最初で最後の恋

最初で最後の恋

 行灯もともらない丑三つ時。
そんな夜中にちょうちんの灯りが一つ。
浅葱色にだんだら模様の羽織を羽織っている彼らの名は新撰組。

 時は江戸、幕末。
黒船来航により、攘夷か開国かと意見が分かれていたときの話。
そんな時代を生きてきた、彼ら新撰組。
京都守護職、会津藩お預かりの彼らは、前筆頭局長、芹沢鴨らを粛清後、近藤勇を筆頭局長と改め、京で攘夷派の浪士を取り締まる仕事をしていた。
剣や槍など、様々な武芸を身に着けている彼らの中に、一人の女がいた。
 その女の名は、鳥本美弥。周りの隊士からはお美弥と呼ばれていた。
美弥は、女ながらもなかなかの剣の腕前で、試衛館時代からの古株であり、流儀は、天然理心流。あの沖田総司に並ぶほどの剣の腕前である。

 「はっ。」
美弥の一日の始まりは早朝から。
まずは、剣の練習。
一人で毎日誰よりも早く起きて、練習をしていた。
不思議なことに、美弥が竹刀を持つと、まるでそれは舞っているかのように可憐で、かつ繊細で美しく見える。
 稽古で汗を流した後は、隊士の飯の用意をする。
新撰組副長、土方はこのようなことはしなくてもいいと言っているが、美弥は好きで飯の仕度をしている。
「おはようございます。」
隊士の中で二番目に早起きな一番隊隊長、沖田総司がこの時間から起きてくる。
総司は男にもかかわらず、整った顔立ちに、流れるような黒髪。仕草や笑い方も男らしくなく、肌も白いため、よく女と間違えられ、男に連れ去れそうなことがよくある。
そんな女みたいな総司も美弥を手伝い、朝飯を作る。

 実は、美弥と総司は幼馴染。
幼いころ、両親を亡くした総司は美弥と家族同然のように育っていく。
美弥は剣術を、隊内の中で一、二の剣の腕前といわれている総司と一緒に、まだ九つの時に習った。
元々、試衛館にはよく出入りしていた美弥は、無駄がない天然理心流の剣術を教えてもらい、地道に稽古をして、なかなかの腕前へと育った。
そして、浪士組の募集で、試衛館の面々らと女だが、特別に一緒に京へと上ったのだ。

 「おはよう。今日もちゃんと寝れた?」
美弥は完成しかけのおひたしを作りながら総司に聞いた。
「はい、今日は夢まで見ちゃうほどゆっくり寝れました。」
総司は、野菜を切りながら満足したような表情で言った。
「今日も、お仕事に行くんですか。」
「まぁな、しゃぁない。隊士かつ、監察方の仕事もやってるからなぁ。でも、やっぱりこういう仕事もないと、成り立っていかんって分かってるから、苦になったことはないで。」
美弥は達者な京都弁で答えた。
美弥は、新撰組監察方でもある。
変装をして、京の街を歩き、攘夷派の行動、不審者の情報などを集めている。
街の女に化けるため、京都弁も覚えた。
「そうですね。いつもお疲れ様です。」
「ありがとう。」
会話を終えるのと同時に朝飯も作り終わった。

 「おぉ!!今日もうまそうな朝飯だな。」
隊内の中で一番大食いの十番隊隊長、原田左之助がよだれをたらしながら言った。
「ったりめぇだろ、左之。お美弥の飯ではずれがあったことがあっか。」
左之助の隣に座っていた二番隊隊長、永倉新八が言った。
その会話を聞いていた美弥は、クスクスと笑いながら聞いた。
「それじゃぁ、食べるか。いただきます。」
局長、近藤勇の挨拶で隊士総勢で朝飯を食べ始めた。
「近藤さん、土方さんはまだ寝てはるんですか。」
美弥が局長の近藤に声をかけた。
「あぁ、歳のやつまた遅くまで調べ物をしていたらしい。山崎くん、詳しいことは知っているか。」
「はい、ここ最近の火災発生件数、時刻、場所を詳しく調べて欲しいと頼まれてましたんで、昨夜、その報告をしに行ったとこだったんです。ここ最近、京の街での火災が多くなってきています。しかし、奇妙なことに行灯もともらない丑三つ時、まして空き家から多数発生しています。」
新撰組監察方、忍として仕事をこなしている山崎丞が詳しく話した。
その話を隊士達が真剣に聞いた。
山崎は大抵、夜に仕事を開始する。
丁度、攘夷派の浪士が活発に動くのが夜だからだ。
そして、こうして飯のときに情報を伝えている。
「でも、もったいないなぁ。こんなうまい飯を食わないなんて。」
箸をくわえながら八番隊隊長、藤堂平助が言った。
「私が、起こしてきます。」
総司が席を立った。

 「土方さん、土方さん!!朝ですよ。もう皆、朝ごはん食べ初めてますよ。」
「いらねぇ。」
新撰組副長、土方歳三は総司に背を向けながら言った。
「もう、せっかくのお味噌汁が冷めちゃいますよ。土方さん。」
総司は言い出したらなかなかしつこいので、土方は不機嫌そうに体を起こした。
「ったく。わぁった。でも、飯食ったらまた寝るからな。」
そういうと、土方は頭をボリボリとかきながら、席へと向かった。
「土方君、おはよう。」
土方の姿を見た、新撰組副長、山南敬助が声をかけた。
「あぁ。お前は飯食わねぇのかよ。」
「山南さんはまた体の調子がよくないみたいなんです。」
土方の後ろから着いてきていた総司が説明してから、山南は少し困ったような笑顔で土方を見た。
「ったくよぉ。まぁ、大事にな。」
土方はまた頭をボリボリとかいた。

 「おはようございます。土方副長。」
新人隊士たちが挨拶をしても、土方は返事もしない。そして、乱暴に自分の席である、近藤の隣に座った。
「で、歳。昨日は何か分かったのか。」
近藤が聞いた。
「あぁ。出火が空き家で、しかも行灯もともらない丑三つ時だ。間違いねぇ。吉田稔麿が来ていやがる。」
そういうと、土方は味噌汁を豪快にすすった。
「吉田・・・・」
総司がポツリと言った。
「安政の大獄で殺された吉田松陰の弟子。」
山崎もポツリと言った。
「あぁ。放火が趣味のいかれた放火やろうだ。すまないが山崎くんと美弥は、古道具屋の枡屋を中心に調べてくれ。」
『はい。』
丞と美弥が同時に言った。

 「それじゃぁ、行ってまいります。」
二時間後、美弥は化粧や着替えをして、情報収集へと出かけた。

 「これはこれは、お幸はん。今日はどうされはったんですか。」
「いや、今日はちょっとこの辺にようがあってなぁ。近く来たついでに枡屋はんのお顔を見に行こうと思ってなぁ。」
お幸とは、街の女となっているときの美弥のもう一つの名前。
「ほんまでっか。それはそれは、めちゃめちゃ嬉しいですわ。」
「なぁ、枡屋はん。最近、火事が多くなってるやろ。うち、最近怖くてゆっくり寝られへんねん。なんか詳しいこと知らん。」
美弥は色気を出し、枡屋に聞いた。
美弥の色気で落ちない男はそういない。
「ここだけの話でっせ。過激派の攘夷派浪士が最近よく京に来てるみたいですわ。その親玉が命令してるって噂がたえまへん。」
「そうなんや。どうもおおきにな。少し気が楽になったわぁ。」
美弥はニコリと笑った。
「あっ、えっ、いや、お幸はんの役にたてたんなら、嬉しいわ。」
枡屋がそう言ってから、美弥は屯所へと向かった。

 「入れ。」
美弥が屯所に戻り、土方の部屋へ向かうと、土方はもうとっくに起きていた。
「失礼します。」
そう言ってから、部屋へと入った。
「報告しろ。」
「はっ。土方さんの考えどおり、吉田が来ています。しかも、枡屋に聞いてみると、街の誰よりも詳しく知っていました。狩りますか。」
「いや、まだだ。もっと食わせろ。」
土方はたばこを吸いながら言った。
「はっ。」
美弥は返事をしてから土方の部屋を後にした。

 「入るで。」
次に、美弥が向かった先は、丞の部屋。
美弥が調べた情報を、正確に丞に伝えるためだ。
「やっぱり土方さんが見てたとおり、枡屋が怪しい。夜に多分長州の奴らがよう動き出すと思うからちゃんと見といて。」
「承知。」
美弥は丞の部屋を後にした。

 「沖田さぁん、相手してくださいよぉ。」
美弥は部屋に向かうとき、鉄之助が総司にだだをこねているのが見えた。
市村鉄之助は最近入隊してきた、十五歳の若い隊士。隊士というが、土方の小姓で、実際の戦場で刀を振ったことは一度もない。しかし、親が長州の過激派浪士に切られたことを知り、あだを討つため、新撰組に入隊し、いつも総司など、剣の使い手に稽古を申し込んで困らせている、元気な男の子である。
暇さえあれば稽古をしているため、最近は剣の腕が上がってきた。
しかし、土方は絶対に戦場へ行かせない。まして、小姓にするとは、土方にしては珍しい。
また、小姓は、局中法度を無視して、局を脱隊することができる。
局中法度とは、新撰組の中の絶対的な存在である。
その内容は、
「一、士道ニ背ク間敷事(士道に背くまじき事)
 一、局ヲ脱スルヲ不許(局を脱するを許さず)
 一、勝手ニ金策致不可(勝手に金策致すことを許さず)
 一、勝手ニ訴訟取扱不可(勝手に訴訟を取り扱うことを許さず)
 一、私ノ闘争を不許(私闘を許さず)
  右条々相背候者切腹申付ベク候也(右の条文に背く者には切腹を申し付ける)」
つまり、一度新撰組に入隊すると、大きな理由がない場合、新撰組の隊士をやめることができないのである。
また、この局中法度は、前筆頭局長、芹沢鴨を暗殺する際に、利用したとも言われている。
「すいません、鉄之助君。これから見廻りに行かないといけませんので。」
総司はそう言って鉄之助をあきらめさせようとしていた。
「総ちゃん、どうしたん。」
「あっ、お美弥。今から一番隊と三番隊で見廻りですよ。着替えてきてくださいね。」
「了解。鉄之助くん、ごめんな。総ちゃんもれっきとした隊士やから、仕事優先やねん。」
「うん・・・」
鉄之助は渋々あきらめた。
美弥は鉄之助の頭をやさしくなでた。

 「新撰組や。ほんま怖いなぁ。はよ京の街からで出て行ってもらわれへんかなぁ。」
新撰組を見るたび、京の町の人々からは心ない声が聞こえてくる。
京の町の人々は攘夷派の考えの人たちが多いため、幕府側の新撰組はただの殺し屋としか見られていなかった。
しかし、総司、美弥はそんなことを気にしてもいない。もちろん、他の隊士たちもだ。
彼らは新撰組隊士として京の見廻りを行っていることを誇りに思っている。
いくら冷たい言葉が聞こえようが、気にしない。
「キャァァ!!」
少し先の方で女性の叫び声が聞こえた。
その声を聞いた隊士達は総司を先頭に叫び声のする方向へと走っていった。
「おい、女。ぶつかっといてそれはねぇんじゃねぇか。」
「だ、だから謝ってるやないですか・・・」
「うっせぇ!!」
隊士がようやく騒動の場所に着いた。
女性は男に着物の胸倉をつかまれ、男は刀を出していた。
「や、やめて!!!」
「新撰組、一番隊隊長沖田総司だ!!」
総司が声を張って男に威嚇するように言った。
「ちっ、新撰組の沖田か。」
男は刀をしまいそそくさと逃げて行った。
新撰組の「近藤」、「土方」、「沖田」、そして「鳥本」つまり、美弥は剣の使い手として有名で、その名は長州藩、肥後藩、薩摩藩などの攘夷派浪士の耳にも入っているほど。新撰組と、名を名乗れば、ほとんどの浪士が逃げて行く。
「どうもおおきに。」
女性は総司に深く頭を下げた。
「いったい、何があったんですか!?」
「いや、あの男の人、昼間から酒を飲んではって、歩いてるとこにうちの肩がぶつかってしまったんです。そしたら、召し物が汚れたから金を出せって言いはって。金は渡されへんって言ったら、刀を抜いて、殺そうとしてきはったんです。」
女性は崩れてしまった着物を直しながら言った。
「お怪我はありませんか。」
美弥が女性に聞いた。
「えぇ。新撰組の人達が来てくれはったから、怪我はしてまへん。どうも、おおきに。ほな、うちはちょっと急いでるんで。」
女性は頭をペコっと下げてから風呂敷に包んである荷物を大事そうに抱えて早足で歩いていった。
「あの男、うちの予想やと、長州藩のもんやと思う。」
「そうですね。なかなかの長州なまりがありましたから。」
そう言うと、総司はまた歩き出した。

 「ただいま戻りました。」
総司は見廻りを終え、土方に報告しに行った。
「ご苦労。で、何かあったのか、珍しい。お前は普通何もなかったらすぐに菓子屋に飛んで行くからなぁ。」
土方はフっと笑った。
「実は、見廻り中に長州の者だと思われる者が、街にいた女性に金を出せと追い詰めていた騒動がありました。」
「長州のやつか。なかなか集まってきてやがる。」
「騒動が起こった場所は、枡屋からあまり離れていない場所で、しかもその男は枡屋がある方向へと走って行きました。」
「ますます怪しいな。山崎くんに今夜、徹底的に調べてもらう。お前はもういいぞ、総司。」
「はい。」
総司はいつもの笑顔で答えた。
「あぁ、そうだ。原田と永倉と藤堂と美弥に言っとけ。今日は飲みに行くぞ。総司、お前もだ。」
「分かりました。」
総司はコクっとうなずいた。

 「どうやった、土方さんの反応は。」
美弥が土方の部屋から少し離れた廊下で待っていた。
「いつもどおりの鬼の副長さんでした。」
フフフっと総司は笑った。
「土方さんが聞いてたらいくら総ちゃんでもおこられるで。」
美弥は注意した後に美弥もフフっと笑った。
「あっ、そうだ。今日の夜は飲みに行くみたいですよ。土方さんと、美弥と、永倉さんと、原田さんと、藤堂さんと、私で。」
「分かった。三人に会ったら伝えとくわ。」

夜。
「ハハハハハっ!!もっと酒を持って来いよ!!」
店に来て一時間。左之助はすっかり出来上がっている。
「左之。あまり飲みすぎるなよ。」
そういう新八もなかなか酔っ払っている。
おまけに平助は遊女に何かを熱く語り、しまいに酔っ払って泣き出した。
「うち、やっぱこういうとこは慣れへんわ・・・」
「私もです。私もあまりお酒が飲めないので・・・」
美弥と総司は二人で話していた。
土方は、遊女と一緒に話が弾んでいた。
 「失礼いたします。」
急に部屋の外から流暢な声が聞こえた。
「入れ。」
土方がそう言うと、障子が開いた。
「桜と申します。今日はうちを呼んでくれはってうれしゅうございます。今宵はゆっくり楽しんで行っておくれやす。」
そこには、店一番の美人の花魁が座っていた。
「ひゃぁ!!きれいなねぇちゃんじゃねぇか。噂には聞いてたけど、ここまでの美人だとはなぁ。」
左之助が桜に見とれた。
「おそれいります。」
桜はニコっと笑うと、土方の隣に座り、酒を注ぎ始めた。
「うちも嬉しいどす。新撰組の隊士はん達がこの店によう出入りしてるんは聞いてましたけど、今日、呼んでくれはるやなんて。あそこに座っとるのは女の子二人どすか。」
桜は総司と美弥を見た。
「いや、手前に座ってるのは、れっきとした男だ。一見女に見えるが一番隊隊長だ。その奥に座っているのは、女だが、なかなかの剣の腕前で現在一番隊に所属している、美弥と言う。」
「あれが噂の一番隊隊長の沖田はんですか。なかなかこの世界じゃ有名な方どすよ。鳥本はんも。もちろん、土方はんもやで。」
桜は土方に酒をついでから立ち上がり、総司の前へと座った。
「今日はほんま、どうもおおきに。」
急に桜がお礼を言い出した。
「・・・失礼ですが、私とあなたは初対面では?」
総司は首をかしげた。
「いえ、沖田はんに間違いありまへん。ほら、昼間に浪士から助けてもらいました。」
「・・・あぁ!!化粧をしていて全然分かりませんでした。ここで働いていたんですね。」
皆がキョトンとした顔で総司を見た。
「ほら、昼間に言った人ですよ。見廻り中に不貞の浪士に切られそうになってた女性。その人ですよ。」
皆がうなずき、酒を飲んだ。
「こっちの方もいはりましたやんなぁ。隊士の中で唯一の女性の隊士はんやなんてなぁ。ほんま、立派なもんどすねぇ。」
桜が酒を注いだ。
「ありがとうございます。すいません、私と総ちゃんはお酒がまったく飲めなくて・・・」
「あら、そうなんどすか。見かけと一緒でかわいらしいお方達。」
桜が総司の顔をなでた。
桜は男が絶対見とれてしまう色気がある。
「よく言われます。」
総司はニコニコしながら桜の手をのけた。

 「ハハハハっ!!!!」
深夜の帰り道。
屯所へと向かうが、新八と左之助と平助は肩を組み、千鳥足で屯所へと向かって歩いている。
土方は酒に強いため、しっかりと一歩一歩進んでいる。
「あの女、なかなかの上玉だった。」
「そうですね、すごく綺麗な方でした。」
総司の口からその言葉を聞いた美弥は胸を針で刺されるような痛みを感じた。
「どうかしましたか。暗い顔をして。」
総司が美弥の顔を覗き込んだ。
「ううん、何もない。大丈夫やで。」
美弥はニコっと笑い、総司の隣に着き、屯所へと向かった。

「ゴホっ・・」
早朝。
遊郭から帰ってきてまだ二時間ほどしか経っていないが、美弥は総司の部屋からの物音で目が覚めた。
「ゴホっ・・・ゴホゴホっ!!」
どうやら咳をしているようだが、普通の咳の感じはしないため、美弥は総司の部屋を覘いた。
部屋では、うずくまっている総司の姿が見えた。
「総ちゃん!!」
美弥は慌てて総司のもとへと駆け寄った。
「だ、大丈夫です。ゴホッゴホ。ちょっとむせただけですから。」
「ほんまに大丈夫なん!?普通じゃないで。今日、日が昇ったら、すぐにお医者さんに見てもらおう。なっ。」
美弥が総司の背中をさすりながら言った。
「本当に大丈夫ですから。本当に。美弥は心配性ですね。」
総司は咳きが止まり、いつもの笑顔で美弥を見た。
「ほんまに?また調子が悪くなったら言うんやで。」
美弥は心配そうに総司を見つめながら自分の部屋へと戻った。
その後姿に総司は手を振った。
「(そろそろ、皆さん気づいてくるかもしれないな・・・)」

総司の部屋から自分の部屋に帰る時、同じ監察方の丞に出くわした。
「あぁ、丁度ええところに。今、監察の仕事を終えてきた。やっぱり、枡屋に集まってきとる。これは、確実に間違いなさそうや。土方さんには伝えといた。」
丞はそう言うと、美弥の返事も聞かずに歩いていった。

日が昇り、美弥はいつも通り朝稽古を終えて、朝飯を作り出した。
「おはようございます。」
総司が起きてきた。
「おはようさん。総ちゃん、ほんまに大丈夫なん。うち嫌やで、総ちゃんが変な病気で死ぬのなんか。総ちゃんは新撰組一の剣の使い手なんやから、少しでも長生きしてもらわんと。」
美弥は朝飯の支度をしながら言った。
「・・・・」
総司は何も答えない。
「総ちゃん?」
「お美弥。じ、実は・・・・」
真剣そうな総司の目を見て、美弥の手も止まった。
「・・・・・・・・・おなかが痛くって。」
「大丈夫?それなら今日は手伝いいいよ。朝飯、おかゆにしたろか?」
「あっ、いいですよ、そこまでなんで。でも、少し休んできますね。」
総司はニコっと微笑んでから台所を後にした。
「(なんかおかしい・・・)」
美弥は、総司の様子が変だと分かっていた。
「(何か隠し事をしてる。なんやろ、またなんかしでかしたとか?)」

「あれっ、今日は珍しく総司いねぇのかよ。」
真っ先にやってきた左之助が気づいた。
「うん、そうやねん。なんか朝からおかしくって。」
美弥は心配そうに話していると、
「恋かもな。総司の奴、久しぶりに女に目覚めたのか。春到来!!」
平助がニヤニヤしながら言った。
「おい、平助。お美弥の気持ちも考えて言えよ。分かるだろ。お美弥の総司に対する態度を見てたら。丸分かりだ。」
新八が平助をひじでついた。
「(そっか、総ちゃんも恋をしいひんってことはないことはないし・・・もしかして、昨日の桜はんかなぁ・・・なんでこんな、胸が締め付けられるような痛みがあるんやろ。お梅はんがおった時と同じような感覚・・・)」
以前の筆頭局長である芹沢鴨のお気に入りの女性のお梅に総司は一度恋をした時期があった。
その姿を見ていた美弥はそのときも同じような感覚になっていた。
「まぁまぁ、大丈夫だろ。どうせ、総司のことだ。菓子でも食べ過ぎたんだろ。」
新八が美弥の肩を軽くたたいた。
「まぁ、それならいいんやけど・・・」

「あれっ、今日は監察方のお仕事は休みなんですか。」
玄関を掃除していた鉄之助が声をかけてきた。
「さっき行こうとしてんけど、臨時の巡回の命令が来たから、ちょっと行ってくる。」
美弥は先ほど連絡してきた新人隊士の言っていた場所へと急いで向かった。
そこには、隊士五、六名が一人の浪士を捕まえて、美弥を待っていた。
「あっ、お待ちしていました、鳥本先生。」
美弥はほとんどの隊士から「鳥本先生」と呼ばれ、尊敬されている存在のうちの一人である。
「連絡で聞いたとおり、ここに来たんやけど。何があったん。」
美弥の顔にいつもの笑顔はなく、強い目で捕らえられた男を見た。その顔は、男の隊士でも、恐怖というものが感じられるような顔である。
「この怪しい男が、枡屋の前でうろうろしており、声をかけたところ、逃走を図ったので捕らえました。」
捕らえられている男は、隊士の顔も見ず、ただそっぽを向いている。
「男。何故逃げようとした。」
「・・・・」
男は何も答えない。
「口を割らないということは、屯所で力ずくで吐かせるということになる。それでもいいのなら、屯所へと連行する。」
美弥は男が何も話さないため、「吐かせる」つまり、「拷問」という言葉で脅した。
男もさすがに拷問をされるという恐怖で、美弥の顔を見た。
「すべて言う・・・・」
男はやっと口を開いた。
「じ、実は・・・・二百名ほどの長州勢が潜んでいる・・・枡屋の主人、枡屋喜衛門は、古高俊太郎だ。」
男はそう答えると、美弥は内心驚いていたものの、
「この男を屯所に連れて行き、土方さんにどうするかを聞きなさい。」
美弥は隊士達に命令した。
男は、攘夷派の浪士達の中でも恐れられている「土方」の名を聞いて、顔が引きつっていた。

その帰り。
「お見事でした、鳥本先生。」
新人隊士が美弥の隣を歩きながらそう言った。
「うん、おおきに。」
美弥が返事をした時、昨夜飲んでいた店の前を通った。
まだ明るいが、繁盛している。
「いらっしゃいまし。」
主人が客に頭を下げている。
美弥は不意に店を見た。
そこには、総司がいた。
「(えっ、何で総ちゃんがこんなとこにおんの。)」
一瞬にして美弥の頭の中は真っ白になった。

その夜、近藤と土方は明日の早朝に、一番隊の隊士達で枡屋に突入するという命令を出した。
「いよいよ、尊皇攘夷の獅子を吐き出す準備ができましたね。明日、吉田もいればいいのですが・・・」
総司が刀の手入れをしながら言った。
「そうやね。なぁ総ちゃん、その性格どうにかならんの・・・」
美弥は縁側に座り、月を見ながら言った。
「いやぁ、無理ですね。私は二重人格ですから。たまに、どちらが本当の自分なのかも分からなくなります。」
総司は少し声を低くして言い、刀の手入れを一度中断し、美弥の隣に座った。
しかし、美弥はあまり元気のないような顔をしている。
「(総ちゃん、あん時何してたんかな・・・また桜はんに会いたくなって・・・)」
頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。
そんな美弥に気づいたのか、総司は、
「美弥、月は普通、何色に見えますか。」
総司が聞いた。
「何色って・・・黄金色とかじゃないん・・・」
美弥が不思議そうに答えると、
「そうですよね・・・でも、私にはどうしても血の色。つまり、茜色に見えるんです。」
総司は月を見つめながら言った。
美弥は返事ができなかった。あまりにも総司がかわいそうで、卑劣だと思えてしまったから。
しかし、美弥の頭の中はまたぐちゃぐちゃに戻ってしまう。
「なぁ、総ちゃん。」
「何ですか。」
総司は優しげな声で答える。
「昼間、何してた。」
「昼間ですか。ちゃんと寝てましたよ。」
総司は何食わぬ顔で答える。
「嘘・・・嘘つかんといてぇや!!ほんまは知ってんねん!!昨日の店におったって。うちに嘘つくって・・・総ちゃんのこと、信用できひん!!」
美弥は、自分の部屋に走って行き、勢いよく、部屋の障子を閉めた。

元治元年(1864年)六月五日、早朝。
いよいよ一番隊が枡屋に突入するときが来た。
「トントン。」
予定どおり、しまっている枡屋の戸口を軽く叩く。
「はい、はい。ちょっと待ってください。」
中から戸を開ける音がした。
そして、戸口が開いた瞬間、
「新撰組だ!!!」
勢いよく一番隊の隊士が枡屋に飛び込んだ。
「枡屋喜衛門。本名、古高俊太郎。うまく化けたつもりでしょうが、そうはいきませんよ。言い訳は屯所にて伺います。」
総司は、古高をにらみつけた。
「局長からの命令だ!!逃げる者は容赦なく切っていい!!この屋敷から誰一人として逃がすな!!」
美弥がそう言うと、隊士たちは声を一斉に上げ、刀を抜いて散らばった。
総司と美弥はまだ解決しておらず、美弥は昨日のあれからは一切総司と目をあわそうとしない。
気がつくと、そこには古高はおらず、屋敷の中で古高を見ることができなくなってしまった。
「徹底的に調べろ!!!」
総司が珍しく声を上げて命令する。
美弥も古高を探した。
次の瞬間だった。
「ザク!!!」
美弥が立っていた畳の下から刀の刃が出てきた。
危機一髪、美弥は軽く足を切っただけですんだ。
美弥はすぐさま、畳をひっくり返した。
そこには、古高がいた。
他の隊士達も一斉に美弥の周りに行き、古高を捕縛することに成功した。
古高が身を隠していた畳の下には、信じられないような大量の武器などが押収された。
「驚いた。こんなに武器が隠されているとは・・・長州の奴ら、やはり何かするようだったようですね。」
総司が降りてきた。
美弥は、ただ武器を眺めているだけで、総司の話に返答はしない。
「誰か来て!!」
美弥は下から、上にいる隊士を一人呼んだ。
「至急局長に連絡を!!吉田はおらんくって、大量の武器を押収したって。」
美弥は新人隊士に連絡を言付けると、武器を一つ一つ確認した。
「こんなにも、火薬が・・・・」
美弥は火薬を手に取った。

 枡屋で捕らえられた浪士は、新撰組屯所へと向かわされ、殺された。
しかし、古高俊太郎は蔵で土方の拷問を受けることになってしまった。
古高は足を太い釘で固定され、縄で体を縛られ、体を逆さにされたまま、体が血だらけになるほどいたぶられていた。
「さぁ、吐いてもらおうか。枡屋喜衛門。本名、古高俊太郎。吉田の筋書きを。」
土方は古高をにらみつけながら聞いた。
すでに、古高の意識はもうろうとし、いつ死んでもおかしくない状態になっている。
そのため、古高は口を少し動かすだけで、何も言わない。
「さぁ、吐け!!」
土方が怒鳴り、また体をいたぶった。
「あぁ!!!!」
古高が痛みで叫び声をあげる。
「あっ、あぁ・・・・きょ、強風の日を選び、御所に火をつけ、混乱の間に松平容保を討ち、勤皇を長州へと連衡する・・・」
古高はついにすべてを話した。
「ははぁ・・・けしからんなぁ。そんな卑怯な手を使うとは、勤皇の志士とは思えんなぁ。」
土方は、恐ろしい笑みを浮かべた後、腰に差していた刀を抜き、古高の首を切った。
蔵の中は赤い花の花びらのように赤い血の血痕が残った。
 土方は古高を殺した後、蔵の前で警備をさせていた隊士に始末しておくようにと命令した。

「近藤さん、至急、全隊長を集めよう。古高が吐いた。」
 数分後、すぐに全隊の隊長が集まった。
「いいか、お前らよく聞け。古高俊太郎が吐いた。尊皇派の連中は、強風の日を選び、御所に日をつけ、その混乱の間に松平容保様を殺し、勤皇を誘拐するという作戦を立てていた。そして、今朝の騒ぎで、あいつらはこの夜に会合をどこかで開くはずだ。今日の夜、出発する。まず、隊を二つに分ける。近藤さんの隊に、総司、藤堂、永倉の隊を。それ以外は、俺について来い。以上だ。」
「しっかり、用意しておくように!!!」
話が終わると、隊長達は散らばり、自分の隊の隊士達へと報告しに行った。
 「近藤さん、近藤さんの隊は優秀な奴が多い隊が集まっているからといってやはり人数が少ない。もし、近藤さん達が当たりを引いていしまったら、すぐに連絡するように、頼む。」
「分かった、歳。お前も気をつけろ。わしは池田屋を中心に捜索する。歳は、生駒屋を中心に調べてくれ。一様、会津藩にも連絡入れておかないといけないな。会津からの命令があるまで、ここで待機しよう。」

