彼岸の光(2)

尾川喜三太 作

第二章 渠の短き肉體の青春

 野球に於ける一時(ひとしきり)の成功が眞幸の學課怠業に磨きをかけた。渠をして二度とは皈らぬ肉體の青(、、、、)春(、)が斯うして纔か半年の間に無計畫に使ひ果たされて了つた。この花は實に花散るなへに(、、、、、、)咲いたかと思ふと、いつをさかりと甚(はだ)知らに中道(ちゅうどう)に夭(よう)した―――間もなく渠の頭脳は異常な發達を示し始める。一種形而上學的な發達だ。行動する前(さき)から頭ばかり旺んに働くために渠は自分の身體が俄かに重たく、滾(こん)々(こん)と盡きせぬ鬼子母(きもし)的の加護が滌(あら)ひ流されてゆくやうな焦燥を覺えた。
 旬日(じゅんじつ)を經ずして、氣早(きばや)な新参者が獨合點(ひとりがてん)の群雄割拠を相談しはじめたので、各地で視線同志の小(こ)競(ぜり)合(あ)ひが頻發した。或者などは上級生に盛んに取り入つて急速に自分の名を披露(ひろ)め、擦違ひざまに詰(なじ)られたり、幇間に對するやうな心易さで廊下で引き止められたりすると最早(もう)有頂天だつた。
 芝の傾斜地の向かふに身を隠してゐるダイヤモンドは教室からは見るべうもないが、放課後、四邊(あたり)をとよもす準備運動の懸聲(かけごゑ)に眞幸は耳を傾けた。その懸聲が中學時代のそれに似てゐるかどうかで吉凶を占つたりと徒爾(あだ)な巫覡(ふげき)に熱中した。
 一寸(いっすん)伸びた坊主天窓(あたま)が廊下で搗(か)ち合ふや、箸が落ちてもをかしげな目(め)交(ま)ぜがそこで取り交される。少女の嬌羞(きょうしゅう)を湛へた含笑(ふくみわら)ひはこの際口よりも雄辯である。眞幸は伏目ながらに、この無意味に笑み傾(かた)まけられた幾許(こゝだ)の視線に應ぜざるを得ない。今度ばかりは三度目の正直で奴等抽象的な野球部員(、、、、、、、、)の上に君臨せねばならない。打ち見ただけで、渠には對向(むかふ)から来る奴のポジション閲歴くらい察しがついた。自分以上に遊撃手に相應しかるべき、浅黒い、劍のある釣(つり)眼(め)に脊のひょろりと高い坊主天窓はゐまいかと學校中を警邏(けいら)した。僥倖(さいはひ)、さう云ふ奴の頭髪は野球をするにしては餘り艶やかな蜿(うね)りを持つてをり、小粒(こつぶ)な目鼻立ちとの諧和(かいわ)はサッカー部のそれであつた。
 それにしろ、市内随一の進学校だろうと、球兒的風俗の類型化は偉大だ。飛ばんと欲する天牛(かみきりむし)のものぐさな身振りで、一雙(いっさう)の眉は、ぴんと翅(はね)を張つてゐる。球児の典型を模している以上、彼等の野球が模倣以上に発明(はつめい)で考え深いものあろうとは思われない。またあの野球部独特の、怠惰と意識した粗野と懸声のなかで我ひとり、懸命に身を踠(もが)かねばならないことが決定した。理智的で物静かな野球と云うものを彼は或いはと期待してゐたのかも知れない。
 眞幸は押し並(な)べて真面目に過ぎた。ものごとを深刻に考え過ぎる嫌いがある。ために捕球体勢や投球の待ち構え方に度を過ごした拘泥(こだわ)りを持つあまり、他人の容喙を緊(きび)しく刎(は)ねつけ、一つの失策にも反動的に思い屈(くっ)するのだが、他の部員がそれをさまで咎める気遣いはなかった。それに引き替え、彼等にとっての野球は、遊戯が時折気紛れな真剣さに嵩(こう)じるのに似て、試合の時だけひょいと頸を擡げるまことに衝(、)動(、)的(、)な(、)趣味的な(、、、、)真(、)剣(、)さ(、)に過ぎない。
 眞幸の見る野球にはいつか遊戯的な最初の機会因、野球が愉しいと云う天晴(あっぱれ)な感情はすっかり色褪せ、この干潟(ひがた)に引残されたのは義務の感情だった。この年頃の男子が世間に対して施すべき面目の、切実な表現の一例に過ぎない。彼の獨喜悦(ひとりよがり)な集中力と、全(まる)で協調的でないそれを反省する習慣とは、野球選手にありがちなあの開放的な、天空海闊(かいかつ)な肯定感とは肖(に)も着(つ)かないからだ。彼は頑強に集団競技でのみ味わい得べき連帯感と集団的陶酔の作用に対して純潔を守った。もっと云えば、試合の輸贏(しゅえい)とさえ没交渉だった。ただ渠自身の試合内での働きぶりさえ可(よ)ければ、他に見るべき點を持たない。
