彼岸の光(1)

尾川喜三太 作

第一章 類稀なる横道の逸れ方

 青春が固定観念となって以来、尾瀬(をぜ)眞(み)幸(ゆき)にとってそれは久しく重荷でしかなかった。動(と)もすれば青春と云ふ所與の典型を忠實になぞる時、人ははじめて若さと云ふ名の荷厄介な責(せめ)を塞ぐ事が出来るのかも知れない。模倣の精妙を競ふ事でしか、己が獨創を恃(たの)めない人には人生の無意味さと折れ合ふ事が出来ない。眞幸の固定観念には、そこで、人より少し斗り青春に與(あずか)るための資格条項が多かつた。渠は自分が、生得(うまれつき)青春の異邦人(とつくにひと)だと云ふ自意識に蝕まれて来たが、その本統の理由は、渠の精神に含まれてゐる反省の過剰にあった。地體、青春の花圃(はなぞの)に入場審査なぞありはしない。ただ無自覺と云ふ事だけが汎用性であり、貴(あて)も賤しきも別なく與る四通八達の公園である。してその青春に反省を持ち込んだ時點で、渠は可惜(あたら)や若さの精華を、未だ自分の美しさ醜さの意識に煩わされない微醺に彩られた野莖(のばな)の酩酊を看〻(みすみす)散じて了ふのだつた。
 平成二十二年春、眞幸はT市内の中学を卒(お)えた。この中間規定、中学から高校へと云ふ樣式的な變化の無さが渠には躓礙(つまずき)の石だつた。と云ふのも、中学が高校進学を宗(むね)とするのに対して、高校が又候大學進學を體するのが渠には鶍の嘴のやうで、奇妙なことには、曽祖の代から教育家の血筋たる尾瀬(おぜ)家の長男でありながら、父母相與(ふぼあいとも)に嘗て自分が夢見たものを次代で實らせやうと云ふあの善し悪しな親心を間もなく引ッ込めて了つたためでもある。これにはT市内随一(ずいいち)のJ高校出を吹聴して已まない伯母の影響は忽(ゆるが)せに出来ない。眞幸は目下伯母のその折に触れて古い事を持ち出す徒長(とちょう)した隆準(りゅうじゅん)を圧し折ってやることしか頭になかったが、御蔭(おかげ)でJ高校入学は専ら渠の終着点でその先の展望は弗(ふッ)つと途切れていた。あるほどのものは、野球で活躍したいと云ふ執念だけが渠にあつた。とは言へ、渠の生命原理も啻(ただ)ならざるこの潜在意識は、寔(まこと)に皮肉な形でその全容(ぜんよう)を顕わすことになった。
 当節は謂わば個人主義の氾濫の時代である。少年時代を親の庭訓(ていきん)に雁字搦めにされて育った子が軈て放任主義の親となるように、竹刀片手に孝順々々と蒙求(もうぎゅう)を囀る道学先生が絶滅してからは、免疫のない良心に無言の信を置くことが今時粋(いき)だとされている。至上命令をそれと明言しない時代精神の奥床しさ、ところがこの微温的な個人主義が氾濫とされる所以(ゆえん)は、明言を避け続けて恰も万人通底のヒューマニズム精神がひとつに合していささ小川(おがわ)をなしているとと云ふ空想に耽つた末、不文律それ自体が道徳律と摩(す)り替(かわ)ると云う顚倒を招いた点にある。端から眞幸は、自分の生まれた時代の無為曠日(むいこうじつ)に對する影護(うしろめた)さから、近所にある戦没者霊苑の苔の下から漏れるらしい呻(うめ)き声に絶えず魘されているような感覚を抱いていた。(これが渠の倫理的厳粛の幼立(おさなだ)ちである)劣等感の強い人種は動(と)もすると自分を取巻く人間関係は疎(おろ)か、自分の時代に対してさえ劣等感を抱くものだろうか?―――延いては渠の古典主義、明治大正期に向けての闇雲(やみくも)な傾倒と嫉妬を惹き出した。眞幸の容貌と感情の発露の仕方とは『日本男児』風とのお墨付きを、何と挨拶せん方ない時(アナ)代(クロ)錯(ニス)誤(ム)な形容を屢〻忝(かたじけな)うした。
 これには一つの挿話(そうわ)がある。
 眞幸が小学校高学年の時分には週に一度、下校前のSR(ショートルーム)で一週間の生活態度を振り返る機会があつた。これは形式の上の因習であって、爰(ここ)を先途(せんど)と個性を發揮させよう抔と云ふ吝嗇家(りんしょくか)は左(そ)う澤山(たんと)はゐまいが、図らずも眞幸はそれであった。彼の自己評価だけが桁外れに、無反省の自己愛が爲せる包(つつ)ましやかな虚栄を裏切って、露骨に低いのが見咎(みとが)められたのだ。この種の謙虚の不自然さは向後(きょうご)渠の対人交渉に紛擾(ふんじょう)をしか齎さなかった。
 教卓のところで立身(たちみ)でこれを受け取った産休明けの音楽教諭は「眞幸君、これぢゃ餘り自分に緊(きび)し過ぎるのぢゃない?」と、丸みは以前に十倍した辭色(じしょく)で窘(たしな)めるやうに云った。ところがそれこそ矢(や)壺(つぼ)に違はぬ婉曲な賛辞ではあるまいかと眞幸は自問した。終始渠は渋面作(じゅうめんつく)って「いえ、それで間違いありません」と立て通したは扨可(よ)いが、恁(こ)うなる事が解ってゐて尚甘やかす方向に偽ることの出来ない自分、そんな自分のいぢらしさにさてもと眉を攢(あつ)める對手の顔が満更厭でもない自分を、至極妟如(あんじょ)と流眄(しりめ)にかけてゐた。恰是(あたかも)周囲は小学生らしい奥行きのなさと隔意(かくい)のなさから、それが男性的な自己批判に富んだ自我の早熟な目覚めと早(はや)飲込(のみこ)みして、黄なる嘖々(さくさく)の聲を惜しまなかった。只(と)こゝで自己欺瞞が透いて見える程の嘘を吐いたと思った渠―――一体韜晦(とうかい)の愉悦とも縁のない彼は、後頭部に出来た瘤(しいね)の如く隠し果せてゐるのは自分にだけで、其餘(そのよ)は夙(つと)に知つてゐるのではないかと考える傾きだった―――渋面作っているのがつまり、不腆(ふてん)に堪えない真摯な表情なのか、羞恥に顔を赧らめているのか彼是(かれこれ)見分けが付かなくなっていた。日来(ひごろ)彼は自罰的である事にのみ――これが一番早手回しだ――自ら恃む頼母(たのも)しさをかけて、我と我が身を土足に懸けてやる時にだけ、自身との対面を果たした。英雄性に数(かぞ)えられるのはそれだけだと、この頃既に気付いていた。
 かくして今世紀の倫理的要請(ようせい)はただこの『無反省の良心』だけで、それを一歩でも先に進めると轉(うた)た顰蹙を買う形勢である。この倫理的示唆の空白に加えて―――とは言え国体(こくたい)や国教などと云うものに従うほど眞幸に遵奉(じゅんぽう)精神は望めないが―――中間規定にいる中学生の彼は独自の格率を打ち樹(た)てるだけの権能がないと考えていた。これは一見経験不足の謙虚を装っているが、実は原因と結果の顚倒(てんとう)ではなからうか?本統(ほんたう)はただ委縮しただけのモラトリアムを積極的なそれに偽装するのに謙虚と云う擬態(ぎたい)が便宜だったことの結果に過ぎないのではないか?
 孰れにせよ、一般より異(け)に自己分裂の餘蘖(よげつ)が餘計彼に芽含(めぐ)んでいた事は争われまい。青春を月並に謳歌(おうか)するための必要条件とは、即自的である事、詰まり愛し方も即自的であるからだが、その爲には彼の反省は多すぎた。対して反省が歃(すす)る秘かな表液(うわじる)は、内的克己と云う名を冠した或種の蠹毒(とどく)たるを免れない。反省の私生児たる自嘲や自虐がその云ふところを全うしてゐる道理(いわれ)はない。素より反省が外側に向けられた時点で反省とは名許りなのだが、對手の前に身を謙(へりくだ)らうと云ふ眞摯な意識はかゝる術數(てだて)に訴えたりはしない。反省の目的が飽くなき否定ではなく、専ら自己保存のために須ゐられるなら、自嘲は同時に自己称揚(しょうよう)であるし、逆説的に自己解剖の明察を誇ることとなる一方、自分が口にした呪詛(じゅそ)をそっくりそのまゝ他人の口から云われることに我慢ならないところからしても、それと察せられる。反省に堪え得る人間など本来存在しない。反省はその身を滅ぼすまで消えも得(え)やらぬ柴火(さいか)であるから―――とは云え、反省が既成の審美観を下敷(したじき)するものだとすれば、自己分裂は慾望と意志=行為の背馳(はいち)と云う形で顕われる。渠にとって慾望は累卵(るいらん)の危うきにも似た實存歴程を退歩せしめるものとして常に撥置(はつち)されべきものだった。欲望は常に爛熟した果実の甘酸っぱさ、自瀆のあの溷濁(こんだく)した臭いとで彼に報いた。
 才能こそ、いづれ天才の域に達しなかった雖(けれど)も、旧来の自己を手強(てごわ)く擯斥する事にかけて彼は却々目を瞠るものがあった。精神に適量の苦楚(くそ)を滴らして、自尊心と自己放棄との権衡を図るあのマズロー的処方からこれ以上遠いものは無かろう。これをば才能と謂わば謂え、幸福のために裨益(ひえき)するかは定かではない―――と云うより、正(しょう)のところ彼は幸福と云うものを憎んですらゐたのではないか?絶頂と同時に落ち目でもある幸福にとつて、その何か横樣(よこさま)なる一回(いっかい)性の恍惚状態を味わったが最後、本来宇宙に准擬(たぐ)へつべき人生の広袤(こうぼう)が頭打ちに劃定されて了ふと云ふ意味で―――何となれば彼はただ自分でないものだけに実在―――否定的有を見出すからだ。蓋(けだ)し自分でないものでありさえすれば、何でもよかった。彼は欲する、無論自分に調服されないもので彌(いや)遠(とお)長(なが)に離れてをればをるだけ徼幸(ぎょうこう)の度は高まるが、扨それが手に入ってみるや、夢見る事のあの放恣な、独創の果てしない法悦だけが酒精である彼にとって、所有は何等有德(うとく)な実感を齎さなかった―――その時疾く生は弛緩してゐる。眞幸は所有する事にかけて考えられる限り才能がなかった。(、)所有の形式が有限的に永遠である點で渠はこれを憎んだ。然し今後の渠の問題提起、感情の刹那性(、、、、、、)は他ならぬ所有を目指してやまないと云うのに、渠の意識しないところでこれを拒み、気が付けば宛然(さながら)手放してゐると云うのは一体どうしたことだらう?凡ての掌握を索(もと)めるまさにその時、彼は盲滅法(めくらめっぽう)に物を手放したがった。人間関係に於いてその撞着(どうちゃく)のほどは顕著(あらは)だった。
 或いは手に入れたものは、何等感覚に愬えない羅綾(うすもの)と化して彼の躰に親炙するため、それに纏わる来歴や彼の経営惨憺、嘗て渇望した度合などは純然たる過去へと居を徙(うつ)し、日記を読み返す時にだけ辛うじて往時の自分の至らなさに微笑(みしょう)を誘われ、進捗具合が確認されるにとどまったのではないか。(、)
 彼はいっかな喪失だけを求めている―――延(ひ)いては自己自身を、そして絶えず過去の自分との間を執成さうとする所得(ところえ)顔(かお)の記念(かたみ)とを悉く鬼籍(なきかず)に加えようとしているかのやうだ。して見れば、所有は彼の飛躍を―――然も黄泉(あのよ)へ向かってなされる乾坤(けんこん)一擲(いってき)の飛翔を妨げるだけの重荷だった。彼は彼岸を希求する、が、當のものがこの手に落ちる瞬間は想像の外で、此(し)岸(がん)からずッと眺め暮らしていたいだけなのかも知れない。癒える事のない渇き、その苦衷(くちゅう)も然ることながら、彼の悲願とは最早彼岸に至ると云うその事よりも、來(き)かつましじき無限の彼方に、ただ烈しく憧れていたいだけなのかも知れない。只顧(ひたすら)思いを馳せた擧句命を燃やし尽して了う自分の姿を思う事に言(い)おうようない快感を覚えるのだった。