 数分後、鉄之助が土方の部屋に呼ばれていた。
「市村、お前の欲しがっていた差料と、隊服だ。ただ、血が怖いって言うなら、俺はお前を戦場へと連れていかねぇ。」
土方は小姓である鉄之助にも刀と隊服を渡した。
土方は、鉄之助の仇が長州のやつらの中にいるということをよく知っており、最近、小姓の仕事をさぼっては、剣の練習をしていたため、剣術も精進してきたので、連れて行ってもいいと考えたのだ。
「・・・行きます!!!行かせてください!!」
鉄之助は土方に頭を下げた。
「よし。その代わり、逃げるなよ。」
そういいながら、土方は煙草に火をつけた。
「はい、ありがとうございます!!!」
鉄之助は土方に手を突いて、礼をした。

元治元年(1864年)六月五日。
新撰組は会津藩からの命令がないことに痺れを切らし、出発した。
予定どおり近藤隊と、土方隊に分かれた。
「久々に近藤さんが刀を振るう姿が見れますね。」
総司はいつもどおりニコニコしながら言った。
よほど、人を切るのが嬉しいのだろう。
しかし、ちらっと横目で美弥を見ると、困ったような表情を見せた。
「はは、そうだな。最後に刀を振ったのはいつだったかなぁ。ハッハッハッハッ!!」
近藤は大きな口を開けて、豪快に笑った。
「鉄之助君、あんまり無理したあかんで。もし、池田屋に長州のやつらがおったとしても、あいつらは行灯を消すはずやから、真っ暗になる。切り殺されへんようにな。」
美弥は美弥の隣を歩いていた鉄之助に言った。
「分かってる!!」
鉄之助は元気な笑顔を美弥に見せた。
なぜか、美弥はため息が出た。
「(ほんま、実践練習もしたことない鉄之助君を、戦場に送るなんて・・・かわいそうなんもわかるけど、土方さんも甘いとこあるねんなぁ。)」
美弥はそう思っていた。
街はもうほとんどの人が寝て、静まり返っている。
しかし、池田屋に近づくにつれ、宴会の音が大きくなってくる。
「行くぞ。」
近藤は、突入する際に隊士に声をかけた。
そして・・・
 「御用改めである!!手向かいいたせば、容赦なく切り捨てる!!」
勢いよく、池田屋の戸口を開けた。
その瞬間、一人の男の顔が引きつった。
「し、新撰組だぁ!!!」
男はそう叫ぶと、近藤に向かって刀を振りかぶった。
しかし、近藤は天然理心流の四代目。
男はすぐに切り殺された。
近藤、総司、美弥、永倉は急いで階段を上り、二階の部屋の障子を破った。
「か、囲め!!相手は十名ぐらいしかいない!!囲んで打ちのめせ!!!」
近藤たちは囲まれた。
「うりゃぁぁ!!!」
一人の男が切りかかってきたが、総司によって切られた。
「警告はしたはずだぁ!!いいか、お前ら。切って、切って、切りまくれ!!」
近藤が叫ぶと、隊士達は散らばり、長州の者を切っていった。
「ちょ、そこの!!急いで土方さんに連絡せぇ。」
美弥は長州の男を刺しながら、近くにいた隊士に命令した。
「はっ!!」
その隊士は急いで一階に駆け下り、土方の元へと走った。
「こしゃくなぁ!!!」
美弥にまた長州の者が切りかかった。
美弥はすばやい動きで避け、後ろがお留守になっている背中の急所を刺した。
「うっ・・・」
男は倒れ、即死した。
美弥はすでに全身返り血だらけになっていた。
羽織にも、斑点のように赤い色がついている。
「お前、噂の女隊士か!!」
長州の者が気づいた。
「いかにも。鳥本美弥とは、うちのことや!!」
また美弥は長州の者を切った。
 その頃総司は、近藤と一緒に長州の者に囲まれていた。
「行けっ!!」
誰かの命令の後、一斉に切りかかってきた。
フッっと総司は笑うと、刀を大きく振り、一瞬にして、4,5人を殺した。
近藤も大勢の長州人を切っていた。
隣の部屋では永倉と一緒に鉄之助も長州の者を殺している。
しかし、鉄之助の仇である男はまだ見つかっていない様子。
「きゃぁぁ!!」
急に美弥の叫び声が聞こえた。
総司が急いで叫び声のした方向へと走った。
そこには、男二人に拘束され、すぐに殺されそうになっている美弥の姿を見た。
「美弥!!お前らぁぁ!!」
総司は見たことも聞いたこともないような恐ろしい顔と、叫び声で拘束していた男達を切った。
「総ちゃん、ありがとう・・・それと、昨日のは・・・」
「話は後でします。今は、自分が死なないことだけを考えて。」
総司はそう言うと、長州の奴をまた探しに行った。

その頃、連絡は土方の下に届いた。
「何!?池田屋だったか。ちくしょう。お前ら!!行くぞ!!」
土方はすぐに池田屋へと向かった。

池田屋では、すでにほとんどの長州人が殺されたり、捕縛された。
しかし、鉄之助の仇は見つからない。
「はぁ、はぁ。」
隊士達にも疲れが見えてきた。
特に総司は肩から息をし、苦しそうにしていた。
「さぁ、どうする。このまま突っ立ってちゃ、何にも始まらないよ。」
新八は長州の者と向かいあっていた。
相手の男にも疲れが見える。
「うりゃぁ!!」
男が振りかぶり、新八は急所を突き、気絶させた。
「おぉ、永倉!!そっちはどうだ!?吉田が見つからないなぁ。」
ギシっ。
突然、二階の廊下のきしむ音がした。
「二階にでもいるんじゃないですか。」
新八が冗談で言ったが、実は本当に吉田稔麿は二階にいた。
そして、平助と向き合っていた。
平助は鋭い目つきで吉田をにらみつけている。
吉田も平助しか見ていない。
「はっ!!」
刃と刃の重なる音だけが聞こえる。
しかし、次の瞬間、吉田は平助の頭部を切った。
「ドサっ。」
平助の倒れる音だけが響く。
「藤堂さん!!!」
通りかかった総司と新人隊士が平助の下へと急いだ。
「藤堂さんを安全な所へ!!処置もしてもらってください!!」
総司は隊士に平助を安全な場所へ移動させるよう、命令し、刀を抜いて、吉田と向き合った。
月光に照らされた切っ先は、恐ろしいほど光り輝いている。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・・・・」
総司は倒れるのではと思うような呼吸だった。
そして、総司が切りかかった瞬間、吉田も切りかかった。
一瞬、時が止まったようだった。
しかし、どちらも傷を受けていない。
もう一度総司は吉田をにらんだ。
「はぁぁ!!」
総司が切りかかった。
しかし、吉田の銛で受け止められ、反動で押し倒され、胸を踏まれた。
「うぅ!!!ゲホッ、ゴホっ!!」
総司は吉田の足を持っていた刀で刺した。
「あぁ!!」
吉田が痛みで声を上げる。
その間に総司が立った。
「うっ、ゴホっ、ゴホッ。うぅ!!ゴボッ。」
総司が急に口を手で押さえた。
総司の手のひらには、赤い鮮血がついていた。
「こ、こんなときに・・・ゴホっ、ゲホっ、ゴホゴホっ・・・。」
総司がむせている間に吉田は総司を押し倒し、胸をすごい力で押した。
「っ・・・・!!!ゲホっ、ゴホゴホゴホっ。うっ、ゴボっ・・・はぁ、はぁ・・・・」
総司の意識が遠のく。
それとは逆に総司の口からは大量の血が出てくる。
「(私は、こんな風に最後を迎えるのですか・・・)」
総司が死を覚悟した瞬間、胸の圧迫がなくなった。
薄れる意識の中、総司は吉田を見た。
そこには、鉄之助の姿があった。
「お、お前だ。お前が、父ちゃんと母ちゃんを・・・」
鉄之助がそう言うと、吉田が銛で鉄之助を攻撃してきた。
鉄之助はそれをすばしっこい動きで避けた。
「はぁぁぁ!!!」
鉄之助は吉田の腕を切り落とした。
「ウアァァァァ!!!」
吉田が叫び声をあげた。
その叫び声を聞いた美弥が急いで来た。
鉄之助が吉田に向かっている姿の傍ら、口から血を出し、咳き込んでいる総司の姿を見つけ、総司の下に走った。
「総ちゃん!?大丈夫!?総ちゃん!!」
美弥は必死だった。
「はぁはぁ、美弥・・・・」
総司が美弥の名前を呼び、手を握った。
その手は力強く、総司はかすかながらも微笑んだ。
「ァァアァァ!!」
安心したつかの間、鉄之助の叫び声が聞こえた。
鉄之助は耳を押さえていた。
切り落とされてはいないが、少し切ったみたいで、血が出ている。
「鉄之助くん!!」
美弥が刀を抜いた。が、総司に足を捕まれた。
「大丈夫ですよ。勝つのは鉄之助くんですから。吉田の足は立っているだけで精一杯。あの子はそこまで遅くないですよ。」
総司が体を起こした。
そして、次の瞬間。
「うりゃぁぁ!!」
静けさに包まれた。
「あっ、あぁ・・・」
鉄之助が唖然としていた。
吉田は、死んでいた。
鉄之助は、吉田の首を飛ばし、即死していた。
畳は、畳本来の緑は残っておらず、大量の血、食器の破片などで汚くなっていた。
急に階段を走りあがってくる音が聞こえた。
「市村!!」
部屋に入ってきたのは、土方だった。
「土方さん・・・・」
鉄之助は手が震えていた。
鉄之助の体は吉田の返り血を真正面から受けたため、体が真っ赤になっている。
土方は静かに歩み寄り、鉄之助を大きな腕で包んだ。
「うっ、うあぁぁぁ。」
鉄之助は温かみで安心し、泣き出してしまった。
「お前、怪我してるじゃないか。おい!!」
土方が一声かけると隊士が急いで入ってきた。
「こいつをみてやれ。」
鉄之助を隊士に預けた。
「土方さん。」
総司が声をかけた。
土方は先ほどの優しい表情ではなく、すばやく懐から薬を出した。
「土方さん、すごい顔。私のこと、知ってたんですね。」
総司がハハっと困ったような笑顔で土方を見た。
「美弥、茶を持って来い。白湯でもいい。」
土方がそう言った瞬間、先ほど出て行ったはずの鉄之助が茶を持ってきた。
「どうぞ。」
鉄之助は、軽い処置をしてもらっていた。
多分、まだ処置の途中でもあるのだろう、処置をほっぽりだし、茶を入れてきたのだ。
土方はその茶を総司に渡し、薬を飲ませた。
「ありがとう。」
総司が茶を渡そうとした時、土方がその茶を飲んだ。
「初めて小姓の仕事をしたのは戦場で、それもまたぬるい茶ときたら・・・・俺の小姓としては上等だ。総司、立てるか。」
「さっき、どうしてあぁなったんですか?あなたみたいな剣の使い手がこのようになるなんて。」
「実は、隣の部屋から急に男二人が出てきて、手首を強く握られて。やっぱ、女のうちでは、力では到底かなわんかった。」
美弥は手首をさすりながら言った。
「良かった。」
総司は美弥の手首を握った。
総司は土方の肩を借りながら立ち上がった。
「総ちゃん、やっぱり悪い病気やってんな。うちに、そのこと話すの、そんなに嫌なん。家族同然みたいに育ってきたのにさぁ・・・」
美弥は土方と一緒に総司に肩を貸しながら言った。
「いえ、そういうことじゃないです。美弥、私はずっとあなたが好きだった。しかし、この気持ちを言ってしまうと、家族同然としての絆が壊れてしまうのではと思うと怖くって・・結局、臆病なんですよ、私は・・・この気持ちを伝えよう、伝えようとしていた時です。一人で医者に診てもらった時、私は結核だということが分かりました・・・」
総司が悲しそうな目をした。
「総ちゃん・・・何言ってんの。うちだって総ちゃんのこと好きや!!好きで、好きでたまらん!!自分の考えてることなんか、どっかいってしまうぐらい、総ちゃんのことや好きなんや!!うちはずっと、ずっと、自分が気づいてないだけで、総ちゃんのこと好きやった。お梅はんに恋してたときもそうや。桜はんのときやって。苦しくって、おかしくなりそうで、つらかった。これが、恋やねんな・・・」
それを聞いていた土方がフっと笑った。
「お前らも、まだまだ餓鬼だなぁ。」
土方がそう言うと、「が、餓鬼じゃないですよ!!(やない!!)」
二人は一緒に同じことを言った。
そして二人は顔を見合わせて、大声でハハハハと笑った。
「そういえば、なんであの店におったん。」
「あのお店、外交関係も深くって、日本の技術より海外の技術が進歩していて、海外の結核に聞く薬を買いに行ってたんですよ。ほら、美弥と私が始めて桜さんに会ったとき、桜さんが風呂敷に包んだ荷物を持っていたでしょ。その中身がその薬だったんです。」
総司が笑顔を見せた。
「そう、やったんや。なんか、ごめんな。勘違いしてたみたいで・・・」
「いえ、病気のことを言わなかった私が悪いんですよ。」
二人はお互いの顔を見て、微笑んだ。
 池田屋騒動での隊士の死者は一名。重傷者二名。しかし、この騒動から一ヵ月後に重傷者の二名もこの世を去った。

 池田屋騒動で、新撰組の名は全国に知れ渡った。
まして、攘夷派の藩は驚いたことであろう。

 池田屋の数日後、京の人々なら誰でも心待ちにしている祇園祭が行われた。
「美弥、遅いですよ。はやく、はやく。」
総司が障子越しに美弥をせかす。
「ちょいと待ってえなぁ。」
美弥は着替えているらしい。
「もぉ、早くしてください。」
総司が縁側に座り、足を軽く振っている。
「はい、はい。お待たせしました。」
部屋から美弥が出てきた。
珍しく、美弥は浴衣を着ている。
柿色に染められた浴衣に、桜の模様が入っている。
「おぉ!!やっぱり、幼い頃とは比べ物になりませんねぇ。」
どうやら、今から祇園祭に行くらしく、総司に浴衣を着て欲しいと頼まれたみたいだ。
「ほんまに、少しだけやで。総ちゃんはまだ安静にしとかなあかんねんやから。」
そう言うと、美弥はため息をついた。
「分かってますよ。ほら、行きましょう。」
総司が美弥の手を引く。
「おっ、今から行くのか。浴衣も似合うな、お美弥。」
廊下で永倉に会った。
「おおきに。」
美弥は珍しく嬉しそうに笑うと、総司にまた手を引っ張られ、玄関へと向かった。
 「お美弥、あんまり私でも見れないような笑顔を他の人に見せないでください。」
下駄を履きながら、総司は言った。
「何や、急に。なんや、総ちゃん、妬いてるんとちゃう。」
美弥はニヤァと笑った。
「そ、そんなことないですよ!!」
総司が答えたが、総司の耳は真っ赤になっていた。
「かわえぇとこもあんねんなぁ。」
美弥がニヤニヤしながら総司を見る。
「あぁ、もう!!行きますよ!!」
総司はさっきより強引に美弥の手を引っ張った。
「あっ、ちょっ!!」
カランコロンと、下駄の音が響く。
総司は一軒の屋台へと向かう。
「あっ、ありました。よかったぁ。」
そこは、飴屋だった。
「すいません、黒飴ください。」
総司が嬉しそうに言う。
「はいよ。」
店主が黒飴を渡し、総司はお金を渡した。
「食べますか。」
総司が美弥に聞く。
「ううん、うちはえぇ。」
美弥はそう言うと、後ろをチラリと見た。
「いますか。」
総司が真剣そうな目で美弥に聞いた。
「うん、三、四人ほどな。まぁ、気つけなあかんで。できるだけ、人通りの多いとこ通らんかったら、危ないかもな。」
後ろには、池田屋騒動の恨みを持っている長州人が、総司と美弥の後をつけてきていた。
「やっかいですねぇ。」
と、目の前にも長州人が現れた。
「仕方ないですね。」
総司が美弥の耳元でそう言うと、美弥はうなずき、人気のない薄暗い道へと入った。
予想どおり、前から来た長州人と、後ろから来た長州人が追ってきた。
そして、二人は止まった。
その間に、長州人達は刀を抜いた。
「うちらに、なんの用。」
美弥が長州人に背中を向けながら言った。
「この前の騒動、覚え取るかぁ!!」
長州人が切りかかってきた。
美弥は一瞬ため息をつくと、後ろを向いたままで、無抵抗の状態だった。
「もらったぁ!!」
大声で長州人がそういった瞬間、
「ダーーーーン!!」
大きな音が道に響いた。
他の長州人も何が起こったのか分からないという顔をしていた。
美弥に切りかかった長州人は、道に投げ飛ばされていた。
「あーぁ。あきひんやつらやなぁ。」
美弥は肩を回した。
そう、美弥は男の長州人を背負い投げで投げ飛ばしたのである。
「まぁ、今日はうちが剣とか、隠し武器を持ってないことを嬉しく思っとき。ほんまなら、あんたらもうすでに死んでるで。沖田と鳥本にはかなわんやろなぁ。」
美弥はさげすますような目で見た。
「そうですね。まぁ、でも、その構え方じゃ、するりと脇差を抜いて、あなたたちを一刺しということはできますけど。」
そう言った瞬間に、総司はすばやい動きで長州人の脇差を抜き、首に刃を突きつけた。
沈黙が続く。
聞こえてくるのは、祇園祭を楽しんでいる人々の声。
「・・・・まだやんのか!!!」
美弥が怒鳴った。
「うっ・・・」
長州人達は走って逃げていった。
「ほんまにもう、嫌になるわ。隊士に休みなしやな。」
美弥が手を腰に当てた。
「そうですね。」
総司が脇差をほおり投げた。
「総ちゃん、えらい我慢したなぁ。今までの総ちゃんなら絶対に切りかかってるわ。土方さんに注意されてるからとちゃう。」
「そうですねぇ。まぁ、土方さんは怒ると怖いですから。」
総司はいつも通りの笑顔に戻った。
総司の言葉に思わず美弥にも笑みがこぼれる。
急に総司が美弥を引っ張り、壁に押し付けて、口付けをした。
美弥は驚きで目が見開いたままである。
「総ちゃん?」
唇と唇が離れると、美弥は総司を見た。
「あ、あんまりそうやって、可愛い顔しないでください。さっきもそうですけど、私以外の人にそんな顔見せたくないです。わ、私も一応男ですから・・・」
総司は真っ赤になり、美弥から目線を逸らして言った。
美弥は嬉しさと、恥ずかしさで何も答えられず、総司と同じように真っ赤になっていた。
「ほ、ほな、行こか。」
美弥は浴衣の胸元を直し、再び人通りの多い道へと出た。

 その頃、もう一人の副長である、山南敬助は、遊郭の一室にいた。
一人で静々と酒を飲み、隣には、「明里」という遊女が座っている。
山南はいつも明里を呼び、一人で酒を飲む。
山南は、池田屋の際には体調不良ということで出動しなかった。少し病弱だが、知恵はすごくあり、何かと新撰組隊内で役に立っている副長である。
「なぁ、山南はん。今年も祇園祭の季節が来ましたなぁ。」
明里は山南に酒を注ぎながら言った。
「あぁ、そうだね。ここまで騒がしいと、二人でひっそりと蛍でも見たくなるよ。」
山南が酒を飲んでから言った。
「蛍・・・なぁ、山南はん。蛍ってそんなにも綺麗なんどすか。」
明里が山南の腕を持った。
「あぁ、すごく綺麗だよ。夏の風物詩の一つさ。転々と光り輝き、蛍達は命をかけてまでも、ずっと光り続ける。」
「へぇ、すごい綺麗なんやろなぁ。」
明里が目をつむり、想像している。
「でもね、長い間成虫になるのを夢見ていた蛍は、かわいそうに、数日の命しかないんだ。」
「そうなんどすか・・・うちみたいやな・・・うちも、一人ぼっちのまま、このまま老いて死んでいくだけ。」
明里は若い頃に、この遊郭に遊女として夫に売られた。
この世に、どんな物があり、どんな美しい景色があるのかもあまり知らない。
そして、遊女として、この遊郭からは一人で出ることも許されていない。
それが原因なのか、明里は、日本がどのようになろうが興味を持たなく、客観的になっている。
「山南はん、うち、蛍も見たいけど、海も見たいわぁ。ここ何年も海を見てない。あの、潮風の香りが好きやねん。」
明里が口を緩めた。
「あぁ、いつか、必ず一緒に見に行こう。」
山南がしっかりと明里の手を握った。
「おおきに。」
山南にとって、明里との出会いが山南の人生を変えるとは、知るよしもない。

 池田屋の事件後、近藤は一人、隊士募集を江戸の方にも情報を流すために戻った。
「遠いところ、お疲れ様でした。」
近藤の妻、つねが言った。
「んっ。だが、そう長くはいられないと思う。」
近藤がつねに、脇差と、刀を渡した。
それをつねは静かに受け取ると、刀をきちんと置き、誰かを呼びに奥へと向かった。
つねが帰ってくると、一人の女の子が、つねの手をしっかり握り締めながら近藤をずっと見ている。
「お父様ですよ。」
つねが、女の子の耳元で言うと、女の子は笑顔で、近藤の下へと歩いた。
近藤には、娘がおり、浪士組として京に上る少し前に生まれた、「多摩」である。
近藤が京に上り、長い月日が経ったため、多摩は見違えるほど、大きくなった。
「いい子にしておったか。」
昔、鬼瓦と呼ばれていた近藤が、笑顔で多摩を抱き上げる。
「元気にしておりました。」
多摩は、質問に答え、笑顔を近藤に見せた。

「ただいま、帰りました。」
その頃、総司は一段と明るい声で屯所へと戻っていた。
「あぁ、今帰ったのか。総司、約束どおり祭りに行かせたんだから、お前はもう寝てろ。」
土方が、総司の部屋の方角を指で指した。
「はぁい・・・」
総司は少し口を尖らせながら自分の部屋へと向かった。
「で、何かあったのか。」
美弥が総司に着いて行かないため、何かあったのだと分かったようだ。
「はい、まだこの京の町には、不貞の浪士達がうろついとります。道を歩く際には、気をつけられたほうがいいです。あまり、一人で薄暗い道を歩かないほうがいいと思います。」
美弥が久々に監察方のお幸の顔になった。
「わぁった。違うやつらにも伝えておく。」
「で、それ以外の進展は。」
土方がニヤニヤしながら聞いた。
「えっ・・・」
美弥の顔が真っ赤になった。
「まぁ、総司にしては珍しい。誰かのために呉服屋に行って、浴衣を選んでくるとはなぁ。」
「・・・・」
相変わらず、美弥の顔は真っ赤。
「まぁ、そう急がなくてもいいと思うけどな。」
土方は煙草に火をつけた。
「土方さん。」
「何だ。」
「土方さんに、お願いがあります・・・・」
 
 「あっ、お美弥。土方さんの反応はどうでしたか。」
総司は布団からヒョコっと頭を出して聞いた。
「皆にも伝えとくって。」
そう言った美弥の顔には、すっきりしたような顔が見えた。
 「何?夜にも監察方の仕事をしたい?」
「はい、池田屋の発端で、浪士達は確実に散らばりました。動きがよく分からない状態です。そこでこの京を一人で監察するということはかなりの重労働ですので、うちが山崎と一緒に夜の京の町を監察するということを考えました。」
土方は静かに煙草を吸っている。
美弥はまっすぐに土方の目を見ながら返事を待った。
「そうだな・・・たしかに、お前の言うとおりかもしれねぇ。ただな、お前の体がもたねぇに決まってる。総司があの状態だ。見廻りの時はお前が総司の代わりに一番隊隊長をしている。夜の見廻りだってある。いくら美弥でも体が持ちやしねぇ。一体、いつ寝るってぇんだ。」
「そうですね・・・非番の際は、一日ゆっくりできます。それ以外は、合間をぬって。」
美弥は腕を組み、考えながら言った。
「・・・・・はぁ・・・」
土方が深いため息をつく。
「わぁった。お前のことだ。役に立たないことなんて、一度もなかったからなぁ。お前のやりたいとおりにしろ。」
「ありがとうございます!!」
 「お美弥?どうかしましたか、すごく、すっきりしたような顔ですけど。」
総司が美弥の顔を覗きこんだ。
「(総ちゃんは、心配性やから黙ってた方がいいかな。)」
「何もないで。」
美弥は笑顔を見せた。

 日が暮れてきた。
江戸では、近藤が北辰一刀流の道場を訪れ、伊藤甲子太郎と新撰組について話をしていた。
「新撰組のことは、ここ、江戸まで聞こえてきています。私も丁度、興味を持ち始めていたころなんです。私でよければ、協力します。」
伊藤は、あっさりと入隊を決めた。
近藤は、伊藤の入隊を心から歓迎した。

 「(久々にこれ着たなぁ。)」
美弥が着ていたのは、まさしく忍というような真っ黒な服だった。
夜は暗いため、黒の服装で移動するほうが、ばれにくいのだ。
「(武器も持ったし、ほな、行くか。)」
美弥は軽い身のこなしで、屯所の屋根へと上がった。
「なんや、あんたも夜の仕事を始めたんか。」
屋根の上には山崎が立っていた。
夜風で忍の服がなびいている。
「土方さんから聞いてるやろ。とぼけんでいいで。で、どう分ける。」
「あんたは伏見の方で。」
山崎はそう言うと、屋根の上を器用に走り、屋根伝いにどこかに行ってしまった。
「(相変わらず、愛想のない奴やなぁ。)」
美弥はそう思いながら、山崎と同じように屋根伝いで伏見の方へと向かった。

 「(静かや・・・)」
走りながら山崎はずっと思っていた。
「(静かすぎて、気味が悪い。)」
辺りは真っ暗。
今日は新月なので、月が出ていない。
「ヒュッ」
山崎の耳元に何か飛んできた。
「こ、これは・・・」
飛んできた物は、吹き矢の毒針だった。
「どっから飛んできたんや・・・」
山崎は辺りを見回す。
「(どこや、どこにおるんや。)」
敵を見つけると、すぐに攻撃できるよう、武器もしっかり手に握っている。
「ヒュッ」
後ろから飛んでくる気配がした。
「キン!!」
山崎は毒針をはたいた。
そしてすぐに持っていた十枚刃の手裏剣を投げた。
「うっ!!」
うめき声が聞こえた。
その声のした方へと急ぐ。
そこには、腕を抱えている忍がいた。
そして、山崎はその忍の装束を取った。
「やっぱ、女やったか。」
そこには、女の忍がいた。
「ゆ、許して。うちは、まだあんまり慣れてないのに、頼まれただけなんや。」
女の忍はすぐに降参した。
「誰に、誰に頼まれたんや。」
「長州人・・・」
山崎は目を細め、女と目線を合わせた。
「そいつらは今、どこにおる。」
「それが・・・教えてくれはれへんくって・・・」
女は怖がっている。
「・・・・分かった。行け。」
山崎は、女を逃がした。
女は、暗闇の中へ消えていった。
「(あんまり頼りにならん忍には、居場所は教えへんってやつか。ってことは、どっかに親玉がおるはず。)」
山崎は再び、屋根の上を走り出した。

 「(長州のやつら、池田屋の後からあんまり街中では見かけへんなぁ。あいつら、どこに身隠しとんねんやろ。)」
美弥も伏見の辺りを偵察していた。
「(今日は、えらい真っ暗や。敵が見つけにくくなるな・・・)」
そう思っていた時のことだった。
「へぇ、女か。」
どこからか声がした。
「誰や!!」
美弥が大声を上げて探すと、声の主が美弥の前に静かに現れた。
「それも、なかなかの上玉。」
美弥は静かにくないを出し、戦闘体制に入った。
「おぉっと、残念だが、剣の方は弱くても、悪いが、空中戦は負けたことないんだぜ、俺は。」
「(声からして、若い男やな。)」
美弥は静かにくないの刃先を相手に向けた。
「・・・はっ!!」
美弥はくないを投げた。
男はあっさりと避ける。
しかし、その瞬間に美弥は縄で男の足を捕らえ、体制を崩すことができた。
すばやい動きで男の下に走り、装束を剥ぎ取った。
しかし、美弥は驚きで声が一言も出なかった。
白い肌、長い黒髪・・・・
目つきは少しこちらの方がきつく見えるが、総司にそっくりだった。
「お、お前・・・」
男が美弥をにらみつけ、くないで攻撃してきた。
我に戻った美弥は、すぐに攻撃を避け、またくないを出し、首に突きつけた。
「お前は、長州の者か。」
「へへ、教える訳にはいかねぇな。」
男は、死を恐れるどころか、ニヤニヤと、美弥を見ている。
「・・・・・お前、名は。」
「吉三郎だ。」
男はあっさりと答えた。
「お前、長州の忍やろ。」
「そうと言えば?殺すわけにはいかねぇだろ。お前ら新撰組は、こっちの情報が欲しくて、欲しくてたまんねぇはずだからなぁ。」
吉三郎は鼻で笑った。
しかし、美弥は、吉三郎の首にくないをつきたてたままである。
「はぁ。」
吉三郎は深くため息をつくと、腕に隠していた隠し武器で美弥をひるませた。
「またな。」
「ちょ、待ち!!!」
吉三郎は、暗闇に消えていった。
「(あっちの方角は山や。長州人は、山の中で身を隠してるってことか。確かに、山なら人目につきにくいし、うちら忍の目にも入りにくいからなぁ。)」
美弥は山の方を監察しようが迷ったが、夜のため森林の中は見えず、広い範囲を一人で探すことはほぼ不可能なため、明日にすることに決めた。

 「どうやった。」
山崎と合流した。
「うちの方が当たり。長州の奴らは、伏見の山の方におうと思う。そうそう、こっちに長州人に雇われてるって考えられる忍がおってな。」
「こっちもや。でも、こっちは新人のまだ腕の浅い女忍やった。多分、そっちが親玉やろ。」
「とにかく、この事はうちが土方さんに伝えとくから、明日は伏見の方を二人で分かれて探そ。」
山崎は静かにうなずくと、屋根の上を走り、先に屯所へと向かってしまった。
「(ほんまに、愛想がないなぁ。)」

