エッセイ《僕が肺結核になった訳》

おおへんり 作

僕が肺結核になった訳


 僕の人生最大の出来事と言えば、高校三年の時に肺結核になったことだろう。
 もし僕は肺結核にならなかったら、どういう人生を送ったか、想定してみた。10月の初めに、大日本印刷に就職が内定していて、普通の会社員として定年まで働いていただろう。もちろん結婚し、妻子もいただろう。私生活は、友達と一緒に魚釣り三昧だったろう。
 僕がなぜ高校三年の時に肺結核になったかと言うと・・。
 4月23日、午後から生徒会の立会演説会があった。僕は体育館の後ろの方に席を取り、ぼうっと観ていた。すると、すぐ近くに黒いTシャツとジーンズをはいた女性が座る。きれいな先生がいたんだなあ、と僕は見とれていた。立会演説会が終わると、その女性はさっさと体育館を出て行く。帰る方向が同じなので、僕は彼女の十メートルほど後ろを歩いた。すると、向こうに同級生の安達がいて、こちらに向って大きく手を振っている。目の前にいた彼女も手を振り、彼に合図する。後で安達に聞いたら、彼女は図案課3年のメグという女子生徒だとわかった。それから、安達を通して告白したが、あっけなく振られた。
 そのことを図案課3年の担任だった社会科の教師長島先生に話した。すると、先生はこんな話をしてくれた。
「・・・小野小町の逸話・・女というのは、九十九回好きだと言って断ら
れても、百回目にはウンというものだ」
 僕はその話で勇気を得て、それから自転車で毎晩、遠里小野町の彼女の家
に行き、彼女の部屋の下で、向かう時に作った『詩』を朗読した。
 梅雨時に入り雨に打たれ、夏の熱さに打ちのめされ、僕は百日通った。朝はわざわざ遠回りして、彼女と同じ電車に乗った。しかし9月23日、再びあっさり振られた。そして僕は無理がたたって肺結核となった。
 10月15日、保健室の先生に呼び出され、レントゲン写真が入った大きな封筒を渡され、これを持ってすぐに帰って病院で診てもらうように言わた。そして僕は早退し、翌日母と病院に行き、17日に入院した。
 それから僕は一年半、入院と自宅療養をした。療養中はすることがなく、ノートに日記のような小説のようなものを書く始めた。それが作家を目指すきっかけとなった。

エッセイ《僕が肺結核になった訳》

エッセイ《僕が肺結核になった訳》

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-06-13

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