ディディン神の最後の祀り

森本湧水

どこかで。

スハ人は、インド、ネパール国境付近の山岳地帯に暮らしていた少数民族で、世代交代に失敗して19世紀初頭までには種族滅亡している。

彼らの主な労働は牧畜とわずかな農作業で、環境は厳しく生活は辛く、子孫を繋いでいくことは非常に過酷だったろう、と言われている。

文書は、もっと低地に住んでいた人々が、何らかの紛争状態に陥って、逃れるために高地に移り住んだのがこの民族の始まりと、伝えられている。

私はこの消滅した人々に関する本を本屋で見つけて、今読書しているところ。「ディディン神の最期の祀り」という、目立たない新書版だった。

彼らはディディン、と発音する神を信仰していて、出産年齢に達するまでの少年少女たちがその祭司を務めていた、と文書は書く。

ディディン神は「形の無い三つのもの」を好み、それを捧げることによってこの民族に幸運と幸福をもたらす、と考えられていた、らしい。

形の無い三つのもの、というのは、香りと、人の声と、音楽だったと伝えられている。

ディディン神は「名前を知らない遠く」という意味で彼らが呼んでいる場所からやってきて、彼らの民族の祖となる人々を作ったのだという。

探検家がスハ人にフィールド調査した際に、「名前を知らない遠く、とはどこなんだ?」と尋ねると、彼らはことごとく空を指差したという。だから、エキセントリックな研究者は、スハ人の信仰していたディディン神は宇宙人で、彼らは地球外生命体の子孫なのだ、などと見解しているのだそうだ。

ディディン神を祀る時、祭司たちは深夜明かりの無い、戸口を閉ざした楼の中に集まって、花から作った香を焚き、皮で作った鼓を叩き、陶器の鈴を鳴らし、琴の糸を引き、そして一番の歌い手が歌をささげるのそうだ。

文字の情報が残されていないので、楽譜のようなものも残っていない。その地を訪れた当時の研究者が、見たまま訊いたままを記したもので、しかも既に200年以上前のことなのだから、彼らの実態については非常に心もとない。

しかし私は、当時の人々が聴いたという彼らの音楽がのちの世の残らなかったことを残念に思う。

世代交代に失敗し、子どもが生まれなくなった彼らの最期の祀りは、出産するには当時ぎりぎりの年齢だった、30歳の二人の男女によって行われた、と本は伝える。彼らは清童だったのだそうだ。

私は、彼らが音を弾き、歌を歌い、香をささげながら、祈っていた姿を思い描く。願っていたことは当然一つだっただろうから。

どうか健康な子どもを授かってまた祀りを行えますように、と。

しかしその彼らにも遂に長生する子どもは授からず、それをきっかけにしてスハ民族は滅亡の道をたどった。

祈りは、届かなかったのである。

祈るとはどういうことなんだろうかと私は思う。家族の幸福を、一族の繁栄を望んだ彼らのささやかな願いは、神の機嫌を取っても叶わなかった。

神とはどういうものなんだろうと私は思う。更に思う、これだけ機嫌を取らせておいて、ディディン神は一度くらい彼らに幸運を招いてやったことがあったんだろうかと。

過酷な環境の中で香を作ったり楽器を用意するだけでも大変な手間だった筈だ。そうまでしても、滅んで行った人々。200年前に彼らに興味を持ってその高地を訪れた探検家の、わずかな記録で現在にその影を住まう人々。

私は新書版を読書しながら、ただ、ただ、生きることを願った彼らの存在を、そのままたった一つの生物のように感じていた。

一つのいのちが生きて、思考を生きて、そして死んだのだ、と。

そう感じて読書していた。

ディディン神の最後の祀り

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