 「土方さん、お休み中失礼します。」
美弥は屯所に着くと、真っ先に土方の所へと報告しに来た。
「何か、あったか。」
「はい、残念ながら長州勢を見つけることはできませんでしたが、長州人に雇われていると思われる忍を見つけました。伏見の方角に潜んでいる模様です。」
「わぁった。だがな、確かな情報じゃねぇ。もっと集めろ。」
「はっ。」
美弥は、返事をすると、音一つ立てずに部屋から出て行った。

 「お帰りなさい。」
隣の部屋から総司の声が聞こえた。
「総ちゃん、起きてたん。」
「夜の監察の仕事も始めたんですね。知ってましたよ。あなたは仕事熱心な人だから。でもね、あまり無理をするのもいけませんよ。」
総司の小さな声が聞こえる。
「うん、ごめん、総ちゃん。」
「何故謝るのですか。」
総司の声は弱々しい。
「だって・・・」
「怒ってませんよ。あなたは仕事が生きがいですから、それを取り上げる訳にはいきません。私が、人を切るのが生きがいだと思うようにね・・・」
美弥は、言葉が出なかった。
「・・・・そっちに、行ってもいいですか。」
総司が、少し言葉を置いてから言った。
「えっ、うん。」
美弥が返事をすると、総司が布団から起き上がり、こちらの部屋へと向かってくる音が聞こえる。
そして、障子が開くと、総司の姿が見えた。
「総ちゃん、夜の間になんかあった。」
美弥が心配そうに聞いた。
総司の顔色はあまり良くなく、白い肌がいつも以上に白くなっている。
「えぇ、今日は結構血を・・・」
よく見ると、総司の浴衣には小さな血痕が見える。
「薬は。」
「ちゃんと、飲みました。」
総司はつらそうな顔色でも、優しく美弥に微笑む。
そんな総司を見ていると、はかなくて、消えてしまいそうで、美弥は怖くなった。
「・・・・」
美弥は黙って、総司の頭を撫でた。
「・・・何、してるんですか。」
総司はプっと笑い、久しぶりに声を上げて笑った。
「あっ、えっ、いやぁ、ちょっと・・・」
何故か美弥は恥ずかしくなり、顔を赤くしてしまった。
「何故顔を赤くしてるんですかぁ。まるで、ゆでだこみたいですよ。」
総司は美弥の顔を見て、また笑った。
「べっ、別に!!」
美弥はそう言うと、自分の布団へと向かい、布団にもぐりこんでしまった。
「も、もう寝なあかんで、お休み。」
急に静かになったと思いきや、総司の足音が美弥に近づいてくる。
そして、総司は、美弥の布団にもぐりこんできた。
「えっ、総ちゃん!?」
「一緒に、寝てもいいですか。」
総司は美弥の顔を可愛らしい顔で見た。
さすがに、美弥も総司のおねだり顔には負けた。
総司の表情は、自然になのか、計算なのかは、謎である。

 朝。
皆が起きてきても珍しく、早起き二人組みは起きてこないことに痺れを切らし、平助が起こしに来た。
「お美弥、朝だ。起きろ。」
平助が布団を剥ぎ取った瞬間、固まってしまった。
そこには、子供のような顔で眠る、美弥と総司の姿があったからだ。
「お、お前達、何をしている!!」
平助もさすがに、叫ばずにいられなかった。
「んん・・・」
総司が目を覚ました。
「あっ、おはようございます、藤堂さん。」
総司は寝ぼけたような顔で目をこすりながら平助を見る。
長い黒髪も、寝癖がつき、何本が跳ね上がっている。
「美弥、起きてください、美弥。」
総司が美弥を起こした。
「んぅ・・・・」
美弥がうっすらと目を開く。
「あっ!!!」
美弥は目の前に平助がいることに驚き、飛び起きた。
「あっ、おはようございます、平助さん。えっと、寝坊・・・すいません。」
美弥は寝坊したことと、それでわざわざ平助が起こしに来たことで、頭の中が混乱していた。
「お美弥、お前達、何かあったのか・・・」
平助は、苦笑いしながら聞いている。
「えっ!?何もしてないですよ。ただ、昨夜、総ちゃんが寝られないからと言って、一緒に寝ただけです。」
美弥は、少し頬を赤らめていった。
「本当に、何もしてないんだな。」
平助はさっきより少し大きく、ゆっきり、はっきりと聞いた。
「はい。」
美弥もそれにつられて、ゆっくりと答えた。

 「ったく、おせぇ。」
二人が広間に行くと、もう全員が座っていた。
「あの、鳥本先生と、沖田先生が、寝坊だなんて、珍しいな・・」
所々から、小声で会話しているのが聞こえる。
「あっ、あの、すいません。ごめんなさい。」
総司は、少し悲しそうな顔をした。
「すいません。」
美弥も謝った。
そして、美弥は山崎の隣、総司は土方の隣に座った。
「総司、後で全部話せよ。」
土方は、総司の耳元で、ささやいた。
総司は、「えっ」というような顔で土方を見たが、朝の日課が始まってしまった。

 「ほな、行ってきます。」
美弥はいつも通り、幸の格好をして、いつも通り情報収集へと出た。

 総司は、美弥がいない間、土方の部屋に呼ばれた。
「で、総司。何があった。」
土方は唐突に聞いた。
「何もないですよ。ただ、一緒に寝てただけで・・・それで、一緒に寝過ごしちゃっただけです。」
総司は、正座を崩し、足を斜めにして座った。
その姿はとても、多摩の浪士の息子とは思えないような色気があり、まさしく、女としか見えない。
「まっ、いいんだが。お前らが何ひとつ進歩しなくても、俺には関係ねぇからなぁ。」
土方は煙草の煙を吐いた。
土方は昔から女によくもて、女の経験も豊富だ。
「そういう事に慣れてるから、土方さんはそんなことが言えるんですよぉ。」
総司は口を尖らした。
「その口、今すぐやめねぇと、切るぞ。ついでに、口数も少なくなっていいんじゃねぇか。」
土方は、珍しく悪戯心満載の顔で、総司の頬をつまんだ。
「いひゃいです、ひじひゃたひゃん。ごひぇんなひゃい。(痛いです、土方さん。ごめんなさい。)」
総司がそう言うと、土方は総司の頬を離した。
総司は少しすねたような顔で、自分の赤くなった頬をなでた。
「ったく、お前自分が今どれぐらい悪いのか、分かってるだろ。あくまでも、結核は伝染する。身をもって慎んだほうが、美弥のためだ。」
「分かってますよ。」
「それと、好きな女ひとりも抱けないなんて、お前、やっぱり女々しいなぁ。」
土方は、ニヤリと笑った。
「よ、余計なお世話です!!失礼します!!」
総司は、顔を真っ赤にし、ズカズカと歩いて、土方の部屋を出て行った。
「フッ。いじりがいのある、可愛らしいやつめ・・・」
土方は独り言でそういうと、一歩庭に出て、夏の暑さを感じた。
「(ジリジリと身が焼けるような暑さだな。)」
そう思うと土方は、鼻で笑った。
そこに、土方に茶を入れに来た鉄之助が、土方が笑っているのを、不思議に思いながら、机に茶を置いた。
「副長、ご機嫌ですね。」
「あぁ、まぁ、餓鬼のお前は知らなくて良いことだ。」
鉄之助は、餓鬼と言われて口を尖らせた。
「(ったく、こいつもか。やっぱりこいつ、総司に似てやがる。)」

 「ったく、土方さんはいつもああやって・・・」
総司が一人でブツブツ言いながら歩いていると、
「よぉ!!総司。」
総司を待ち構えていたかのように、廊下の角からお笑い三人組(新八、平助、左之助)が出てきて、総司の腕を引っ張った。
「で、総司君。昨日は何があったのかなぁ。」
平助が総司の顔を見て、ニヤニヤしている。
「さぁ、吐いてもらおうか。」
総司は、左之助に抱き上げられ、広間へと連れて行かれた。
「だぁ、かぁ、ら!!何もしてないですって!!ってく、土方さんに限らず、お笑い三人組さんまで・・・・」
総司はまた口を尖らせた。
「へ~~。純粋だねぇ。」
新八は少し気味の悪い笑みを浮かべた。
「純粋なんかじゃ、ありませんよ・・・」
急に総司は暗い顔をした。
「どうしたんだ。」
平助が総司の顔を覗きこむ。
「だって、あんな、私にとって、この世で一番の宝物みたいな存在。思いを伝えよう、伝えようとするほどすぐに壊しちゃいそうで、怖いです。それに・・・」
総司は黙り込んだ。胸を押さえて。
お笑い三人組も総司の複雑そうな顔を眺めているしかできなくなった。
しばらく、蝉の声が響いていた。
 「ただいま帰りましたぁ・・・って・・・どないしはったん!?」
美弥が帰って来た。
美弥が帰ってきて一番に見たのは、複雑そうな顔で座っている四人の姿だった。
「何もないですよ。ただ、昔の話をしてただけです。今から土方さんの所へ報告ですか。」
「えっ、うん。」
「私も行きます。それじゃぁ。」
総司は三人に軽く会釈すると、美弥の背中を押して、土方の部屋へと向かった。
「総司の奴・・・あいつ、あんまり長くないってこと・・・」
新八がうつむいたまま言った。
「かも、しんねぇな・・・」
「俺、この関係、崩したくねぇよ・・・」

「で、何を話してたん。」
美弥が土方の部屋の近くで、総司に聞いた。
「えっ。」
「えっ。じゃないやろ。あの三人組があんな暗い顔をするって、よっぽどの話をいとらんと、あんな顔にならへん。」
総司は、黙ってうつむいた。
「・・・・まぁ、言いたくないんやったら、無理には言わせへんけど。」
そう言うと美弥は、土方の部屋に一声かけて入った。
「報告の前に・・・総司、お前は自分の部屋に戻れ。」
土方がそう言うと、総司は黙って自分の部屋に向かった。
総司の素足の足音が遠くなってから、美弥は報告し始めた。
「長州勢は、伏見に隠れてます。一番怪しいと思われるのは、寺田屋です。多くの長州人をかくまっていると考えられます。」
土方は腕を組んだ。
「あの店は、俺はちぃと苦手だ。他の奴を何人か派遣させるか。」
土方は珍しく弱音を吐いた。
「分かりました。」
「美弥、お前は普通の隊士の格好で寺田屋に向かえ。監察としては、山崎くんを派遣する。」
「はっ。」
美弥が手をつき、頭を下げると、
「総司も行きたがるだろうな。まぁ、連れて行け。俺は行けないし、近藤さんもいないから、山南さんに行ってもらう。」
美弥が黙ってうなずいた。

 美弥が土方の部屋を離れ、総司の部屋を覗くと、総司は寝息を立てていた。
「(ちゃんと、起きてくれるやんな・・・)」
美弥は、総司がちゃんと起きてくれるか、心配になった。
総司の後ろ姿を眺めていると、山南が後ろから声をかけてきた。
「沖田君の調子は。」
山南も総司のことが心配みたいだ。
「最近、薬の効き目があんまりよくないみたいで・・・」
美弥は唇をかみ締めた。
「そうか、まだ若いのに、かわいそうに・・・・」
山南も総司を見つめた。
「それより、急にどうなさったんですか。総ちゃんの部屋に来られるなんて。」
「沖田君の様子を見に来たのと、お美弥君に、近藤さんが帰ってきてのを報告をね。」
美弥は少し微笑み、山南に会釈から、玄関へと向かった。
しかし急に立ち止まった。
「山南さん、寺田屋に同行せよと、土方さんから命令が出ていますよ。」
山南は、少し怖い顔をして、美弥を見つめた。
「君は、私がもう刀を持てないことを知りながら、土方くんの命令を聞いていたのかね。」
「はい。しかし、あなたはまだ刀を持てるはずです。前筆頭局長、芹沢鴨を暗殺後、あなたは刀を持っていませんが、精神の病気だと言って逃げていますが、まだまだ、あなたの腕はなまっていませんよ。十分、人を斬れます。」
美弥は、隊士としての顔を見せてから、また急いで玄関へと向かった。
「(お美弥君も、あんな感じになってしまった・・・私は最近、どうも土方君のやり方が気に入らん・・・)」
山南は、拳を握り締めた。
 「山南さん・・・」
山南がずっと立っていると、総司が起きたらしく、声をかけた。
「あぁ、沖田君、起こしてしまったかな。」
山南は申し訳なさそうに、総司を見た。
「どうしたんですか。」
「あぁ、近藤局長が帰ってきた事を、美弥君に報告しに来たんだよ。沖田君も、お迎えに行ってくればどうだい。」
山南はそう言うと、ニコっと一度微笑んでから、総司の部屋を後にした。
総司は、山南が廊下の角を曲がるところを見送ってから、急いで玄関へと向かった。
 「おかえりなさい。」
大勢の隊士が近藤の帰りを迎えていた。
「お疲れさんでした。あっちの様子はどうでしたか。」
「あぁ、江戸にも新撰組の噂は広がってきているそうだ。」
近藤は美弥に荷物を渡した。
「新しい隊士は入隊してきそうですか。」
新八が聞いた。
「あぁ、藤堂くんには嬉しい情報かもしれない。」
「えっ、僕ですか。」
平助は首をかしげながら自らを指差した。
「あぁ。北辰一刀流の、伊藤甲子太郎さんが入隊してくださる。江戸の侍は、局中法度を聞くだけで、震え上がっている浪士もいたな。」
「えっ、伊藤師匠が!?」
平助は、驚いた様子で、近藤を見た。
「でも、伊藤さんって、攘夷派なんちゃいますか。」
美弥が近藤に聞いた。
「あぁ、そうだ。だが、伊藤さんは、過激な尊皇派ではない。新撰組には、前から興味を持っていたそうだ。」
土方は気に食わない顔で、近藤の話を聞いている。
「土方さん、そんなに伊藤さんの事、気に食わないんですか。」
総司が土方の顔に覗き込むと、
「あぁ、あいつの存在自体が気に食わねぇ。」
よっぽどそうなのか、眉間にしわを寄せている。
「おい、寺田屋に行かねぇと行けねぇ奴は、とっとと行って来い。」
土方は、隊士達に八つ当たりをすると、大きな足音を立てて中へと入っていった。
「歳は、また機嫌が悪いのか。」
そんな土方を見て、近藤は微笑んだ。

 「一番隊、出動!!」
「おぉ!!!」
総司の声とともに、一番隊と、山南は伏見の寺田屋へと向かった。
「山南さん、大丈夫ですか。」
美弥は、先ほどから顔色の悪い山南を気にかけている。
「あぁ・・・」
山南は冷や汗をかき、手は震えている。
よっぽど刀を持つのが怖いらしい。
「総ちゃんも、あんまり顔色良くないねんやから、あんまり無理したあかんで。」
これでは、美弥は隊士として出動しているのか、面倒を見るために出動しているのかが分からない。
 「つきましたね。」
伏見の寺田屋に着いた。
中からは、大勢の客がいるのか、ザワザワしている。
山南は、美弥の隣で震えている。
「御用改めである!!」
総司がそう言いながら中へと入った。
近くにいた、女性が出てきた。
「はい。」
「女将を願いたい。」
総司がそういうと、女性は軽く首を立てに振り、二回へと上がっていった。
しばらくして、女将が降りてきた。
「これは、これは、新撰組の皆様。どうも、おこしやす。」
女将が出てきた瞬間から、隊士は鋭い目で、女将を見つめている。
「この、寺田屋が大勢の長州人をかくまっているとの情報が耳に入りました。」
総司は、鋭く、冷たい目で女将を見つめる。
『美弥、皆を引き連れて、二回の座敷の障子の真下に行ってください。』
総司が、ひそりと美弥に言った。
美弥は黙ってうなずくと、隊士を引き連れ、外に出た。
「皆さん、どうされはったんですか。」
女将が不信な目で、隊士達を見た。
「いえ、少し私が命令を出しただけです。それより、答えてもらえませんか。」
 一方、美弥達は総司の言ったとおり、二階の座敷の真下に来た。
二階の様子は、男達がガヤガヤしている声が聞こえる。
「怪しいですね。しかも、長州なまりの声が聞こえます。」
隊士の一人がそう言った。
「そうやな。あの、白いのはなんやねんやろ。」
美弥は腰に差してあった、刀を抜き、引っ掛けるようにして、静かに白い物を取った。
手に取った布には、赤い物がついていた。
「これは・・・・どう見ても、血やな。」
美弥は血痕だということを確認すると、総司の下へと持っていった。
「これは、何ですか。」
美弥は、白い布を女将の前に突き出した。
「・・・・あぁ!!それはですねぇ。今二階におるお客はんが、えらい大量に鼻血を出しはってて、今止めるのに、忙しいんどす。」
女将は、明るい声でそう言った。
「・・・・・そうですか。」
総司は、冷たい目を二階に向けた。
「少し、お邪魔します。」
総司を先頭に、わらじを脱ぎ、二階へと上がった。
「あぁ、ちょっとお待ちになってください。」
女将は一度奥へと向かったと思うと、足早に、また戻ってきて、お膳を慎重に運んで来た。
「すんまへん、さっきから頼まれてたんどす。先にこれを運ばしておくれやす。」
女将は軽く会釈をしながら、隊士達の前を横切った。
「(いますね、これは。)」
一人の隊士が、総司に耳打ちした。
「えぇ、当りくじを引いたようですよ。」
そう言うと総司は、軽く、刀を握り締め、一歩一歩、慎重に階段を上った。
二階に着くと、総司がうなずいた。
そして、後ろにいた隊士達が一斉に、座敷の障子を開けた。
「御用改めだ!!!」
が・・・どの座敷にも長州人は見えなかった。
「くそっ、逃げたか。」
「女将が、きっと長州人達に伝えたんや。今から追っても遅くない。行くで!!」
美弥が大声でそう言うと、美弥の後ろに隊士達がついて行った。
「あっ、総ちゃんは、おとなしく屯所に帰りや。」
美弥は一回で叫んだ。

 美弥の言われたとおり、総司は仕方なく帰路に着いた。
「(自分が、情けない。)」
病気の自分を情けなく思ってきていた総司は、強く、刀を握り締めた。
「ちょっと、新撰組の沖田はんやない!?」
総司が歩くたび、若い女は総司を見て、黄色い声を出している。
総司は、整った顔立ちにより、最近その噂は、「鬼の住む島に咲いている一輪の花」とかなどといわれている。
「(私なんかを褒めるなら、新撰組のことをもっと好きになって欲しいものです・・・)」
珍しく、総司は機嫌が悪かった。
「ドン!!」
総司は、誰かに当った。
ハッとした総司は、すぐに謝った。
「すいません、大丈夫ですか。」
当った相手は女性だった。
「あらまぁ、新撰組の沖田先生やないですかぁ。」
その女性は、少し前に、土方達と飲みに行った時に出てきた、花魁の、桜だった。
「桜さん。どうしてここに。」
「新しいくしと、かんざしを買いに来たんどす。お店の時に着けてたのが、そろそろ使われへんようになってきてしまって。この近くにあるお店が、うちのお気に入りのお店なんどす。」
桜は、総司に微笑みながら話した。
「そうだったんですか。」
総司も、先ほどの機嫌はどこへやら。
いつもの優しい笑顔で話し始めた。
「そや、ちょっと店に寄って行かれまへんか。新しいお菓子が店に入ったんどす。」
桜は、総司の目を見て言った。
総司は大の甘いもの好き。
すぐに、「行く」という返事が返ってくると思っていたが・・・・
「すいません、今日は、屯所に戻ってやりたいことがあるので、失礼します。」
総司は申し訳なさそうな顔して、一礼してから、桜の隣を歩いていった。
なぜか、桜は総司の背中をにらみながら見送った。

 一方美弥は、長州人を追いかけたが、一足遅く、見失ってしまった。
「悔しいわぁ。もう少しやったのに・・・」
美弥は、自分の手を握り締めた。
「すいません、先生。私達の足が遅く、先生の足も引っ張ってしまい・・・」
隊士達は息を上げている。
山南は、黙ったまま汗をぬぐっている。
「ん?大丈夫やで。まぁ、長州人達を取り逃がしたんは、すごい悔しいけど、あんたらのせいやとは、全然思ってない。次、何かが起こる前に捕まえたらえぇだけや。」
美弥は、汗をぬぐいながら、笑って隊士達を励ました。
「(くそ・・・でも、長州の奴らは、絶対にもうすぐなんかしてくる・・・)」

 「ただいま戻りました。」
美弥が率いる、一番隊が屯所へと帰ってきた。
「よぉ、美弥。お疲れ。で、どうだった。」
新八が出てきた。
「すんまへん、取り逃がしてしもうた・・・」
美弥が申し訳なさそうに、謝った。
「まぁ、大丈夫だ。あいつらのやることは、絶対俺達が食い止めればいいだけだ。土方さんに、報告が必要じゃないか。」
新八が、明るい笑顔を美弥に見せた。
 「失礼します。」
美弥は、差両も置かず、土方の部屋に入った。
「どうだった。」
「はい、恐らく、寺田屋に忍んでいます。でも、すいません。取り逃がしてしまいました。私の不注意です、どんな罰でもお受けします。」
美弥は取り逃がした罰として、切腹を覚悟していた。
「いや、この件に関しては、誰も罰しない。それにお前は、総司にとっちゃぁ、大切な存在だ。お前を殺してしまっちゃぁ、新撰組のいい腕の一人をなくしちまうし、総司も、心が死ぬだろな。」
土方が、静かに煙草を吸った息を吐いた。
「ありがとうございます。」
美弥は頭を下げた。
「おい、もし、あいつに何かあったら、お前に、頼む・・・・」
それを聞いた美弥は、ゆっくりとうなずいた。

 「ただいま戻りました・・・」
総司は疲れきったような顔で、屯所の門をくぐった。
静かに、自分の部屋へと向かう。
「ギシギシ・・・・」
廊下の木が、静かに響く。
総司は、あまり明るい気持ちには最近なれない。
「(私は、死んでしまうのか・・・不治の病で・・・)」
そんなことをたまに思ってしまう。
先日は、美弥のいないところで、筆を持ち、最後となるかもしれない手紙を書こうとしていた。
しかし、指が振るえ、涙で前が見えなくなってしまい、どうしても書けなかった。
そんなことを考えていると、気分が悪くなり、吐きそうになった。
総司はあわてて、手で口をふさいだ。
「はぁ・・・・」
ため息を一つついた。
自分の部屋の前に着き、障子を開けた。
そこには、針仕事をしている女性を見た。
「あね・・うえ・・・?」
「えっ?」
女性が顔を上げた。
美弥だった。
「あぁ、美弥でしたか。」
「総ちゃん、大丈夫?手、押さえて気持ち悪いん!?」
美弥が、総司の下へと歩いた。
「あぁ・・・」
総司は、倒れてしまった。

 「どこだ、ここは・・・・」
総司は暗闇の中にいる。
「(怖い・・・ここから逃げないと・・・)」
総司は、暗闇の中を走り出す。
「(あぁ、駄目だ、気持ち悪い。)」
「うぅ!!ゴボっ・・・」
血を吐いた。
暗闇の中で、自分の血だけが赤く光って見える。
「(嫌だ。嫌だ!!!)」
総司は無我夢中で走った。
光が見えてきた。
「(あぁ、助かった・・・・)」
総司は、光の方へと走って行く。
「(誰か、見える・・・)」
よく見ると、そこには美弥がいた。
「キン!!キンキン!!」
美弥が、誰かと戦っている。
男と戦っていた。
その瞬間、
「ザグ!!!」
男が、美弥を刺した。
「アァァァ!!!!」
総司は、その恐ろしさに、膝をついた。
今ままで、いろんな死体を見てきたが、こんな恐ろしい風景を見るのは、初めてだった。
「フフフフ・・・」
男が、恐ろしく笑った。
そして、血を舐めた。
そして、男は自分の刀を鞘に納め、歩いていった。
そこには、体が、二つに別れ、目を開いたまま死んでいる美弥の死体だけが残った。
美弥の体から大量に噴出した血が、総司の足元まで流れてくる。
もはや、わらじを履いている意味はなく、足に血の生暖かい感触などが、伝わってくる。
「あっ・・・・あぁぁぁぁぁ!!!!!!」

 ハっと目が覚めた。
「総ちゃん!?大丈夫!?」
気がつくと、朝になっていた。
「あっ、美弥・・・・」
「すごいうなされてたで。総ちゃん倒れるし・・・・」
総司は、自分の体中から汗が噴出しているのを今、感じた。
「はぁはぁ・・・・嫌な、夢を見ました。美弥、絶対に、絶対に刀で死なないでください。」
総司は、力強く美弥の手を握った。
「えっ・・・どんな、夢を見たん。」
美弥が総司に聞いたが、総司は思い出すのも恐ろしく、美弥に話さなかった。

 その日、京中が驚いた。
一つの大砲の音が響く。
「なんだ!?」
新撰組の屯所でもその音は聞こえた。
「お伝えします!!ただいま、長州の者達が、二条城の蛤門を中心に砲撃を始めた見込みです!!」
見廻りに行っていた隊が急いで屯所へと戻って来た。
「全員、武器を持て!!行くぞ!!」
土方が準備を促し、新撰組は出陣した。
これが、元治元年(1864年)七月十九日に起こった禁門の変である。
新撰組は、砲撃の中心である、二条城、蛤門へと向かった。
「はぁ、はぁ・・・」
総司は他の隊士と一緒に出陣したが、苦しそうな息で歩いている。
「総ちゃん、やっぱ寝てたら・・・」
美弥が心配して聞いても総司は、
「大丈夫です。」
しか答えない。
 蛤門に着いた。
しかし、そこには長州人の死体があちらこちらで転がっているだけだった。
「どう、なっていやがる。」
先頭にいた土方の口が閉まらなかった。
「あぁ、新撰組の皆さん。ここはもう片付きましたよ。他を当ってください。それとも、死体の処理を手伝ってくださるんですか。」
会津藩士の一人が言った。
「くそっ・・・おい、お前ら!!!今から自分の隊で動け!!俺は、一番隊に着く!!行くぞ!!!」
「おぉ!!!」
隊士達は散らばって行った。
「近藤さん、近藤さんはそっちを頼む。」
土方は近藤にそう言ってから、一番隊についた。
山南は一緒に出陣することはなかった。
寺田屋の一軒以来、刀を持っている姿も見ていない。
「土方さん、どうしてこっちに。」
総司が聞いた。
「あぁ!?お前が、いつ倒れるか分かんねぇからよ。いくら美弥でも、男のお前をおんぶして屯所に帰れる訳がねぇ。」
土方は、いつもより少し機嫌が悪そうな顔をしながら答えた。
「そう、ですか・・・・」
総司はそう言って、黙り込んだ。
「いたぞ!!!」
土方が指差した先には、薩摩藩と刀を交える長州藩士がいた。
「行くぞ!!」
そう言うと、全員一斉に刀を抜いた。
「おりゃぁぁ!!!」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
数分後、辺りは静まり返っていた。
先ほどまで刀を交えていた徴収人が、目の前で目を開き、血を流し、口を開けながら、死んでいる。
隊士の中で一番隊服が汚れていたのは、総司だった。
顔まで血だらけにし、冷たい目をまだしている。
美弥は、一瞬総司が人を切る瞬間の目を見た。
総司の目は、切れ長になり、冷たく、一切光を受け付けない、冷たく、悲しい目をしながら切っていた。
しかしその目は、怒り、悲しみ、胸の痛み、迷い、そして、怖さも伝わってきた。
美弥は、総司が人を切る瞬間の目をはじめて見た。
美弥はその目だけで、鳥肌が立った。
「(総ちゃん、あんな目してたっけ。そういえば、今日の剣さばきは、いつもの総ちゃんらしくない。いつもは、曲線を描いて、絵でも描くかのように・・・・)」
美弥は、どんどん複雑な気持ちになった。
 「どうしましたか、美弥。行きますよ。」
気がつくと、隊士達は移動する準備を始めていた。
「あっ、うん・・・」
「(総ちゃん・・・・)」

 新撰組隊士のほとんどは、敵を切ることはなかった。
指揮官である、長州藩士、草加玄瑞は切腹し、幕府側の勝利と終わった。

 「総ちゃん、総ちゃんは人を殺める時どんな気持ちで切ってるん。」
美弥は初めて総司にこんな質問をした。
「・・・・私が、人を殺める時・・・・・そうですね、何も考えません。体がかってに動いているんです。気がつくと、目の前に血だらけの死体が転がっています。でも・・・・・」
総司は言いにくそうにうつむいた。
「でも?」
「ずっと、こんな力持つんじゃなかった。こんな力があって、何になる。私は結局、誰も守れない。」
総司は愛刀を見ながら答えた。
美弥は、慰めの言葉が見つからなかった。
「(うちは、総ちゃんに手を差し伸べてやる事はできてへんねや。)」
二人は屯所への道を黙って歩いた。

 「皆、お疲れであった。今回新撰組の活躍はほとんどない!!!次回の出動で手柄を上げるように!!」
屯所に着き、近藤は隊士達の目の前で言った。
「はい!!!!」
「では、解散!!」
その言葉で一斉に隊士達が散らばり、部屋へと戻った。
二人は、今もずっと黙っている。
「総ちゃん、入るよ。」
美弥が総司の部屋に入ると、総司は着替えの途中だった。
「何ですか。」
冷たい言い方。
冷たい目。
どんどん総司は変わっていく。
「うち、役にちゃんと立ててる?」
美弥は総司の背中一点を見つめる。
「・・・・・・・・どうですかね・・・・」
総司は一言、そう答えた。
「そっか・・・・なんか、役に立てる事があったら言ってな。」
美弥は一言言ってから、総司の部屋から出た。
「(私は、駄目ですね・・・病気に心も虫食まれてしまってますね・・・)」
総司は前髪をかきあげた。

