旅人あはれ

井出佐麻呂

第一回

家ならば妹が手まかむ草枕旅に臥やせるこの旅人あはれ(万葉第三巻四一五) 

 腐った根太板の隅には蜘蛛の圍がかかって、それが隙間風に弄ばれている。だがよく見ると、それは綿埃が鎖状に連なって蜘蛛の糸のように見えているに過ぎない。ヨーアヒムはこれを、材木集積場の脇に建てられた炭焼き小屋の隅に見出した。マカラスムギの刈りつくされた晩秋の朝で、寝藁の上に起き直った彼は、床擦れのしたらしい腰のあたりを粗布の上から摩った。こゝへ逃れてからハヤ何日経ったろう?
 通天郷と呼ばれるこの国を、ヨーアヒムは都合三年をかけて横断した。エスペラント皇国の神学校を放校になって以来の、彼の期待とその結末、挫折、裏切り、諦念と諸国行脚……彼も今や二五歳だ。通天郷では最近、雷名を轟かせた吟遊詩人が二十歳の若さで夭折したと聞いた。ヨーアヒムはなにがしか、『先を越された』と思った。彼の期待に満ち溢れた放浪旅行がいつの間にか、死に場所を求める旅になり果てていた事も、既に久しかった。
『通天郷とはよく言ったものだ―――』ヨーアヒムは独語ちた。『神秘主義の神学者が、一部貴族に庇護されているこの国では、神秘主義とそれを取り締まる旧教玄理派の対立も実はただの便宜でしかない。裏ではばっちり癒着して、神秘主義者も聖クックの石膏像に涙を注いでいるような始末だ。神秘主義はまだ発芽の機会を得ていない異端分子に、恰好の形式を与える上で役立っている。だからサクラの神秘主義者は適度に間引かれるだけで、異端となるとその幼子や家隷、家畜の類まで根絶やしにする。何と云う八百長だ……』
 アトランティカは通天郷の最果てである。国境近い西側は篠懸やポプラの樹に雑じって、段々と深い山毛欅の林が優先する。晝猶暗い木下闇に咲いた白いアネモネは、葩が内側から淡い光を放つかのように森を明るませるので、気味悪がられた。毛氈を敷いたかに見える花の密度が、死者を支えるのに充分な棺布に擬えられた。果て知れぬ森に迷い込んだが最後、方角を見失った旅行者はいよいよ森の奥に歩み入り、巨口を開いて待ち伏せているギ大渓谷に人知れず墜落してゆくのだ。この溪谷を越えるには、埠頭のように谷に築き出した自然石の飛橋を渡るしかないのだが、その吊橋の袂まで人は辿り着くことが出来ない……
 諦めの付かないヨーアヒムは、それでも通天郷の隅々までを踏破した。仙境と呼ばれるサルバトーレ山塊にも果敢に歩み入った。聖賢が市に棲むとは限らぬ。強ち本を書いて名をなそうと云う気のない隠者こそ、天外の消息に精通している筈だと考えた―――結果はどうであったろう。今やヨーアヒム自身が一種徳高い巡礼の品格を備えるに至った。その形姿はややもすると、伝承にある聖ヨハネの曠野を行く姿そのままである。兎の毛皮を身に纏い、橡の実や草の根、下手をすれば牛馬が食べるものを一緒になって食べ、飢えを凌ぐ有様だ。その様子が彼の中で唯一精彩を放っている。が、それは天上の国に赤貧と云う逆説的な贅美の山を積んでいる者の趣きとは違う、自虐的な・悲痛の影が唇辺に浮かんでいる。が、この方が見る者には、もの欲しげな顔をした修道僧よりも真実らしく見えるので、篤信家はきまって頼まれもしないうちから彼を玄関の框に請じ、或いは一夜の宿を貸してひそかに信心を凝らした。
 ヨーアヒムは天国など信じてはいない。だが、不信の度が高まるにつれて彼がいよいよ道行く人の信心を集めたということはイロニックである。そこで彼は確信を高めた。信心篤い者に限って、脂ぎった、酒精依存の赤ら顔に、夕べの釣鐘のような便腹を抱えているものだ、と。見給え、不朽なもの、長持ちのするものは悉く彼等のものだ。微温的な日和見信仰は彼らの良心を咎めるどころか、すわと云う時の安全弁になっている。

