恥ずかしがり屋と誤解

閃光


 物心ついたころから恥ずかしがり屋だった。

 最初にその性質を表したのは私がまだ三つの時で、私はその頃の自分がどんな子供だったのかを覚えてはいない。

 母親が言うには、どこに行くにも母親の後ろに隠れるようについて歩き、近所の住人に母親が話しかけられると、その会話の矛先が自分へ向けられるのを予見するかのように母親の足にしがみついていたとのことだ。そのぐらいの年齢の子であればある程度の自我が芽生えて他者に対するいわゆる壁のようなモノを作り出すことが珍しくはないことを、三女である私を育てる母は知っていたので、特に気にすることはなかったらしい。

 しかし、そんな私が小学校に入学し二年が経った頃、母親のその認識は少しずつ崩れていったということを、後に母親から聞かされる機会があった。小学三年生になるとクラス替えが行われた。小さい頃から人見知りだった私にも毎日顔を合わせるうちに何人かの友達と呼んでもいい存在ができていたこともあり、二年生の春休みには新学期早々に行われる好ましくないイベントに憂鬱な気分になっていた。

 クラス替えの結果はと言えば、片手の指を持て余すほどの人数しかいなかった友人たちは二つしかないクラスのうちの私とは違う方に割り振られることとなった。

 その後、恥ずかしがり屋という悪条件に加えクラス替えの結果による落胆から、新しいクラスの面々と話すことも殆どなく、そのまま夏休みを迎えることになった。

 私の過ごした夏休みは一般に語られるような楽しいものではなく、プールに行ったり、花火をしたり、キャンプに行ったり、そういったステレオタイプな思い出の一切を欠いていた。
何をするでもなく朝から晩まで家の中で過ごす私を見て、母親はいよいよ危機感を持ったとのことだ。

 そんな灰色の夏休みのある朝、同じクラスの女の子(仮にA子としておこう)が私を訪ねてうちにやってきた。母親に呼ばれ玄関先に向かうと、小学校に通学する時に持たされていた学校指定の黄色い手提げ袋を片手に持ち、麦わら帽子を被ったA子が立っていた。寝癖だらけの髪の私を見てA子は控えめに笑いながら、宿題を教えてほしいと言った。

 私はなぜほとんど話したこともない彼女が私の家の場所を知っているのか疑問に感じながらも、わざわざ酷暑の中我が家までやってきたA子をぞんざいに扱うこともできず、とりあえず私の部屋に通すことにした。

 私の部屋に入り麦わら帽子を取ると、彼女の前髪は汗にぬれて額にくっついていた。A子は手提げ袋からタオルハンカチを取り出し顔の汗を拭くと、水筒の水をごくごくと飲み始めた。今日はね、本当は宿題を教えて欲しくて来たわけじゃないんだ。無邪気な笑みを浮かべそう言う彼女の両の頬には可愛らしいえくぼができていた。

 彼女は黄色い手提げ袋からA4サイズの大学ノートを取り出し、中ほどのページを開いて私に見せた。
そのページには見覚えのある名前が丁寧な文字で書かれており、それぞれの名前の横には丸やバツ、二重丸などの記号がつけられていた。

 ――これ、なんだと思う?

 笑いながら問いかけるA子に困惑を隠せず、またどのような反応を彼女から求められているのか見当がつかずに、無表情でそのノートの内容を眺めていた。
これはね、新しいクラスの人達の中にあんまり話したことが無い人もいるなって思って作った表なの。丸がたまに話す人で、二重丸はよくおしゃべりをする子たち。でね、バツがまだちゃんと話したことが無い人たちなんだ。

 よく見ると私の名前の横にはバツの印がついていた。気付いた?バツがついてるでしょ?だから今日はU子ちゃん(とさせてもらおう)の家まで来たんだよ。
彼女の言っていることを理解することはできた。恐らくA子はみんなと仲良くなってみんなで楽しい学校生活を送ろうなどという学級委員長的な思考と使命感を胸に私の家までやってきたのだろう。

 A子の行動に対する疑問が消えたところで、私は元来的な私の思考を取り戻した。
いつもならば一人で居るはずの自室に殆ど話したこともない人が存在している。その事実が私から言葉を奪った。いや、正確に言えば言葉は奪われてはいなかった。胸から湧き出す言葉が口の中に溜まっていった、という表現の方がしっくりくるかもしれない。

 そんな状況でなんとか絞り出した言葉は、宿題をやらなきゃ、という一言であった。A子の手提げ袋に夏休みの宿題が入っていないことを彼女の話から何となく予想はしていたが、案の定、彼女が持ってきていたのはそのA4のノートと水筒、タオルハンカチだけだったようで、私の発した言葉を聞いた彼女は寂しげにそうだよね、宿題沢山あるもんね、と言いながら黄色い手提げ袋を左肩に掛けた。

 彼女を玄関から見送ると、台所で夕飯の準備をしていた母から、A子ちゃん、もう帰っちゃったの?と問いかけられた。私はとっさに、用事を思い出したんだってさ、と答えた。



 夏休みが明けると、A子は転校していた。

 担任の先生が言うには、親の転勤が急に決まって隣県に引っ越すことになったとのことだ。ホームルームでA子の転校を唐突に告げられた生徒達は一瞬のざわつきに包まれた後に、先生に制され落ち着きを取り戻した。

 夏休みが明けて最初の登校日であったその日は、朝のホームルームと全校集会のみが予定されており、それらが済むと生徒たちはまだ朝の雰囲気を残した通学路を歩いて帰っていった。私はいわゆる帰りの会が済むと、教室を楽しげに去っていく生徒たちを横目に先生のもとに駆け寄った。

 先生、A子さんは本当に転校してしまったんですか?
私のその言葉を聞き、四十そこそこと思われるお母さんのような優しい雰囲気の先生は私と目線を合わせる為にしゃがんで、私の両肩に真っ白な手を乗せた。

 ――U子さんはどうしてそんなこと、先生に聞くの?

 コクリと折るように首を傾げた先生に見つめられ、言葉が口の中に溜まった。

 U子さんも早く帰らないとお母さんが心配するわよ。じゃあ先生、職員室に戻るからね。教室の電気を消してから帰ってね。そう言い残すと先生は教室の後ろの戸をガラリと開き、すたすたと長い廊下を歩いて行った。

 教室に残された生徒は私だけになっていた。机の上に置いた体に見合わない大きなランドセルを背負い、教室を見渡した。両隣の教室の生徒も既に全員下校したようで、数分前までの喧騒からは想像できない程の不自然な静けさが漂っていた。

 A子の席は私の席から見て左前方の窓際の列の前から三番目だった。その机に目をやると、空っぽのはずの机の中に黄色い手提げ袋がくしゃくしゃに丸めて詰め込まれているのが目に入った。

 私はA子の机の横で膝をつき、手提げ袋を引っ張り出した。乱暴に丸められたその手提げ袋には、よく見ると緑色の液体が飛び散って乾いたかのような小さなシミがいくつかついていた。私はその手提げ袋の中にビー玉大の何かが入っているのに気付き、それを取り出した。

 手提げ袋から出てきたのは小さく丸められた一枚の紙だった。硬く丸められたその紙を破らないように慎重に解し広げていくと、それがA子の持っていたA4サイズのノートからちぎり取られたものであることに気付いた。

 その紙を広げ終え、机の上に置き、手の平でびっしりと刻まれたしわを伸ばした。

 そこには殴り書きで一言、『たのしかった』と書かれていた。

恥ずかしがり屋と誤解

恥ずかしがり屋と誤解

彼女はなぜ、居なくなってしまったのだろう。

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