 「(さっきの総ちゃん、怖かった・・・・)」
美弥は総司の目の冷たさを思い出しながら、自分の部屋へと入った。
すぐ隣の部屋なため、総司の物音が聞こえる。
手際よく帯びを結ぶ音。
「(うちも、着替えよ・・・)」
美弥も着替えだした。
手際よく、丁寧に着付けしていく。
「うっ!!」
急に総司の苦しそうな声が聞こえた。
「総ちゃん!?大丈夫!?」
美弥は急いで総司の部屋へと入った。
総司は、倒れながら、苦しそうに咳をしていた。
「ゲホっ、ゴホッ!!ゴボッ・・・ゲホッゲホ!!はー、はー・・・・・」
口の周りは血で赤くなり、手のひらは真っ赤になっていた。たたみにも、血痕ができている。
「総ちゃん!!!」
美弥は慌てて総司の背中をさすろうとした。が、
「来ないでください!!」
総司が必死に言った。
「えっ・・・・」
「こんな、弱い私の姿を見ないでください・・・・」
総司は美弥に背中を向ける。
「ゴホッ!!ゲホッゲホ!!」
「美弥に、この病気をうつすわけにはいいきません・・・・だから、来ないでください・・・・・」
総司は、苦しそうな息をしながら懸命に言った。
「っ!・・・・」
美弥は、総司の部屋から出て行った。
「(これで、よかったんです・・・・言葉が足らずに、美弥を傷つけるよりは、こちらのほうが、まだ・・・・)」
総司がそう考えていると、遠くから足音が聞こえてきた。
「総司!!!」
入ってきたのは、土方だった。
「総司、大丈夫か。」
土方が、総司の顔色を見た。
「またこれを飲め。お前、この薬が苦いからって、飲んでねぇんだろ。」
土方は、虚労散薬を渡した。
この薬は、池田屋の際に始めて総司が吐血をしてしまった時に飲ませた薬だ。
「おい。」
土方が、手を出すと、美弥が土方に白湯を渡した。
「美弥・・・だからここに来てはいけないと・・・・」
「総司、まずはこれを飲め。話しは後だ。」
土方が薬を飲ませた。
「はぁ。・・・・・落ち着きました。」
総司が美弥に湯飲みを渡した。
「ったく・・・・てめぇは、馬鹿か!!!!」
急に土方の大声が上がった。
「お前は人一倍寂しがり屋のくせにかっこつけて、美弥を遠ざけやがって・・・」
「・・・・・グスっ・・・・グスッ・・・」
総司は、黙って涙を流した。
「ごめんなさい、美弥。あなたに、この病気がうつってしまうのではと、私は怖くなってしまって・・・・」
美弥は、総司の下へと歩み寄り、しっかりと総司を抱きしめた。
「大丈夫やで、うちは何も心配ない。だから、変な気なんて使わんでええねんで。」
美弥は優しくそう言った。
総司は「キュッ」と美弥の着物を握り締めた。
「(ったく、やっぱり総司はずっとがきだな。)」
土方は部屋を出ようとすると、つま先に先ほどの湯飲みが当った。
「(仕方がねぇ、たまには持っていってやっか。)」
土方は湯飲みを広い、総司の部屋を出た。
「副長!!」
先ほどの土方の声を聞いて飛んできたのか、鉄之助がやってきた。
「あぁ、お前か。これ、持って行け。」
土方は結局、鉄之助に湯飲みを渡した。 
「(あいつを呼ぶか。そうしたら、総司も少しは心が元気になるかもな。)」
土方は、近藤に相談するために、近藤の部屋へと向かった。

月日は流れ、秋になった。
「よろしくお願いします。」
数日後、北辰一刀流の伊藤甲子太郎が入隊してきた。
伊藤とは、山南敬助や、藤堂平助と同じ道場で、師範である。
「いやぁ、遠いところからどうも、おいでくださいました。伊藤先生。」
近藤が玄関で出迎えた。
「わざわざお出迎え、感謝いたします。」
伊藤は貴婦人のように扇子で口もとをやや隠しながら話している。
「なぁんだ、あの変なおっさん。」
影から見ていた左之助が伊藤のことを変に言った。
「おい、左之!!伊藤先生は近藤さんと並ぶような、偉大なる先生なんだぞ。」
平助は左之助に指を指して言った。
「あ~、はいはい。二人とも、喧嘩するのは自由だけどさぁ、あの、伊藤先生って人にバレバレみたいだぞ。」
新八が、伊藤を指差した。
伊藤は、じっとこちらを見て、平助がこっちを見たのを確認すると、平助に向かって手を振った。
「せ、先生!!お久しぶりです!!」
平助は、伊藤の下へと走って行った。
「久しぶりですね、平助君。お変わりはないですか。すっかり立派な隊士になって。」
伊藤は、久しぶりに自分の息子を見るような目で平助を見た。
「ありがとうございます。先生もお変わりないようで、安心しました。」
平助も笑いながら久しぶりに会ったことを喜んでいる。
「で、平助君、あちらは・・・?」
伊藤は流れるような指先を二人に向けた。
「あぁ、あの二人は、二番隊隊長の、神道無念流の永倉新八君と、十番隊隊長の種田流槍術の原田左之助君です。」
近藤が二人を紹介した。
「まぁ、よろしくお願いします。」
新八が頭を下げた。
「北辰一刀流の、伊藤甲子太郎です。よろしくお願いしますね。」
伊藤が笑顔で挨拶した。
「(なぁ、新八つぁん。あいつ、気持ち悪くないか。男のくせに女みたいだ。)」
左之助が、横耳で新八に話した。
「(あのなぁ、左之。お前も、土方さんと、近藤さん以外の人に礼儀を身に付けておこうぜ。いくら、今からの入隊でも、あの人は北辰一刀流の師範だぜ。どうぜ、いい場所に着くにきまってる。しかも、女っぽいのは、他にも一人いるだろ。)」
「(でもよぉ、総司は見た目が女だから変じゃないけどよぉ、あいつはどう見たって、ナベだろ。)」
左之助は笑いを我慢した。
その間に、近藤達は屯所の中へと入って行った。
「(でも、舐めてかかっちゃ痛い目みるかも知れねぇやつだよな。北辰一刀流といえば、江戸の三大道場、鏡新明智流の士学館、神道無念流の練兵館、そして、北辰一刀流の玄武館だ。しかも、あの伊藤ってやつは師範。なかなかのやつだったりしてな。)」
新八は少し悪そうな笑顔で話した。
「でもよぉ、北辰一刀流って、どんなやつがいんだよ。俺、槍しかできねぇから、そこんとこ詳しくねぇんだよ。」
左之助は、元の声の大きさで話した。
「お前、それぐらい知らねぇのか!?北辰一刀流といえば、山南さんや、平助以外にも、手配されている、坂本龍馬とか、京に上る時に俺らがだまされた清河八郎とかも北辰一刀流なんだぞ。」
「えっ!!??そんなにいたのかよ。」
「ったぁく、お前は・・・・」
新八は頭をボリボリとかいた。
「ハハハ、すまんすまん!!」
左之助はいつもの大きな声で笑った。

 「なかなか、広いものですねぇ。」
伊藤は近藤と一緒に屯所内を見学している。
「いやいや、しかし最近は隊士達の数も増えてきて、広いにもかかわらず、狭いようなものですよ。」
近藤が笑いながら言った。
「ふふふ。おや。」
伊藤の目に一人の隊士が目に入った。
総司だった。
「新撰組には、女隊士もいらっしゃるんですか。」
伊藤は指先を総司へと向けた。
「あぁ?あははは。いやはや、伊藤先生もお目が高い。しかし残念ながら、沖田総司は男ですよ。あぁ見えても。」
「沖田、総司・・・あれが?」
顔色を一瞬変えた伊藤は、総司をじっと見つめる。
「先生?」
「あっ、いや。あまりにも綺麗な顔をしていらっしゃるから、私ったら・・・」
また伊藤は口元を扇子で隠し笑った。
「紹介させておきましょう。総司。」
近藤が、総司を呼んだ。
「あっ、近藤さん♪」
総司は笑顔でこちらに向かってきた。
「いや、稽古の見学を邪魔してすまないね。こちら、先ほど江戸から参った、伊藤甲子太郎先生だ。」
近藤が、紹介をした。
「伊藤です、よろしくお願いいたします。」
「沖田総司です。新撰組では、一番隊隊長をやらせてもらっています。よろしくお願いします。」
総司はニコっと笑った。
「ところで総司、美弥はいないのか。」
「あっ、美弥は今、監察のお仕事に行ってます。もうそろそろ帰ってくると思いますよ。」
総司はニコニコしながら答える。
前の総司の明るさを取り戻したようだった。
「そうか。それじゃぁ、夕餉の時でよろしいでしょうか。伊藤先生。」
「えぇ、かまいませんよ。」
伊藤は少し微笑んで答えた。
「それじゃぁ、私は稽古に戻ります。」
総司は頭を軽く下げて、戻った。
「あんなかわいらしい方が噂で聞いていた、一番隊隊長さんだなんて。私、驚きました。」
「ははは。総司は素質がいいんですよ。」
近藤は大きな口を開けて笑った。

 「ただいま戻りましたぁ・・・・」
美弥が屯所へと帰ってきた。
「あっ、美弥。お帰りなさい。」
美弥の帰りを、まだかまだかと、待っていた総司が嬉しそうに走ってきた。
「ただいま。ちゃんと、薬飲んだ?」
「はい、飲みましたよ。お仕事、ご苦労様でした。新しい人が入ってきてますよ。」
総司はニコっと笑った。
「あぁ、伊藤さん?今日着いたんや。それなら、今日の夕餉ははしゃぐやろな。」
美弥が少し微笑んだ。

 「伊藤先生、どうですか。」
「えぇ、とてもおいしいです。」
ほとんどの隊士が集まったため、夕餉は始まった。
しかし、総司と美弥はまだ顔を出していない。
「すいません、もう少しで来ると思いますんで・・・・」
「失礼します。遅れてすいません。」
総司と一緒に美弥が入ってきた。
「近藤さん、あの方も男性なんですか。」
伊藤は、近藤の耳元でそう聞くと、指先を美弥へと向けた。
「いえ、あれは、正真正銘の女隊士です。美弥。」
近藤が美弥を呼んだ。
「はい、なんでしょうか、局長。」
「こちらが、今日江戸から参った、伊藤先生だ。」
近藤が紹介した。
「はじめまして、伊藤です。よろしくお願いいたします。」
「鳥本美弥と申します。一番隊の隊士と、監察の仕事をやらせてもらっています。こちらこそ、よろしくお願いいたします。」
美弥は畳に指をつき、頭を下げた。
「あら、お行儀がよろしいのね。育ちもよろしいお嬢さんだこと。あなたも、天然理心流?」
「はい。九つの頃から、剣の道を志してきました。」
美弥は一つ一つ、丁寧に質問に答えていく。
「江戸でも、あなたたち新撰組の噂は聞こえてきていましたよ。これからも、京の治安を守るために、頑張ってくださいね。」
伊藤が微笑んだ。
「はい、ありがとうございます。」
美弥はまたお辞儀をしてから、自分の席へと戻った。
「強いんでしょう。あの、鳥本美弥さんは。」
「えぇ、隊士の中でも総司と普通に試合ができるのは、美弥しかいないといわれております。」
近藤はそう答えた。
「そう・・・」

 「気にいらねぇ。」
夕餉の後、近藤の部屋へと入ってきた土方が、気に食わぬ顔で、近藤の前に座った。
「なんだ、歳。伊藤先生のどこが気に入らないんだ。」
「近藤さんは、気持ち悪くねぇのかよ。あいつ、ナベだぞ。俺まで狙われちまってる。」
「ははは。歳がもてるのは、女も男も関係ないんだな。」
近藤は大声で笑った。
「笑いごとじゃねぇよ。ったくよぉ・・・」
土方は困ったように、頭をかいた。

 数日後、各隊の隊長が土方の部屋に呼ばれた。
「今日、お前達に集まってもらったのは、新しい法度を発表するためだ。」
土方はそういうと、長い紙を取り出し、目の前に置いた。
小さい紙も全員に配り、目を通すようにと促した。
「これは、また・・・・」
新八がそうつぶやいた。
その内容は、
「   軍中法度
 一、役所を堅くあい守り、式法を乱すべからず、進退組頭の下知に従うべき事。
 一、敵味方強弱の批判いっさい停止の事。
 一、食物いっさい美味禁制の事。
 一、昼夜に限らず、急変有之候とも決して騒動致すべからず、心静かに身を堅め下知を待つべき事。
 一、私の遺恨ありとも陣中に於いて喧嘩口論仕り間敷き事。
 一、出勢前に兵糧を食ひ、鎧一縮し槍太刀の目釘心付べき事。
 一、敵間の利害、見受之あるに於いては遠慮及ばず申し出るべく、過失を咎めざる事。
 一、組頭討死候時、その組衆、その場において死戦を遂ぐべし。もし臆病をかまえてその虎口逃来る輩有之に於いては、斬罪鼻罪その品に随って申し渡すべきの候、予て覚悟、未練の働無之様あいたしむべき事。
 一、烈しき虎口において組頭の他、死骸を引き退くこと無用、その場を逃げず忠義をぬきんずべき事。
 一、合戦勝利後乱取り禁制なり。その御下知あり之に於いては定式のことく御法を守るべき事。
 右之条々堅固にあい守るべし。この旨執達件のごとし。」
数分ほどの沈黙が流れる。
「今回はまぁ、厳しく作りましたねぇ。」
総司が口を開いた。
「でもよぉ、美味いもん禁止って、そこまでしないといけねぇか。」
左乃助が口を開いて、眉をひそめた。
「当たり前だ。今でも長州のやからはこうしている間に最新の武器を手に入れてるところだ。俺達がうつつを抜かしてどうする。」
土方が偉そうな口調で話す。
「意見は聞く。だが、この法度を返るつもりはねぇ。」
土方はそういうと、部屋を出て行った。

 美弥と、総司は伊藤が入隊してきてちょっとしてから、伊藤の部屋に呼ばれた。
「失礼します。」
二人一緒に入った。
「すいませんね、わざわざ私の部屋に来てもらって。」
「いえ、大丈夫ですよ。」
総司がニコリと笑った。
「お話とは、なんでしょうか。」
美弥が聞いた。
「えぇ。恥ずかしながら、私、美しいものがこの上なく好きですの。特に、あなた方二人はとてもかわいらしい顔をしていらしゃる。私のお気に入りになりませんか。」
突然の質問に、二人は口を閉じることができなかった。
「と、言いますと?」
美弥が冷静になり質問した。
「えぇ、私のそばにいつもいてくれませんこと?あなた方と、私が街を歩けば、誰もが振り返るわ。」
美弥はすぐに、
「すいません、そういうことなら、お断りいたします。」
そう答えた。
「何故です。私とつね一緒にいれば、あなた方の安全はもちろん、好きな時に、好きな物を買って差し上げられますのに。」
「伊藤先生。ここは、新撰組です。生半可な気持ちで、ここにいてはすぐに腹を切ることになりますよ。まだ、説明されていなかったのかもしれませんが、新撰組には局中法度という、絶対的な存在の法度があります。その法度を背いた者は、どんな理由に関わらず、切腹。その中に、勝手に金策をしてはいけないことも書いてあります。」
総司が答えた。
「そう。私の願いを聞き入れなかった者なんて、あなた方が始めてだわ。ふふふ。その顔で、絶対的なまじめな性格。いいわ、気に入った。あなた方をもっと気に入ったわ。」
「すいません。お話が終わったのならば、これで失礼させていただきます。私は今から観察の仕事がありますので。」
お辞儀をして、二人は出て行った。
「沖田総司、鳥本美弥。絶対私の物にしてみせるわ。」
伊藤は、扇子を広げ、また口元を隠して笑った。

 「すごく、変な人でしたね。伊藤先生。」
総司が自分の部屋へと向かう時、美弥に話した。
「そうやな。ちょっと、気持ちが悪かったわ。変わってる。」
美弥は背中から寒気を感じたような震え方をした。
「今から、行くんですか。お仕事。」
「うん、最近ちょっと気になってることがあってな。この頃、夜の監察は山崎にやってもらってばっかで。うちも今日は出ようと思って。そのついでに、気になることも調べてくる。」
美弥は、よほど気になっているのか、眉が片方だけ下がっている。
「何が、そんなに気になるんですか。」
総司はとても、美弥の調べごとに興味があった。
「なぁ、総ちゃん。総ちゃんは、双子なんかおらんやんな。」
美弥が急に総司に聞いた。
「へっ?そんなの、幼いころから一緒ですから知ってるでしょ。いませんよ。双子なんて。」
「そうやんな・・・・」

 数分後、忍服に着替えた美弥は、屯所の屋根に上っていた。
「あっ、鳥本さん!!」
屋根には、鉄之助の姿があった。
「鉄之助君?こんなところで何してるん?」
「いや、ちょっとさっきのああいうお酒の場って、暑くなっちゃうでしょ。ここで、体を冷やしてるんですよ。」
鉄之助が笑顔でそう言った。
「そっか。でも、あんまり夜更かしはあかんで。体に毒。それに、小姓さんは、早起きしなあかんから、はよ寝たほうがいいんとちゃう。」
美弥がニコニコしながら言った。
「おう!!それじゃぁ、そろそろ寝ることにするっ。おやすみなさい!!」
鉄之助は、立てかけてあったはしごを降りて行った。
「(行くか。)」
美弥は屯所を出た。
屋根伝いに進んでいく。
「(どこや。この前のあいつは。)」
「へぇ、俺に会いたかったわけ。」
前から声がした。
足を組みながら座っている一人の忍がいた。
「久しぶりやな、吉三郎というのやら。禁門の変で、逃げたかと思ったわ。」
「はは、そういえばそういう事件もあったけな。まぁ、俺はもう、どうでもいいんだけどよ。」
吉三郎は、くないを手に持った。
「どうでもいい?長州の奴らが主人じゃなかったの。それとも、怖くて怖気づいたとかかしらねぇ。」
美弥は吉三郎を挑発した。
「さぁ、何のことやら。俺は、自分から抜けてきたんだよ。あいつら、どんなに情報やったって、使い物になんねぇ。池田屋では殺されるわ、禁門では、あっけなく負けるわ・・・役立たずだぜ、ただの。あんなのが、国を動かせるって言ってたら、話になんねぇ。」
吉三郎は、くないの穴に指を入れ、くるくると回し始めた。
「だからな、俺が国を変える。」
急に吉三郎の目つきが変わった。
くないを握り締め、美弥に向かって走っていく。
美弥も、くないを取り出し、吉三郎に投げた。
しかし、簡単にそのくないを避ける。
仕方なく美弥は刀を取り出し、くないを刃に交えた。
「俺が国を動かすには、お前ら新撰組をまず抹消させないとな。特に情報を食う忍さんをなぁ。ついでに、新撰組の中でも、剣の使い手と言われてる鳥本先生も消えるって訳だ。一石二鳥で、こんな美味い話ねぇぜ。」
吉三郎は、不気味な笑顔を浮かべている。
「あんた、沖田総司と、なんか関係あんの。」
美弥は吉三郎に向かって聞いた。
「ははは。お懐かしい名前だぜ。」
「あんた、なんか関係あんねんな。」
「知りたいか。」
吉三郎が、また不気味に笑った瞬間だった。
「ドサッ。」
美弥が鎖で吉三郎の足をとり、即座に吉三郎を動けなくした。鎖でできているため、吉三郎の腕についてある隠し武器も意味がなくなった。
「話せ。」
美弥が命令した。
「はは。いいぜ、話してやる。俺は、沖田総司と義兄弟なんだよ。」
ありえなさそうな話だが、美弥は吉三郎の話に耳を傾けた。
「俺の、父親は、沖田総司の父親だ。俺は、腹違いの隠し子なんだよ。でもなぁ、遺伝は似てたみたいだな。あいつそっくりになっちまった。この顔は、昔は嫌いだったが、今では気に入ってるよ。誰もが、沖田総司と見間違えるから、怪しまれねぇしな。」
「だからって、何故、長州の元へと着いた。」
美弥がくないを首に突きつけた。
「決まってんだろうが。国を変え、幕府のお偉いさんどもを殺すためにな。」
「・・・・・・・・・」
美弥は怒りで何も言わなくなった。
「殺せよ。俺はお前の敵だ。」
吉三郎はそう言った。
が、美弥は鎖を解いた。
「行け。二度と、人を殺すな。お前に、国を変えることなど、できない。」
美弥が背中を向けた瞬間、吉三郎はニヤリと笑い、剣を出し、振りかぶった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
数分後、屋根の上は血だらけになっていた。
「あっ・・あぁ・・・・・」
体をビクビクと動かし、目を開いた状態になっている。
美弥の忍服は、黒色だが、赤くなっていた。
吉三郎は、返り討ちになっていた。
「うらむな。隙に殺そうとした、お前が悪い。」
美弥は顔についた血をぬぐうと、夜の闇に消え、屯所へと戻った。

 「一人、やったみたいやな。」
先に帰ってきていた山崎が、美弥に声をかけた。
「隙を見せて、うちを殺そうとしたから、ついな。」
井戸で水をくみ上げ、体についた血を手ぬぐいでふき取る。
「あんたは、なんかあったん。」
「いや、今日は何もなかった。」
山崎はそういうと、一人で歩いていった。
「(まさか、腹違いの兄弟とはな。このことは、総ちゃんには言わんで、ええんやろか・・・)」
美弥は悩んだ末、今更、幼いころに亡くした父親のことを思い出させても仕方がないと思い、言わないことに決めた。

 美弥が部屋に戻ると、隣の部屋から総司の寝息が聞こえる。
その音を聞いて、安心している。
「(よかった。今日は、咳があんまり出んと寝れたみたいやな。)」
静かに、寝る支度を始める。
この日、美弥が布団に入ったのは、朝が少し明るくなりかけた時だった。

 同時刻、屯所内で悩んでいる一人の男性がいた。
山南敬助。新撰組の副長である彼は、あることを考えていた。
それは、「脱局」。
つまり、局から逃げ出すということ。
もちろん、見つかれば局中法度に記されているとおり、切腹しないといけない。
しかし、山南は最近局のまとめ方が気に入らず、自分の場所さえもないと感じてきていた。
「(とにかく、明里を迎えに行こう。約束していたように・・・・)」
山南は、荷支度をすぐに始めた。
「(少し、明るくなってきた。今から脱するのは、非常に危険だな。明日、夜の見回りも終わった時間帯に、裏口から出るとしよう。)」
少しずつ、必要なものだけを集めていく。
「(長い、逃避行になるだろう・・・・)」
自分の手持ちの金もすべて用意した。

 日が上がり、また一日が始まった。
京にも冬が訪れ、雪の世界になっている。
「(今日はまだ寝れたほうやな。)」
美弥が起きて、いつものように朝飯を作り始める。
台所に近づくにつれ、聞こえてくる、包丁の音。
「包丁の音や。包丁の・・・・・えっ!?」
美弥は早足で台所に入った。
「あっ、おはようございます、美弥。」
そこには、髪をくくり上げた総司の姿があった。
「えっ、総ちゃん?なんでこんな早く・・・」
「いえ、いつも夜遅くまでお仕事大変なのに、朝早く起きて皆さんのご飯を作るのも大変だなぁと思いまして、お手伝いです。」
総司は、包丁を片手にニコっと笑う。
しかし、その奥にあるまな板の上を見ると、見るも無残なほうれん草の姿・・・・
「なぁ、総ちゃん、あの緑の物体は・・・」
「見れば分かるでしょう。ほうれん草のおひたしを作ろうと思ってるんですよ。ひどいですねぇ、緑の物体だなんて。」
総司はそう言って口を尖らせる。
が、よくよく見てみると、おひたしを作るだけで台所は戦場のように散らかっていた。
あっちでは、割れた器が置いてあり、あっちでは、割れた卵の痕跡。あっちでは、大量の謎の物体。
総司は、片付けの名人ならぬ、散らかし名人であった。
「あの、総ちゃん。手伝ってもらうんは、嬉しいねんけど・・・」
「そうでしょ。だから、美弥はそこで座って見ててください。」
総司は、近くにあった段のところに美弥を座らせた。
心配な美弥だが、総司の優しい気持ちを傷つけないように後ろから心配そうに見ていた。
「えっと、トントントントン・・・・」
流暢にほうれん草を切る音。
「(なかなかうまいんとちゃう?)」
美弥が、そう油断をした瞬間だった。
「トントントンザクっ・・・・トントントン・・・・」
「(んっ!?)」
妙な音が入り混じっていた。
「総ちゃん、今、変な音が・・・・」
美弥はまな板を覗き込んだ。
総司の手が震えている。
「き、切っちゃいました。軽く。あはっ。」
総司は、軽く切れた指を美弥に見せた。
軽く切ったといえ、指からは血が出ている。
「えっ!?ちょ、見せて。あ~ぁ。ほら、水で洗ってきて。薬箱もちょっととってきて。続き、うちがやっとくから。」
「は~い。」
総司は、返事をしながら指を洗いに出て行った。
「(ほんまに、不器用やのに頑張ろうとするから・・・)」
数分して、総司が戻ってきた。
「洗ってきましたよぉ。これ、薬箱です。」
総司が帰ってくる頃には、ほとんどのおひたしが完成していた。
無残に荒れ果てていた台所も、綺麗になっていた。
「ほぉ~~・・・・」
総司が、変な声を出した。
「何?ほら、指だして。」
美弥が総司の指に薬を塗る。
「痛いです。」
「そらそうやろ。切ってんねんやから。頑張ってくれるのはありがたいけど、気、つけてや。」
二人の姿はまるで、思い人同士ではなく、母と子のようである。
もちろん、母が美弥で、子が総司であるが。
 「後は、何を作るんですか。」
「飯はさっき炊いたから、後は味噌汁かな。」
そう言うと美弥はてきぱきと下準備を始める。
「何か、手伝いましょうか?」
総司が聞いてきた。
「そうやなぁ、それやったら、器とかを用意してくれる?そこにあるから。」
美弥が棚を指差した。
「はい。」
総司はそう答えた。
「(うん、おいしい。)」
味噌汁は美弥は作っているため、順調に進む。
「あっ、わっ、とっとっとっ・・・ガシャン!!」
後ろから皿が割れる音がした。
後ろを振り返ると、割れた皿をぼうぜんと見下げる総司の姿。
「えへっ。」
可愛く舌を出す。
「やっちゃいました。」
そう言いながら総司は割れた皿を拾おうとする。
「あかん、触ったら。総ちゃん、もう少しでできるから、皆起こしてきてくれる。」
美弥は総司を他の隊士を起こしに行かせた。
「(総ちゃんのことやから、破片で絶対また指きるからなぁ。)」
美弥は、総司が割った皿を拾う。
 次の日から、総司の仕事は、朝に他の隊士を起こしに行くという仕事になった。
この仕事に関して、誰もがあっていると賛成した。
土方だけは、少し困ったような顔だったが・・・・