 ただ、彼が亦しても野球に於いて独創的たり得なかったことは注目に値する。(、)これは端的に自信の無さの顕われであるとともに、あるがままの自分を可(よ)しとせず自分らしさを悉(ふつく)に取り除こうとする意思の顕われでもあった。普通、身体が自然(ひとりで)にする動作を人は悔いない。(、)相応しからぬ動作を自分に強いれば却て故障の素(もと)になる。が、眞幸はフォームを模倣し続けた。小学生以来、左右の打席を三度変えた事などは好箇(こうこ)の例(ためし)である。
 四月十三日の昼放課、野球部顧問だと云う若(わか)禿(はげ)の四十男が、経験者一同を織(お)るがに往来(ゆきき)の絶えない廊下の手水場(ちょうずば)の隅に参集させた。
 兵頭員郎(ひょうどうかずお)は、絃(つる)の細い楕円の眼鏡に家鴨(あひる)を刺繍(ぬいと)った地味なネクタイを締め、シャツの裾は几帳面にしまい込むと云う、何時かは威儀を紊(みだ)すこと莫(まな)、その禿頭(とくとう)に忠誠を誓ったらしい国語教師である。この男には、半面識(はんめんしき)もない人に唐突(うちつけ)の挨拶を雨と浴びせて、相手が恐縮するのを可笑しがると云う癖がある。場違いな慇懃(いんぎん)さで、野球部に入って貰える(、、、)よう勉強優先である事までを懇々と掻口説(かきくど)いて勧誘するので、受験明けのいくらか締まりのない頬をした、生ッ白い新入生は、ちぐはぐな長幼(このかみおとど)の次第(ついで)の上に浮足立って、恍惚(うっとり)と蕩(とろ)けそうな迭(かた)みの微笑に、兵頭は穏和で、物わかりのよさそうな顧問だと首(うな)肯(づ)き合った。(、)
 若しこの勧誘の有無で入部を飜意(ほんい)する輩(やから)がいたら眞幸はまるで理解を示さなかったろう。高校は歓楽のためとより、熾烈(しれつ)な闘技場に余程庶幾(ちか)かった。青春とは本来、鏡を捨象したところに現出する無(む)何(か)有(ゆう)の郷(さと)で、ひたすら即自的に己を覿面(まのあたり)にせねばならない筈が、眞幸は又しても世に有難(ありがた)き一幅(いっぷく)の、世にあるまじき幻想の、ディオニュソス的な絵画にばかりうつつを抜かしていた。

 眞幸が久しく部活動と取ッ組んで来た中でこれほどの手応えを覚えた事は嘗てない。(、)
 新入部員は彼を含めて十一人弱(たら)ずと、例年より寡(すくな)い。総体間近の上級生が遠征試合に赴くにも、居残り組の下級生に眞幸は列しなかった。二三塁間の出没自在(しゅつぼつじざい)な足運びと、セーフティーバントや流し打ちを基調とした小刀(こがたな)細工(ざいく)な打席捌(さば)きが、思いの外好感触を以て迎えられた。同じ中学出身で現エースのSも眞幸の昔に殊(こと)なることを認めた。長い補欠時代の虐(しいた)げられた記憶が、この打って変わった好評に猜疑を抱かせたものの、彼には硬球の赤茶けた、ロマンティックな刺繍(ぬいとり)模様が具(つぶ)さに読み取られていたし、サバンナ風のスパイクの接地も柳絮(りゅうじょ)の如く軽やかな上、把捉力は充分だった。彼の巧みな模倣が往々人を欺いて来た内容の乏しさも今や実質が補って余りあった。(、)彼には慥かに実力と云うものが具(そな)わりはじめていた。
 それが証拠に、学級内では出来ない友達が部活では出来た。NとYだ。斯(こ)う云う利発な、率直な線だけで占められた満月のような面立ちと、陰(いん)に籠(こも)らで風通しのよい性格と、のび〳〵とした体格を併せ持つ知己(ちき)をはじめて得た眞幸は亢奮した。三人は難なくお互いの上に心地よい共通点を見出していた。友人によって肯定感を補強すると云う経験の、(、)これが最初であった。
