電脳狂騒的仮想敵。
電脳空間では、二重の生活がなされ、繰り広げられた。だれもが仮想敵肉体“アバター”としてのもう一人の自分をもち、そこでは身体の特徴さえ、単なる電子的な記号か電磁波のなみと、やがてコンピューターに処理され収束する明滅にすぎなかった。電脳空間では彼は指導者だった。指導者は私的なものの発信だけでもてはやされ、ときに時代の旗印としてただ印象に残るだけでの意味をもつ。だからこそ彼は退屈だった。
「うむ、いつになったら、私の本心に気付くものが現れるのだろう、平穏はやはり、いささか退屈」
彼は祭りをつくった、そしてその祭りは、様々な生産物と産業と経済に新しい影響を及ぼした。資本家、資産家は彼の動向に注目していた。一方で彼も、また彼を支援するものも、恐れを抱いていた。その恐れは、仮想敵がいつか彼を襲うのではないかという、自意識過剰的。被害妄想だ。電脳世界での生活は、現実を模倣するがまさしくそのものといったていは排除していた。例えばサブカルチャの創作者がそのまま現実で意味のある言葉をはき、現実を変える事ができるか?といえばそれは甚だ疑問であり、単にそれは夢を与えるという事において強味をもっていたとしても、実際に夢を作る事について技能や才能がたけているかという事は別問題なのだ。餅は餅屋という事になる。
彼は大きな船をもった。船の名前はコーヒーカップ号、ちゃらんぽらんな名前にも意味があって、彼は世の中の迷える子羊たちを舌鋒鋭く論破する。それによって彼は“勝利者”ともてはやされ、時折おとずれる傍若無人な態度や、心の中の闇さえも、まるでそれが“舞台役者の華”であるかのように人々に受け入れられ、恍惚の表情を向けられる、恍惚とは、麻痺にもにている。彼は世界を練り歩き、そういう風に自分の言葉と考えや哲学によって人々を恍惚とした彼の【世界観】に招き入れ、一世代の文化をつくった。
その旗印は、トンビの模様を描いていた。彼は仮想空間にて、地球に瓜二つな世界上において、海賊を名乗った。といっても過去現実で語り継がれたような悪党としての海賊ではなく、礼儀ただしい、サブカルチャーの立役者としての人々にあこがれるような善意の海賊だ。ここでもすでに善と悪という観念には矛盾が生まれている。けれど人々は、悪は向こうからやってきて、正義は自分の中にあると信じているから、その矛盾がどんな意味を持つかも理解はできない。彼の戦場はもっぱら海である、なぜなら実際の生活に縛られることのない、華やかな生活と、自分の性分があまりに合致したからなのだ。自由と、自由をもとにした大義名分の宝探しは人々の羨望の的となった。
(さあ、碇をあげろ、全速前進、出発だ帆をはれ、次の宝を目指して出発だ!!)
