Mariaの日記 -13-
ブログの更新が止まってから二週間が過ぎた。
それでも真理子は、毎朝「Mariaの日記」が更新されてないかを確認する。
更新の途絶えたブログを見ては思い煩い、溜息を吐く。いずれ課長は言い出すだろう、もう送り迎えは必要ないでしょうと。
その瞬間を、真理子は非常に恐れていた。
「……最近、元気が無いようですが何かありましたか?」
帰宅時の車中、表情の暗い真理子を案じて課長が声を掛けた。
「はい。なぜブログの更新が止まったんだろう? って、気になって……」
「辞令を渡した時、少々プレッシャーを掛けましたからね。今後のことで頭が一杯でブログどころでは無いのでしょう」
真理子は指折り数えた。
「あと一週間ですか……雨山さんの転勤まで」
「そうですね、今月末で異動ですから……はい着きましたよ」
真理子のアパート前で車が停まる。
「毎日、すみません。ありがとうございます」
御礼の言葉を述べて車を降りようとしたが、ドアレバーに手を伸ばしたところで動きを止めた。
「課長……あの……」
恐らくは、この関係は数日で終了するであろう。この事実が真理子を突き動かした。
「事件の解決は嬉しいのですが……課長と一緒に過ごす時間が無くなってしまうのは寂しいです……」
課長は真理子を見て微笑んだ。
「私のようなオジサンが常に傍にいたら大路さんに彼氏が出来なくなりますよ?」
「か、彼氏なんて……酷いです。私の気持ちを察して下さい……」
真理子は視線を伏せた。
課長の言葉は、自分を拒絶する意味であろうと取れたのだ。
雨山が移動となる最終日、送別会を兼ねての栄転祝いの会が開かれた。
送別会とはいえ退職ではなく異動であるため、社内会議室で缶ジュースを飲みながら少々のオードブルを摘まんで歓談するだけのささやかな会となった。
「か、課長を始め、皆さんには本当に御世話になりました。……えっと、新しい職場では、この支店で学んだことを存分に生かして頑張りたいと思います。最後に皆様の御健康と更なる御活躍をお祈りして御別れの挨拶と致します。本当に有難うございました」
雨山は挨拶を終えると、さも立派な偉業を成し得たような表情で社員を見回した。
「雨山さん、栄転おめでとうございます!」
若い社員の掛け声を合図に、他の社員も口々に祝いの言葉を叫んだ。
雨山は課長へと近づき頭を下げ、他の社員へも一人ずつに声を掛けて頭を下げた。
そして最後、パート社員である真理子の元に近づいてきた。
――こっち来ないでよ、気持ち悪い!
真理子は心の中で呟いたが、表面は笑顔で取り繕った。
「御世話になりました、大路さん」
真理子は何と返答しようか戸惑った。
だって真実を知っているのだ。雨山の昇進は、雨山自身の努力などでは無い。
課長が真理子の身を案じて講じた処置が「栄転」であっただけだ。
どうにも祝いの言葉を言うのは腹立たしくて、少々の台詞だけ述べた。
「……あの、こちらこそ御世話になりました」
そんな真理子に、雨山は小声で話しかけて来た。
「栄転する相手に対して掛ける言葉ってものがあるだろう。そんなことだから三十路間近なのに正社員になれないんだよ」
真理子は頭に血が昇っていくのを感じたが、冷静に言葉を返した。
「失礼しました。御栄転おめでとうございます。昇進に伴い御忙しくなるでしょうが御体に気を付けて頑張ってください」
雨山は鼻で笑った後、再び真理子を罵った。
「本心は俺が妬ましいだろ? お前もパートから正社員になれるよう努力しろよ」
雨山は小太りな体を揺らしながら笑った。
真理子は我慢の限界を感じて言い返した。
「何が努力よ! 卑怯者!!」
「は? 卑怯?」
「雨山さんの言う努力って他人をブログで馬鹿にすることなんですか?」
「……ブログ? 俺はブログなんてやってないけど?」
雨山は怪訝な表情を浮かべて真理子を見た。
「嘘つき!! 書いてるでしょ!!」
主任が雨山に声を掛けた。
「ツイッターのことじゃないか? 雨山、何か大路さんのこと書いたのか?」
「あぁ……ツイッターならやってますけど大路のことなんて書いてませんよ!」
雨山は真理子を睨みつけた。
「おい大路、変な言いがかり止めろよな。大体、ブログとツイッターの区別もつかないとか馬鹿じゃないか? そんなレベルの脳味噌だから正社員になれないんだよ!」
「ふざけないで!」
真理子は手を振り上げて雨山の頬を叩こうとしたが、課長に腕を掴まれて制止させられた。課長は雨山を叱責した。
「雨山! いい加減にしろ!!」
雨山は舌打ちをしてから課長へと抗議した。
「待って下さいよ、暴力振るおうとしたのは大路さんのほうですよ。どうして私が注意を受けるんですか?」
「私は贔屓などしていません。今の行為は雨山が挑発した結果だと判断します」
雨山は真理子を睨みつけた後、課長へと頭を下げて謝罪した。
「すみませんでした……」
数人の社員が溜息を吐き、栄転祝いの会は気まずい雰囲気のまま終了した。
Mariaの日記 -13-