 二人は然し、いっかな切羽詰まっても自己疎外だけは起こさない人間によくある、生温(なまあたたか)い敬意―――その不徹底が相手を愚弄することになりかねないあの危険な敬意で眞幸を遇(ぐう)した。眞幸はこれの受け取り方を熟知している。一度聞こえない態(ふり)をして、それから言(こと)を左右に託して了うのである。  
 面白いくらい彼は身体を正確に、如意(にょい)に働かすことが出来た。かかる時、頭の中は家具ひとつない空き家のごとく見通し(、、、)で、視野には一朶(いちだ)の雲だにない。運動選手にしか知り得ない、目も遥(はる)な曠野(こうや)を遍(あまね)くする獣的なよろこびに彼は酩酊した。この分なら中宇(なかぞら)を駈けることだって出来ない筈がない。
 文人蔑視を、彼は今こそ応分の権利を以て全うすることが出来るのかも知れない。本統(ほんとう)に価値あるものは一重(ひとえ)に肉体の外的効果だ。この年齢が持つ、夜汽車の朝の窓外のように刹那に飛び去る背景と肉体の躍動感との過不足ない調和だけだ。これで漸く快く軽蔑する(、、、、、、)ことが出来る。それは哄笑(こうしょう)に肖ていて、相手を貶(おとし)めるには餘りに澄明な若さの笑いだった。

 寔(まこと)に躾の行き届いた人達ばかりだった。野球部共通の意識した蛮風(ばんぷう)は、J高野球部ではその反気味(そりぎみ)の眉の羽搏(はばた)きにのみ、優等生の聊(いささ)けき反抗、と云った具合に剃り残されているぎりだった。いかなる抵抗も無茶も怠業(サボり)も、精確無比(むひ)の緇銖(おもり)で秤量(ひょうりょう)した上でスポイトで滴(したた)らすように実行に移され、やがて申し分のない大学に入って行く。(、)そこで思うさま羽目を外してとりどりに髪色を染めた卒業生が、五月頃に恩師を尋ねて来ると云うお定(さだ)まりのゆくたて(、、、、)―――躾のよい連中に周囲(ぐるり)を巻かれると眞幸は何故だか無性に斜(しゃ)に構(かま)えたくなった。彼の頭髪(かみ)が少し長いので、放課後練習のあがり端(しな)、顧問を中に円陣を組んでいる部員の面前で、兵頭がこれを指摘した。すると眞幸は少時(しばらく)切る気がしなくなるのだ。―――自己意識の輪郭(、、、、、、、)の自覚の為には、大勢の向こうばかり張って自身をアンチテーゼとして措定するこんな方法以外、ないものだろうか?然し注目すべきは、直接的な容貌以外の、(、)不可視の、精神(、、)の容貌(、、、)なるものを彼が自明に措定していることにある。眞幸が真に望むものは、肉体の外的効果でなくして精神の容貌の顕現ではあるまいか?(、)
 エナメルバッグ一式が届くまで、新入生は幾代前のものとも知れぬお下がりの淳素(じゅんそ)な練習着を、仕(し)着(き)せの割烹着のように着せられた。背中には點長(てんなが)に書かれた他人の苗字が踊り、上から「尾瀬」と大書した布地(きれじ)でこれを被(おお)った。校内一周をさせられる合間に、このお仕着せに運動靴と云う初々しい扮(いで)装(たち)で、バッティング練習の球拾いに加わることが出来た。
 やがて京都大学に入るべき三年生の遊撃手は、端(はな)からその座を二年のWに明け渡していた。厳(いか)めしいのは矢張り眉だけで、この長身の美男は聊(いささ)か傲慢さの不足が著しかったが、そこへとび(、、)職のような身軽さで、サイドステップを軽快に刻む眞幸が現れると、(、)もう少し胸を張ったらどうかと肩を叩きたくなるような八の字を寄せて、恁(こ)う云った。
「いやあ、これじゃ総体で乃公(おれ)、ベンチに入れるかどうかも怪しくなって来たぞ」
 真に迫った表情と、牽制的な謙遜を肯(あえ)て示さない嗜みは、有理(げに)も紳士の亀鑑(かがみ)であった。