 また一日が始まった。
見廻りの仕事がある隊は、市中の見廻りに。
非番の隊士は、部屋でゆっくり寝たり、外へと散歩に出かける。
「いい、お天気ですねぇ。」
総司が、縁側に座りながら話した。
「あっ、沖田さん。」
廊下を歩いてきた鉄之助に出会った。
「あっ、鉄くん。どうしたんですか。また、小姓のお仕事をサボってお稽古ですか。」
「へへへ。だって、俺のお茶まずいっていうから、土方さんいつも飲んでくれないんですよ。よっぽどのどが渇いたときにしか飲まないって・・・・だから、今から稽古です。」
鉄之助が、刀を持った真似をして、空を切った。
「そうですか。」
総司がニコっと笑う。
「それで、ですね・・・・」
鉄之助が申し訳なさそうに、総司の顔を見る。
「稽古をつけて欲しいんでしょ。ほんとっ、あなたは面白いですねぇ。私に稽古をつけてくれというのは、本当にあなたぐらいだけですよ。」
総司が、立ち上がり、鉄之助と一緒に道場へと向かった。
「やぁぁあ!!」
竹刀を打つ音が、少しずつ大きくなっていく。
「ほら、腰が甘い!!」
新八の声も聞こえる。
「おらぁぁぁ!!!!」
乱暴な声を出しているのは、おそらく左之助だろう。
「皆さん、お疲れ様です。」
総司が道場に入った。
「おぉ、総司。また子犬君のお世話か。」
平助がイヒヒと笑う。
「そうです。まぁ、気にしないで続けてください。」
そう言ってから、総司は竹刀を取りに行った。
「あの、沖田さん。」
「どうしましたか、鉄くん。」
「あの、俺、今日は竹刀じゃなくて、木刀でやりたいんですけど。」
鉄之助が総司に頼んだ。
「いいですよ。でも、私はどこまで正気を持っていられるか分かりませんので、防具をつけてきてください。」
「はい。」
鉄之助は走って道場を出て行った。
「ったく、あんなに強くなっちまってなぁ。」
左之助が鉄之助の後ろ姿を見て言った。
「あの、原田隊長。」
後ろから若い隊士が声をかけた。
「市村の奴って、そんなに強いんですか。いつも他の隊士と対戦しても、負けてますけど・・・」
この隊士は、池田屋の際にはもう入隊していたが、池田屋ではなく、土方がいた生駒屋の方へと行っていたため、鉄之助の強さを知らない。
ほとんどの隊士、また、新しい隊士もそうだった。
「あぁ、あいつはあぁ見えてなかなか強いぞ。あの、長州藩士、吉田松陰の弟子の、吉田稔麿を切ったのは、あの子犬くんだったからなぁ。それに、子犬くんは、稽古で強くなる素質じゃなくて、実戦で実力を発揮する素質みたいだしな。」
新八が話した。
「まぁ、やばかった。って言ってもいいのかも、知れないが。」
平助が、腕を組んで言った。
「やばかった、とは?」
気になった隊士が声をかける。
「あぁ。一瞬、吉田に首を切られそうになったのさ。あいつ、死にぞこないみたいに、腕を切られても、まだ生きてやがった。口に、刀くわえて、子犬くんを切りそうになったんだよ。そしたら、総司が最後に吉田の首を切ったって訳。」
「だから、子犬くんは総司に挑むのかもしれねぇな。それに、総司と普通に対戦できるようになるということは、戦場でほとんど死ぬ確立がないってことだ。その一人が、総司の幼馴染の美弥って訳だ。」
新八が総司を見ながら話した。
総司は話に気づかず、髪を結わえている。
「沖田先生!!私に稽古をお願いします!!」
「私も、お願いします!!」
たくさんの隊士が、稽古を申し込んだ。
「へっ!?いきなりどうしたんですか?」
総司は急に大勢の隊士に稽古を申し込まれ、困った様子だったが、
「分かりました、順番ですよ。」
総司が笑って答えた。
そして、隊士達は道場の端に集まり、一列に並ぶと一斉に座って、一番最初の鉄之助の試合が終わるのを待つ。
「取ってきました、沖田さん!!!」
鉄之助が大急ぎで帰ってきた。
「って、皆何してるんすか?」
「沖田先生の稽古を待っている。だから、お前が先手だ。」
「はぁ。」
鉄之助は、何があったのか不思議そうな顔色を浮かべ、防具を身に着けた。
「お願いします。」
鉄之助が頭を下げる。
「お願いします。」
総司も頭を下げた。
しばらく二人は対面しあい、沈黙が続く。
「やぁぁぁぁ!!!」
鉄之助が総司に向かって行く。
総司はそれを簡単に避ける。
「鉄君、いつも言っているでしょう。まっすぐ来ては、相手に読まれてしまいますよ。」
総司はそう言ってから、鉄之助に面を打った。
「ってぇ・・・まだまだ!!!」
鉄之助がもう一度総司に向かう。
そして、思いっきり振りかぶる。
「(来た。最初は面狙い。ということは・・・・)」
普通、他の人なら左の胴狙いでここは来るはずだが、鉄之助の場合は・・・・
「おぉ!!!!」
周りの隊士から驚きの声が上がった。
鉄之助は、小さい体をうまく使い、総司の足元を抜け、もう一度面狙いで来たのだ。
しかし、うまくいかず、総司に面を打たれ、試合は終わった。
「次、お願いします!!」
並んでいた隊士が試合を始める。
だが、総司は容赦なく、面、胴、突きを決めていく。
他の隊士もそうだった。
しかし、数回試合が終わった時点で、総司の息は荒くなっていた。
「はぁ、はぁ・・・・」
息苦しそうに呼吸する。
しかし、総司の剣の腕前は変わらない。
「はぁはぁ・・・・」
そこに、
「総ちゃん、ここにおるん?」
美弥が総司を探しにやって来た。
「総ちゃん!?何やってんの!?」
美弥の驚きの声で試合は止まった。
「総ちゃん、自分体こわし・・・・」
言いかけた瞬間に、総司に止められ、腕を引っ張られて道場の中に入った。
「お手本を良く見ていてください。」
総司はそう言うと、美弥防具と、木刀を渡した。
そして、総司自身も防具をつけた。
「でも、総ちゃんは・・・」
「(しー。秘密ですよ。皆さんに見せてあげてください。)」
総司は美弥の耳元でささやいた。
「(ちょっとだけやで。)」
美弥は総司の耳元で返事をした。
「お願いします。」
二人が同時に頭を下げた。
二人がにらみ合う。
「すごい気迫だ・・・お二人とも、隙を見せない。」
隊士達がコソコソと話す。
「もうすこし、じっくり見たらどうだ。めったに見れない試合なんだぞ。」
新八がそう言って、隊士達は食い入るように真剣に見た。
「はっ!!!」
美弥が振りかぶる。
総司はそれを受け止め、木刀を交える。
女の美弥でも、総司の力には負けない力で、総司を押す。
総司は木刀を払う。
そして、攻撃を仕掛けた。
「はっ。」
総司が面を狙う。
「がしん!!」
美弥が面を払う。
今のところどちらも一度も打たせていない。
「やっ!!」
美弥がいっきに仕掛けた。
いっきに仕掛けられてきた総司は、防ぐことしかできない。
面を狙い、胴狙い。
総司も、美弥の刀は読めないみたいだ。
が、美弥が即座に総司から離れた。
次に、総司の得意な払いをした。
美弥は来ることを分かっていたのだ。
払いをしている瞬間、お留守になったところを、
「面!!!!」
美弥が総司から面を奪った。
「そこまで!!!」
平助が止めた。
「おぉぉぉ!!!」
隊士達が興奮した。
「すごい!!!」
「はは、久しぶりに美弥に負けてしまいましたね。」
総司が面を取った。
総司が汗をかいている。
「まぁ、久しぶりやったしね。」
美弥も面を取った。
美弥自身も、汗をかいていた。
そして、皆と楽しそうに話をし始めた。
そこに、拍手をしながら伊藤が入ってきた。
「いや、見せていただきました。お二人とも強い。これで新撰組は安泰ということですね。」
伊藤はフフフと笑う。
美弥と総司は、少し警戒する。
「ありがとうございます。」
美弥が礼を言う。
「まぁ、そこまでかしこまらないでください。私はもう、あなた方に何もいたしませんから。」
伊藤は、扇子を出し扇ぎ始める。
「それでは。今度、私ともお相手してくださいね。」
伊藤は、道場から出て行った。
「なんだぁ、あいつ。何しにきやがったんだぁ。」
左之助は気に入らないように言った。
「それより、手を出すってどういうことだよ。」
平助が聞いた。
「あぁ、それはですね。この前、私達は伊藤先生の部屋に呼ばれたんですよ。そこで、気に入ったからお気に入りにならないかと言われたんですよ。」
総司が答えた。
「なんだって!!!??」
「そんなことなら、俺だって・・」
平助が何か言おうとしたが、新八が口をふさいだ。
「で、お気に入りってどういうことだ?」
左之助は、頭を書きながら聞いた。
「まぁ、常日頃、一緒にいろってことやね。でも、下心が丸見えや。」
「えっ、美弥はそこまで見抜いてたんですか!?」
総司がいきなり驚いた声で言った。
「えっ、分からんかったん!?」
逆に美弥が驚いた。
「・・・・・・」
総司は黙り、急に顔を赤くした。
「なになに、宗次郎く~ん?」
新八が茶化す。
「や、やめてくださいよ。幼名で呼ぶなんて・・・・」
総司は女の子みたいに、手のひらで顔を恥ずかしげに隠す。
「ったく、あいつ、やっぱ気持ち悪いって思ってたら、やっぱり気持ち悪いやつだったんだな。」
左之助が腕を組みながら言った。
「気持ち悪いって言うのは、ちょっといやだけどさ、まぁ、玄武館にいた時からそういう噂はあったけど、まさか、本当とはな・・・」
平助は驚いた顔がまだ戻っていない。
「でも、あれでも新撰組の一員やから、関わらへんっていうのもあかんし・・・」
道場にいた隊士全員が腕を組んで、頭を抱えた。
しばらくの沈黙が続き、美弥が口を開く。
「あっ、そうやった。こんなことしに来たんちゃうかった。総ちゃん、自分の部屋に戻りなさい。」
美弥が総司の部屋の方向を指差した。
「はぁい。」
総司は少しつまらなさそうに、道場を出て行った。
二人が出て行くのを確認してから、
「で、どうだった。ご感想は。」
平助が隊士に先ほどの試合の感想を求めた。
「はい、すごく気迫があり、見ごたえのある試合でした。」
一人の隊士が答える。
「私は、沖田先生や、鳥本先生までうまくなれるとは思いませんが、精一杯稽古を積んで、尊王攘夷の志士達を切りたいと思います。」
一人の隊士が答える。
「まぁ、それはいいんだが、荒れるだろうなぁ。この京は。」
新八が口を開いてそう一人でささやいた。

 「もう、あんまり無理したあかんって言ったのに。ほんまに、少しでも目離したら、すぐにどっか行くんやから。」
美弥が総司をしかった。
「だって、部屋で一人でいると、つまんないんですもん。それなら美弥、土方さんの、秘密の宝物を奪ってきて、私に貸してくださいよ。」
「そんなん、うちが死んでもかまわへんっていうの!?それにあれは、土方さんの、「秘密」の宝物やねんやからな。そんなんしたら、秘密じゃなくなるやん。」
「でも、美弥は秘密の存在の物を知っているじゃないですか。」
「まぁ、昔から書いてはったし・・・・とにかく、あかんで!!」
美弥は先ほどより強めに注意をした。
「はぁい。」
総司は口を尖らして返事をした。
「それじゃぁ、うちはそろそろ見廻りやから、絶対の絶対に部屋から出ないこと!!次出てんの見たら・・・・」
美弥はあえて最後まで言わず、部屋を出て行った。
「(私は、あとどれぐらいこうやって皆にかまってもらえるんでしょうか・・・)」

 日が暮れて、丑三つ時になった。
真冬の京はとても寒く、暗闇が余計にそうしているような気がする。
「(行くぞ。)」
山南は決行した。
それは、死を覚悟での一か八かの行動だった。
「明里。」
数日前から明里に脱局のことを伝えていた山南は、明里との約束の場所へとやってきた。
「(誰も、見ていないな。)」
一度、周りを確認してから山南は明里の手を引く。
「行こう。一緒に暮らそう。」
「山南はん。」
二人の逃避行は成功したかと思われた。
が、
「山南副長。」
暗闇の中から一人の男。
監察の仕事中の山崎だった。
「山崎、君・・・・」
「今すぐお戻りください。局を脱するということは、切腹しか道はありません。」
山南は歯を食いしばり、明里の手を引きながら走った。
「明里、何があっても、私についてきてくれるかい。」
山南は走りながら、明里に聞く。
「山南はん・・・そんなん、当たり前やないの。どこまでも着いていきますよ。うちは、あなたと一緒におることで、自由を手に入れられるねんやから。」
明里は、優しく答えた。
「山南はん、そっちの道の方がややこしくて、いいと思いますけど。」
明里がややこしい道の方向を教える。
後ろ、上からは、山崎の姿はなかった。

 次の日、屯所内が驚きの声で包まれた。
「あの、山南副長が、脱局だなんて。」
新人隊士はもちろん、副長助勤の者達、土方、近藤までもが驚いた。
「私が、取り逃がしてしまいました。場所は江戸方面へと逃げたと思われます。」
山崎が土方に、夜中のことを話した。
「山南さん・・・・何してやがんだ・・・」
土方は、前髪をつかんで、驚きを隠しきれていない。
「歳・・・」
近藤もどうすればいいのか、分からない様子だった。
「とにかく、追いかけろ。でも、山崎君、君を遣わすわけにはいかない。そういうことで、総司。」
土方が総司を呼んだ。
「はい。」
「山南さんを追いかけろ。」
「分かりました。」
総司自身も悲しい顔をしていた。
そこに、
「ちょっと待ってください。総ちゃんは、こんな体ですよ。行かせていいんですか!?」
話を聞いていた美弥が入ってきた。
「いや、今の総司の体では、本当は行かせたくねぇ。だがな、もし発見してしまったら、山南さんは、俺より、総司の方がいいと思う。総司、薬を大量に渡しておく。絶対に飲めよ。」
「分かりました。」
冷静に総司は返事をする。
「なぁ、歳。見逃してやるという道はないのか。」
局長である近藤がそんなことを言い出した。
「何言ってやがるんだ、近藤さん。あんたは新撰組局長だ。もうちょっとしっかりしてくれ。ただな、総司・・・」
土方が言いにくそうに、言葉をためる。
「草津まで。草津まで行って見つけることができなかったら、戻って来い。そこら辺で、お前の体力も限界になるだろう。」
土方はそう言った。
総司は少し希望が持てたような顔をして、
「分かりました。馬を一頭お借りします。」
そう言うと、総司は部屋を出て行った。
 「総ちゃん。」
美弥が、総司の部屋に入る。
「どうしたんですか。」
軽く荷支度をする総司。
「これ、おなか減ったら食べて。」
美弥が総司に、自分が握った握り飯を持たせた。
「ありがとう。」
総司は、それを大事そうに入れた。
「山南さん、おらんかったらええね。」
美弥が思わずそう言ってしまった。
「えぇ。私もそう思いますけど、でも反面、どうして脱局などしたのか知りたいです。」
総司は、どこか遠い目をしながら言った。
 その数分後、総司は馬にまたいだ。
「それじゃぁ、行ってきます。」
「行ってらっしゃい。ちゃんと、薬飲むんやで。」
美弥は手を振って、総司を見送った。
「(総ちゃん、あんまり無理したらあかんで。山南さん、草津より向こうに逃げとって。こういう場合、帰ってこんといて欲しい・・・・)」
美弥はそう祈った。
 
 「山南はん、はい。」
明里と、山南は、江戸方面の草津近くにいた。
「なんだい、これ。」
「そこで売ってた、団子。」
明里が楽しそうに笑いながら山南に渡す。
「ありがとう。」
「それより山南はん、これからどこへ向かいはるん?」
二人とも、どこへ逃げることは考えていなかった。
「そうだなぁ・・・まずは、海を見に行こうか。蛍は、この時期には見れないしねぇ。」
「ほんまに!?うち、嬉しい。」
明里はそう言うと、近くに咲いていた花を見に行った。
「(なんて、幸せな時間なんだ・・・平和で、穏やかで、心が安らぐ。)」
そう思っていた。
「山南はん!!これ、なんて言う花なんどすか?」
明里が山南に尋ねる。
「あぁ、それは椿だよ。君も、椿油で髪を結っていただろ。その原料さ。」
山南が、微笑みながら答える。
「へぇ、そうなんやぁ・・・・」
明里の姿は、いつもの花魁の姿ではなく、幼い子供のように見えた。
が、
山南が、馬に乗ってくる黒髪の者を見つけた。
目を細め、なんとかその人の顔を確認しようと思った。
「(やっぱり、来たか。)」
総司だった。
総司は、きょろきょろしながら山南を探している。
突然山南が、
「沖田くん!!ここだ!!」
総司に手を振った。
総司の顔はとても残念そうな顔になり、泣きそうな顔をしながら、ゆっくり山南に近づいた。
「すまない、明里。急用ができてしまった。私はまた京へ帰らなければならない。」
山南が明里に話す。
「えぇ!!うちは、どうすればいいん・・・・」
「明里は、丹波の田舎に帰りなさい。分かったね。」
山南が微笑む。
「分かった・・・」
明里が承諾すると、山南は明里の頭を優しくなでた。
「・・・・・・山南さん・・・・」
総司は、山南の顔を見ながら、目に涙を浮かべていた。
「すまない、沖田君。私も、外に出てみたかったんだ・・・」
山南も、複雑そうな顔をすると、総司が山南の胸の中に飛び込んだ。
「どうして・・・どうして!!!!!」
しばらく、総司の泣き声だけが響いた。

 「山南副長!!」
山南は、総司と一緒に屯所へと戻ってきた。
「山南さん・・・・」
美弥が出てきた。
「山南さん、どうして・・・」
「すまない。」
山南は、ただその一言だけを言って、近藤、土方の下へと向かった。
 「山南さん・・・どうして、どうして脱局なんかしたんだよ!?」
土方が、歯を食いしばりながら聞いた。
「私は、この新撰組には用なしの者だからねぇ。外へと行きたかったんだよ。」
それを聞いた近藤と土方は、驚いた顔をした。
「何、何言ってるんだよ、山南。」
「俺が、いつあんたのことが邪魔なんか言った!!山南さん!!」
二人の反応は、山南の思っていた反応とは違った。
「(そうしてだ!?私は、確かにここでは用なしの厄介者だったはずだ。だが、脱局をしたにも関わらず、切腹の道が変わるわけがない・・・)」
急に山南は立ち上がり、刀を抜いた。
「はっ!!」
・・・・・・
「あっ・・・あぁぁぁ!!!!」
叫び声が上がる。
血痕がぽたぽたと地面にできている。
「かはっ。」
「あっ、あぁぁ・・・・」
山南は、土方を切ることはなく、総司の刀が突き刺さっていた。
「あっ・・・」
総司は、ふらふらになり、全身が震えている。
「土方君、どうだい・・・同じ屋根で暮らした、仲間も、君は、下の者に殺せるほど、指導、して、いたんだよ・・・・」
山南は、涙を流しながら話す。
「分かった。分かった、すまない、山南。」
近藤が歯を食いしばる。
「沖田君、介錯を、願いたい。」
山南が、総司を見た。
総司が山南に刀を刺したのにもかかわらず、山南は、最後に総司に笑顔を見せた。
「あっ・・・・・」
総司は固まったまま。
「お願いだ、沖田、くん・・・私の、命は、そう長くは、ないんだよ・・・・」
総司は、脇差を抜いた。
近藤と、土方はそれを見ながら泣いていた。
「近藤、さん・・・土方、くん・・・・今まで、ありがとう・・・・」
山南はそう言うと、切ってくれを言わんばかりに顔を下にした。
 「っ・・・・・・」
静まり返った。
総司は力尽き、地面に腰を下ろし、目に光が見えない。
「山南、さん・・・・」
土方は、動かないまだ暖かい山南の隣で、手を握っている。
「あんたには、副長は、辛かったのか・・・・」
総司は急に立ち上がり、誰にも見られないように自分の部屋へと戻った。

 「山南さん!!」
明里は、丹波にまだ帰らず屯所の門を叩いていた。
「明里さん・・・・」
総司が明里に会った。
「山南さんは!?山南さんに、会わせて!!」
「山南さんは・・・・さきほど亡くなりました。私が、この手で、切りました。」
明里の頬には涙が流れ、総司を睨んでいた。
「やっぱり、見た目によらず幕府公認の犬ね。あんたの顔なんて、もう二度と見たくない!!!」
明里は総司の頬を思いっきり平手打ちした。
もう一度明里は総司を睨むと、走って行った。
「(こんな力、いらない・・・・こんな力、あったって・・・・役になんて立たない・・・・)」
総司は自分の手の平を見つめ、強く握り締めた。

 それから少ししてから隊士達の耳に山南の「切腹」が入った。
隊士達のほとんどが山南の死を悲しんだ。
「山南さん・・・・さっき、会ったばっかだったのに・・・・どうして・・・最後の顔ぐらい見せてもらえなかったんだよ・・・」
同門の平助は得に山南の死を悲しんだ。
 「総ちゃん、山南さんの葬式、明日やって。」
美弥が総司の部屋を覗く。
総司は、窓辺に座り、壁にもたれ異様な悲しい雰囲気をかもし出していた。
「総ちゃん、悲しいのは、よく分かるけど・・」
「私が、切りました・・・・」
総司が急に口を開いた。
「えっ?」
「私が、山南さんを切ったんです・・・」
総司が手を見せる。
「この手で・・・・」
総司の手の平は血だらけだった。
「何してんの!?」
美弥が総司の下にかけよる。
どこから持ってきたのか、総司はかみそりで手の平を血だらけになるほど切っていた。
美弥が総司の手をひっぱり、
「今、包帯持ってくる!!!」
美弥は急いで部屋を出て行った。
「(いっそ、こんな力、なくなってしまえばいいのに・・・・こんな力、いらない・・・・)」
 数分してから美弥が包帯と、薬を持って戻ってきた。
「美弥、こんな力、私は欲しくなかった。」
総司がそう口を開く。
「・・・・・山南さん、やっぱり総ちゃんが介錯したん?」
「いえ、私が不意に突いてしまったんです・・・・そしたら山南さんが、介錯をお願いしてきたんです。」
「そっか・・・」
美弥はなんと言葉をかければいいのか分からなかった。
「私は、人を救うことはできない。逆に人を殺してばかりの鬼なんですよ。皆、私の刀で死んでいく・・・」
「総ちゃん・・・」
美弥は手際よく包帯を巻きながら総司に話をした。
「こんな時に話していい話なんか分かんないけど、池田屋のこと覚えてる?総ちゃん、うちのこと、助けてくれたやんか。男二人には力ではかなわんかった。それに、総ちゃんのその強さがあるからこそ、試衛館から、この新撰組に入隊できたんとちゃうん?そんなに、悪い方に、考えたらあかん。山南さんも、総ちゃんの成長を感じたかったからなんとちゃうん?山南さんのことやで。ほんまに土方さん殺すことできひんに決まってるやろ。」
美弥はそう言うと、総司の顔を見た。
総司は、自分の手を見つめ、何も言わなかった。

 次の日、山南の葬式が行われた。
線香のにおいが香る部屋で、たくさんのすすり泣きが聞こえた。
総司はその場に長い時間いることができず、縁側に腰掛け、包帯で巻かれた自分の手を見ていた。
「総司。」
土方が声をかける。
「土方さん。」
沈黙が続く。
「・・・・お前が悪いんじゃない。お前はこの新撰組にとって、必要な存在だ。」
土方は優しく総司の頭を撫でて、部屋に入った。
 「あの・・・・」
屯所の門の前に女がいた。
「なんだ、女。」
門番の隊士が聞く。
「あの、山南はんにお線香をあげさせてくれまへんか。」
明里だった。
「駄目だ。どいつか分からない者は返れ。」
門番の隊士は明里を帰さそうとする。
「お願いします!!!!」
そこに、
「通してあげなさい。」
伊藤が出てきた。
「い、伊藤先生!!!」
「貴方、山南さんとはどういう関係だったの?」
伊藤が優しく手を差し出した。
「山南さんとは、お付き合いしてた仲でした。いつか、一緒に暮らそうと約束していて・・・・・・」
明里は途中で泣きだしてしまった。
「そうでしたか・・・・案内しますよ。」
伊藤が明里を部屋へと案内した。
 「あっ・・・・」
部屋へと向かう際、明里は縁側に座っている総司の顔を見た。
「明里さん・・・・」
総司が何か言おうとするが、明里は総司を無視した。
「ここです。」
伊藤が部屋の障子を開けると、たくさんの隊士達が座っていた。
一番前に山南の遺体が寝ている。
明里は静かに部屋に入り、線香をたき始めた。
「(山南はん・・・・)」
明里は手を合わせると、色鮮やかに山南との思い出が浮かぶ。
知らないうちに目には涙があふれていた。

 「ありがとう、ございました。」
明里は門の前で伊藤に頭を下げた。
「いいですよ、残念でしたね。山南さんとの事・・・・」
伊藤は扇子で口元を隠す。
「はい・・・・」
明里はもう一度一礼してから歩いて行った。

 「完全に嫌われてしまいましたね。」
伊藤が総司の隣に座った。
「・・・・はい・・・・」
総司は警戒しながらそう答えた。
「だから、私のお気に入りになっていれば、こういう事にはならなかったのに。」
伊藤は横目で総司を見る。
総司は唇を噛み締めた。
そこに、美弥が通りかかった。
「伊藤先生、何されてるんですか。」
総司に怪しく近寄る伊藤を美弥は許せなかった。
「あら、鳥本さん。山南さんの葬式には出席したのですか?」
伊藤が口元を扇子で隠す。
「はい。伊藤先生こそ同門の山南さんの死を悲しんでるようには見えませんけど。逆に、喜んでいませんか。」
美弥がきつい目で睨む。
「そんなことありませんよ。山南さんはいい人で、優しい方だった。惜しい人を亡くしました・・・・」
伊藤はそう言う。
「そうですね・・・・」
美弥はまだ疑いの目で伊藤を見ている。
「それじゃぁ、忙しいので、失礼します。」
美弥はそう言って会釈すると、総司の手を引いて部屋へと向かった。
 「大丈夫やった。変なことされてない?」
「大丈夫ですよ。少し体調が悪いので休みますね。」
総司は布団をひき始めた。
「大丈夫?熱なんちゃう?」
美弥が熱があるか確認しようと総司のでこに触ろうとした瞬間、
「パン!!」
総司が美弥の手をはたいた。
「総ちゃん・・・?」
美弥は驚いて、総司を見つめる。
はっとしたような表情で総司は、
「すいません。すこし驚いて。うつってしまったら大変ですから。」
総司はそう言いながら美弥の背中を押しながら美弥を部屋へと追い出した。
「(総ちゃん?)」
美弥は部屋を出てもなかなか総司の部屋の前を動けなかった。
「(駄目だ。いつかは美弥に剣先が向いてしまうのではと、怖い・・・・)」
総司の腕は振るえ、顔が青ざめてしまっている。
 そのまま総司は2、3日部屋からあまり部屋から出てこなかった。

 「で、どうなんだ。あいつの様子は。」
土方と近藤が座っている。
「歳、それやめてくれないか。すごく煙たいんだが・・・」
近藤が煙をはたくように手を仰ぐ。
「あぁ?これが上手いんだよ、近藤さん。」
土方はそう言われても煙草を消そうとしない。
「総ちゃんの様子なんですけど・・・ご飯もあんまり食べていません。大好きな甘い物でも何か食べてもらえればと思って渡したんですけど、ほとんど食べていませんでした。」
「あいつが甘味を食べないなんて、よっぽどの重症だったみたいだな。」
土方は煙を吐く。
「まぁ、仕方ないさ。総司と山南とは十歳差だったが、山南は総司のことを本物の弟のように可愛がっていたからなぁ・・・・」
近藤が腕を組む。
「総ちゃんに何か元気付けることがあればいいのに・・・」
美弥と近藤と土方は黙り、沈黙が続いた。
「・・・・一度、山南の部屋を整理してみるか・・・」
近藤が口を開いた。
山南が死んでから、山南の部屋を整理していなかったのだ。
「何か、出てきますかね。」
美弥は不安な目で近藤を見つめた。
「やってみるしか、ないだろう。」
近藤は少し軽いため息を吐きながら腕を組んだ。
「まぁ、そうだな。」
土方も賛成した。
 
 次の日。
朝から三人だけで静かに整理を始めた。
「山南さん、やっぱり本がお好きだったんですね。こんなに本がある。」
美弥が一冊の本を開いた。
「これ、日記や。」
美弥はぺらぺらと本をめくっていると、一つの手紙を見つけた。
それは、宛名も書かれていなかったが、確実に誰かに渡す様子だった。
「なんだ、美弥。何を見つけたんだ。」
近藤が美弥に近づき、手紙の存在に気づいた。
「中、読んでみたらどうだ。」
土方が手紙をひったくる。
「駄目です。土方さんは雑な扱いかたしますから、私が開けます。」
「お前、いつからそんな口の利き方するようになったんだ。」
土方は美弥に始めてそんなことを言われて驚きを隠せていない。
「私は元々、気の強い女ですけど?」
美弥はそう言うと、慎重に手紙を開け始めた。
「 拝啓沖田君。」
美弥は最初の部分しか見ず、手紙を直した。
「何してんだよ、美弥。早く開けねぇか。」
土方が手紙を奪おうとする。
美弥は土方の手を避けて手紙を渡さなかった。
「何しやがんだ。」
土方は少しきつめの口調で美弥に話す。
「まぁまぁ歳。そう怒らずに。体に毒だぞ。」
近藤が土方をなだめる。
「これ、見たでしょ、土方さん。これは、総ちゃん宛に書かれた手紙です。これを一番先に読む権利があるのは総ちゃんです。副長の権限なんかではありません。」
美弥はそうズバっと言い、急いでその手紙を総司に渡しに行った。
 「総ちゃん、総ちゃん!!!!」
急いで総司の部屋の障子を開けた。
総司は刀の手入れをしていた。
「なんですか、美弥。」
声はいつもの総司の明るい声ではなく、誰かにとりつかれたように顔は青ざめ、目には光がない。
「今、山南さんの手紙が、総ちゃん宛の手紙が見つかったんよ。」
美弥が慌てて手紙を渡す。
総司はどうでもいいような顔をしながらも刀を置き、手紙を広げ始めた。
「 拝啓沖田君。
 沖田君、申し訳ない。私は脱局することを自分でも最近分かっていた。すまないね、沖田君。
  話が変わるが、試衛館時代のこと、覚えているかい。
 私が始めて君に会った時はまだ幼く、天からの授かり物のような可愛さだったよ。
 でも、剣はそのときでも上手かった。
 初めて私と沖田君が試合した時の結果覚えてるかい。
 私はその時、北辰一刀流免許皆伝だった。君と試合した時、私は勝利した。
 でも、その数年後、もう一度君と試合した時、君はうんと腕を上げ、私に勝利した。
 あの時は、とても嬉しかった。
 恥ずかしいことながら、私は君のことを弟のようだと思っていたから、弟がこんなにも腕を上げたと思い、とても嬉しくなったんだ。
 沖田君、強い力を持つことは辛いこともたくさんある。
 けど、その力の分だけ守れる力があるんだよ。
 だから、今の自分に絶望してはだめだ。君は、隅々まで鬼にならなくていいんだ。
 君らしくということが大切なんだよ。
  私がもし、最悪の場合に陥った時、介錯は沖田君に願いたいと思っている。
 腕を上げた弟に最後は送り出して欲しいんだ。
 それじゃぁ。 
         山南敬助    」
総司はすすり泣きをしていた。
「山南さん・・・・」
総司は、手紙を力強く握り締めた。
「落ち込んだままじゃいられませんね。山南さんのお願いなんですもん。かなえて差し上げないと。」
総司は涙を拭き、いつもの明るい笑顔を見せた。
「総ちゃん・・・」
美弥は久々に総司の笑顔を見て安心した。
「これ、ほんとう迷惑をかけてすいません。」
手の包帯を見せた。
「全然いいよ。そんなん仕方ないし、誰だって落ち込むことやもん。」
美弥も笑って総司を見た。
部屋の外から話を聞いていた土方、近藤も胸を撫で下ろした。
「まぁ、よかった。」
近藤はそう言って、部屋に戻って行った。