いつしか彼は表向きの華やかな人気と離れて、いくつかの陰謀説を信じるようになった。陰謀説は、陰謀説に関わるあらゆる人間をとおざけた。彼は表むきの人気とは別に、心の孤立を深めていった。仮想・電脳世界の生活は、未だに中世の暮らしをしていたのだった、なぜなら過去にはロマンがある。
別の電脳空間もあるが、その世代にはやったのは、中世の生活と暮らしだ。人々も、彼も知識も中世を求め、人々も中世の暮らしを探求した。しかしやはり誰もが現実に生きる人々だから、いさかい、もめごとは耐えなかった。そこで彼の口はうまくまわった、いままでのどのような暮らしの口ぶりよりも、うまくまわった。人をだまし、騙す事で騙された人々が喜び、新しい生活の活気を蓄えるほどに彼のしゃべりはうまかった。彼が人気となったのは何よりも、中世には専制政治が多かったので、彼の自由さと専制政治は対比されたのだ。
「私は、人気もののはずだ、この人気は永遠に続くものだ、ほら、みてごらん、世の中の私の人気を支持するものすべてが、私の名前が後世に語り継がれていく事を確信し、恍惚とした目を私にむける、だから私は私の好きな本を紹介し、私の愛する歌をひろめ、私の愛する牧歌的な生活や、それに反するロックンロールを発信する、ほら、皆私に従え、それこそがこの世の真理だ、私はすべてを理解した」
一方で、彼には愛人がいた、愛人だけが、本当の現実の夫婦よりも何よりも意味があった。周囲も世間もそれをうけいれていたけれども、愛人も本当の妻も、その話題について触れるのを禁じた。何よりもそんなものは子供の遊びにすぎないのである。しかし彼は愛人にだけは打ち明けた、なによりその話題が汚い話題であるからこそうちあけた。まるで表舞台で話すにはふさわしくないある恐怖についてである。
【私は、世の中に賞賛されると、その反面で、いつかそれが私に牙を向ける事を恐れ、身の回りのすべてが敵のように感じてしまう】
彼は臆病だった、仮想世界のパパラッチさえも猛烈に批判した。
表向きの人気と、裏の自分の姿、その乖離を夢想するたびに、現実の人々が仮想現実で、自分が化粧をして、その化粧をした先の下駄をはかされた自分のアバターと自分の栄誉に賞賛を与える事に、ひとつの乖離と脆弱性を感じていた。それらは、単にプログラムやエラー人的エラーといったものではない。
彼は夜な夜な繰り広げられる睡眠や、通勤時間のときに、キャプテン・ハリとして世界中を旅して、隠された宝を探しだす、その痛快な語り口や、人々に語る彼の信念、そして彼とともに熱い未来を語る相棒、それらの生活がハリボテであることをどこかで自覚している、だから呼吸のたびに時折現実返されるたびに、飽きれるのだ、彼は現実世界では、キャプテン・ハリではなかった。
(私はいつでも電脳空間にいたい、私はつまり、現実というハリボテにもどされたくないのだ、私の栄光が電脳空間の上で誠実で緻密で、確かであればあるほど現実との落差におそれおののき、いずれ人々が自分のこのハリボテの栄光に気づいてしまうときが、私の未来が予測されるときだと感じる、そう、都市伝説的な、強迫観念に襲われ、私の神経と心理症状は敵を作り出してしまうのだ)
【敵はどこにいるのだろう、私を賞賛しないものの中にいるのだろうか、人の心を覗けないのだろうか、私は一度未来へいって、その他の人々を過去しとどめておくことはできないのでろうか?】
彼のマニアは、彼の手法を真似した。いつでも仮想敵を見つけては批判し、しかしその批判の手法とは、単に破壊にすぎなく、歴史的な感覚も、構造的な説明もなく、単に破壊にすぎなかった。いつしか、彼の手段は過激になった。パパラッチも完全に禁じてしまい、公に彼を悪くいうものはいなくなった。それが最後だった、確かに彼の人気は薄れていった。ハリボテは、裏側から崩れた。それまでの味方こそが、敵になった。組織は解体された、何がおこったのか、言うまでもなかった。三角頭巾の相棒とうたわれた海の盗賊の一味である。
【彼は独断がすぎるのだ、なぜ独断がすぎるのか、わからないのだろう、この世の中はすべてバランスが保たれている、彼の人気は確かなものだったが、それはバランスを破壊する人気でもあった、中世の中で自由気ままにいきる電脳世界の生活もいいだろう、けれど世界を敵にまわして、均衡のとれている事をバランスを破壊するという事は、その粗や問題というのは、実際に目の前に現れてしまうのだ、秩序が、システムが、組織が、それ自体が軋轢み、やがて盤石な姿勢は崩れる事になる、専制的な独善的な人々と彼自身の手によって】
この話は、彼の部下でありもっとも信頼した二本の腕の海賊団サブリーダー、トマスの言葉だった。
電脳狂騒的仮想敵。