 眞幸は傲慢であったか?否(いや)、「有力候補」などと云う身に付かない衣装を着せられて以来、彼は益(ます)〻(ます)あの取り付く島のない勤勉の傲慢(、、、、、)に―――人一倍自分を窘(たしな)めた者だけが大きな顔をすることが出来ると云うあの偽(ぎ)ストア的な論理の中に閉じ籠った。ここには過度の喝采(やんや)が―――人を虚仮(こけ)にしたような耳障りな承認があり、他人の評価の上になが〳〵と身を横たえることを能(よ)うせぬ彼は、兵頭の猫撫で声を肚裡(はらのうち)に嘲笑った。我(わ)がでに評価を下す前(さき)から、他人がまるで見当はずれな角度から彼の進路を塞ぐ招牌(かんばん)のような評価を打ち樹(た)てることほど業腹(ごうはら)な事はない。彼の心に抱ける画中の、妖精的な背景と荘厳(しょうごん)された英姿(えいし)から彼は余りに遠かった。彼は人定(ゐなか)の夜道の如き禁欲的な迂路(うろ)を辿って、野球に於ける自己実現を人知れず(、、、、)果たしたかったのだ。
 勤勉の傲慢(、、、、、)は、人と容易く打ち解けることを困難にした。上級生が心ありげに歡(かん)を交(まじ)えんと努めても、眞幸は容易に言葉の膝を崩さなかった。不自然なまでに謙抑(けんよく)で、それだけに傲慢であった。
 眞幸は夏の総体で背番号一七番を一着(いっちゃく)してベンチ入りした。出場機会は是なく、チームは四回戦出場と廿年ぶりの快挙にスタンドの応援席は湧いたが、刈谷球場で五回コールドの大敗を喫(きっ)した。C大付属C高は今夏の準優勝校であった。
 
 擒縦(きんしょう)ならざるない眞幸は、学業面では恐ろしく不手際であった。挙国一致の点取(てんとり)合戦(がっせん)が烏滸(おこ)がましさに、さまで嫌いでもない一連の作業が渋滞した―――彼は意味(、、)と云う事を考え始めていた。(、)無意味と云うことに対するほとんど生理的な嫌悪が芽生えていた。彼は夙(はや)くも物質量(モル)が理解できなかった。何故理解できないのかすら解らない。(、)こう云う場合がある。振り返って見れば手もなく理解できることを、まるきり頭の方で理解しようとしない(、、、、、、、、、、、、、)時がある。
 退屈な暗記作業の引立役(ひきたてやく)としてのノート作りが、今や骨ばかりなる内部の空虚(うつろ)を露(あら)わにしていた。中学時代、ノートは内申点を褰裳(けんしょう)するのに有効な手段であったが、今更内申を兎(と)や角(かく)云っても始まらない。脚跟下(きゃくこんか)に奔注(ほんちゅう)する厖大な無意味に、彼は船暈(ふねえい)を催した。(、)
 全く奇妙な話だが、眞幸はいずれ文筆と云う事に自分の特性を見出してゆくのだが、(、)野球に取り組んでいる間、彼が最も苦手としていたのは現代文ならびに古典であった。(、)眞幸とその前席のIが国語の授業で執拗に立たされる光景は、すでに見慣れたものとなりつつあった。
 口頭英語(オーラルコミュニケーション)の業後、(、)出席番号の一等若いこの二人が職員室に教材を持ちに来るよう命じられていたが、(、)二人揃って綺麗にこれを忘れていた。「完璧主義者」を以て自ら任ずるこの、(、)教頭風に生え揃った白雲(しらくも)天窓(あたま)の額(こう)際(ぎわ)と巖乘(がんじょう)な下顎の持主は、後日、職員室で誰(たれ)憚(はばか)らぬ銅鑼声(どらごえ)を張り上げた。と云うのも、彼等が吩咐(いいつけ)を守らなかったからではない。それをまるで、言葉の裡に匕首(あいくち)でも呑ませたような口強(くちごわ)さで窘めていると、眞幸が口腔(こうこう)を舌尖で小突き回して頬を交互に凸(とが)らせていたからである。
 眞幸の心算(つもり)では、この男の積聚(しゃくじゅ)を真に受けまいと斯うして緊張を解(ほぐ)していた訳だが、裏目に出たのだ。「おい!」と叫んだ時の慍色(うんしょく)はまことに怒髪(どはつ)冠(かん)を衝(つ)いた。
「何だ貴様のその態度は、怪(け)しからん!そこに直れ」