 数日後、近藤、土方、伊藤の三人が一室に集まっていた。
「で、今日はどういったご用件ですか。」
伊藤は新しく買ったのか、まだ見たことのない扇を口元に当てている。
「今日は、少し相談と言った方がいいのか。」
「で、何なんだ、近藤さん。」
近藤は少し眉を曲げ、困ったような顔をして、
「最近、隊士の数が増えてきた。そこでだな・・・」
「ちょっと待った。」
土方が一度話しを止めた。
「何なんだ、歳。」
近藤が訳の分からないような顔をしていると、遠くから足音が聞こえた。
その足音が部屋の前で止まった。
「失礼します。」
「入れ。」
障子を開けたのは、鉄之助だった。
最近の鉄之助は身長が少しずつ伸び、子供っぽかったところも大人の考えに変わって、小姓の仕事をきちんとこなしながら隊士をしていた。
「ご苦労。」
土方が一言だけそう言うと、鉄之助は一度礼をして障子を閉めた。
「いや、鉄之助君も大きくなったな。最近、また隊服がきつくなったらしいじゃないか。」
「話の途中ですまなかった。まだ、こういう所が気がきかねぇ。まだまだだ。話の続きをしてくれ。」
土方はたくあんを一口ほお張った。
「あぁ。そうだな。隊士が最近約二百名を超えて、この八木邸と前川邸だけでは窮屈になってきた。そこでだ、屯所の移転を考えているのだが、二百名などの大人数を受け入れてくれる場所があるかどうなのかが問題だ・・・」
「あぁ、それならいい場所があるぜ。」
土方は爪楊枝を口にくわえている。
「それは、いったいどこだ。歳。」
「あぁ、西本願寺だ。」
一瞬静まり返る。
「西、本願寺ですか?」
伊藤が口を開いた。
「あぁ。あそこは馬鹿みたいに広い。そこなら、二百名なんて簡単に入るさ。」
「ですが、神聖な場所で切腹や、豚を食すなんて、言語道断ですよ。」
伊藤が反対する。
「だがな、伊藤さん。この前の禁門の変の時に逃げ込んできた長州人のやつらをあのお優しい坊さん達は誰でもかまわずかくまっていやがった。新撰組も突入しようとしたそうだが、断固拒否したそうだ。新撰組を舐めたら痛い目見るってこと、分からせてやんねぇと、気がすまねぇ。」
そう話した後、土方は軽く舌打ちをした。
「まぁ、そうかもしれないな。あそこなら、大勢の寝床を用意することができ、稽古の場所も広くなるな。」
近藤は腕を組んだ。
「しかし近藤さん。私は反対ですよ。」
伊藤は絶対に認めようとしない。
「うるさい、伊藤さん。あんたは参謀とはいえまだ新米隊士に限りはない。こちらでこれは決めさせていただく。」
土方は爪楊枝を伊藤へと向け、きつく話した。
「これ、歳。すまない伊藤先生。」
近藤が頭を下げたが、伊藤は気に入らない顔をして部屋を出て行った。
「歳、あそこまできつく言わなくていいだろう。」
近藤は苦笑いで土方に話す。
「あいつ、新米のくせに生意気すぎる。少しは考えろって言っただけだ。俺は何も悪くねぇよ。それに、あいつはナベだ。気に入らねぇ。近藤さんだって、なんであいつみたいな気持ちの悪いやつに「先生」なんてつけて呼ぶんだ。」
「何言ってんだ、歳。伊藤先生はあの北辰一刀流の師範だぞ。「先生」と呼ぶのが当たり前な存在だ。俺達、試衛館など、足元にも及ばない道場なんだぞ。」
土方は小さい子供のように少しすねながら、
「けど、総司が勝ちゃんの代わりに玄武館に行った時こそ、総司の足元にも及んでいなかったぞ。」
「歳。」
近藤はため息をつく。
「それとこれとは話が別だ。総司は元々剣の天才だ。道場全体と個人的な問題とは違うんだ。」
「分かってる。とにかく、西本願寺に決定だ。」
土方は少し横暴に決定させた。
「まぁ、この京でそこまでの大きさを誇っているのは、そこしかないしな。」
近藤も渋々認めた。

 慶応元年(1865年)三月十日。
新撰組の屯所が、西本願寺へと移った。
西本願寺の広さは圧倒的なもので、大砲の移動も簡単に終わった。
「よろしくお願いします。」
了承はすでに得ているが、近藤、土方、伊藤が代表として住職らに挨拶しに行った。
「あんまり、寺のもんを壊すのはやめてくださいね。」
住職は少し疑いと睨みながら三人に話す。
微妙な雰囲気になっていると、
「西本願寺さんには、東本願寺さんとは違い、歴史深い物がたくさん置いてらっしゃるとお聞きしたのですが。」
西本願寺と東本願寺はあまり仲が良くなく、敵対視しているので、東本願寺よりも優れている部分を伊藤は上手くついた。
「はい、そうですが。」
「安心してください。そのような大切な物を壊さないと約束しますので。」
伊藤は相変わらずのすまし顔で話す。
「そう、してください。」
住職は当然でも言うような顔でまた三人をまじまじと見た。

 「沖田さん!!これは、どこにおいたらいいんですかぁ。」
鉄之助が総司の荷物の手伝いをしている。
「それは、そこの棚の上にでも置いておいてください。」
「はぁい。よいしょっ。」
新しい総司の部屋は、美弥、土方、山崎の部屋に囲まれている部屋である。
山崎が隣の部屋だという深い意味はないみたいだが、土方と、美弥に囲まれれば無理はしないだろうという考えからきていた。
先ほども、荷物の整理をしていると菓子の空き箱が出てきて、美弥に大目玉をくらったばかりだった。
「ふぅ。だんだん片付いてきましたね。お茶でも入れてきます。」
総司が台所へ向かった。が、
「あれ?ここどこでしょう?」
総司はすぐに迷子になった。
「広すぎて分かりませんね。」
元の道を通って、帰ろうとした。
「うっ・・・」
急に咳が出て、血を少し吐いた。
「はぁ・・・・」
ため息がこぼれる。
「(口の中が血の味です・・・・)」
総司が近頃いつもより甘味を食べたがるのは、血の味を隠すためでもあったのだ。
「総ちゃん?」
後ろから声がして振り返ると、美弥だった。
手にはたくさんのお茶が乗っているお盆がある。
「どうしたん?」
美弥は総司の吐いた血の量が少なすぎて気づいていない。
「なんでもないですよ。台所に行こうとして迷子になってしまっただけです。よかった、美弥が来てくれて。」
総司は美弥の隣に行き、一緒に歩き出した。
「皆さん!!お茶が入りましたよ!!!!」
美弥と総司がお茶を配り始めた。
「ありがとうございます。」
鉄之助がお茶をもらうと、知らないうちに山崎が鉄之助の隣にいた。
「な、何だ。」
鉄之助が少し警戒しながら声をかける。
「お前、馬鹿か。副長助勤の方々にお茶を入れさせてどうするんだ。こういうのは、小姓の仕事やろ。」
山崎が横目で鉄之助を見ながら話す。
「うっ、うっせぁな!!」
鉄之助が大声で山崎に反抗した。
池田屋以来、隊士の中でも山崎と会話する者が増えてきた。
特に鉄之助とは仲が良いみたいで、毎日のように話をしている。
「あらら、楽しそうね。私も混ぜてくれない。」
明るい声と、京のなまりが入っていない女性の声が聞こえた。
総司と美弥の耳には聞き覚えのある、懐かしい声だった。
「あ、姉上!?」
総司が声をあげる。
「久しぶり、総司。元気だった?」
声の正体は、総司の姉、沖田みつだった。
「どうしてこんな所に!?」
「その話はまた後で。で、私にもお茶頂戴よ。」
おみつは美弥が持っていたお茶を一つ取ると、いっきに飲みほした。
「あ~~!!やっぱり京のお茶はおいしいわねぇ。」
おみつはこの時代ではあまり考えられないような粋のある女性である。
「あの、おみつさん。近藤さんに、会わなくていいんですか?」
美弥がおみつに声をかける。
「あぁ勝ちゃん?そうね、そろそろ行くわ。それじゃぁ、総司、美弥ちゃんまた後でね。」
おみつは2人に手を振り、歩いて行った。
「沖田先生、あの女性は?」
「私の、多摩にいる姉です。」
総司はにこっと微笑ながら答えた。
「・・・・・えぇぇぇぇ!!!!」
周りは衝撃の声で包まれた。
たしかに、おみつも美人ではあるが性格は総司と真反対に近い。
そんな総司の姉に隊士達は驚いたのであろう。
「でも、急にどうされはったんやろうね。」
美弥が総司に不思議そうに話す。
「姉上は、昔から気分屋のような部分がありましたから、またそんなところでしょう。」
総司は微笑みながら首をかしげた。
 「久しぶりね、勝ちゃん。」
美弥が近藤の部屋を覗いた。
「おぉ!!久しぶりだなぁ、おみつ。」
「やめろよ、みつ。勝ちゃんは、今では新撰組局長さんなんだぜ。いい加減近藤さんって呼ばねぇか。」
土方が煙草に火をつけながら言った。
「あら、いいじゃない。勝ちゃんは、勝ちゃんだもの。」
おみつは少し頬を膨らませながら、土方を見た。
「あんただって、偉くなったもんじゃないの。泣く子も黙る、新撰組鬼の副長さん。新撰組の噂は江戸まで届いてるわよ。」
おみつは土方の煙草を横取りし、火鉢に火種を捨てた。
「何しやがんだ。」
「だって、あんた外の空気と入れ替えもしないでこれ吸うから、煙たくなるのよ。一応、借りてる場所なんだから、少しは遠慮しなさいよ。」
おみつが土方の背中をたたいた。
「まぁまぁ、おみつ。おみつも相変わらず変わらないなぁ。」
近藤が口を大きく開けながら笑った。
「相変わらず、口は減らねぇけどな。」
「あら、今聞き捨てならない一言を聞いたけど、気のせいかしら。」
おみつがわざと耳に手をあて、土方の方を向いた。
「歳食ったせいの空耳じゃねぇか。」
土方はあぐらを組みながら小声で話した。
「何ですってぇぇぇ!!!」
おみつは土方の髪をつかんだと思うと、その髪をぐしゃぐしゃにしてみせた。
おみつと近藤、土方はなかなか仲が良く、総司が試衛館で剣に励んでいる時もよくおみつが試衛館に顔を出しては、総司に遊んでとお願いに来る子供たちに剣を教えていた。
性格は少し荒っぽく、総司が言うとおり気分屋な部分もあるが、面倒見がよく、さっぱりとした性格である。
そんなおみつを、近藤、土方は若い頃好きであった。
しかし、おみつはその時期には結婚しており、二人は思いを伝える事無く、おみつを諦めたのだ。
「失礼します、副長。」
髪をぐしゃぐしゃにされている最中に、鉄之助がお茶を出しに土方の下へとやってきた。
「あぁ、ちょっと待て。」
土方はおみつをどかすと、すぐに髪を整え鉄之助を部屋に入れた。
「失礼します。」
鉄之助が障子を開けた瞬間、
「いやぁぁ!!可愛い!!なぁ、あんたの小姓さん?まだ若いのに頑張ってるなぁ。」
「るせぇ。」
そんな会話に鉄之助もあっけを取られる。
「あのぉ・・・・・」
鉄之助が困った口調で口を開いた。
「あぁ、ごめんね。驚かせて。沖田総司の姉の、沖田みつです。いつも総司に挑んでる子犬ちゃんってこの子の事よね?」
おみつが近藤の方に顔を向けた。
「あぁ、歳の小姓の市村鉄之助君だよ。」
「市村、鉄之助です。」
鉄之助が頭を下げた。
「これからも、総司をよろしくお願いしますね。」
おみつが鉄之助の頭を撫でた。
少し照れた鉄之助は、お茶を置き、すぐに立ち去った。
「とっても可愛い子じゃない。」
土方の腕をおみつがひじでつつく。
「失礼します。」
急に気配もなく声をかけられたので、三人は少し驚いた。
障子が開いた。
「始めまして、新撰組参謀、伊藤甲子太郎と申します。総司さんのお姉さまがいらっしゃっているとお聞きしましたので、ご挨拶に参りました。」
伊藤はいつもより腰が低いような自己紹介をした。
「ご丁寧にどうも。沖田総司の姉、沖田みつでございます。総司がいつもお世話になっております。」
おみつも腰を低くし、自己紹介した。
「ご兄弟揃ってお美しいですね。うらやましいです。」
伊藤がいつもの扇を取り出した。
「いえいえ、そんなことありませんよ。」
おみつが総司にそっくりの微笑みで伊藤に話す。
「頭もよさそうなお姉さまで、総司さんは幸せ者ですね。」
「そんなこと。」
おみつが照れ笑いする。
「お話の途中のようでしたし、私はこれで失礼させていただきます。ごゆっくり。」
伊藤は少し奇妙な笑い方で障子を閉めた。
「・・・・・聞いた!?聞いた!?」
おみつは足音が遠ざかるのを確認して、先ほどの調子に戻った。
「あぁ、全身に鳥肌が立つような会話を俺は聞いたぜ。」
土方は知らないうちに煙草に火をつけていた。
「私のこと、美しいって、賢いって。」
「まぁ、あぁいう風ににこにこしてたら誰だって頭がよさそうに見えるだろ。総司は例外だがな。顔は、俺からしちゃ、下の下だけどな。」
土方は少し張り合ったような言い方をする。
「まぁまぁ歳、そんな風に言うことないだろ。」
「そうよ。やっぱり勝ちゃんは私の事分かってくれてるわぁ。」
おみつは陽気に近藤の腕を取った。
「俺には知ったこっちゃねぇ。」
土方はこう言うが、本当におみつは、利口なのかもしれない。
昔、近藤、土方、おみつでイギリス人が泊まっている屋敷に行った時だが、一緒に酒を飲むことになり、イギリス人がおみつに英語で話しかけるとほとんどおみつはイギリス人の話している事を雰囲気で理解したのだ。
「でも、あの伊藤さんって人、少し気持ち悪いわね。」
「お前もそう思うか。」
おみつと土方の意見が珍しくあった。
「えぇ。もしかして・・・・」
「あぁ、そのもしかしてなんだよ。あいつは、男色。つまり、ナベだ。」
土方が何故か偉そうな顔をしておみつに話した。
「気持ち悪~い。」
おみつもさすがにこれには鳥肌がたった。
「だろ。でも、近藤さんはこういうナベに敬意があるんだよ。」
「そりゃ、当たり前だろ、歳。伊藤先生は、あの北辰一刀流の師範の方だったんだぞ。」
「ほら、また「先生」付けてやがる。自分の方が位が上なんだぜ。下の部下のやつに「先生」なんてつける価値あるか。それに、あいつはこっちに来る際、道場を畳んでいやがんだ。だから、あいつはもう師範っていう師範じゃねぇんだよ。」
土方は伊藤に悪意をこめて話した。
「あんた達、本当に変わんないわね。」
おみつは二人を見てふふふと笑った。
その言葉に、近藤、土方は静かに照れた。
 「姉上!」
総司が、おみつの泊まる部屋に入って来た。
「総司。」
「姉上、急にどうされたのですか。」
総司が少し心配そうにおみつの顔を見る。
総司とおみつの顔が並び本当に瓜二つだ。
「別に、深い意味なんてないわよ。ただ、新撰組と、あんたの顔、美弥ちゃんの顔を見に来ただけ。」
おみつが総司の眉間を指ではじいた。
「いたっ。」
総司が口を尖らせながら自分のでこをさする。
するとおみつは次に、総司の尖らした口を指でつまんだ。
「もぉ、やめてくださいよぉ。」
総司が少し怒った顔でおみつを見た。
「ははは。ごめんごめん。あんたも変わんないわね、総司。」
総司の頭を撫でた。
「で、美弥ちゃんとはどうなのよ。」
おみつは、土方にしたような総司の腕をひじでつついた。
「えっ!?」
総司の顔が急に赤くなった。
「えっ、って何よ。知ってるんだからね。あんたその事は手紙に何も書かないから、ほんとに・・・」
「どうして知ってるんですか。」
「簡単よ、鬼の副長さんが私宛の手紙にそのことを書いて送ってくれてたんだから。本当は、あんたの体調があんまりよくないって聞いたから、こっちに少し顔みに来たっていう理由もあったんだけどね。」
おみつが、総司に指を刺した。
「で、どうなのよ。」
おみつが美弥とどうか話すように促す。
「えっ、えっとぉ・・・・・仲良くやってます。」
総司の顔がまた赤くなる。
「もぉ、照れちゃって。全部話してもらいたいけど、そこまで口を割ろうっていう気にもなれないから、それだけでいいわ。」
おみつは、総司が部屋に入ってくる前にしていた荷物の整理を再開した。
「あぁ、そうそう。あんたに土産があるのよ。」
おみつが荷物の中を探す。
「あった、あった。はい。」
総司に渡した。
おみつが総司に渡した土産は箱に包まれている。
「開けていいですか。」
おみつが黙って首を縦に振った。
総司が箱を開けると、小筆が入っていた。
「小筆?」
総司がその小筆を手に取り、空に字を書くような真似をした。
「あんた、字が綺麗なんだし、句も上手いんだから何か書きなさいよ、それで。」
おみつは少し買ってきてやったぞというような雰囲気を出す。
「ありがとうございます。」
総司はまた小筆を箱に入れ、自分の浴衣の袖の部分に入れた。

 「総ちゃん、ちょっといい?」
美弥が総司の部屋に入った。
総司は先ほどおみつからもらった小筆で句を読んでいるところだった。
「どんな句を読んだん?」
美弥が総司の句を覗いた。
「動かねば闇にへだつや花と水」
そう書いてあった。
「大切なものが、なくならなければいいんですけどねぇ。」
総司がそうつぶやいた。
「深い、意味が込められてる句やね。」
美弥が一言そう言うと、
「これ、うちのところに紛れ込んでたわ。」
美弥が総司の荷物を渡した。
「ありがとうございます。」
総司がそれを両手で受け取った。
「お姉さん、皆の前で演説するみたいやけど、見に行く?」
美弥が外を指差した。
「いえ、私はまだやることがあるので、私の代わりに美弥が行ってきてください。」
総司が微笑みながら言った。
「そう?それじゃぁ、行ってくるわ。」
美弥は総司に手を振りながら部屋を出て行った。
「うっ!!」
総司は美弥の足音が遠くなっていくのを確認すると、手を口にあてた。
「はぁはぁ・・・」
総司の吐血の回数は日が過ぎるごとに多くなってきている。
総司の異変に気づいた山崎が総司の部屋に入って来た。
「沖田さん!!大丈夫ですか!?」
山崎は慌てながら白湯を用意した。
「我慢していたのに、出ちゃいました・・・」
総司は手の甲で口を拭いた。
口の周りが血で赤くなっている。
口紅よりも赤く、儚い。
「沖田さん、薬を・・・」
山崎が総司に薬を渡すと、総司は素直に薬を飲んだ。
最近では、総司はちゃんと薬を飲むようになってきた。
少しでも、長く生きたいという思いが心のどこかにあるのだろう。
「沖田さん、我慢なさらなくってもよろしいんですよ。」
山崎が心配そうな顔でそう言った。
「何言ってるんですか。私がいつもの調子じゃないと、美弥も、土方さんも、近藤さんも、皆心配するんですから。」
総司は手にしている湯飲みの中の白湯に映っている自分の姿を見ながらそう言った。
総司の食べる量は日に日に減っており、甘味さえも口にできる日も少なくなってきた。見廻りの回数も減ってきて、外に出るのは屯所内だけがほとんどになっていた。剣を持てるような容態ではない。
「だから、こうやって笑顔ですごすんです。笑顔がなくなったら、心まで蝕まれてしまうんです。」
総司はそう言ってから山崎に湯飲みを渡した。
「いつもすいませんね。」
総司はにこっと笑うと、おみつからもらった小筆を眺め始めた。
「失礼します。」
山崎は低く、小さな声でそう言ってから総司の部屋を出た。
「(沖田さんは、なんて偉大ですごい人なんや・・・)」
 「皆さん、沖田総司の姉、沖田みつでございます。いつも弟がお世話になっております。」
おみつが隊士の前で演説を始めた。
「新撰組の噂は、江戸にまで聞こえてきてますよぉ!!」
「おぉ!!」
「これからも、皆さん悪いやつらを切って、切って、切りまくってください!!」
「おぉぉぉぉ!!」
おみつは元気よくそう言うため、雰囲気につられた隊士達が大声を出した。
別室にいた土方は、「うっせぇ。」と言ったことだろう。
おみつの言葉で隊士達のやる気も格段と上がったようだ。

 数日後、おみつは江戸へと帰って行った。
「おみつさんに会えてよかったね、総ちゃん。」
美弥が総司にそう言うと、
「そうですね。やっぱりたまに会っていなくなってしまうと寂しくなるものですね。」
総司は少しくすくすと笑いながら話す。
「さっきから、それ読みながら聞いてばっか。うちの話ちゃんと聞いてる!?」
美弥が総司の読んでいた本を奪い取った。
「また、これ読んで。」
美弥が総司から奪い取った本は、
「豊玉曲集」と書いてある句集だった。
「これ奪ってきて・・・総ちゃん、殺されるよ・・」
美弥がそう言うと、
「いいんです。土方さんは優しいですからこんなことで殺しません。」
総司はそう言いながら美弥が奪った句集を取り戻した。
そしてまたくすくすと笑いながら読み始めた。
「もぉ、総ちゃんちゃんと寝てないとあかんのにさぁ。」
美弥が珍しく、少し口を尖らしながら困った表情で総司を見た。
「だって、一日中寝ていると夜に寝れなくなってしまうんですよ。」
総司が舌を出した。
「口数だけは減らへんな。」
美弥がため息をはいた。
「ちょっと、お茶入れてくるな。」
美弥が茶を入れるために台所へと向かった。
「はぁい、いってらっしゃぁい。」
総司が後ろから手を振った。
そして、障子が閉まるとともに、目の前においてある自分の刀を見た。
総司が持っている刀は2本。
そのうちの一つで総司は戦場で戦ってきた。
「(私が死んでしまうと、あの子が悲しみますね。)」
その刀は恐ろしいぐらいに美しい鈍い光を放っている。
総司は珍しく真剣な顔をしてどうするかを考えた。
「(一緒に墓に入れてしまっては、錆びて余計に可愛そうですし、折ってしまっては作ってくれた職人さんに失礼ですしね・・・)」
悩みに悩んで、総司は一つの方法を思いついた。
「お茶、入れてきたでぇ。」
美弥が総司の部屋に入った時、やけに静かだった。
「総ちゃん!?」
一瞬、心臓が飛び上がった。
しかし、総司は寝ているだけだった。
「(よかったぁ。)」
美弥は胸を撫で下ろした。
一定の速さで寝息が聞こえる。
その寝息は美弥にとってとても心地が良い音だった。

 長い間、京には平穏な空気が流れていた。
新撰組の厳しい取締りにより、長州浪士の姿もあまり見かけなくなった。
しかし、新撰組屯所内にて亀裂が入り始めていた。
「藤堂くん、私と一緒に来る気はありませんか?同門の中です。この世を新撰組ではなく、私と一緒に変えていきませんか。」
伊藤が平助に近づいていた。
「俺、新撰組の事好きだったんです。でも、今の新撰組は居心地が悪すぎる。まして、山南さんの死がまだ理解できない。一緒に行きます。」
平助は伊藤にそう返事をした。
「それじゃぁ、いいですか。あなたは今度広島に出張に行きますよね。坂本龍馬は分かりますか?同門だった、あの坂本さんです。あの人が今広島にいる噂があります。絶対に坂本龍馬を捕まえてはいけませんよ。あの人が、何かをしてくれますから。」
伊藤はそう平助に言っておいた。
 数日後、平助は広島に出張しに屯所を出発した。
8番隊の隊士も一緒である。
広島に着くと、怪しい者の取り締まりをした。
隊士達は、一隻の怪しい小船で移動しようとする者達を発見したため、平助を呼んだ。
「少し、お話を聞いてもいいでしょうか。」
平助が、一人の男に話しを聞くために男と二人で船を離れた。その間に、他の8番隊の隊士が荷物の確認をした。
「お久しぶりですね、坂本さん。」
平助がそう言うと、男はひげをとり、平助に銃を向けた。
「なんじゃ、なんじゃ。平助じゃないか。久しぶりじゃのぉ。まぁ、同門の再会を惜しみたいところじゃが、ここは見逃してくれんき。そうじゃねぇと、眉間にこれがストライクするぜよ。」
坂本は平助の眉間に銃口を向けた。
「いいですよ。俺、もう新撰組にいるつもりはいないので・・・」
「何か、あったのか。」
平助の異変に、坂本は不振に思った。まして、坂本の敵でもある新撰組隊士が、自分のことを捕まえないのであるから。
「山南さんを、覚えてますか。」
平助がそう口を開いた。
「あぁ。あの免許皆伝までいったいい人じゃろ。山南さんに、何かあったきか。」
「亡くなりました。新撰組の厳しい法度で。俺、もう新撰組にはいたくないんです。」
平助はそう言うと、隊士達の下に行き、
「その船は怪しい船ではない。行かせる。」
そう言って、普通の男に変装した坂本龍馬が船に乗り、出発した。
「くそっ、あの船どう見たって怪しいのに。」
「仕方ない。隊長がそう言うんだ。」
隊士のすべてが怪しいと思っていたようだ。
「(なるほど、新撰組は崩れかかってるっちゅうことか。)」
坂本も船に揺られながら理解した。

 慶応2年1月21日。
坂本龍馬の仲立により、桂小五郎、西郷隆盛で同盟を決め、薩長同盟が成立した。

 ある日、
「私達は、特別に帝の守護を任されました。という訳で、申し訳ないですけども新撰組を抜けさせてもらいたいと思っておるのですが・・・」
伊藤が近藤の部屋で近藤と土方に話しをした。
「そう、ですか・・・・」
近藤は、なんと言えばいいのか分からなく、そう言うしかなかった。
「正当な理由があるのです。まして帝の守護を任されるなんてこれほど、誇りに思うことはございません。特別に脱局をお願いしたい。」
伊藤がそう言うと、
「勝手にしろ。」
土方はそう言うと、大きな足音をたてながら部屋を出て行った。
 「俺、新撰組抜けるから。」
平助は、新八、左之助にそう言った。
「おい、待てよ。」
左之助が怒りを抑えながら平助に理由を聞こうとした。
「なぁ、なんで行くんだよ。」
「そうだな。ただ、ここの居心地が悪いだけだ。それに俺は、伊藤先生を尊敬している。そんな人に着いて行くのが普通だろ。」
平助は、左之助を睨みながらそう話した。
「まぁ、俺は止めねぇよ。」
新八は寝転びながらそう言った。
「何言ってんだよ、しんぱっつぁん。」
「俺は、そいつの道を邪魔する人間じゃねぇからな。でも、土方さん、近藤さんより、お前は伊藤さんの方が大切っていうことには、あきれ返る。お前は、自分から試衛館に入門したんだろ。その人達よりも、昔の人間を選ぶって、どうかしてるんじゃねぇか。」
新八は平助に背中を向けたままそう言う。
「俺にも色々考えがあるんだよ。」
平助はそう言うと、部屋を出て行こうとした。
「待てよ。」
左之助が平助を止める。
「本当に、いっちまうのか。」
「行って欲しくない理由なんてあるのかよ。」
平助が冷たくそう言う。
「あったりめぇだろ。ダチじゃねぇか!!!」
しばらく沈黙が続いた。
「ダチなぁ・・・・俺は、お前のことを今でもダチだとは思ってない。」
平助は冷たく、心無い言葉を左之助に突きつけた。
「そう、か・・・・」
左之助はもうそれ以上何も言わなかった。
「じゃぁな。」
平助は、部屋を出て行った。
 新撰組の中で伊藤派に着いていったのは、藤堂平助の他、3番隊隊長、斉藤一。入隊の際に伊藤と一緒に入隊してきた隊士、約16名。
慶応3年3月20日のことだった。

同年、6月10日。
新撰組は幕臣となった。
近藤、土方はもちろん、すべての隊士が喜んだ。
新撰組の存在は日本すべてに響き渡った。
「やっとだ。やっと、俺達は武士と認められたんだ。」
近藤は部屋で男泣きしながら土方にそう話した。
「よかったな、近藤さん。俺達みたいな、元々農民だった者がちゃんと武士になれたんだ。」
土方の目にも涙が少したまっていた。
 「総ちゃん、うちらも幕府の臣下やで。」
美弥が総司の隣に座りながらそう話した。
「もう、みんな大騒ぎや。」
「そりゃ、そうでしょ。幕府の臣下なんですから。」
総司はにこにこしながら話す。
総司は、体を起こすことも辛い体になっていた。
がりがりに痩せていく。
美弥も心配で、心配でたまらなかった。
「ほんまに、立派になったやんな。試衛館時代の頃、そんなん想像できひんかったもんなぁ。」
美弥も嬉しそうだ。
唯一、女で幕臣として認められたのだから。
「ご機嫌ですね。」
総司が微笑みながら美弥を見る。
「そりゃ、幕臣やもん。」
先ほどから美弥はずっとそればかりだった。
が、しかし・・・・
 4ヶ月後。
慶応3年10月14日、大政奉還。
幕府が政権を天皇に返上したため、新撰組の幕臣は関係なくなってしまった。
急な事で、皆が驚き、納得していなかった。
「どうしてなんだ。やっと、ここまで来たのに・・・・」
悲しみがほとんどの隊士の心にこみ上げた。
 
 伊藤派の者達は、心から喜んだことだろう。
元々伊藤は、尊王攘夷の考えであったため、この事を狙っていたのだ。 
「そうなると、新撰組が邪魔ですねぇ。」
伊藤がそう言葉を漏らした。
「やりますか?」
一人の男が口を開いた。
「えぇ。近藤勇を暗殺しましょう。」
伊藤はいつもどおり扇で口もとを隠していたが、その不気味さは全ての者が分かった。

