地元の男

すごろく 作

「ほら、なんだっけな。あいつ、あいつってお前の地元の出身なんだろ?」
 昼休み、職場の先輩は弁当を食べながら、何か急に思いついたように唐突に喋り始めた。米粒やらおかずの屑やらが、唾と一緒に空中に放たれ、床や机の上に着地する。
「あいつって誰ですか?」
 私は咀嚼していたかぼちゃの煮物を飲み込んでから返事をする。
「あいつだよ、あいつ。あのなんかアーティスト」
「アーティスト? どのアーティストですか?」
「ほらほらほら、何だっけ、あの妙に馬面の。ヨネ――ヨネなんとかってやつ。坊さんみたいな名前の」
「米津玄師ですか?」
「そう! そいつだ! そいつがさ、お前の――お前ってどこの出身だっけ?」
「徳島県です」
「そうそうそう、徳島県。去年の――去年だっけ? とにかく紅白歌合戦でさ、出てただろ。確かオオツ――オオヅマ――」
「大塚美術館」
「それだよ、それ! あの大塚美術館って徳島県にあるやつだよな?」
「はい、一応そうですけど・・・・・・」
「そんでさ、何で徳島県なんかで中継してんだろって思って娘に聞いたら、そのヨネヅ――ヨネヅなんとかってやつが徳島県の出身だって聞かされてさ、へえって思ったんだよな」
「はあ、それで?」
「それでって、それでも何もそんだけだよ」
「はあ、そうですか」
「やっべ、もうすぐ昼休み終わるじゃねえか。おい、急いで食い終わるぞ」
 先輩は時計をちらっと見やると、どんぶりに余ったうどんの汁でも飲むかのように弁当を掻きこんだ。私はぼんやりしば漬けを齧った。えらくしょっぱかった。

 私が米津玄師という男の名前を初めて見たのは、とあるドラマのエンドロールである。確かサスペンスのドラマだった気がするのだけれど、それの主題歌を歌っているのが件の米津玄師だった。その曲はなんだか大ヒットだとか一億再生だとかそんな風に褒められていたけれど、私には特徴も印象もない、あまり記憶に残らない曲としか思えなかった。
 それだけだと米津玄師などという珍妙な名前はすぐに忘れていたのだろうけど、そのドラマの最終回の翌日くらいか、実家の母から電話がかかってきた。
 まあ電話の内容は軽い近況報告と世間話のようなものだったのだけれど、電話の最後で母は今晩の夕飯の献立をぱっと思いついたように言った。
「あ、ほら、何だったかね、あのドラマの主題歌やってた人」
「は? ドラマの主題歌?」
「あのアンなんとかっていう」
「ああ、あれ」
「あれの主題歌の人、徳島出身の方なんやって」
「へえ、そうなんか」
「しかもね、あんたと同い年らしいんだよね」
 どこかに何かがちくっと刺さった気がした。しかしそれは、蚊に刺されたような微細なもので、痛いのかどうかもよくわからなかった。
「ふーん、同い年ね」
「最近の若い人はすごいねえ、才能もカリスマ性もある人がいて」
「昔だって尾崎豊とかいたやろ」
「それとこれとは別。でもほんとすごいわあ、徳島からあんな人が出るなんて」
 母はなぜか嬉しそうに米津玄師という男の話をした。私にはなぜ母が喜んでいるのかが理解できなかった。私にとって米津玄師という男はただ何となく観たことがあるドラマの主題歌を歌っていた普通の歌手の一人に過ぎなかった。多くの人がそうだろうと思った。一か月もすれば風化して人々から忘れられ、一発屋として語られるくらいの存在だと思った。
 でも時間が経つにつれて、どうやらそうでないということがわかってきた。少なくとも、私が思っていたような一発屋ではなかった。私が彼の名前を知る前から、米津玄師は名の知れた男のようだった。そもそもは動画投稿サイトで初音ミクとかいう人口音声ソフトを使って楽曲を作り投稿していたそうで、その投稿した曲がどれも途轍もない再生数を叩き出し、それが転じて自ら歌手になることになったそうだ。その結果、初音ミクとかいう人口音声ソフトを使っていたときとも比較にならないほどのヒット曲やバカ売れのアルバムを飛ばすような、とても大きなアーティストの一人として世間からも認められているようだった。私は元来世相や音楽には疎い人間だったが、さすがに米津玄師が社会的にどういう立ち位置の男なのかはわかるようになった。それでもなぜか腑に落ちないものがあった。いや、人気のアーティストに対して腑に落ちないも何もないはずなのだけれど、私の心の片隅では、どうしても米津玄師という人間を受け入れられない気持ちが蹲っていた。
 なぜなのかは自分でも判然としなかった。どの曲を聴いても世間一般の人々が褒め称えるような魅力を感じなかったせいかもしれないし、ヒッピー崩れのような格好や髪型がなんだか気に食わないだけなのかもしれなかった。
 テレビやインターネットで米津玄師の曲が耳に流れこんでくるたびに、ちくりちくりとどこかを刺されるような感触は増していった。最初は痛いのかも微妙だったはずなのに、気づけば画鋲で刺されている程度の痛みにはなっていた。米津玄師の曲が流れてきたように感じたと同時にチャンネルを変える、もしくは電源を切るようになった。インターネットでもときたま顔写真などが流れてきたりするので、SNS等も軒並みやめた。
 何も関係なかった。私と米津玄師の共通点など、性別が同じで、年齢が同じで、出身地が同じで――ただそれだけだった。特別音楽が好きなわけでもない。楽器を嗜んだこともない。何かを夢見たこともない。何かを成し遂げようとしたこともない。大して努力したこともない。これといって才能と呼べそうなものもない。目標もない。目的もない。今から何かを頑張る気力もない。惰性と諦観だけがある。彼がミュージックビデオを撮影したり、華やかな舞台の上で笑顔を振り撒いたりしている間、私はつまらない書類と睨めっこをし、媚びへつらった作り笑顔で取引先やお偉いさんにへこへこと頭を下げていた。だからどうしたという話だった。どうにもならないし、どうでもいい話だった。
 黙々と仕事を終えて、テレビを観ながら飯を食べて、風呂に入って、眠る、たまにネットニュースを覗く、それ以外のものは私にはない。彼には何があるのだろう?
 昨晩もテレビを点けた。NHKだった。歌番組を放送していた。胡散臭い満面の笑みを浮かべたタレントたちに囲まれて、民族衣装みたいな赤い服を着た子どもたちがさも楽しそうに歌って踊りを披露していた。画面の隅に曲名が表示されていて、その下に『作詞・作曲・米津玄師』という文字があった。すぐに電源を消した。ほぼ反射的だった。真っ暗になったテレビ画面が貧相な私自身と荒れた部屋を映し出した。私の表情はひどく歪んでいた。口をへの字に曲げて、べそを掻いた小僧のように悔しそうに眉間に皺を寄せて。

