匿名電脳悲話

 宙を自動運転のバスが走る、空中のバス停で、青年は暇をつぶしていた。
『さあ、今日もチェックをしよう』
 脊椎から延びるコードは、スマートフォンににた球状の端末に接続され、瞬間、青年は意識を失い、体は弛緩して力を失い頭はうなだれる格好になった。ベンチに外に人はおらず、にぎやかなのは鳥の声だった。暗転そして、走る文字と文字、そして世界。青年は悲嘆にくれた。またもや同じような世界が広がっている、そこはバス停の前とにたような、しかし朝の公園がひろがっていた。広く高い西洋のルネサンス期を思わせるようなきらびやかな装束や街並みの風景と、街をいくファンタジックな姿形をした誰もが綺麗な身なりの人々。空にドラゴンがまい、街中で魔法を披露するものまでいる。街は細部までこまかくつくりこまれ、その実態に近づきさえしなければその内部が空洞であることを視覚的に理解することもない。青年はそこでベンチにすわって、実態によくにた新聞をてにとり、ニュースを読み始めたのだった。しばらくたつと歩く人々をながめる、エルフの姿がある、エルフの夫婦が西洋人じみた長ったらしい名前をつけてあるいている、これらの表情と顔つきは現実と別物である。現実の世界にもにて鳥たちが朝の賑わいを保っている。平穏無事な日々である。
『また、ここにきてしまった、用などないのに』
 それはオンラインゲーム空間だった。青年はそこで、二重の世界の中に没入する。そこに真実はないのに、人々は嘘を愛する。いつからだろう?いや、青年が生まれたときから、世界はそうだった。だが青年は娯楽を愛した、そして娯楽は娯楽としての矜持をもっていた。それは“嘘偽りなき嘘”という明確で当たり前な身分だった。
 『この空間には、嘘と欺瞞しかない、人は自分の心の身分を偽っている』
 この世界では、悪役のほとんどがNPC、つまりコンピュータプログラムである、であるから人々はこの世界にアプローチした時点で、一致団結した意思をもっている。ただしこの意志は、ある面ではおかしい。正義など存在しない。青年はニュースの爛に、完全懲悪らしさを見ると、頭痛がする。正義は、主観の中に存在できない、そして善意も同じものだ。ならば、おかしい事がある。
 『ある人の生命には価値があり、ある人の生命には価値がない』
 そうして人を選んだ残酷な人々の持ち出す、欺瞞にみちた善意と正義とは、これほど醜いものはなかった。けれど、青年が落ち込んだのはそのことではなかった。ところで青年はだからこうした暇つぶしの中で、自分に、そしてその世界に、または現実世界に失望をもった。
 『どうして、これが演劇だということを、これが嘘だという事を、娯楽を扱う身分であるべき人々が隠し、あるいはそれが本当だと自分に信じ込ませてしまうのだろう、わたし、貴方たちは嘘をついている、嘘をついている中でしか、正義も善も存在しないという事を自分で実感している』
 未来の人々は暮らしを二つ持っている。電脳世界と現実世界である。電脳世界では主に限られた労働と仕事の及ばない自由時間に電脳世界にアクセスする。
 スマートフォンが普及したのはもう今から100年ほど前になるだろう。人々はもはやそれににた形態端末で、神経や感情や思考を間接的にリンクして、電脳空間に自分の感覚を没入させることができる。そして今や、強化されたサイバー空間上で、匂いや感覚としったあらゆる感覚を受け取ることができるのだ。
 しかし青年は嘆いた。青年は電脳空間に劇団を作りたかった。彼は小さなころそれなりに国で有名になった役者であった。人気ものだった。今は知名度はそれほどで、かつての名残の名声にすがるような日々があったが、彼の落胆はそこにはない。彼はもうブランクに陥っていた、その理由は一つは現実でもう一つは仮想現実にある。彼の落胆の理由は二重にあった。
 『なぜ、私は電脳空間で自分を偽る事をしないのだろう』
 そして
 『なぜ、人々は電脳空間で自分を偽る事をしないのだろう、全てはあからさまなウソなのに、皆が皆、あからさまなウソであることをわすれてしまったようだ、そこで善や正義を語るのなら、少したりとも現実に善や正義がないと明言しているようなものではないか』
 青年は嘆き、青年時代を浪費する。

匿名電脳悲話

匿名電脳悲話

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-06-18

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