 就中(なかでも)卒業後の春休みは義務教育時代の特異点だ。変転(へんてん)常(つね)ない人間関係の中に席を確保することが緊要な学級制度は、人気者の 地位を盤石たらしめ、日陰者から表現の自由を褫(うば)つた。眞幸はその三年年(とし)經(へ)たしがらみから身を捥(も)ぎ放す一瞬を片設(かたま)けていた。三月八日の卒業式、皆なが顔を見納めに去(い)に難(がて)に名残を惜しみ合うあの一種陶酔に隈取られた盛装の群衆(ぐんじゅ)の中から、惜し気もなく身(み)を抽(ぬ)いた、清々したような宮出後振(みやでしりぶり)は追い縋る級友たちを唖然たらしめた。雲居(くもい)に見える遠山の稜線を一心に見戌っているかのような、遠い眼をしたこの少年の横顔は、『最早(もう)会うこともあるまい』と云う訣別の意志を雄辯に物語っていた。だがこのすげない爲方(しかた)に傷つけられるためには、渠のこの種の無情(つれな)さに慣らされていた級友は、驚かなかった。例の、市内の高校に通う以上どうせまた会うだろうと―――牢固(ろうこ)として築(つ)かれた城壁はばらばらに解体され、また新たに組み上げられる。その瞬間だけ彼は自分に對する成心(せいしん)を去って自分を夢見ることさえ出来た。だが再構成された自分の瓦礫が前より低い位置を得る事は往々(まま)あるものだ。

 十二日の試験を終えるが疾(はや)いか、太々しくも眞幸は野球の自主鍛錬を再開した。受験から解放されて些(ち)と浮かれ調子に練り出している学生服姿の一群(ひとむれ)を掠めて、ジャージ姿で走り去ってゆく自分の誇張された沈着さに彼は意地の悪い喜びを覚(おぼ)えた。
 彼はその足でいきなり石巻山の山道を登った。翌朝(あくるあさ)、張り切って今度は引佐(いなさ)峠を往復しよう心算(つもり)で寝に就いた彼は、久闊(ひさしぶり)の重労働のため劇しい筋肉痛で全身が軋(きし)んだ。胸は火のように赫(くわッ)として熱く、肺腑は肋骨を破りさうな気配で、微恙(びよう)さえ催した。眞幸は今更自分が春が嫌いな事を思い出した。杉の花粉の飛翔につれて意識を朦朧と霾(つちふ)らせるこの無性にむず痒い季節は、中間規定と云う境界の曖昧さを俟つて、この意識家の夢遊病的危機を彌が上に募らせた。
 彼は持久走が得意だった。が、彼にはこれが不満だった。元来渠は長距離走選手の體格をしてゐない。通例持久力と瞬発力とは人(ひと)一人(ひとり)の中に同居するものではない。凡そ瞬発力に富む者は外的効果の絢爛さのために持久力を名誉ある犠牲に供した。第一、野球をする上でこんな豊かさの欠片(かけら)もない我慢比べほど無用の長物は無い―――若い獅子と雌豹が今を春邊(はるべ)と戯けを尽くす乱舞の背後で、裏方に徹するためだけにあるようなこれら澁太さを眞幸は甚だ蔑(なみ)していたが、『忍耐力』と『克己の力』さえ人後に落ちると知れれば自分に浮かぶ瀬は―――起死回生の逆転劇はあるまい間(から)に、言うに言われぬアンビバレンツを抱(いだ)いていた。
 眞幸は賾(おぎ)ろなく肉体の外的効果を讃美した。故(かれ)、自分を青春から締め出すところの知的偏倚(へんい)を疎んでいた。渠は学業の方はよく出来た。が、彼にはこれが肉体の躍動感の不在が穿つた凹所(おうしょ)の瀦溜(みずたまり)くらいにしか思はれない。自分はスポーツが出来ないから代わりに頭が発達したに過ぎない、と―――極端な文人蔑視は余計肉体派への傾倒を募らせた。寧(いッ)そ無くてしがなに思う本心がこの夢遊病者の無意識を裏から操っていたことが孰(いず)れ知れよう。本統は高校の勉強が追い付かないと云う窮境を裏から彼自身が演出して、これを手放させると云う識閾下の謀叛があったとしても今日日(きょうび)怪しむに足りない。