 怒りは、咄嗟に方角をつけかねると恁(こ)うも古風な芝居(しばい)気(け)に形式を求めたがるものだ。Iだけ先に無(ぶ)沙汰(さた)で釈放された。眞幸はいよ〳〵気を腐らせた……この教師が一体何に就て完璧指向なのか更(さら)に解らない。眞幸はこの教師が断りもなく過去分詞を「p.p」と略して板書するので固(もと)より嫌いだった。

 凡(あら)ゆる矛盾撞着を容(い)れる青春時代に、少年の純潔は、すべての美徳をこの単身(みひとつ)に体現せねばなるまいと焦った。(、)一方で世擦(よず)れない柔(にき)膚(はだ)を持つ彼は、撓(しの)に揺曳(たゆた)ふ自分の影のさらでだに定めなきを、虚空(こくう)を摑む切(せつ)なさで守ろうとした。この頃の少年にとって自己の本姿(ほんし)は、築(つ)き上げた傍から崩れ去る砂の城のようなもので、つねに憧れ(、、)と云う形をとり、無限の彼方の将来かかべい(、、、、)己(おの)が雄姿(ゆうし)に絶えず委ねられていた。だから、告白(、、)とはこの場合、彼にとって最も忌まわしい慣習ではあるまいか。今にも潰(つい)え去りそうな自己の権衡(けんこう)の秘密を、その急所の在処(ありか)を、我から仇敵(かたき)に告げ知らせるとは。
 弱味を見せまいと云う隔心(かくしん)が、家族だからとて取り除かれるとは限らない。家庭は、学校での孤立を慰めるどころかその孤独を深めた。夕食の折にも、眞幸は学校生活に就(つい)て多辯を須(もち)ゐなかった。薬(くす)子(こ)と彌(よ)一(いち)がふざけ合う歓声がその場を占めた。とは云え、倩(うつく)しい姉を差し措いて、この家族の実質的な重心が長子の緘黙(かんもく)の禁欲的な重さにあることを、本人以外は一同に認めた。殊に両親は、遺伝的に与(あずか)らない眞幸の出来の良さに対する遠慮から、その点は放任しきっていた。
 勤勉の奢り(、、、、、)ほど爲(な)す有(あ)る多きものはない。人目を意識した身振りは、努力とは別の緊張を強いられるとは云え、行為の初一念(、、、、、、)に貫かれてはいない。動(と)もすると装いは行為に先立ち、行為が装いの中に埋もれて了(しま)う。無人の境(さかい)に踏み出した自律的な初一歩だけを彼は聖別した。部活動の練習は虚部で帰宅後の自主練習こそは生活の実部だった。だから彼は碌(ろく)すっぽ自室に居付かない―――怪(け)しみすらくは、野球の下積(したづ)みに獨り(、、)励む分には彼が(最早野球ではない)野球を愉しんでいたと云うことだ。
 こんな孤高さが団体競技で重宝(ちょうほう)な働きをするとは考え難い。眞幸は結局、相互理解の死角(、、、、、、、)を人が好んで欺かれつつ拡充するところの際疾(きわど)い夢に、欺されるためには自己批判に富み過ぎてゐた。
 一年生の間柄が妙にぎくしゃくしていると感じたのも、眞幸の錯覚だったかも知れない。(、)彼が自他の間に不和を予感するのは一定(きまって)こう云う道筋を辿(たど)る。孤高さに対して仮借(かしゃく)ない内(うち)なる声が、そこに居合わせた人物の非難がましい渋面(しかめつら)と符節(ふせつ)を合せる偶然の効果で、部員との不和と云う妄想を由(よし)ありげなものに思わせた。(、)
 気難しい同僚との折衝(たてひき)には、気さくな有志が世話役を名乗り出るものだ。同級のSがこの端役(はやく)をそれと無(な)けなくに買って出た。Sは眞幸の身長を頭一つ分つづめたほどの侏儒(こびと)であったが、それを苦にせず、HR(ホームルーム)でペアも真面(まとも)に作れない彼の手を忠實(まめ)に曳いてやることで何か人格的優越に似たものを示していた。眞幸はこの老婆心が単に噪聒(うるさ)かった。
