訃報

すごろく

 訃報が流れていた。インターネットのゴミ溜めの片隅で。
 ハツネなんとかという人口音声ソフトを使って楽曲を作っていた人が急死したらしい。享年は三十歳だったそうだ。ずいぶんと才能があり、なおかつ人望があった人物だったようで、あちらこちらのSNSやら動画投稿サイトやらで、その死を悼む書き込みやコメントなどが散見された。やれ「ご冥福をお祈りします」とか、やれ「生前作られた楽曲はどれも大好きでした」とか、手垢がべっとりとついたような典型句ばかりだった。
 人通りのそれなりにある街中を、器用に縫って歩きながらスマホを片手にしている僕は、液晶画面に映るそれらをなんとはなしに眺めて、何かを馬鹿にしたように鼻の穴から空気を吐き出した。
 僕はこの訃報が流れている人物のことを何も知らない。ハツネなんとかというやつを使った楽曲も一曲どころかワンフレーズも耳にした覚えがない。名前も何となく、どこか適当な掲示板で見かけたことがあるような、やはり気のせいのような、その程度のものだった。
 試しにその訃報の人物が作ったという楽曲を一曲聴いてみた。がちゃがちゃとしたやかましいロックだった。ただギターなのかベースなのかよくわからない弦楽器の音がうるさいばかりで、メロディもリズムもさっぱりわからなかった。歌詞もなんだかちぐはぐでちんぷんかんぷんだし、ハツネなんとかの声も妙に甲高くて早口であり、頭が痛くなるような酷いものだった。
 僕は一分も経たないうちに、視聴を断念した。
 これが大人気だったのかと呆れる気持ちと、大人気のもののはずなのに自分はその中に入れないんだなという切ない気持ちが半々ずつ心の表面に浮かんで、すぐに沈んだ。
 そういえば、三日前には確か声優の訃報が流れていた、と脈絡もなく急に思い出す。
 その声優も、僕にとっては無名も同然の人物だった。何かのアニメのキャラクターの声を聞いても、やはりピンと来なかった。しかし、インターネットのゴミ溜めではまるで首相が死んだかのような騒がれようだった。――いや、実際は首相が死んでも大して騒がれないかもしれない。――それはともかく、一大ニュースのような取り上げ方をされていたのは確かだった。
 しかし、まだその声優の訃報から三日しか経っていないというのに、どこを覗いてみてもその声優の名をちっとも見ない。今はハツネなんとかの人の訃報で、インターネットのゴミ溜めはどこもかしも持ちきりだった。
 多くの人が文面に表面的な悲しみを滲ませながらも、どこか訃報という祭りを楽しんでいるようだった。
 ふと、また何の脈絡もなく、もし自分が死んで、自分の訃報が流れたらどうなるかを考えてみる。
 別に僕は有名人ではない。何か秀でた才能もなければ、人に好かれるようなものも生まれつき何も持ち合わせていない。貧乏でくだらない大学生だ。だけれど、そんなつまらない大学生である僕の訃報が流れてみると、いったいどうなるのか。
 僕はそれを思い描いてみたけれど、しかしそれは、描き出すまでもない風景を映し出しただけだった。誰も、僕の訃報になど興味を示さなかった。インターネットのゴミ溜めには僕の名前のゴミが一つも落ちていなかった。テレビで放送してみたり、新聞や雑誌などに大々的に顔写真を貼りつけたりしてみたけれど、街行く人々はただ死に急ぐように速足で歩き去っていくだけだった。
 当たり前だな、と僕は脳裏の風景を打ち消した。しょせん僕などは今どこかで野垂れ死んでも誰の気にも留められず、良くて無縁仏として共同墓地に放り込まれ、悪くてカラスやネズミの餌だろう。そう自嘲的に思うと、むしろなんだか愉快な気分になってくるようだった。
 でも、とまたふと性懲りもなく思う。
 ――そんな死に方をした人は、世の中にどれほどいるのだろうか。
 そう思ったとき、背後から何か気配を感じて、僕は立ち止まった。いや、それは気配と表現するよりも、腐臭と表現した方が適切かもしれない。何か匂いがしたわけではない。ただ腐臭のようだ、と感じただけのことだった。
 恐怖は特になかった。妙に生暖かい春の夜の感触のようなものだけがあった。
 僕はゆっくり振り向いた。
 死体があった。――正確には、たくさんの死体が道の上に積み重なっていた。どこまでもどこまでも、数えきれないほどの死体が見える限りの道の先まで積み重なり、人が通ることを想定して設計されたあらゆる建物と建物の隙間という隙間を埋めている。
 色んな死体があった。会社員らしき背広を着た死体。派手なドレスを着飾った死体。ランドセルを背負った子どもの死体。ステテコを履いた老人の死体。着物を着た死体。軍服らしきものを着た死体。どこだかわからない国の民族衣装らしきものを着た死体。太った死体。裸の死体。四肢のない死体。びしょ濡れの死体。丸焦げの死体。血みどろの死体。痣だらけの死体。綺麗な死体。赤ん坊の死体。エトセトラエトセトラ――。
 同じものを探すのが困難なほど多種多様であったけれど、皆一様に、死にたてのような新鮮な青白い肌の色をしていた。
 その死体の中を、街行く人々はさも日常であるかのように進んでいく。
 電話をしながらぺこぺこと頭を下げる男性は死体をすり抜け、べたべたとくっついて愛を囁き合うカップルや無邪気と邪気の区別がまだつかない幼い子どもたちは、何も気にすることはないというように、平気な顔で、むしろ笑顔で、その死体たちを踏んづけていく。
 街行く人々にとって、死体は空気だった。いや、空気ですらなかった。死体は確かにそこに存在していたけれど、同時に存在していなかった。存在していないものを、僕は見た。見たのだけれども――だからどうということはなかった。
 ただ今晩はブリの煮つけがいいか、などとのんきに考えていた。
 ふと瞬きをした瞬間、あれだけ街を埋め尽くしていたはずの死体がすべて消えていた。
 僕はスマホをポケットに仕舞って、再び歩き始めた。
 いや、やっぱり今晩は焼き鮭にしておこう、と考えながら。

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  • 小説
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