 眞幸の父浩作(こうさく)には十有余(あまり)齡(とし)の離れた姉がいる。県立大学教育学部長を務めた祖父の先妻の子で、十三歳の時この母に死後れてから後釜(あとがま)に据わった浩作の母、後に異例の若さで教育委員会に推挙され、屋敷方(やしきがた)の女傑(じょけつ)と称(うた)われた義母には、繼(まま)しさから無いもの同然に持て成されていたが、独創性の皆無が僥倖(さきはひ)して義母の青踏(せいとう)派的教養主義にすッかり中(あ)てられて以来、扈從(こしょう)か、年の離れた妹かなんぞのように義母の鞄持(かばんも)ちを勤めることを大変な名誉にして了つた。然し一体、遺伝的に空想力に乏しい尾瀬家の血統(ちすぢ)は争い難く、幾世經(いくよへ)腰巾着然たろうと義母の薫陶が彼女の身(み)に染(し)むことはなかった。義母の傍(そば)を離れるや厳粛の面影は立(たちどこ)ろに失せて、彼女から義母を連想させる何物(なにもの)も残しはしなかった。何も身に付かないと云う事がこの女の唯一の独創だったのかも知れない。人間的臭味(しゅうみ)が一切しないところのかかる臭味、干物のような無臭のいやらしさは、構造の単純さが却って人に不快を与える極めて稀な例(れい)だと云えた。
 三年前亭主に先立たれたが、葬儀のテーブルスピーチで雨や潸々(さめざめ)と泣いて以来一度も涙を零さないことに伯母は我ながら訝しく思った。そこで彼女が発見したのは、良人の死に接してさえ搖(ゆる)がない我が感性の無感動と、虹のように果敢(はか)ない感情の持続だった。
 これが奇(く)しくも、伯母が自分の薄情なところを趣味的に誇示しはじめたのと時を同じうした。
つつじが丘に購入した持家は既に返済を終えていた。そこで彼女の人格に一変化来(き)たさずには措かない高栖(こうせい)生活の手始めに、証券収入を当て込んで家を三階建てに増築した。うんと大胆な散財(さんざい)をやってみる気になったのだ。いずれ息子夫婦に譲る心算で、三階は自分好みに数寄(すき)を凝らした西洋間に設えた。その三階のベランダに籐(とう)椅子(いす)を据えて日がな一日往来を見下ろす傲然たる日々を送った。
 ところが息子夫婦が越して來るより先に浩作(こうさく)一家の転宅案が持ち上がった。折りしも直面した自分の無内容さにいかな事でも得(え)堪(た)えず、非常勤講師として週三回勤めに出る以外、整い過ぎた調度類(ちょうどるい)を介して自分の内なる空虚を凝視め倦飽(あぐ)ねた折から、地域の青年会に庭前(にわさき)の露台を明け渡すあの篤志家に似た心境で、単なる利己心を懇(ねんご)ろな老婆心の裏に潜ませながら、やがて山姥(やまんば)の痩(やせ)腕(うで)の性急さで義弟一家を招じ入れた。彼女の高栖は恁うして自虐的に空虚を押し広げただけで、ついに半年と保たずに了(しま)った。
 体ばかり逞しいが、冷たい理知的な演算力とソクラテス的精神美しか嘉納(かのう)することのない尾瀬家の中で大変肩身の狭い思いをして来た浩作は、同胞(きょうだい)中でも一番出来が悪く、M市の在所を出てT市に家庭を築いてからも経済的に逼迫(ひっぱく)していた。それもあったが、中でも恋愛事件を起こして以来世間体を憚った祖母から勘当(かんどう)同然にされている実の娘と、詰まり眞幸の姉と、忠僕たる伯母の監視の下でなら一時禁を解いて同居しても可(い)いと、祖母が提案したのが決め手だった。市電通り沿いの借家から一家が越して来たのは三月十四日である。
 眞幸は弟の彌一(よいち)との相部屋ではどうしても都合の悪い或る行為のためにこの轉宅を歓んだが、一方で姉の薬子(くすこ)との同居を恐れていた。望みながら恐れた。藥子が細面(ほそおもて)で蓮(はす)ッ葉(ぱ)で小股(こまた)の切れ上がった、瑞々(みずみず)しい匏瓜(ほうか)のやうな、然し小暗い燈火の下では明眸皓齒(めいぼうこうし)が妖しく婀娜(あだ)めく、二面性を持った飛び切り美貌の女だったからで。
 
