パイプ椅子はレモネードを飲むか?

「どうぞ座って下さい」
「ええ」
 私はパイプ椅子に座る。相手はLC2スリングチェアに座っていた。同じパイプなのにお洒落で偉そうだった。それに、どこからかアルコールの類の香りがした。気のせいか?
「正直にいいますと、すでに貴方の採用は決まっているんです」
「そうなんですか?」
「というのは、貴方は他社から引き抜いた優秀な人材ですからね。しかしながらです。一応、ここの経営者であるワタシが個人的に貴方とあって話すのは、しごく当然だとは思われませんか?」
「確かに、そう思います。でもまさか、これほどに大きな企業の社長と個人的にあって話す機会があるとは想像だにしていませんでした」
「それは貴方が『清掃員』として雇われたという理由がですか?」
「はい私はモップかけとか掃き掃除とか掃除機をかけるとかその内容で働いていました。それなのに、このようなIT会社から声が掛かるだなんて個人的に不可解なんです」
 社長は優しく微笑んで「不可解だなんて、そのように思わないで下さい。清掃の仕事はそのまま継続して頂きたいと思っているんです」と言った。
「しかし、やはりどうしても納得がいかないんです。理由を教えてくれませんか?」
 私はパイプ椅子から前のめりの姿勢になり尋ねた。
「そこまでいわれると、仕方がありませんな」と言い「実際に清掃を探していたのは事実です。ただ条件がありましてね」
「条件?」
「美しい……。美しい手を持った人です。形、シワ、色、骨格、爪、長さ、細さ、指紋、肌質、それに加えてホクロも一切ない、美しい手です」
 私はそのように言われ、自分の2つの手を見た。
「手ですか? 手が綺麗だから、雇ったということですか?」
「はい。簡潔に答えるとそうです」
「理解ができません。さらに不可解になりました」
 私の口調に社長はLC2スリングチェアのパイプを2度撫でてから「うん。疑問になりますか。まあ、実際の仕事の内容はこの後、部下から伝えさせようと思っていましたが、ワタシからお話しましょう」と言った。
「お願いします」
 私は言った。
「この会社の風潮として椅子に長く座る傾向があります」
「パソコンのお仕事ですからね」
 私は言った。
「その通りです。仕事の時間は大体8時間から10時間の間です。へんな話、社員やワタシも含めてですが家族と会う時間よりも家族と触れている時間よりも椅子と接している時間の方が多い。その事に気づいたワタシは各社員の身体に合った椅子をオーダーメイドで造らせました。それによって社員たちの仕事の効率がよくなりました」
「なるほど」
 私は言った。
「次にワタシは考えました。せっかくのIT業をしているのですから、それを活用しなければなりませんと。それで各社員の椅子にAIを搭載し、社員の体温、脈、血圧や血液中の栄養素などの管理を行う事をしました。社員に必要なモノをAIが感じ取ると椅子から自動的に社員の口に栄養分が供給されるようにしました。その後もまた、改良し、椅子にメモリーを搭載しました」
「メモリーを搭載?」
 私は答えた。
「メモリーとはですね、例えば業務の引継ぎの時にイチイチ説明する時間がモッタイないと思いませんか? 思いますよね? ですからある社員が座っていた椅子に他の社員が座ると仕事のデータが脳に入りすぐさまに作業を行うことができるようにしました。それによって、素早く連携ができ作業が進めます」
「はあ」
 私は答えた。
「また、社員から要望もあり、リフレッシュ的な要素も付け加えました」
「リフレッシュ?」
 私は言った。
「はい。リフレッシュです。休憩時間に椅子に座ると『その』社員に合った電波を流してリフレッシュさせるんです。しかし、ちょっとだけ問題がありまして、それからというもの社員の残業時間が増えましてね……」
 社長はそう言い終えると、私の背後にある扉が開いた。水差しと2つのグラスをトレーに乗せた行儀が良く背の高い女従業員が入ってきた。
「ちょうどいい所に来ましたね。そろそろ喉が渇いたと思いましたから」
 女従業員は水差しをグラスに注いだ。レモネードだった。注ぎ終えた女従業員は社長と私にグラスを渡し、再び行儀よく扉の向こう側へと去って行った。
 私は一口だけレモネードをグイッと飲んだ。だが社長はレモネードが入ったグラスをジィーと見た後にパイプをギリギリと握った。それから社長は口を動かした。
「つまり何が言いたいかといいますとですね。貴方に椅子の清掃をして頂きたいのです。各社員の全てのクリーニングです」
 社長の言葉に私は驚いた声で言った。
「椅子の清掃ですって? そんなの聞いた事がない。お言葉ですが従業員にさせればいいんじゃないですか? 使用している本人にです。そのために私を雇う意味が分かりません」
 社長は首を横に振って答えた。
「貴方がいう事も最もです。もちろん。初めは『社員』が清掃をしていました。けれども、このところ、社員の清掃を喜ばないようになってしまい、その影響もあって仕事の質も下がってしまっている状況なのです」
「何故」
「椅子が嫌がるんです」
「は?」と私は反射的に答えた後に「椅子が嫌がる? 何を言っているんですか?」と言った。
「どうやら椅子たちは綺麗な手によって身体を清掃してもらいたいと思っているようでして……」
 私は答えなかった。
「椅子たちは他にも飲み物を欲しがるんです。コーヒーとかレモンティーとか、何処で覚えたのかわかりませんが……。社員たちは毎日、それをかけるんです。でないと、仕事が進みませんからね。だが椅子は汚れる。甘ったるい悪臭はする。ここ最近の仕事場は本当にキツイんです」
 社長は両手でパイプを握る。ギリギリと強く。私は引きつって笑った。軽く息を吸った後に私は冗談を言った。
「ははは。もしかしてそのレモネードも飲みたがっているんですか? 社長の座っている椅子も」
「まさか」
 社長は言った。
「ですよね」
 私はホッとして答えた。
「LC2スリングチェアはスピリッツしか飲まない」
 私はさすがに笑うことを辞めて立ち上がった。
「申し訳ありませんがこの話しは無かったことにしてくれませんか? どうも私には気が重すぎる仕事だ」
 私の発言に社長の顔はみるみる青くなる、それでも社長は椅子に座ったまま答えた。まるで社長の身体は椅子にへばり付いているようだった。
「な! なんだと! それは困る! お金か? お金なら今の倍は出すぞ! いや! 10倍でもいいぞ!」
「そういう理由ではないんです。ただ、便所の清掃しているほうが精神的にクリーンだ」
 そう言い放つと私はパイプ椅子から立ち上がり背後にある扉を開けて外に出た。社長は大声で何かを言っていたが無視した。すると私がさっきまで居た部屋から大きな声が聞こえた。「申し訳ありません。早く、別のをみつけてくるので、ええ……、手……ですね……白くて、綺麗な」
 誰に向かって喋っているんだ? 私はそう思いながら、さっきまで座っていた『ただの』パイプ椅子を思い出して「パイプ椅子はレモネードを飲むか?」と疑問に思いポツリと述べた。

パイプ椅子はレモネードを飲むか?

パイプ椅子はレモネードを飲むか?

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-05-22

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