 名高いサルバトーレの峰々を巡ってアトランティカの平野に降り立った時、雨が少ない気候の穏やかさにヨーアヒムは驚いた。夏は涼しく、冬は暖かい。昨夜の冷え込みもさまで厳しくなかった。
 簌々と、枯れ松葉を踏む靴底の侘しい響きを、彼は戸外に聞いた。この炭焼き小屋を生業にする樵夫のじじいだ。十日ほど前から懇意にしていた。谷向こうの出らしく、タバサ訛りが些とひどい。タバサ人特有の、樹液が下臥に固まったような鷲鼻が顕著で、頻波のような横皺が額に際立ち、高まった顴骨から口許までに幾重もの皺が折り畳まれている。こちたき白髯はまるで縄簾のように綺麗に編み込まれているが、深々と抜け上がった顱頂には寂しげな髪が風にそそけ立っており、日に透かすと恰是霾翳のように見えた。頭から湯気が出ているようにもそれが見えた。サスペンダーで吊った革ズボンは鉄色を呈している。六十をいくつか越えているらしいが、捲り袖から露われた二の腕は木の瘤のようで、後ろ姿だけなら容貌魁偉な大男ある。
 陶器の釉薬のように滑っこいプルシアンブルーのしらじら明けを、戸口は、画板を倒したような矩形の反映を投げかけていたが、樵夫の巨体はすっかりそれを塞いだ。馴れない目にヨーアヒムの姿は見えまいけれど、ヨーアヒムには樵夫の口許に漂っている、微笑を逆様にしたようなへの字の微笑が見えた。昨夜の残りのオートミールと僅かに削ぎ残された鹿肉の肢骨が静かに置かれた。ヨーアヒムが謝絶してもやめない。燔祭に牡牛でも捧げるような、ばかに神妙な手続きが続いた。木食を貫いて来たヨーアヒムは頑なにこれを拒んで、樵夫が狩猟がてらに摘んで来る桑や苔桃だけを恭しく頂戴した。すると樵夫は無骨に笑う。この男はヨーアヒムが腰の革帯から下げている根付の、月桂冠に天秤宮をぶッ違えた紋章の意味を知っていた。男はまず紋章の位高さに驚いて見せた訳である。
「もしやとは思いますけども、あんたは頃刻『南嶺の聖』などと綽名される、巡礼のかたではござりますまいか」丁寧語を使い付けないこの男は、タメ口で構わんと何度言っても、翌朝にはまたこんな調子に戻った。
「なんだ、気付いていたのか」
「やはりそうでしたか」
「ひじりか否かはともかく、こうしてあんたに恵んで貰わんでは三日と持たない、あわれな托鉢僧には違いない」
「どうしてまたそう、自分の身体を苛めなさる?いつか山向こうの屑商がもたらした風聞だと、あんたを預言者の生まれ変わりだと申す者までおるそうですが」
「預言者?」ヨーアヒムの額が心做しか翳りを深めた。
「預言者だったらどんなによかろう。生きてきた甲斐があるってものだ……だが生憎、俺は生まれてこの方一度とて霊感に撃たれたこともない。聖霊の御影にお目に懸かったこともない。ただ敬虔を装ってそんな超越的なるものを求め続けてきただけだ。だがそれも、いい加減いやになったのさ。奴らは一向に姿を見せない」
「難しいことは手前どもは一向存じません。みんな食うのがやっとで、ローアン語聖典なんか一丁字も弁えませんで司祭さまのおっしゃる事をただ鵜呑みにするだけです。なにか身共のためになる言葉があれば説教のその部分だけでも諳んじて(何せ字も書けませんからな)、気に入らない奴がおればあの世では立場が逆転できるよう、恁う、祈るわけですわ。」
「それでいいのさ」ヨーアヒムは然しそれでは不服そうな仏頂面で云った。
「生活がまず第一で、八つ当たりのはけ口としみったれた希望と素敵に感傷的な涙に暮れられるあの懺悔室さえ営業しておれば、宗教の役割は充分なのさ。ただ……」
とまで云うと、彼は口を噤んだ。善良な男は生活以外の生活―――この時代では口にするだに噴飯ものの、内的生活を知らなさそうだ。
 ヨーアヒムの宗教は生活のためのそれでなく宗教のためのそれである。だから、生活に何の教訓も与えない彼の宗教観は、農民農奴の理解の外で、教界にとっては繋がれない悍馬のように持て余された。こよなく生活苦に追われている一人の癖に、彼の気高さが生活苦に思考をとどめておくことを許さない。物質的極貧に瀕しながら生活を軽蔑し、その先の、何だか不得要領な地平線のモヤモヤした夢ばかり眺めている彼の姿は、生活不能者か白痴か低能児かに間違えられた。然し、生活を快適にするのが文化芸術だ、と云う今流行りの啓蒙主義を聞くと彼は我慢がならない。芸術家と同じ経緯を辿って、この宗教家も常に生活に困っていた。

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