 合格発表は三月十六日だった。万が一つも自分の及第(きゅうだい)を疑わなかった眞幸は、尋常(つね)に似ず夙興(はやおき)をした自分を訝しんだ。自分に宛がわれた二階西向きの自室の帷幄(とばり)を絞って、徒然(つれづれ)に戸外を眺めた。丈に餘る玻璃(ガラス)戸には轉(うた)たあるまでの結露が雫(しずく)していた。それが不図した連想の作用で、それまで凡(あら)ゆる部屋が一部屋で事足りる筈の伯母の家具で無理矢理占(し)めていたことから、有繫(さすが)の老眼でも見えそうな數の言痛(こちた)い抜け毛が、風に巻かれる綿(わた)塵埃(ほこり)をば藻(も)が如(もこ)ろ絡(から)めて部屋の四隅に澱(よど)んでいた。それは思い出すだに身の毛の彌(よ)立(だ)つ光景だった。
 ここからは丁度、T環状線が新幹線高架と陸橋を潜る往来の影がつぶさに見られた。いづれ似寄りの煉瓦まがいの住宅の生(い)け簀(す)の底のように隙(すき)漏(も)る間からは、車体が細小魚(いさな)の鱗(うろこ)のごとく早朝の鈍い光を返した。ただこの一重の隔たりが轆々(ろくろく)の轟きを美事に遮つてゐた。坂上(さかがみ)の三叉(さんさ)路(ろ)の角に方(あた)って摩天樓のごとこ聳えてゐる家の為体(ていたらく)は、伯母のヒステリカルな痩軀(そうく)に似てゐた。その立姿はさながら鹿驚(かゝし)で、撫肩の広くいかつい肩幅は悉(ふつく)に女性らしさを失わせた。それは凶作と飢餓の象徴だった。膝まで蔽う許(ゆる)し色(いろ)のワンピースから覗いた節(ふし)高(だか)な四肢はえらくひょろ長く見えたが、実は胴長を隠すためのものだった。老骨にへばり付いた浸染(しみ)だらけの皮膚(はだへ)はまるで煤(すす)けた鍋底の湯葉(ゆば)をさながらで、この貧しさの印象の傳染(うつ)りかねまじいどぎつさのために、姉は伯母を太(いた)く敬遠してゐた。
 姉だけが未だ引っ越しを済ませていない。詰まり勘当が今以上に姉の身持(みも)ちを崩すことに益(やく)立つだけだと漸く祖母には解ったのだ。八時過ぎ、父と弟を送り出して一足後れに出勤する母が出(で)しなに、
「昨日急霰(みぞれ)が降ったくらいだから、一応、暖かくしていらっしゃいね」と部屋のとば口に立つて云つた。この落ち着き払った少年の不敵さを見るにつけ猥(ま)げて不安がつて見せる母は、盆の上なる茶碗の水面(おもて)が溢(あふ)るゝばかりに笹(ささ)立(だ)つのを凝視(みつめ)る調子で云った。眞幸は勢ひ余裕の程を示さざるを得ない。
「大丈夫、解(わか)ってるよ」
 それから二時間もの間、彼は気早(きばや)に制服を着通して、使ふ當てのない鉛筆を尖らせ、筆箱の中身を整理し、部屋の中の調度の位置を少しずつ変えたりして時間を丹念(たんねん)に揉み消した。まるで消え残った煙草の火を消すかのごとき執拗(しつよう)さで。
 板敷(いたじき)の間の冷え方は伝統の浅薄さ、内容の乏しさに起こる露悪的な衰容であり、純和風畳敷の間のそれは一方、数百年来の伝統の厳めしさが鬼気(きき)陰々(いんいん)と人に迫る類のものだ。家屋に押し潰されるにしろ、伯母の吝嗇(りんしょく)と懶惰(らんだ)が染みた骨組みの下敷きになるより、伝統それ自体の重みに押し潰される方が未だ冢上(ちゅうじょう)の慰藉(いしゃ)の見込みがありそうではないか。
 J高校までの道順を諄々(じゅんじゅん)と心に反芻した。以前にも倍(ま)して出端(では)がよくなったとは云い条、見慣れた風景を別の角度から見た時のあの違和感に彼は静(しず)心(ごころ)なかった。
 物干台を度(わた)る風は颸々(しし)として黒く、空は未だ晨朝の寤寐(ごび)の間に交睫(まどろ)むかのようで、所狭(せま)しと敷き詰められた雲の厚(あつ)衾(ぶすま)の上で得体の知れない何者かが晏起(あんき)を貪っているらしい。腹痛の用心から彼は間着に襯衣(シャツ)を二枚着込んだ。
 何も入っていない空(から)の鞄を提げたのは、空拳(くうけん)では何となく心許ないという不思議な心理である。袈(け)裟(さ)掛(が)けの折(おり)鞄(かばん)も通学用ズックも新調したばかりだった。式台に腰を打懸けて靴紐を結びに俯くと、厚着した前身(まえみ)頃(ごろ)が果たして張った。只(と)、スリッパをバタつかせて鷹揚に階段を下りて来る跫音(あしおと)が眞幸の背後でぱたりと罷(や)んだ。眞幸は背後(うしろ)を振り返る代わりに衝(つ)と横手の靴棚の上に目(め)鞘(ざや)を走らせた。猩々(ポインセ)木(チア)の花輪(ガーランド)、水仙(すいせん)に鈴蘭(すずらん)を添えて投げ込んだ花瓶、干支(えと)を表わす張子人形、蟾蜍(がま)の陶器、屋内の至る所に置かれた擬似(ぎじ)鉱物の芳香剤―――これらの夥しい即物主義を彼は憎んだ。物が多すぎるのだ。
「そう云えば今日だったか知(し)らね、合格発表は」
「ええ」何故足音を盗んで階下(した)へ下りたかも知らぬげな、察しの悪さにうんざりした眞幸は言葉を極端に節約(せつやく)した。
「J高校、受かってたら可(い)いわね」
 そこに何の介意もないのを一物(いちもつ)ありげに云うのが伯母の趣味だった。とは言え技巧の拙さが仮装の表面的なものしか感じさせないため、無意識よりも一層(ひとしお)空疎な響きをさせた。没個性(ぼつこせい)の負い目の指(し)嗾(そう)に伯母はかかる技巧を弄せずにはいられぬだけ、そこには必定(ひつじょう)強いられたような、切口上めいた引(ひ)ッ攣(つ)りが見(み)られた。眞幸はついに伯母の姿を見なかった。嘗て伯母の存在を真正面から見たことのない彼の中で、伯母はその嗄れた濁聲(だみごゑ)と枕頭(まくらがみ)に立つ厲鬼(れいき)のような苛立たしい気配だけの存在だった。
 これには答えず家を出た眞幸は、迂闊にもJ高校を志望した動機の正(しょう)のところを忘れていた事を憶い出した。何故それを忘れていたのか?ほんの数日前までは伯母の自慢の種の一つを瓦(かわら)同然にしてや
ろうと云う空想の誇張によって生活に張りを有(も)たせていた当のものを……
 見ることが相手の存在を自分の生活圏内(けんない)に認めることになると考えた眞幸は、例えば伯母の如きを見ないこと、輪郭を曖昧に保つ事でその存在を抹殺(まっさつ)することが出来ると考えた。だがその姿を聢(しか)と見で気配だけを感じるなら、恐怖を与える幽霊のごとく不快な人間を益〻怺(こら)え難いものにするが、幽霊が醸(かも)すとされた物音の正体の滑稽さが、如何なる厲響(れいきょう)をも熟(うま)睡(い)を妨げるに足りないものとするのと一般で、不快な人間の正身(せうじみ)を直視する事は不快を固執(こしつ)する張り合いをさえ見る者から奪い去ることだろう。悪役としては余りに平凡な、憎み效(かい)のない、寧ろ憐(あは)愍(れ)を催し兼ねまじき貧相な鼻梁(びりょう)と落ち窪んだ眼からなるその迫力(はくりょく)の無さに、眞幸は辭色を失うに相違(ちがい)ない。
 かと云って、見られないことが伯母にとって必ずしも不幸だとは云えないのではないか。故意(こい)の無視とはそのまま相手が無視し難い存在であることの然(そ)でない験(しるし)であるから、伯母は何時になく自分の存在が与える効果の大きさに故(ゆえ)知(し)れぬ微笑が込み上げて来る事の抑え難さを覚えたのではないか?
 さても隈(くま)なく見ることは斯(か)程(ほど)残酷な行為だろうか。顔立ちや背格好の何処かしらに全体の調和を攪(かきみだ)す不具(ふぐ)を抱えている人間を隈なく見ることは、最早一つの殺人だった―――そして鏡に映された自分の姿を仮借(かしゃく)ない自己批判で以て反省的に見渡すことは、一つの自殺である。若い頃から干物のような無臭のいやらしさで人から刹那(せつな)の痙攣的な軽い侮蔑をしか受け取ったことのない伯母は、今や人遣りならぬ灰汁(あく)の強さで、他人の眉間に刻まれた皺から自分の存在を確かめることを望んだのではないか?その技巧は破綻していたにも拘わらず甥の敵愾(てきがい)心を技巧の所為(せい)に帰した伯母は、少なくとも自分でない何かに見られているという韜(とう)晦(かい)の愉悦だけは手にすることが出来たろう。
 学芸会風の嬢的(じょうてき)言葉を少しの舌の渋滞もなく云ってつんと澄ましていられるのが、少女の無意識な人生の劇化の習性である。陰謀家めかした伯母の物言いもこれに庶幾(ちか)かった。とは言え、ドラマタイズされた仮装劇にばかり熱中して、仮面を肉体に熔接(ようせつ)させるところのあの人工的な性格改造の方は伯母の理解の外(ほか)にあった。寧ろ決して情偽(あるがまま)の自己の本姿(ほんし)に悖(もと)らないこと、自分に素直なところが自分の長所だと伯母には弁(わきま)えられていた。すべての情偽を倫理的怠惰と考える眞幸は、伯母の情偽の承認をその顔色から逸早(いちはや)く読み取った。身体こそ鋭く痩せこけてをれ、その魂に粒々(つぶつぶ)と厚(あつ)肥(ご)えさせた脂肪が微笑の裏で波搏(なみう)つのが眞幸を苛立たせた。
 眞幸の計算違いはそればかりではない。凡てが義母の模倣そのものである間(あいだ)、伯母は行為の意味さえ義母の先蹤(せんしょう)の保証に倚(よ)りかかっている形だった。伯母には自慢一般をするだけの自我の弾力がなかったので、殆ど自覚症状のない、夸矜(こきょう)のあのしみったれた快感をさえ伴わない不感症の吹聴癖のあらわれに過ぎない高学歴の自慢話は、眞幸がいくらその見せかけの価値を貶(おとし)めてやったところで打撃を蒙る道理(いわれ)はなかった。
 この調律の狂ったパイプオルガンのように騒々しい豪宕(ごうとう)の誇張が、人好きのしない容貌に身の老(お)いらくと相俟(あいま)って堪え難いものにしていることを伯母自身知らない訳ではなかったが、知ることと痛感することとが伯母の中で合期(がっこ)することは畢生一度もなかった。それが証拠に伯母は実践家たり得なかった。旅行の計画を立てるだけで満腹(まんぷく)してしまう人が居るように、伯母の中では哲学的な引用を口にすることと実地に行なうこととがほとんど同義だった。豫(かね)て他人と精神的紐帯(ちゅうたい)を持ったことのない、誰よりも孤独でありながら終ぞ孤独と云う観念につまされた事のない、精神と肉体の乖離(かいり)した人物の典型、一貫性のある行動をするには邪魔にしかならない散漫(さんまん)な好奇心、結論の貧弱さ、世帯染(しょたいじ)みた生活本位、この女にして唯一の趣味らしい趣味は、四十年間の退屈な教師生活の中で王朝文学の禁裏(きんり)の媾(まぐ)曳(わい)をあれこれ詮索することで培われた、まことに不躾(ぶしつけ)な詮索癖だけである。
眞幸が自転車に跨(またが)って家の前の緩い勾配を滑りはじめると、東の空の横雲(よこぐも)の斷間(たえま)から、夜着(よぎ)の裾を掲げて手捷(てばしこ)く寝床を納めるように、盈々(なみなみ)とある光の束が一斉(いっせい)にそこから漲(みなぎ)り落ちた。太陽は既に冲(のぼ)っていたので、岨(そば)立(た)った城壁の上から火の矢を射かけられたように感じた。この不意に飛び起きた主(ぬし)は『春』だった。こうして青春はいつも彼に肘鉄砲(ひじでっぽう)を食らわせるのだ。
 眞幸の背中はしとどな汗になった。風が習(そよ)とも吹かないのに募る苛立たしいペダルの抵抗は、彼の気後れの現示だった。地図も持たずに人里離れた田舎(いなか)路(みち)の、私道ともつかない露地(ろじ)裏(うら)を傱々(ずかずか)入ってゆく時のあの気持に似ていると眞幸は思った。次第に自分と同じ方角を志(こころざ)す同じ学生の自転車が、信号を一つ止まるごとに群(むれ)をなした。その中に眞幸は見慣れた背中を見出した。中学で同窓のNだった。
 幾種類もの制服が混じり合う中で、Nはその着こなしの洒脱(しゃだつ)さを際立たせていた。金(きん)釦(ぼたん)を一番上まで留めた事はなく、シャツの裾は常に溢れさせ、下着の色が見えるくらい下げた袴服(ズボン)の端を引き摺りながらチャッカブーツの踵(かかと)を戛々(かつかつ)と鳴らして歩いた。サドルは目一杯下げて、蜂の触角のように聳やかしたハンドルに手を縋(すが)って、牛の背に跨った狩人(かりうど)さながらの威嚇の構えで静々(しずしず)走った。
 不意に動悸(どうき)がして、また相対性の中に伴(つ)れ戻される時のあの絶叫感と、春休み中に培われた日課が負わせる対抗意識を眞幸は自分の中で闘わせた。眞幸は見返してやりたかった。たださえ場打(ばう)てがしているところへ、こんな同級生への氣扱いから自分を萎靡(いび)させるには当たらなかった。
 Nには先天的に人を軽蔑する権利が具わっているかのように眞幸は妄想した。瑰(かい)麗(れい)な鳳蝶(あげはちょう)は生まれながらにして怠惰であることを許される。と云うより、怠惰である事は彼の美のための美容(びよう)的な義務でさえあるように思われる。男であってもそれは同じだ。それに対して中学に於ける眞幸の位地(いち)と云えばせいぜい三枚目の道化方(どうけがた)であった。彼は如才(じょさい)無い勘定方のように珠算を片手に携えながら、的確な効果が望める時にだけ短い洒落(しゃれ)を飛ばすことに心ならずも妙を得ていた。が、この洒落はそのまま彼の含羞(はにかみ)であった。羞恥であり媚態であった。然し一体に二枚目はフモールなどと云う殊勝(けなげ)な媚態を必要としない。彼等は実に肆(ほしい)ままな物憂げな体度(たいど)で人々を魅した。その豪奢な毛並みを頭重(かしらおも)げに身を鎧(よろ)った獅子の寝像(ねすがた)で、道化の滑稽を尻目に掛けて皮肉な微笑(ゑみ)を浮かべている、その視線を眞幸は否応(おう)なく感じて来(き)た。
 Nの自転車の荷台には黄色い弊(しで)のように結わえた撤去勧告の短冊(たんざく)が風の随意(まにま)に旗めいて、時々鋭い羽音を立てた。逸楽を知り尽くした遊冶郎(ゆうやろう)ならではのぞろりと着流した羽織の倦怠(けんたい)、小判鮫に平気で身を委ねる鯨のあの殷富(いんぷ)の侘しさ、その投げやりな感じでさえ今の眞幸には理(わり)なく瀟洒(いなせ)に見えた。
 往昔(そのかみ)、陸軍予備士官学校だったJ高校の居丈高(いたけだか)な敷地は市内に冠(かん)たる広さを誇っていた。渥美(あつみ)線路沿いの大通りからは蔚薈(うつわい)と茂った半纏(はんてん)木(ぼく)が迭(かた)みに翳(かざ)した木(こ)の下蔭(したかげ)の、空洞(うろ)を抜けた明るみの中に校舎の黝堊(ゆうあく)が辛うじて瞥見(べっけん)された。が、眞幸が今日までこの奥を見ずにしまった拘泥(こだわり)の無さは注目に値する。従って何処でどんな高校生活を送るのかを夢想することで景気(けいき)よく受験に挑むことなど絶えてなかった。後から後からと頽(なだ)れ込んでゆく自転車の波に争い兼ねて、化粧煉瓦(けしょうれんが)の旧正門を睹(み)る遑もなかった。並木道は意外にも早く尽きた。駐輪場に乗り付けるまでは殆ど心も空(そら)だった。

