Bee dance

 シャープペンシルをクルリとまわす。右手の指が軽やかに動き再びシャープペンシルが回転した。彼女は頬杖をついてシャープペンシルをいじっている。授業なんて聞いちゃいない。はっきりとわかった。退屈そうだったからだ。
 窓から1匹の蜂が入ってきた。ミツバチなのかスズメバチなのか、いや、おそらく、どちらでもない模様の蜂が教室の中に侵入した。1人の女生徒が蜂を見つけた。ポカンと口を開いた後に大砲のように叫んだ。その声によって他の生徒たちも気づき、たじろいでしまう。英語の教師もチョークを止めて叫んだ。女の教師だった。教室の中で一番、大きな叫び声だったので隣の隣の教室まで響き渡った。生徒たちは蜂を指さしながら恐ろしい形相と、恐ろしい言葉を重ねて教室から逃げ出した。すると、どうしてであろうか、一瞬にして他の教室にも情報が伝わったらしく各教室、各学年の生徒たちは一目散に教室から飛び出した。校舎からは騒音のベルが鳴った。緊急事態の警報だった。黒板の上にセットされているスピーカーからも避難の放送がガンガンと鳴った。スピーカーは衝撃で洗濯機のように振動した。
だが1人だけ、席に座ったままシャープペンシルをクルリとまわした。彼女だった。それに退屈そうに、まだ、頬杖をついていた。僕は教室の扉の前で立って彼女を見ていた。だから近づいて聞いてみた。「どうして君は逃げないの?」
「今日ね。晩御飯がビーフシチューなの」
 彼女はクルクルとシャープペンシルを回しながら答えた。僕は目をパチクリと動かした。
「本当はクリームシチューの予定だったの。でも妹がビーフシチューがいいってゴネた結果、クリームシチューはおじゃんになったの。先月から、楽しみにしていたのよワタシ。それなのにこのザマ。ああ、ほんとうクソったれのオタマジャクシって感じよね」
「だから逃げないっていうの?」
「ええ。そうよ。悪い? こっちは世紀末並みにナイーブな気持ちなの。学校をサボって公園で昼寝していたい気分なのに、アルファベットのお勉強をするなんて言葉で言い表せないほどにクレイジーよ。いいかしら? シャープペンシルを回していないと自分を保てられないの。それでクルクルと回転させているの」
 彼女はそう言ってシャープペンシル半回転させた。彼女の言葉を聞いた後に教壇の上で羽根休めしている蜂を眺めた。黄色と黒のシマシマの奴だった。触覚だけがウヨウヨと動いていた。
「でも蜂は危ない」
 僕は言った。
「ただの蜂じゃない。おしりにシャープペンシルよりも細い針があるだけでしょ?」
「そうだよ。それで、シャープペンシルよりも細い針に刺されたら痛いだろ?」
「痛くなんかないわ」
「痛いさ。君は強がってるけどね」
「強がってなんかいないわ。ただクリームシチューが恋しいだけ」
「オーケー。わかった。それなら、今日生きて帰れたら僕からも君の母親に頼んでみるよ。今日の夕ご飯はクリームシチューにして下さいって。君の母親が首を縦に振るまでは僕はそこから去らない。絶対、説得する。ついでにクリームシチューにはアサリも入れてくださいって頼む」
 彼女は僕の言葉に笑って言う。
「あら素敵。ワタシ、アサリって好き。だってたまに、砂が入ってるじゃない。ガリって、あの不快感がいいのよね。それじゃあ、約束よ。貴方がワタシのママにクリームシチューに献立を変更するまで説得するのよ」
 彼女は椅子から立ち上がり背筋を伸ばして深呼吸した。さっきと違って明るい表情になっている。スピーカーのサイレンは止まる。急に静かになったのでイヤに気持ち悪く感じた。
「よかった。それじゃあ、教室から出ようか?」
 僕は右手を差し出して言った。しかし彼女は首を横に振った。
「誰も居ない教室。この時間帯に。とてもワクワクしないかしら?」
「全然。ちっとも」
 僕は答えた。
「あら残念」
 彼女は僕の顔を見ないで答えた。そう言って机の上に置いてあったスマートフォンを取り出し、タッチして音楽を鳴らした。ジャズだった。
何故? 音楽を鳴らすのか僕には理解ができず、ただ、これから彼女が起こす光景を見ていた。彼女は壁に映った自分の黒い影にお辞儀してスカートを片手で軽く持ち上げた。それから影と一緒にダンスを始めた。軽やかなステップを踏んだ。黒い影もステップを踏んだ。両手も柔らかく動いた。僕は息を飲んでその2人の見事なダンスを見続けていた。ジャズのテンポに合わせて身体を回転させた。彼女の髪の毛と制服がふわりと宙で舞った。次に影を見ると影はスラリと高く成長していた。それに加えてお洒落なタキシードを身に着けていて、凄くカッコよかった。彼は僕に向かってゆっくりと手を振った後に彼女をリードし、楽しそうにダンスを行い始めた。
 教壇の上で息を殺している蜂は、僕が生まれる前に絶滅したと聞いた。いや、正確には絶滅させたと習った。南極大陸で新種の蜂が確認された。その蜂はとても凶暴で、とても強い毒性のある針を持っていた。南極大陸で捕獲された蜂は人の手によって繁殖した。その後、或る大学で実験の最中に逃げ出した1匹の蜂は他の種類の蜂と交配して世界中に広がった。この類の蜂に刺された人は重い中毒になって苦しんだ。もちろん僕が今、すんでいる街にも影響はあった。それで蜂という蜂は種類関係なく駆除された。だから、この世界には蜂はいない。僕は生まれたこのかた、ハチミツなんてものも食べたことはない。おそろしく甘くて美味しくてカレーにも入れていた。と聞いた事しかない。ため息を吐いた後、僕はその絶滅した筈の蜂を見た。あの蜂は僕を刺すのだろうか? そうすれば僕は中毒になって彼女とダンスを踊るんだろうか? 教科書には蜂に刺された患者は死ぬまでダンスをしたって書かれていたけど。彼女はクルリと回転した。僕も続いて回転した。彼女は僕に近づいてお辞儀した。僕もお辞儀して彼女の手を取った。2人でダンスを踊った。僕は下手くそだったけど、彼女はとても上手かった。
肉体は無かった。黒い影は2つあった。羽根音はまだ聞こえない。

Bee dance

Bee dance

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 青春
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-05-28

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