コンニャク・ナイブ・ゲバルト

横路 枸櫞

 ある日、財布を開けると、貨幣がすべてコンニャク(ヽヽヽヽヽ)になっていた。福沢諭吉も、樋口一葉も、野口英世も、硬貨もすべてが、だ。紙幣はすべて、板状のコンニャクになっていたし、硬貨は玉コンニャクになっていた。僕のディーゼルの財布はヌメヌメしていたし、ひどく生臭かった。免許証だって、保健証だって、スーパーのポイントカードだって、すべてだ。「あく抜きをしておいてくれたって良いじゃないか」僕は随分と的の外れた感想しか出てこなかったが、ひどく落胆した。「あぁ、神さま!世の中にこんな陰湿で劣悪ないじめがあるかい?思いついた人を紹介して欲しいなぁ!どうやって発想に至ったか、聞いてみたいものだ」僕は脳裡において、全身全霊で「これは夢幻のことだ」と思い込むようにしていたが、覚める気配はなく、どうやら現実らしいということを三分後に気づき始めた。「What the hell !(なんてこったい!)」
 そうなると話が変わってくる。僕は状況確認を急いだ。まず、僕の抽斗(ひきだし)の中の貯金箱を取り出して、その中身を確認しようとした。そこには数百枚の十円玉と一千枚を超える一円玉が入っていたはずである。僕は抽斗に手を掛けて、勢いよく引こうとした時、むわぁっ、とあのにおいが僕の鼻腔に飛び込んできた。僕は思わず反射的に顔の前を手で払ったが、もう既に遅く、その間ににおいは部屋全体に充満した。取れたてのヒジキを部屋の中に放置していたかのような、そんな生臭さが僕を襲った。「くはぁ、ぁ、ご、ごほ、ごふ」思わず()せた。においはまるで僕に対して確かな敵意があるようで、執拗(しつよう)に僕にまとわりついた。「お前を窒息させてやろう!」とでも言いたげに。しかし、すぐに窓際に向かい、窓を全開にしたことで、ひとまずその危機は去った。
 しかし、一息吐いて落ち着いたところで、僕には疑問が生じた(誰だって不意に目の前にコンニャクが現れたのなら不審がるのが普通だろう)。「なぜ貨幣がコンニャクになっていたのだろう?」という、この件に関する根源的な疑問だった。「どう考えたって、財布や机の内側で自然発生的にコンニャクが生まれるわけがない。金銭目的の泥棒か、いや、それにしては手が込みすぎているし、なによりコンニャクである必要がわからない…」そうして、数分間目を閉じて思考に耽ったが、もとより脳のできが悪い僕には、あまりに難しすぎる命題であった。「どうしたものか」そう独り言ちて、引き出しの中からあふれ出そうとしているコンニャクを凝視していると、脳がぼおっとしてきた。「いや、そもそも、どうして貨幣が紙や金属でなければならないのだろう?」
 よくよく考えてみればそうだ。どうして紙や金属がよくて、コンニャクはダメなのだろう?その理由を僕は聞いたことがない。考えれば考えるほど、紙や金属でなければならない理由がわからなくなった。「貨幣の役割を果たすのなら、コンニャクだって…」その時までによろめきながら立ち上がっていた僕は、室内を二足歩行のフラミンゴみたいにふらふらとしながら歩いていると、抽斗から既にこぼれていたコンニャクを踏みつけてしまった。無論、紋切り型のパターンには逆らえず、そのままつるっと滑り後頭部を強打した。その衝撃で、「はっ!」僕は目が覚めたのだ。まさに宇宙人にかけられた洗脳が解かれたように。「コンニャクが貨幣であってたまるものか!」僕はすっかり肩で息をして、その場にへたり込んだ。「はぁ、はぁ。はぁ、な、な、なんだったんだ。あの白い靄が脳を充満させていく感覚は」
 ボトルの水を一口飲んで、今度こそ冷静になって鑑みると、こうした憶測が導かれた。「僕の頭がぼうっとしてきたのはコンニャクを、じぃぃっ(ヽヽヽヽ)、と見始めたときからだ。それ以降、なぜコンニャクが貨幣ではいけないのか、という疑念を抱いた……つまり、現段階では、コンニャクが観察者に根源的な疑念を抱かせる、という憶測になるのかな」もしそうだとしたら、このコンニャクはひどく恐ろしいものだ。たとえて言うならば、「なぜ犯罪をしてはならないのか」や「なぜ泥棒をしてはいけないのか」などという、疑問を持つ人も現れるかもしれないからである。つまり、このコンニャクには「これはこうでなければならない」という紋切り型の考え方を、根底から否定するような思考を促す、ある種の魔力が宿っていることとなる。
「恐ろしいことになってきたぞ」今のところ、確認できる例は一件だけだが、余所でも発生しているのだろうか。それとも僕の家が同心円の中心となって広がってしまうのか。後者を考えると、僕はぶるぶると震えた。「そうなったら僕は国家転覆罪とか課せられたりしないだろうね?」想像するだけで僕はいても立ってもいられなかったので、とりあえずテレビを付けてみることにした。
 しかし、事態はもっと深刻だった。テレビの電源は点いたものの、番組が放送されないのだ。ザァーッ、という耳障りなノイズが反響する画面の中央に、これまた見づらく、白地で文字が書いてあった。「今日の○○テレビの放送は、番組の途中ではありましたが、午前七時をもちましてすべて打ち切らせていただきます。なぜ番組を制作しなければいけないのか、なぜ放送しなければいけないのか、わたしたちはそうした疑問に対して、満足のいく回答をすることができないため、放送を中止させていただきます」と。別のチャンネルに変えても、同様の文章とノイズが走っているだけだった。「まずいことになったぞ」僕は気づきたくもなかったことに気づいてしまい、ナイアガラの滝のように汗をかき始めた。「もしかして、こ、これは、に、にほ、日本の危機なので、は?」