 眞(み)幸(ゆき)は首尾(しゅび)よく合格した。傍(かたえ)に樹(た)ったフェニックスの厖大な葉翳(ようえい)が、特設の衝立(ついたて)を振り仰いでいた眞幸の顔を縟(まだ)らかに染めた、その蒼い影の下で幽(かす)かな微笑が有(あ)り無(な)しに閃(ひらめ)いた事でそれと知られた。が、その微笑は倏(たちま)ち消えたのだ……
 何事が起ったのか?
 唯(と)見(み)れば、此処に輪になってぴょんぴょん跳ね回る女子の一群(ひとむれ)があり、彼処(かしこ)に『佐鳴(さなる)』と白字を抜いた外套(がいとう)着の塾講師も立ち雑じって徐(やお)ら胴上げを押(お)ッ始める一団があった。自分の受験番号を見出した時思わず口許(くちもと)が綻んだのを屹(きッ)としたのは、自信の程を知らしめるためだったが、是(ここ)に於いて乎(か)口碑(こうひ)に伝えるべき目撃者を伴(つ)れて来なかったことに眞幸は思い当たった。『 こうして首尾よく受かったと云うのに』と眞幸は考えた。『 彼等の入学は祝福されていて、同じ関門(かんもん)をくぐった筈の僕だけが裏口入学したような影護(うしろめた)さを覚えるのはどうした事だろう。あまり手頃に済ませた所為で今一つ感興(かんきょう)に欠けるのか知ら?』謬(あやま)って別の学校の同窓会場に紛れ込んで了ったような疎外感に責められた眞幸はその時、友人と話しているNの姿を見出した。人里(ひとざと)恋(こい)しさも手伝って、俄かにNと口を利こうと云う衝動的な勇気が湧(わ)いた。『 大丈夫、僕には十分にその資格がある。中学の旧友を置き去りにして来たのも今ここでNと対等に話すための下地(したじ)だったのかも知れない』眞幸は弾き出されたように気付けば歩き出していた。「やあN……」
 ところが驚いた事にそれはNではなかった。身の挙動(こなし)も髪油の付け方もNと寸分違わなかったが、眞幸が近付いた時咄嗟(とっさ)にしゃくられたその頤は、円く小さく固まった後頭部の俊敏さを裏切って異様に大きく発達していた。その髪型と顔の造作(ぞうさ)の不調和はまるでNの鬘を被せただけの別人で、猫族(びょうぞく)のごとき俊髦(しゅんぼう)の眉、狡猾ささえ覗かせる逼(せま)った目(ま)見(み)、軽薄なまでに紅い唇、括(くく)った頤、すべてNの目鼻立ちを不様(ぶざま)に縦に引き伸ばしたような間の抜けようだった。何事もなかったかのように眞幸は踵(きびす)を廻(かえ)した。二三の同伴(つれ)は不審そうにその後ろ影を見送った。
『 では僕が今までNだと思ってその後(あと)を慕って来たのは何だったのか』と眞幸は思った。『それに何だこの恰好は。制服で来ていない者だってちらほら居るし、況(ま)して指定の白無地のズックを履いて来ている奴なんて、僕くらいなものだ。ああ卦体(けた)くそ悪い』白無地のズックは折柄(おりから)の春の陽光に眩(まばゆ)く照り映(は)えて、眞幸の足許(あしもと)を明るませているかとさえ見えた。かかる心事に頓着なく、一向に型崩れする気勢(けはい)のない頑固な白さ、大理石のようなこの歯痒い不導体が間(なか)を隔てて眞幸に青春の園の土を常土(ひたつち)に踏ませまいとしているかのようだ。小集団が錯綜する無秩序な響動(どよめき)が今更耳を聾(ろう)さんと欲した。すると徳利襟(タートルネック)に籠められた温気(いきれ)が堪え難く、衿許(えりもと)を寛げた發奮(はづみ)に一番上の釦が外れて、何処かへ怪(け)し飛んで行った。眞幸が百人余りのその群衆から身を抽(ぬ)くさまは、掲示板前で閃いた瞬間(たまゆら)の微笑を抜きにすれば宛然(さながら)落第生のそれであった。
 ほとんど叫び出しそうな憤懣(ふんまん)を抑え乍ら、仮小屋(バラック)の粗末な便所の蔭に身を潜めて間着(あいぎ)を乱暴に脱ぎ捨てた。それから駐輪場の屋根の下を遠慮がちに除(よ)けて止めた自転車に跨るまで、来てからものの數分の出来事だった。

 今ひとつここで付言すべきは眞幸のT市に対する土地(とち)鑑(かん)である。と云うのも眞幸は北國筋(ほっこくすじ)の雪国に言われない憧憬を抱いていたから、見渡す限り百有余(ゆうよ)丈の低山に囲まれた、然も雪がそよとも降らないこの地は、坐(ゐなが)ら一樹(いちじゅ)の淸樾(せいえつ)だに覓(もと)め得ない砂漠の荒地を髣髴(ほうふつ)させた。冬は田(た)の畔(くろ)や刈(かり)田面(たのも)に見るも無残な枯草色を露(あら)わにした。謂わばそれは生が手を替え品を替えて濃抹(のうまつ)している錦(にしき)の裏(うら)、忌むべき死相の実体だった。この生存の裏面(りめん)に潜む醜さを発(あば)くために、冬の空が殊(こと)更(さら)冷笑的に高く凛冽(りんれつ)に澄むそのさまは、見者(みるもの)をして或種惻隠(そくいん)の情をさえ催さ使(し)めた。黄塵(こうじん)の降り積む往来をあの真ッ白な新粧(しんそう)で塗(と)抹(まつ)もせではさしもの雪とて何するものぞと眞幸は思った。何となればT市街を遍(あまね)くする或種の暈滃(ぼかし)はまさに黄塵(こうじん)万丈(ばんじょう)の名に恥じなかったからである。
T市には圧倒的に主題が欠如していた。名古屋なり、岡崎なりから流れて来る微泉(びせん)の末(すゑ)が干(ひ)なましかば、残った漂流物を県境付近に掃き寄せて出来たがらくた趣味の町だった。実体の把(つか)めない『任意の町』であるから不便なら不便なり、汚れていてもそれなりけりに苦にならない、郷土愛を聊かも植え付けない点がこの町の取柄(もちあじ)だと云えよう。
それこそは清浄の地、卒土(そつど)の浜(ひん)に邇(ちか)からんと云うこのワーズワース・国木田独歩の流れを汲んだ自然崇拝の御蔭(おかげ)で、眞幸の精神(せいしん)風土(ふうど)は寧ろ雪国にその故郷を持っていたと云わねばなるまい。自分の畏怖の対象に対して敢然と立ち向かってゆく想像裡(り)の自分の姿は、彼の審美的心象を無限に発揚(はつよう)した。だか高校進学と云う袋小路を彽佪(ていかい)しはじめた眞幸が、彼の出奔の計画のために大学進学がうってつけであることに気付くまでにはまだ時間が要(い)ったのだ。

