車に乗せることができたことを思い出し、ホッと安堵した。
よかった、優里奈を守れた。
達成感を覚えながら乗り捨てた自転車のところに戻ると、僕の自転車は違法駐車として撤去されていた。
6.ちくわの最後
…彼女の危機を救えたのだから、よしとしよう。
何度も自分にそう言い聞かせて、撤去先から自転車を取り戻した時には、とっくに昼を過ぎていた。
このままゲームセンターで時間をつぶしてから帰ろうかと思っていたら、ケータイに伊織からメッセージが届いた。
『大災害の意味がわかった』と、書かれていた。
下校する生徒に紛れて、僕は再び学校に戻った。伊織の指示通り保健室に向かうと、彼はベッドの上で頭に包帯を巻いていた。
「どうしたんだよ」
「見ればわかるだろ。体育でケガしたんだ。三針縫ったよ」
僕は昨日ちくわで見た、伊織が倒れる映像を思い出す。これのことだったんだ。
「バスケのボールにさ、先の尖った小さい石が刺さっていて、それが頭にぶつかって、大出血&脳震盪だよ。斎藤が僕に気を付けてって言っていたのってこれ?」
「…たぶん」
「倒れるときに目の前が真っ赤で何も見えなくて、それこそあたり一面火の海のように見えて。気を失う前に気づいたよ。これ、見たことあるって」
自嘲気味に伊織が笑う。
「まじで、死ぬかと思った」
「…一応、当たっていたんだな」
「そっちは?彼女大丈夫だった?」
「うん。まあ事なきを得た。諸事情で怒らせちゃったから、フォローを頑張らないと…振られるかもしれない」
「そうか…」
伊織が、ポンポンと肩をたたく。ケガ人に慰められるとは。
「残念ついでに見て欲しいものがある」
そう言うと、伊織はカバンの中からビニール袋を出した。あけると、そこには異臭を放つ、伊織のちくわがあった。
「えっ!どうして、いつ?」
「斎藤が学校を出て行ってしばらくしてだな。腐っちゃった」
まさか!
僕も慌ててカバンからちくわを取り出す。そこには、伊織のちくわと同じく、異臭を放つ僕のちくわがあった。
触るとべたべたして妙な水分が出ているが、僕は意を決してちくわを覗いた。そこには、あきれたような顔をした伊織がこちらを見返していた。
「…なにもない、なにも…ただのちくわだ!」
ノー!!
叫ぶ僕に伊織が憐れみの表情で言った。
「…まるで、さっきの自分をみているようだ」
こうして、不思議なちくわとの別れは、あっけなく突然訪れた。食べ物として、とても自然な形で。
帰る前に、僕と伊織は学校の中庭に互いのちくわを埋葬した。毎日連れ添ったちくわを、ゴミ箱に簡単にポイすることなどできなかったからだ。
「…なんで突然腐ったんだろう。今までなんともなかったのに」
「おそらく、役目を終えたんじゃないか。今回だけ予言の仕方が変だったし、とても重要なことだった。力尽きたんじゃないか」
落ち込む僕とは対照的に、伊織はどこかすっきりした様子で、淡々と持論を展開した。
これまでこの世の終わりを告げる恐怖の予言に怯えていた伊織からすると、清々したのだろう。
「ああ、これで抜き打ちテストが予想できなくなる…。僕は終わりだ…」
「本来の形に戻るだけだよ。大丈夫」
「それもそうだな…。自立…しなきゃなあ」
未来を教えてくれる便利なちくわは、もうないのだ。
「よし!焼肉食べに行こう。景気づけに」
目に滲んだ涙をふき、僕は立ち上がった。
「ちくわじゃなくて?」
「ちくわとはもう決別するんだ。それに僕は焼肉の方が好きだし!」
伊織が「僕もそうだ」と言って笑う。
僕らは校門に向かって歩き出した。
おわり
僕とちくわの不思議な数カ月