北風(ならい)
波濤をかすめる海鳥のつばさが見えていた。
垂れこめる雨雲に、冷え閉じられた岬のはずれ。
屹立する陸の尽きて終わるところ。
痩せさらばえた荒磯に石混じりの波が寄せては返す。
霧に靄に霰に、陽の光は常に暗く。
鈍く張られた氷は溶け流れるすべなく。
ただ渺茫の原に淀みわだかまり。
吹きつのる北風(ならい)に、さらに凍てつく。
古い大戦の名残りは半ば朽ち、半ば壊れて。
猛る潮(うしお)に重く濡れるのだ。
迷彩の残る基礎を噛む波に、夕日は一時(いっとき)紅く。
茫漠たる大地に機銃の音はすでに絶えて。
鬼哭の声もなく。
今はもう、誰もいない。
打ちつける氷雨に気嵐(けあらし)が蠢く。
荒ぶ風の間に間に白く、いくつもの朦朧とした人型。
なぜか頭があり、胴体があり、腕が招くように見える不思議
よどむ海鳴りとくぐもるうねりの底から、『シキモウレイ』のように立ち上がる影。
颶風は甲高く人語に似て、潮は龍吟のままに宇久を叫ぶ。
泡立つ千尋(ちひろ)の深みに今日も平安の祈りを投げて。
時は神の如く峻厳の高みを往く。
おれは頭を上げ、喉いっぱいに詠うだろう。
見捨てられた命の哀しみを。
捨石となる者の崇高な決意と慟哭を。
亡き魂への追悼と哀惜を。
そしてアッツ島を。
識れ、刻め、称えよ。
心は今も蒼茫の海を渡る。
北風(ならい)