 藥子(くすこ)は眞幸と入れ替わりに、三月一日H高校を卒業した。形だけでもJ高に亜(つ)ぐ優良校に入学して以来、文系女子の所謂『キャッキャ』の間に伍(ご)して後ろから数えた方が数等(すうとう)経済(けいざい)な成績で辛うじて卒業した。原則皆(かい)進学であるH高校に求人がないためか、藥子は一種自虐的な果鋭(かえい)さで名古屋の短大の推薦が通るや早々(はやばや)と受験生のあの謹直な兜(かぶと)を脱いだ。これは可及(かきゅう)的速やかな経済的自立と、後続の弟らに家計への遠慮から選択の幅を狭めさせまいとする姉らしい勦(いたわ)りだったが、薬子は寧(むし)ろ自身の自堕落から来るものと誤解させたい方だった。これは偽悪者趣味と云うより、進んで無神経な女に、頑(かたく)なに自己批判を目覚めさせまいとする豫(かね)ての訓練の一環であった。
 一見理知より官能が優勢で、自分が何をしたいのか解らないがかと言って感受性の徒(いたづ)らな猖獗(しょうけつ)のために自分の気紛れに飽(あ)かず振り廻される典型的な憂(うき)河竹(かわたけ)だ、という見方が級友らの間では支配的であった。強すぎる個性の奔逸を理性が馭(ぎょ)し切れていない形だが、満目蕭条(まんもくしょうじょう)たる中に生き残ってはじめてその操の正しさが知られる松柏(しょうはく)のように、気紛れとは思えぬほどの一(いっ)国(こく)さは今や官能それ自体が知能を懷孕(かいよう)したと云うべきで、気紛れが成就されない例(ためし)はなかった。これが級友達を頼母(たのも)しがらせた。この男顔負けの猪突(ちょとつ)主義はそれ自体の論理を有たない不合理な力ゆえに稀代(きだい)の突貫力を得るかと見えたのだ。―――惟(おも)うに祖母のあの女傑(じょけつ)ぶりがこんな形で隔世(かくせい)的に遺伝したとみるのが妥当ではないか。幼少期を祖母の執拗な教育の下に過ごした薬子は祖母との相似と、樟脳(しょうのう)のしつこさで薫(くん)ぜられた避(さ)るまじき影に豫(かね)て通じていた。他ならぬこの人工的な無反省は飽く迄祖母に似たくないと云う反旗(はんき)の許(もと)に企てられた。知的偏倚のあの恐るべき無自覚と知的醜貌とは、何か浅猿(あさま)ましい動物的好奇心だけが尚も蠢(うごめ)いている生ける屍(しかばね)を見る心地を薬子にさせた。
 薬子の性格は自分が引っ込み思案だと云う暗示に従来埋もれて来た。そこで祖母の覊束(きそく)を遁れる手引きをしたのは彼女の有望な形姿(けいし)だった。それは少なくとも自分の精神を超え外側からこれを勵ます力強い何かだった。薬子は当面(さしより)自身の有望な形姿を鋳型にして、躑躅(てきちょく)した精神を馴致させ軈ては解放
しようと目論(もくろ)んでいた。

 出入り禁止となって以来借りていたアパートは高校の直(じき)近くで、負担は凡て父からの仕送りで賄(まかな)われていた。母は屢〻様子を見に来たが、何時でも秩(ちつ)然(ぜん)と取り片付いている薬子の部屋では却って世話の焼きようもなく、小半時ばかり話して帰って行った。ところが彼夜(かのよさ)、珍しく勤め帰りの浩作(こうさく)が訪ねて来た。狂喜の色を浮かべて勘当の禁が解かれた由(よし)を話した。が、それは一向に薬子を喜ばせなかった。久しく死蔵(しぞう)した護謨(ゴム)鞠(まり)よろしくの空想力しか持ち合わせのない浩作は、世間に容れられない未練な男の依怙地(えこじ)さで、自分の歓びに頑なに取り縋っていた。それが余計薬子の気を腐らせた。
 浩作は何でも解ったような顔をした。読書の習慣のない浩作は、字面(じづら)を上擦(うわず)るばかりで逐語(ちくご)的な想像力による咀嚼(そしゃく)だけが理解を成り立たせることを知らなかったから、薬子の恋愛事件に就いても表象だけをすらすらと諳(そら)んじた。その癖薬子が幾ら言葉を尽くしても、『 成程、分かった』と言った傍(そば)から平気で他(た)を言う察しの良さで、薬子に多情の傾きがあると未だに信じていた。―――その実薬子は一度たりとも身体を許した事はなかった。この女は抑(そもそ)も自分の形姿の効用を功利的に利用しようとしたことがあったか?薬子の場合、嘗てその器量を手段的に用いた事はなく、器量は目的それ自体でさえあり得(え)たのだ。
 家財一式の始末を付けて部屋を引き払うと、薬子は例によって、本を読むのでもなく書肆(しょし)に立ち寄り、買う心算(つもり)もないのに雑貨屋を素見(ひやか)した。こうして一日に一度は盛装して縁日や店の雑踏を歩くことで、自分の形姿(けいし)を極端に客観化し、ひとり鏡の中の自分に相対(あいたい)するに倍した張り詰めた視線の薄氷(うすらひ)の中で、自分の姿を愉(たの)しむ事を日課にしていた。その癖薬子は『人の目にどう映るか』と云う事には今のところ高慢なほど無頓着でいられた。何故なら、今の彼女の喫緊(きっきん)事とは、祖母の教化に悩まされた空想裡(り)の自分の知的醜貌に対して実際がどれほど懸け隔たり得たかに重点が置かれていたからで、必ずしも薬子の器量が非(ひ)の打ち所のないものだと云うことにはならない。
薬子の顔には化粧を必要としないほど充実した睫毛(まつげ)の量感や、所を得た目鼻の絶妙な均衡のようなものが営まれていた。彼女は生活の殆どを素肌で過ごした。寧ろ何かしら添加するだけで印象が執拗(しつこ)くなり過ぎる嫌いさえあった。その克明(こくめい)な瞳の大きさ、物憂げに見せない程度に下から持ち上げる愛らしい眼の下の膨らみや、笑った時が一番自然に見えるやや大きめの口と清潔な歯列(しれつ)は、感情の惑溺が顔の面(おもて)を幾ら歪ませていると彼女が自覚していても、微動だにしない彫塑(ちょうそ)的な美が湛えられていた。自分の顔を見るたびに自分を越えてゆくところの頼母(たのも)しさを薬子は感じた。
 緑地公園脇の歩道橋から西南を望むと、所斑(ところはだ)らに空地を残した新開地のような街並みが眼下に開敞(ひら)ける。この向こうに伯母の家があった。中啓(ちゅうけい)のごとく開かれた次第低(しだいびく)な坂を下りながら、祆(けん)教(きょう)開祖の没落(ぼつらく)と云うのも丁度こんな感慨か知らと薬子は思った。
 薬子の魅力(チャーム)の二面性は、一面、遠近法の賜物だった。この通(とお)り筋(すぢ)を颯爽と下りて来る彼女の姿は、背丈(せたけ)が二寸も三寸も伸びたように長身に見えた。高校時代は陸上部でハードルの県大会常連だった點からも、普段睡蓮みたく華奢な癖に、ひとたび動き出すや、如何なる姿勢を取らせても調和(うつり)がよくて畫(ゑ)になるのが美點だった。静的にも動的にも、彼女は均衡と云うものを知悉(ちしつ)していた。烏夜(やみ)にも著(しる)き清(きよ)らな項(うなじ)は、敏(びん)慧(けい)な渡り鳥のそれのように矗乎(すっく)と立てられ、すんなりとした二本の脚は、懸け流した瀑布(ばくふ)さながらの拘泥(こだわり)のなさでスカートの裾を洩れて、躍動的な笑窪(ゑくぼ)を随所に仄(ほの)見(み)せながら、触れれば壊れて了いそうな造花の風情を失わなかった。殊に腿から膕筋(ひかがみ)、脹脛(ふくらはぎ)にかけての官能的な婉曲(うねり)は、幾(いく)瀬(せ)の名所をそのわずかな流域に多分に示して、軈(やが)て折れてしまいそうな足首で占め括(くく)られていた。唯一、握り拳(こぶし)大のささやかな筋肉がそこで閊(つか)えたかのように膝の下あたりで脈々と息衝(いきづ)いていた。 

