Mariaの日記 -15-(終)
「おい」
真理子が給湯室で洗い物をしていると、不意に背後から声を掛けられた。振りむくと、そこに立っていたは雨山であった。
「大嫌いな俺が転勤になってラッキーって思ったか?」
「はぁ……」
雨山からの問いかけは肯定も否定もし辛く、真理子は曖昧な返事を返すしかなかった。
「お前は気楽で良いよな、パート社員なら責任追及されるようなこともないもんな」
雨山の相変わらずな態度に真理子は怒りを覚えた。
「哀れですね、分不相応な地位についてミスして責任追及されたんですね。でも私に八つ当たりされても困るんですが……」
「は? 分不相応だと!? ふざけんな!!」
真理子に言い返され、雨山は言葉を荒げた。釣られて真理子の声も大きくなる。
「とにかく私に嫌がらせするのは止めて下さい!」
「それはお前のほうだろ!! 俺をゴミを見る様な眼で見やがって!!」
「それは雨山さんが嫌がらせするからでしょ! 変なブログまで書いて!!」
「またその話か! ブログなんて知らねえって言ってんだろ!!」
真理子は雨山の主張を無視する。
今の真理子としては雨山にはMariaでいてもらわねばならないのだ。
「Mariaの日記」が有耶無耶のままの閉鎖となったのは真理子にとって都合が良かった。
真のブログ主が誰であるかなど今更問題ではない。
三ヶ月後。
真理子と課長の関係は順調であった。
職場でも二人の関係は周知の事実となりつつあり、事ある毎に述べられる祝福の言葉達は真理子に幸福な未来を連想させ続けた。
毎週末、真理子は課長宅で過していた。それは二人が描く未来への途中経過としては自然の流れであった。
「ランチ出来ましたーー」
「うん、ありがとう」
課長はソファから身を起こして礼を言った後、真理子が運んできた料理を見て少し笑った。
「何だか可愛らしいプレートだね」
「真理子風カフェ飯ですから!」
それは如何にも若い女性が好みそうなワンプレートランチであった。
「塩焼きそばとポテトサラダとジンジャースープです」
真理子が自信満々に差し出したプレートの上には、太陽のように盛られたトマトと三日月の形に模られたポテトサラダが乗っていた。
だが課長の気を引いたのは凝った盛り付けのそれらではなく塩焼きそばのほうであった。
「あれ?お肉じゃないのかな」
「もうバレちゃいました?豚肉の代わりにお麩を使ったんです」
「美味しいよ」
「でも見抜かれちゃ駄目ですよね……」
「見た目は豚肉だね」
他愛無い会話が続き、その話題は「フェイク」「嘘」へと変っていく。
真理子は少し厳しい表情を作りながら課長へ釘をさす。
「嘘は駄目です!嘘や隠し事は禁止です!」
「うんうん、分かったよ」
課長に軽く流され、真理子は大仰な仕草を付けながら再度「禁止事項」として声を張った。
そんな真理子に対して課長は相槌を打たずに「嘘」について語り出す。
「嘘ってのはね、相手が気付いた時に嘘になるんだ」
「……気付いた時?」
「嘘だと気付かなければ嘘じゃない。騙されていると気付かなければ騙されていない。隠し事をしていると気付かなければ隠し事など無い」
「そんなの駄目です!」
「プロの詐欺師ってのは、詐欺にあったと気付かせないものだよ」
「……詐欺?」
「御馳走様」
課長は食べ終わった食器類を片付けにキッチンへと向かった。真理子は、食事の手を止めたまま考え込んだ。
「Mariaの日記」のブログ主は誰だったのか。
真相を暴こうとすれば知るべきではない結果が見えてしまうかもしれない。
真理子の手が震えた。
その結果は今の幸せを奪うだろう。
――嘘も隠し事も無い、それでいいんだ。
何もかもブログ主の思惑通りになってしまったのかもしれない。
でも真理子は気が付かずに騙されていればいいのだ。
今更、幸運の立ち位置から降りるつもりなど無いのだから。
-終-
Mariaの日記 -15-(終)