「魔力を持ったコンニャクが貨幣という、ひどく身近な存在として僕らのすぐ近くに潜り込み、そして洗脳した…確かに、確かに、考えれば考えるほど、上手いやり方だ」僕は自転車でコンクリート・ジャングルを走り抜けながらそう呟いた。都内の道路にもかかわらず、車が一台も走っていない。いや、車はあるのだが、すべて路肩に駐車してあるか、道路の途中で止まっている。そして、ドライバーはみな退屈そうに項垂れているのだ。まるで真夏日の()だるような暑さにバテてしまったかのように。そこには微塵も生気を感じなかった。「もしこれがコンニャクによるものだというならば、僕らは知らず知らずのうちに、とんでもないものを身近に孕んでいたのかもしれない」窓越しに見た運転手の手元には、板状のコンニャクが張り付いていた。
 僕はなぜ自転車で都内を走っているかといえば、結論から言えば、この根源を絶つためである。どう考えたって、今の日本において、少なくとも都内において、コンニャクの影響を受けていないのは僕だけだ。だったら、僕がヒーローになるんだ。そして、日本をコンニャクから守るのだ。「やっとこの時が来たか…随分と待たせやがって」僕は腰に格好付けのためだけのエアガンを携帯し、ここまで全力でペダルを漕いできたのだ。僕にはひとつ、心当たりがあった。
 実は一年前、政府によって新設された機関があったのだ。それは、「貨幣局」という名で、日本銀行と国立印刷局、さらには造幣局の一部機能を集約した機関で、それぞれを総括するような上位機関であった。不思議なことに、これに関して、議員からも国民からも否定の意見が出てこなかった。僕はそこまで政治的関心があるわけではないが、どうもこればかりは気がかりであった。「なぜ誰も、そんなものを作ってどうするんだ、という疑問をぶつけないのだろう」まさか、あの疑問が今回の伏線になっていたとすると、これは相当計画性の高いものだ。その時から、この魔力を駆使していた可能性があるのだから。
「急がないと、まずいことになりそうだ」僕は中央区の道路を、車を避けながら進んでいく。「手遅れにはなってくれるなよ」