 それは匂ふやうな白さで眞幸に近づきつゝあつた。木鐸(さきがけ)のやうなオープントゥパンプスの鏗(こう)爾(じ)たる響きは羚羊(かもしか)の蹄の運びを思はせ、渠の下腹部に怪しい響きを傳へた。一説にある如く、眞幸のハイヒールに對する嗜好は倒錯してゐた。それは女自身が穿(は)いてゐると云ふより、男によつて穿かせられた自由を縛る軛(くびき)と云つた趣きが色濃く、紅(べに)を刷(は)いた爪先も眞珠母(あこや)の踵も華奢な足首もために翹(つまだ)てさせられて、かくも仄赤く紅潮し、身悶(みもだ)えして、悲鳴を上げてゐるやうにしか思はれない事があつた。何か見てはならない花の蕊(ずい)が露はにされてゐる感じが、女の踝ひとつ、二の腕からさへ感じられて眞幸は鼻白んだ―――要は渠自身の卑猥な嗜好が訐(あば)かれるためにそれを卑猥と感じるのだつた。譬へば膝より上の露出や、女の身體を二重寫しに象(かたど)るやうな服飾乃至着こなし方を渠は忌避した。性的對象として客體化されてゐるものと自身とが混同されては困るからだ。渠は女の躶形(ひたはだ)を終ぞ見たいと思はなかつたが、素足にだけは甚(いた)く惹かれた。躶形になつて了へば素足の効果は限定される。何故かしら四肢を蔽つた粧装(こしらへ)の中で脚だけが平然と投げ出されてゐると渠の下半身は途端憑かれたやうに痺れて来るのだ。一番隠すべき陰府(いんふ)だけを隠さないと云ふあの服飾的倒錯……
「呀(や)、久闊(ひさしぶり)。元氣してた?」
 脊向(そがひ)になつた眞幸の背中に恁(か)う言葉が抛(はな)たれた。囀るやうな屈託のない調子だつた。眞幸が迷誤(まご)ついてゐると、見る間(ま)に女は小さな門を入って来る。
「伯母樣(さん)は在宅(ゐる)?」
「えゝ、多分」
「あゝ、厭あね。一緒に暮らせるのは安上がりで可いけど、またあの死神のお同類(なかま)と顔突き合わせなきゃならないって思うと、善(よ)し悪(あ)しよね」
 冷徹な美の均衡がはじめて崩れた。この優雅と機知の速やかな交替の一刹那に人々は夢見たのだつた。西施(せいし)の顰みは思いの外仇(あど)けなく、處女(おぼこ)めいた、傷つけられ易さうな脆い微笑(ゑみ)が眉間にあふれた。さうした咄嗟の微笑の不器用さは眞幸と瓜二つなので、漸(やッ)と昔の姉の面影との整合性が取れた訳だ。並んで立つた彼女の背丈が渠の目線しかない事で得た姑息な安堵も手傳つて、舌の解(ほぐ)れた渠にいつもの軽口(かるくち)の利き方を許した。
「どこの別嬪かと思って不知(つい)お見逸れしました。本統に綺麗になられましたね」
 女の欣(よろこ)ぶ可愛らしさの類型にこじつけようとする時の常套句を、渠は謬つて美そのものに須(もち)ゐる愚を犯した。美しいものを美しいと云つたとて何かをしたことにならうか?人を緘(だま)らせる美を前に、率直な感想を陳べられる程度には餘裕があることを自他に証しすべく渠はこの愚を肯(あへ)て犯した。其癖つい今の前(さき)まで渠を悩ませてゐた憂悶とこの美の落差に彷徨して眩暈(めまい)を感じてゐたのだ。結句美しさの前では如何に複雑な男性的軫憂(しんゆう)も精神を骨抜きにされた渋面の醜さだけが俄かに強調され、一向に無力だつた。苦悩が存在の大きさである眞幸は、自分が俄かに小さくなつたやうな感じに唇を噛んだ。
「相變らずお世辭が巧者(うま)いんだから」云はれ慣れすぎた寸評(すんぴょう)を實の弟から云はれても今更めいて薬子の心に媚びなかつたが、左程(さほど)厭な顔もしなかった。
 薬子を先立てて二人が玄關を上がると、臺所口から伯母の長い上體が如龜(ぬッと)と斜めに顕れた。
「あら、お歸り。おやそちらは、あゝ、薬子樣(さん)も一緒だったの。すぐそこで會ったの?さう―――で、どうでしたの、首尾は?」
「えゝ、まあ」
「受かってた?」
「えゝ」
「受かったの?」横合いから昂(あが)つた薬子のこの噸狂な聲は、黙つて遣り過ごせばいゝものを、折りしも来懸かる登山者を前に鳴々(おゝ)然(ぜん)として茂みから飛び立つあの歘如(あかしま)な鳥影に似過ぎてゐた。
「そっか。今日合格発表の日だったんだ、道理(だうり)で―――でもまあ、眞幸なら當然よね」
 睼(みかえ)つて莞爾(にっこり)した薬子の顔から伯母の方へ視線を徙(うつ)した眞幸は悉皆(すっかり)失望した。渋紙(しぶがみ)色した伯母の顔に何等嫉妬らしい色も動揺の色も動かなかつたために、この報告は失望の種(たね)にしかならなかつた。伯母に與え得た打撃の手應えの無さも然(さ)りながら、自分の感興の薄さにも渠は同じくらい失望してゐた。
「あんまり嬉しそうじゃないのね」
「さう見えますか……いえ、そんなことありませんよ」
 それから伯母に對して久闊を暢(の)べ苞苴(いえづと)に「鬼(おに)饅頭」を手渡す辯舌の爽やかさは謂ふばかりなく、伯母の鈍(のろ)間(ま)なイロニーに付け入る隙を與えなかつた。にも拘はらず、玄關先で見せた心からの蔑みを美(み)事(ごと)に隠し果せてゐる薬子の鐡(てつ)面皮(めんぴ)に眞幸は餘處(よそ)ながら舌をば巻いた。

 青春の典型と云ふ固定観念の半分は姉によつて齎され、愈〻(いよゝ)強化された。文人蔑視を教えたのも渠の先を行く薬子の姚冶(ようや)な背中であつたかも知れない。
 一方薬子はこの弟に格別の親しみを持つてゐた。そこには尾瀬家の血統(ちすぢ)の悪弊を免れた、知能と容貌の相克する黎明のやうな悩ましい葛藤が活(い)きてゐたからで、出処は明らかに薬子のそれと同じだつた。目鼻立ちは男らしい眉の濃い一線の下に、華美ならぬ奥二重瞼(おくふたえ)から長い睫毛の涼しげな影がさした。ところが遠目に見るとそんな緻密な造作も深い憂愁の一色(ひといろ)に隈取られ、中近東風の彫りの深い眼窩、すんなりと瘠(こ)けた頬、絶えず何かを我慢してゐるやうな不器用な口許―――肉體に襯(しん)する連帯感は薬子に或る幻想を抱かせた。それは眞幸が自分の分身で、對蹠(たいせき)的に知的に發達してゆかうとする、謂はば自分に適はなかつた方面から自分に成り替はつて復讐して呉(く)れるやうな幻想だつた。
 
 夢とも現(うつゝ)ともつかぬ間に眞幸は學校の後方に置き去りにされた。裏口入學をしたと云ふ妄念は去り敢へず、歓迎されてゐないと云ふ所謂(いはれ)ない淋しさが付き纏つた。
 駭くべきは、新入生に一同に見られるあの均一性である。皆(みな)が皆同じ心構えをしてゐる徴候(しるし)がその躾のよささうに結ばれた口許に溢れてゐた。優等生の演出に長らく親しんで来た者の立ち振る舞ひだつた。それが一見識もない學生のみならず、同じ中學出身のIもUもまさにそんな顔をして澄ましてゐた。一種の秘蹟、渠の知らぬ間に新入生一同に施された洗礼と云ふ感じが眞幸にはした―――蓋(けだ)しこれも渠の疎外感がなせる被害妄想である―――而して思ひの外知つてゐる顔觸(かおぶ)れがこの難關と呼ばれた學校に及第してゐると云ふ發見が眞幸を益〻白けた氣持に誘つた―――自分が伸(の)るか反るかの冒嶮をしなかつたと云ふ越(をち)度(ど)も忘れて。
 だがこの疎外感などと云つてゐるものの正體も、裏を返して攻撃的に云へば「此奴等とは一寸(ちょっと)仲良く出来さうにない」と云ふ赤裸々(せきらゝ)な感想の換言でしかないのではないか?
 假擔任は恰是(あたかも)眞幸の嫌ひな年増の國語教師で、百舌のやうな嘲哳(とうたつ)たる高聲は恥知らずな偽善家に似つかわしかつた。そんな短矮な女が頤まである藁半紙の束を擎(さゝ)げて教壇の上に漸〻(やうやう)躋(にじ)り上がった。どんと教卓の上に重荷を卸(をろ)すと二三枚のプリントが滑つて燕の如く、生徒の足許に紛れ込んだ。
「はい、そしたらこれから三教科の確認テストをしますから、トイレに行きたい人は今のうちに濟まして来て下さい」
 不平らしい私語(つぶやき)が蚊(ぶん)雷(らい)の如く四邊(あたり)を領したがそれもほんの束の間で、渠等の新生面に於ける行儀のよい上機嫌は軽くお饒舌(しゃべり)に紛らして了へるのだつた。獨り眞幸だけが何時までも怏々(おうおう)として机に暫時膠着(こうちゃく)してゐた。『あの女の、さも當然だと云はんばかりの態度は何て横柄なんだらう……』
 眞幸は鉛筆を轉がすほどの気楽さで答案用紙を衊(けが)して行つた。

 中學時代とは何と云ふ徑庭(けいてい)だつたらう。眞幸は洒脱な二枚目の位地と無愛想と云ふ事を混同して、例の媚態としてのフモールを節約した。詰まり無愛想にするだけの餘裕が、中学時代とは異(ちが)ふと云ふ事の明証になるとの心得違ひをしてゐた訳だが、果たしてこの思惑は正鵠(せいこく)を缺いた。亦してもかの下手の媚態を弄する氣になれぬ渠が、無愛想に振舞つたとて決して怠慢とは云ひ難く、生粋(きっすい)の二枚目を演ずるために渠は精々努めたのだから―――三枚目を演じた頃と全く同じ概念の稠密さに則(のっと)つて―――結果クラス内のどこにも居場所がなくなつたとしても本望だつたらう。一寸(ちょっと)した孤立は二枚目の条件であるやうに見えても、慢性化した孤立は最早自分を二枚目と佯(いつは)るためには餘りに獨喜悦(ひとりよがり)な二枚目氣取りに過ぎなかつた。
 一年七組の室長は快速度で以て立候補し、信任投票で當選した。怪我(けが)にもかゝる要職に就く氣のない眞幸は然し、自分の與り知らぬ意思決定體が早くも我(われ)は顏(かお)に罷(まか)り通つてゐる事を素直に歓べなかつた。擔任のMが與えた、押しつ押されつ氣のいい誰かを燻(いぶ)り出すあの猶豫時間を俟つまでもなく、例の「LINE」で逸早(いちはや)く自己紹介を濟ませたお先走りな連中の間で勝手にNと云ふ候補を擁立して、あとから〳〵この連絡網にかゝる者に渠を支持するやう云ひ含めてゐたらしかつた。現代的な選擧工作とは、居直り立候補の果敢な擧手や上擦った演説を枉屈(おうくつ)することにあるらしい。素より携帯電話を持たない眞幸は流れに乗後れる事に狼狽するより、白け切つた流眄(ながしめ)を遣ふだけで精一杯だつた。
 室長は眞幸と同じ野球部で、同じ遊撃手のG市出身者だつた。
 學級の牽引力たる渠等の輪に加はれなかつた眞幸は、自然、學級の陰を擔ふ・調髪(てうはつ)の惡い不洒落な連中と齡(よはひ)せざるを得なくなつた。當然ながら、媚態の咸(ことごと)くを擯斥した渠に、氣に入らない連中に鼻薬を飼(か)ふ遠回しな遣り方が長く続く筈もなかつた。
 入學して匆々の手續きの中に、頓向(ひたすら)兩側の數字を足し合はせてゆく「クレペリン檢査」と云ふのがある。確認テストにも況して必然性のない、随つて發奮(はっぷん)するに當たらぬ縹(はなだ)色の用紙の前で鉛筆を啣えてゐた眞幸は、隣席の不洒落な連中の一人、Nの奇矯な振舞ひに顰蹙せざるを得ない。神経質に尖らせた・爪のやうに長い鉛筆の尖端(さき)を壓し折るばかりに、とん〳〵〳〵〳〵、仰山な音をさしてのたくり回し始めたのだ。號令を合圖に用紙を飜すその英雄的な身振りはマント捌(さば)きをさながらで―――言葉にするのも憚られるあの小學生染みた示威(しゐ)運動が教室中の顰蹙を買つた。眞幸は中心人物らの思惑を憚つて、堪え性もなくこの連中からそろ〳〵と足を洗い初(そ)めた。
 
 數日して確認テストの答案が逸早く返却された。恰是(あたかも)誰もがその點數を知りたがつてゐると極め付けてゐるかのやうな押し付けがましさで、擔任のMは一人々々の名前を呼んだ。眞幸は例によつて右肩の點數も確認しないまゝ、二つ折りにして鞄の中に捻じ込んだ。
「尾瀬、あんた凄いじゃない。百番以内に入ってるだなんて、ねえ」
 個人面接の席でMは劈頭恁(か)う口を切つた。学課のはじめから課題を碌にして来ない窓際のIとその後ろの眞幸とは成績不振者のレッテルが貼られても仕方がないとは云へ、頭から恁(か)う極め付けられると有繫(さすが)に肚が立つた。多寡(たか)が百番如きで―――入学試験の成績から云へば渠は優に三十番を下らなかつた―――憾むらくは、個人的な苦悩を獨創的に悩まなかつた人間はいつも恁(か)う云ふ沒精神の顔をしてゐる事だ。眉が不自然に吊り昂がつて、瞳孔を墓穴のごとく睜(みは)つてゐる、太々しい、爬虫類的な面構え。渠等は人間苦一般をいつも硝子戸一重(ひとへ)を隔てゝ博物的に眺める目遣ひをした。『生きてゐれば誰だつて…』『達観すれば苦しいのは今だけよ…』恁う云ふ一般化をして愧(は)じない輩は十が八九は自己欺瞞に陥つてゐて、Mもその撰(せん)に漏れなかつた。この五十女の老婆心に見せかけた飼育慾は、意想外と云ふものを生徒に許さず、過去の人名鑑を繰つて一人不殘(のこらず)自分の理解できる程度に簡略化された類型に當て嵌(は)めずには措かない。Mが何と眞幸を位置付けたかは知らないが、その目色には早くも類型化の一仕事畢へて一服してゐる獨合點(ひとりがてん)の安心立命が見て取られた。この手の不器量な國語教師特有の、假令(たとひ)天地が引ッ繰り返つても搖ぎやうのない博物學的な自己肯定。眞幸は最初の一瞥でこの女の心事を看破した―――そしてこのMの偽善も眞幸を青春の溝渠へと逐(お)ふ事に與つて力あつた。Mの偽善は他人の歪みはじめた性根を親切ごかしに診斷して愈〻悪化させる事を至上の好餌(こうじ)としてぶく〳〵肥つてゆく類のものだつた。憖つか實践的な裏付けのない智識のために、彼女は洵(まこと)に不手際な精神科の藪醫者だつた。
 自分はよく學級の女子生徒から専ら友人としての好意を寄せられてゐたものだが、それが皆無であるために恁うも學校生活が停頓するのだ、とした中學時代の渠の分析は餘り剴(がい)切(せつ)でない。現に教室の中で孤立しかゝつてゐる渠に話しかけて来た女子生徒が幾人かゐたが、渠の然でない待遇(あしらひかた)は曾(いむさき)の比にならないほど素ッ気なかつた。これは恐らく彼女らの態度が嘗ての女子生徒らのそれに餘り酷似してゐたからではないか?その行き摩りな仔犬に戯(あざ)れかゝる時の調子と、輕業師を見るやうな、隔心のある、嘲笑を雑じえた目の色は眞幸の強張つた無表情の奥に、鯱張(しゃッちょこば)つた渠の獨白劇を嗅ぎ付けてゐた。それが餘計眞幸の眉間を皺疊(しわだ)たせた。渠の誤謬は爰に於いて乎瞭らかで、二枚目の指標を如何に異性の關心を喚(よ)ぶかに索めてゐたなら、何のやうな種類の交渉を渠は望んでゐたのだらうか?―――渠の懷いてゐた二枚目像が方眼紙に畫かれた正四面體のやうに清廉潔白に過ぎたためだ。
観念的な泥田に迷い込んでゐる事は解つてゐても、原因の所在が今を生きる渠には攫めずにゐた。
自己分裂は嵩じた。爲に右半身と左半身とが手(て)ん手(で)ばら〳〵な動きを強いられるやうに足許の泥濘(ぬかるみ)は深まさり足搔(あが)きは益〻取り難くなつた。
 
 木曜の午后の選擇授業で眞幸は美術を擇んだ。と云ふのも渠は多少繪筆の才能があつたからだが、今更上手く畫をものして人目を惹がうと云ふのは何か稚拙な感じがしたので、渠は故(ことさ)らしだらなく筆を揮ひ、却て隣席のKを對手に低聲(こごゑ)に洒落散らす事にばかり熱中した。樗材(ちょざい)を組み合はせて作つた假(ニ)漆(ス)塗の篷(かと)しき箱椅子は脚の長さが參差(しんし)なために至るところで瓦多々々(がたがた)と鳴つた。眞幸はKを出(だし)に對向(むかひ)に座つてゐる物静かな女子生徒らの微笑を誘ふべくこんな廻り娓(くど)い手に及んだが、彼女らは疎か隣のKをさへくすりと笑はす事が出来ない。やがて半面だけ見せた其頬に憫笑(びんしょう)に似たものが昇つて来た。諧謔には自信のあつた眞幸は私(ひそか)に誇りを傷つけられた。渠等一般の感性が―――何を可(よ)しとし何を屑(いさぎよ)しとするかの感性が全校的に齟齬(くひちが)つてゐはしないかと渠は疑つたほどだ。

彼岸の光(1)

彼岸の光(1)

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 成人向け
  • 強い言語・思想的表現
更新日
登録日 2019-06-12

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