 部員との不和の妄想が一層(ひとしお)眞幸に近寄りがたい不穏な影を添えたので、放課後練習のキャッチボールでもこのSの慈悲心に縋(すが)らねばならなかった。顧問の見ていないところでは飜(ひるがえ)って饒舌になるSは隣の部員との話に夢中で、中絶(なかだえ)がした投球動作をまた一から繰り返して、肝心のボールを寄越さなかった。痺(しび)れを切らした眞幸は、塁間よりやや遠い距離を山なりに星馳(せいち)するボールがグラブに収まるより早く、箭(や)のごとき燕返しを啖(く)らわせた。矢(や)壺(つぼ)違(たが)えず、胸許(むなもと)にのめり込んで来るボールが音高くSのグラブを打擲(ちょうちゃく)した。それからお道化(どけ)たようにグラブを脱(だっ)して、
「痛ッてえ」と最惜(いとを)しげに左手を勦(いたわ)ったが、眞幸の意図は最後まで伝わらなかった。

 秋の新人戦で、眞幸は三遊間を抜くライナー性の当(あ)たりと右前安打をすまに(、、、)量産した。出塁するや次の一投でまず確実に盗塁(スチール)を仕掛けたが、バッテリーはいつかなこれを刺す(、、)由なかった。だが彼の八(はち)面六臂(めんろっぴ)も是(ここ)に於いて乎(か)、桑楡(そうゆ)且(まさ)に薄(せま)らむとした。即自的なるものだけが美しいと云う公理の網をいかな意識家も免れない。(、)
 こんな目覚ましい活躍も、一番打者の彼の出塁がいつも死(し)塁(るい)に終わるように、試合の進行とは関係のないところで潛躍(せんやく)する感がある。左右(とこう)する間(うち)にも二遊間連携で危うい場面がある。ピッチャーゴロが転がると重殺(ダブルプレー)をしに入った二人が二塁上で激突しかかるかと思えば、盗塁を刺しに抛(ほう)ったボールが空(むな)しくベースを掠めて、はるか後方で、二人ともカバーに廻っていたりする。加之(おまけに)、眞幸の打球処理はベンチからすると余り危(あぶ)なげないとは言えない。この頃ではいかなる打球に対しても捕球と送球を一度(いちど)きのステップで完了させると云う無謀を、試合中でも果敢に試みていた。この進取(しんしゅ)が兵頭の不興を買っていた。(、)
 予選リーグの三(み)つ巴(どもえ)で当たり籤を引いたJ高は海陽学園と三谷(みや)水産に大勝した。眞幸はこの勝負の見えた出来試合でこそ出場機会を得たが、夏の総体で一度も正(せい)遊撃手を譲らなかった二年のWの座は有繫(さすが)に簒奪(さんだつ)し兼ねた。主将のKが腰椎(ようつい)分離症を患(わずら)っている今、副主将のWは司令塔でもあった。いくら有用でも遊撃手としてまるで牽引(けんいん)力に欠ける眞幸を起用し続けるのはチームの基底を揺るがすことに等しい。そこで兵頭は眞幸に三塁手への転向を慫慂(しょうよう)した。眞幸は一応これに順(したが)ったが怏々(おうおう)として愉しまぬ色が歴然(ありあり)としていた。
 眞幸が飽く迄遊撃手に固執する理由を聞けば、誰もが噴飯(ふきだ)さずには措くまい。三塁の守備についた彼は何度かWの方にかゝらわし(、、、、、)げな視線を送ったが、だからとて遊撃手を務めている時の彼はそれを愉しむどころか大いに負担に思っているらしい。眞幸の目的論はここでも黙(もだ)ありかつましじき過誤を犯している。それは啻(ただ)に遊撃手が最も人事(じんじ)に纏綿(てんめん)し、打球処理でも、謎めいた間合いを打球との間に強いられる点で就中(なかんずく)難しかったからだ。三塁手の動きは十字方向であり、直線的で、グラブ捌(さば)きと打球に駆け付けることとが殊(しゅ)路(ろ)を分(わ)かっている。二塁手は最もグラブが小さいと云われるほど万事齧(げっ)歯(し)的で、蟹(かい)行(こう)運動が多く、送球の距離が著しく短い―――こんな嗜好が彼を遊撃手に拘泥(こうでい)させていた訳だが、遊撃手の管制(かんせい)的機能だけが周到に脱落せられていた。彼はまことに優雅な打球処理にばかり熱中して陣容(じんよう)を見渡すことなど眼中になく、かと云って「尾瀬、声が小さいぞ」と云われるのは業腹だった。だが、彼の勤勉の傲慢が「声を出さない遊撃手」などと云う異端児の出来(しゅったい)を許し、ひとしきり四(あた)邊(り)を拂(はら)ったのだった。
