灰になれ、辛さよ

横路 枸櫞 作

Sir Pain(or Spiciness), be burnt to ashes.

 夢中でスプーンを口に運ぶ。その小さな窪みを満たしては、口に運び、また満たしては運びを繰り返す。ひどく機械的な動作だ。
 食事という行為は、ときに、ある種の儀式のようなものにもみえる。無論、渋谷あたりで和気藹々としながら食事するものを儀式的かといえば、そうではない。わたしが言いたいのは、今わたしがしているように、カウンター席にひとり座り、無我夢中で口に掻き込む行為のことだ。決してこれが上品だとか神聖だとか言いたいわけでなく、いわば新興宗教のように何を教義としているかもわからない、怪しい集団の行う一連の儀式のようだ、と言いたいのだ。
 わたしはスプーンでその赤黒い液体を掬い、口に運ぶ。汗が吹き出す。わたしは、肥満体型のハヤシ課長のように、決して汗っかきのほうではない。むしろ夏でもあまり汗をかかない性質の人だ(だからか、夏の期間、熱中症なんてものはしょっちゅうだ)。そんなわたしが、顔全体に汗をかいている。メイクなんてしても落ちるわけだから、最低限しかしてこなかったし、全く気にすることは無い。そもそもわたしは周りの目など気にする性質ではないのだ。メイクなんてものはそれこそ儀式的、形式的にしているだけであって、あってもなくてもわたしにとってはどうでもよかった。少なくともわたしにとって、ただ煩わしいものなのだ。
 また、その勢いよく湯気を立てる赤い液体を口にする。口の中がとんでもなく痛い。「ウニを殻のまんま口に押し込まれたらこんな感じなのかしら」そんなことすら考えている。わたしはわりに能天気で、無神経な女だ。そんなことは、わたしが一番知っているのだ。「いちいち陰で愚痴なんか言ってんなよ。正面立って言う勇気もない、男に愛想良く、愛されようとして露出の多い服着てちんけな胸を見せてる、ただのビッチごときに、意識を向けるだけ時間の無駄よね」
 そしてまた口に運んだ。汗がほくろを撫でて唇に流れる。

 麻婆豆腐。今まで何度も食べて大して美味しいとも思ったことはないけど、相変わらず、わたしはこれも特に美味しいとも思わなかった。ただ、めちゃくちゃ辛いだけなのだ。「"カプサイシンの粉末を沸騰寸前のお湯に、これも飽和寸前まで溶かして、適当に焼き豆腐を入れました"――だなぁんて言われたってわたしは信じるわね」わたしはそんなことを思いつつも、スプーンを止めることはなかった。そんなものでも、あのビッチどもが、流行という宗教に狂信的なあのビッチどもが好んで飲む、糖分でそのほとんどが構成される、ドラッグのような甘い飲み物・食べ物に比べれば、こんなただ辛いだけのものなんか、それこそありもしない蜜の味がするというものだ。
 スプーンを口に運ぶ。汗が雨のように降る。

「思えば、わたしは不平、不満だらけね」わたしは腫れ上がった口をさすりながら、そんなことを思った。流行とか、同僚のビッチどもとか、セクハラジジイとか(今朝電車内で痴漢されたので、股間を蹴りあげてやった。今は見るかげもないが、これでも昔は空手をやっていたのだ)、陰口を言うためだけに生きてるババアとか、ナンパしようとしてきた、腰振ってるダサい男とか(相手が泣き喚くほどの罵倒を浴びせかけた上、使えないように股間を蹴り飛ばした)、あれとか、これとか。それとか、それとか。
 スプーンを口に運ぶ。汗を拭くこともせず、自然に任せた。

 冷たい水を喉の奥に流し込む。

「だいたい、彼氏がいなきゃいけないとか、結婚しなきゃいけないとか、こどもをつくんなきゃいけないだとか、知らないよ、そんなこと」わたしは、すっかり汗をかいたコップをからん、からんと回しながら、残り一口になった赤黒い塊を見つめていた。あのビッチどもは、彼氏がいることがステータス、結婚していることがステータス、こどもがいることがステータスなぁんてことを言うけどさ、どうなのよ。なに、人間というやつはそんなに性欲を前面に押し出して生きなきゃいけないわけ?意味がわからない。そんなものが法律で決まってるなら、「あぁそうですか、それじゃ仕方ないですね」と言って、適当に男選んで何度だってセックスでもなんでもしてるよ。「でも、そうじゃないでしょ?」
 わたしにはわたし個人の恋愛の過去があって、それでもう満足しているのだから、それでいいじゃない。別にそんなことを大声で自慢げに吹聴しているわけじゃないけどさ、わたしはもう満足なのよ。「わたしの人生における恋なんて、ご大層に飾り付けたものは、全て、あの青春でやってきたし、もう置いてきたのよ」

 スプーンを握る。汗が滴り落ちる。

 わたしには、わたしの過去があって、哲学があるのよ。煩わしいのよ、全部、全部。何も知らないくせに。何も知らないくせに。

「何も知らないくせに」

 スプーンで掬って、最後の一口を運ぶ。

灰になれ、辛さよ

灰になれ、辛さよ

  • 小説
  • 掌編
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-06-15

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted