いかづち

いかづち

茸不思議小説です。縦書きでお読みください。

 時は1700年代後半、徳川十代将軍、家治の頃のお話でございます。
 江戸は人が増え、多いときには百万ともいわれ、世界でも屈指の大都会となりました。人々がそれだけ自由に楽しい生活ができた結果ということにもなるわけでございます。生まれる人が多いということは死ぬ人も多い。葬式がどこかで必ず行われておりました。
 仏教が定着していない頃には、神様にお命をあずけておりましたことから、亡骸は用のないもの、魂だけが大事にされ、それが宿るとされる墓はいつまでも供養されていたようでございます。ということは死体がそこになくてもかまわないわけで、埋める場所は別にあったということでございます。土葬でございます。
 江戸時代になりますと、お寺さんが浸透してくる。すると、墓と埋める場所が一緒になって参ります。それにしても人間一人を埋めるのにそれなりの場所が必要になります。
 長屋の誰かが死にますと、棺桶に入れ土の中に埋める。棺桶づくりは一つの商売として成り立っておりました。一方で侍が亡くなると細長い四角形の棺に入れて葬る。今の一般の棺(ひつぎ)でございます。円筒型の棺桶と長方形の棺とどちらの居心地がいいか。誰か試したことがあるのかどうか、そういう話しは聞いたことがありません。想像するにはしゃがんだままの格好より寝ている方が楽でございます。しかし復活、すなわち生き返るにはしゃがんでいた方が立ち上がりやすい、などと考える物好きもいることと思います。
 埋めるのには棺桶の方が深く掘らなければならないわけですが、場所は棺に比べてとりません。棺は広いところでないと埋めることができない。死んだ人の体は桶にしろ棺にしろ木の部屋ごとに朽ち土になっていくわけでございます。そのような入れ物が用意できない死人はそのまま土に埋められるわけでございます。
 
 ここは谷中。寺と墓地の町でございます。
 その年の夏はやけにむしむしと暑い日が続きました。いつもの年なら夕方前には入道雲が湧き出し、ごろごろぴかっとくると、ざーっと雨が降ります。するてえとすーっと一時涼しくなります。江戸っ子にとっちゃあそれがたまらない。暑さを一瞬忘れることができます。ところが今年はそれがありません。雲がかかり、稲光がするのですが雨が降らない。雷もごろごろとおとなしく横の光だけ。どしゃーんと落っこちてこないので、江戸っ子はなおさらむしむしと暑く感じます。日が落ちてもまだ暑い。それでも昼間より幾分涼しい。そこで隣同士が誘って夜のすずみに参ります。
 長屋から熊八と八五郎が近くにある茸寺の境内に夕涼みにまいりました。茸寺は本当の名前を深光寺と申します。寺の住職の天来和尚は秋になると、檀家衆と上野の森に茸を採りにいきまして、寺の本堂で茸鍋を行うという、無類の茸好きでございます。
 広い境内は風がよく通ります。長屋の縁台よりもすずしいので、和尚とも懇意にしている二人はよく利用します。ただ蚊には往生します。それで香取持参ですが、それがまた火事のもと、二人が夕涼みに来ていることに気付いた和尚さんはやかましく注意します。それはそのはず江戸ではしょっちゅう火事が起きております。
 二人は寺の入口の石段に腰掛けて、提灯の明かりでもってきた酒を酌み交わしております。
 「まだ蒸すね」
 「ここずーっとそうだ、いっそのことぴかっときてざーっと降ってくりゃ、涼しくなるだろうに」
 遠くの方で時々ぴかりと光りますがそれだけで終わってしまいます。
 熊八が団扇で足下をあおいで蚊を追い払います。
 ふと目を上げると寺の裏の方から、水色の玉がころころと転がって二人が腰掛けている本堂の入口めがけてやってきます。
 「おい、ありゃ、人魂じゃないか」
 「そうだよ逃げよう」
 二人が立ち上がって門の方に向かいますと人魂も追ってきます。
 「ひゃああ、走れ」
 二人は長屋まで一目さんで逃げ帰ったのでございます。
 「やなもんを見ちまったな」
 「そういえば和尚さんが言ってたじゃないか、五日前に若い女が葬られたってよ」
 「ああそうだ、屋敷町近くの大店の娘という話しだな」
 「長く患ってたんだってな」
 「かわいそうにな、これからだってのに」
 「だが、その娘の人魂じゃあないね」
 「どうしてだい」
 「墓に埋められた次かその次の夜に人魂はでるんだとよ」
 長屋にもどった二人は井戸の脇で夕涼みの続きをしております。
 「熊八は人魂を見たのは始めてかい」
 「ああ初めてだ、人魂と知らなきゃきれいと思うけどな」
 熊八はこの長屋に越してきてまだ三年目です。それまでは寺には縁のない大店の住み込みでしたが、持ち前の器用さから今は大工をしております。八五郎は年季の入った左官でございます。
 「俺はここにすんで十年、毎年いろんな人魂を見るよ、水色の奴は二度目だ、真っ赤な玉がふわふわ飛んだり、黄色っぽい炎のような奴がすーっと走ったり、いろいろあらあ、いつも誰かが埋葬された次あたりの夜だったな」
 「人魂は俺たちになにかするのかい」
 「なにもしない、時々今のように付いてきたりするが、人恋しさからだよ」
 「そんなもんか」
 そのとき曇った夜空にさらに真っ黒な雲が厚く覆ってきました。いきなり耳をつんざくような音がして、大きな光が走ったと思うと、茸寺の方から火柱があがりました。
 びりびりと体に雷を感じます。
 「お、こんな夜になってやっと雷様のお出ましか、それにしてもすごいね」
 また大きな稲光がして茸寺の方に火柱が立ちました。
 「みごとだね、だけど恐ろしいね、寺は大丈夫かな」
 「火の手が上がってないから大丈夫だよ、我々も家に入ろうや」
 「それじゃあおやすみ」
 八五郎と熊八が家の敷居をまたいだとたん、大粒の雨がざーっという音とともに落ちてまいります。
 あまりにも大きな雨音で周りの様子は全く聞こえない。二人とも蚊帳の中に入ると、布団の上でただ転がっておりました。
 雷のドシャ、どーん、ビリビリビリといった音が長屋に響きます。家に入ってから、六回も聞こえました。ということは八つの雷が近くに落ちたことになります。
 それもあっという間、雨の音が聞こえなくなり、雷の音もしなくなりました。久しぶりに羽目板の隙間から涼しい風が入ってまいります。二人ともまだ寝たわけではありません。蚊帳から這い出すと、戸を開けて外を見ます。屋根から雨の雫が落ちてきますが、暑さがおさまっています。雲の切れ目からは星が覗いています。
 どこかで火事でも起きていなけりゃいいが、と二人とも家から出て、井戸の脇にやってまいります。幸い半鐘の音も聞こえてまいりません。
 二人は少しばかりほっとして縁台に腰掛けました。
 「やっと涼しくなったなあ」
 「何日ぶりかね」
 「それにしてもすごい雷だったな」
 「うん、腹に響いたよ」
 「茸寺のほうに火柱が見えたな」
 「だけど火の手はあがらなかったから寺は大丈夫だ」
 「そうだな、木にでも落ちたのだろう」
 
 「いや、明日は仕事はねえよ」
 「俺もだ」
 二人とも仕事がないときには、なにか手伝って手間賃をかせぎます。
 「それじゃ、明日の朝、和尚さんのところに、雷見舞にでもいくか」
 「そうしよう」
 本当は仕事があったらまわしてもらうつもりです。たまに墓堀を頼まれることがあります。
 「さて、本当に寝るか」
 「これなら寝れそうだな、それじゃ、おやすみ」
 その夜は涼しくなったこともあり、二人ともぐっすりと寝ることができました。

 明くる朝、これも久しぶりに晴れ。空には雲一つありません。気持ちのよい風が吹いております。二人はそろって深光寺にまいります。
 「熊八と八五郎じゃないか、今日は仕事がないのかい」
 本堂を開け放して掃除をしていた和尚さんが、境内から中を覗いた二人に声をかけます。
 「いえね、昨日長屋から見てたら、稲光が走って火柱が寺のほうからあがったから大変なことになっているんだろうって、見舞いにきたんで」
 「そりゃありがとよ、また棺桶を埋める仕事をもらいにきたと思ったよ」
 「まあ。ちっとはあってる」
 「そうじゃろ」
 「だけど、何ともなかったみたいで、よかったなあ和尚さん」
 「お陰さまでな、寺の建物はだいじょうぶだったよ、だがな、裏にいってごらんよ」
 「墓のほうかい」
 この寺は、社屋は小さいが墓場はかなり広いものでした。というのもこの和尚さん、面倒見がよくて、ずいぶんたくさんの檀家がございました。
 二人して墓場の方にまわりますと、焦げ臭い匂いが漂ってまいります。
 広い墓場を見渡すと、いくつかの墓石が黒く焦げて転がっています。塔婆も燃えて倒れています。
 「こりゃ大変だ、雷は墓に落ちたんだね」
 「何度も火柱を見たものな、墓ばっかりに落ちたようだ」
 「何でだろうね、まわりにゃ寺もあるし、木だって大きいのがたくさん生えているのに墓石だけに落ちたんだ」
 「墓が好きな雷だね」
 そこに掃除を終えた天来和尚が出てきます。
 「ひどいものじゃろう、八つの墓が燃えちまった。
 「末広がりで縁起がいい」
 「なにを言ってるんじゃい、墓が倒れたのに縁起がいいも悪いもないじゃろう」
 「へえ」
 「それがなこの一月の間になくなった人の墓ばかりに落ちた、しかもみな女の墓だ」
 「女好きの雷だ」
 「それで、焦げちまった石を石屋に頼んでどかさなきゃならない、先ほど石屋に使いを出したんで、今日来るじゃろう」
 「新しい墓石を立てるまでどうするんで」
 「墓の敷地を広げてな、新らしい場所に八つの墓を建てることにした」
 「だけど、昔からの墓を動かすのは大変でしょうな」
 「ところがな、みな新たな檀家ばかりなのだよ」
 「へえ、するてえと、亡くなったその女の方たちの家にゃ今まで墓がなかったてわけですか」
 「そうなんだ、みな大層なお家だが、暖簾わけをされたり、理由があって本家から独立した方の家の女性たちでな、みな空いているところに作った新しい墓だったんだ、なぜ雷が新しい墓ばかりに落ちたのか分からんが、同じところにまた石を立てるより、気持ちを新たにしていただこうと、新たな場所にうつっていただくのだよ」
 「墓の持ち主はそれでいいって言っているわけで」
 「ああ、そうしてくれって言っている、寺の方ですべて行うことにしているのでな」
 「大層なもの入りになっちまいましたな」
 「仕方なかろう、それでな、今日中に埋めてある棺を堀だし、その場所に埋め直すつもりじゃ」
 「それを手伝えということで」
 「うむ、そうじゃ、そういうことには察しがいいことじゃわい」
 「手間賃はずんでくださいよ」
 「そうだな、一端埋めた棺を堀ださにゃならんから、そうしてやるよ」
 ということで二人はアルバイトにありついたわけでございます。
 「おまえさん方は、墓を掘りかえす前に新しい墓所を作ってもらう」
 「遠いところですかい」
 「いやこの墓地の北側をちょっと広げるだけだ、今は草が生えているから草むしりからはじめるのだよ」
 「なんだ草刈りもやって、穴も掘り、それから棺を移す、こりゃ重労働だ」
 二人はちょっと躊躇します。それを見逃さない和尚さん、うまくのせます。
 「確かにな、それでは昼飯はこちらで用意しよう」
 それだけでころりと二人はやる気になるのです。
 「わかりやんした」
 二人は草刈りをはじめました。
 まあ、八つの墓ですので一つの墓地が一坪とすると八坪、すなわち十六畳の草取りということになります。力のある二人のこと草刈りはさっさと終わり、棺を埋める穴掘りもさほど時間をとらないで終わってしまいます。昼までまだ間があります。
 「おお、早いな、それじゃ早い昼飯を用意しようかの」
 「へえ、なにを食わしてくれるんで」
 「竈のばあさんが握り飯を作ってくれる、まあ煮物などもたのもうかな」
 それを聞いた二人はなんだ、握り飯かという顔をしています。
 「葬式の余ったお酒などはたくさんあるんでやんしょ」
 「はは、仕事が終わった後にはたっぷりと飲ましてやろう」
 和尚さんもいける口です、しかし、さすがに昼からというわけには行きません、ぐっと我慢したわけでございます。
 さて飯がすんで棺を掘り出すというさんだんになりました。
 雷が落ちて黒くなった倒れた墓石は石屋がもう運び出しておりました。
 落ちた雷で土が撥ね飛ばされ、埋めてあった棺の蓋があらわになっております。それがどの墓も同じ状態、中には蓋が焦げて今にも崩れそうなものもありました。
 「あまり掘らなくてもとりだせるじゃろう」
 
 「そうっと持てば大丈夫じゃ、運ぶ時にはわしが読経をしながらついていく」
 二人は焦げた棺の周りを掘り土をどけました。焦げた匂いが漂ってきます。
 和尚さんの指図に従って、二人は棺に回した縄に棒を通すとかつぎ上げました。
 二人が歩き始めると和尚さんはお経を唱え始めました。
 「そこに、段差がある、気をつけなさい、落すでないぞ」
 和尚さんがそう言った矢先、前を担いでいた八五郎が小石につまずきました。
 棺が地面に落っこちると蓋がパンとはずれました。
 中の死人が丸見えになる。
 二人がそれを見て、「ぎゃー」と叫んだ。
 「これ、気をつけて運ばねばだめと言ったばかりじゃないか」
 ところが和尚さんも中を覗くと、やっぱりギクッと目をそらした。
 棺には白装束のまだ二十歳にならない娘の躯が横たわっていたのですが、顔や手や足から装束を破って何本もの茸が生えています。
 目玉から真っ赤な茸が、鼻の穴から黄色い茸が、口からはどすんとした太い黒い茸が生えている。耳からは白い茸です。
 「これはどうしたことだ、なみあむだぶつ」
 和尚さんがお経を唱えます。
 「雷は茸を生やすと言うぜ、和尚」
 熊八が言いますと八五郎もうなずきます。
 「ともかく、蓋をして運んでおくれ」
 和尚の指図でこわごわ二人は蓋を閉め改めて縄を回します。
 新しい墓所にまいりますと、棺を掘った穴の脇に置きました。同じように残りの七つの棺も運んできました。八つの焦げた棺が、新しく掘られた穴の前にならびました。
 「これから、読経をする、それから埋めておくれ」
 「へえ、だけど和尚さん、あのご遺体の茸はなんでやんしょ」
 「わからんが、腐り始めた死体につく茸かもしれんな」
 「俺たちも死んだら、棺桶の中で茸におそわれるのか」
 「いやそんなことはない、事情があり、亡くなって少したった棺の中のご遺体を拝見したことがあるが、そのようなことはなかった」
 「そうすると、あの茸はやっぱり雷のせいですかい」
 「そんなことはないだろう、そうだったら他のご遺体もみんな茸が生えていることになる」
 「見てみますかい」
 「よしなさい」
 「いや、はっきりさせたい気もするね」
 「あんなに気味悪がっていたじゃないか」
 「茸が生えたご遺体ははじめてでしたからね、もう慣れやした」
 「ちょいとのぞいてみましょうや」
 熊八も八五郎もその気になっております。
 「和尚さん、こげた蓋は取り替えた方がよかないかね」
 「それだけじゃねえでしょ、新しい墓穴に埋めるのだから、蓋を開けて念仏を唱えて差し上げたほうがよかないですか、雷でびっくりなさったでしょう、もう大丈夫です無事に冥土に旅たちますようにってね」
 和尚さんもそれを聞いて頷きます。
 「お前達の言う通りじゃ、わしもうかつだった、寺に置いてある棺から蓋だけもってきて取り替えておくれ、」
 二人はすぐに寺から蓋をそろえてもってまいりました。
 「さて蓋をあけておくれ」
 和尚さんが読経をはじめます。
 二人は棺の焦げた蓋をどかしていきました。
 一番目の棺のご遺体はすでに分かっております。茸がからだから生えているのです。二番目の棺を開けます。
 するとやはり女性の顔やからだから色とりどりの茸がはえているではありませんか。三番目も四番目も、すべての棺の中のご遺体に茸が生えていたのです。
 茸がにょきにょき生えたご遺体は気味悪いというよりも、哀れな姿に二人はあぜんとなりました。
 和尚さんはながながと念仏を唱えます。
 「茸が生えて、さぞくるしいことでございましょうな、なにとぞご成仏を、なむあみだぶつなみあみだぶつ」
 和尚さんは一人一人の前で丁寧に念仏を唱え、熊八と八五郎も手を合わせます。
 「さあ、もう一度きちんと蓋をしてくれ」
 二人は手なれた様子で元のように蓋を打ち付け、見栄え良い棺にいたしました。
 「それでは、埋めておくれ」
 ということで棺は穴に埋められ、摩訶不思議な第二の埋葬が行なわれたのでした。

 終わった後は和尚さんに促され、二人は銭湯に行ってからだを洗い、寺の本堂で、和尚さんとお清めということになりました。葬式の後の残った酒がたくさんあります。つまみは煮干し。
 むしむしと蒸しかえしてきた夕方、こんなところで酒を飲んでいるのが知れると面倒と本堂の入口を閉めました。
 「あの八人は成仏してくれるかね」
 「雷なんかに打たれちまってかわいそうだね」
 「どうじゃろうの、それが良かったことか、悪かったことかわしらには分からぬな」
 「和尚の念仏で成仏なすったに違いないよ」
 「そうだよ」
 「あの八人の墓ができたら一緒に葬式をやることになっている」
 「それならそれまでは成仏できないね」
 「そうかもしれないの」
 となんやかや言いながら三人は酒盛りを始めました。
 「こりゃうまい酒だね、いつの葬式の残りだい」
 「一昨日の葬式は盛大でしたよ」
 「どなたが亡くなったんで」
 「着物問屋の九兵さんだ、八十八でしたよ」
 「あ、あの大店のじいさん、えれえ人だと聞いてるね、努力して一代で大きな店にしたそうな」
 「だから人が集まりましたよ、この寺にゃ入りきらなくて、脇道に溢れたよ」
 「おい、熊八、昨日の人魂はその爺さんかもしれねえな」
 「きっとそうだな」
 「何か見たのかい」
 「昨日雷の前に寺の境内で涼んでいましたらね、水色の玉が墓の方からコロコロと追っかけてきたんで」
 「そんなことがあったのかい」
 「和尚さん、人魂はなんででるのですかい」
 「ああ、冥土に旅たつ前に、今まで住んでいたところをもう一度見たいためじゃよ」
 「だが、追いかけられた」
 「境内で何をしていたんだね」
 「へえ、酒をちょっと」
 「それじゃよ、九兵さんは酒が好きだったから」
 「へえ、そうなんで、それを知ってりゃ飲ましてやるんだったな」
 熊八がちょっと気になることを言いました。
 「だけど、なんで、じいさんには雷が落ちなかったのだろう」
 「そういえばそうだね、女ばっかり」
 「本当だね、雷で棺の中の遺体に茸が生えるなんてのも不思議だが」
 「何か理由でもありますかね」
 「わからんが、偶然にしても八人とも茸だからなあ」
 「和尚さんはその女たちどうして死んだか知ってるんでしょう」
 「知っておる、みな病じゃよ」
 「茸が生える病気じゃなかったんですかい」
 「そのようなものではない、胸を悪くしたり、風邪をこじらしたり、違う病気じゃ」
 「若い娘か、もっと生きたかったでしょうなあ」
 「そう思うけどな」
 「それで雷を呼んだんじゃないですか」
 「女の死体が雷をよんだのか、確かにな、しかし茸が生えたことは説明にならんな」
 酒を飲みながら、三人はそんな話をしております。
 酒もだいぶ進んだ頃、本堂の入口の戸がぎしぎしと音を立てて軋みはじめました。
 「なんだろうね、風でも出てきたのかね」
 「昨日の夕方と同じで雨が降るかもしれませんね」
 「あの娘たちは嫁にいきたかったでしょね」
 「ああ、縁談がまとまっていた子もいたな」
 「かわいそうにな」
 酒はたくさんありましたがつまみがなくなりました。
 「和尚さん、酒だけではちょっと物足りないね」
 本堂の戸がどんどんとたたかれました。
 「誰かいるようだ、開けてみておくれ」
 和尚さんの声で、熊八が本堂の閂を抜くと、生ぬるい風がぴゅーっと入ってまいりました。しかし人の姿はありません。暗い中に薄く光る玉が浮かんでいます。
 「ヒャ、人魂がいる」
 熊八はあわてて扉を閉めました。
 「なに人魂とな、もしやもすると今日改めて埋めた八人の人魂かも知れぬな」
 和尚様は扉の方に向かって手をあわせます。
 熊八が酒の席にもどりますと、閉めたはずの扉が音もなく開きました。
あっと、みなが入口を見ると、人影が現われました。
 「誰だい」和尚さんが声をかけます。
 人影は一人、二人、三人、四人、五人、六人、七人、八人と増えてまいります。ゆっくりとゆっくりとお堂に入り前に進んでまいります。
 「あ、足がないよ」
 八五郎が縮み上がっています。
 八人の影は三人の前に立ちますと、霧が晴れるようにすーっと姿が露わになってまいりました。
 「っきゃ」
 熊八が声を殺しています。
 八人は白帷子を着た足のない死体になりました。顔には色とりどりの大きな茸が生え、からだからも帷子を突き破って茸が生えています。
 茸をはやした死体たちが三人の前に立って、いや浮かんでいるのです。
 和尚さまがとなえます。
 「なあみあみだぶつ」
 二人も手を合わせます。
 死体の一人が進み出て三人に言いました。
 「お情けをいただきありがとうございます、新しい墓地に埋めていただいたおかげで、茸もさらに立派に育ちました。お礼を言いにまいりました」
 熊八が気丈にも返事をしました。
 「あ、ありがとさんで、ど、どうでえしょうか、み、みなさまも一緒にお酒など」
 「おやさしいことです、土の中で、箱の中で考えるのは、まだこの世のこと、八人の中にはまだ酒など飲んだことのない者もおります、一献いただけますとあの世にまいりましても、良い思いでとなることでございましょう」
 和尚さまそれを聞いて、死人の気持ちが少し分かりました。
 「どうぞ、気楽にお座りになって、おい二人で座布団とっといで」
 熊八と八五郎はあわてて立ち上がると、本堂の隅に積んであった座布団を八つ持ってまいります。
 それを並べている時に、和尚さまは湯飲み茶碗を用意いたします。
 「どうぞ遠慮なさらずに」
 八人の死体は座布団の上に座ります。
 熊八と八五郎はやっと死体の顔をしっかり見ることができました。茸が生えているがどの女人もなかなかの美人。
 八人の死体は座布団の上に横すわりになっていますが足が見えません。そこで二人は美人の足も見たいと思っていると、八人の死体に足が現れてまいります。これでやっと人間、と二人は安堵します。
 「ささ、どうぞどうぞ、和尚さまが自から死体の茶碗に酒を満たします」
 「和尚様、わたしどもの葬式ではありがたいお経をありがとう存じました、ときどき読み飛ばされてはおりましたが、私どもには浸み通るありがたいものでした」
 和尚さまはお経を読んでいる時、文を忘れることがあります。
 「いや、それは失礼をばいたしました、さ、さどうぞ」
 死体は茶碗の酒をちょいと飲みます。
 「私ははじめて頂きます、甘くて美味しい、体が温かくなります」
 死体の蒼白い顔がほんのちょっと赤みが差します。
 生きている頃はさぞきれいな女人だったろうと思われます。冷たい死体が暖かくなったらどうなるのだろう。などと熊八は考えておりました。
 「ところで、なぜ、八人のみなさんに雷が落ちたんでしょうかね」
 八五郎が尋ねます。
 「今年は蒸し暑く、土の中の棺からなぜか魂が外に出られない、それで雷様に頼んだところ、いかずちを落としてくださいました」
 「てっきり、雷は女好きかと思ったね」
 「ほほほ、いかずちさまは女にございますよ」
 そう言った死体は茶碗の酒を一気にあけました。
 「ささ、どうぞどうぞ」
 和尚さまが酌に回ります。死体の顔が赤らんできます。
 「つまみがなくて申し訳ありませんな」
 和尚さまが言った時、一人の死体から茸がぽろぽろと床に落ちました。続いてみんなのからだからも茸が下に落ちました。
 死体はどの女性たちもみな見目麗しい形になりました。
 「この茸、お食べになってくださいまし」
 死体の女が三人に勧めます。
 そう言われてもなかなかその気になりません。
 和尚さまが「生で食うたことがありませんでな」と申しますと、
 「この茸は生が一番美味しいそうでございます、死体から魂が抜け出る通り道をふさいでいたもの、お酒でからだが温まりましたら、落ちてきました、もう用のないもの、お召し上がりくださいまし」
 そうですか、それではいただきます、おい熊八、落ちている茸を集めなさい」
 集まった茸は赤、黄、青、紫、白、黒、緑、橙の色とりどりの傘をもっています。普通に生えていたら食べるということはありません。みな毒茸に見えます。
 「さ、さ、遠慮せずに」
 和尚様が意を決して、「ありがたくちょうだいします」と口にします。
 「これは旨い」
 二人も手に取りました。
 「ほんとに、うめえ、今まで食べたことのある食べ物の中で一番だ」
 熊八が叫びます。
 八人の美女が酒を三人の茶碗につぎます。
 酒はうまいし女はきれい。おまけにつまみの茸も旨い。和尚さま、熊八、熊五郎、ありったけの酒を飲み干し、死体から落ちた茸を食べてしまいました。
 茸が落ちた死んだ女たちは、ほんのりと赤い顔をして、すっきりと立ち上がった。
 「これで冥土に参れます、ありがとうございました」
 女は本堂から次々と外に出てまいります。
 本堂の戸がぎぎぎと閉まると、本堂が蒸し暑くなってきます。
 たっぷり死人の茸を食べ、たっぷり飲んだ三人はもうなにもわからずに返事もせずに寝入ってしまいました。

 さて次の朝、新しい墓石を建てる相談のため、寺にきた石屋が首をかしげました。本堂が閉まっていたのです。いつもですと早起きの和尚さまは本堂の掃除をなさっています。
 おかしいと、石屋の頭領が本堂の扉をこじあけますと、なんと本堂のお釈迦様の前で、和尚さま、熊八、八五郎の三人はからだから色とりどりの茸をたくさん生やして、死んでいたのでした。
 石屋が裏の墓に行ってみますと、朝にもかかわらず、新たに棺が埋められたところから、赤、黄、白、橙、紫、黒、青、緑、八つの人魂が飛び出して行くところでした。
 

いかづち

いかづち

江戸の谷中、雷が墓場に落ちた。新たに埋葬された棺の中の死人に茸が生える。

  • 小説
  • 短編
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-05-31

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著作権法内での利用のみを許可します。

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