 或る日、兵頭は眞幸をバックネット裏に呼び出して、Wと眞幸との優劣について論じた。(、)
「Wはどの打球に対しても同じような捕球体勢に入ってくれるから見ていて安心するけども、(、)君の場
合、どの打球に対してもまるで異(ちが)ったアプローチを試みている(、、、、、)ようで、見ているこっちは気が氣じゃないんだ」(、)
 表面(おもてむき)従順そうに首肯いてみたところで、終に肚裏(とり)には峻拒した。詰まり、彼の目的論とは攻守にわたる創意(そうい)の試行錯誤であったから、同じ動作の反覆が嘉(よみ)されると云うのは早くも理解の外(ほか)である。

 蓋(けだ)し野球とは何だろうか。それは何かを産む事なのだろうか。それとも絶えず自分に何かを証しようとする身振りの謂(いい)なのだろうか。なぜ野球をせねばならないかを考えるより前(さき)に眞幸は野球を自分の義務にした。この場合野球が、彼の独創的な思考の突(つ)ッ支(かい)棒の役割を果たした。野球をしている限り、彼は考える義務(、、、、、)を感じなかった。
 遮莫(さもあれ)、その時がやって来た。
 蒲郡球場で行なわれた対S学園戦、眞幸は一番遊撃(ショート)で先発出場した。この秋らしい朝暾(あさひ)の到らぬ隈ぞなき光のもとに、思考を白濁させる蛋白(たんぱく)ようのものが眞幸の頭に投ぜられた。
 試合前のシートノックで、(、)一二塁間の重殺は人手が不足がちになるところから、三遊間の選手が自分の番を終えた順に応援に加わる。眞幸がマウンド脇(わき)を擦り抜けた打球をそのままグラブ・トスすると、折(をり)から二塁手が暴投を拾いに出払っていたため、彼が代わりに遊撃の送球を一塁に転送した。彼はまことに蓮の葉を傳(つた)ふ神秘的な足取りで二塁に近づき、ボールを受けると、さそくに持ち替え、忘るゝばかりに彎(ひきしぼ)った。丁(てう)ど放った萬弩(ばんど)の球は狙い過(あやま)たず―――鍵(かぎ)の手(て)に差し出た彼の右肩から放たれる送球は正確且つ球威(きゅうい)に富んだ―――一塁手の頭部を横樣(よこさま)にしたたか打(ぶ)ち抜(ぬ)いた。何か不吉な落果(らっか)のような鈍い音に続いて、聾(ろう)するばかりの沈黙が諸人の顔色(がんしょく)無からしめた。一塁上には次にノックを受ける選手が詰(つ)め、転送はその後方に控えている選手にやんわりと投げてよこせば、(、)それで事足りたのだ。眞幸は振り返りもせで抛(ほう)った。然も相手は、転向した眞幸に降格を強いられた三塁手の二年生である。眞幸は平(ひら)蜘(ぐ)蛛(も)になって謝った。幸い命に別状はなかった雖(けれど)も、彼は危うく人命を殺(あや)め損ねた。(、)
 一打席目のセーフティーバントが凡打(ぼんだ)に終わり、二打席目では、気が付くと間の抜けたファウルフライが一塁手の略(ほぼ)定位置にふらッと上がっていた。彼の凝(こ)りに凝ったバッティングフォーム、一分の隙も無い軍立(いくさだ)ち、真面目腐ったその獅噛面(しがみづら)に対するこんな自己冒瀆(ぼうとく)に等しいものを、あの抜けるような旻天(びんてん)に恥赫(はじかが)やかしくも打ち上げた。彼は守備で挽回(ばんかい)する必要を感じた。三遊間を飛び込んで思うさま胸の校章を汚(けが)さねばなるまい。
 だが竟(つい)に挽回の機会は与えられなかった。四回裏にしてWが倉卒(そうそつ)と肩を温め始める姿がベンチ前に見られた。かかる場合、勤勉の傲慢(、、、、、)ほど無力なものはあるまい。何しろ、試合中真面目にならない者などいないから「声を出さない遊撃手」と云う僭主(せんしゅ)の王笏(おうしゃく)は、今や勤勉と云う根拠を失って存亡の危機に瀕した。こんな大外(だいそ)れた機構は幾(ほとほ)ど彼の膂力(りょりょく)に余り、あの不毛な呼びかけを「バッター打って来おい」と云う悲痛な叫喚(きょうかん)を心ならずも張り上げた。
