快活の哀しみ(5)

尾川喜三太 作

第五章 月下氷人

 凪の母、金子浜緒は一九六三年、昭和三十八年出生である。凪がこの浮萍な母親を反面教師にするならば、浜緒もまた同じ筆法を以てして退嬰の祖父を反面教師に發迹でたのである。実際この血統の不幸は、世代間の無理解を古い道徳律によつて裁くと云う世屯一般に負うところが大きい。だからこの三世代の性格は、時代精神の変遷をそのまま鋳型に移したように、卍巴に挑み合つていた。
 浜緒は祖父が三八歳の時に儲けた五番目の末子である。廿代で儲けた三男一女に比べ、身代世附いてのちの兒にはまた一層の愛情が注がれるべきだつたが、浜緒がその愛情の奥に祖父の退嬰を眼敏く探り当てていることが知れると、盆栽は素より、無機物との間に高い襯和を示す蒐集家の祖父は、屑然人間愛を断念して、この容易に馴れきこえない末子に負けじとうけはしげな一瞥を呉れた。
 第二次農地改革は一九四六年である。見渡す限り周田が継ぎはぎ状に当てられている庄内平野において、長男の祖父は都合八百立米と云う過分の相続に与ることができた。時に金子家長男の臆高きことと云えば比隣に聞こえが高かつた。例えば一九四五年の五月、T市上空をゆくりなくもB‐29三機が通過したことがあつた。無論警報は鳴らない。この機体は威力偵察のために一路長岡を目指し、凡そ一時間かけて町中を舐め回すように上空を旋回したが、折から駒ヶ岳一帯に生じた山岳波を懼れて、やむなく両羽方面に迂回したものである。六月から入営予定の金子家長男はこの時勤労動員で他所の田畠を耔つていた。さて轟音を伴つて機影が三箇、朝日岳を悠々と越えて現われた。他の学生は小手を翳して物珍しげにこれを見送つたが、ひとり金子家長男は代掻途中の泥濘んだ田面に四苦八苦しながら命が種と逐電をはじめた。学生達の注目は機影を離れてむしろこの男の動向に聚められた。まるで落雷に撃たれまいとして低所を窪地をと探したためか、この男は身自ら屎尿を湛えた野壺の中に渹と飛び込んだのである―――このお笑い種からついた綽名は畢生彼を窘しめたし、舎利骨灰となつた後まで彼について回ることだろう。ちなみに祖父の名は「濱治」である。頂戴した汚名は「ババっち」(屎っち或いはばっちいに通ずる)である。
 祖父はこの失敗を大いに恥じ、綽名で呼ばれることを怪我にも好まない。だが聚落の寄合や農事組合の中觴ともなると当座の花もがと「ババっち」の逸話は当然のごとく蒸し返された。虛さず祖父はこの小心者に似合わない胴謾声をあげて続きを制したものだが、所詮この男の誇りとは、常に周囲に証し続ければ足る種類のものであり、瞋恚の火傷を負つた自尊心、内心忸怩たるところなど聊かもなかつた。要するに、彼が盆栽を相手にしている時の挧々たる面持には、癒しがたい誇りの傷跡など薬にしたくもなかつたのである。
 食管体制に負んぶに抱っこで米作を続けた祖父の栄耀も長くは続かない。六七年以降、米がだぶつきはじめると、暮らし向きはむしろ解放農地を沽却なして匆々に分家した三男の方がはかどつた。三反歩の相続にしか与れなかつた三男は、その代わり宅地造成の見込みがある土地を擢つて早速幾許の金に換えると、今度はこれをT市が誘致した(株)高田シリコンの採用優待券を購う音物に充てたのである。後年、祖父は弟のこの深謀遠慮が憎さに彼を卑怯者よばわりしたし、弟は弟で兄の十年一日のごとき百姓生活と何だ彼んだ云つても土地を手放せない喁々たるところを、娘の浜緒に噛んで含めたのである。浜緒はこの盆正月ごとに帰つて来る叔父の云うことならなんでも鵜呑みにした。叔父の肩書にはすでに尤もらしい役柄が付いていたし、浜緒の好物である木村屋の栗最中を欠かさなかつたから。
