秋を感じる
秋は好きなんですけど、ここ数年はあっという間にいなくなってしまうイメージです。冬将軍はせっかちすぎる。
秋の日は釣瓶落とし。ことわざが語るように、秋の日の時間は過ぎゆくのが早い。天気のいい日には燃えるような夕焼けがじわじわと夜闇に侵食されていく。その速度は思うよりも速く、ひとたび目を離せば広がる赤はあっという間に消えてなくなっていく。秋の五限目はそんなことを感じられる時間だ。
退屈な講義は脳を通さずに聞けばただの眠気を誘うBGMになる。ちらと配られたプリントに目を通し、右手で頬杖をついて窓の向こうの空を見上げる。時刻は十六時四十分。まだ赤色は広い空の端をちろちろと舐めるように焼くばかりだ。耳に入るぼそぼそとした話し声に眠気を引きずり出されて頭がだんだんぼんやりとしてくる。ゆるい頭では思考もとっ散らかるらしい。視界に入る赤。赤、朱、焔の色。つやつやと照る林檎の色。食欲の秋だ、きっと焼き林檎が美味しい。種と芯をくりぬいて、バターと砂糖を代わりに詰めてオーブンへ。くたりとするまで焼けば、香ばしくも甘い匂いが鼻先に漂う。切り分け、煮詰めてアップルパイにするのもいいだろう。残念な点をあげるならば、林檎の旬は冬である、ということだろうか。ぐう、と鳴きかけた腹の虫を抑えようとして自分がまだ教室にいるのだと思い出す。
ぱちぱちと瞬きを繰り返してから空を見ると、今度は逆に青と紫の闇が赤一面の空を飲み込み始めている。教授の様子は相変わらず。生徒には目も向けず、プリントに向かって話しかける姿は私たちにとって好都合だ
。風の音、鳥の鳴き声、電車の通る音。いつも通り、でも少しずつ変わっていく。気づけば空はまんべんなく黒に染められている。電灯で明るい室内では星は見えないけれど、空に引かれた闇色のカーテンにくっついているピンバッチが無数に存在することを私は知っている。遠く、遠く、遥か何億光年も先の、命を使い果たした星たちの燃え尽きる様は死という孤独と恐怖を与えるもののはずなのに私たちの心を暖かくする。こうやって感傷に浸りやすくなるのも秋という季節がもたらすものなのかもしれない。
チャイムが鳴る。教授の言葉を待たずして教室内が騒がしくなる。がたがたと席を立つ音に混じって教授の締めの言葉が耳に届く。机に乗ったプリントをファイルに突っ込んで席を立つ。人の波に流されながら建物の外に歩みだす。吹き付ける風が骨にしみるほど冷たい。上着の前を閉じるようにして引っ張りながら駅に向かう。住宅街、通り抜けると魚の焼ける匂い。秋刀魚だろうか、また腹が鳴りそうになる。頬を撫でる風が私を赤く染め上げる。目の端で枯葉がひらひらと舞い落ちる。空を見上げる。藍と黒の混じった空でいくつもの青白い光が瞬く。雲はひとつもない。やがてこの空にも一面に雲が広がり、ちらちらと雪が降り注ぐのだろう。吐く息は透明から白へ。外気にさらされた肌は白から赤へ。時間とともに景色が移り変わっていく。
秋というのは時の流れが早くなる。時期に冬がやってくる。まだ、雪は降らない。
秋を感じる
知り合いに小説を書けと言われたので一時間半クオリティで制作。小説というものでもないのでもはやただの文章。