 貨幣局の内部に入るのは、案外スムースに事が運んだ。というのも、貨幣局の周りはあまりに魔力が濃いのか、半径一キロメートル圏において、意識のある人は僕以外いなかった。全員の脈を確かめたが、死んでいる人はひとりもいなかった。そしてそれは、貨幣局の警備員も同様で、入口の門に真夏の蝉のようにばたばたと倒れており、僕は堂々と正面から貨幣局に侵入した。心臓が口から飛び出そうだった。
 奥の方へと足を進めていくと、より一層、生臭さが強くなった。「間違いない」僕はエアガンを構えて、ふぅっ、とため息をして呟いた。「この先にいる、それは確かだ」僕はその大きな扉の、瞳孔一つ分の隙間から中を覗いてみた。そこには、これまで僕が見てきたどんな機械よりも巨大な機械があって、まさにそこでコンニャクを作っていた!コンニャクイモからコンニャクは作られているようで、機械の後ろには山のように三メートルほど積もったコンニャクイモがあった。そして、忙しく作られたできたてのコンニャクに、なにやら手を翳し、緑色の炎のようなものを纏わせていた背広がいた。「あれだ」僕は息を潜め、背広を睨んだ。「あれなんだ、僕が倒すべき相手は」
 僕は扉を勢いよく押し開け、「動くな!」と声を張り上げた。「お前のしていることはわかっているんだ」僕の声を聞くと、背広はゆっくりこちらの方へと振り向いた。その顔は、テレビで知った顔だった。「な、か、貨幣局理事長…?なぜあなたが…!」
「おんやぁ」その背広はねっとりと口を開いた。「魔力の影響を受けない人がいましたか…それとも、自力で解除したのかい?この年端のいかぬガキが…」理事長は、方便などが入っていなかったものの、妙にねっとりとしてぶよぶよとした話し方をした。「イクスセプション(例外)…困るねぇ、こういうのは。運が良いのか、はたまた、悪いのか。ねぇ、坊ちゃん」
「答えろ…何が目的だ?」僕は眉間に皺を寄せて、声をずっと低くして威圧的な態度をとったつもりでいたが、彼には何の効果も現さなかったし、逆に理事長のたっぷりの余裕に、僕は内側の恐怖を隠すので精一杯だった。「なぜ貨幣をコンニャクに変えた…なぜだ!」
「簡単だよ、クーデター(ヽヽヽヽヽ)さ」
「クーデター…?」僕は素っ頓狂な声を出した。
「そうさ、クーデター、はは」理事長は愉快そうに大声で笑った。「それも、最も情けない形でね。コンニャクにかけた呪いは、わかっているだろうが、紋切り型に対する疑問さ。これはこうでなければならない…そんな考え方を根底からぶち壊す呪い(ヽヽ)さ。ただ、それだけじゃない。人間をネガティブな感情によって支配し、全てのやる気を失わせる。物事全て疑ってかかったところで、全てを知らないことを知るだけさ。そこまで考え抜いた人間は、死んだように眠ることになる。お前もここに来る道中に見たんじゃないのか?茹だるように眠る奴らを。あいつらは正真正銘、生きているが死んでいるんだ」
「…最も情けない形、か。それだけか?コンニャクを選んだのは」声を低く出すのがつらくなってきた。
「そうだね、ほかには、ワタシがグンマーであることくらいかな」
グンマー(ヽヽヽヽ)…?」
「…さて、楽しいお話もこれまでだ。君を殺せば、世界で意識ある人間(ヽヽ)はいなくなる…」
「まて、それはお前自身が人間ではない(ヽヽヽヽヽヽ)ということか!」
「さぁ、知らないな」
 そういうと理事長の身体は何倍にも膨れ上がり、肉体はすべてコンニャクへと変化した。みるみるうちに巨大化し、まさに天井につかんとするくらいであった。同時に横幅も大きく広がり、まさに僕をも呑み込もうとした。僕はなんとかそれを避け、扉を開けすぐに閉じた。しかし、コンニャクの塊はそれを完全に破壊し、辺り一面を瓦礫に変えながら此方へと向かってくるではないか!
「マテェェ、コゾォオオオォオオ!!!!」
「ちっ、どうしたらいいんだよ」僕はとりあえず片っ端から試してみることにした。エアガン、効かない。打撃、近づけない。がれきの破片、跳ね返される。ミネラルウォーター、ちょっと嫌がる。「Shit !(くそが!)」僕は中学生以来の全力疾走でトイレへと駆け込んだ。
 ようやくトイレに辿り着いたとき、はっ、と気づくと既にコンニャクは僕を覆い、這い上がってきていた。口の中から僕の体内に侵入し、内部から破裂させようとしていたのだ。「シネェエエエエ!!!!」
「最悪の死に方だ…」そう呟いて、僕は目を閉じてしまった。

だが(ヽヽ)、そんな程度でオレが諦めると思うか(ヽヽヽヽヽヽヽ)?」

 その瞬間、僕とコンニャクの怪物をすさまじい鉄砲水が襲った。「いや、正確には水道管(ヽヽヽ)の水さ!」その水圧でコンニャクの怪物は僕から引き剥がされた。高圧洗浄機で汚れを落とすように。そうだ、あのコンニャクの怪物は辺り一面を、通る道にある全てのものを、瓦礫に変えながらこちらに向かってきた。「だからこそさ!オレがこの作戦を思いついたのは!」
「キサマ、グァアァア、グウゥア、コ、コ、コ、コゾォオオオオォォオオ!!!!」コンニャクの怪物はドロドロに溶けながら、断末魔の叫びを反響させていた。「クソガァアアアァアア!!!!」
「オマエはバカだよ、無理矢理狭いトイレに押し込んで入ってくるんだから。わざわざオマエの弱点(ヽヽ)があるところにね!えぇ?このマヌケ!」
「サァァァァァァ……」

 足下に広がるドロドロに溶けた液体を眺め、僕は独り言ちた。「まさか、子どもの頃、コンニャクを水につっけぱなしにしてドロドロにした経験が役に立つとは、世の中、何があるかわからないね」
 そして、僕は今にも崩れそうな貨幣局を後にした。コンニャクを蹴り飛ばしながら。「くせぇ!」

コンニャク・ナイブ・ゲバルト

コンニャク・ナイブ・ゲバルト

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