 その四回裏、一死満塁で、内野手の誰もが本塁重殺に意識を聚(あつ)めている場面で、僥倖可(さいはひよ)しと相手が凡打した。打球は、ベース手前の踏み固められた土に弾(はず)んで高々と舞い上がり、やがて弧(こ)を描いて眞幸の頭上に落ちかかろうとした。占めた、と味方は拳(こぶし)を握る―――しかしこの決定的な瞬間、打球を見上げた眞幸の頭脳に、行動に先立つ思考の蛋白(恐らくは悔恨の)が、みる〳〵すうと滲(にじ)んだ。身体はあの自在の力を失ってその場に立ち竦(すく)み、あろうことか、彼はこの変哲もないイージーゴロ(、、)をバ(、)
ン(、)ザイ(、、)して、挙句後ろ向きにぶッ倒れた……

 それからの眞幸の転落は駟郤(しげき)と云うも疎かだった。悔恨は唯(と)ばかりの間、茜(あかね)ざした雨間(あめま)の光芒(こうぼう)のように眞幸の心と身体とを抜きがたい一本の芯(しん)で刺し貫いた。うつつなの意識家は然し、来(きた)る感情凡てを掌握する欲求に駆られずとも、ふいに音信(おとず)れた一陣風(ひとはやて)のようなこの反省には忠実であろうとした。「声を出さない遊撃手」は間もなく廃業になる。(、)今では三枚目の媚態とはまた別のおべっかをチームメイトに対して使うようになったが、彼の目的論が来(き)たした矛盾は持ち主の自壊を招かでは措かなかった。
 二学期が始まる。野球と云う彼の傲慢の根拠が潰(つい)えたからには、学業面でも、延いてはクラスメイトに対しても悔悟のよそおいを刷(かいつくろ)わねばならない。彼の面伏(おもぶせ)せな成績不振はそれなくしては教室に居た堪れないほど豪的(ごうてき)だと云う事に、彼は今更想(おも)い到(いた)った。この方では、懺悔僧のおべっか(、、、、、、、、)を振り撒(ま)くことさえ、その孤絶(こぜつ)ぶりゆえ遅きに失した。
 目前に控えた文化祭と体育祭の准備(じゅんび)のために彼等が示した恊心(きょうしん)は、眞幸に隔世(かくせい)の感を抱かせた。夏休み明けだと云うのに、全員が排他的な交渉を互いに持ち合ったような顔附をして、秘密を囁(ささや)かない目注(めくば)せはなく、とある秘密は焚染(たきし)めた留南奇(とめき)のように袖の煽(あお)りにはッと薫(かお)った。眞幸は未だその半分も顔と名前が一致しない。睽離(きり)扞格(かんかく)と思われた二組でさえ巧(こう)者(しゃ)に折れ合って、全体としては有機的に議事は滞(とどこお)りなく進行した。眞幸に附け入る隙を与えない。
 眞幸の目的論に比べれば不純も甚だしい学校の錯綜(さくそう)した論理は、新たな無意味を眞幸に強いた。体育祭の占(しめ)括(くく)りに催される「ファイアストーム」は野球部の放課後練習にまで侵犯した。腰を患っている野球部主将は意気揚々とこの行事には参加した。彼が幹事長だったからである。(、)多少難解な寮歌風の何曲かを一年生は意味も解らずに熱唱させられた。熱唱とは言い条、聲(こゑ)の嗄(か)るがに叫ばされた。これに何くれと難癖をつけて二年生が面罵(めんば)するのである。眞幸は度重なる無意味のその上に、こんなやくざな歌詞を覚えることを頭から拒絶し、果然(かぜん)、唾液(つばき)を玉と沐浴(ゆあみ)せられる熱罵に値(あ)うこと數次(すうじ)に及んだ。これはかの「声を出さない遊撃手」に対する隠微(いんび)な冷嘲と聞けなくもない。さて、詼笑(かいしょう)に付してやるべき当てがなかった彼は例によってこれを深刻に受け取った。
 間もなく彼の不登校が固定した。
 考えても見給え。OC教師の癇癪(かんしゃく)にさえたじ〳〵となる彼ではないか。無念ささこそと思ふべし。

彼岸の光(2)

彼岸の光(2)

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 成人向け
  • 強い言語・思想的表現
更新日
登録日 2019-06-12

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