 もう何百回だか何千回だかわからない昼休みの時間だった。もう何百回だが何千回だか食べたかわからないコンビニ弁当のプラスチック製の蓋を開けた。今日も向かいには、見慣れた先輩の顔。頬のあたりから、剃り忘れられた何本かの髭がひょろひょろ伸びている無精な中年の顔。
 いつもは職場に残ってコンビニ弁当を貪っている社員など私と先輩くらいしかいないのだけれど、その日は他に女性の社員がいた。去年入社した新入社員だ、と思う。よく憶えていなかった。彼女は菓子パンらしきものを食べながら、イヤホンで何やら聴いていた。
「おいおい、そこの君、ちょっとちょっと」
 先輩はがさつな大声でその新入社員に声をかける。最初はイヤホンのせいで聞こえていないようだったが、何度目かの呼びかけが届いたようで、イヤホンを耳から外し、少しだけ面倒くさそうな顔でこちらを見た。
「何ですか?」
「何を聴いてるの?」
 先輩は気さくなつもりなのか、馴れ馴れしく訊ねる。私は特に口を挟まずにサバの煮つけから小骨を取り除く作業をしている。
「はあ、米津玄師ですが」
「え? 米津玄師なの? やっぱ若い子には人気があるんだなあ」
 またぐいっと画鋲が刺さるような痛みがしたけれど、素知らぬ顔をした。
「米津玄師、知ってるんですか?」
「おじさんを舐めるんじゃないよ。若い子の流行くらい追えるからね」
「はあ」
「そういや米津玄師の出身地って知ってる?」
「いえ、知りませんけど」
「徳島県なんだってさ」
「はあ、徳島県」
「それでさ、じつをいうとこいつと地元が同じなんだよ。こいつも徳島県出身」
 先輩は唐突に矛先を僕に向けた。僕はさらに小骨を取り除くことに没頭した。
「はあ、そうなんですか」
「いやー、地元が同じってのも奇遇だよなあ」
「そういえば――」
「うん?」
「――徳島県って何があるんでしたっけ?」
 新入社員は純粋な疑問を呟くようにそう口にした。
「徳島県? 徳島県にはそりゃ・・・・・・何があるんだっけ?」
 先輩も新入社員も私を見た。悪意のない好奇心の目で。さすがに答えざるを得なかった。
「――特に何にもないんですよ、なんにも」
 もう何百回だか何千回だか浮かべたかわからない愛想笑いを浮かべて、私はそう言った。口を塞ぐように、すぐさまサバの身を口内に放り込んだ。あれだけ執拗に取り除いていたというのに、まだ潜伏していた小骨が歯茎の隙間を傷つけた。じんわり鉄臭い血の味が広がっていった。
 彼の歌声が聴こえてくる気がして、そっと目を瞑った。それだけの昼休みだった。いつもと別段変わらない、私の今日だった。

地元の男

地元の男

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-06-09

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