 「そうか。伊藤はそう言っていたのか。」
土方が何故か伊藤の話を知っている。
土方の少し背後に斉藤が座っていた。
斉藤は、伊藤派の連中が何をたくらんでいるのかというおとりだったのだ。
山崎を遣わしてしまうと、元々監察方ということで怪しまれて行動をしないと考えたため、口が堅い斉藤を利用したのだ。
「あいつ、ふざけやがって。」
土方の怒りが頂点に達した。
土方は、近藤と義兄弟の縁を結んだほどの仲であったため、そんな者に近藤を殺されてたまるかとなったのだ。
「伊藤、殺す。」
土方はそう言うと、思い切り机を殴った。
 土方はすぐに近藤の部屋へと向かい、斉藤から聞いた話を近藤にした。
近藤は心底驚いた様子で、しばらく空いた口がふさがっていなかった。
「近藤さん、俺等が先に手を打たないと、あんたが殺されちまう。どうする。」
土方は、近藤に強く訴えた。
「仕方がない・・・・伊藤先生を、殺すしか方法はない。あの人にはたくさんの隊士がついて行ったから、逃がしても誰かが戻ってくるだろう・・・」
悩んだ末、土方はこう答えを出した。
「それじゃぁ、伊藤を酒の席に誘ったらどうだ。あの、芹沢さんの時のように酔わせて、帰りに籠ごと襲えばいい。他の周りのやつにも酒を飲ましておこう。」
「他の奴も殺すのか。」
「ったりめぇじゃねぇか。一人でも逃がさねぇ。」
土方は腕を組んだ。
「だが、藤堂はどうする。」
「あいつが勝手に出て行きやがったんだ。あいつも、殺す。」
その言葉で、近藤はかなりの衝撃を受けたみたいだった。
「藤堂だけでも、逃がしてやらないか。試衛館での一番年下の奴だったんだ。俺には、あいつを殺すことはできない。」
土方は少し考えるためか、黙りだした。
「近藤さん、あんたは局長だ。副局長の俺が絶対権を握ってる訳じゃねぇ。最終的に決定するのが、近藤さんの役目だ。藤堂をどうしたいかは、直接永倉ぐらいに伝えておいたらどうだ。」
土方はそう言うと、煙草に火をつけた。
「そうだな。ありがとうな、歳。」
近藤は土方にお礼を言うと、自分の部屋を出て行った。
 
 計画実行の3日前。
たくさんの浪士達が悲しんだ。
開国を唱える最前線の人物、坂本龍馬が殺された。
その日、龍馬は風邪をひき、体を休めるために京の河原町にある近江屋で休んでいた。
そこに、情報を嗅ぎつけた京都見廻り組が突入し、坂本を襲った。
坂本と一緒にいた、中岡も襲われ重傷を追った。
坂本等は、風邪のため帯刀しておらず、ほぼ無力のままで襲われた。
坂本は額を切られ、即死した。
数日後、重傷を追った中岡も坂本を追うように亡くなった。
坂本龍馬、享年33。
その話は、風のようにたくさんの浪士達の間をすり抜けていった。

 「土佐脱藩浪士、坂本龍馬が近江屋で殺されたそうです。」
若い隊士が総司にその話を報告しに来た。
「そうですか。教えてくれてありがとうございます。」
総司は微笑みがら隊士を見た。
「失礼します。」
隊士がどこかに行くと、総司は青い空を見た。
「(もうすぐ冬が来ますね。龍馬さん。)」
総司は坂本の事を知っていた。
坂本は、海援隊という結束を作り、メリケン(アメリカ)に渡ろうと考えていた。
そこに、剣が強くていい腕の青年がいるという噂を聞きつけ、新撰組の見廻り中に総司に入らないかと話に来たことがあった。
総司はもちろん断った。
まして、土佐藩は新撰組の敵、尊皇攘夷の国である。
新撰組に尽忠を尽くす総司にとって、ありえない話だった。
しかし、何度も坂本は総司に話をした。
しまいに坂本は屯所に潜入し、隊員に囲まれ殺されそうになったこともあった。
「(もうすぐ、雪が降る季節ですよ。龍馬さん。あなたがいなくなると、また寂しくなりますね。)」
総司は天国にいるであろう坂本に話しかけた。
「沖田さん、容態どうですか。」
鉄之助が総司の部屋に入って来た。
「鉄之助くん。寒いでしょ。ここにどうぞ。」
総司は鉄之助のために座布団を敷いてやった。
「ありがとうございます。」
鉄之助は会釈しながら総司が敷いてくれた座布団の上に座った。
「鉄くんはもう聞きましたか。」
総司が鉄之助が座った直後に口を開いた。
「なんの話ですか。」
「龍馬さんの話です。」
「あ~。あのおっちゃん。あのおっちゃんがどうかしたんですか。」
鉄之助も坂本を知っていた。
新撰組の中で一番深い関係であったとも言える。
鉄之助の父と坂本は深い交流があり、坂本は鉄之助も海援隊にぜひ入れたいと思っていた。
「亡くなったんですよ。昨日。」
総司が空を見ながら鉄之助に言った。
しばらく鉄之助は黙り込んだ。
「おっちゃん、すごくいい人だった。格好はすごかったけど、面白くって強くって。でも、俺は絶対に泣かない。」
「悲しくないんですか。」
総司が一言そう言う。
「悲しいよ。悲しいに決まってる。でも、俺は新撰組隊士だからさ。敵のために涙は流すもんじゃねぇもん。」
鉄之助は「へへへ。」とでも言うように笑顔で少し照れながらそう言った。
「そうですね。鉄くん、大きくなりましたよね。」
「まぁ、背が高くなりましたけどねぇ。」
鉄之助は頭をかきながらそう言った。
「ぷっ。」
くすくすと総司が笑い出す。
「何ですか、沖田さん。」
鉄之助が不思議な顔をして総司の顔を覗きこむ。
「いや、やっぱり鉄くんは、鉄くんですね。」
総司がそう言ってまた笑い出す。
鉄之助は意味は分からないが急に恥ずかしくなり、顔を赤くした。
そこに、
「総ちゃん、薬の時間やで。」
美弥が入ってきた。
「何笑ってんの。」
美弥が総司の顔を見る。
「いや、だって・・・・大きくなったって言ったら・・・」
「あぁ、そういうことか。」
頭の回転が速い美弥はすぐに理解した。
「どういうことですか!?教えてくださいよぉ。」
鉄之助が美弥の着物の裾を引っ張る。
「まぁ、もうちょい頭が柔らかくなってからな。」
鉄之助が口を尖らせた。
「じゃぁ、総ちゃん今から薬飲むからゆっくりさしてやってくれる?」
美弥が鉄之助を優しい目で見た。
「おう!!沖田さん、お邪魔しました!!」
「はい、またいつでも来てくださいね。」
総司が微笑みながら鉄之助に手を振った。
急に美弥のため息がこぼれる。
「ほんまはしんどいのに、笑顔なんて作らんでええねんで。」
「えぇ!?分かっちゃいましたか!?」
総司の笑顔は、実は作った笑顔だったのだ。
「最近は、血を吐く回数も、量も多くなってきてほんまはしんどいのに。」
「いいじゃないですかぁ。」
総司が口を尖らす。
美弥は真顔になり、総司の尖った口を引っ張った。
「何するんですかぁ。」
総司が顔を一生懸命に振る。
「いや、ちょっと引っ張りたくなっただけ。」
美弥がそう言うと、白湯と薬を総司に渡した。
総司はそれを受け取ると、静かに飲んだ。
「少し、休みます。」
総司はまたにこっと笑ってから布団に入った。
「また、様子見にくるからな。」
美弥はそう言ってから総司の部屋を出た。
総司の体力は限界に近かった。
いつ、今まで以上の血を吐くか分からない状態だった。

 慶応3年11月18日。
近藤等は伊藤等を酒の席へと呼び、宴会を開いた。
「警護の調子はどうですか。」
近藤がそんな話をしながら伊藤の気分を高ぶらせ、酒をどんどん勧めた。
酒にあまり強くない伊藤はすぐに顔が赤くなり、千鳥足になっていた。
「いや、私あのようなお別れをしてしまいましたので、近藤さんに嫌われたかと思っていました。」
伊藤がいつも通り扇で顔を隠しながらそう話す。
「いやいや、帝の警護につかれるなんてこんな光栄なことはございませんからね。尊敬いたしますよ。」
近藤がそう言いながら、また酒を勧めた。
 「そろそろ帰ります。」
伊藤が席を立った。
ふらふらの状態で、いつこけるか分からない状態であった。
「伊藤先生、そんな状態ではお辛いでしょうから、籠を呼びましょうか。」
近藤が気をつかった“演技”をする。
「いえいえ、こんな状態ですから夜風に浴びながら酔いを醒ますことにします。それでは、失礼。」
伊藤が会釈をして外に出た。
伊藤が籠を使って帰る以外まで、予定通りで事が進んでいた。
 「(ちょっと飲みすぎましたね。)」
上機嫌で伊藤は夜道を歩く。
「(近藤さんったら、私が何を考えているか知りもしないで、よく私のことを「先生」だなんて言えますよね。)」
そう伊藤は思いながら歩いていた。
そこに、
「伊藤甲子太郎、覚悟!!!」
背後から大きな声で伊藤は振り返り、すぐに刀を抜いた。
だんだらの羽織を羽織った新撰組だった。
「何ですか、貴方たち!!」
伊藤は刀を交えながらそう言うと、
「もちろん、あなたに死んでもらおうと思っているだけです。」
伊藤が刀を交えている隊士の背後に斉藤が腕を組んで立っていた。その隣には新八の姿も見える。
「斉藤さん、あなたって人は・・・」
伊藤はすごい顔で斉藤をにらみつけた。
「まぁ、これぐらい予想していましたからね。貴方たち、出てきなさい。」
伊藤がそう言った瞬間に、伊藤に着いて行った隊士達が現れた。
平助の姿も見える。
新八は複雑な心境だった。
「貴方たち、殺してしまいなさい。」
伊藤がそう言った瞬間、そこにいた者全てが一斉に刀を抜いた。
「おりゃぁぁ!!」
新八が向かって来た男を切った。
背後から襲おうとしてきた男の存在にも気づいていて、刀を読み、背後に回ってすばやく切った。
「はぁぁ!!」
伊藤が、隊士の一人を切っていた。
「さすが、北辰一刀流の免許皆伝さん。」
新八が口笛をして、伊藤に向かっていった。
「(じゃ、そろそろこの人を片付けるとするか。)」
新八が伊藤の方へと歩み寄った瞬間に、男の一人が新八の背後を取った。
「伊藤先生、今です!!」
男がそう叫ぶと伊藤が新八に向かって思い切り刀を振った。
地面に赤い血がぽたぽたと落ちる。
どさっと重いものが倒れる音がした。
そこには、二人の死体が転がっていた。
一人は伊藤。もう一人は新八を押さえていた男。
「平助、お前どうして。」
伊藤を殺したのは、平助だった。
男に押さえつけられていた新八は小さな体をたくみに利用し、するりと抜け、背後から切ったのだ。
「ごめん、しんぱっぁん。俺、今やっと気づいたわ。実はただ怖くて逃げてただけだったんだよ。同門ってことを利用してただ新撰組から逃げ出しただけだったんだ。ごめん、しんぱっぁん。」
平助が泣きながら新八の元へと歩み寄る。
「平助・・・・」
新八が平助の手を握ろうとしたその時、
「ぐさっ。」
平助の腹部に刀が貫通した。
「隊長を真っ向面から殺す気なんですか。」
平助を刺したのは、つい最近入隊してきた隊士だった。
暗くて見えないため、平助が新八を殺そうとしているように見えたのであろう。
「へ、平助ぇぇぇぇぇ!!!!!」
その場に倒れこんだ平助の下へ新八が走った。
「た、隊長・・・私は、何か、間違いを・・・・」
「左之と山崎を呼んできてくれ。」
新八は怒ることもなく、ただ左之助と丞を呼んでくるようにと命令した。
「はっ、はい・・・」
急いでその隊士は屯所へと走り出した。
「はぁ・・・・はぁ・・・・」
平助はかろうじて息をしていた。
「大丈夫だ、平助。すぐに丞が来てくれるからな。池田屋で額を切られて死ななかったお前の事だ。こんなことで死ぬ訳ねぇからな。自慢の笑いでこんなけが治しちまえ。」
新八が目に涙を浮かべてそう言う。
「しんぱっぁん・・・無理は、言わないでくれよ。けほっ。俺だって人間なんだぜ・・・・」
平助がへらっと笑ってみせる。
「いや、お前は馬鹿だからこんな怪我も一発で治せるはずだ。」
「それ、ほめてねぇよ。」
平助がまたはははと笑う。
そこに、
「平助!!!」
すごい声で左之助が走ってきた。
「相変わらず、お前は馬鹿みたいな顔してんな。」
平助が左之助を見て笑った。
「何笑ってんだ、馬鹿平助。」
「左之、山崎は。」
新八が不安げに左之助の裾を引っ張る。
「今、他の隊士の手当てしってから、屯所までいかねぇとなんねぇ。そこまで遠くねぇから、俺がおぶる。」
左之助の大きな背中に平助がおぶられた。
「あったけぇ・・・・」
平助はそう言う。
「ありがとうな、しんぱっぁん、左之。」
「何言ってんだよ、平助。なんか照れるじゃねぇか。」
左之助はそう言ったが、静かに泣いていた。
顔がぐしゃぐしゃになっていたが、決して声を出さなかった。
「あったけぇなぁ、本当に・・・・父ちゃんを思い出す・・・・」
平助がそう言うと、昔の思い出が平助の頭の中に鮮明に映った。
 「うわぁ、ちっちぇ。俺、藤堂平助。よろしくな。」
「俺、永倉新八。こっちは、原田左之助。」
 「平助さん。いつまで稽古をサボってるんですか。」
「あぁ、総司。お前こそ、近藤さんにまた稽古つけてもらってたのかよ。」
「そうですよ。」
 「本日から、私達は“新撰組”と名乗る!!」
 「カランカラン」
草履の音が聞こえる。
「父ちゃん・・・・」
暖かく、大きい背中を思い出す。
 「おい、平助。平助、起きろ!!」
新八の声で気がついた。
意識を失っていたようだ。
意識を取りも出したが、平助の目の前はもうほとんど朦朧として見えなかった。
「二人とも、ごめんな。俺がいなくなると、寂しくなるだろ。」
「何言ってんだ。お前はどこにも行かねぇよ。」
平助の顔を見ながら必死に新八が笑顔を作った。
その笑顔はしっかりと見えた。
「本当に、ありがとうな・・・・・」
左之助の背中が重くなるのが分かった。
腕も、足も力を失い、重くなっている。
それでも、二人は声を出さず、静かに泣きながら屯所へと向かった。
 屯所では負傷した隊士の手当てに山崎が忙しそうに動いていた
「申し訳ありません。」
山崎が左之助と新八の存在に気づくと、謝りに来た。
「いいんだ。お前はこんなにたくさんの負傷者の手当てで忙しかっただけだ。お前が悪いんじゃない。」
奥で、美弥も手当ての手伝いをしていた。
「藤堂さん・・・?」
鉄之助が平助の存在に気づいた。
鉄之助が歩み寄り、平助の顔に触れた。
すでに冷たくなっている。
悲しみで何も言えなくなっている鉄之助の存在に気づきながら、左之助は歩き始めた。
そして、土方の部屋へと向かった。
 「・・・・・・」
平助の遺体を見て、土方は泣かないようにしているのか、眉間にしわを寄せて黙っていた。
「葬式をしてやろう。」
近藤が土方の部屋の障子を開けて入って来た。
「平助も、喜びます。」
新八が、土方に頭を下げた。
左之助は腕で目元を隠しながら泣いていた。

 「ごほっ、ごほごほっ・・・」
総司の咳が止まらなくなっていた。
「げほっ!!がほっ・・・・」
今まで以上の血が出てきた。
手の平で血がこぼれないようにしていたがその量は手に平に収まりきる量ではなかった。
足音が外から聞こえた。
「げほっ、げほっ・・・入っては、いけません・・・・ごほっ、ごほっ・・・」
そう言ったのにも関わらず思い切り障子が開いた。
土方だった。
「ひじか・・・げほっ!!ごぼっ、ごほっごほっ、はぁはぁ・・・・げほっ・・・・」
血が止まらず出てくる。
「あっ、あぁぁぁ!!!」
土方が倒れた。
土方の母親は幼い頃に総司と同じ結核で亡くなっていた。土方はその体験から結核という病気が怖かったのだ。
まして、今の総司は今までの血の量をはるかに超えていた。
総司が死ぬのが怖かったのだ。
「ひじ・・・げほっげほっ・・・・」
「今、山崎を呼んでくるからな。」
土方は慌てて山崎を呼びに行った。
土方では珍しい慌てっぷりだった。
すぐに山崎がやって来た。
「沖田さん、大丈夫ですか。」
山崎が急いで薬を飲ませた。
「はぁはぁはぁはぁ・・・・」
総司の荒い息の音が続く。
「総ちゃん!!」
慌てて美弥も来た。
「何してんだ。他の隊士達の手当てはどうした!!」
土方が美弥を怒鳴りつけた。
「もう終わりました!!」
美弥がそう言うと、総司の部屋に入ろうとしたが、
「入ってくるな!!!!」
山崎が珍しく大声をあげた。
「今、何もつけないでこの部屋に入ってくると、菌がうつるぞ!!!」
山崎が絶対に美弥が入ってこないようにと怒った。
「み、や・・・・入って、こないでください・・・・こんな姿・・見ないで、ください・・・」
総司の声が聞こえた。
「美弥、総司が落ち着くまであっちに行くぞ。」
土方自身も辛いはずなのに、美弥を自分の部屋へと連れて行った。
 「辛ぇのは分かるけど、一番しんどいのは総司自身だ。俺らがいちばんしんどいような顔してどうすんだって・・・」
土方が、美弥に、自分自身にそう言った。
 「もっと、強くなりたい。」
総司が自分の部屋でそう言っていた。
「どうしてですか。」
山崎が総司の血を拭きながら聞いた。
「強くなれば、美弥を泣かさないでいられる。ずっと笑顔でいてくれる。土方さんを辛い思いにさせないでいられる。皆さんに迷惑をかけないで仕事ができる。もっと子供たちと遊ぶことができる。」
総司がたくさんやりたい事を話した。
山崎はなんとも言えない。結核は治らない病気なため、このまま体が弱っていくだけしか分かっていないからだ。
「美弥を失わないでいられる。あの人は、私の陽だまりのような人ですから。」
総司は泣いていた。
目から涙が流れ、止まらなくなっていた。
「死にたくない・・・・」
総司は膝を抱えて泣いた。
山崎は黙って総司の背中をさすった。

 数日後、平助の葬式が行われた。
すすり泣きをしている声がやはり聞こえる。
新八は目に涙をため、左之助は声を我慢していたがずっと泣いていた。
平助の死に顔は少し笑っているように見えた。
平助の遺体が墓に埋葬された。
新八、左之助は隊士達が去っていっても、ずっと、ずっとそこにいた。
「平助、そっちは寒くないか。暑くないか。いつか俺らもそっち行くからさぁ。俺らが逝った時は向かえにきてくれよ。いつもの馬鹿な笑顔を見せてくれよな。」
新八が涙を流しながらそう言った。
「迎えにこねぇとぶっ殺すからな。」
左之助は泣きながらそう言った。
 後に、油小路で起こった事件として、この事件は油小路の変という名前で語り継がれた。

 その後、旧幕府側の者達がまだ諦めず、新政府軍に対戦しようという動きが考えられているという情報が近藤、土方の耳に入った。
新撰組は、その動きに参加しようと考えていた。
日本全体がまた狂おうとしていた。
「江戸では、何やら新しい文化が芽生えてきているそうだ。」
近藤が腕を組みながら土方にそう言った。
土方は何も言わず、ただ煙草の味を味わっていた。
「なぁ、歳。これから日本はどうなるのであろう。」
近藤が妻のつねに手紙を書きながらそう聞く。
「俺に聞かれたって、わかんねぇよ。」
ふーと煙草の煙をはく。
「お前、健康のためにそれやめねぇか。」
「俺は、煙草をやめるなら死んだほうがましだ。それなら、煙草の吸いすぎで死んだほうが幸せだよ。」
土方はそういうと、鼻で笑った。
「そんなこと言って・・・」
近藤は土方のその言葉に少し悩んだ様子だった。
しばらくの沈黙。
「総司は、どれくらいだと思う。」
辛い事だが、土方に総司の事を聞いた。
「あいつ自身の問題だ。」
土方は冷たくそう言う。
「辛いのは分かる。だが、どうすることもできない。分かってるだろ、歳。」
「分かってる。どうすることもできないって分かってるから辛ぇんだよ。」
土方が泣きそうな顔をする。
「確かに、お前はこの病についてはとことん辛い思いをしてきたからな。」
近藤がそう言うと、土方が急に立ち上がった。
「どこに行くんだ。」
「少し、散歩してくる。もうすぐこの京も普通の姿じゃなくなるかもしれねぇしな。」
土方はそう言うと、煙草を口にくわえたまま近藤の部屋から出て行った。

 「総ちゃん、調子どう。」
総司の部屋に美弥が入って来た。
「今日はだいぶ落ち着いてます。まだ今日は血を吐いてませんし。」
総司がいつもと変わらない笑顔で美弥を見た。
その姿に美弥はほっとした。
「お茶、いれてきてん。飲む?」
「ありがとうございます。」
総司が嬉しそうな顔をした。
美弥は総司の隣に座ると、お茶を渡した。
そのお茶を総司はおいしそうに飲む。
「おいしいですね、さすが美弥・・・」
総司がそう美弥をほめたと思いきや、
「が、使った茶葉。」
と、茶葉をほめた。
「何それ!!うちをほめるんじゃなくって、茶葉をほめるん!?」
美弥が少し怒った表情で総司を見た。
「ハハハ。冗談ですよ、美弥がすごいんですから。」
総司が改めて美弥をほめるが、美弥はずっと怒った表情のままだ。
「そんなに怒らないでくださいよ。怒りすぎると肌に悪いんですよぉ。」
総司がそう言うが、美弥は機嫌を直さない。
「もぉ。」
総司はそう言うと、手に持っていたお茶を置き、美弥の首元をこそばした。
「ハハハハ!!!くすぐったい!!総ちゃん、やめて!!!」
美弥はたまらず笑い声をあげた。
「やっと笑いましたね。」
総司が意地悪そうな表情で美弥を見た。
「もぉ、総ちゃんってほんまに調子いいねんやから。」
美弥は笑いながら少しあきれたような顔をした。
総司は、にこっと笑うとまたお茶を口にした。
そして、
「私、この部屋でよかったです。」
「なんで?」
総司が外を見ながらそう言う。
「外の風景で季節を感じられるじゃないですか。空だって季節でだいぶ違うんですよ。よく見たことありますか。」
「いいや、そんなん知らんかった。」
「それに、たまに猫さんがここに遊びに来たりもするんです。」
総司がにこっと笑い、美弥を見た。
「へぇ、どんな猫なん?」
「黒猫ですよ。」
総司がお茶を置き、猫の大きさを教えてくれた。
「これぐらいで、にゃーんって可愛い声で鳴くんです。」
総司は動物や子供が大好きで、その話をしている時はとても輝いており、子供のように夢中になって話す。
「へぇ、そうなんや。」
そんな姿を見ていると、美弥も幸せな気分になれた。
 「総司、いるか。」
土方が総司の部屋に入って来た。
「あっ、土方さん。」
総司の部屋にはまだ美弥がいた。
「あぁ、いい所邪魔したな。お前らがんばれよ・・・」
土方がそう言った瞬間、美弥が土方の浴衣の裾をつかんだ。
「別に、そんなことしてませんから、どうぞ。」
美弥は顔を真っ赤にさせ、土方の顔を見た。
「冗談だ、冗談。」
土方はそう言うと、美弥とは反対側の総司の隣に座った。
「どうしたんですか、土方さん。土方さんから私の部屋に来るなんて珍しいですね。」
きょとんとした顔で土方を見る。
「お前の馬鹿そうな顔を拝みに来ただけだ。」
土方はそっぽを向いたままそう話した。
「むっ。私はそんなにお馬鹿な顔してません。」
総司が口を尖らす。
土方はその顔をじっと見て、
「その顔が、馬鹿そうな顔なんだよ。」
土方は、総司の唇をつかみ、美弥の方へと総司の顔を向けた。
「ぷっ、ハハハ!!何、その顔!!」
美弥が総司の顔を見て笑った。
「もぉ、ひどいじゃないですかぁ、土方さん。」
総司は頬を膨らませて土方を見る。
「まぁ、そう怒るな。いいもん持ってきてやったから。美弥、俺の分の茶も頼んでいいか。」
「はい。」
美弥は台所へと向かった。
「何ですか、いい物って。」
総司はどきどきしながら土方が出してくれる物を楽しみにしていた。
土方が浴衣の裾から出したのは、菓子屋の袋だった。
「うわぁぁぁぁぁ!!!」
総司の目がぱっと輝いた。
「たまには食わせてやろうと思ってな。」
土方が照れくさそうに頭をかく。
「ありがとうございます、土方さん!!!」
総司は嬉しそうにそうお礼を言った。
その様子を見て、土方はふっと笑顔になった。
「あっ、土方さん笑った。もう一度笑ってくださいよ。」
総司が土方をいじる。
「るせぇ!!食わせねぇぞ。」
「ごめんなさーい。」
そんな会話をしているうちに、
「えらいにぎやかに話するなぁ。」
美弥が土方のお茶を持ってきた。
「どうしたん。」
美弥が土方にお茶を渡し、また総司の隣に座った。
「土方さんが、お菓子を買ってきてくれたんですよ。」
総司がニコニコしながら美弥に話した。
「そっか。よかったな。で、うちの分はあるんですか。」
美弥が珍しく意地悪そうな顔をして土方に聞く。
「えっ、まぁ、多めに買ってきたからあるだろう。」
土方にしては珍しく、少し小声でそう言った。
「ありがとうございます。」
美弥は笑顔でそう言った。
「まぁ、早く食え!!」
土方は恥ずかしくなったのか、総司に渡した。
「いただきます!!!」
総司が嬉しそうに袋を開け、金平糖を一口ほお張った。
「おいしーい。」
笑顔がこぼれる。
「そ、そうか。」
土方はまた照れながらそう言うが、少しすると笑顔で総司を見つめていた。
「うちの分は」と聞いた美弥であったが、ほとんど食べなかった。
「(総ちゃんのこの笑顔見てるだけでお腹いっぱいになれるわ。)」
美弥はそう思いながら笑顔で菓子をほお張る総司を見つめていた。

 その日から京の町に火の手があがった。
「どぉん!!!」
すさまじい大砲の音をきっかけに、戦いが始まった。
慶応4年1月3日、鳥羽・伏見の戦いが始まった。
戊辰戦争の幕開けである。
「いけぇ!!!」
「ひるむなぁ!!!」
大声で指揮をする人。
刀で対戦する人、最新の銃で戦いにさんかする人。
様々な人達が血を流し、傷ついた戦い。
鳥羽・伏見の戦いが始まった。
後に言われる、戊辰戦争の出発地となる。
「我々新撰組も、率先して参加する!!」
土方のその一言で、隊士達が戦地へと出発した。
総司と、山崎は屯所に残っている。
体の調子がよくなく、刀を握れる容態ではないからだ。
そんな体調にも関わらず自分も参加すると言い張り、いつ戦地へと走り出すか分からない総司を見張るために、山崎は残された。
最近、山崎は総司に付きっ切りである。
「行かせてください。」
総司が布団の中で山崎にそう言う。
「行かせるわけにはいきません。土方副長からのご命令です。」
「行かせてください。美弥を傷つけたくない。鉄くんが心配です。」
総司は必死に頼み込む。
「いけません。それに、鳥本先生なら大丈夫です。絶対にあの人が亡くなるわけないじゃないですか。鉄之助の事ですが、あんな馬鹿、こんな所で死にませんよ。私が命をかけて正銘します。」
山崎が少し胸を張ってそう言った。
「・・・・分かりました。」
総司はそれを嫌々納得した。

「(総ちゃん、大丈夫。うちは絶対死なへんからな。屯所で待っててな。)」
美弥はずっとそう思っていた。
新撰組が戦地に着いた。
黒煙があがり、ひどい状態であった。
「ひどい。」
鉄之助がそう口を開いた。
「新撰組、ひるむなよ!!!」
土方がそう言うと、新撰組は敵地へと足を向けた。
「おぉぉぉ!!!」
隊士達が一斉に飛び出して行く。
それに対して新政府軍の者達は最新の銃で攻撃してくる。
「(やはり、あちらは銃を使ってくるか。まぁ、予想通りだ。)」
新撰組の隊士達は刀を刺しながらも、銃を取り出した。
土方、近藤はこのようになると分かっていたため、隊士達に銃の使い方も稽古させたのだ。
「打て!!」
土方の一言で、一斉に銃弾が飛ぶ。
周りには、旧幕府軍の死体が転がっている。
新撰組でもすぐに負傷者が出た。
「大丈夫か!?」
他の隊士が負傷した隊士を心配する。
「美弥!!美弥はどこにいる!!」
土方が美弥を探す。
「はい!!」
銃を手に出てきた美弥。
「負傷者が出た。手当てをしてやれ。」
「はい。」
美弥は肩に結んであった風呂敷をはずし、薬や、包帯を取り出した。
美弥の銃の腕は初心者とも思えない腕だった。
そして、山崎の次に手当てが上手いため、この戦地にいない山崎の変わりに負傷者の手当てをした。
「すいません、鳥本先生。」
「大丈夫。まだ、動ける?」
「はい、まだいけます。」
ほとんどの隊士が負傷しながらもその痛みにたえ、新政府軍と戦った。
「(さっきより、黒煙がひどくなってる。ひどい臭い。)」
美弥が羽織で鼻を隠した。
「打て!!」
土方の大声でまた銃弾が飛ぶ。
美弥も銃を打った。
「(よし、命中。)」
美弥の放った銃弾は一人の男の眉間に当った。
が、
すぐに大量の銃弾が飛んできた。
「うわぁぁぁ!!」
銃弾に当るまいと隊士達が逃げ回る。
「形を崩すな!!」
土方が大声でそう怒る。
「皆!!落ち着いて!!」
美弥が隊士達に声をかける。
「ねぇちゃん!!」
鉄之助の声で美弥は前を見た。
美弥に向かって一つの銃弾が飛んできていた。
周りの者達は、終わったと思ったことだろう。
だが、美弥は冷静に刀を抜き、その銃弾を切った。
真っ二つに割れた銃弾が地面に転がっていた
美弥にはその銃弾はどれほどの早さで見えていたのだろうか。
少なくとも、はっきりと銃弾が見えていたはずである。
「す、すげぇぇ!!ねぇちゃん、すげぇ!!」
鉄之助の驚きの声が上がる。
「油断したあかんで、また来る!!」
美弥がまた銃を打った。
「(よし。)」
美弥の銃弾はほとんど当った。
しかし、敵の数が多すぎた。
旧幕府側は、撤退するしか方法はなくなり、大坂の淀城へと逃げることになった。
 新撰組の者達は、一度屯所へと戻った。
「美弥!!」
玄関で総司が待っていた。
美弥の姿を見た総司ははだしのまま飛び出し、美弥に抱きついた。
「ただいま。」
「おかえりなさい。」
総司は少し目に涙をためていた。
不安で仕方なかったのだろう。
美弥が黙って総司の背中を優しくさすった。
総司は美弥の肩に顔をうずめてすすり泣きしていた。
「総司、お前どこも出歩かなかったか。」
新八が声をかけた。
「永倉さん、原田さんも無事だったんですね。」
総司が、安心した顔で二人を見た。
「おう。俺は、死底ねの原田左之助様だからな。」
左之助が、総司の頭をくしゃくしゃに撫でた。
「総司、自分の部屋に戻れ。」
土方が総司の肩に手を添え、総司の部屋に連れて行った。
「美弥、総司より先に死ぬなよ。」
左之助が美弥を見た。
「分かってる。当たり前やん。」