 六十余州を席捲する「時代精神」が見出されたのも戦後までである。各界にはそれぞれ偶像がいて事実上公選された少人數がこれを担つており、自分免許の先覚者など出現する余地がなかつた。多様化ではなく一元化の世相である。してその求心性が他ならぬ一億玉砕精神の余勢であつたことは漸う注意力散漫になつた後世の発見である。そして何より、置いてけ堀を食わされた田舎縉紳の慍みは深かつた。
 戦争の経験は何も彼等の功績ではない。戦後世代は「珍獣」の名を以て揶揄され、戦争を知らない飽食の不道徳がまことしやかに喧伝されたが、本統の偉大とは、時世粧から精神的距離を保ちつゝ一個の大過去的な精神を営むことにあるのであつて、時代に要請されるがまゝに生きて来た人間ほど愚かなものはない。戦前世代が戦後に生を享けたとして彼等が果たして飽食の弊風から免れることが出来たろうか?
明治新政下の御用新聞のように、ヒッピームーブメントは半年遅れてこの東北の片田舎にも伝わつた。田舎者はせめて精神的にはオリンピック景気に湧く都人士らの顰みに倣おうと努め、土地成金が道楽で設置した広縁の白黒テレビに勝げて齧りついていた。それゆえ物理的な隔たりを無からしめるテレビ放送が一元化に果たした功績は大きい。殊にカラーテレビは衆目を一挙に駅頭や飾窓付近に収斂させたが、十年もしないうちに今度は乱反射を惹き起こしたのだつた。浜緒が幼少期に閲したセンセーションの中の最たるも、叔父の家で発見したカラーテレビであつた。テレビジョンに見入つている限り現実から彼女は遊離していた。それを前にして浜緒の眼界から早くも田舎は飛び去つて了い、時間も空間も手ん手ばらばらな夢の国から醒めてみると、こんな殺風景な粟散辺地に縛められている境遇が不当に思われた。
 浜緒には予定の慰めがない。予定を立て、栄達に至るまでの道程の足がかりとして現在をながめる打算家の慰藉を彼女は知らなかつた。それは現実を混雑させ、渋滞させるだけの余分な夾雑物でしかない。裏を返して云うと、彼女には生来瞬間を(時間の豊富に拘束されることなく)全的に享楽できる天賦の才があつた。而して幸福とは形而上に築くべき超時間性であり、思い出の裡、或いは一種の雰囲気の裡にこそ持続しうることを知るには、彼女の感性は余りに微視的であるため、享楽に関する天賦の才がやがて彼女の不幸の淵源ともなつた。
 文明の利器は、斯くして普遍的精神などと云う発想を持ち合わせない直接的な人間の人生を容易に狂わせる。映像が現実の一回性の重みを目の前で輘轢し続けていることに彼等は気付かない。現実は複雑に入り組んだものとなり、時あつて過去へと遡つたり未来へと跑足に急ぐこともあつた。瞬間的な感性の持ち主はこの現実の迷宮の中を思うに任せず彷徨する他ないのである。
 浜緒もまた例によつて現実の本姿が捉えられなくなつていた。自分はほんの処女のようでもあり、かたや年老いた母にも劣らない斑雜毛の老婆であるかのように自分を空想した。

快活の哀しみ(5)

快活の哀しみ(5)

金子家一統の系図、凪の母の生い立ち、少女時代の東京出奔といつしかの結婚―――家庭が空中分解する経緯と、凪が「結婚の模倣」を試みた真相までを追う過去篇。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • サスペンス
  • 青年向け
更新日
登録日 2019-06-02

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