 すぐに新撰組は大坂の淀城に向けて出発した。
これから、どうなるか分からなかったため、総司もついて逃げるように京を出た。
「これから、どうなるんでしょう。」
総司は左之助におぶわれながら美弥に話した。
「分からん・・・・ただ、日本がまた荒れるってことだけが分かるな。」
美弥が、まっすぐ前を見ながらそう言った。
「そうですかぁ・・・・」
総司が複雑そうな顔をして、左之助の背中に自分を託した。
「(あったけぇな。)」
左之助はあの時を思い出していた。
「(平助・・・お前もこれくらい温かかったのにな。)」
左之助は空を見た。
「(平助・・・)」
その表情で新八は左之助が平助の事を思い出してることが分かった。
だが、新八は何も言わなかった。

 翌日5日。
淀城へと入城しようとした旧幕府軍だったが、戦う意思はないと淀城側の人間に言われ、入城ができなかった。
そして仕方がないため、男山・橋本方面へと撤退した。
しかし、この間の戦闘の間に6番隊隊長であり、試衛館の古株であった井上源三郎が戦死、新撰組は3分の1が戦士した。
「げほっ、げほげほっ。」
総司の体調もよくない。
新撰組の状態はどんどん悪化した。
「美弥、市村。」
土方は美弥と鉄之助を呼び出した。
「お前らは、俺にずっとついて来い。分かったか。」
「はい!!」
二人は勢いよく返事をした。
 「打て!!」
一斉に銃弾が放たれる。
その弾が人間の体を貫通する。
「(銃っていうのは、ほんまに恐ろしい道具やな・・・)」
美弥はそう思いながら引き金を引いた。
 この後も、旧幕府軍は惨敗が続いた。
そして、行き先がなくなった新撰組の者達は江戸へと撤退した。

江戸へと向かうその船の上で一人の隊士が死んだ。
山崎丞。
鳥羽・伏見の戦いで重症を追っていた山崎は船の上で力尽きた。
慶応4年1月13日、山崎丞。山崎の詳しい生年月日は分かっておらず、亡くなった詳しい年齢は分かっていない。

 「すいませんが、よろしくお願いいたします。」
美弥と、近藤が一人の男に頭を下げていた。
総司の容態はとても悪く、新撰組の者達と着いていくことは体が着いていかなく、一軒の植木屋で面倒を見てもらうことにした。
総司にほとんどつきっきりだった山崎も、負傷者の手当てをすることができる。
「総ちゃん、ちゃんとたまに顔出しにくるからな。」
美弥が総司の手を握った。
総司はとてもやせて、体を起こすこともできなくなっていた。
「はい、待っていますね。」
こんな体になっても総司は笑顔を絶やさない。
子供のような明るい顔で笑うため、植木屋の主人も総司の人柄が気に入ったようだった。
 「私は、いつまで生きられるか分からない。」
近藤が、試衛館にいる妻と話していた。
新撰組の局長ともなると、新政府軍の者達は首をとても切りたがった。
「はい。」
辛い思いを必死にこらえて、妻のつねは話を聞いた。
「その時は、たまを頼む。」
近藤は力強くつねの手を握り、目を見た。
「はい・・・」
つねも近藤の手をそっと握り返した。
 「総司は!?」
おみつが土方の下へと走ってきた。
「あいつなら、千駄ヶ谷にある植木屋に任せた。お前もできるだけ行ってやれ。あいつの最後だと思うからよ。」
土方は泣きそうな顔をしておみつを見た。
「ありがとうね、歳ちゃん。」
「何だよ急に。」
「幼くして母親と父親を亡くしたあの子に色々教えてくれて。あの子、幸せだったはずよ。ここまで大切に思ってくれる人をたくさん持って。」
おみつが、土方の目を真っ直ぐ見る。
そして、土方は、
「総司は、まだ死んでねぇ・・・」
そう言ってから、出て行った。

 「土方さん、俺抜けます。」
新八が土方にそう話した。
「どうしてだ。」
「俺ら、やっぱり無理です。平助の事が頭から離れねぇ。無理なんです。」
新八と左之助は、土方の返事が返ってくる前に、土方の前に銃を置いた。
「・・・・・・わぁった。じゃぁな。」
土方は冷たくそう言った。
その言い方は二人の心に深く突き刺さったが、自分たちの決めたことを変える気はなかった。
2番隊隊長、永倉新八。
10番隊隊長、原田左之助。脱退。

江戸でも戦いは続いた。
上野戦争。
またたくさんの者達が傷つき、この世を去った。
その一人、原田左之助。
左之助は、脱退したにもかかわらず、用を思い出したも江戸にまた戻ってきて、新撰組ではないが、戦いに参加した。その時に負傷し、その傷が原因でこの世を去った。
慶応4年5月17日。
享年、29歳。

 少しずつ人数が減り、少しずつ人が離れていった。
「(あの頃が懐かしい・・・)」
近藤は目を閉じて、鮮明に覚えている記憶に浸った。
「あぁ、私のたくあん返してくださいよ、土方さん!!」
「るせぇ、食わねぇ奴が悪ぃんだよ。」
「ハハハ。」
何気ない事で笑いあった日々を懐かしく思う。
「近藤さん?」
土方が近藤に呼びかける。
「ん?あぁ、行くか。」
流山の中を移動中だった。
「懐かしく思うのか。」
土方が後ろから声をかける。
「あぁ。」
「後悔、してるのか。」
土方の声が少し小さくなりながら聞く。
「後悔などしていない。私達は後悔するような事は何一つしていないじゃないか。」
ハハハと近藤が笑う。
「あぁ、俺もそう思うよ。」
土方も少し微笑みながら近藤の肩に抱きついた。
「何すんだよ。」
近藤が、笑いながら土方を肩から離そうとした。
そこに、
「ガサガサっ!!」
草が動く音がした。
「(歳、念のために逃げろ。)」
近藤が、土方を逃がした。
そこにやって来たのは、新政府軍の者だった。
「そこの者!!ここで何をしている!!」
相手が銃を近藤に向ける。
「怪しいな。名を名乗れ。」
相手は名を名乗るようにと要求してきた。
しかし、ここで名乗ってしまっては、殺されることは分かっていた。
「(しかし、ここで名乗らなければ歳も捕まってしまう・・・・)」
草の音がしてから逃げた土方はあまり遠くまで逃げていないので、すぐに捕まってしまうことが分かっていた。
「(許せ、歳。)」
近藤は深呼吸をして、一拍置いてから、
「私が、新撰組局長、近藤勇だ。」
胸を張ってそう言うと、新政府軍の者は驚いた様子ですぐに縄を取り出し、近藤に巻きつけた。
「近藤勇。これから、連衡する。」
そう言うと、新政府軍の者は新政府軍の陣地へと向かった。
 近藤勇が捕まったことはすぐに人々の耳に入り、もちろん土方の耳にも入った。
「何!?勝っちゃんが!?」
土方は、泣き崩れた。
ほとんどの隊士が、初めて土方の涙を見た。
どれほど、土方にとって近藤の存在が大切だったのかが分かる。
「土方さん・・・」
鉄之助が、自分も泣きそうな顔をしながら土方を見つめる。
「お前ら、ここで待ってろ。」
「美弥、総司の下へと行ってやれ。だがな、あいつの事だ。どんなことするか分かんねぇから、近藤さんのことは何も話すな。」
美弥は黙って首を縦に振ると、忍だった頃の体を活かして、木の枝上へと飛んだ。
そして、木々を伝って山を高速で降りていった。
初めてその姿を見る隊士もいたため、口がふさがっていなかった。
 「総ちゃん、どう?」
美弥が総司の部屋に入った。
総司が寝ている布団の周りの畳は赤くなっている部分が多く見られる。
「あっ、美弥。美弥が来たので、元気になりました。」
総司が笑顔を見せる。
美弥は近藤のことを言いたくてたまらなかった。
「近藤さんや、土方さんは怪我してませんか。」
近藤の名前が出た瞬間、美弥の心臓が跳ね上がった。
「二人とも、ぴんぴんしてるよ。大丈夫。総ちゃんは、元気になることを考えてな。」
美弥は泣きたい気持ちをこらえ、必死に笑顔を作る。
「そうですか。よかったです。」
総司の何も知らないその笑顔で美弥の胸に罪悪感が突き刺さる。
「どうかしたんですか。変な顔して。」
その様子に総司は気づいたようだった。
「そうかな?うち、まだ行かないとあかんとこあるから、今日はこれぐらいにしとくな。あんまり長居すると、総ちゃんもしんどいやろうし。」
美弥は立ち上がると、総司に笑顔で手を振りながら出て行った。
「(近藤さん・・・)」
そう思いながら美弥は俊足で土方の下へと走り始めた。

 近藤勇の刑が決まった。
斬首。
つまり、首を切られる刑、死刑である。
近藤はこの刑で驚きと悲しみを隠せなかった。
近藤はずっと切腹を願ってきたにもかかわらず、出された刑は、罪人の最後の斬首であったためである。
「(私は、罪人ではない。私は、誠を持った武士である。)」
そうずっと思っていた。
武士の最後の切腹をできず、挙句のはてに、近藤の斬首は一般人にも公開された。
そこには、涙をため、必死に悲しみに耐えている妻、つねの姿もあった。
「これより、新撰組局長、近藤勇の斬首を行う。」
そう言われて、近藤は縄で巻かれたまま、白い死に装束の浴衣で座った。
一度、辺りを見渡し、涙を流しながら頭を下に向けた。
介錯する者がゆっくり刀を上げ、勢いよく振り下げた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
辺りが静まり返る。
「ドサッ」
近藤自身が、前に倒れた。
慶応4年、4月25日。近藤勇、享年35歳。
誠実に生き、誰よりも武士らしくなろうとした男の最後は、斬首というあまりにひどい最後だった。
 近藤の首は、塩漬けにされ長い時間をかけて京まで持って行き、その首を公開した。
あまりに、ひどすぎる行為である。
その後、その首は行方が分からなくなり、今も見つかってはいない。

 「近藤さんが・・・・・」
一人の隊士から聞いた近藤の死。
土方は涙を流し、自分の手を握り締め、悲しみに耐えていた。
その力は、自分のつめが手の平に食い込むほどだった。
「土方さん・・・」
美弥が、土方の背中をさすった。
それでも、土方の涙は止まらなかった。

 近藤の死から一週間後、総司の容態が急変した。
美弥は戦いの真っ最中だった。
そこに、命を懸けて植木屋の使いが戦地までやってきたのである。
「お伝えいたします。鳥本美弥様はいらっしゃいますか!!」
大声で美弥を探す使い。
「うちが、鳥本です。どうか、なさったんですか。」
使いの慌てた様子で、すぐに総司のことだと分かった美弥。
「沖田さんの容態が急に変わりました。今、危ない状態です。行ってやってください。」
美弥にそう伝えると、
「土方さん、行きます!!」
美弥がそう言った。
土方は黙って首を縦に振った。
美弥はすごい速さで総司の下へと向かった。
人を追い越し、たくさんの人達が振り返るほど速かった。
 「総ちゃん!!!」
美弥が総司の部屋の障子を思い切りよく開けた。
そこには、寝転んでいる総司の姿があった。
咳きは落ち着いているように見え、寝ているように見えた。
「よかった、総ちゃん。」
総司の横に安心して座った。
だが、総司の反応がまったくない。
そして、美弥が心地よく感じる総司の寝息も聞こえなかった。
「総ちゃん?・・・・」
美弥が総司の手を触る。
「(まだ暖かい・・・・)」
総司の死を信じられなかった、信じたくなかった。
「いや・・・いや、いや!!総ちゃん、総ちゃん目覚まして!!いつものおふざけなんやろ。ほら、いつもみたいに冗談ですよって、うちのこと笑わせてぇや、総ちゃん!!!」
総司の体を懸命に揺するが、総司の目は閉じたままである。
「・・・・・総ちゃん。早く起きないとご飯が冷めてしまうで。ほら、ここに甘いお菓子いっぱいあんのに。」
そうやって言っても、総司の体は起きない。
「総ちゃん・・・・・」
美弥は総司の胸に顔をうずめて声を上げてないた。
涙が枯れて、声もがらがらになり、涙が出なくなるまで泣いた。
 しばらくして、植木屋の主人が美弥のところに縦長の木箱と一つの手紙を渡した。
「自分が死んだ時、あなたに渡して欲しいと沖田さんにいわれていた物です。」
主人はそう言って、総司の部屋を出て行った。
美弥が総司の部屋に来てから、総司の隣をまだ一歩も離れていない。
「(何やろ、これ・・・)」
美弥は総司が書いた手紙を開けた。
「  美弥へ。
 いつもご苦労様です。
 しっかり者で、いつも新撰組の母のようなぬくもりの美弥の事を私はとても大好きです。
 分かっているとおり、私の体は昔から丈夫じゃありませんでした。
 そして、母がいないこと、父がいないことで、私はなんて恵まれていない者なのだろうと、ずっと思っていました。
 でも、あなたに出会って私は変わった。
 あなたがいたおかげで笑うことができた。剣を振ることができた。新撰組に入ることができた。
 たくさんありがとうと言っても伝えきれないほどの感謝で胸がいっぱいです。
 本当にありがとう。

 新撰組に入り、私とあなたの絆はもっと深まったと私は思います。
 両思いだったことを知り、とても嬉しかった。
 こんなひ弱な人間のことを好きだと言ってくれて嬉しかった。
 私もあなたのことが大好きですよ。
 ずっとずっと、この思いは変わりません。

 そこにあるのは、私の愛刀、「加州清光」です。
 これをあなたに授けます。
 私の魂は天国になど行きません。
 私の魂は、加州清光の中へと入り、あなたとずっと一緒にいます。
 だから、この刀を身に着けてください。
 私があなたを守ります。
 
 美弥、私がいなくなって悲しいのは分かります。
 私も、美弥がいなくなるなんて考えると、辛いです。
 でも、泣かないで。
 笑って。私は雨より、快晴の方が好きです。
 太陽のようなあなたの笑顔が大好きなんです。
 だから、泣かないでください。

 またいつか、会えるのを信じて・・・・・・・
 「動かねば闇にへだつや花と水」
 
                             沖田総司   」
手紙にはこう書かれていた。
総司の字は綺麗で、病気の頃に書かれたとは思えない立派な字だった。
すすり泣きをしながら手紙を読んでいた美弥は、涙を拭き、木箱を開けた。
朱色の鞘が目に入った。
鞘から剣を抜くと、大切に手入れされていたと分かるほど、きれいにされた剣だった。
美弥は刀を腰に巻き、総司の手を握り、とても明るい顔で笑った。
「総ちゃん、うちの方こそありがとうやで。こんな体やのに、よく頑張ったなぁ。もう、こっちに魂入った?」
美弥は鞘を撫でる。
すると、外で急に激しい風が吹いた。
その風は部屋にも入ってきて、総司の長い髪をなびかせ、鞘の上に髪がきた。
総司が返事でもしたかのような現象だった。
 総司は、誰にも見取られず息を引き取った
慶応4年5月30日、沖田総司。享年25歳。
近藤の死を知らないまま、息を引き取った。

 美弥は一度植木屋から出て、土方の下へと戻った。
先ほど、すごい速さで駆け抜けていった道をゆっくりと歩く。
「こんな時代に、まだ刀差してるよ。」
すれ違う人達がそう言いながら、美弥を見る。
そんなことを気にせず、美弥は総司から授かった加州清光を大切そうに手で撫でた。
 「土方さん・・・」
美弥が土方のところに戻った時は、戦争は終わっていた。
「どうだった。」
土方は美弥に総司のことを聞いた。
黙って美弥は首を振った。
「嘘、だろ・・・・・」
土方はその場で膝をついた。
「近藤さんもいなくなって、総司までいなくなるなんて・・・・くそっ!!」
土方は拳を作り、地面を叩いた。
「鉄之助くん。」
美弥の話を聞いていた隊士達が泣いており、鉄之助は美弥の服をぐっと引っ張って泣いていた。
「そんな・・・・沖田さんが・・・・」
美弥は鉄之助の頭をそっと撫でてやった。
「うぅ・・・・」
美弥と同様にほとんどの隊士達の涙は止まらなかった。
 しばらくして土方が、
「総司に会いに行く。」
そう言って、美弥の腕を引っ張ると総司がいる植木屋へと向かった。

 障子を開けると、総司が横たわっている。
「総司・・・」
総司の名前を呼びながら土方は総司の横に座った。
先ほど美弥が見ていた総司の顔とは違い、少し血色がなくなった顔になっていた。
土方は、総司の口を引っ張った。
総司の反応はもちろんない。
土方の目からまた涙がこぼれた。
「総司・・・・」
泣きながら総司の手を握った。
「総ちゃん、どうしますか。」
美弥が土方に聞いた。
「この綺麗なやつを焼くのは辛ぇ。でも、焼くしかない。こんな綺麗な姿のまま埋めたら、何ももう話さねぇって考えると、もっと辛ぇ。」
土方の声は震えていた。
「分かり、ました・・・・」
美弥は総司の部屋から出て行き、植木屋の主人と相談しに行った。

 次の日、全員が集まって総司の姿を見た。
また隊士達が泣き出した。
「立派に生きた。お前ら、こいつの事忘れねぇでやってくれ。お調子者で、寂しがりやで、どうしようもないこいつの事、忘れないでくれよ。」
土方はそう言うと、総司が入っている木箱に火をつけた。
「(総ちゃん・・・大丈夫。うちは泣かへんから。総ちゃんは今、うちと共におるんやから。)」
刀をぎゅっと握った。
土方はまた涙を流しながら空へと向かって上がる黒い煙を見つめていた。
 
美弥は総司の骨を骨壷に入れるところを見届けた後、総司の部屋の片付けをしていた。
美弥は、総司が横になっていた布団をぎゅっと握り締めた。
黙ってそれを見つめていた土方。
「お前、その刀どうしたんだ。」
美弥の腰に差してある刀を指差した。
「これは、総ちゃん自身なんです。この中に総ちゃんの魂が眠ってます。うちを守ってくれるお守りです。この手紙にそう書いてありました。」
美弥は総司からの手紙を取り出して見せた。
「・・・・そうか。」
土方はそう言うと、片付けを見ていた。
美弥はその部屋の前にある縁側に腰掛けた。
そして、脇に置いてあった総司の骨壷を膝の上に置いた。
「なぁ、総ちゃん。うちが死んだら総ちゃんの隣にお墓作ってもらうからな。そしたら、またずっと二人一緒におれるやろ。だから、もうちょっと待っててな。」
骨壷を大切そうに持ちながら立ち上がり、土方と一緒に納骨しに行った。
 総司の骨壷は専称寺に納骨された。

 総司の死後、土方は羽織ではなく、軍服を作った。
黒を基調とし、白い線がふちに入っている。
もちろん美弥もそれを来て、腰に刀を差して戦いに臨んでいた。
新撰組の者達はどんどん北へと北上し、福島の会津に来ていた。
この地の戦争は今までの戦争よりもひどい物となった。
「打て!!」
土方の声で、銃弾が飛ぶ。
が、新政府軍の銃弾の数は何倍も多く飛んでくる。
もちろん、いつも以上の負傷者が出た。
「大丈夫、これぐらいの傷では死なへんよ。」
美弥は負傷者の手当てをしている。他の隊士達も手当てを手伝った。
美弥一人では追いつかないほど、負傷者が出ていた。
「(あかん、このまま出血が止まらんかったら、死んでしまう。。)」
美弥は一人の隊士の手当てをしていた。
「鳥本、先生・・・・もう、いいです。可能・・・性があるやつを・・・・・助けて・・くだ・・さい・・・・・」
一人の隊士がまたこの世を去った。
「ごめんな・・・」
美弥は救えなかった事をその隊士に頭を下げて謝った。
「また負傷者が出ました!!」
また新しい負傷者が出た。
美弥も他の隊士もすばやく薬を塗り、包帯を巻く。
「打て!!」
土方の声が聞こえる。
「(いつまでこんな戦いが続くんやろ・・・早く平和にならんのかな・・・)」
美弥はそう思い始めていた。
「先生、負傷者の数が少し減ってきましたから、先生も参戦してきてください!!」
他の隊士が美弥にそう言ったため、美弥は銃を構えて参戦しに行った。
「打て!!」
土方の声で一斉にまた銃弾が飛ぶ。
「(よし、命中。)」
美弥の放った銃弾はまた命中していた。
しかし、やはり新政府軍の数は旧幕府軍の数よりも圧倒的に多く、撤退するしか方法はなかった。
会津城も降伏した。
会津城は長く続いた集中攻撃のため、見るも無残に穴がそこらじゅうに開いていた。

 「土方さん、この戦いはいつまで続くんでしょうか。」
北上する途中、美弥が土方に聞いた。
「そんなこと、俺に聞かれたってわかんねぇよ。」
土方は前を見ている。
「とにかく、前を見ることが大切だ。」
土方は前をゆっくり指差した。
「はい・・・・」
美弥は刀をぎゅっと握った。
 そこに、手招きする女を見つけた。
見覚えのある顔だった。
「桜さん!?」
美弥が見たのは、京の花魁であった桜である。
美弥は桜が手招きする林へと入って行った。
「おひさしぶりどす。」
流暢な京都なまりで話す。
「どうなさったんですか、こんなところで。」
美弥が不思議そうに桜を見る。
「いや、欲しいものがあってな。」
桜が微笑みながら美弥を見る。
「何が欲しかったんですか?」
「・・・・・あんたの命・・・」
そう言った瞬間、桜は隠し持っていた小刀を振り上げた。
すばやく美弥は総司の加州清光を抜き、交えた。
「どうして、こんなことするんですか!?」
「うちは、ずっとあんたら新撰組のこと嫌いやってん。うちの父様は新撰組に殺された。あんたらのこと、殺したくて殺したくてたまらんかってん!!うちの父様を殺したのは、沖田総司やって知ってた。いつか殺そうと思ってたのにこの前死んだっていうから、今度は沖田総司の幼馴染のあんたを殺そうと思って、ここまで来た!!!」
桜が美弥の首を切ろうと力を入れる。
だが、
「ザグッ・・・・」
美弥はその攻撃をかわし、桜の心臓を一刺しにした。
怪しまれないよう、すぐに逃げたため、返り血は一滴も着いていなかった。
桜の服で桜自身の血を拭くと、剣を鞘に戻し、静かに列に戻って行った。

 新撰組は、蝦夷の函館まで北上した。
また激しい戦いが始まった。
「打て!!」
土方の声でまた銃弾が放たれる。
会津戦争も激しい戦争だったが、函館戦争も激しさを増していた。
「打て!!」
また土方の声が上がる。
 数日間、ずっと銃声が鳴り響いた。
土方は鉄之助を呼び出した。
「市村、これを日野にある俺の生家へと届けてくれ。」
土方は鉄之助に自分の写真と少量の髪を渡した。
「そんな・・・・土方さんを置いてここから脱出するなんて、できません!!」
鉄之助はそう言うと、
「馬鹿野郎!!お前の身の上はなんだ!!」
土方はそう聞いた。
「俺は・・・土方さんの小姓です・・・」
「そうだ。お前は俺の小姓だ。主人の命令は聞くものなんだよ。そんなことも分かんねぇのか?」
土方は鉄之助にそう言った。
「・・・・・分かりました。」
鉄之助は届けることを了承した。
「ありがとよ。」
土方は微笑みながら鉄之助の頭を撫でてやった。
 翌日、鉄之助は土方の生家がある日野に向かって函館を脱出した。
「(市村、お前はまだ16歳だ。死なせるわけにはいかねぇんだよ。)」
土方は馬に乗り、指揮をしながらそう思っていた。
「土方さん、鉄之助くんを脱出させたって、本当ですか!?」
美弥が土方の下に聞きに来た。
「あぁ、そうだ。あいつはまだ若い。生かせてやりてぇんだよ。」
土方はそう言い、微笑んだ。
「ありがとうございます。鉄之助くんのためにもそのお考え、すばらしいです。」
美弥が嬉しそうに土方を見た。
ふっと土方が笑った。
「打て!!」
土方がまた声を上げる。
すさまじい音が辺りに響き渡った。
そこに、
「ダーン!!!!」
一発の銃声が遠くから聞こえた。
「うっ・・・・」
後ろから誰かが倒れる音がした。
「土方さん!!!!」
土方が倒れていた。
銃弾が土方の腹部に当っていた。
「うっ・・・・」
美弥が土方を木の陰に移動させた。
「大丈夫ですか、土方さん!!」
美弥が手当てをした。
が、血が止まらない。
「すまない、美弥。」
土方が力強く美弥の手を握った。
「何言ってるんですか、土方さん。土方さんはまだ生きないと駄目ですよ。」
美弥が土方の手を握り返した。
「そうしたいのは山々だ。でも、勝っちゃんや総司がそこにいるのが見えるんだよ。あっちに行ってやんないといけぇんだよ。じゃぁな、美弥・・・・」
美弥が握っていた土方の手は力を失った。
「土方さん・・・・?」
「うっ、うぅ・・・・」
美弥は土方の手を握りながら静かに泣いた。
そして、土方が持っていただんだらの羽織の一部を美弥がもらい、額に巻いた。
「(近藤さん、土方さん、総ちゃん・・・うちは絶対に死なへんからな。)」
そう誓い、また戦場へと出た。
「打て!!」
土方の代わりに美弥が指揮をした。
「鳥本先生、土方さんに何かあったのですか!!」
一人の隊士が土方がいないことに気づき、美弥に聞いた。
「今は、そのことよりも自分の身のことを考え!!よそ見してたら死ぬで!!」
美弥が銃の引き金を引いた。
「(何かあったんですか。)」
一人の隊士が勘付いた。
そして、辺りを見回した。
木の陰に横たわっている土方の遺体を見つけた。
「・・・・土方先生・・・・」
見つけた隊士は驚きを隠せなかった。
ぐっと拳を握り、悲しみをこらえた。
「土方先生、こちらへ。」
そう言うと、一人の隊士は土方を背中でおぶり、負傷者や亡くなったもの達がいるところへと連れて行った。
「土方先生!!」
負傷者が土方の遺体を見て集まってきた。
「土方先生・・・・」
集まった隊士達が悲しみに暮れた。
「土方先生・・・・」
涙を流す隊士達。
土方の死によって新撰組の歴史は幕を閉じた。
 明治2年5月11日、土方歳三。享年35歳。
近藤勇と同じ年齢で亡くなったのは、偶然だったのか・・・・・
土方の遺体は五稜郭に埋葬されたといわれているが、別の場所に埋葬されたとも言われている。しかし、特定の場所は分かっていない。
 土方の死から一週間後、旧幕府軍は克服し、長く続いた戊辰戦争は終結した。
 
 土方の使いとして日野へと向かっていた鉄之助は無事に土方の生家へと写真を届けた。

 静かに海を見つめる。
「総ちゃん、終わったよ。何もかも。静かになった。」
総司に呼びかける。
「こんなに海が綺麗に見えてる。」
きらきらと輝く海を見つめながら総司に話しかける美弥。
「ちゃんと、近藤さん、土方さんに会えた?」
「ちゃんと、うちを守ってくれてありがとう。うち、死なんかったで。」
美弥はそう言うと黙って加州清光を撫でた。
「今から、江戸に戻るな。」
美弥はそう言うと、撤退するために江戸へと向かう船に乗り込んだ。
 美弥の他に生き残った隊士は数少なく、試衛館の古株として残ったのは美弥と3番隊隊長の斉藤一だけであった。

 日野の土方の生家に無事に着いた鉄之助は2年ほど土方の義兄である佐藤家に滞在し、実家へと戻った。
しかし、明治6年に病死した。

 途中で脱退した永倉新八はとても長生きし、新撰組を離れた後も、若い青年達に剣を教えていた。
大正4年1月5日、永倉新八。享年77歳。

 生き残った斉藤は、その後警察官として活躍した。
大正4年9月28日、斉藤一。享年72歳。

 美弥の行方はその後分からなくなった。
死んだともいう隊士もおり、どこかで生きているという隊士もいた。
たくさんの隊士が日記などで女性隊士の美弥の事は書を書いていたが、汚れや、その本を破ったり、墨で上から塗ったりする人がいたため、美弥の存在はなかったことにされた。
女隊士、鳥本美弥の生涯は誰にも知られていない。
 しかし、誰が知っていたのか、専称寺の総司の墓の隣に寄り添うように美弥の墓が建てられた。
何歳まで生きたのか、戊辰戦争後は何をしていたのかなど詳しいことを知る者は一人としていない。

 浅葱色のだんだら模様の羽織を羽織った新撰組。
命をかけ、若くしてなくなった青年たち。
今でもその名は人々の耳に入り、残してきた足跡は鮮明に残っている。

最初で最後の恋

最初で最後の恋

  • 小説
  • 長編
  • 恋愛
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-10-18

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